その瞳に映るのは。
以前フォレストノベルにて掲載していた作品です。
ずっと見ていた。
振り向かないその背中を。
私には向けられないその笑顔を。
でもね、だって、ね。
どうしても隣に居たかったの。
私には今、付き合って約半年の彼氏がいる。その彼氏は家もご近所の幼馴染。そして実は、初恋も彼で、ずっとずっと小さい頃から大好きだった人。優しくて耳に残る声と心がふわっとなるような柔らかい笑顔。だから、ずっと見てたから、彼の気持ちを知るのも早かった。彼が、私のお姉ちゃんを、好きなこと。私はいつもお姉ちゃんを見つめる彼の背中ばかり見てた。彼とお姉ちゃんは同い年で私はふたりより2つ下。3人でいるのが当たり前だった。何年もその背中を見つめ続けて、それでも仲のいい幼馴染も続けてた。でも、変化は訪れるもので、半年前、お姉ちゃんに彼氏ができた。ただ、その彼氏は、幼馴染みの彼ではなかった。お姉ちゃんに彼氏ができたと知った日から、彼は変わらないように見せつつもどこか抜け殻のように見えて、私はただただそんな彼をみてるのが辛かった。お姉ちゃんの前だけでは、いつも通りにしている姿が痛々しかった。悲しかった。気持ちどころか、私が大好きだった笑顔まで奪ったお姉ちゃんに腹が立った。そして、私はずるい女になった。
『私、葉くんの彼女になりたいなー』
『え?なに、言ってんの?』
『実はね!好きなの、葉くんのこと。最近いいなーって思って!年上だしー、優しいしー、かっこいいし!あ!でもね!安心して!葉くんの気持ちは知ってるから。大丈夫、わかってるから。だけどね、葉くん。葉くんが変わらないように、私もこれから変わらないと思うの』
『……』
『だからね、葉くん、お願い。私が変わるまででも葉くんが変わるまででもいいからさ、もっと近くにいさせてくれない?私を好きになれなんて言わないよ!ただ、今よりちょっと特別な場所をくれない?もっともっもそばにいさせて。前みたいにね、葉くんに笑っててほしいの』
『……変わらなかったらどうするんだよ』
『んー?その時はまた考えようかなって!それじゃ、だめ?もしくは、もう無理だ無理だってなったら、葉くんが言ってくれたら大丈夫!私、幼馴染みに戻るから!ただ、ちょっとの間でもいいから葉くんの彼女になってみたいの!ね!おねがい!』
『……ん、わかった』
『え、ほんとうに!?いいの、?』
『うん……いいよ』
『……嬉しい!ありがとう葉くん!』
『……うん』
――そうやって、彼の弱った心に付け込んで自分でもよくわからない言葉をたくさん並べて、無理矢理、一応彼女になった。それが私と彼の始まり。
お姉ちゃんの代わりになれるように、短かった髪もお姉ちゃんのように少しずつ伸ばすようにした。服の趣味もお姉ちゃんに合わせるようにおとなしめのものに変えた。友達は、私らしくないって少し不満気だったけど。でも、その甲斐あってか、少しずつ彼は私を見てくれるようになった。私から誘ってたデートも時々彼から誘ってくれるようになった。帰る時も、一緒に帰ろうって教室に来てくれる。手も繋いでくれるし、この間なんてついにキスもしてくれた。だから、私は嬉しかった。大それたことは何も望まないって宣言したくせに、やっぱり嬉しかった。初めて彼からデートに誘ってくれた瞬間も、手を繋いだ日も、キスした日も忘れられない。お姉ちゃんじゃなくて、私を見てくれるんだって。そう、思った。馬鹿みたいに、舞い上がってしまった。
――だから馬鹿な私についに天罰が下ったんだと思う。先週、たまたま見てしまった光景は頭の中で悪魔みたいに居座ってる。なんで私は図書室に行ってしまったのか、と後悔ばかり。図書室で本を手にとるお姉ちゃんを離れたところで見つめる瞳が、そこにはあって。優しくて、柔らかで、私が小さい頃からずっと見てたあの顔で。
ああ、なんだ、そうだよね、と納得してしまった。デートに誘ってくれたのも、一緒に帰ってくれたのも、手を繋いでくれたのも、キスしてくれたのも、気持ちが私に向いたからじゃない。優しい彼だからこその行動。彼氏としての義務だと思っての行動だったんだって。……やっぱり、代わりにはなれないんだって。私はただの我が儘な女で、欲張りな女で、好きになれなんて言わないなんてどの口が言ったんだよ、て。
葉くん、私本当に最低だね、馬鹿だね。本当にごめんね。葉くんの優しさを嫌な使い方しちゃったね。もう、そんなことさせないから。もう、もう、終わらせなきゃ。
――放課後。
靴箱の前で彼を待つ私は笑え笑えと自分に言い聞かせていた。
「紗那」
呼ばれた名前にドキリとして、小さく息を吐く。大丈夫。笑え私。
「葉くん、かえろー!」
努めて笑いながら手を振る私を見る、その瞳は、お姉ちゃんに向けるあの瞳ではない。ばーか、とちょっと期待していた自分に笑う。
学校を出て、街を歩く私たちは手を繋ぐことはない。縮まったはずの距離は、私の決意に合わせるように逆戻り。
「ねえ、葉くん」
「うん」
「今日はまっすぐ帰る?」
「うん」
彼は今までも何度か、今日みたいにぼんやりすることがあった。私の声を聞いてるのか聞いてないのか。でも、もう分かる。誰のことを考えてるかなんて。ずっと今までもそうだったんだね。
「葉くんって図書室行くんだね、私知らなかったよ」
「うん」
「お姉ちゃんのことまだ好き?」
「うん」
「……私のことは、好きになれない?」
「うん」
「今まで……ごめんね」
「うん」
自虐的な質問を繰り返す私に、『うん』としか言わない彼。私の声を聞いてても言葉は聞いてない。一歩通行の会話。でも半年、彼女だったこと、後悔はしてないんだよ。たくさんの思い出をもらった、ありがとうだよ。でも、だからこそ、最後。もう、最後。
「……葉くん」
「うん」
「別れよっか」
「うん」
「……」
……葉くんの、ばか。
点滅する信号機を遠くに見つめ立ち止まる私と、横断歩道を渡りきった彼。信号が赤になった時、彼は足を止めて何度か首を巡らした後、こっちを向いた。大きく開いた目が、突っ立ったままの私を捉えた。
「紗那?」
車の音の間からわずかに聞こえる彼の声。
「……葉くん」
せっかく彼が私を見てくれているのに、笑うことができない。彼の顔がはっきり見えない。葉くん、ごめん。私は、お姉ちゃんの代わりになれなかった。覚悟してたつもりだったのに、無理だった。ごめん。ごめんなさい。もう……隣に居れない。弱い私でごめん。
「……ばいばい」
「え、紗那っ!?どこ行くの!?」
さっきより大きな声で名前を呼んでくれた。それでも私は背を向けて走る。大丈夫。大丈夫。今日泣けば明日は笑える。明日からは幼馴染に戻るだけ。なかったことにするんだ。気持ちを押し込めていたあの片想いの頃に比べたら、まだマシだ。大丈夫。きっと笑える。きっと明日も『葉くん』って言える。だって幼馴染だもん。仲良しの、幼馴染なんだから。ずーっとずーっと。
帰ってからのことははっきりと覚えてない。ただ、家に着いた時点でもひどい顔だったとは思う。お母さんが何か言ってた気がする。お姉ちゃんに八つ当たりした気もする。気付いたら寝てしまっていた私は、夢を見た。私と葉くんが手を繋いで、遊園地でデートをしている夢を。葉くんの瞳には、お姉ちゃんじゃなくて私がちゃんと映ってた。でも、それは所詮ただの夢。ただの現実逃避。
重い瞼をそっと上げれば、見慣れた天井があるだけ。
「……葉くん」
意味もなく呟いて、そっと身を起こす。服装は昨日の制服のままで、スカートなんてシワがすごい。髪もぐちゃぐちゃ。ベッドの頭にあるはずの枕は床に落ちていて、手には電源を切った携帯がしっかりと握られている。おかしな行動をしている自分に笑ってしまう。とりあえず電源を入れた携帯を机の上に置き、枕やら鞄やら散乱したものを拾う。ちらりとゴミ箱に目をやれば、お姉ちゃんと葉くんと私が写っていたはずの写真がある。……破られた状態で。
でも、本棚の上にあるイルカのぬいぐるみはそのままで。
水族館でデートをした時、葉くんがくれたそれは、そのままで。
……結局、私はまだきっぱりと諦めきれてないんだ。夢を見るくらいに、まだ期待してる。それに。
「……葉くんは本当に優しいなぁ…」
電源の入った携帯が示すのは。葉くんからのたくさんの着信とメール。葉くんってほんとに残酷だ。もう、笑うしかない。葉くんは知らないんだろうな。中途半端な優しさこそ、人を大きく傷つけるってこと。期待させちゃうんだよ?私がお姉ちゃんの妹だから優しくしてくれるんでしょ?お姉ちゃんの妹だから傷つけないように我が儘に付き合ってくれたんでしょ?
お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん。いつもいつもお姉ちゃん。でも結局は自業自得。葉くんを支えようって言いながら、葉くんの中にあるお姉ちゃんの存在に負けた。不安ばっかりで、疑って、自信もなくて、そのくせ調子に乗って。自分に負けた。だから、今度こそ頑張らなきゃ。ちゃんと笑わなきゃ。葉くんをこれ以上困らせたら、ダメなの。大好きな人を大事にしなきゃいけない。葉くんの優しさを利用しちゃだめなんだ。
気遣うような目をした両親にいつものように行ってきまーす!と言い、勢いよく玄関の扉を開けると、家の塀に寄りかかっている人影が見えた。もちろん、考えなくても分かる。優しい彼だから、きっとそうだろうなって。泣きたい。部屋に戻りたい。頭も心も痛い。でも、ダメ。笑わなきゃ。困らせちゃダメ。今度こそ、負けない。……よし!
「おはよーう!葉くん!」
私は葉くんの正面に跳ねるように出た。葉くんは、目を見開いたかと思えば、眉を下げて、何か言いたげに私に手を伸ばす。
「昨日はごめんね?あ、早く行かないと遅刻する!」
でも、その手から逃げるように、私はスカートを翻して歩き出した。
――が、歩みはすぐ止まる。葉くんが私の腕を掴んだから。
「紗那」
「……うん?なあに?」
声、震えてないよね?大丈夫だよね?
「とりあえず、葉くん手を離そ?」
「やだよ」
「!?」
今まで聞いたことのない葉くんの子供みたいな言葉と、引っ張るような手の力に驚く。……もしかして、怒ってる?
振り向いて、顔を見たい。でも、今の私には葉くんの顔を直視する勇気も、葉くんの言葉に向き合う勇気もない。だから、伝えたいことだけ、伝えなきゃ。
「葉くん、離して。学校行かなきゃ」
「昨日どうした?」
「……葉くん、私たち幼馴染みだよね?」
「そうだけど、それが……」
「これからも仲良しの幼馴染みだよね?」
「……紗那、それどういう…」
「よし!学校行こう!」
「紗那!ちゃんと俺の話を聞いて!」
振りほどこうにも振りほどけなくて、無駄に時間が過ぎる。
「葉くん、お願いだから離して」
懇願するように言っても、手の力は緩まなくて。その上。
「ちょ、葉くん!?」
葉くんは私を学校とは逆方向の道に引っ張っていく。同じ制服を着た人たちと、何度もすれ違って変な目で見られる。
「葉くん、どこ行くの!?」
「……」
「葉くん!」
さっきから、ずっと呼んでるのに、歩みは止まらない。葉くんは私を振り返ることなく、ひたすら私の手を引いて歩き続ける。
「葉くんってば!!」
「……」
またしても、振り返らない。また、無視するの?あれだけ、私の言葉を流しておいて?私が、どんな気持ちでいると思ってるの。痛くて痛くて、堪らないのに。……無視、するの?
辛いどころか、じわじわと怒りが沸いて来る。葉くんに腹が立つ。なんで、なんでなんで…!
――頭の中で何かが切れた。
「―-……っいい加減にして!」
持っていたバッグを葉くんの背中に投げつけた。未だ、振り返らないその背中に、私は自分の気持ちを止めることができなかった。
「葉くんはお姉ちゃんが好きなんでしょ?それなのにどうしてこんなことするの?どうして優しくするの?どうしてあの時抱きしめてくれたの?
どうしてキスしてくれたの?デートしてくれたの?……私は葉くんのなに!?」
一番聞きたいのは、最後の言葉。聞きたくて、聞けなかった言葉。私は葉くんが大好き。私にとって葉くんは大切な人。じゃあ、葉くんにとって私は何?葉くんにとって、私は……
「俺は紗那が好きだよ」
「そんな優しさいらな…っ!」
「本当に好きだよ、女の子として」
……な、んで…?そんな私の言葉は声にならないまま、葉くんの腕の中に消える。
「紗那、好きだ」
優しくて耳に残る声。柔らかい笑み。そっと顔をあげれば、その優しい瞳に映るのは――……私?
「う、そ…」
うそだ、うそだ、うそ!
「優しくしないで!ていうか、離して!こんな、こんなの、お姉ちゃんにすればいいじゃん!ひどいよ葉くん!」
「紗那……」
私が暴れれば暴れるほど、抱きしめる力が強くなる。本当の、ことのように思えてしまう。でも、こんなの絶対……。
「俺は、紗那のことが大好きだよ、あいつより」
「!!」
私を抱きしめたまま、はっきりと言ったその言葉は、私の心にまっすぐに届いて、決意を揺るがす。抵抗する力を弱らせる。
「……確かに、あいつのことは好きだったけど。紗那をあいつと重ねることもあったし。でも、なんか違ったんだよ」
「え?」
自嘲したような言い方に、私は頭が混乱する。違ったって……なに、が?問いかけるように、そっと顔を上げると、優しい笑みを浮かべた葉くんがいた。どうして……笑ってるの?
「っ!」
不意に頬に触れたその手は、私の涙を掬い、葉くんは再び口を開いた。
「俺、結構ガキだから……気付くのに時間がかかったんだよ。紗那と付き合って、やっとわかったんだよ。あいつへの感情は、幼馴染としての妙な独占欲っていうか、変な特別って感じで。だから、あいつへの好きと紗那への好きは違う。紗那のことも妹みたいって思ってたけど、あいつの代わりになろうと頑張ってる紗那のことだんだん妹には見えなくなって」
「……葉くんの妹になったことなんてない」
ぽつりと思わず呟いた言葉に、葉くんは笑う。
「うん、そうだよな、ごめん」
「私がどれだけ、どれだけ……!」
「……うん、俺、紗那のこと泣かせたし、振り回したし。でも。付き合ってる中で、ほんとに、俺は……」
ちょっと体を離して、腰を屈めて目線を合わせる葉くん。真っ直ぐに、真っ直ぐに……私を、私を見てくれてる。期待、してもいいのかな?現実だって……認めてもいいのかな?単純な私で、いいのかな?私……葉くんのこと――
「やっぱり俺は紗那が好きだ」
……好きでいていい?
「本当に?」
真っ直ぐな目から逃げて、俯いたまま、そう問いかける。
「うん、本当」
迷うことなく、私が欲しいと思う答えをくれる。
「私のこと好き?」
「うん」
「大好き?」
「うん」
「隣に、いても、いい?」
「うん」
「葉くん……」
「うん」
繰り返される『うん』は、昨日の無機質な『うん』とは違う。温かくて、嬉しくて、止まらない。
「……ぎゅーってしてくれる?」
「もちろん」
「!!」
子供のような我が儘を言えば、躊躇することなく、葉くんは私を抱きしめて、私の心を壊す。もう、止まらない。
「…っ好き、大好きな、の…と、なりに…っいてほしっ、の」
しゃくりあげながら、そう言って広い背中に腕を回して、シャツを握る。ぎゅっと離さないように。
「ほんとは昨日、紗那に言うつもりだった。ずっと考えてたんだ」
「……よ、うっくん」
「辛いことさせてごめん。傷付けてごめん。泣かせてごめん」
強くなる腕の力。葉くんの速い心臓の音。夢じゃない。夢なんかじゃない。
「紗那の隣に居させて」
「……そ、れっ私がさっき、いった…っ」
「うん。でも紗那の隣に居させてほしいって俺が思うから」
「葉くん…」
私が願うことを葉くんも願ってる。同じことを思ってる。葉くんの気持ちが私に向いてる。
「だから、紗那の隣に居させてくれませんか?」
「……っ、なに…っそれ」
頭の上で、いつもと違う口調の葉くんがおかしくて、吹き出す。おかしくて、おかしくて。泣いて笑って。笑って泣いて、でも、もちろん答えは決まってる。
――あなたの、その瞳に映るのは。
「隣にいてくれなきゃ困る!」
私、だから。
fin
読んでいただきありがとうございました。これは元々、フォレストノベルの頃は上中下に分けていて、無理矢理ひとつにまとめたというか……。展開が早すぎてかなり滅茶苦茶だと思います。過去のものとはいえ、今でも全くあの頃と成長していないので…語彙力も構成も全部が情けないです。本当に、読んでいただきありがとうございます!