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7:Ubi spiritus est cantus est.

少し注意回。

 8体あった骨人形。2体消えて、今は6体。カタカタと骨を揺らしながらリフルに着いて来る。森を進む内に、辺りは岩肌の露出する山道になっていく。

 これは現実ではないからなのか、余り体力には自信がないリフルも疲れを感じることはない。それでも足が重くなるのは、後ろ髪を引かれるような思いがあるからだ。


(父様……洛叉……)


 これまでのパターンから、どうせまた水場に差し掛かったらだろう。そう……油断していた。


 「!?」


 突然前方からの落石。避けきれず潰れた人形が一つ。岩が通り過ぎれば押しつぶされた人形は影も形も消えている。代わりに今度は岩肌に、地中から照らし出される景色がある。

 そこに映る黒い影。黒い衣服に身を包むその小さな影は少年のそれ。しかしそれはすぐに大きくなって私の背丈を超えていく。


 「フォース!?」


 黒と呼ぶには僅かに明るい灰色の髪と目の少年。彼は私が可愛がっている弟分だ。

 これまで見せられてきたものと違うところと言えば、映像が二つ無い。なるほど、私が女だったら私は殺されなかった、奴隷にもならなかった、殺人鬼にもならない。だから、私とフォースは出会わない。

 元々彼は農民の子だ。私が普通に王族をしていたならば出会うことがなかった相手。


(……フォース)


 はじめてだ。この道を歩いてきて初めて、私は私が私で良かったと思った。忘れもしない。彼との出会い。フォースとの出会いがあったからこそ今の私がいる。私が殺人鬼から暗殺者への転身を考えたのは彼のお陰だ。

 彼は奴隷だった。混血の私とは違う。そういう奴隷じゃない。可愛がられるための奴隷ではない。

 タロック人の男は幾らでも産まれる。だから奴隷としての価値はないに等しい。労働力としての使い捨て。そうやって食い潰されるために、消費されるためのシステム。それに一枚噛んでいるのが私の父であるタロック王、狂王……須臾。


 「私は……」


 未練などもう何も。そう言った。けれど、私の足は再び重くなる。

 だってまだ何も解決していない。私は父様を殺せていない。止められていない。なのに私は死に向かってい歩いている。


 「アーヌルス様!」


 その風景の中には私の知らない男の姿。それを追いかけるあの子がいる。

 最初は強張った顔。それがどんどん親しみに満ちていく。恐怖が親愛に勝っていく。あの子の悪い癖。


 「ニクス、またお前の一番多くを狩ってきたようだな」

 「はい」

 「それで、今度はどんな罠に掛けたのだ?」


 少年は嬉々として自らの悪意を語る。私の知らない顔。


(……あ、あああ…………)


 これは過去だ。私が彼と離れていた間の過去だ。だけどその中で彼は、私の知らない顔をする。人殺しの顔だ。あんな普通の少年を、人殺しに仕立て上げたのは……私だ。私と出会わなければ彼は、こんな事には。


 *


 フォースが思い出すのは、見つめる死。今は誰が友だとか、大切だとか、そんなことは忘れる。これに破れれば俺は死ぬ。グライドは既に一度、俺を殺しかけた。トーラとリフルさんの力がなければ俺はもう死んでいた。どんなに取り繕ったところで俺はガキだ。死ぬのが怖い。嗚呼、物凄く怖い。その怯えと弱さこそが、俺の本質。俺が今まで生き延びられた、俺の力。

 だからこの剣に込める。この二年、俺が吸収して来たすべて。

 剣を扱う素早さは彼。足の速さは俺。純粋な力は俺が勝ってる。だが油断は出来ない。彼は数術使いだ。追い詰められれば必ず数術を使ってくる。


(……なら、俺は罠を仕掛ける)


 「はぁああっ!」

 「くぅっ……!」


 打ち込まれた一撃は、思いの外重い。ビリビリと両腕に痺れが走る。言うなればグライドはアスカタイプの剣士。早さで攻撃力を上げる。それでもグライドはアスカじゃない。そう、あそこまで卑怯な男じゃない。そして彼は俺が自分より劣っていることを知っている。だから必ず隙が生じる。俺がやるのはそれを待つだけ。その一瞬が巡り来るまで必死に食らいつくことだ!

 防戦一方。しかし刀身がぶつかる、いやぶつけに行く。その度に俺は思いきり力を込める。ぐらいどの細い指。優雅で気品さえ感じさせる繊細なそれ。雪国の寒さを知らないだろうその、御貴族様の手。長期戦に持ち込めば、必ず先に壊れるのはお前の指だ。

 それに気付いたお前は勝負を急ぎに来る。絶対に。俺はそれを死に物狂いで防がなければならないが、それが出来たなら、勝機は必ず此方にやって来る。


 「……君の負けだ、フォース」

 「ぐぁっ……」


 弾かれた俺の剣。アーヌルス様から貰った俺の冬椿。手には届かない所まで飛ばされて……為す術もない俺にグライドは剣を突きつける。


 「確か君は毒籠手も持っていたよね。トリガーは中指だった」


 近くの木の根元まで俺と追い詰めそして俺の手を握り…掌を思い切りその幹に串刺しにする。常に剣一本しか見せなかったのはこいつのフェイク。他に隠し持った凶器の類に気付かせないため。現に俺は気付かなかった。


(そんなとこまで、アスカ似かよ!)


 彼が所持する無数のナイフと短剣。そういえば一時期アスカは東でグライドに仕えていたんだ。剣の稽古とか付けていてもおかしくはない。

 念には念をと両手の全ての指をナイフで固定。あっちこっちから激痛。もうわけがわからない。


 「ひー、ふー、みー、よー、いつ……」

 「ぅぐっあああっ!」


 一つ一つ、歌でも歌うように彼は俺の指を串刺しにしていく。良い声だ。綺麗な声だ。俺の汚い悲鳴がその声を掻き消してしまうのが申し訳ないくらいに、良い声だ。

 そんな声の友人は、躊躇いもなく適確に俺の指の腱を切っていく。具ライドも、東にいただけのことはある。人体の構造には俺なんかより遙かに明るい。


(ゆび、動かねぇ……)


 痛みで動かせないのは確か。それでも感覚がないのだ。指先の。とてもじゃないがもう……剣を握ることもままならない。


 「ゼックス、ズィーベン、アハト、ノイン、ツェーンっ……はい、お終い!」


 間近で微笑む友人の笑顔は可愛らしい。あの凶暴女のロセッタなんかより、よっぽど色気が可愛気がある。耳元に掛かる声にも艶がある。こんな状況だって言うのに、不覚にもドキドキした。やばい、俺も西のみんなに毒されて来てるのか。


 「フォース、君はそこで見ているといい。僕がこれからあの女を殺すところを、じっくりと」

 「や、止め……うぁあああっ」


 動かない身体で藻掻いた所為だ。両掌に深々と刺さったナイフがまた肉を抉る。痛すぎて泣けて来た。

 大精霊フェスパァ=ツァイト。それを突破するための糸口、まだ情報収集が終わらないらしいロセッタ。ゴーグルの向こうの彼女の赤目も焦りが見える。それでも、自衛のため教会兵器を掲げて距離だけ保つくらいの余裕はあった。

 しかしグライドは数術使い。弱点である接近戦さえカバーしている。身体能力だけなら後天性混血児のロセッタが勝っているだろうけど、数術の柔軟性はグライドが遙かに上。教会兵器は何でもありに見えて融通の利かないところがある。

 ここからどう攻める?数術か?俺の予想に反しグライドは、言葉を紡ぐに留めた。しかしその、恐るべし精神攻撃。


 「フォース、君は彼女に惚れていたんだろう?それならこれほど悔しいことはないよね」

 「へっ!?」

 「ば、馬鹿っ!んなわけねーだろ!?」


 俺とグライドを交互に見回すロセッタ。その顔はその髪の赤ほど赤くなる。この男女は男勝りだから男に好かれたことなど無いのだろう。だから、こんなことでも狼狽えてしまう。それがほんの少し女の子らしいなとか思って俺まで動揺してしまう。


 「ちょ、本気にするな!俺はお前のことなんか……」


 だから声が上擦って。折角練っていた切り返しの策も罠も頭の内から飛んでいく。


(ロセッタ……)


 塀の中のお姫様。そうかと思った。綺麗な黒髪、綺麗な赤目。綺麗な着物。俺が初めて見た同じ年頃の女の子。違う生き物。確かに最初はドキドキしたさ。

 だけど!こいつは喋ってみればお淑やかなんてことは全然無くて!俺は裏切られたようなもんだ。あの頃からだって我に返ってみれば、ていうか隣に並べてみれば余裕でグライドの方が可愛らしかった。その程度の女だ、ロセッタなんて。

 いつも俺を馬鹿にして!ちょっと1年くらい先に生まれたからって偉ぶって!グライドみたいに優しくもない。グライドは俺より年上だけど、そういう嫌味のない良い奴だった!それがどうしてこんなことに。


 フォースもロセッタとグライドを見比べる。


 「ば……馬っ鹿じゃないの……?」


 頬を赤くしそっぽ向く、ロセッタはいつにも増して女の子らしい。


(ちょっ……な、何だよあの反応っ)


 男女のお前らしくもない。不覚にも可愛いなんて一瞬でも思ってしまうなんて、このフォースっ!一生の不覚っ!

 頭の中でエリザにキスされたこととか、リフルさんにぎゅっとされたこととかが思い起こされ罪悪感に駆られるのは何でなんだ。


 「私はあんたみたいな平凡な顔の男に興味ないわよ」

 「だ、誰が平凡だっ!やっぱお前可愛くねぇえええっ!お前だってちょっと髪の色が綺麗で珍しいってだけじゃないか!リフルさんとかグライドの方がずっと可愛い!」

 「何ですって!?聞き捨てならないわね!私があんな女男とグライドに負け……」


 俺とロセッタの視線を注がれるグライド。居心地悪そうなその顔。うっすら桜色に上気したその頬。これには認めざるを得ない。


 「……負けました」


 実に悔しそうにロセッタが敗北宣言。可愛らしさに関しては、2年前からの暫定王者の揺るぎなき勝利に終わる。


 「でも、こっちの戦いはそういうわけにはいかないのよ。私も教会の駒なんだから、任務は絶対!来るなら来なさいよ。相手、してやるわ」

 「……兵は追い付いた頃合いか。なら、僕も遠慮は要らない、そういうことか」


 二丁の拳銃を構えるロセッタに、グライドは笑う。


 「ふ、ははは!フェスパァ=ツァイト……僕の痛みが聞こえるかい?」

 「グライド……?」


 それでもその声は震えている。まるで泣いているように。

 彼を守るように吹き荒れる風が、火を熾す。俺とロセッタの……先程のやり取りさえ、彼にとっては苦痛だったと言わんばかりに炎は勢いを増していく。


 「歌……?」


 最初はそれを誰が歌っているのか解らなかった。それでも俺もロセッタも呆然としている。消去法的に歌っているのは一人しか居ないのだ。


 「グライドの……歌?」


 惚れ惚れするような、力強く甘い歌声。だけど何故か悲しい気持ちになるくらい、……唯々綺麗な歌声だ。


 「発動合図なんてもんじゃないっ!これは、聖歌数式……!?信じられない……純血が、いいえ、混血だってみんながみんな扱える代物じゃない!音声数式って、一つの幸運!才能よ!?その中でもこれは誰にも歌えないとされた歌っ!」


 その歌声に、ロセッタが取り乱す。ガクガクと震え出す。


 「グライド……あんた、まさか」


 *


 「いいかいロセッタ」


 あの人は言う。神子様は言う。


 「数術というのは万物に作用する奇跡。それでも扱うのが人間である以上、不可能事は結構多い」

 「神子様でも、ですか?」

 「うん、僕でもだ。現に僕は言霊数術は使えても音声数術は使えない」

 「音声数術……、ですか?」

 「その辺りは順を追って説明しよう」


 運命の輪に入ったばかりの私に、神子様は私の知らない世界を説く。あのゴーグルがあればそれに触れることはできるけれど、理論を理解していなければそれも意味はないのだとあの人は言っていた。


 「まず視覚数術。これは高等式だけどそれなりの術者には扱える」


 そう言って神子様はご自身の外見色を変えたり、服装を変えたり分かり易く説明してくれる。それはそう見えているだけで、実際神子様の外見が変わったわけではないのは理解した。


 「次に嗅覚数術。これは動植物の匂い。自然界に多く存在する数式だ。人が調合で作り出すことも可能。だから悪用されるケースが多く、教会ではその取り締まりを行っている。数術使いでない人間が、相手の脳内物質に干渉、代償無しに数術現象を引き起こす……と言ったらその恐ろしさを解って貰えると思う」

 「……はい」

 「裏で取引されてる媚薬なんかはこのケースである場合もある。その辺は僕も一網打尽にしていきたいと思ってる。僕も君もその辺りの物には痛い目に合わせられて来た口だからね」

 「はい!」


 私に一度精神崩壊を引き起こさせた私の飼い主。私の調教に使われたのもおそらくはそう言った類の物だ。元が自然に存在する物である以上、取り締まりは難しい。故に罰を厳重な物にしての法の整備しかないだろう。


 「それで次は触覚数術。例えば……ソフィア。自分の胸部を確かめてご覧」

 「お、おおお!み、神子様!?」


 すごい、でかい!重い!柔らかい!掌からはみ出す。見た感じはそんなこと無いのに私の胸が増量しているっ!

 はしゃぐ私に申し訳なさそうに、神子様が術を解くと、その錯覚も霧散。儚い夢だった。

 だけど今は説明を受けるのが私の仕事。浮かれている暇はない。


 「それが触覚数術。視覚数術と合わせることでかなり高度な嘘を作り出せる。実際にマリアージュのような変身数術を産まれ持った才能がない術者が行えば脳味噌沸騰即死爆発も良いところだ」

 「……ですが、神子様には才能がありますよね?」


 顔を合わせる度に、違う顔になっているあの女だか男だかもはっきりしない現在女。数術使いとしてのレベルは同僚のマリアージュより、遙かに神子様が格上。あいつは変身に特化しているだけで、他の数術は殆ど使えないに等しいレベルだから。


 「才能があっても数術代償によっては割に合わない。僕もやろうと思えば出来るけどやらないしやりたくない。だから遙かに代償の少ない視覚、触覚数術を使うのが一般的なやり方だ」


 数術を扱えるのは才能、或いは混血に関してだけを語るならそれは生存本能。そして命を削らない数術代償を得られるのは幸運。仮に数術の才能があっても、その代償がとんでもないものならば、その者は数術使いとして意味を成さない。すぐに代償に食い潰されて死んでしまう。


 「それでソフィア……視覚、嗅覚、触覚と来たら残りは何があると思う?」

 「味覚数術とか、ですか?」

 「ああ、それもあるね。だけどそれは嗅覚数術よりも難しいよ」

 「と言いますと?」

 「誰が食べても絶対に美味しいとか、絶対に不味いとか、常に同じ快感と不快を与えられる式を持つ食物というのはちょっと考えられない。だから味覚数術の数式を展開させられるとしたら……それは凄腕の数術使いじゃなくて凄腕の料理人ってことだよ。計算し尽くした料理でも、それには叶わない」

 「唯一普通の人間が扱える奇跡ってことですか?」

 「ああ、そういうことだよ。そう言う意味では音声数術の次に存在証明が難しい分野。勿論薬品で無理矢理脳内物質を弄るということは可能だ。だけどそれは味覚数術ではなく毒数術に該当する代物。嗅覚数術同様、教会の取り締まりの対象になる」

 「神子様、頭が痛いです。数術ってそんなに色々あるんですか?」

 「まぁ、万物を数術で言い表すならってことだから、分野として言い表せるだけで意味を成さない部分も大きい。要するに痲薬とか毒薬があっちこっちで売買されていたら普通に危険だからね」

 「ああ、そうですよね。それなら人を不快にする騒音とか超音波とか黒板、硝子を引っ掻く音まで聴覚数術とか言い張れそうです」

 「良いところに目を付けたね」


 呆れた私に神子様は、眼を細めて笑う。


 「その程度のことを数術と数え上げたらキリがない。皆何かしらの行動をしていて生きている。だからその行動全てが数術学上数式発生行動。つまりは万物全ては数術使いとなってしまう。それは問題だから僕らは自力で数式を見ることが出来、それに触れ作用することが出来る人間を、数術使いと定義する」

 「なるほど……それなら私がいくらこのゴーグルで見て、教会兵器で扱っても、私は数術使いにカウントされないってことですね」

 「数術学上そうなるね。君はその銃がなければ数術は使えないから」


 その定義の線引きがあるから、その戦に含まれない人間が起こす行動は、原則として数術とカウントされない。数術学的行動と称されるのが常だと神子様が語る。


 「数術のいろはを何も知らない人目から見て魔法や奇跡と思える物が数術。自分にも出来ると思える程度のことは全て数術学的行動。硝子を引っ掻くなんて誰でも出来ることだしね」

 「魔法や奇跡……」


 確かにそうだ。胸にパットを詰めれば外見を変えることは出来る。触覚もだ。だけど外見を変えずに触った大きさを変えるなんて、普通の人間には出来ない。数術の仕組みが解らなければ魔法のように見えるだろう。

 数術使いは魔法使い。数術使いではない人間は生きているだけの凡人。唯凡人は道具に頼ることがある。そういう考え方である程度の理解は出来る。


 「そうそう、そんな僕ら数術使いの不可能事について僕は話していたね。どうして僕がそれを君に話すか解るかい?」

 「え、ええと」

 「君は数術使いじゃない。だから数術使いの天敵になれる」

 「どういうことですか?」

 「基本的に数術使いには二つの弱点がある」

 「二つ、ですか?」


 奇跡を起こせる魔法使いにも弱みがあるのだと、最高の数術使いは言う。


 「ああ、そうだ。基本的に実戦に出られるレベルの数術使いは何十年も修行を積んだ老人の純血か、幼くして危機に見舞われ窮地に才能に開花した混血か。つまり老人と子供。身体能力が低く、接近戦が苦手という欠点がある」


 神子様は私の手をそっと自分の首へと触れさせ目を閉じる。細くて白い…冷たい肌。力を入れたら折れてしまいそう。


 「僕だって首の骨をへし折られたらそれでお終い。そうさせないために、相手を近づけないための数術を練りはするけど、式の展開、発動までのタイムラグは拭えない。だから僕は君たちを傍に置いている」

 「はい」

 「次にもう一つ。これは先に述べたタイムラグに起因するんだけれども……僕ら数術使いは基本的に音声数術を使えない」

 「音声数術、ですか?」

 「魔法の言葉。呪文ってこと。よく魔法使いっていうと技名叫んでそれで色々現象引き起こすってイメージあるだろ?」

 「た、確かに」

 「でも数術は計算であって魔法じゃない。僕らは限りなく魔法使いっぽい数学学者か人間電卓、或いは人間そろばん。そんなもの。だから発動をするには計算式を完成させなければならない。その式の簡略化、計算速度、それが優れた数術使いの力量だ」

 「は、はぁ……」

 「だから数十年前までの数術学の前提として、音声数術は理論として存在するが、その概念を理解し操ることが人間には不可能。そう定義されていた」


 神子様、そろそろ私の頭では解らなくなってきました。情報量が多すぎます。

 頭を抱え込んだ私をくすくす笑い、神子様がそれじゃあねと言い直す。


 「要するに僕らは学者であって、魔法使いじゃない。だから魔法使いという人間は存在しないとされた」

 「は、はい」

 「唯、ごく稀に……自身の声を引き金に数術を描ける天才がいる。これは殆どタイムラグがない。こればっかりは生まれ持った運だ。殆どいないと断言できる。幸いまだ巡り会ったことがないけどね。そういうのが相手だと、僕も苦戦すると思う」

 「……ゼロじゃないんですよね?」

 「うん、確実にいるね」

 「そういう者と出会ったらどうすれば良いんですか?」


 神子様でも苦戦する相手。私に為す術なんかないんじゃないか。落ち込む私の頭を神子様は、優しく撫でて私を見上げる。そして天使のように優しく愛らしく笑うのだ。


 「ロセッタ、数術使いも天才も人間だ。頭や心臓を打ち抜かれれば死ぬ。それに心がある」


 しかしその言葉はとても残酷な物で……それでも真理に触れていた。


 「魔法使いも、人間だ。必ず弱みがある。そこを曝いて攻める。まずは心を折ることが大事だ」

 「心を……折る」

 「うん、そうだ」


 魔法使いも、学者も人間。だけど私は兵士で神子様の駒。運命の輪は、人ではない。神子様の手足で、道具だ。

 信じる世界のために、任務に忠実であれ。時には人の心を捨てろ。それが車輪の役目。


 「人は多くの理由で死ぬけれど、人の心を殺すのは……人間だけだよロセッタ」


 *


 「…………」


 そうは言うけれど、大精霊が相手だなんて聞いてない。ロセッタは変わり果てた友人を睨み付ける。

 精霊フェスパァ=ツァイト。無精霊は殆どと言っていいほど人格、姿を持たない、限りなく無に等しい、それでいて濃縮された膨大な元素の塊。元素が一定量集まると意識を持つ存在が生まれる、これが精霊。しかしその元素量があまりにも膨れあがればこんな風に意識を持たない精霊が生まれる。凄まじい元素の塊。それでも唯の元素ではなく精霊とされている以上、相性がある。それを使いこなすには波長が合わなければならない。そしてそれだけぴったり相性が合った奴に取り憑いたなら、違和感など感じられる。

 こんなの味方に付いたなら、数術代償なんてあってないようなもの。


(でも、だからって……)


 精霊は触媒ではない。あくまで元素の塊だ。意識がある低級から中級精霊なら計算式を視覚出来ないくらいそれはグライドに溶け込んでいる。無精霊は精霊の中でもとりわけ特殊な存在。

 彼の身体の一部、何処かに巣くっている。同化している。それを探し出すのは難しい。生きたまま捕らえて神子様に差し出すのが、最善だけど、相手が相手。そうも言っていられない。


 《フェスパァ=ツァイトを憑かせるなんて君の幼なじみは僕の幼なじみと違って有能だねソフィア。是非とも勧誘したい所なんだけど》


 私の思念に語りかけて来る神子様の念話数式。あの精霊のことを尋ねるため、先程から私から連絡を入れていた。


(残念ながら彼は純血至上主義に染まっていますしカードです)

 《なるほど。無理に洗脳したところで弱体化するのがオチか。残念だけど仕方ないか》


 仕方ない。それは、抹殺許可。神子様は、私にグライドを殺せとお命じになった。


 《多分今後数百、数千年とフェスパァ=ツァイトの適合者は現れない。彼を始末すればその脅威は消える》

(ですが神子様。大精霊フェスパァ=ツァイト……その供物が歌ってのは初耳です)

 《それは僕も初耳だよ。本の記述じゃ、昔のそれを持ってたカーネフェル王が敵を迎え撃つため自分共々燃やし尽くした。その炎は七日七晩消えなかったってことくらい。詳しく記述した本は過去に盗まれ何処かに売り捌かれて行方不明。でも聖歌の方は以前君にも話したよね?》

(はい)


 聖歌には歌えない歌という歌がある。あれはその歌の一つだ。大昔は歌えていた歌なのだけれど、現代では歌えないし歌ってはならない歌。


 《どういう理屈で彼が音声数術を扱えているのかはわからない。だけど彼は……とても脅威であり、そして可哀想な人でもある》

(……はい)


 人は変声期に入り歌えない音階という物が生じる。声変わりというものだ。男の場合それは顕著だ。


 《彼は君と同い年だったと記憶しているけど》

(はい、今年で16。……二年前は14です)

 《なら、あり得ない話でもない。タロックの子は食糧不足で成長が遅れている》


 元々落ち着いた声を出す大人しい子だった。つい外見に騙されて、今も違和感なく感じていたが……確かにこの年の男としては声が高い。


 《……シャトランジアでは歌のために男児を去勢することは禁止されて久しいんだけど、セネトレア辺りはまだ人権が行き届いていない身分も多い。ソフィア、彼もまた奴隷貿易の被害者だ》

(……はい)

 《その怨みが世界ではなく混血に向かうような環境が彼にはあった。君も彼も悪くない。悪いのはこの世界だ。だから作り替える必要がある》

(……はい)

 《やれる?》

(やります)


 神子様にそう答え、私はグライドを見る。いつの間にかゴーグルの中に貯まっていた涙、それが隙間から頬を伝い出す。大好きだった幼なじみ。貴方も辛い思いをしたんだよね。


(だけど、これは仕事なんだ!)


 これから私は貴方を傷付け、殺さなければならない。私情は殺す。貴方を殺す前に、私は私を殺す。

 空中には次々に点火していく炎。これが何かのショーなら私もうっとりしたい気分だけど、それがこれから私を殺しに来るって言うんだからその膨大な聖歌数式には目眩さえする。それでも私は彼の弱みを探さなければならない。


 「……本当、使えないわね」


 軽く舌打ち。そして私が睨み、銃口を向けたのは……グライドではなくフォース。


 「足手纏いは要らないって言ってんのよ、フォース。あんた私の仕事の邪魔する気?」


 引き金に指をかければ流石のグライドも歌を止める。


 「ロセッタ、君はっ……フォースの仲間じゃないのか!?」

 「仲間?笑わせんじゃないわよ。私は混血よ?誰が純血なんか信用するもんですか」


 私が悪人面で小気味よく笑ってやれば、悲しいかな……やっぱ昔の私が惚れた男はいい男だ。敵対している親友のために怒っている。その燃えさかる赤い瞳に胸が痛んだ。


 「あんたもさっき言ってたじゃない。そっちにいる混血のこと、信用できないって。こっちだってそう。信用もされてないのに信用できるはずがないわ」


 顔を引き攣らせるグライド。説得力、あるわよね。だってこれ、あんたが思っていることだもの。私はあんたが今まで語った言葉を元に、あんたの弱みを撃ち殺す。


 「はっきり言って、迷惑なのよ。フォース?身の程っての考えなさいよ。あんたと私、奴隷貿易でどれだけ値段の差が付くか!今も昔も私の勝ち!ゴミみたいなあんたに好かれたって全然嬉しくないしいっそ不名誉!」

 「っ……」


 フォースには悪いけど日頃のストレスここでぶつけさせて貰うわ。私も苛々してたのよ。ラハイアのことも悲しいし悔しいし、城が許せないし東だって。リフルの馬鹿がどうなってるのかも心配だし、胸糞悪い仕事ばかりをさせられて、心底苛ついていた。

 グライドの混血憎し。これを払拭させることは出来ない。なら、その思いを利用させて貰う。私が悪人になればなるほど、グライドはフォースが可哀想で堪らなくなる。


(私は信じる)


 あの二人の友情を。私なんかが入り込めない絆が今もあるんだって、それを信じる。信じた上であんたを陥れて破滅に導く。


 「私はさっさとリフルを探しに行きたいの。それが私の仕事だし、垢抜けないあんたよりあいつの方が顔良いし。あいつは黙ってれば完璧だもの。どうせなら目の保養になる奴と仕事してた方が良いわ。あんたのお守りはもう懲り懲りよ」

 「お、俺だってお前なんか……お前なんか大っ嫌いだ!」

 「あっそ、初めて気があったわね。それじゃあ記念に殺してあげる。さよなら、フォース。クソつまらない思い出をありがとう」


 引き金を引く。躊躇わず、思い切り。それに間をおいての絶叫。


 「フォースっ!」


 思わず駆け寄るグライド。それは反射的に。自分が何をしたかも忘れて撃ち抜かれたフォースの傷を探すため……私から目を逸らした一瞬に、その頭に向かって引き金を引く。


 「何っ!?」


 その瞬間、完全に解かれていた数術。炎も風も動きはしなかった。それでも私の弾が、弾かれた。それどころか頬を掠った風がある。それは炎を纏っていて小さな火傷を私にもたらす。


 「お久しぶり……と言うにはそんなに日は空いていないかしら?」

 「あ、あんた……」


 第二島、それから第五島で出会った目のカーネフェル人。弓矢を手にしたブロンド美人。

 顔は派手ではなく大人しめの美人。本当にさらっとした薄化粧がよく似合う。背は高く、足は長くてそれでいて肉付きが悪いわけでもなくむちっとした胸と太腿。私の神経逆撫でするような外見だ。理由もなく撃ち殺したくなるくらいに嫌味な女。


 「大丈夫?グライド君」

 「リィナ……さん」


 本当、ふざけんじゃないわよ。私の弾を弓矢如きで止めたですって?一本目で軌道を変え、続く二本目で撃ち落とし、三本目は私への攻撃を行った。唯の純血の癖に、やり慣れてる。裏町の破落戸、請負組織を甘く見ていた。身体能力は私に劣る。それでも卓越した技術で私に挑む。一度の攻撃で三本の矢を射れるこの女、ただ者ではない。


 「私も卑怯なことはそれなりにしますけど、今のは目に余ります」

 「生憎今はリフルが見てないから、好き勝手やって良いのよ。教えなければいいだけだもの」


 あまつさえ私のやり方にケチ付けるとは、本当に良い度胸!

 ロセッタが奥歯を噛み締める内にもリィナはこの後の算段まで練っている。


 「グライド君、ここは手伝いますからこれが終わったらロイルを探すの手伝ってくれませんか?」

 「……はい、ありがとうございますリィナさん」

 「いい度胸ね。もう勝ったつもりってわけ?」

 「ああ、勝ったつもりだよロセッタ」


 私の言葉に答えたのはリィナではなくグライド。


 「さっきから君……何度もリフルリフルって、Suitのことが随分とお気に入りみたいじゃないか」

 「べ、別に私は……」

 「なるほどね。混血は混血同士ゴミの舐め合いをしてたわけだ」

 「あいつはそんな奴じゃない!」

 「やっぱり。入れ込んでるってのは本当なんだ」

 「っ……」

 「なんであのお客が僕にこんな物を持たせたのか解らなかったけど……こういうことだったのか」

 「なんの、話よ……」


 グライドが懐から取り出す小箱。何が入っているのだろう。唯のはったり?何時でも応戦できるよう、銃口は二人に向けたまま。


 「ひっ……」

 「彼は見ていたよ。卑怯な君の姿をね」


 小箱の中には小さな硝子ケース。遠目にも解る……鮮やかな美しい色。紫色の眼球一つ。


 「り、リフル……」


 追いかけるか、戻るか。私は選択した。戻ると。それがあいつにとってのベストな答えだって。


(リフルっ……)


 ずっと大嫌いだった。二年間ずっと、憎んできた。それだけが私の心の糧だった。

 それでも彼の傍に来て、彼がそんなに悪い奴じゃないんだって知った。私のフォローに努めたり、親しい人間一人や二人の死にあんなに取り乱して、自暴自棄になって。その心の隙や甘さを突かれて敵に心身共にいたぶられたり。弱いし脆い。でも頑固でしぶとい。

 誰かのために自分を責めて壊れても、違う誰かのためにまた立ち上がる強さがある。そんな最強のコートカード。優しくて残酷なスペードのキング。


 「あ、……っああ」


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!リフルが、リフルが死んだっ!私にラハイアの銃を預けておいてっ、勝手に死んだっ!こんなのあの男に、アスカに知られたらっ!もうお終いだ。タロックのことも、シャトランジアのことも!何もかもがっ!


(私の任務が、失敗したっ……)


 ラハイアを死なせて、それでリフルを生かしたのに。私は、そのリフルさえ守れずに……この狂った世界を変えるためには、あいつの力が絶対に必要だったのに。

 両手が震える。とてもじゃないけど、狙いが定まらない。上手く当てられない。

 炎が迫り来る。全部は避けられないし、数術弾でも打ち落とせない。もう、お終いだ。そう……ぎゅっと目を瞑った……


 「悪ぃ、グライド」


 間の抜けたような場違いの声。労りを含んだその声に、私は目を開く。


 「フォース!?」


 フォースはグライドを後ろから押さえ込み、そして何やら無理矢理何やら謎の液体を飲み込ませている。術者の意識が途切れることで、これまで展開されていた数式も消えていく。


 「あ、あんた生きてたの?」

 「わざと急所外したんじゃないのかよ」

 「ごめん、割と殺す気だった。仕事モードだったし割と本気で。じゃないとグライド引っかかるわけないじゃない」


 私よりはフォースの方がカードとして強い。その幸運が風で軌道を変えてくれたのだろう。

 それは良いとしても……

 口に残った毒を吐き出している幼なじみを見、先程の光景を思い出し、私は彼から数歩後ずさる。


 「あと、私に近寄らないでくれる変態?」

 「はぁ!?助けてやったんだろ!?両手の指使えないところ、頑張って毒飲ませたのに!」

 「だ、だからって口移しは無いでしょうがっ!なんてもん見せんのよ!不潔!不道徳っ!インモラルっ!こっちの目の毒よっ!グライドを汚すなっ!平均顔っ!」

 「は、はぁ!?」

 「ていうかあんたどうやって抜け出したのよ!?」

 「夏だってのに、こんな雪国仕様のブーツはおかしいと思わなかった?これは夏冬両用、切り換えブーツ」


 見ればフォースの靴底は、彼が足を動かすと、雪道歩きに便利そうなスパイクが現れる。


 「これ、結構頑丈で蹴りの威力もいいし、トゲは出し入れ自在で便利なんだぞ」

 「いや、普通にどうやって脱出したのかわかんないんだけど」

 「これで片足踏んだり蹴ったりして、そっちの痛みに集中しながら踏ん張って全部の刃物引き抜いた。お前らそっちの話に夢中で俺のことガン無視展開入ってたじゃん。その隙に」


 「あんた馬鹿?っていうか手段選ばなさすぎでしょ。一応グライド、あんたのために隙を作ってくれたってのに。あと毒どうやって含んだわけ?」

 「使えないの指だけだし。肘とか手の甲使って首に提げてるこの瓶の蓋口で外して、そんな感じ。ていうかだから気絶に留めたんだろ?」

 「他に手段無かっただけじゃない」

 「うっ」


 私がフォースを言い負かしていると、背後でくすくす笑う声。


(そうだ!もう一人いたんだ)


 戦闘態勢に入る私に対し、リィナは武装を解いている。それどころかフォースに向かってにこやかに話しかけてさえいた。そしてその手には……倒れた時に、グライドが落としたリフルの目。


 「強くなったのね、フォース君」

 「リィナさん、久しぶりです」

 「見事なものよ。アスカさんの卑怯さと、リフルさんの形振り構わなさ。出会った人達から貴方は色々学んだのね」

 「ええ、まぁ……それだけじゃありませんけど」

 「私は今日はオフ。ロイルもね。この辺りでロイル……見かけてないわよね」


 はぁと遠い目をしてリィナは溜息を吐く。本当に良い性格してるわこの女。


 「あんた私に喧嘩売ってタダで帰れると思ってるわけ?」

 「この子は私の兄さんのお気に入りなのよ。だから死なせたくない。リフルさんの目は返すわ、これでどう?今日の所は彼の身の安全を保証して貰えないかしら?」

 「なんで私じゃなくてフォースと話進めんのよ!つーかあんたもあんたで何手当てしてもらってんのよ!鼻の下伸ばしてっ!」

 「別に伸ばしてねぇし!」

 「じゃあ何デレデレしてんのよ!鼻の下縮めて!」

 「意味がわかんねぇよ!お前とりあえず反対の言葉言えば良いと思ってんなよ!?」

 「ふふふ、仲が良いのね」

 「リィナさんまで、止めて下さい。俺は本当にこんな暴力女どうでもいいんです」


 割と本気でどうでも良さそうな声で言う薄情者。こいつ本当幼なじみ甲斐無いっ!そりゃあ私も割と薄情かもしれないけどっ!しれないけどもっ!


 「リフルさん、まだ生きてるわよ。唯、見て貰って解るように……今の彼には両目がないわ」

 「リフルさん……」

 「でも、もう片方はロイルが持ってるって情報があるの。ここは一時休戦で、一緒にロイルを探して貰えない?」

 「あの筋肉馬鹿がどうしてリフルの目なんか持ち出すのよ」

 「あら?だってアスカさんの本気を引き出すにはもってこいでしょう?」

 「ぐっ……せ、説得力は無駄にあるわね」

 「私もあんなリフルさんは見ていられないの。彼の目を取り戻してあげて、フォース君」

 「ってまた私無視!?」

 「そういうことなら、いいよなロセッタ?」

 「……っ、何か変な動きしてみなさいよ。すぐに撃ち殺して……え?」


 笑うリィナ。それがどんどん遠離る。


(違うっ!)


 私が落ちている。突き落とされたんだ!

 咄嗟に視線をやれば、急な山の斜面転げ落ちた先には切り立った崖!


(不味いっ!)


 すぐに数術弾を入れ換えて、重力緩和の出来そうな弾をっ!


 「ぐぇっ!」


 新たな衝撃で取り出した弾が零れる。あれ貴重なのに!

 その衝撃の正体を睨み付けようにも、両腕使い物にならず受け身も満足に取れないフォース。あいつは凡人。下手したら本当に死ぬ。カード的には安心かも知れないけど心配……


(って、カード!?)


 思い出す。私は一度、いや二度もあの女に会っていた。しかしあそこまで嫌味な女じゃなかったはず。思い返してみれば、今の女からは……カードの気配がしなかった。


(しまった!別人っ!)


 私は数術使いじゃない。だから数式は私にとって母国語のような馴染みのある文字言葉ではない。読もうと思えば読める。だけど意識しなければ見過ごしてしまう情報群。情報が多すぎると惑わされて見える物も見えなくなる。私は人間だから、数値ではなく視覚情報に囚われてしまう所がある。

 片手でフォースを抱きかかえ、もう片手で銃を取る。入ってる弾で何とかするしかない。

 転がり崖側に身体が向いた時、私は引き金を引く。その衝撃で身体が後ろに下がる。弾が無くなるまで連続で撃ちまくる。本当に勿体ないことだけど、それでなんとかギリギリ崖の前で私達は止まることが出来た。


 「痛ぅっ……」


 だけど大荷物を抱えての無茶。手にがたが来ている。へたれフォースは突き落とされた時に崖の下でも見てしまったのだろう。気絶している、使えない。

 安堵よりも苛立ちを噛み締め、私は私達を突き落とした犯人を睨み付ける。確信を持って坂の上を睨み付ければ、まやかしは解ける。先程とは違う姿形の女がそこにいる。


 「第五公の娘っ!エリザベータっ!」


 フォースの馬鹿がデレデレしてたのはそういうわけか!フォースの馬鹿はあの女に惚れていた!相手がリィナではないとは気付けなくても、なんとなく悪い気はしない様子だったのは無意識下の好意があったから!


 「嗅覚数術って凄いのね。みんな私が彼女に見えていたなんて」

 「あ、あんたねぇっ!!」


 やられた。この女はグライドが倒れる前から既にいたんだ。操る風に嗅覚数術の薬を乗せたんだ。大精霊フェスパァ=ツァイト?それをも出汁に使いやがったんだ。あれだけ大きなもん持ち出せば、みんなそっちに注意が行くもの。


 「ニクスったら本当に可愛い。何回私に騙されるんだか」

 「……弟を取り戻しに来たってわけ?」

 「あはは、まさか。エリスなんて邪魔なだけよ」

 「じゃあ、あんたがあの子と父親殺して第五公になる腹ってわけ?」

 「さぁ、どうかしら。教えて欲しかったら出すもん出しなさいお嬢さん。世の中金よ金」


 くすくすと笑いながら女は道を進み行く。その後ろからは、大勢の奴隷商、その手下が続く。


 「さぁ、追いかけるのです!金のなる木が待っています!」

 「や、止めなさいっ!」


 向こうにはアルムがエリアスがディジットが逃げた。他にも混血や奴隷、女子供はわんさかいる。


(助けなきゃ……)


 私と同じ目には遭わせない。アルムもエリアスもまだ子供だ。そんなの無理よ。ディジットだって剛胆に振る舞っているけどあれは絶対男を知らない。こんな状況で何かなんて可哀想。同じ女として見過ごせない。


(あいつは……本当に、普通の女なのよ)


 私とは違う。ありふれたカーネフェルの女。混血に囲まれている所為もあり、特別にそこまで美人ってわけでもない。奴隷としての価値もない。

 だけどどの人種の人間も温かく受け入れてくれる奴で。あの女の作ったって言う弁当は凄く美味しかったんだ。堅物頑固の精霊の岩戸の心も粉砕するような絶品料理。

 あんな普通の女。普通に普通の幸せ掴まなきゃ駄目よ。


 「止まれっ」


 震える手で弾を詰め込み引き金を引く。その大きな音。向こうにも届いただろう。その音にエリザベータがほくそ笑む。


 「ああ、あと気をつけなさい。その辺崩れやすくなってるって話だから」


 大きな音。その衝撃。身体が傾ぐ。足場が消える。


 「っ!」


 崖の下には何がある?岩だらけの谷?いいや違う。驚くほど暗い色合いの海がある。その濁った色は何だろう。叩き付けられた海面。口の中に入り込む海水の味。

 落ちてから気付く。これは血の味だ。

 既に殺され、捨てられた死体達。皆、皆……虚ろな空洞。ぽっかりと空いた二つの穴。

 彼らには、眼球がない。あのオルクスって変態っ、死神商会どもに狩られたのだ。


 「あ、……あっ、あああああ!」


 それがぷかぷかと私に躙り寄ってくるように流れる。その全てが私はリフルに見えてくる。私があいつの意思を汲んだような事を言って、言ったから……あの綺麗な人は、こんな姿にされてしまった。

 生きてる。まだ生きてる子もいる。


 助けて、痛いようと泣き喚く。あいつが何よりも守りたかった混血の子達が、ゴミのように、海に投げ捨てられている。

 不意にタロックの田舎でのことを思い出す。犬とか猫とか。川に流す馬鹿がいたこと。目が明かない内なら川に流しても構わないなんて風習がクソ田舎にはあった。これはあれに似ている。

 目さえ見えなければ、殺しても構わない。まるで、そう言われているみたい。

 助けられない。全員は助けられない。間に合わないわ。海岸まで殿くらいあるのかも解らない。崖を登るなんて無理。頑張っても一人か二人。それが限度。


(くそっ!くそっ!くそっ!)


 ボロボロと両目から涙が溢れる。まだ泣ける私は幸せだ。この子達、リフルは泣けないのにっ!泣いてる私は最低だっ!泣く暇があったら助けなきゃ。


 「こっち!掴まりなさい!」


 掴ませられる位、全員持っていく。私はカードだ。一般人より幸福に恵まれている。私の幸福をここで使うのは任務として喜ばしいことではない。だけど神子様。私はここから一人だけ、助かるなんて出来ません。


 声の方向、我先にと必死に見えない身体で近寄ってくる子供達。水を吸い込んだ服で何人にもしがみつかれれば、私の身体能力でも怪しい。それでも沈むわけにはいかない。


 「え……?」


 掴まれた。力強い手。その何かに急に手を引っ張られる。誰かに引き上げられて船の上。


 「げほっ……げほっ」

 「大丈夫かいお嬢さん?お前達!その子達を引き上げろ!引き上げたはしから手当してやれ!一人たりとも見捨てるなってお達しだ!」


 見たところ乗組員はタロック人の男ばかり。


 「あんた達……一体?」

 「俺達は、アルタニア公の飼い犬さ」

 「アルタニア公……?」


 黒いコートに無骨なブーツ。言われてみれば男達の服装は、フォースのそれと少し似ている。


 「あの暴れん坊領主を改心させたんだって?」

 「いや、惚れちまったって話じゃなかったか?」

 「タロックの王子様って奴はそんなに美人なんだかね。俺も一回くらい見てみてぇもんだわ」

 「ちょ、ちょっとどういうことなの?」


 アルタニア公は死んだはず。カルノッフェルだってフォースが殺したはず……


(いや、ちょっと待て)


 あのへたれ、もしかして土壇場でミスった!?でもこの流れはおかしくない?カルノッフェルは東側に協力していたはずじゃないの?どうして私達混血に、こんなに好意的なの?


 「あの人ゃ、失脚覚悟で喧嘩売りに来たのさ。セネトレアって国に」


 よくわからない。わからないけど、風向きが変わった。船が押されていく。このまま何処へ向かうというのだろうか?

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