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神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第三章 人と毒の境界線
16/50

 メンフィスが取り出した懐中時計は、まだ午後五時を指したところだった。

 しかし彼は、早々に見学を切り上げて今日の宿に向かおうと言う。

「え、は? でも、まだ明るいし」

 アルバートは、へどもどしながら空を見上げた。

 初秋とはいえ、日はまだ顔を出している。傾き始めて、周囲に西日が差している状態だ。

 地面も木も家も、全てが赤々と染め上げられている。

 気味が悪いほどに鮮烈な日差しだった。どこを見ても目の奥が痛くなる。

 目を逸らそうにも、西日に犯されていない領域など木立の中くらいだ。

 メンフィスは、有無を言わさずさっさと進んでしまう。

 結局アルバートは、戸惑いを飲み込んでついて行くしかない。ローシャとナシュヴィルには異論など初めからあろうはずもなかった。

 畑の中の畦道を抜けて歩き続け、四人は寂れた民家に辿り着いた。

 今日一日見て回った限り、スプレストでは民家が一つとして固まっていない。皆、ぽつぽつと離れている。だだっ広い村、平べったい畑の中に、三角屋根が点在している。

 確か、宿、と聞いたはずだが。

 宿は、人が泊まるところだ。普通の家と比べて部屋がたくさんあるらしい。

 中層には勿論、宿はない。ただ、学校で習っただけだ。

 ただ、目の前にあるのはどう見ても民家だった。

 古い。外壁が若干朽ちかけていて、黒ずんでいる。人の気配がなかった。

 きっと、誰も住んでいないのだろう。物寂しい雰囲気が漂っている。

「……ここ?」

「ああ、間違いない」

「ぼろぼろー」

 ローシャはどこまでも楽しそうだ。

 そもそも、外出すること自体が嬉しくてしょうがないのだろう。ずっとあの元孤児院に閉じこもっていれば、外が恋しくなるのも当然だ。

 メンフィスは、何の躊躇もなく家に踏み込んでいく。

 既に村の人間と打ち合わせ済みなのだろうか。まさか、勝手に入り込んでいるわけではないだろうけれど。

 家の中は、冷たい空気が満ちていた。外の気温とほとんど変わらないような気がする。

 床は、比較的綺麗だった。

 ただ慌てて掃除したのか、埃の跡が至る所に残っている。完全に埃が取り零されている箇所もあった。

 誰もいない。そのはずだが、足が竦む。

 他人の家に土足で踏み込んでいると思うと、急に気まずくなってきた。四人分の靴音が空虚に響く。

 さすがのローシャも、顔を強張らせて腕を掴んできた。

「寝室は二階だ。部屋は人数分用意されている。寝心地はあまり保証できないけどな」

 やたらに入り組んだ廊下を進んだ先には、リビングがあった。廊下にもドアがいくつかあったが、とても開ける気にはなれない。

 壁際には暖炉があった。中は綺麗で、用意したばかりらしい薪が積まれている。

 リビングのテーブルには、抱えるほどの大きさのかごと大量の蝋燭が乗っていた。パンと果物が山になっている。

 一応台所もあったが、こちらは全く掃除されていなかった。端から使うとは思われていないのだろう。

 確かに、このメンバーで料理のできる人間はいない。メンフィスはよくわからないが、少なくともアルバートは無理だ。材料を切るくらいしかできない。

 にも関わらず、竈の上には寸胴鍋が一つ乗っていた。

「食料はその辺りにあるものを適当に食べてくれ。俺は二階にいるから」

 そう言い残すと、メンフィスはリビングから出て行ってしまった。彼が暖炉に火を入れていったおかげで、部屋の中が明るくなる。

 アルバートは、ぽかんと口を開けた。ドアの閉まる音が、静かな室内に波紋を残す。

 もしかして、メンフィスは疲れていたのだろうか。だから、早々に部屋へ引っ込んだのかもしれない。

「ねえねえ、リンゴたべていい?」

 ローシャは早くもテーブルのかごに手を伸ばしている。

「……じゃあ、とりあえず適当に食べるか」

 アルバートも溜め息を吐いて、丸パンを取った。

 驚くほど柔らかい。というより、普段パンといえば固いものばかり食べているからそう感じるだけか。

 それにしても、足が痛い。

 今日は結局歩きっぱなしだった。歩いているときは景色に夢中で気にならなかったが、止まってみると両足が棒のようになっていた。

 一応ふくらはぎをさすってみたが、気休めにもならなさそうだ。既にかなり怠い。

「ローシャ、足、痛くない?」

「うーん……ちょっと、いたい」

「じゃあ早く寝ないとな。食べたらさっさと上に行こう」

「ねー」

 三人はほとんど喋らないまま食事を終え、それぞれ部屋に引っ込んだ。ナシュヴィルは平気そうだったが、ローシャもかなり疲れていたらしい。

 部屋にはベッドしかない。そもそも、部屋自体が普段過ごしている廃屋と比べると狭かった。

 しかし、ただ寝るだけならこれで十分だ。

 アルバートは足を引きずりながら、何とかベッドまで辿り着いた。眠い。とにかく眠い。

 倒れ込むと同時に凄まじい眠気に襲われた。

 ぶつりと、意識が途切れる。



 不意に、くしゃみが出た。

 間の抜けた音が部屋に響き、アルバートはびくりと身を震わせる。

「さ、むっ」

 またくしゃみが出そうになって、慌てて毛布にくるまる。ベッドには毛布も掛け布団も用意されていたのに、眠気に任せて何もかけずに眠ってしまっていた。

 暖房器具のないここより、リビングの方が暖かいだろうか。まだ暖炉に余熱くらいはあるかもしれない。

 本気でリビングに移ろうか悩み始めた頃、ドアが控えめに叩かれた。いかにも戸惑いがちで、こんな風にドアを叩くのは一人しかいない。

「ローシャ?」

 呼びかけると、ゆっくりドアが開く。

 やはりローシャだった。今回は一泊するということで、一応寝間着も持ってきてあった。ローシャはいつもの白いワンピースではなく、その寝間着姿だ。

 寒いとメンフィスに言われて、長袖長ズボンの方を持ってきて正解だった。寝間着の淡い水色が、暗闇で光って見える。

 ローシャは、どことなく不安げだった。寝間着の裾を両手でいじりながら俯いている。

 アルバートはとりあえず、持ってきたバッグからランプを取り出した。つまみを捻って点灯させる。

「どうかした? 寒い?」

 尋ねたが、首を横に振られた。

「あの、ね」

 ローシャはそわそわと周囲を見回して、ようやくアルバートに視線を合わせる。

 空色の瞳が、ランプの光を映して揺れた。

「ふーちゃん、いないの」

「……メンフィスが?」

「うん。おへやにいないの」

 先に休んだのではなかったのか。眠気で鈍った頭で、アルバートはぼんやり考える。

 しかし、実際に確認したわけではない。寝室は二階だと言われたから、てっきり眠ったのだと思っただけだ。

 もしスプレストがメンフィスの故郷だとしたら、知り合いにでも会いに行ったのかもしれない。自分が生まれた場所なら、会いたい人の一人や二人いるだろう。

「ナシュヴィルなら知ってるかもしれない」

「しーちゃん?」

「何となくだけど」

「じゃあききにいこうよ。ふーちゃん、まいごさんになっちゃったかも」

 二人はすぐにナシュヴィルの部屋に向かった。二階には四部屋ある。元々そう広くない家だ。部屋同士の間隔も狭い。

 ノックをしようとしたら、その前にドアが開いた。

 アルバートは思わず肩を跳ねさせる。が、後ろにいたローシャは全く動じていない。

 アルバートの上着の裾を掴んだまま、口を開いた。

「しーちゃん、ふーちゃんしらない?」

 ナシュヴィルは、平生通りの表情で首を傾げる。

 今まで起きていたのだろうか。赤い目は全く濁っていない。少なくとも、いつもより調子は良さそうだった。

 寧ろ、普段の睡眠時間が足りていなさすぎるのかもしれない。

「ナシュヴィル、普段ちゃんと寝てないだろ」

 忘れないうちに尋ねると、ナシュヴィルはすぐに目を逸らした。何か言いたげに口を開閉する。

 ローシャも目を見開いて、頬を膨らませる。

「だめだよ、しーちゃん。セシリアも、ちゃんとねなきゃっていってたでしょ」

「……わかってる」

「いっつもねむねむしてるの、しってるんだからね」

 ナシュヴィルはまだ、ローシャに窘められている。

 そういえば、とアルバートは思った。

 スプレストには、本当に石がなかった。井戸も桶と縄が繋がっていて、縄を巻き上げて使うらしい。風車は風の力で回っているから、勿論石を使わない。

 ランプは存在せず、蝋燭を使用している。蝋燭なんて、誕生日にケーキに刺して吹き消す以外の使用法はないと思っていた。

 石がなくても、生きていけるのだ。

 ミルニールには、良くも悪くも石が溢れている。ランプも水道も、全て動力は石だ。

 もし石がなくてもいいなら、記憶を奪う必要はない。エネルストーンは、もう必要ないのだ。

 上の連中は、それを知らないのかもしれない。石がなければ死んでしまうとか何とか勘違いして、身を切る覚悟で石を量産している。

 ──本当にそうだったら、どれだけ良かったか。

「しーちゃん?」

 ローシャの声で、アルバートは顔を上げた。

 ナシュヴィルが、勝手に部屋を出て行こうとしている。

「ナシュヴィル、どこに行くんだ」

 問いかけても、一向に振り返る様子がない。ナシュヴィルはただ黙々と歩いていってしまう。

 アルバートとローシャは顔を見合わせて、結局その後に付いていった。何度呼びかけても、不気味なくらい反応がない。

 ナシュヴィルは当然のように家から出て、夜道を歩く。

 月明かりが景色を薄く浮かび上がらせていた。畑も木々も、燐光に似た微かな光を纏っている。

 もしかしたら、この村には誰もいないのではないか。昼間から人気がなさすぎるような気がする。

 本当はとっくの昔に人がいなくなっていて、風車だけがひたすらに羽を回し続けているのかもしれない。人が消えても、風車だけはずっとその姿を保っている。

 あんなに力強く回り続けている羽が、止まっている光景が想像できない。

 ナシュヴィルは、畦道を外れて畑に踏み込んだ。ざくざくと、柔らかな土を踏み分ける音が響く。

 一瞬躊躇したが、アルバートも畑に入った。

 土が柔らかい。足が食い込んで転びそうになった。

 そもそも、畑に勝手に足を踏み入れて大丈夫なのだろうか。ぱっと見たところ、もう何も植えられていないように見えるが。

「ふわふわ!」

 ローシャが笑いながら足を下ろす。動きやすさを重視したショートブーツが、たちまち泥だらけになった。

 ミルニールに帰ったら、ちゃんと洗わなければ。

「おい、ナシュヴィル」

 進んでいくナシュヴィルを見ていると、だんだん不安になってきた。

 何故、何も言わないのか。彼は一体どこに行こうとしているのだろう。

 さらに言葉を重ねようとした瞬間だった。ナシュヴィルが、木立のそばで立ち止まった。

「しーちゃん?」

 耳の底が痛くなるような沈黙。

 それを、聞き慣れない声が破った。

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