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神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第四章 機械と化け物の境界線
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『毒の息吹』は、本当に赤いゼリーだった。

 わざわざ実物を観察しに行ったのか、と思うほどに、再現率が高い。店先に並んでいる様子を見て、鳥肌が立ったくらいだ。

 ゼリーは、くすんだガラスケースに陳列されていた。

 小さなスプーンとゼリーの入った容器を片手に、ローシャが目を輝かせる。

 三人がいるのは、チランジアの市街地だ。比較的瓦礫が少なく、それよりテントの方がずっと多い。

 夜は気付かなかったが、年季の入ったテントたちは色とりどりだ。緑もあるし、青もある。しいて言えば、黄色の比率が多いだろうか。

「これ、おいしいね」

 アルバートも、スプーンでゼリーをすくった。

 日の光に透かしてみると、澄んだ輝きを放っている。

 口に入れた。イチゴの香りが一気に広がる。一瞬面食らうほど、イチゴしかない。

 水と砂糖をほとんど加えずに煮詰めていったら、きっとこれくらい味が濃くなるのではないだろうか。

 思わず、目を見開いた。

「本当だ。美味しいな、これ」

「ね! セシリアも、きっとよろこぶ、よ」

 小遣いは既に貰っていた。ゼリーを買ってこいという目的の為なのか、いつもよりずっと多い。

 それで、三人はとりあえず今自分たちが食べる分を購入した。セシリアへの土産は、移動時間も考えるとなるべくぎりぎりに買った方がいいだろう。

 アルバートとローシャの横で、ナシュヴィルもちびちびとスプーンを動かしていた。

 物資を運び、瓦礫を片付け、視界を常に人が過ぎる。

 椅子代わりに残されている瓦礫に腰掛けて、三人はゼリーを食べた。

 その間にも、ひっきりなしに訪れる人々がゼリーを購入していく。本当に人気があるらしい。確かに、値段の割に量がとんでもなく多いのだ。

 コップ一杯分はある。というか、容器がそもそもコップだった。

 どうやら硝子ではないようだが。握り締めると、気味が悪いくらいぐにゃぐにゃ歪む。

「しーちゃんしーちゃん。しーちゃんも、おいしい?」

 頷くナシュヴィルを一瞥して、アルバートはゼリーに目を落とす。

 昨日の夜は、あまり眠れなかった。

 部屋が狭かったせいではない。否、寝ぼけたローシャにずっとしがみつかれていたことを考えれば、落ち着かなかったのは確かだ。

 今まで眠るときは必ず一人だったアルバートにとって、隣に人の体温があるのは妙なことだった。

 くすぐったくて、照れくさい。また、残りの二人があの状況に全く疑問を抱いていないのが、少しだけ恥ずかしくもある。

 それでも、心の底から嫌とは思えなかった。

 あれに慣れてしまったら、もう一人では眠れないのではないか。微かに不安になってしまうほど、人の体温は心地いい。

 アルバートは、ふと我に返った。勢い良く頭を振る。

 違う。昨日考えていたのは、そんなことではない。

 あの女のことだ。あの、歌のことだ。

 結局あれは、何だったのか。地面に転がっていた男は、きっと記憶を奪い取られていた。ベノムに食われたのか。

 でも、ベノムは餌をどこかに持って帰るのだ。

 少なくとも、すぐに記憶を消化しきることはできない。ローシャがベノムに取り憑かれたとき、ベノムに呑まれていた男はけろりとしていた。

 怯えてはいたが、記憶はきちんと持っていた。

 そもそも持って帰る時点で、すぐに消化できないと言っているようなものだ。

 町のど真ん中が巣であるはずはないから、あんなところでは食わないのではないか。

「昨日のあれ、本当にベノムがやったのか」

 ふと呟くと、ナシュヴィルが目を向けてきた。

 ローシャはゼリーに夢中で聞こえなかったようだ。

 部下の不手際を叱る怒号が、どこからか響く。

 カルセオラリアよりずっと切迫した雰囲気に、アルバートは思わず首を縮めた。

「違う、と思う」

 ナシュヴィルは、当然のようにそう言った。

 無意識なのか、カップの中に残ったゼリーにスプーンを刺してかき混ぜている。

「ベノム、は、餌を巣で、食うから」

「やっぱり、あそこは巣じゃないよな」

「町中は、違う。大抵、森の中、とか。頑張っても、地下道」

 つまり、人気のないところだ。

 いくら町の外れでも、完全に人気がないというわけではない。やはり、あの場所は違う。あそこでベノムが記憶を食うことはない。

 せめて、シオン抜きであの女と話せれば。

 しかし、騎士団にだけは何があっても近付きたくないのが正直なところだ。

「あの人に、話聞ければいいんだけどな」

 ナシュヴィルが首を傾げる。

 二人が自分をおいて話していることに気付いたのか、ローシャが眉根を寄せた。かき混ぜられているゼリーとアルバートの顔を交互に睨んで、頬を膨らませる。

「わたしだって、おともだちできたもん」

「友達?」

「うん。ゼリーのこと、おしえてくれたの。わたしのおめめも、ほめてくれた。いいひとだよ」

 得意げに胸を張って、ローシャが笑う。

 そういえば、急にいなくなった後もそんなことを言っていたような。

 彼女が出会ったのが、善良な人で良かった。人間的に破綻している者だったら、きっとただでは済まなかっただろう。

 想像しただけで、背筋が凍った。

 改めて、迂闊にローシャから目を離してはならない、と決意する。

「地下、行ってくる」

 半分液状になったゼリーを一気に飲み干して、ナシュヴィルは店先のゴミ箱にコップを放り込んだ。

 それを見て、アルバートは慌ててゼリーをかき込む。

「俺も行くよ。どうせ、他にやることもないし」

「あ、わたしもいく!」

 元からほとんど残っていなかったゼリーをすくい取ってから、ローシャもコップを捨てた。

 騎士団に迂闊に近付けない以上、やれることは限られてくる。彼らも、瓦礫に埋もれた地下道まで巡回経路に入れていないだろう。

 本当は、ローシャには宿で待っていてほしいのだが。

 しかし彼女は、溢れんばかりの好奇心で目を輝かせていた。下手をすれば、説得だけで午前中が潰れてしまう。

 アルバートとローシャは、基本的に暇だ。時間だけはとにかく有り余っている。

 問題はナシュヴィルだった。単純に、忙しい。

 カルセオラリアに行ったときのように、任務に従事することが多いらしい。隊員たちは煙たがっているくせに、こういうときだけ都合良く彼を利用するのだ。

 もっとも、クランツのような人間は、あの分隊にしかいないのかもしれない。そう思わなければ、胃の辺りが淀んでおかしくなりそうだった。

 ナシュヴィルは、無気力な眼で景色を眺めている。

 彼は、憂鬱ではないのだろうか。任務に出れば、あからさまな悪意を向けられるというのに。

 アルバートは、思わず息を吐いた。体に溜まった暗雲を吐き出すように、深々と。

「アル?」

 ローシャがきょとんと首を傾げている。

「何でもないよ」

 アルバートは、手に持ったままだったコップを捨てる。

 何も変えられない奴に、現実を憂う資格はないのだ。じわり、と足が疼く。

 すぐ横を、悲鳴じみた歓声を上げて子供が通り過ぎていった。



 昨晩ナシュヴィルが元に戻しておいた瓦礫を再び剥がして、三人は穴に潜った。

「……っひ」

 地下へ下りるための梯子は、朽ちて使い物にならなくなっていた。ナシュヴィルが先行して、落ちてきた二人を受け止める。

 最後に下りたローシャが、小さな悲鳴を漏らしてしがみついてきた。

 使われなくなった地下道には、当然ながら明かりがない。頭上に開いた穴から差し込む日光が唯一の光源で、そこから先は闇で覆われている。

「くらいの、いやだよう」

 怯えきったローシャの声が、やけに響いた。

 しかし、正直アルバートだって怖いのだ。

 地下道の闇は、密度が違った。下層の夜闇とも異なる不気味さを孕んでいる。

 生き物の気配がしないのだ。しんと静まり返ったがらんどうに、時折水滴が落ちたような音が木霊する。

 ローシャを腰にくっつけたまま、アルバートは後退さった。胸の奥底から、黒っぽい霧が沸き上がるような感覚。

 ぞわぞわと鳥肌が立った。思わず二の腕を擦る。

 後込みする二人を余所に、ナシュヴィルは躊躇なく暗闇に踏み込んだ。彼は歩くとき、ほとんど足音を立てない。

 くたびれた黒いブーツが、闇に染み入ったように見えた。

 消える。町の下に蹲る得体の知れない何かは、虎視眈々と獲物を待っている。

 湿っぽい空気が纏わりついてきた。下水道としての目的は終えたが、水気はまだ残っているらしい。

 暗がりで、ナシュヴィルが視線を巡らせている。

「……何か、いるのか?」

 恐る恐る声をかけると、ナシュヴィルは微かに首を傾げた。

 色濃い闇を見据えて、じっと佇んでいる。

「ずっと先」

「だ、だ、だれか、いるの?」

 ローシャの両腕に力が入った。

 ナシュヴィルは、こともなげに頷く。

「行って、みる?」

 彼が指さした先は、ひたすら真っ暗だった。

 一応持参したランプが一つあるが、これではあまりに心許ない。しかも、孤児院に元々置いてあったものだ。

 どうせなら、新しい方を持ってくれば良かった。

 一番手っ取り早いのはこの町で調達することだが、そうすると帰りの土産を買えないかもしれない。セシリアは、事情を説明すればきっと納得してくれるだろうけれど。

 アルバートは、腰にしがみついているローシャの頭を見つめた。

 しかし、ローシャは納得しない。

 持って帰ると約束した以上、彼女はそれを決して破らない。他人と約束したら破ってはならないと、つい最近教えたばかりだ。

 ローシャが泣き喚く姿を想像すると、どうしてもこれから地上に戻ってランプを買いに行く気にはなれなかった。

 ただ、光源がないからといってこのまま調べないのも勿体ない。

 湿った空気を思い切り吸い込む。胸に溜め込んだ空気を、一気に吐き出した。

 ランプのつまみを捻ると、中心部の石に頼りない光が灯る。

「とりあえず、行ってみよう」

 ナシュヴィルは頷いたが、ローシャはぐずった。

 それでもアルバートが歩き始めると、半泣きになりながら付いてくる。ぐいぐい体を押しつけてくるものだから、とてつもなく歩き辛い。

 アルバートは一つ息を吐いて、腹に力を入れた。

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