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8:Dum excusare credis, accusas.

さらっと注意。

 岩場を通り過ぎると、切り立った崖の上に小さな小屋がある。そこから香る匂いに急に小腹が空いてくる。

 仮死状態で何を言っているのだろう私は。リフルは自分自身に呆れるが、夢の中でも食事という概念はあるのだろうな。お出でと招き入れるようにゆっくりとその小屋の扉が開いていく。なるようになれ。帰り道など無いのだ。

 室内へと入ると、六人分の食事がある。大きなテーブルに一つ。小さなテーブルに五つ。人形達はそそくさとその小さなテーブルへと向かう。しかし一体が取り残されてオロオロしている。


 「こっちにおいで。私と一緒に食べるとしよう?」


 人形に食事が出来るというのも不思議な話だが、これが夢ならそうあり得ないことでもない。その子を招き膝へと乗せて共に食事を口にした。

 しかし、スープを口に含んだ途端、その人形が痙攣し出す。

 そして机の白いテーブルクロスに頭を打ち付ける。ぐしゃと言う嫌な音が響いた後、人形は消えて、そこには赤い血だまりが残される。


(溺死に圧死に今度は毒殺とは)


 嫌な気分になりながら、私は迫り来る映像に身を任せる。今度はその血だまりに浮かび上がる景色があった。


(あれは、ディジットか)


 景色は相変わらず片方だけ。私が毒殺されて奴隷になっていなければセネトレアには来ない。彼女と出会うこともない。そういうこと。

 懐かしいな。2年前の風景だ。私をアスカが買ってきたと勘違いをし、彼を罵倒している。

 混血のために怒り狂ってくれる彼女はとても優しい人だ。分け隔て無く誰にでも優しい。だけど、どうでもいいわけじゃない。親身になってくれる。叱るべき所はきちんと叱ってくれる。その人は何だろう。私にとって母を感じさせる人だった。いや、それは私だけではない。誰にとってもだ。

 悲しいことに、それが悪かった。


 エルムは彼女の一番になりたかった。その切なる思いを歪めたのがエルフェンバイン、洛叉、それからヴァレスタ。他人事とはいえ湧き上がる怒りを抑えることは難しい。この件に関しては私はまだ洛叉を許せない。しかし私が迂闊だったこともその一因だ。洛叉のことを思い出し、彼の心を満たしてやれていれば、あの男が他の混血に目移りすることもなく、彼らを傷付け不幸にすることもなかった。

 これから起こることを知っていると、過去は悲しい。交差する視線。そこに宿る想いを知っている。

 それでも、恋愛感情というのは難しい。嫌いではない。むしろ好き。それでもそういう好きになれない相手というのはいるものだ。

 ディジットにもエルムにも、非はない。だからこそ、私は唯……その光景に悲しみを覚えるのだ。


 *


(死ぬ。殺される。もう駄目だ)


 僕はぎゅっと目を瞑る。それでも迫り来る凶器の音。回る歯車は止まらない。

 グルグル回る丸い鋸が、僕を解体しようと迫る。

 これまで何度か死ぬような思いをしたことはある。それでもここまでの悪意を感じたのは初めてだ。

 死ぬのが怖い、ではない。僕はその悪意が怖くて堪らない。切り刻むのは、切っても問題無さそうな辺りから。より長く苦しめようという悪意が見え隠れ。一度腹をえぐった鋸は薄皮数㎝の所でまた距離を置いて遠離る。悲鳴を上げで身動ぐものなら、身体すれすれの所に突き立てられた刃に身体が触れて切られてしまう。かといって鎖の所為で自害できるほどは動けない。

 僕の主だってここまでの拷問はしない。あいつは殺すための暴力は振るっても殺すための拷問はしない。拷問をする内はまだ生かしてやろうという気がある。

 だがその男は、殺すための拷問を行う。混血に向けられるそこまでの悪意が僕は恐ろしかった。


 「生憎、そのゴミは俺の所有するゴミだ」


 聞こえるはずがない。喧嘩別れして飛び出して来た……それは僕の主の声。

 嘘だ。あいつが僕なんかのために、僕を追いかけてくるはずが、助けに何て来てくれるはずがない。


 「ゴミには違いないが、俺の許可無く処分しようなどとは第二公の縁者とて思い上がりも甚だしい」

 「う゛ぁ……ヴァレスタ」

 「情けない面をするな。お前はその顔しか取り柄がないのだ。それ以上薄汚れた顔をするならここでお前も処分してやる」


 にぃと笑うあいつは怒っている。僕が、じゃない。自分の顔に泥を塗られたことに対して怒っている。だけどそれは、こいつにとって僕は……僕はこいつの一部にカウントされているって言うことで。ここにいていいんだと、力強く肯定されているようで、僕は何度も頷いた。


 「……請負組織の、……?いや、その髪の色……別人か?そうか、銀髪!殺人鬼Suitは変装の名人だと聞く!これほどの大物を釣り上げられるとは思わなんだ」


 第二公が嫡子、ルナールはけたけたと笑い出す。その満面の笑みのなんと歪んだこと。

 狡賢い僕の主は、それは妙案だと悪巧み顔。


 「ふっ、よくぞ私の正体を見破った。東を歩くには東の主を語った方が何かと楽ではあるからな」


 今にして思うと第三公にSuitの名を騙らせるという策は、ここで思い浮かんだものだろう。その日のあいつは本当に愉しそうに、リフルさんの名を汚した。苛立っていたのだろう。思い通りにならないことばかりで。

 だけど第三者として見たあいつの剣は、本当に見事で鮮やかで、悔しいが惚れ惚れするほど。その戦いに、時給など発生しない。金など手に入らない。金金金金金金金金言ってるあの男が、金にならない仕事をしている姿。震え上がるほど恐ろしい怒りを纏っている。けれどその刹那、その横顔はあのリフルさんよりも美しかった。


 「逃がして良かったのか?」

 「あれでも立場ある者。万が一でも俺が殺したと知れれば問題がある」


 いずれ落とし前は付けさせると言いながら、逃げた男の遠い背中を見送る主。


 「さて、貴様も落とし前はしっかりして貰おうか」

 「え!?」

 「思い出せ。俺は何もお前を親切で拾ってやったわけではない。俺から離れるなら殺す。それを忘れていた。ゴミのようなお前のことだ。俺の正体を吹聴するに決まっている」

 「あ、あんたは……まだそんなことを」

 「その精霊が本気を出すとしても、負傷覚悟で戦ってやる。選べ。ここで殺されたいか?それとも……戻るか?俺の下へ」


 僕が捨ててきた首輪。それがあいつの手の中にある。

 今の此奴はルナールのように僕を殺そうとはしないだろう。だから死ぬのは怖くない。だけど、僕はその首輪を手に取った。

 首元の違和感。それが再び埋まっていく。揺れる鎖の音が耳に懐かしく、心地良い。


 「……貴方に仕えさせてください」

 「…………よかろう。王の広い心を持って貴様を許してやろう」

 「はい」

 「罰として、これから一ヶ月、毎食違う料理を食べさせること。一回でも同じメニューが揃ったら地下室送りだ」

 「え?」


 むしろ、すぐにも地下室送りにされると思った。それかここで罰を受けるのだと思っていたのでそれは意外だった。


 「俺には、殴る価値もありませんか!?」

 「馬鹿が。まずはその怪我を治してから物を言え。今のお前を打っても俺が楽しくない」

 「ヴァレスタ……様」


 言ってることは滅茶苦茶だ。それでもその男が僕に示したほんの少しの優しさが、胸に染みた。


 「ありがとうございます……ヴァレスタ様」


 極々自然に、僕の口からそう零れる。抵抗無く、違和感なく……あいつを様付けすることが出来る。

 僕はおかしい。あいつは全然優しくない。ディジットとかアスカさんとかロイルさんとかリィナさんとかリフルさんとか。他の人の方がずっと親切で優しい。それなのに、誰よりもそのほんの少しの優しさが僕の中へと響いていく。

 死にたかった。姉さんとのこと、ディジットに知られてしまった。もう生きていても苦しいだけだ。生かされていても空っぽだった。そんな僕の心に何かが溢れていく。

 あいつはあまりに傲慢だ。

 僕をそんなに空虚にした原因の一人の癖に、僕を振り回して……そうではないのだと気付かせる。僕は元々空っぽだった。姉さんとあんなことにならなくても、僕は常に空っぽだった。僕を取り巻く環境全てを壊したこの男。これまで味わったこともない、生きる喜びがそこにはあった。

 あいつは本当に理不尽な奴だけど、時折見せるその優しさが痲薬のように病みつきになる。離れられない。その理不尽な物言いにさえ、次第に絆されていくのが解る。

 あいつの言動で一喜一憂する度に、僕は僕が今生きていることを知る。素直に怒ったり笑ったり泣いたり出来る僕がいる。それは、彼と出会うまで……僕には出来なかったこと。

 あいつは僕を人間扱いはしない。それでも僕は人間扱いしてくれる、人の傍にいた頃よりも……人間らしく生きられている。

 ディジットは優しかった。僕を奴隷にはしなかったし、ちゃんと給料を払ってくれた。家族のように愛してくれた。だけど、あの頃の僕の魂は奴隷だった。

 僕が人間として生きられるのは、この男の傍だけ。こいつから離れたら、僕はまた死んでしまう。僕は死にたくない。だからヴァレスタのために働く。あいつを死なせないし、殺させない。

 そのためなら、僕は……


 *


 鬼ごっこは得意で苦手。いつも逃げて隠れるのが僕。僕を見つけることだけが優れている姉さん以外には、見つかることはなかった。その姉さんが僕があそこまで近づかなければ解らなかったように、僕は……また影が薄くなっている。


 《エルムー?》

 「僕はここだよ、クレプシドラ。さぁ、先を急ごう。皆殺しにしないとあいつに怒られる」


 エルムは溜息を吐く。この半年、随分力を使いすぎた。極めつけは第二島のあの洪水。僕にはクレプシドラの加護がある。だから計算は問題なかった。問題は数術代償。数術代償は流石に重かった。

 ディジットは好きだし嫌いだ。ヴァレスタは嫌いだけど好きだ。姉さんは嫌いだし死ねばいいと思う。鬼ごっこは好きだし嫌いだ。一人になれて良い。色々なしがらみから逃げられる。だけど誰にも見えなくなる僕は、それでも時折寂しいのだ。

 僕があの男から離れられないのは、たぶんそういう訳なんだ。


 「なんだ、いたのかゴミ」


 最初はあのいけ好かないフィルツァーのクソ野郎先輩の嫌味かと思った。だけどそれは次第に違うと言うことが解ってきた。


 「…………」


 混血仲間の埃沙まで、以前に増してよく僕を無視するようになった。


 「きゃっ、ごめんなさいねエルム君」

 「いえ……」


 リィナさんによくぶつかるようになった。いや、うん……いろんな所にぶつかるからある意味ラッキーではあるんだけど。


 「おーい、エルム」


 僕を呼ぶ時にロイルさんが必ず鼻を啜るようになった。給仕係の僕に染みこむ茶の匂いを辿らなければ見つけられないとでも言うように。

 それでも圧倒的な存在感。あいつの傍にいる時は、僕は誰の目にも映る。


 「数術代償?」

 「なんだそんなことも知らずに使っていたのか?」


 ヴァレスタは僕を鼻で笑っていた。心底馬鹿にしたような目。そんな視線にさえ、僕は……認識されているという喜びを感じてしまう。


 「リゼカ、俺の見たところでは貴様は数術を使う度に影が薄くなる」

 「はぁ!?なんですかそれ!?」

 「自己存在数といったものだろうか。命に別状はない数術代償だが、最終的には他人に感知されなくなる。暗殺にはもってこいの能力じゃないか。良かったな」

 「全然良くないっ!あんた、やっぱ最低だ!」

 「喜べ。主にとって有益だと言ってやっているのだぞ」

 「俺は嬉しくないんだよ!」

 「愚か者めが」

 「痛っ!」


 何故蹴られた。あまりにも理不尽なので睨み付ければ、またあの男に笑われた。


 「この俺に、貴様のようなゴミの生み出す数術効果が見破れんとでも思ったか?」

 「あ……」


 こいつは片割れ殺し。普通の混血じゃない。リフルさんの目とも違うが、こいつの目は不思議な力を持っている。あの人の邪眼も無効化するようなその目……

 そんな奴が自信たっぷりに言うんだ。根拠はないがそう言われたらそんな気がしてしまう。信じてしまう。嫌なのに。

 あいつはちょっとしたことで僕を打つ。僕を蹴る。八つ当たりとか、腹いせとか……それが僕とあいつにとってのコミュニケーションだった。一番辛い罰は、無視されること。僕に気付けるのに、見えているのに無視されること。それが一番堪えた。

 あいつのために働けば働くほど、僕にはあいつしかいなくなる。みんな、僕に気付かなくなる。それでもあいつは変わらない。


 「茶が1℃温い」

(いいがかりだ)

 「配膳の位置が気に入らん」

(これが作法なんですけど)

 「その棚の上に埃があった」

(お前の目は何処にあるんだよ)

 「今日の天気が気に入らん」

(んなこと言われても)

 「夏が暑い」

(そりゃあな)

 「冬が寒い」

(だろうよ)

 「ロイルが昔ほど俺に懐かない」

(あんたが性悪だからだろうに)

 「俺の食事だけリィナが一品おかずを減らす。深夜俺の髪の毛を抜きに来る」

(まずは性格治せ。あと丑の刻参りでもされてるんじゃないですか?)

 「最近埃沙を拷問しても以前に増して反応が鈍くてつまらん」

(本人に聞け)

 「刹那姫が俺の国を好き勝手荒らしている!経済学と政治学を学びもしない糞豚女が!」

(そんな国際問題僕に言われても)

 「今更だが洛叉が裏切ったのが腹立たしい」

(本当今更だな)

 「那由多王子の事を思い出すと心底苛立つ」

(リフルさんも同じ気持ちでしょうよ)

 「何を笑っている!」

 「五月蠅いっ!もう人間笑わないとやってられないんだよこっちはっ!」


 そんな感じのエトセトラ。


 「大体俺の所為じゃないのばかり混ざってるんですけどっ!?」


 あってないような理由で僕を虐げる。でもその度に僕は安堵してしまう。見えている。この人には僕が見えている。まだ見えている。今日も見えている。それは僕にとっては確かに、希望と呼べるものだった。だけどもっとだ、もっと。僕を認識して貰えるなら、認めて貰えるなら、何をされても構わない。

 最初は可哀想だと思った。だけどあんなにいたぶられたリフルさんですら、僕は羨ましい。三日三晩も付きっきりで相手をして貰えるなんて。時は金なり、そんなあの人から金を払わず時間を奪うだなんて、狡い。

 死んだことになっているとはいえ、ずっとアジトに籠もりきりは身体に毒だ。そう思い以前僕が外出を持ちかけたときなんか……


 「下らんな。金を稼ぐ俺の時間を奪いたいというのならそれ相応の金銭を俺に見せろ、そして与えろ」


 何故か金をせびられた。僕には給料なんかこれっぽっちも寄越さない癖に。


 「馬鹿ですかあんたは!俺にそんな金あるわけ……」


 いや、ディジットの所で貯めた貯金があるにはあるけど。普通こんな子供から金を巻き上げたりするか?


 「金がないなら臓器か身体でも売って稼いで来い」

 「あ、あんたって人は……」


 そう言いながら実際僕が自暴自棄になってそうしようとすると「勝手に商品価値を下げるな」とか文句を言いながら助けに来たりする。それならそんな紛らわしい言い回しするなと小一時間叱り付けたい。結局あいつは僕の言うことなんか聞くはずもなくて、僕が買い出しついでに自分の貯金を下ろして土産を狩ってきたりなんかしてやると……また怒られる。


 「土産を買うくらいなら現金で寄越せ。まったくお前はつくづく使えん」

 「土産食いながら殴らないで貰えますか?」

 「ふん、飼い犬風情が口答えをするな」

 「食いながら蹴るなっ!」

 「殴るなだの蹴るなだの喧しいガキだ。そんなに鞭で打たれたいか?」

 「消去法でリクエストはしてませんっ!」

 「クソ喧しい」

 「痛っ!本気で打つな馬鹿っ!」

 「ふっ、やはり悲鳴があると食も進むな」

 「この変態鬼畜ドS野郎っ!」

 「主を愚弄するか?まったくいつまで経っても礼儀を弁えん下賤が。変態とは聞き捨てならん。そういうのはあの洛叉や那由多王子のことを言うのだ」

 「鬼畜とドSは否定しないのかよ」


 本当にあの男は理不尽だ。でも僕は知っている。

 そんな我が儘を言い、僕の買ってきた土産の茶菓子を不味い不味いと言いながら、何だかんだで残さず食べる。ある意味僕以上に捻くれた男だ。


 「何を笑っている?」


 なんかもう怒りとかはどうでも良くなって、笑みをこぼした僕を見て、馬鹿にされたのかと勘違い。そのままティーカップを投げて来たりする。要するにヴァレスタは子供なんだ。僕以上に我が儘でどうしようもない救いようのない子供なんだ。あいつを見ているとくだらなくなる。僕の悩みも、僕の怒りも。全てがどうでも良くなって、僕は笑ってしまうんだ。馬鹿な奴って。

 作り笑いとか愛想笑いとかじゃなくて、心の底から僕はあいつを馬鹿に出来る。馬鹿にしても良いんだ。あいつはそれで僕を殺したりはしない。クレプシドラの怒りを買うのは面倒だからって大怪我になるような暴力を振るわない。少しずつだけど、あいつは優しくなっている。アスカさんみたいに最初から優しい人とかには、僕は哀れまれてるんだって思ってしまうし、リフルさんみたいな人は誰にでも優しい。僕だけじゃない。だけど……フィルツァーのいないところだとあいつは僕がしっかり働けば、ちゃんと褒めてくれる。本当に稀にだけど、頭を撫でられたこともある。

 あいつは、最低だ。その前提がある。だからこそ、ちょっと良いことをしただけで……それが凄く嬉しく感じるもので。僕はあいつ以外の人に親切にされても、身震いするほど泣くほど嬉しいとは思わないだろう。あいつの鞭は痛いし長い。だからこそ飴の味と甘さも格別なんだ。咽が渇いた。水が飲みたい。僕は非常に飢えている。でもこの仕事が終われば、あいつは僕を構ってくれる。

 養親ともディジットも違う。だけどあいつの傍にいると満たされる心がある。一日が過ぎるのがとても早いんだ。西にいた頃はそんなこと無かったのに。

 毎日が忙しい。それでもそれを苦痛に思わない。金なんか少しも入らない。それでも充足感を感じている。


 《エルム、数術の気配がする》

 「ああ、そっちからだね。あれは不可視数術か。何かを隠していると見るべきか」


 視覚数術は、それと気付いた時点で意味を成さない。破られる。だから僕らはそこに古びた小屋があることを知る。中に何が待っているかも解らない。準備は怠らない。


 「クレプシドラ」

 《解った》


 精霊は元素の塊。クレプシドラは水の元素。本来水の人間である僕に、氷の数術は使えない。以前独を取り除けたのは、土の人間であるヴァレスタに僕が触れることで起きた数術の変化のため。今僕が氷を操ることが出来るのは、あいつが僕に輸血してくれたからだ。

 回復数術にも限度がある。その限度を上回った傷を負った僕を助けてくれた。

 この氷の数術は水の数術より使い勝手が良い。水だけじゃ燃費が悪い。大量の水を用いても、溺死か圧死させるのが限度のところ、氷だと少ない消費で刺殺も可能。接近戦もカバー出来るのは有り難い。

 精霊を元素に変えて、まとわりつく水の気を氷に変換。僕の腕に現れる氷の刃。何も正面から行くのが得策ではない。窓を切り抜き室内へ侵入。


 《何やってるんだよエルムー》

 「うっ……」


 こんな窓の傍に何かがあるとは。躓いて転んでしまった。しかしそれは妙に生暖かく柔らかい。


(で、……ディジット!?)


 一瞬、死んでいるのかと思った。だけど外傷はない。確かめてみれば呼吸が聞こえてくる。ほっとしたのも束の間。僕はヴァレスタからの命令を思い出す。


(殺さなきゃ……)


 そう、思った。だけどその人は僕が大好き“だった”人。多少の抵抗感はある。

 そしてその顔。具合が悪いのか熱っぽい。

 これまでの彼女は僕くらいの年頃の男には堪らない、素晴らしい胸を持っている。……が、明るい彼女は何というか、僕が感じていた彼女の可愛さは性格的なものだ。容姿は普通だしとびきりの美人というわけでもない。胸は大きいが色気に欠ける矛盾めいた健康的な美しさが彼女の魅力。単純な話、色気だけなら胸もない女装男のリフルさんに負けている。人としてのジャンルが違う。遠く離れている。だからアスカさんがディジットを口説く時の顔と、リフルさんを追いかける時の顔はかなり違って見えるのだ。

 要するにディジットという人は裏町に住んでいながら、裏町特有の背徳さが無い。普通に表で店をやっていてもおかしくない。だからこそ、彼女は多くの人に好かれた。

 裏の人間が、息を吐ける場所。表の空気を感じさせてくれる彼女の明るさに僕も惹かれたのだと思う。彼女はまだそんな年ではないのに、誰に対しても母親のような包容力があった。それが今は、何というか艶がある。それに僕は狼狽える。


 だけど今正に殺そうとしている相手。見つめる内に解ってきたこと。

 これまでは女として見てきたというよりは、お姉さんとしてみていた部分が大きい。相手に僕を男としてみて貰いたいと思いながら、僕はディジットをそういう風には見ていなかった。当時の僕が考える好きとか、好意とは……割と健全なもので、性的な感情ではなかったのだ。

 だけど姉さんとの一件で、僕はそう言うことを知ってしまった。それからはがらりと世界が変わって見えた。これまで普通に見えていた物事が、何もかもが変わってしまった。リィナさんとロイルさんは普通に仲の良いバカップルだと思っていたけど、二人が本当にそう言う関係なら、そういうことをしているんだろう。仕事から帰って来たヴァレスタから、茶葉ではなく、知らない香水の匂いがすることがある。アスカさんの部屋から見つかる常人の趣味からは大分外れた奇妙な雑誌の正体。あの変態闇医者が僕らに向けてきた視線の本当の意味。

 この世界に対する生々しさ、その息遣い。これまでやましいと思ってきたこと。それが至極当然にこの世界には溢れている。それが当たり前なんだと僕に語りかけてくる。


 僕を冷たく振ったこの人。その女性。今ならキスしても、それ以上をしても彼女は気付かない。彼女は客やアスカさんに言い寄られたことはあっても誰かと付き合ったことはない。僕より年上だけど、まだ男を知らない。誰の物でもない。


(どうせ、殺すんだ)


 僕が殺さなくても誰かが殺す。彼女の手を確かめれば……刻まれたカードがある。トーラとリフルさんとアスカさんの所為で彼女までカードに巻き込まれた。そう思うと沸々と怒りが沸いてくる。


(僕がやらなくても誰かに殺されるんだ)


 それなら僕が殺してあげるのが、優しさだろうか。あの三人は王族だ。王族に関わるとろくな事がない。きっとまた何かに巻き込まれる。人質にされたり拷問にかけられたりするかもしれない。なら、ここで殺すのが……一番だ。


(でも……)


 ずっと好きだったんだ。最後に一回くらい……口付けても許されるだろう。眠る彼女にそっと口付けて……これでお終いに。そう思った。思ったが、駄目だ。一度そうしてしまうともう一度したくなる。口付けると、もっと欲しくなる。

 いっつも姉さんが抱き付いていた彼女の身体。この前抱き締められた時はそんな状況じゃなかったから恐怖以外覚えなかった。でも今は違う。いけないことばかりを考えてしまう。

 ごくりと咽が鳴る。いつも姉貴風を吹かせていた彼女を、組み敷いて……見下してやるのはどんな気分になるだろう。僕はこの人を神聖視し過ぎていた。でも、唯の女だ。それを彼女に僕自身に教えてやりたい。


(駄目だ……こんなこと。こんなことしたら、僕はあの女と同じじゃないか)


 姉さんが僕にしたこと。それと同じこと。


(いいや、違う)


 僕のこの氷の刃に刺されながら、僕を抱き締めてくれた。

 あの時だって、僕のことを理解したいと言ってくれた。すぐには無理だけど、これからは男として見ていけるようになりたいと言ってくれた。だけど僕たちの視線を変えるには何か劇的な治療が必要だ。これはその手段なのではないか?


(僕は違う、あの女とは違う)


 僕は嫌だと言った。でも姉さんは僕を襲った。

 ディジットは僕を拒まない。受け入れると言ってくれた。だからこれはいけないことではないはずだ。

 彼女に触れたなら、僕は……この行為に感じる背徳を忘れることが出来るようにも思う。彼女の清らかさ。僕の濁った心も浄化してくれる。彼女に触れれば僕は……姉さんとの罪から解放されるに違いない。


 「ごめん、ディジット……」


 もう一度だけ口付けて、彼女の服に手をかける。姉さんなんかとは違う、圧倒的な質量。その柔らかさ。手が震える。極々普通の娘だと思っていた彼女。だけどはだけた服から感じる色は、女以外の言葉では言い表せない。見慣れたはずの彼女の服。それがはだけるだけで、こうも扇情的だった。

 長く一緒に暮らしていれば、着替えに出会したり風呂場ドッキリとかはそりゃああった。だけど彼女が僕に対して恥じらわないからそんな色気はなかった。

 嫌でも男として意識するようになる。それに、混血の繁殖能力を調べるためにもこれは意味あることだ。あれは僕と姉さんだったから起こったことなのか、それとも僕自身に何か理由があったのか。その情報を手に入れればヴァレスタも喜ぶ。その情報を売り渡せば、教会から大金が流れるはずだ。そうやって僕は僕を正当化することで、手の震えを抑える事に成功。

 仰向けで寝ているのに、その大きさを失わないバスト。まるで金の鵞鳥だ。手が離せない。

 次第に息が荒くなる。これじゃあ駄目だ。意を決し、片手を離しスカートの中へと差し入れる。その刹那、声が聞こえた。


 「だ……誰?」

(まずいっ!)


 目を覚ましたのだ。殺さないと。いや、でも結果を見るにはしばらく生かしておかないと。

 そんな僕の気持ちを察し、刃から変形。彼女の両手両足を拘束する氷の枷に形を変えるクレプシドラ。




 「な、何なの……?止めて……」


 ああ、そうか。毒でも盛られたのか。彼女は目と耳が聞こえていない。声さえ聞こえるなら彼女は僕が僕だって気付くはずだ。


(ああ、そうか……)


 この人は、もう……僕が僕だって解らないんだ。

 ボロボロと、涙が溢れた。

 僕は数術代償で存在が薄れている。声もしなければ僕が解らない。だけど気配だけで僕だと気付いてくれるほど、この人は僕が好きではないんだ。

 無茶を言ってるのは解る。だけど本当に僕を愛していてくれるなら、気付いて欲しかった。それで許して欲しかった。その上で僕を受け入れてくれたなら、僕は……貴女だけは見逃しても良かったのに。


 取り出した短剣。氷が使えない時のために武器は他にも持っている。聴覚視覚が麻痺していても、痛覚はあるだろう。身の危険はそれで知れるはず。僕は彼女の太腿をそれで切り裂いた。


 「あああああああああああああああああああああっ!」

 「五月蠅い、黙れ。大人しくしろ」


 今度は肩。今度は頬。今度は脇腹。騒ぐ度に切り付けた。そしてその傷口を舐めてやると、彼女の身体はその度ビクつく。それは拒絶に他ならない。苛ついたので傷口を爪で弄りながら彼女の身体を撫で回す。


 「い、嫌っ!誰かっ!助けて……っ!アスカ…っ、リフルっ……先生っ、フォースっ!」


 次々上がる、彼女のヒーローの名前。誰もここにはいない。助けに来ない。いい気味だ。そう思った。その時だ。


 「……エルムっ!!」

 「え……?」


 僕に気付いたわけではないらしい。それでも何故ここで僕を呼ぶのだろう?……そっか。僕も、貴女のヒーローにカウントされたのか。


 「貴女って、馬鹿だ」


 僕に助けを求める?その僕に襲われてるなんて思わないんだろうな。

 貴方の中で僕はまだまだ子供で、純真で綺麗で……神聖な物。それは違う。僕は男だ。もっと欲に塗れた汚い男だ。

 見ない振り、しないで。僕を受け入れて。薄汚れた、汚らわしく醜い僕だ。そんな僕でも、愛していると言ってくれ!


 「嫌ぁあっ!誰かっ!」


 泣くほど嫌か。僕も泣いているのに、貴女は気付かないのか。


 「貴女は一度僕を裏切った。そして今……再び僕を裏切った」


 拾い上げて、拒絶するってそう言うこと。ヴァレスタは違う。僕を拾った。僕を見下し貶すけど、僕を拒絶はしない。僕の本性を暴いた上で支配する。醜い僕を肯定してくれる。道具として愛してくれている。


 一瞬の拘束解除。それに彼女の顔が僅かに安堵に包まれた……そのままその胸の中央を、氷の刃で貫いた。その冷たさに、彼女は思い出した。

 前にこんな風に貫かれたのは腹だった。それを操る者は誰かと……


 「でも、もう遅い」


 見開かれた青い瞳。それを見ながら僕はもう一度、その胸に刃を振り下ろす。さっきは心臓から外れたが、今度は上手く行った。その鼓動が止まっていくのをゆっくり僕は聞いていた。


 「お休み、ディジット……」


 それが完全に止まった後、僕は気付いた。何か冷たい。

 僕の背中。しっかりと回された両腕がある。


(こんなの、卑怯だ)


 最後の最後で、許した。受け入れた。貴女は卑怯だ!許せない!

 その死体はもう死んでいる。それを理解して尚、もっと貶めて辱めてやりたくて堪らない。

 最後までそんな綺麗な顔しているなんて。唯の人間の癖に!純血の癖に!庶民の娘の癖に!そんな聖女みたいな顔するな。偉そうにっ!偉そうにっ!

 汚い僕を見て、僕を哀れんでいるのか!?僕は哀れんで欲しい訳じゃない!見下されてもいい……愛されたいんだ!愛されたかったんだ!

 噛み締めた唇から血の味がする。その間にも彼女の身体は冷えていく。咄嗟に回復数術を紡いで、それから彼女を抱いた。身体を温めるにはそれが良いって聞いたことがある。

 でも、全てが今更だ。綺麗に死んだ彼女の死体が多少綺麗に修復されただけ。死んだ後に彼女を汚しても、彼女の魂は汚せない。僕の罪がまた一つ、増えただけだ。

 死者と交わったところで心は満たされない。僕の空虚が加速する。


(ヴァレスタに会いたい……)


 どんな言葉でも良い。あの人の言葉が欲しい。罵られても馬鹿にされても構わない。呼吸が出来るようになるなら。


 *


 「痛てててて…。あれ?ロセッタ?」


 フォースは目を開ける。傍には先程まで一緒にいた少女がいない。


(ていうかここ何処だ?)


 記憶にある場所と景色が一致しない。どうしてこんな所に転げ落ちてしまっているのだろう。

 とりあえず起き上がり、その激痛で両手の指が使い物にならないことを思い出す。そして先程あったことを完全に思い出した。辺りを良く見渡せば、あった!紫の目を閉じ込めた箱。腕と口でなんとかそれを拾い上げ、中身があることを確認。懐へとしまう。


 「リフルさん……無事でいてくれよ」


 ロセッタが傍にいないと言うことは足手纏いとして置いて行かれたのだろう。確かにここは人目に付かない。倒れていれば死体か何かと勘違いされるはず。そんな理由で置いて行かれたのだろうか?


 「くそっ、俺が足手纏いだって……?」


 足手纏いだった。現に両手の指が使えない。この急斜面を手を使わずに昇るというのも至難の業。腹ばいになって這っていくくらいしか方法がない。悔しいが本当に時間が掛かる。


 「俺だってカードなんだろっ!?もうちょっと何かねぇのかよっ!」


 コートカードではないとはいえヌーメラルでは一番幸運。故に元素を操る力は皆無でこそ無いが一番少ない。


(俺はダイヤのカード……)


 ダイヤは土属性だとトーラは言っていた。ここは海に近いとはいえ山中。土の元素なんて幾らでもある。俺のホームグラウンドと言っても良い。それなのにどうして俺はこんなに何も出来ない?


 「くっそ!俺にも数術使わせろっ!っ……いってぇ」


 叫いた拍子に跳ねた身体が傷を引っ張る形になった。痛すぎて、心細くてまた涙が出てきた。いつもは怪我してもアスカやトーラが治してくれた。変態の洛叉だって診察はしてくれるし、ディジットは栄養のあるものを作ってくれた。

 それにいつも、リフルさんが俺を助けに来てくれた。俺がもう駄目だって思った時は……


 「くそっ!何弱音吐いてんだ俺はっ!」


 助けになんて来て貰えるわけがない。リフルさんは今、何も見えないのに。


(今度は俺が、あの人を助ける番なんだ!)


 指が痛まなければいい。肘は使える。使わないといけない。それで傷が痛んでも我慢しろ。俺は匍匐前進で斜面を昇り始める。急ぎすぎると草で滑って下へとずり落ちる。だから、ゆっくり急げ。落ち着いて深呼吸。逸る気持ちを抑えて確実に、着実に歩みを進める。それが最善策。

 それでも太陽の位置が高さが変わっていく度に、体力は低下、俺は焦りを覚え始める。


 《そこの少年》

 「やべぇよなんか幻聴まで聞こえてきたよ。俺死ぬのかな」

 《少年》

 「リフルさーん……」

 《話を聞かんかっ!》

 「痛ぇっ!」


 突然降り注ぐ石礫に俺はのたうち回る。何事かと顔を上げれば、何かが見える。何時の間に何処から現れたのか、深い漆黒の瞳に土色の髪の少年がいる。


 《ようやく見つけたというのに我を無視するとは良い度胸だ》

 「すげぇ、口動いてないのに声がする!腹話術師?」

 《もう一発食らいたいか?》

 「ごめんなさい」

 《ふむ。素直に謝るところは良し》


 なにやら偉そうな口調の少年だ。彼はうんうんと頷いて俺への評価を改める。そんなことより俺としては手を貸して欲しい。


 「あんた、誰?混血には見えねぇけど、タロック人って感じでもねぇ」

 《我は精霊エルツ=エーデル。セネトレアが元王女、トーラ姫に仕える者だ》

 「トーラの精霊!?」


 ああ、話には聞いていた。確か第二島で契約したとかなんとかって。それでもこうして見るのは初めてだ。


 《ようやく視覚開花が成ったらしいな。姫の陣営には土属性のカードが少なく困っていたところだ》

 「どういうこと?」

 《水の少女は余りに幼い。風のカードは相性最悪、話にならん。残った者で一番我と相性が良いのが少年、お前だ》


 だから来てやったのだとその偉そうな精霊様は言う。


 「……トーラに何かあったのか?」

 《我のマスターが早々くたばるはずもない。残念ながら健在だ。唯其方の戦力を考え我を使わしたに過ぎぬ》

 「そっ、そっか……良かった」


 ほっと息を吐く俺を、エルツはじっと見つめている。


 「何?」

 《お前にとって姫はなんなのだ?》

 「トーラ?」


 突然妙なことを聞かれた。この精霊もトーラのことを気に掛けているから気になったのだろうか?


 「俺にとっては義理の姉ちゃんみたいなもんで、お袋みたいなもんだよ。俺がリフルさんの連れ子って設定でトーラはそのリフルさんの嫁さん気取り。……まぁ、俺はそういうのも悪くないと思うよ」


 リフルさんは毒がある。誰かと結婚したり子供を作ったりすることが出来ない。だって相手を死なせてしまうから。だから俺を子供代わりにして二人で飯事やってる気分なんだろう。


 《そうか……ならば此方に来い、近場に地下道への入り口がある。その前にその怪我を治してやろう》

 「数術代償ってのは?俺払う物無いんだけど」

 《土の精霊の力を引き出すには基本的に金銭か高価な宝石が要る》

 「俗物っすね、あんたら」


 アスカに憑いてる精霊は、確か代償にリフルさんの下着を所望していた。なんか精霊ってどいつもこいつもろくでもない。


 《だが、姫との契約では我は食事を得る。思いやりと愛情込められた食事もまた……一種の宝石。金以上の価値がある》

 「へぇ……良いこと言うなぁ、トーラもあんたも」

 《お前はタロック人だったな。タロックの田舎料理を期待しているぞ》

 「うっ、俺は握り飯くらいしか作れないんだけど……今度ディジットに料理教えて貰わねぇと」


 まだまだ痛いが、なんとか動かせるようにはなった指。一度に回復量を増すと後々身体の負担が出ると精霊は言った。


 《回復数術も薬と同じでな。強い式を何度も使う内に身体が式に順応し、あまり効かなくなることがある》


 切れた腱は繋いだが、傷口の皮とか肉はまだ完全には塞がっていないとのこと。でも数日すれば治るとも言う。


 「そうなのか、便利だけど意外と怖いんだな数術って」


 礼もそこそこに、精霊に案内されて踏み込んだ地下道は薄暗い。


 「なぁ、デルさん」

 《我の高貴な名を縮めるとは、お前達人間は精霊に対する敬いが足りていないのではないか?というかあの姫に関わると皆ネーミングセンスが格段に下がるのか?》

 「だってエから始まる名前多すぎるんだよ。エルムとかエリスとかエルフェンバインとか。そんなことより灯りとか出せたりしない?」

 《ふっ、そのようなこと……》

 「おお!流石デルさん!流石あのトーラの精霊!」

 《我に出来るはずがなかろう》

 「できねぇのかよっ!」


 褒めて損した。


 《我は土の精霊だ。そういうのは火の精霊が得意とするところ》

 「ううっ、じゃあどうやってここから出るんだよ」

 《お前、姫から渡された触媒を持っていたな。あれを出せ》

 「え?ああ……この腕輪?おおおおおお!」


 精霊が何やらむにゃむにゃと数式展開。暗い地下道に浮かび上がる数式はとても綺麗。

 その光に感化され、触媒に灯りが灯る。それも本当に綺麗だった。


 《だが、宝石は土が生み出す物であるが故、我がそれに働きかけることは我の得意とする所》

 「光る宝石ってこんな綺麗なんだなぁ……すげぇ」

 《少年、お前は面白いな。これを見て売れば幾らになると即座に言い出さなかった土の人間は初めて見たぞ》

 「え。そう?」


 何やらよく分からないところで褒められた。釈然としない。


 《まぁ良い。これで先に西裏町へと移動し、逃げおおせた者との合流だ》

 「了解!」


 *


 「エリス君、ここが西裏町!トーラのお店に行けば大丈夫!強い数術使いさんがいっぱい居て、守ってくれるから」


 ようやく辿り着いた西裏町。アルムは涙が出るほど安堵した。それでも彼の傍ら、泣けない。だから代わりに微笑んだ。

 駆け込んだ請負組織TORAの中で、私達を迎えてくれたのは……黄緑色の長い髪に赤い瞳の元タロック人、後天性混血の鶸紅葉。


 「アルム、それにエリアス様もご無事だったか」

 「あー!鶸お姉ちゃん!」


 確か敵に捕まっていたと聞いたけれど、彼女は元気そう。でもそうでもないらしい。彼女に回復数術をかけている数術使いがいる。


 「オルクスが私の傍から離れたのでな。その隙に逃げ出して来た」


 なんということはないと彼女は言うけれど、流石は暗殺者。格好良い。


 「よく彼を連れて帰ってきてくれた。後は我々に任せろ」

 「うん」


 ポンと頭に置かれた掌に、もう堪えきれなくなってボロボロと……私は泣いてしまった。

 だけどちゃんと言わなきゃいけないことがあることを思い出す。


 「あ、あのね鶸お姉ちゃん。エリス君、悪いのに憑かれているの。みんなはオルクスって言ってた。何とか出来ないかな……数術で治してあげられないかな」

 「……なるほど。それは厄介だな」


 暫く考え込んだ様子だったが、鶸お姉ちゃんはふっと私に笑ってくれる。


 「わかった、それは此方でなんとかしよう。君は少し休むと良い」

 「ううん、待ってる」

 「待ってる?」

 「洛叉先生とディジットが、これから来るの。だからお帰りって言うまで私は起きてる」

 「……アルム。二人は可愛い君が目の下に隈を作って待っているより、ぐっすり眠って笑顔で迎えてくれた方が嬉しいはずだ。今日は寝なさい。眠れないなら向こうで食事を口にすると良い。お腹が減っては眠れないからな」

 「……うん、わかった」


 言いくるめられたような気もするけれど、鶸お姉ちゃんが大丈夫だと優しく笑ってくれたから、私もそれに従った。


 「エリス君、お休みなさい。また明日ね」

 「うん、お休みアルムちゃん」


 エリス君は、笑っていた。不意に胸騒ぎがした。

 だけどここには沢山数術使いがいる。私なんかよりずっと上手に数術を扱える。何を不安がることがあるだろう。


 「アルムちゃん、落ち着いたらこの街案内してよ。僕、王都のこと全然知らないんだ」


 私の不安を見抜いたのか、エリス君は微笑みながら小指を差し出す。フォース君から教えて貰った、指切りと言うのだと彼は言った。


 「うん、約束……するよ。この街の良いところ、案内してあげる!美味しいお店、一杯案内するね!」

 「わぁ!楽しみだな!」


 エリス君は優しい。笑いながら私を見送ってくれた。

 馬鹿だなぁ私。私が年上で、お姉ちゃんなんだから、私が彼を守らないといけないのに。彼に励まされている。


(情けないな、私……)

ディジットは、カードで数術使えるようになったけどあくまで非戦闘員を貫いた。戦わないことが戦い。

さらっとエルム君屍姦ですか。ヴァレスタヴァレスタ言ってても、長く続いた恋はそうそう捨てられない様子。

裏本編の問題は8割方エルムとヴァレスタ主従とリフルとアスカ主従の所為だと思う。


アルムとエリスは、これどう転んでも言い方向に行くわけ無いよねフラグが見えているな。エリス君は、裏本編に出てしまったのが不幸。本編だったならなんとかなったかも。

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