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40:Dum vivimus, vivamus.

 「はぁ……はぁ」


 彼が帰ってきたのは、フォース達が第三島へ向かってから遅れて一週間は経った頃。

 逃げ込むように現れたその男に、グライドは冷えた茶を出した。


 「お疲れ様でした、アスカニオスさん」

 「偽名はもういい、アスカで良い」

 「ではアスカさん、随分と遅いお帰りでしたね」


 息を切らして今にも倒れ込みそうな、西の使者。一時うちの屋敷で雇ったことがあるから解る。この手練れを、ここまで追い詰めるとは……ロセッタの残した者はもっと恐ろしい相手なのかも。


(外見ではそうは思えなかったけど)


 アスカの婚約者を名乗るカーネフェル人、メディア。見た目だけなら良いところのお嬢さんに見えなくも無い。何日も追いかけられてきたのだろう。満足な睡眠も取っていないよう。

 先に帰ってきたエリザベータから、粗方の話は聞いている。ここまでメディアを連れてきたくなかった彼は、メディアを撒くためエリザベータをこの近くまで送り届けた後、見当違いの方向に連れ立ち置き去りにしようとした。しかし撒けずに結局こうなった。


 「あの、女はっ!」

 「エリザさんに頼んで今の東裏街での生活を、教わっているところです」


 数術使いでもなければ、そんなこと出来ないだろうから、彼女が純血かどうかも怪しい。混血が由緒正しい名家のお嬢さんのはずもないのに。冷静な判断力を失っているアスカは、そんなことにも気付いていない。


 「助かった……そうだ、それでリフル達は?」

 「あの人を安全な場所へ隠しました。貴方にも言えません」

 「は!?」


 少し落ち着いたかと思えば、もう食ってかかってくる。余程あの男が大切なんだな。


(真純血なのに、この人)


 何の抵抗もなく、おかしくなる程あの男に仕える。僕には出来なかったこと。少し妬ましくもあるが、羨望に似たものも覚える。


 「そいつはどういうことだ?」

 「……順を追って説明しましょう。貴方が連れて来た女性が何者かわからない以上、情報が漏れるのはまずい」

 「……グライド坊ちゃん、あんたが西の人間一掃したんじゃねぇのか?」

 「まさか、僕にそんな力が残っているとでも?」


 いや……違う。この男はもう落ち着いている。目の前の男は怒り狂いながらも冷静だ。僕に嫌味を言う余裕まで見せる。周りを見る目は確かだが、自分自身の理解が遅いだけなのだ。ロセッタやフォースから、彼についても情報を受け取った。問題のある戦力だが、ここにあの男がいなければ、そこまで問題にはならない。

 防音と盗聴防止の数術を貼れば、それが見える彼の顔にも緊張が現れる。


 「セネトレア王が生きて居る可能性があります。そして、彼の目的は……那由多殿下の身体を手に入れることかもしれない」

 「オルクスの能力か……」

 「ええ。セネトレアの魔女がいなくなるのを、王は、城は待っていたように思えます」

 「ぐっ……」


 トーラを殺めたのはこの男。それは僕も聞かされた。その点を責め続ければ、この人を操ることは難しくない。言い返せなくなったアスカに僕は言う。


 「優れた情報数術の能力者がいないこの状況……西側にとっては不利。襲撃から生き残った混血は、攻撃回復数術に目覚める者が殆どと言います。トーラが優秀過ぎた。TORAの数術使いも、トーラありきのシステムでは、純血の僕にすら劣る」

 「つまり……リフルの身の安全を保証する代わり、俺に坊ちゃんの下で働けと?」

 「貴方の頭が何と言うかはわかりませんが、それ以外の貴方の仲間全員には許可を取っています」

 「くそっ……」

 「でも……貴方にとっても悪い話では無いはずだ。彼の前で、婚約者なんて見せたくないでしょうからね」

 「あいつが何者かも、坊ちゃんが探ってくれるってわけか」

 「勿論、それも引き受けましょう」


 こちらも譲歩の姿勢を見せれば、相手も話に乗ってくる。渋々ではあるが、ここに残ってくれるよう。どこに居るかも解らない相手を追いかけるほど、馬鹿では無くて助かった。


 「僕は、城の使いへ時間稼ぎを行っています。相手はジャック。キングが目覚めなければ倒せない」

 「俺ならやれる」

 「はい、ですから西の残党の振りをして、彼女の命を狙って下さい。隙ならば僕が作りましょう」

 「さすがだな、助かるぜ」

 「それでも暗殺が不可能なら……王子が目覚めるまで待たなければなりません」

 「……他のカードは?フォースとか」

 「フォースは、目の前に近付いた死に脅えています。あれで戦えというのは酷でしょう」

 「おいおい、まさかあいつまでいないのか!?」

 「何か、ありましたか?」

 「……あいつの病気のことだよ。末期症状は、かなり苦しいらしいんだ。だからあいつがそんな思いするくらいなら、俺が」

 「アスカさん、フォースは……罪人です。彼はそれと向き合う時が来ている」

 「あいつより悪い奴なんて幾らでも居るだろ?俺の方がよっぽど……!」

 「罰のない救済は、拷問だ。それで心が、魂が救われることは無い」


 有耶無耶にされ逃れたら、報いに怯え続ける。今ある幸せを幸せと思えない。それは僕も同じだ。


 「僕があの時那由多王子に殺されなかったのは……僕を苦しめ、そして……救いを与えるため。そう思うんです」

 「違う、リフルは……見たくなかったんだ。もう誰かが死ぬのを」

 「そうかもしれない。だけど僕にとってはそうだ」


 とことん追い詰められ弱った僕を懐柔することは、出来ただろう。ヴァレスタ様と同じ髪色の彼になら。彼はあくまで町の長として対話を望んだ。僕を従えようとはしなかったんだ。


 「フォースは今まで……貴方の大事な人に守られてきた。それが今は、無くなった。彼は最期まで逃げ続けてはいけない。生きなければならない。見せなければ行けないんだ、エリアス様に」

 「誰かに影響を受けるだけじゃなくて、誰かに影響を与えられるか……誰かに何かを、自分を残せるか。それがあいつの生きた証だって?そんなもの……」

 「少なくとも、フォースは一人じゃ無い」


 僕が強く伝えると、彼もとうとう根負けするよう黙り込む。僕には罰が残された。だから希望が、救済が……この眼に見えて、輝いている。

 あいつがヴァレスタ様以上の存在だとは思わない。僕の中でそれ以上になるとは思わない。それでも……可能性なんだ、あの男は。僕が、混血と解り合えたかも知れない。そういう……夢であり、償い。


 「大まかな話は聞きました。……まだ埋葬はしていません。貴方に見せてからそうするべきだと思いました。僕も、そうしたから」



 *


(神子様、良いんですか?)

 《ああ、構わないよ》

(で、でも……)

 《時間稼ぎ、大いに結構だ。此方が進軍するまでまだまだかかる。セネトレア王の企み、此方としても有り難い》


 第一島へ来た私、メディアに入った新たな情報。ソフィア経由で神子様に届いたというその話。こうして連絡のために殿下から離れることさえ惜しくなる。数術に反応はない、まだ殿下は確かに無事だけど。それでもやはり、心配だ。早くこの通信を終わらせなきゃ。そう思うのに、神子様の話は終わらない。


 《第一島に残った西の残党は、殿下一人。向こうとしても、顔を知っていて……尚かつ那由多王子が心を許している相手に憑依したいはずだ。それが一番、那由多殿下の身体を乗っ取るのに楽だから》

(万が一、那由多様が刹那姫として処刑されるようなことがあったら、国王派とのことも白紙になってしまいますわ!)

 《そうさせないために彼にはソフィアを、そして殿下には君を付けている》

(それは……そうですけど)

 《那由多王子がそれに気付いても、何とかしたいと思うだろう。彼は仲間を見捨てられない。意味合いは違っても那由多王子にとって、あの腐れ殿下が大事な存在だというのも事実だからね》


 近々接触してくるはずだ。神子様は私にそう言うけれど……


 《憑依数術が、これ以上広まることがあってはならない。君たちにはその知識を有する者、すべて始末して欲しい。セネトレア王がその知識を知らせた人間がいないか探り、彼共々……消してくれ》

(勿論それは構いません。私も全面的に同意します。でも……アスカニオス殿下には、まだ利用価値があるはず。憑依数術に冒されて、彼に影響は残らないのですか?)

 《皆が皆、エフェトスのようにはいかない。あれは希有な才能だ。ましてや死神(オルクス)式は、被憑依者のことを何も考えていない。ソフィア、ラディウスの報告書は読んだだろう?》


 人の精神は一つの身体つき一つ。それが基本。

 私の新しい同僚、被憑依数術の使い手エフェトス。彼の廃人寸前の精神は、自己の殆どを失っている。だから容量の空いたその身体に、他者の精神を宿させることが可能。彼自身の才能と、神子様自身の才能あって神子様は安全に憑依できるだけ。

 だけど今回セネトレアで作られた二つの憑依数術。これは教会の知る被憑依数術とは全くの別物。

 まず第一に、教会がセネトレア式と名付けた憑依数術。数術学者エルフェンバインに身体を奪われた少年ウィル。あの場合の数式は、被憑依者の精神を完全に殺す。乗っ取られた時点でもう戻らない。術者本人が身体を乗り換え乗り捨てていくヤドカリ方式の数術。

 その一方で死神式ことオルクス式は、死神商会のお頭オルクスが作った数式。此方はその数式を理解した術者も、彼を殺すためその本質を理解したであろう術者も死んでしまったため、不明な点も多い。

 術者が混血だったため、同時に複数人を操る潜在能力があった。しかしこの術を教わったセネトレア王は純血。彼がこの数式を用いる場合、セネトレア式の影響を受けた可能性は高いのだ。


(殿下達の仲間の誰かが、セネトレア王の暗殺時に……既に憑依されている可能性が)

 《勿論それはある。だけど僕が一番怪しいと思っているのは……今其方を攻めている少女の方かな》

(え……?)

 《本人は気付いていないかも知れない。だからオルクス式は……いや、ペンタクル式は被憑依者への影響は少ないと見て良い。潜伏して機を窺うような、情報を盗み見るような……眼球を取り替えずにも誰にも気付かれずにスパイを送り込むような、情報破り数式の側面もあるだろう》


 ティルト……あの少女を殺すタイミングを見極める必要がある。殺せるものなら殺したい。だけどカードとしても、被憑依疑惑者としても彼女は危険。神子様はそう仰った。


 《もしかしたら、エフェトスのやり方に似た側面もあるのかも。現存する憑依数術の集大成……とも言える数式?》

(何故、そのように思われるのですか?)

 《考えてみて。今回、第一島のカード達は、敵も味方も大勢の人間が傷ついた。身体だけじゃない、その心を深く抉られている。それも条件の内ならば、故郷を滅ぼされたあの少女が一番……時期的に怪しいんだ。でも……セネトレア王の尻尾を掴むまで、あの少女は野放しだ。だけど気は抜かないで。誤れば、君も殿下も命を失う》

(させません!そんなこと私がっ!)

 《うん、信じているよノーチェ》


 最後に名前を呼ばれて、通信が途絶えた。課せられた使命は重いのに、少し私は赤くなる。


(イグニス様ったら……)


 嗚呼、五年後くらいだったら惚れていたかも。だけど今の私の一番は、アスカニオス殿下なの!ごめんなさい神子様っ!

 でも信頼して頂いた分の仕事は、きっちりやります。私だって運命の輪ですもの!


 「アスカ様!其方にいらしたんですね!!」


 居場所はすぐに分かった。情報通りの場所へ趣き、黄色い悲鳴でその背に抱き付く。


 「あら……?」


 その凄く辛そうな顔。凄く、素敵。胸が締め付けられるようにぎゅっとなる。


 「泣かないんですか?」


 この人は、仲間殺しをしてしまった。理性の吹き飛んだ状態で、心のままにそうしてしまった。自分の内にある悪意と見つめ合う今から、どんなに逃げたいことだろう。

 聞いてしまって、しまったと私は思う。触れて、情報として知っていたはずだ。私は。


 「……泣けないんだよ」


 彼が手放した、数術代償。それは軽過ぎる物に思えても、普通の人間にはそうじゃない。ゆっくりと精神を冒してく。辛いこと、苦しいこと。逃げられない。追い詰められていく彼はなんて可哀想なの。

 惨い亡骸達を前に、普通の女の子ならどんな反応をするべきなのだろう。悲鳴を上げる、絶句する?それとも卒倒すべきだろうか?嗚呼、しまったな。そのどれとも違うことを私はしてしまう。


 「それなら、笑いましょう!」

 「……は?」

 「良かったですねアスカ様。貴方はまだ生きて居て、泣けなくても笑えるじゃないですか」

 「ふざけるなっ!言って良いことと、悪いこともわからねぇのか!」


 憎悪の瞳、鋭い殺気。胸ぐらを掴む震えた手。これ以上私が何かを言えば、貴方はもう片手で私の首をへし折ることだって考える。ここから逃れることは出来るけど、私は会えて何もせず、貴方に向かって微笑んだ。


 「死者はこれ以上何も奪わない。奪われない。貴方からも、貴方の大事な人からも。生きて居る貴方が勝者であって、正義です。それがこの世の理ですわ」


 そう、貴方の暗い欲望全て、私は肯定して差し上げます。誰も貴方に言わないことを、私だけは囁きましょう。甘い、甘い声色で、優しく貴方に教えてあげる。

 そうすれば、如何に狂い人の貴方でも、私の言葉で正気に返る。疑う余地もない、私が貴方を本当に愛していることを、逃げたい貴方でも悟ったでしょう。


 「何が……望みだ」


 腕を離した貴方は、小さく私に呟いた。

 俺なんか、好かれるような所はない。打算や策略でもなくて、好意を寄せる振りをする女がいるわけがない。貴方はそう信じたい。何も抱え込みたくないから、わざとつまらない人間の振りをする。


 「私、もう長くは無いんです」


 嘘ではない。私はこの神の審判で死ぬのだから。

 こんな話、お涙頂戴の臭い話にしか聞こえないけど、アスカニオス様変に抜けてる所があって可愛らしい。仲間に病人がいるから他人事と思えないのもあるのかな。


 「病気……なのか?」

 「ええ。だから貴方が生きていると知って、本当に嬉しかった」

 「……俺のことは」

 「病弱な私とは誰も結婚してくれない。だから私を哀れんで、神子様があの書類を作ってくれたのでしょう……もう死んだ貴族の名前を使って」


 あら、即席にしてはもっともらしい台詞。アスカニオス様も疑いの視線は送ってこない。


 「私が死ぬまでで良いんです。あと、数ヶ月だけです。私の恋人になってくれませんか?私が死んだら、馬鹿な女と。笑ってくれて構いませんから」



 「埋めて差し上げましょう?今日は暑くなるそうです。この季節にこのままでは可哀想ですわ」


 スコップを手に取り腕まくり。穴を掘り始めた私を見て、貴方はちょっとだけ……笑ってくれた。


 「病弱なのに、力仕事して良いのか?」

 「貴方を助けるのが私の役目ですもの!」


 *


(エリス……楽しそうだな)


 雪道を走り回るエリアスに、フォースの心も軽くなる。

 カルノッフェルは、狂気から解放されたのか穏やかな笑顔さえ見せる。自分より幼い次期同僚に、領主は何たるかを聞かれては困ったように受け答え。故郷とはだいぶ環境の違う第三島についてを教えてくれる。


 「雪を見たのは、初めて?」

 「はい!夏なのに、こんなに雪が残っているなんて凄い、第三島!!」

 「あんまり走って転ぶなよ、エリス」


 「君は遊ばないの?」

 「そんな歳じゃねーよ」

 「えー?」


 領主の城は山の上。例え夏でもここは何も変わらない。この因縁の地に、こうして宿敵同士並んでいるのは妙な感覚。かつて俺はこの男を心の底から憎んでいたのに。


 「おい、カルノッフェル」

 「姉さんのことなら心配いらない。誰にも指一本触れさせない。ここは僕の島だ」


 走り回る、アルムとエリアス。この光景を見ているだけなら、この上なく幸せそうなのに。


 「ここには居たくないだろうけど、君はこの城に居た方が良い。もしエリアス様に付き添い出歩くなら……変装はするように」

 「変装……?」

 「君は死んだことにして、手配書は取り下げたんだけどね。村々を巡った君だ。遺族からは顔を覚えられているはずだ」

 「あ……」


 忘れていたわけじゃない。嗚呼、それでも思い出すことを止めていた。自分の罪を知っているつもりで、目先のことばかり見ていた。間接的に殺した人間の数、名前、顔。俺だって覚えていない。

 一度、カード以外の相手から危害を加えられ……死にかけた俺だ。ラハイアさんから貰った幸福値が切れたなら、二度目は無い。病気で死ねるなら、まだ良い方で……それより先に俺が死ぬことだってある。


 「……解った」


 エリスの事が片付くまでは、見届けるまでは……保ってくれなきゃ困る。危ないことは出来ない。


 「……僕は僕の復讐をした。正当性はあったと今でも思ってる」

 「……カルノッフェル?」

 「だけど僕は、それで君を深く傷付けた」


 俯く俺の隣で、領主は空から降る雪のよう静かに語り出す。


 「僕にとってはどんなに憎い相手だって、君にとっては大事な人だった。あの男は。それなら相手が普通の……善良と呼べる側に入る人間だったらどうなる?残虐公の番犬だった君が、恨まれない理由は無い」

 「……」

 「でも……その後僕は、正当性もない復讐を行った。僕を憎んでいる者は大勢居るだろう」


 名前狩り。名前を変える猶予を与える、第三島ではまだそんな慈悲を見せた。第一島でのカルノッフェルは、そんな暇すら与えずに……多くの女の命を奪った。その中には、彼の最愛の人も含まれていたけれど。

 愛した人を愛するが故の復讐が、本当はまだ生きて居たその人を、自分自身の手で殺めることになった……。こうしてへらへら笑っていても、カルノッフェルの犯した罪も、心の傷も消えることはない。それなのにこの男は、何故笑っているのだろう。探るように隣の男を横目で見ると、奴は何の痛みも感じさせない微笑みで……


 「それでも、こんな僕がまだ生きて居る。救われても居る。だからね、フォース。そんなに悲しい顔ばかりするものじゃない。君を見ているあの子が悲しむ。彼が君の救いなら、君はもっと笑うべきだ。嬉しいのならそうするべきだ」

 「……無茶言うな」

 「一度に二つのことが出来るほど、君が器用には見えない。彼のことは僕やあの少女に任せて、君は君の大事な物を追いかけろ」


 リフルさんは生きて居る。それだけでも十分恩を返せたはず。気になるのも解るが、仕える主のことをもっと良く見るべきだと諭された。


 「世の中、どんなに正しくても悪意から逃れられる保証は無い。君だって、そんなもの、幾らだって見てきたはずだよ。あの子も、そうなんだろう?……ということで、はい」

 「はい……?」


 奴のシルクハットの下から現れた、包装された謎の箱。開けて見て、俺は驚く。


 「これ、お前が作ったのか……?」

 「君という、アルタニアの番犬(ばんけん)のために。この子の名前は番犬(つがいいぬ)。君が寝ているときに散々手を触りに行ったから丁度良く手に馴染むはず」


 変態が何してやがる!と言い返す気力も無い。

 短いけれど、美しく磨かれた刀身を、綺麗だと思う。これが俺の物になる。そう思うと身体が震える。しかし、俺には武器がある。アーヌルス様から貰った冬椿……


 「君の武器を見たけど、あれはもうそろそろ寿命だ」

 「そんなことない!」


 アーヌルス様は、あの剣は壊れないって言った。一度折られたけど、トーラが直してくれた。だけど、そうだ。その……トーラも、もういない。

 涙ぐみながら箱を押し返す俺。カルノッフェルはそれを決して受け取りはしない。


 「過去の思い出、絆に縋りたい気持ちは解る。だけど今を見極めることを捨て、明日を守れると……本当に思う?」


 大事だった主のために、大事な主を失うか?辛い思いを再び知って、死にたいか?問いかけられれば返せない。


 「……それに君の身体では、長剣は満足に扱えなくなる。姉さんのように短剣で戦うようにすると良い」

 「でも……」

 「……あの男から僕が貰った剣を、溶かして作り替えた。頑丈とは言い難いが、軽いし切れ味も良い。身体にガタが来てもこのくらいなら扱える。エリアス様と君のために、持っていてくれ」


 番犬……皮肉な名前。同じ言葉で、違う意味。守りたくて吠える犬、煙たがられて孤独になった。もう一つの読み方は、仲睦まじく寄り添う二匹。誰とも番になんてなれない俺に、これを贈るかカルノッフェル。最高の、嫌味じゃないか。


 「つがいっていうのは、ああいうのを言うんだよ……馬鹿」


 庭先で笑い合うエリアスとアルム。無邪気な二人を見ていると、俺の心も癒される。

 でも、ディジットも、こんな気持ちで生きて居たのかな。可愛い子供二人の姉、母親代わり。自分の恋はどこかに置いて、家族を守ろうとした。それも幸せだし立派なことだけど、ディジットは寂しくなかった?それともそう思う俺の心が貧しいだけなのか?

 考えてみて、寝付けなかった俺に作ってくれたディジットの……料理の味を思い出す。彼女もきっと……


(リフルさんは……)


 思えないけど思われる。思われまくる。あの人の苦しみを俺は近くで見てきたから、あの人の方が良かったとは言わない。でも、こうして死を身近に感じると、本当に自分一人で死んでいくんだって怖くなる。

 俺はエリアスに望まれたけど、そういう一番では無いから。夏らしかぬこの山の寒さに堪えてしまう。嫌なことばかりを思い出す。


(エリザ……)


 まだ、笑っていた。お前を思い出す。何か一言、もっと気が利いたことが言えたなら。あの時お前を救えていたなら。俺もエリザも……今頃きっと、何かが違っていただろう。

 エリアスの姿に彼女を重ねて見てしまい、俺はますます辛くなる。


 「フォース、大丈夫!?どこか痛いの?」


 嗚呼、だけど。エリスは俺を見てくれている。俺の痛みを感じ取り、心配そうに俺の元へと駆け寄って来る。


 「何でもねぇよ、ちょっと長旅の疲れが出ただけだって。俺も年だな」

 「今日は早く休もうか」

 「アルムもそうする!フォース君酷い顔してるもん」

 「な、何なんだよお前等……」


 同じ部屋で寝たがる子供二人に、回復数術をかけられたような気持ちになる。思えば俺はこの二人にも救われて……今を生きて居られるんだ。


 「……ありがとな、二人とも」


 間に合わない、守れなかったばかりの俺だけど……今度こそ、守りたい。新たに与えられた力は、そのためにあるんだって俺は信じたいし、信じてる。


 *


 一体どれ程眠っていたのだろう。まだ夢心地の頭にしっかりしろと語りかけるも、自分の姿は変わらない。


 「これは……夢か?」


 それも悪意の類のもの。リフルは目眩を感じて再びベッドに倒れ込む。


 「……」


 普段より、視線が高い。身体に違和感、かつ重い。寝転んで感じる息苦しさ、ずしりとした胸の重みに心臓やら肺が悲鳴を上げる。試しに頬を抓ってみたが痛覚がある。認めたくないが、どうやらこれは現実のよう。


 「悪夢だ……」


 鏡に映った自分の姿……長い黒髪、血色の瞳。真純血のその姫は、自分の異母姉である人そのもの。理論上、数術に不可能はない。そしてこのような数術を自分は知っている。


(だが、誰がいつ……こんなことを?)


 オルクスが、生きて居たのか?それとも彼の情報を有する者が現れた?わからないことだらけだ。どのくらい時間が流れたのかも解らない。

 美貌と魅惑の肉体、そんな物を自由に触れるチャンス、これぞ男の夢!と思う輩もいるのかもしれないが、嬉しくも何ともない。これは自分の姉だし、憎むべき仇だ。


 「……」


 念話数術、使ってみてももう答えはない。繋いでくれる相手が居ない。トーラが死んでしまったのだ、他の仲間とも声は繋がらない。


(本当に、一人だ……)


 一人なんて慣れたと思っていたのに、本当に一人になった事なんて……なかったように思う。屋敷にはお嬢様が居た。暗殺者になってからもトーラ達が居てくれた。それからだって……私なんかを。

 心細いなんて、言っていられないが……こんな状況だ。不安にはなる。

 あの後城が西に攻め込んだり、戦争が始まったりしようものなら……セネトレア女王という立場は非常に危うい。私は私の犯した罪なら喜んで向き合う、大事な人のためなら汚名でも着る。けれど、真実を知る者が誰も居ないまま、あの女として生きて死ぬのは絶対に嫌だ。


 「やっと目覚めたか、刹那」

 「……」

 「……いや、Suit」

 「!」


 迂闊には答えられない。そう思ったのも束の間。自分を捕らえている相手が、自分のことを知っている!それならこの男がこれを引き起こした元凶だ!


 「お前は何者だ!?何が目的だ……!何故こんなことをっ!!」

 「彼女と瓜二つの娘を見つけた私は考えた。それなら彼女を、無害な身体に入れれば良い。貧相な村娘でも、育てれば如何様にもなる。顔だけならば刹那と同じなのだから」

 「……それ、は」


 私の今の身体の話、その持ち主と瓜二つの娘。頭が痛い。それでも思い当たることはある。それならこの男の正体は、やはり……だが、目的が解らない。今の話とこの結果は違うこと。


 「しかしそこに、貴方が現れた。私をお忘れかな?かつて貴方に殺された男のことを」

 「復讐のために、私を姉上として殺すつもりか、セネトレア王」

 「おや、覚えていてくれたのか。光栄ですね」


 かつてタロックで、暗殺したはずのセネトレア王ディスク。かつてと姿は異なるが、その醜悪な目は変わらない。オルクスから献上された憑依数術を利用しあの場さえ生き延びた。そして西と東が争い疲弊し……私達に隙が生まれる好機を窺っていた。嫌な男だ。あの男を思い出す。


 「貴方の身体は素晴らしい。間近で見てそう思いましたとも!あの身体があれば、毒の王家の姫と交わることも可能。那由多王子、貴方はこの世で唯一人……刹那との間に子を為せる男だ」

 「私の身体を乗っ取り、姉様と……?なら何故こんなことに」


 姉様との間に子が欲しいだけなら、私の身体さえあれば良い。だと言うのに私を姉様の身体に閉じ込めた理由は何?


 「貴方の身体を奪うのには、手順が必要でしてね。術者の資格があったのは私ではなく刹那の方だ」

 「資格……だと?」


 姉は上位カード。元素には愛されている。才能が無くともカードの代償ならば、オルクスの技を使うことも可能なのか?


 「あの数式には条件がある。相手の精神を傷付け抉り、極限まですり減らし無に近づける。貴方をそこまで追い込んだのは……我が妻だ」

 「あっ……!!」


 全てを全面的に信用はしない。だがそれが条件ならば、オルクスがそうしていた相手はまだ、他に居た。同時に操れる人間に限りがあっても、素体となる者を用意しない理由にはならない。


(でもっ……)


 彼はあの時とは違う。フォースが立ち直らせてくれた。フォースの奮闘を私は信じたい。フォースが信じた、彼を……私を助けようとした彼を、疑いたくはないのだ。愛する人をその手で殺める苦しみは、私も知っている。その先にどんな結末があろうと、まだ生きて居る私には、彼の罪を咎められない。彼も変わろうとしているのなら!


 「私も彼も、ちゃんと戻って来た!数術の付け入る心の隙などないっ!」

 「それですよ」

 「何っ!?」

 「毛色は違えど、貴方も彼女も美貌は同レベル。しかし私に其方の趣味はない。だが、彼女と貴方の決定的な違いは……その内面。刹那の最大の欠点はその精神と人格。最高の女を作るために、貴方の心が必要!!」


 空間転移が使えたら。こんなにもそれを願ったことがあっただろうか?聞こえてくる妄言に、リフルはすっかり参ってしまう。


 「貴方の情報を、知れば知る程私の気は昂ぶる!仲間のために、同胞のために心身を差し出し汚れる罪人!汚れた聖女だ!!」

 「気持ちの悪いことを言うな。私はただの人殺しだ」


 暗殺の時に邪眼を使ったのが不味かったか。こんな厄介なことになるとは、完全に私の失態だ。


 「貴方のような者が、自分の身体で攻められたならどんな表情になるのでしょうね?今から楽しみで仕方がない!」

 「……」

 「そんな風に睨み付けても無駄ですよ、それに貴方は私に協力せざるを得ない。貴方がそこにいるということは、刹那はどこに居るとお思いで?」

 「まさか……私の身体に姉様がっ!?」


 仕組みは解らない。本来憑依数術は術者が他者の身体を乗っ取るもの。しかしこれは、第三者が人間二人を入れ替えてしまっている。

 それでもこの話が真実ならば、大変なことになる。彼女が魅了の力を使ったら、私の身体で人を大勢殺し合わせる!生き残っている私の仲間だって、毒牙に掛かる!嗚呼、何てことだ……最悪だ。


 「その通り。彼女が貴方の身体を手にしたら、どうなると思う?まだ私があの身体を手にした方が遙かにマシとは思わないか?」


 こんな風に、私を利用する者が現れるとは。私の身体にも、意味はあったのか。こんなことならもっと早くに、死んでおくべきだった。

 項垂れる私を見、男は満足そうに頷いた。


 「物わかりが良い、殊勝な態度だ。それでこそ……私の刹那!はははは!そう不安がる必要は無い、あれにも話は通してある。この提案には喜んで乗ったよ。まぁ、その後の計画については何も教えていないがね」

 「……どういう、ことだ?」


 セネトレア王は、私と姉様の入れ替わり付いては教えていた?その後その身体を王が狙っていることに気付いていない?だとしてもこんな怪しげな話に何故乗った?そもそもこの二人の結婚にはどういう意味があったんだ?


(姉様は、身体を捨てるつもりだった……?)


 好き放題暴れるのは、敵を作り、刹那としての死を約束付けるため。そして自分は別の身体を得、自由を得ようと……?

 女王からトーラに送られたセネトレア王暗殺依頼、……あれは私の身体を得るために、打たれた布石だったとでも!?


 「あれほど自由気ままな彼女が、他人になりたがる理由がわからない……」

 「あれは男を嫌悪している。男に求められるだけの自分に厭いたのでしょう。その美貌だ。誰も外見以外で彼女を見ようとはしない」

 「彼女自身が変わらないなら、男になってみて何が変わるとは思えない」

 「それはそうです。が、しかし……最愛の弟君の身体を手にするならば、それもまた一興と今頃はしゃいでいる頃でしょう。何しろ、飼い猫と思いきり遊べるのだから」


 飼い猫と、言われて浮かんだ少女の顔は……私を酷く憎悪していた。


 「城と西を戦わせているのか!?」

 「あれは頭が切れる。演技も得意な、役者だ。上手く演じている頃さ……誰も貴方に気付かないほどに上手く。だから貴方にも貴方の仕事をしてもらわなければ」

 「私の……仕事」

 「刹那が遊び過ぎた所為で、我が国はかなり危ない状況だ。敵は血眼になって貴方を探している」

 「敵……?」

 「もうシャトランジアが第五島、カーネフェル軍が第四島まで来ていますよ。第一島までもう先発隊が届いているとか何とやら」

 「そんな状況で、何故笑っている!?仮にもお前の国だろう!?」

 「玉座を知らぬ者には、その椅子の温度も解りますまい。セネトレアの玉座は私に、多くの甘い夢を見せそして大いに失望させた」


 傀儡としての王。豪遊、そして女に困らない自由。けれど人の悪しき心ばかりに触れ、王は玉座と甘い自由を影武者へと譲り渡した。商人に扮し彼が求めたのは……“最高の女”。


 「……協力はする。だが私は貴方を嫌悪する。貴方は王だ!男である前に、お前は多くの者の父だろう!?何の責任もなく、愛情もなくっ……自らの欲望のためだけに生きる最低の男だっ!」


 この数年で……何人のセネトレア王族に出会っただろうか。皆の人生が狂い、歪みを抱えた理由の元凶が、こんな下らない夢を追い求めている。


(まるで、父様と同じだ)


 こんなこと、許せるはずが無い。私が涙ながらに吐き捨てた言葉を、男は愉快気に拾い、笑っていた。


 「……身体が変わっても、その目は変わらないとは。面白い方だ」

 「……っ」

 「光栄に思うと良いですぞ、このセネトレア王ディスクを欲情させた男は、後にも先にも貴方一人だ那由多王子!嗚呼!貴方の身体を手にするのが、本当に楽しみだ!」

タロック編とのリンクする話。大昔に書いたので、あの辺手直ししないと矛盾出そう……心配です。

リフルが寝ている間に一ヶ月とか過ぎていそうなので、カーネフェル編の方進めなきゃ矛盾が出ますね、頑張ります。

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