1
びく、と人の体が跳ねる。
痙攣して、潰された蛙のような声を上げ、崩れ落ちる。
彼女はそれを、ただ見下ろしていた。
それでも、口は止めない。
歌う。歌う。
不可思議な旋律が宙を滑り、相手の耳に届く。
「──あ、が」
それは、男だった。何の変哲もない男。
麻の服で身を包み、至る所が擦り切れている。
いかにも純朴そうな眼差しをしていた。おそらく、帰宅すれば家族が待っていたのだろう。大事な家族のため、その日の稼ぎを持って帰る途中だった。
地面には、男が手にしていた紙袋が落ちていた。
中から、焼き菓子がいくつか転がり落ちて土にまみれている。子どもに人気のある、甘い菓子だ。
きつね色に焼き上げられた、低い円柱。
スコーンという。しかし、歌い続ける彼女はその名を知らなかった。
ただ、見覚えだけはあったのだ。普段行動を共にしている青年が、いつももそもそと食べていたから。
早く、と彼女は思う。
早く終わらせたい。こんなこと、したくない。
彼女は泣いていた。泣けることなら、泣きたかった。
しかし、涙を流すこともできない。そんな機能は、自分に備わっていないのだから。
どうしてだろう。
何故私は、こんな姿で生まれてしまったのだろう。
何故、何故、何故。
歌が、唐突に途切れた。
しかしそれは、彼女の意志ではない。
体を強張らせていた男が、倒れ込んだ。どさり、と重々しい音が響く。地面が石畳ではないだけ、まだましだったかもしれない。
彼女は、足を踏み出す。
とある町の路地裏。日が落ちてすっかり夜闇に浸かった町で、こんな場所にやってくる者はいない。
歩く度、スカートの裾が足に纏わりついてくる。しゃらしゃらと、涼やかな音が鳴った。スカートの上、腰のベルトから吊している銀鎖のせいだ。
倒れ伏した男の顔は、苦痛に染まっていた。
本当に、証拠は残らないのだろうか。彼女は不安を覚える。
研究員たちは、絶対にバレないと言っていた。
理想郷だけでは、もう石を賄いきれない。だから、彼女たちは生み出された。
国中から石をかき集めるために。
「……シオン」
彼女は、ぽつりと呟く。
主である彼の名を。いつも、甘い菓子ばかり食べている青年の名前を。
彼の世話を焼いているときだけだ。唯一、空しさを忘れられる。時には、自分が人になったかのような錯覚を覚えることもあった。
機械なのに、何故こんなに苦しいのだろう。
彼女は束の間目を閉じてから、踵を返した。歩くと、先ほどは聞こえなかった音が鳴る。
体の中から、からからと固い何かが跳ねる音。
他の人間には聞こえない、らしい。防音は完璧だと、研究員に威張られた覚えがある。
他の機械は、こんなことを考えないのだろうか。
彼女は一人、夜の町を歩く。
早く、次の町へ行かなければ。
頭の中に、マルヴェラの地図が浮かぶ。
しゃらしゃらと銀鎖が鳴った。路地裏の暗がりには場違いな、涼やかな音が反響する。
早足で路地を行くその姿は、何かから逃げているようにしか見えなかった。