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神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第三章 人と毒の境界線
18/50

 その昔、今は平和なマルヴェラも戦争に明け暮れている時代があった。

 領土を拡大するため、食糧を確保するため、戦で失った兵を補うため。

 理由は様々だったが、血で血を洗う戦いを繰り広げていたのは間違いない。

 国はどんどん疲弊していたが、既に引っ込みがつかなくなっていた。ここでやめてしまったら、戦果はマイナスで終わってしまう。せめてプラスにしたい。

 上層部のその判断が、全ての人民に苦役を強いていた。

 戦だけではない。戦えない女子どもも、飢餓で死に絶えていった。小さな村や町は瞬く間に消えていき、戦前の地図はあっという間に役に立たなくなった。

 そんな逼迫した状況で、理想郷の研究者が開発したのがエネルストーンだ。宝石のような石は、貴族の指を飾るためのものではない。

 それを使って作り出されたオルゴールは、戦況を好転させた。

 武器に組み込めば魔法のような攻撃を繰り出すことができ、身につけるだけでも様々な恩恵を得ることができた。

 アルテスタという男は、単純に強かった。

 巨大すぎる剣を使う。初めはその見た目のインパクトから、妙な奴がいるという程度の噂が立った。

 実際、彼は常にぼんやりしていて、戦場以外では魂が抜けたような様子だったのだ。

 何か食べていても、口に入れる前にぼとぼと落としてそれに気付かないような人間だった。

 それが、一度戦に出れば文字通り人が変わる。

 オルゴールが導入される前から、彼は強かった。敵を刻み、投げ飛ばし、時に大剣を使って味方の盾になる。

 ぼんやりした眼差しに変化はなかったが、彼は瞬く間に部隊内での評価を上げていった。

 そんなアルテスタには、幼なじみがいた。

 山間の寒村から理想郷にやってきた彼に付いてきた、物好きだ。セシリアという。

 彼女もまた、おとなしかった。物静かで、いつもひっそりとアルテスタの隣にいる。古本屋で働きながら、毎日浴びるように本を読んでいた。

 部隊の人間は彼らは付き合っていると思っていたようだが、実際はそんなことはなかった。少なくとも、当人たちはそう思っていなかった。

 二人はただ、何となく一緒にいただけだ。

 戦場に向かうとなれば、アルテスタはいつもセシリアの元に行く。彼女は本を読み、彼はぽつぽつと最近の出来事を語る。

 時には、戦が終わった後のことを話すこともあった。

 村に帰るか、このまま理想郷に残るか。

 セシリアは、村の方が静かで好きだけれど本を読むためにここにいたいと言う。

 アルテスタは、家に帰りたかった。両親はまだ健在だったし、ここには自分を知っている人間が多すぎる。

 得をすることもあったけれど、それ以上に損をすることが多かった。余計な揉め事に巻き込まれることも多々ある。

 どうせなら、村で狩りをしながら暮らしていきたい。

 自給自足で何とかなるなら、それで十分だ。

 彼の話を、セシリアはいつも黙って聞いていた。

 十分に平和だった。アルテスタはオルゴールの力を借りてますます強くなり、滅多なことでは怪我すらしない。

 勢いを取り戻したマルヴェラは、自国の領内に一人たりとも敵軍を侵入させなかった。

 二人はいよいよ戦争中だという自覚を失いかけていて、それは他の人間も同じだった。

 ぬるま湯のような慢心が国内を満たし、やがてそれは毒のように広がっていった。

 そして、とある晴れた日。

 アルテスタは、王宮に呼ばれた。

 城下町では、戦争が始まってから初めての祭りが行われていた。物資の供給も安定したおかげで、出店まで並んでいる。

 戦時中とは思えない、煌びやかな光景だった。

 色とりどりの風船が宙を舞い、精一杯めかし込んだ装いの人間たちが行き交う。まるで、もう戦など終わったかのように。

 アルテスタも、用件が終わったらセシリアと落ち合うつもりだった。全てが終わって村に帰ることになれば、こんな盛大な祭りなど一生お目にかかれない。

 滅多に入ることのない王宮も、至る所が磨き抜かれて光っていた。目がちかちかして、アルテスタは早く外に出たくなったくらいだ。

 衛兵は彼を、王の間へ連れて行った。

 巨大な扉。大量の衛兵。玉座へ伸びる緋色の絨毯。

 荘厳な雰囲気に、アルテスタは完全に呑まれた。自分は何てところに来てしまったのだろうと、後悔した。

 そして、そこで王は語り出した。

 まだ戦は続いている。まだ、どこかで国のために命を削っている者がいる。

 それなのに、この様子はどうだ。

 誰も彼もが、戦はもう終わってしまったと思っている。

 そんなことはない。オルゴールで何とか戦況を五分に戻したが、ただそれだけだ。

 敵国がオルゴールを開発しない保証はないし、そもそも戦死者から回収されているかもしれない。実際、恐ろしい強さを誇る兵が現れたという報告も少なくない。

 この国は、戦争をしているのだ。

 王の言葉に、アルテスタは素直に己を恥じた。

 確かに、油断も慢心もあった。自分たちは負けないと、何故か固く信じていた。

 傭兵である彼が、最近戦場に呼ばれていなかったのも一因かもしれない。

 そうだ。この国は、戦をしている。

 改めて実感した。アルテスタは今度こそ、戦を終わらせなければと思った。

 呼んでくれれば、否、呼ばれなくても戦場に向かうと、彼は王に言った。

 しかし、王の表情は優れない。まるで、哀れむような。

 国民たちの意識を、今一度切り替えねばならない。戦争は続いていて、誰がどこで死んでもおかしくはないのだ。

 そう、誰が、どこで死んでも。

 会話が不穏な方向に向かい始めたことに、アルテスタは気付いていた。オルゴールである腕輪は、常に身につけている。

 いざとなれば、衛兵を蹴散らしてでも逃げよう。

 彼はそう思っていた。まだ、何とかできると。

 しかし、包囲網は既に出来上がっていたのだ。例えどんなに力量があっても、一傭兵にどうにかできる段階などとっくに通り過ぎていた。

 王が合図すると、どこからか新たな衛兵が現れた。

 ──セシリアを伴って。

 アルテスタは、ぼんやりと彼女を見つめた。セシリアもまた、じっと彼を見つめていた。

 一瞬人質かとアルテスタは思ったが、衛兵は呆気ないくらい簡単にセシリアを解放した。彼女自身も、若干腑に落ちない表情で歩み寄ってくる。

 オルゴールの作り方を知っているか、と王は聞いた。

 アルテスタとセシリアは顔を見合わせて、首を横に振る。そう、石の作り方もオルゴールの作り方も、世間には公表されていなかった。

 セシリアを連れてきた兵士は、小さな箱を持っていた。

 木でできた、手のひら大の小箱。飴色の木の上部には、白く濁った石がはめ込まれている。まるで、宝石箱のようだった。

 今教えてやると、王は言う。

 兵が箱を叩くと、石が微かに光った。物悲しい調べが流れ始める。

 やはりオルゴールだ。使用した直後に固有の旋律が流れるのが、オルゴールという名前の由来だった。

 直後、二人は息を詰まらせた。息ができない。

 これは何だ。アルテスタは目を白黒させて蹲る。

 敵の攻撃かと身構えたが、見回せば衛兵は誰一人苦しんでいなかった。余計に意味がわからない。

 セシリアも震えている。助けなければ、とアルテスタは思った。

 彼女は戦えない。戦えない人間が苦しむ必要はない。

 しかし、彼にはこの感覚を拭い去る方法がわからなかった。敵はどうにかできるが、こんな不可解な状況はどうしようもない。

 息苦しさで濁った脳裏に、絨毯の緋色が焼き付く。

 石の作り方。オルゴール。それを、今教える。

 頭が冷えた。ひょっとして、今まで使っていたエネルストーンは。

 ──みんな、罪のない人々を犠牲にして作られていたのではないか。

 一度そう思うと、そうだとしか思えなかった。

 何てことだ。国民のための戦争だと言っておきながら、この国は民を進んで犠牲にしていたのだ。

 自分はまだ傭兵だから構わない。けれど、セシリアは駄目だ。彼女は、せめて彼女だけは守らなければならない。

 しかし、どんどん意識が霞んでいく。

 顔を上げると、セシリアは既に動かなくなっていた。ぴくりともしない。力なく倒れ伏したままだ。

 叫び出したくなった。同時に、凄まじい怒りがこみ上げてくる。

 酷い。酷すぎる。こんなの、見せしめだ。

 怒りを抱いたまま、アルテスタは意識を失った。

 おそらく、もう一生目覚めることはないのだと彼は最期に思った。

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