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神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第三章 人と毒の境界線
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 男だ。男が二人。

 アルバートは反射的に息を潜めて、耳をそばだてる。

 会話している当人たちは特に声を潜めているわけではないらしい。

 アルバートは木立のすぐそばでしゃがみ込む。すかさずローシャも真似をした。

「奴らはまだ、諦めていないのか」

 その声音は、あくまで淡々としていた。だからこそ、色濃い諦観が漂っている。

 どうしようもない壁にぶち当たって、全てを放棄して、何かから身を隠している。

 メンフィスの声ではなかった。なのに、どこか似通っているような気もする。

 悪く言えば、棒読みなのだ。メンフィスはまだましな方だが、この声は酷かった。

 声の中に太い芯が一本通っていて、それの存在感が凄まじい。

「諦める気はないだろうな。そんな程度の覚悟なら、今頃まだここにいる。不愉快な話し合いもしなくて済んだ」

「……俺には、理解できない」

「理解されても困る。“セシリア”が、これ以上胃を痛める必要はないだろう」

 セシリア。

 台本を読み上げるように続く会話に、不意に聞き覚えのある単語が紛れ込んだ。

 一体、彼らは何の話をしているのだろう。

 知らない男と、メンフィスの会話。

 アルバートは困惑したまま、ナシュヴィルを見やる。

 が、当の彼は自分の役目は終わったとばかりにぼんやり佇んでいた。

「……ナシュヴィル」

 声を潜めて呼びかける。ナシュヴィルは、じっと木立の中を見つめていた。

 おそらくは、メンフィスたちがいる方向だ。

 そもそもこの会話は、聞いていてもいいのか。

「ふーちゃん、こわいこえになってる」

 ローシャが怯えたように身を震わせた。

 理解できないと言った男は、きっと無表情だ。そう思わせるような声音だった。

「セシリアは、奴を止められなかったことを悔やんでいる。あいつのせいで、この状況が加速した。逆効果だったんだ、あの反逆は」

 声は、言葉に反して平坦だった。メンフィスは黙っている。

 アルバートはただ、彼らの会話を聞いていることしかできない。何か重要なことを口走っているのはわかるが、情報が断片的すぎた。

 風が木々を揺らす。昼間も寒かったが、夜はもっと冷えた。充満する闇自体が、氷のように冷たい。

 気付けば、がたがたと体が震えていた。ローシャも同じなのか、思い出したように手を握ってくる。その手も震えていた。

「あいつは、セシリアのためだと言っていた。でも、俺にはそう思えない。あいつは、ただ自分のために復讐したいだけだろう。

 石が過剰に作られ始めたのはどう考えても、アルテスタ、の」

 不意に、男の声が途切れた。

 風が鳴く。体を芯から冷やそうとするかのような、冷え切った風だった。

「ナシュヴィル。何でその二人を連れてきた」

 喉の奥から、押し潰したような悲鳴が漏れた。ローシャがしがみついてくる。

 いつの間にか、目の前にメンフィスが立っていた。

 藪を踏み分けてきたはずなのに、全く物音がしなかった。夜風に長髪を靡かせて、眉根を微かに寄せている。

 普段無表情の人間が眉を潜めるだけで、何故こんなに怒っているように見えるのだろう。心臓の辺りが竦む。

 全く動じていないのは、ナシュヴィルだけだ。

「迷子」

 ぽつりと落とされた言葉に、三人は首を傾げる。

「迷子かもしれなかった、から」

 確かに、ローシャはメンフィスが迷子になったかもしれない、と言っていたが。だからみんなで探しにきた、と言いたいのか。

 メンフィスの眉間の皺が、さらに深くなる。

 ナシュヴィルは、良くも悪くも素直なのだ。そういう意味では、ローシャとよく似ている。

 この二人はきっと、どんな冗談でも本気にするだろう。

 メンフィスは暫くナシュヴィルを睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐いた。何を言っても無駄だということは、彼が一番理解している。

 気まずい。

 アルバートはナシュヴィルに付いてきたことを後悔していたが、今更何をしても同じだ。恐る恐る、口を開く。

「セシリアって、誰だ? いつも、俺たちが話してるセシリアじゃ、ないよな」

 メンフィスが目を眇める。ただでさえ鋭い目が、磨き抜かれた刃のように光った。

 凪いだ湖の底で、得体の知れない生物が身を潜めている。あまりにも恐ろしくて、アルバートは全く視線を合わせられなかった。

 下手に怒鳴り散らす人間より、内にため込む人間の方がずっと怖い。

 静かに怒気を立ち上らせるメンフィスに、ローシャも完全に怯えていた。ぴったりと密着した体が、小刻みに震えている。

 ざわ、と木々が騒ぐ。下生えが一斉に揺れる。

「本当に、知りたいのか」

 メンフィスの声は、どこか遠かった。

 木々のざわめきに半ば掻き消されているのに、それでも頭にねじ込まれる。

 本当のこと。真実は、時に人の心を切り刻む。

 散々切り裂かれて血を吹き零した心に、まだ血液は残っているのだろうか。血がなくなれば、人は死んでしまうのに。

 自ら問いかけておきながら、アルバートは後込みした。

 普段当然のように使っていた石は、人の記憶を強奪して作られたものだった。記憶を守りきったと思ったら、腹に石を押し込められた。

 これ以上、真実を知ってどうなるのだろう。

 知ったところで、無力な自分には何もできないのに。

 寒い。ぶるりと身震いしても、体は全く温まらなかった。気休めにすらならない。

 しがみついているローシャは、いつの間にか震えが止まっている。

 それで、何となく心が固まった。

 唾を飲み込む。乾いた口の中で無理矢理そうしたものだから、喉が痛くなった。

「知りたい。教えてくれ」

 メンフィスは、呆れたような息を吐く。

 彼の隣にいた男も、呆気に取られたように目を見開いた。やたらと細い茶髪が、夜風で揺れる。たじろいだように後退さった。

 馬鹿な奴だと思われているだろう。自分でもそう思う。

 怖いなら、目を背けてしまった方がよほど楽だ。けれど逃げてばかりでは何も変わらない。

 ローシャの石を探すのだ。そのためには、些細なことでも目を逸らしてはならない、と思う。

 少なくとも、大口を叩いたからには努力しなければ。

「一旦家に戻る。風邪でも引かれたら面倒だ」

 素っ気なく言い捨てて、メンフィスは木立から抜け出した。やたらと歩調が速い。ずかずかと、少しの躊躇もなく畑に踏み込む。

 苛立っているのは明らかで、アルバートはまた身が竦むような感覚を味わった。

 慌てたように、茶髪の男も続く。表情はなかったが、動作は明らかに慌ただしかった。

 一体どうしろというのか。

 でも、知りたいものは知りたいのだ。

 身を炙られるような心持ちのまま、アルバートは歩き続けた。いつの間にか、気温とは関係なく冷や汗をかいていた。

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