1話 月の雫(中)
アマガミの言う効果の確認とは、制作者自身が行うものである。
このアヴァロンという国、モンスターの類がいないのである。いや、いるにはいるのだが、そこはダンジョンで、しかも出てくる敵は生産よりとはいえレベルカンストのアマガミが命懸けの戦いを覚悟するほど強い。よって、そんな所には行かずに制作者本人がその効果を確認するのが常となっている。例外としてダメージ系のアイテムは実験用ゴーレム「ゲームの国から来たネコ型ロボット君1号」が担当するが、今回はその例外ではない為に彼の出番はない。被験者であるセーラの顔が蒼褪めたのはそんな理由からだ。
「まあ、デバフ効果の魔法は使わないでやる。安心して散れ」
「ししょー!! 今本音と建て前が逆じゃなかったですか!?」
「うるさい。とにかく行くぞ」
「そうだシェリー、シェリーは!? 昨日から見てないんですけど! 何で今回は私1人!?」
「……お前より早くアイテムを作ったシェリーはな」
言葉を途中で区切り、アマガミは空を見上げる。まだ昼なので空は青く澄み渡っている。浮かぶ雲を「肉のようだな……」などと考えながら、アマガミは。
「遠いところに、旅立ったのさ」
シニカルな笑みを浮かべそれだけ言う。
ちなみにシェリーとは妹弟子の事だ。ほとんど同期で(セーラの主観では)能力的に大きな差は無いけどお姉ちゃん気分でいられる相手。なにかと彼女にセーラは助けられている。
セーラにはシェリーに何があったのか分らないが、とにかくアイテムの性能試験でダウンした事だけは分かった。不吉な予感を胸に、師であるアマガミから緊急避難しようと走り出す。が、その逃亡はレベル差のあるアマガミに通用せず、襟首を掴まれ引きずられる結果となった。
「いーやー!! 誰か助けて~~~~!!」
「近所迷惑だ、馬鹿弟子」
「きゅう」
騒ぐセーラの脳天に拳を落とし、物理的に黙らせるアマガミ。実に手慣れた行動である。
こうしてセーラは引き返せない所に旅立つのであった。
アマガミが『月の雫』の実験に選んだ場所はアヴァロンの郊外である。被験者がセーラの為、街から離れるだけでもアマガミ一人が面倒を見れば特に問題は起きない。アマガミは100レベル、セーラは50レベル。レベルが2倍であれば実力差が歴然としてしまうのはレベル制RPGの宿命。セーラが起こすであろうほぼ全ての問題はシャットアウトできるのがアマガミなのだ。
「うぅ、では逝きます……」
言葉が不穏な気もするが、セーラは『月の雫』を飲用する。身体にかけて使うのはこの後やる予定だ。『月の雫』にはバフ・デバフ・状態異常が継続するとあったが細かい説明が無く、使わないと記載されない情報が多くあるとアマガミは推測している。
ちなみに、他の実験作は既存の効果しか表示されていないことから、新しい効果が全くないのは経験則である。仕様で、そのアイテムにとって全く新しい効果が出た場合は必ず多少の変化が記載される。≪鑑定≫レベルが低くチェックに失敗した時ですら「???」と載るので間違いない。
『月の雫』を飲んだセーラは自分に≪付与・敏捷度上昇≫を使う。時間延長がされるのを確認するためだから効果時間は最短で最大威力になるようにアレンジした。効果はすぐにあらわれ、セーラの動きが目に見えて早くなる。身体を軽く動かし、魔法の成功を確認するセーラ。普通だったら動く速度が変われば慣れる前に転んだりするのだろうが、セーラは普段から使っている魔法の一つ程度ではそのような無様を晒さない。手慣れた感じで格闘の型を試している。スカートであれば裾を気にしなきゃいけない動きも作業着であればお色気シーンにならない。実にもったいないシチュエーションだ。
先ほどセーラはこのバフの効果を強めて効果持続時間を最短――10秒程度に設定した。よって、普通なら10秒たてば効果が無くなるはずなのだが、時間を過ぎてもセーラの動きは早いままである。実験は成功と言えた。
「ふむ。『月の雫』を飲んだあとに使った魔法の効果時間が延長されたか。これで最初の実験は成功だな」
「はい!」
無事に実験が終わってほっとするセーラ。何事もなく終わったのだからこれで無事に帰れると年相応の小さな胸を撫で下ろす。1日中敏捷度が上昇したままでもセーラの生活に支障はない。むしろありがたいぐらいだ。
しかし現実はセーラに厳しい。師・アマガミは次なる試練をセーラに課す。
「じゃあ、もっと強力なバフも維持できるか試すか。ついでに維持可能限界数も調べるぞ」
セーラの実力ではあまり強力なバフは扱えない。よって今度魔法を使うのはアマガミだ。その事実にセーラは気を失いそうになる。これはアマガミの魔法が下手とか言う話ではない。アマガミ自身は熟練の魔法使いでもあり、その腕に多大な信頼を寄せるセーラではある。が、『新・月の雫』は効果検証中の危険なアイテムだ。師匠の魔法と化学反応を起こし予測不可能な結末が起きる事を覚悟しないといけない。そして強力な魔法であればある程、予想できない被害というのは大きいものだ。しかもこの様子だと限界を超えるまで重ねがけされるというのであれば、セーラの不安は至極当然だろう。
「安心しろ。たとえ死んでも何とかする」
「信用できませんよ!!」
何気に蘇生薬まで用意したアマガミの言葉に、セーラは思わず叫び返す。死ぬまでやらせるのか、というより、死んでも生き返ってまたやらされるのか、である。死が救いでない分、セーラの絶望の深さが分かるというものだろう。
じゃあ師弟関係を辞めればいいのでは? と思うかもしれないが、師弟関係というのは簡単に解除できるものではない。師にとって技術を伝える相手というのは、言うなれば機密情報を共有する間柄なのだ。セーラには逃がしてもらえる可能性など万に一つも無い。もう諦めるしかないのだ。一応でも命の保証があり、他では学べない技術を学べるというのだから、弟子の立場を変わって欲しい人はたくさんいるのだが、そこはセーラの救いにはならない。セーラを作ったのがアマガミだった。それが彼女の幸運であり不運である。
「では、これが終わったらデザートを食べる許可をやる。頑張れ」
「うぅ、頑張ります……」
小さなご褒美ではあるが、無いよりマシと、それを心の支えになんとか現実を受け入れたセーラ。その悲壮な決意に対し、アマガミは容赦しない。
「では≪再誕の炎≫と≪始原の闇衣≫でも……」
「それ! 禁呪じゃないですか!!」
死んでも自動で復活する≪再誕の炎≫とあらゆる魔法に対する耐性を高める≪始原の闇衣≫は付与魔法の中でも禁呪クラス――ようするに、使い手の限られるとっても難しい魔法だ。扱いは繊細でなければならないその魔法を、アマガミはセーラに使う。逃げても無駄なのでセーラは動かないが、≪再誕の炎≫の効果が無事に発揮すれば死ぬ事だけは無いと自分に言い聞かせる。もっとも、その「効果が無事に発揮すれば」が怪しいので怖いのだが。
アマガミが長い詠唱を終え、まずは≪再誕の炎≫が掛けられる。本来なら被術者から火の粉に見える精霊力が溢れるように舞うはずなのだが、それが出ないので首をかしげるアマガミ。セーラはと言うと、無事に終わりますようにと胸の前で手を組んで必死に祈っていたのだが、手から力が抜けている。
これは何かあったな、と、アマガミはセーラの状態を確認すると――
『誘惑状態・敏捷度増加』
とあった。敏捷度増加は分かる。セーラが自分で使った魔法の効果だ。問題は誘惑状態の方で、効果に聞き覚えはあったがセーラに使った魔法から連想できずにアマガミは首をかしげる。とりあえず状態異常のようだし、その効果を打ち消そうと魔法を使う。
しかし結果は失敗。更に状態異常が追加されるような事は無かったが、これも実験と割り切り、アマガミは更に付与魔法の詠唱を開始する。使う魔法のランクを少し下げ、それでも高難度の防御強化魔法≪不滅の盾≫を使う。結果は状態異常にならなかったが『魅力度増加』と別な効果に置き換わっている。ふむ、と小さくうなずき、次々に魔法をセーラに掛けるアマガミ。実に鬼畜な師匠である。
最終的なセーラの状態は『酩酊・混乱・魅力度増加・誘惑状態・敏捷度増加』となった。上書きはできないようで、これ以上魔法をかけてもキャンセルされる。バフとデバフ、状態異常は本来別で管理されるのだが、『新・月の雫』の影響下にある時は一括管理され、しかも効果がランダムに変わるらしい。最初の敏捷度増加が上手く言ったのは奇跡で、改めて『新・月の雫』を鑑定すれば「バフ・デバフ・状態異常の効果がランダムに変わる」と追記があった。つまり、1日継続してランダムな効果に切り替わる。1日分のプレイを諦める結果になりかねないが、簡単な付与魔法を使って良い結果が出たらボスに挑む、などの使い道がありそうだ。
実験結果に満足し、ふむふむと首を上下に小さく動かすアマガミ。その横には、今回の被害者であるセーラの姿が。
「ししょぉ、遊びましょうよぉ」
科を作ってアマガミにすり寄るセーラ。作業着の前ボタンは外され、肌着が見えている。小さな胸を腕に押し当て、アマガミを誘惑している。しかし残念ながら彼女はアマガミの趣味によって外見が決められたにもかかわらず、彼の守備範囲から大きく逸脱している。少女姿に設定したのは弟子という立場のためであり、欲情の対象だったからではない。どんなに色香を振り撒こうとアマガミは反応しないのだ。
その後も反応しないアマガミを誘惑し続けるセーラ。「あーん」をやったり、風呂に押し入り、添い寝を敢行し、簀巻きにされて同じ部屋に放置された彼女は幸せそうだった。その『混乱・誘惑状態』が切れるまでは。
翌日正気を取り戻した彼女は自らの行い全てを覚えており、羞恥にのたうち回る。
こうしてセーラは新商品開発者として名を残し、新たなトラウマと共に師に逆らえないネタを一つ掴まれるのであった。
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(下)は実際に使った冒険者たちの話です。