38:Dum tempus habemus, operemur bonum.
その優しさに触れて、思い出すのは……
(姉様……)
行方を眩ます前の、優しかった彼女の姿。……正確には、そうなる前の。本当に優しかった頃の、姉様のこと。
「フォースは優しいよね」
大変なことは沢山あった。それは僕だけではなく、彼らにとっても。落ち着くまで人々も、悲しむ暇も無いだろう。それでもエリアスは思うのだ。
フォースが生きていてくれて良かった。こうしてまた傍に居てくれる。そのことだけで心が安らぐ。
「なんだ、どうしたエリス?」
彼は最初から、自分には好意的だった。その目には何の下心も無い。驚いて……それでも思った。この人は信頼できる人だって。
「姉様は、僕のこと……まだ嫌いなのかな」
「エリザだろうと、そんなこと言うなら俺は許さねぇよ」
「へへへ……」
「何笑ってんだ?」
「ううん、何でも無い」
毛布を被って寝たふりをする。それでも彼は寝台傍の椅子に腰掛けそこにいる。僕が本当に眠るまで、そうしているつもりなのだろう。僕を心配してかいつも傍に精霊を置いてくれるし、僕を気に掛けてくれている。
(第五島に帰りたくない。そう言ったら……フォースはここに置いてくれるだろうか?)
父様は僕に優しいけれど、あそこは嫌い。
行方不明になった姉様を、父様は死んだと言ったけど姉様は生きていた。父様は、僕のこともそう思ってくれればいいのに。探しになんて来ないでくれたら、僕はずっと……アルムちゃんやフォースがいる、場所に居られる。
(フォースが……兄様だったら良かったな)
もしフォースがそうだったなら、理由なんか要らないままにずっと一緒にいてくれただろうから。
「フォースは、変わらないでね」
「俺は俺だよ、お休みエリス」
*
第五島はそんなに遠くない。第一島と繋がる橋まである程だ。第五公令嬢に用意して貰った馬を操り、アスカは夜道を走らせる。
「意外です」
「ん?」
「流石は騎士様」
「まぁ、こればっかりは……親父から受け継いだ数少ない財産かもな」
後ろに乗ったエリザベータが驚いている。計算なしの顔は、普段より大分可愛らしく見える。いつもそうしていれば、フォースなんかもう取り返しが付かなかったかもな。金の亡者で助かった。
「弟のこと、嫌いなのか?」
「貴方は大好きみたいですね」
「……まぁな」
何の気なしに振った話題。思いの外すんなり彼女は答えてくれる。
「昔は、好きでしたよ。良い子ですもの」
その言葉は、一癖も二癖もありそうなもの。この姉弟にも問題があるようだ。それには彼女が口にしていた風土病が絡んでいるのか。
冷えた声色でも、背後から抱き付く彼女は温かい。馬に二人乗りなのだから仕方ないとは言え、なんでかね。悔恨めいた彼女の声の所為?自分に抱き付かれている気分になる。いや、変な気がおこらないだけマシか。
それと一緒に当然のよう、俺は彼女とリフルとの違いを考えていて苦い気持ちが芽生えた。あいつも温かかった。でもこんなには柔らかくないかなだなんて。本当……救いようが無い。
「だから私もあの子が大好きでした」
「でした、……か」
「私が変わってしまった後もあの子は何も変わらない。何も知らない。あの子がいなければ。あの子さえいなければ。私だって……こんなことにはならなかった」
「……それで、どんな気分だ?その口ぶりだと、お前は全部やり遂げたんだろ?」
俺の問いかけに対し、彼女は独自の答えを持って答える。
「人の心は、箱に似ています」
「はこ?」
「悪意を留める箱です。誰かがその箱にならならなければいけない。私にはなれなかった。私が受けた悪意はエリアスへと向かいました。フォースは、エリアスがその器になれると信じている」
「お前はそう思わないのか?」
「無理だわ。もしそんなことが出来ていたなら、他の誰かで何もかも終わっていた。誰もが受け止めきれなかったから、悪意は巡り続ける」
背中の向こうで、彼女が鼻をすする音。涙を隠そうと押し込むよう彼女は天高く見上げて見せた?
「汚れてしまった人間を愛せるのは……同等以上の痛みを知る人だけ。同じ景色も見えないわ。きっと貴方はこの夜空を綺麗だと思うでしょう?」
「違うのか?」
「私は嫌い。自分が惨めになるだけだもの」
エリザベータにとってフォースは、リフルのラハイアみたいなものだった。それは光で、焦がれるけれど眩しすぎて……残酷で。決して隣に居ることは出来ない相手。
「だからフィルツァー坊ちゃんに乗り換えた?」
「……ふふふ、人間そういうものですよ。最後の時くらい、誰かの優しさに触れたくなる。だから誰かに優しくもしたくなる。それで互いが救われるなら、素敵なことじゃありません?」
「……だったら、俺も……救われるよ」
彼女がそうするように、リフルが俺の傍にいてくれることも……無くはない。そう思えることが救いではあった。
「貴方は不思議な人ね」
「何の話だよ」
「貴方は代わりを求めない。手に入れられない物にも触れられないまま、その身代わりも求めない。それはどうして?」
「……そんなこと、考えたことなかったな。そんだけだ」
買いかぶりは止めてくれ、そう伝えれば俺の背中で彼女が笑う。
「そもそもだ。俺のご主人様であるあいつが奴隷の解放願ってるのに、俺が誰かを道具とか奴隷にしたら、それこそ矛盾しちまう」
「貴方に愛された女性はきっと幸せですね。たった一人をそこまで深く想って下さるのですから」
「嫌味かよ」
「ままならぬものですと、そう言ったんです」
「……あいつはきっと、この空を綺麗だって言うぜ。あんたやあいつの方が、きっと俺より綺麗に見えてるはずさ、こんな星屑だって」
「まぁ!……嫌味ですか?」
「一点の曇りも無い人間なんて嫌味通り越して化け物だ。痛みを苦しみを知って、はじめて人間になれる。そういう奴はな。もっと醜い景色を知っていれば、何も知らない奴らなんかより綺麗な物を綺麗だって思うはずだろ?」
エリザベータを軽くフォローしてみるも、気付かされたのは俺の方。
(あ。そうだ……)
だから、壊したいと思ってしまうのか。俺も彼女も、綺麗すぎた弟を。
*
「洛叉……お願いだ!リフルさんには、黙っていてくれ」
「何だ、君らしくも無い」
了解したなら何でもしてくれそうないきおいだぞと、そんな言葉も今なら確かに拒めない。
洛叉が借りた部屋、もとい簡易医務室でフォースは頭を下げていた。
「こんなもの、一体どこから移された?君は未経験では?」
「……第三島出る前に、キスされたんだ。城の女に」
「なるほど。他に相手は?」
「解毒でリフルさんにされたことが」
「リフル様なら問題ないだろう。感染源はその女だな。あの方を殺せる毒も病も無い。君の発病が遅れたのはリフル様の毒を喰らい、抵抗が増していたからだ」
「ゼクヴェンツで、俺の病気殺せないの?」
「完全には無理だ。身体の構成数まで書き換えられては……」
「そんな……」
「研究次第で、いつかは薬が作れるかも知れない。しかし君に間に合うとは思えない」
「俺は良いんだ!せめてエリスだけでも……!!」
「何……!?エリアス様ともキスをしたのか!?それともまさか」
「違ぇよ!!」
どうしてすぐそういう話に持って行くんだこの変態は。話したくないけど、トーラももういない。病気のことはこいつしか頼れないんだ。エリザのこともこれ以上は隠せない。
「エリス、西裏町で第五島のろくでもない奴らにやられたんだ。そいつらも感染してる。それを仕向けたのはエリスの姉だ。俺に感染させたのも……エリザベータ」
「ふむ……ならばあの鳥頭も危ないな」
「あ!」
「君が黙っていた所為だ。わかるかフォース?君が気のある女を守りたいがために、味方を危ない目に遭わせている」
「お、俺は……そんなつもりじゃ」
「何故庇う?君をそんな身体にした元凶だろうに」
エリザはそんなことしない。グライドとの様子を見て思った。もう彼女は改心した。これ以上病を広めるようなことはするはずないって。
(でも、保証はあるの?)
問われたならば、答えられない。俯く俺を慰めるよう、それでも見当違いのフォローを闇医者が口にする。
「まぁ、仮に感染したところであれもカード。痛手にはならんか」
「ひ、酷ぇ……」
俺もこの変態には、そう思われているんだろうな。少し悲しくなって、呆れて溜息。その直後、相手からの視線を感じた。
「な、なんだよ」
「リフル様を悲しませるような真似だけは、しないでくれ」
「洛叉?」
「週に一度、……三日に一度は俺の診察を受けること、俺にはきちんと話をすること、これらを条件に君の病気は秘密にしよう」
「あ、ありがとう!」
「まずは精密検査を行う。詳しい話はそれからだ」
「うん!」
この男をこんなに頼りに思ったことはないかもしれない。安心からつい、泣きながら笑顔を向けたら、向こうも少し居心地が悪そう。普通に向けられる感謝に慣れていないのか?アスカとは違う方向で不器用な男だ。
*
夏場でも素肌は晒すな。手袋もそのまま。怪我をしたなら他人に触れさせるな。すぐに俺を呼べ。その首に巻いたマフラーで良い。常に口は布で覆うよう隠せ。症状を僅かでも遅らせるために薄めたゼクヴェンツを食事、飲料に入れ、毎日死なない程度に飲め。発作の後もそうしなさい。
(とりあえずはこんなところか)
注意事項を全て伝えてフォースは帰した。しかしどうしたものかと、洛叉は悩む。
「第五島の、風土病……Dis……」
ディスブルー島。その名は……青き冥王、或いは青き死の島。美しい海の青、そして広がる不毛の砂漠の島。島のことをよく表した名前ではある。元はセネトレアに嫁いだ青眼の姫、彼女を娶り玉座まで手にした当時の第五公。彼を讃えての名なのだが。
冥王の名を冠したその病。現在ではまだ不治の病。混血が生まれる以前より存在する病……しかしセネトレアで発生した病であるから、カーネフェル人とタロック人の交わりが原因という説もある。確かに混血飼いの貴族がそれで死んだという話は聞かない。
原因は、奴隷を買い漁り不特定多数の人間と交わったこと。その中にこの病に感染していた者がいたのだろう。
第五島の奴隷は売れない。第五島出身の人間も自分の生まれは偽装する。公爵の娘が使用人に襲われるくらいだ。公爵の権威は低く、偏見、迷信の多く残る土地。第五島は商業的に開発、発展が遅れている。唯一の商品が造船業。その船を活かした傭兵業で第五島は成り立っている。敵味方、人の命で切り盛りする死の島か。名の通り、実に良い嫌味。
「不憫な子だな、あれも」
多少は汚れたものを見てきたとは言え、良くも悪くも純粋か。もう少し良い女に惚れれば良いものを。
「話は聞かせてもらったよ、お医者様」
「領主様……まぁ、お掛け下さい」
「お互いgimmickは辞めたんだ。そんな畏まらなくて良いのに」
窓を開け、ぬっと現れたカルノッフェル。彼が外から妖怪のように壁を伝い張り付いていたのは気がついていたが、敢えてそのまま無視していた。リフル様以外では、彼が最もフォースのことを気がかりだろう。
「彼女にも困ったものだな」
「あのご令嬢には、フォースは嫌味だったのでしょう」
「それも解るんだけどね」
フォースへの理解を示すカルノッフェル。このいかれ領主にしては珍しく、随分と彼には素直な好意を見せる。フォースが彼の姉に似ているわけでもないのに。
「知らない彼は、見えている世界も違う。それが羨ましくもあり、呪わしくもある。変わることを彼は求めていながら、恐れている。それで何が変わるわけでもないのに」
「彼の場合は、変わってしまうんでしょう。生まれが生まれですから」
「タロックの平民だったんだって?それで母親に売り飛ばされて奴隷に……とはヴァレスタから貰った書類で見たよ」
「平民と言いますか……父親だけなら立派なものです。天九騎士の一人ですから」
「へぇー!タロック王の側近とはね、フィルツァー君の父親の同僚か」
「そうなります」
緑茶を啜りながら、肯定した彼の言葉。軽く彼は驚いた様子で、机から身を乗り出した。
「あ。知ってたんだ?」
「俺の家も、元はそうでしたから。そう考えると、彼らの関係も不思議な縁ですね」
互いに互いの素性も、自分のことも知らぬまま……友となり、祖国の王子に出会う。それは偶然ではなく……神が仕組んだ必然か。
「姉さんは凄いな。何だかんだで、自分に縁のある身分の手駒を幾つも集めている」
「その呼び方、いつまで続けられるんです?」
「今更、名前で呼ぶなんて恥ずかしいじゃないか」
「貴方のような生き物にも、そんな繊細な心があったんですね」
「ははは!冗談が上手いなぁ」
冗談のつもりは無いのだが、そんな顔で見つめてやるが、相手も解ってはいるようで、肩をすくめて失笑だ。己の行動を省みるよう、遠くを見つめて。
「僕は姉さんと、フォースに救われたよ。恩返しってわけじゃないし、罪滅ぼしには成らない。僕が生涯背負わなければならないものは僕のものだ。でもあんな彼を見て、放っては置けない。彼は嫌がるだろうけどね、……僕にとってフォースはフィルツァー君に嫉妬しちゃうくらい、大事な友達さ」
「そうですか」
愛こそ全て。たった一人を追いかけ続け、失い狂った男の末路。なんとも意外な結末だ。
いや、だからリフル様はフォースは傍に置くのか?狂い人への救いのために。
(……荷が、重すぎるようだが)
アスカに比べれば、この領主のいかれ具合は可愛いものだ。フォースでは、あの鳥頭は止められない。俺でもやれるか、怪しいものだ。
「アルタニアほどじゃないけど、gimmickにもそこそこ良い道具と場所が残ってる。しばらく鍛冶場を借りようかと思うんだ」
「なるほど……悪くない提案ですが、貴方にそれが出来るのですか?」
「アルタニア公を名乗るなら、その位出来るようにならないと。まずは調理場の包丁でも研いであげよう。明日のメインディッシュは貴方にしようか、先生?」
「お断りします。俺に何かあれば貴方の大事な姉君が泣きますよ?」
「貴方のように生きられたらみんな楽しいだろうにね」
「俺になってみてから言って下さい。すぐに撤回したくなりますから」
「おや?先生は自分が嫌いなんだ。勘違いしていたよ」
「……後悔くらい、あってこその人間でしょう?俺も、貴方も」
睨んで告げれば、それもそうだと彼は退散。やはり窓から外へと消えていく。行動自体は異常だが、彼なりに空気を読んだ。これ以上話したくないという俺の気持ちをくみ取って。
一人になった部屋の中、視線を落とすのは指輪型の触媒だ。アルムが腕輪を取れば良かったのに、今になって思う。俺が一つを手にしたならば、もう一つの指輪を彼女が取ってくれないか、そんな馬鹿げた思いがあったなんて、情けない。あの時点で既に、彼女の心はエルムの物だったのだ。
何も告げて来なかった癖に、失いたく無いだなんて。当たり前のように好意を享受していた。多少なりとは煩わしいと感じながらも、居心地の良さに甘えてもいた。彼女はずっと俺を好きで居てくれると、信じていたのだろうか?馬鹿な男だ。俺が彼女のためにしてやったことなんて何もない。報いてやったことも無い。
(俺は、リフル様が好きだと思っていたのだが)
大事は大事でも、あの鳥頭に勝てるほどの思いは無かったか。それとも……逃した魚は、美味そうに見えるものだから?少しは責任を感じているからか?
(あの日、俺があの店に逃げ込まなかったら……)
ディジットは、俺が居なければ……何も拗れることなく、幸せに生きられたはず。今更だ。彼女の笑顔ばかりを思い出す。
幼い彼女が笑い、俺に囚われた。あんな生意気な人質に……いつの間に俺が捕まってしまったのだろう。あの店は温く、心地良い牢獄だった。そこから出たのは俺だ。俺の選択が招いたことだ。俺はリフル様を選んだ。
やって来たことは、俺もあの領主も変わらない。だがリフル様も万能ではない。生きる意味、死ぬ理由にはなれても……ディジットにはなれないのだ。
美しい花を、綺麗と思う。しかし……そうとも思わなかった花を、美しかったとそう思う。踏みつけられても強く咲いた、彼女の心を。
*
「そうですか!エリアスは無事ですか!」
「はい。私の仲間が保護しています。教会の者とうちの医者に診せたところ、ご子息の不調はオルクスの使った薬が原因でした」
態度を急変させた公爵に、アスカは苦笑い。
第五公の居城に辿り着いたのは、夜が明ける少し前。急な用事にディスブルー公は驚いたようだが、エリザベータの口添えもあり、面会は叶った。
「シャトランジアの殿下が生きていらしたとは……先程は失礼致しました」
「いえ、紛らわしい真似をしたこと謝罪します。この頭です、ご令嬢を連れ戻した兵にしか見えません」
「い、いやいや!流石は殿下!立派な金髪でいらっしゃる!!その深い緑も、真純血の証!見惚れるようです」
マリー様の指輪と俺の外見を見て、第五公は納得してくれた。エリアスの朗報もあり、此方を好意的に見てくれている。
だが、それだけでは駄目だ。俺の身分を誇示するため、情報を盛っては居るが多少は仕方ない。聖教会とシャトランジアを敵に回す覚悟はあるのかと、脅してでも従えさせる。
「第一島の混乱の中、偶然エリザベータ様とエリアス様を見つけまして。しかし東と西の衝突で、向こうは混乱しています。エリアス様を安全にお連れするには、第五公の信頼できる兵を借りたいのです」
「……むぅ、ではエリアスは連れて来なかったと?」
失望した風な第五公の声。数年ぶりに行方不明の娘と再会出来たというのに、冷たい奴。跡継ぎであるエリアスにしか愛情を注いでいないのだろうか?それなら彼女がここまで歪んでしまったのも少しは解る。
「エリアス様はあの美貌……風土病の治療薬としても狙われているそうじゃないですか。事実、貴方が第一島に送った部下の中には、彼を狙う者も大勢居ました。お連れするのは危険です。城の目論見では、間違いなくこの第五島は戦場になりますから」
「何!?」
「カーネフェル軍が上陸するなら第四島か第五島。女王は海戦で終わらせるわけが無い。あの女は、自身が楽しむためだけに生きている。敵も味方もないのです」
「た、確かに新たな陛下の噂は第五島まで届いていますが……」
「エリアス様はしばらく俺の所に居た方が余程安全です。何しろ俺の後ろには暗殺組織だけじゃない、シャトランジアが居る。教会兵器があればエリアス様も守り切れると約束しますよ」
「……殿下は私に何をさせるおつもりですか?」
「此方の条件は、ただ一つ。第五島には我々の味方についていただきたい」
保護とは言いよう。お前の大事な息子はどうにでも出来る、その気になれば。そんな脅しも含めた言葉に、第五公がガタガタ震え始めた。
「勿論表立ってそうは出来ないでしょう。まもなく城は、貴方に兵と船を求める。その時に、細工をして頂きたい」
「……陛下は、船のことなど解らない」
「ええ、ですから……」
囁くよう、優しい声で……俺の言葉を告げてやる。
「遠く海に隔てられたカーネフェルの兵は、当然風土病にかかっていない。迷信に踊らされるような愚者共を、船に乗せてやれ。カーネフェルに売っている船よりボロい船をな」
死なせるための人間を、勝てない船で送り出せ。それは彼も困らない。エリアスを安全に過ごさせるためにもそれは飲む。けれど一つ気がかりなのは……人を人とも思わぬ血の女王。刹那姫の恐ろしさは、第五公も知るところ。自身の命さえ失いかねないと、いよいよ蒼白の面持ちだ。
「し、しかし!万が一事が露見すれば」
「貴方は唯では済まないでしょうね。だが、ご子息は……大事な跡継ぎは無事だ」
「私に、死ねと!?」
「別に構いませんよ、どちらでも」
命の天秤。選択するのはお前だと、高みから見下ろすような余裕でカードを切った。逃げ道を見せつけながら、言葉の魔術で逃がさない。
(てめぇがあのガキ溺愛してるのは聞いてるんだ)
話して解った。この男はタロック王のようにはなれない。国のために島のために、愛しい我が子を犠牲に出来る親では無いのだ。この男は、最愛の我が子のためなら国も民も投げ捨てる。エリアスにとっては唯の、有り触れた愛情深い父親だ。
「貴方がシャトランジア、カーネフェル連合軍との戦いに勝利出来、尚かつ生き延びる自信がおありなら。それで適当な女に見目麗しいご子息を作らせれば良いだけのこと。ああ、勿論……貴方はご高齢だ。生まれても其方のご令嬢のように女の可能性、或いはもう子宝を授かれない可能性も十二分にありますね。なんなら奴隷商に頼んで、血の繋がらない養子奴隷でも迎えてみては?」
これが、決め手だった。人払いした部屋の中、公爵は情けなくも床へと這い蹲った。
「アスカニオス殿下……仰せのままに」
*
「……流石ですね」
「そうか?」
「父様を死なせるのは、口封じもかねてでしょう?」
「ああ、そこもきっちり脅して置いたよ。何か漏らしやがったらエリアスの命はねぇと」
第五公との話が終わった俺を、客室へと案内するエリザベータ。一晩走り続けたんだ、俺も馬も流石に一休みはしたい。あれだけ脅したんだ。第五公の手の者に、寝込みを襲われるようなことはないだろうが、それでも得物は傍に置く。
「あんたも苦労してたんだな。あそこまで露骨だと、そんな風になっても仕方ねぇ」
「……昔なじみの少女のことでも、思い出しましたか?」
「言うねぇ」
カーネフェル人は、男が生まれ難くなっている。だからカーネフェリーは、女に風当たりが冷たい。跡継ぎを求めるような家は特にそう。シャトランジアには女に家を継がせることもあるようだが、社交界からは冷ややかな目で見られる。養子奴隷も買えない程落ちぶれているのだと、自ら露呈するようなものなのだから。
「憎む正統な理由が在るのは楽だよな。なまじ、相手が聖人じゃこっちが生き地獄だ」
「……」
「エリザベータ、お前はその理由を手に入れたんだろ?」
「別に、私が女だから。そういう理由じゃありません。私は運が悪かった……唯、それだけのこと。だから、ありがとうございます殿下」
「別に礼を言われるようなことじゃない」
「いいえ、父もこれでお終い。私の復讐は本当に終わり。あなた方の邪魔にならない程度にグライド様をサポートして、それで私も死にますわ」
「もう、そんなに危ないのか?」
「私はあなた方のようなカードではないですが、来年までは生きられません。それに私が長生きしても貴方にとっては不都合でしょう?」
「まぁ、それは確かに。東で俺を知ってたのはあんたとオルクス、それからロイル、ヴァレスタくらいなもんか?」
「ええ。私は仕事の時に、オルクスから聞きました。私が黙って死ねば、貴方の身の安全は保証されます」
「病気の詳しい話、聞かせてくれるんだったな?」
「ええ……。あの病気、遺伝なんです。生まれながらに決まっているの。私のように生まれつきそうだった人間や、潜伏している運び手からの感染は、いつ発病するかは解らないけれど……発病した人間から移された相手は本当に早い」
「何種類か、法則があるってことなんだな……?」
「私の場合は、もう発病しています。オルクスの薬で死までの時間をのばしているだけ」
「つまりフォースは」
「もう、危険な状況です」
エリアスはともかくフォースのことは、よくもやってくれたな……!そう思うところだが、あいつもカード。どうせ生き残られない。何かしら違う理由で死んでいたんだ。それなら限界が来るまで、どう使うかが鍵になる。
リフルは悲しむだろう。それでも不謹慎ながらフォースが羨ましい。惚れた女に殺して貰えるんだ。あの瞬間の感覚を思い出して、肌が震える。正気に戻った俺には望めないことだけど、あれ以上の至福はない。その辺の変な奴に殺されるより、まだマシな死に方。そう思っていたのも僅かの間。
(なんてこと……してくれやがった!)
前言撤回。この女本当に……
「そんなもんに、あのガキが耐えられると思うのか?おかしくなっても仕方ねぇぞ」
「ええ、だから私もおかしくなった。彼もそうなるのなら、何の非も無い人間を……傷付けたくて仕方なくなりますわ」
「何か一つ間違えれば、第五島から世界中に広まるぞ。むしろ今まで第五島に隔離できていたことの方が疑問だ」
「オルクスが重宝されていたのは、それもあります」
「……なるほど」
如何に不治の病と言えど、治らないというのは肉体だけ。新しい身体を用意できれば、オルクスの数術で健康は取り戻せる。外見の似た器を用意できれば……
「しかし教会に、身体の構成数を調べさせたりしないのか?そんなことされたら一発で、他人だってのがバレるはずだが」
「オルクスは、人の脳を弄り、その構成数を書き換えることが出来ました。ヴァレスタや貴方のご主人様の目を求めたのも、更なる数術を求めてのことかと」
「トーラの変身数術もある。永続的に、人の身体の構成数を変えることも……理論上不可能では、ないということか?」
「数術の研究が進められれば、いつかは解決される病であることは間違いありません」
オルクスは死んだ。その対であるトーラももういない。オルクスが遺した情報・資料があれば、探してみる価値はある。しかし西の生き残りに、まともな情報数術使いが何人居るか。いてもそれらはトーラに遠く及ばない。
フィルツアー坊ちゃんは、純血の割に見る方の力には長けてた。だが、トーラと同等の力を持つオルクスの痕跡を探るなんて……純血には無理だ。
(くそっ……)
こんな利己的な理由でトーラの殺害を後悔する。それを申し訳なく思う。彼女の明るさには、俺も多少は救われていたというのに。
(本当、最低な人間だ……俺は)
*
《ふぉーす……?》
眠るエリアスの傍、エルツも彼を守りながら眠っていた。それを目覚めさせたのは……身体を襲った激しい痛み。
(痛みまで……感じ取るとは、何事だ?)
術者の異変に気付くのは、精霊だ。精霊は元素の固まり。静寂や無の時間を求めても、眠りの概念は特別必要では無い。
(しかし我は、今眠っていた!)
契約者の影響を強く受けたため。契約者をサポートすべく、彼らを理解するため近付き、共に行動する内に、感化されてしまったのだ。良くも悪くもそれは、唯の元素の固まりが……心を成長させていくこと。血水の精霊の暴走も、心を得たのが原因。
眠りに身を委ねることで、辛いことから逃れられる。姫を失ったという現実から、我は逃げていた?これではまるで、弱く愚かな人間ではないか。
膨大な力、それが意思ある力に変わり、意思が心へと変わる。そうなることで精霊は、終わりへと歩き始めるのでは無いか。そんな不安、初めて覚えた。
(我はそんなに、何を恐れる?)
明るく、健気に……愛らしい姫。我が彼女と契約したのは、その温かみに魅せられたから。彼女の傍に居ることを望んだからだ。
(しかし、姫はもういないっ!!)
エルツは契約者である少年、その異変を察知し追いかけた。はじめて得た主を失ったばかりなのだ。悲しみの意味さえ、まだよく理解していない。それでも胸の奥がぎゅっと締め付けられるのだ。
《トーラ、姫……》
土のカードが他に無かった。消去法で選んだ後継者。元素の加護が薄い彼は、数術を上手くは扱えない。自分の祝福があってやっと。
姫の不在に、彼の纏う元素に安堵した。姫は彼を母のよう、姉のように慈しんでいたから。我はフォースの中に、トーラ姫を見たのだ。彼が彼女と過ごす内、彼女から彼が得た物、その片鱗を。彼女が生きた証を、そこに見た。
もう知ることも出来ない姫の面影を、幻影を……この少年から感じ取る。そうすることで、姫との早すぎた別離を、納得して行きたい。瞬きのように短い時でも、貴女に使われた幸せを思い出していたいのだ。
(それなのに、どうして!?)
お前まで、死ぬところだった。本当に、危ないところだったのだ。そうだ、どうして忘れていた!?あれは昨日のこと。命令通りエリアスに憑いていてどうする!フォースの方が、余程危ないはずなのに。
《何をしているっ、フォース!?》
「あ、エーさん」
飛び込んだ部屋。朝日が丁度、窓から差し込むその部屋で……我の主は微笑んでいた。本気では無い、軽く叱るような調子も、彼女を思い起こさせる。
「エリスに憑いていてくれって言ったじゃないか。ま、いいや。エリスの所は俺が戻るよ」
《何を、していたのだ?》
「これ。約束してただろ?」
《これは……》
「飯だよ、飯」
《食事……?》
「誰かが作らなきゃいけないだろ?ディジットほどうまくはいかないし、見てくれも悪いけど……味はそこそこだぜ?」
昨日までの非日常。これから始まるはずの非日常。そこから仲間を日常に、僅かな時間でも連れ戻したい。求めるは一時の安らぎ、魂の安寧。何かを諦めたような、その慈愛。
「俺に力を貸してくれてありがとう。感謝の気持ち込めて作ったぜ」
《フォース……っ》
「ど、どうしたんだよエーさん?いつものエーさんらしくねぇ」
《我も知らんっ!だが……止まらないのだ》
差し出された食事を前に、エルツはボロボロ涙を零す。
皆のために何が出来るか。寝ずに考えたのだろう。お前だって疲れているだろうに、手も慣れない調理道具で傷だらけ。見ていられなくて、回復数術をかけてやる。
(これではまるで、いなくなる準備ではないか)
先程の痛みは、指を切ったとか、そういう物ではなく……もっと底から、内側からだ。何か悪しきものが、彼を壊そうとしている。それを表には出さず、フォースはこんなにも穏やかにどうして笑える!?
辛いなら辛いと言え。苦しいならそう泣き喚け!我が数術で癒してやるから。もう大丈夫だ。そう言ってやる。なのに何故、お前は我に頼らない?
(痛みが、消えない)
自分自身に回復数術をかけて、ようやく痛みが和らいだ。適正がそこまで高いわけでも無い人間と、無理に繋がろうとした弊害か。深入りしすぎてしまった。
《我は……高貴な我が、人間なんぞと契約してやることなどまずない。姫がいなければお前なんかに我は力を貸さなかったのだからな。感謝しろ》
「解ってるって、ありがとな」
《解っていないっ!》
「え?」
《我の数術は、すごいのだからな!何故お前はそんなに死にそうな顔をして笑っているのだ!この我に祝福される幸運に預かりながら、どうしてそんな顔をする!!》
「エー、さん」
《エルツだ!あの時のよう、我を名で呼ばせてやる!!我が本気で契約してやると言っているのだ!!だ、だから……姫のように……勝手に死んだら、我は許さん。お前も、人間も!もう二度と人間に力なんか貸してやらなくなるぞ!?それでも良いのか!?》
自分で、何を言っているのかもう解らない。湧き上がる、言葉の羅列を抱え込めずに吐き出し叫く。そんな暴走、どうすれば抑えられる?以前の自分に、どうやったら戻れるの?何も見えないまま苛立ちをぶつけるよう彼に叫んだ。
「俺はさ、一生誰かの何かとか、自分以外の誰かになれないと思ってたんだ」
返ってきたのは、落ち着きのある優しい声。見上げた先には、余裕を得た風に笑ったフォース。
「今のエルツ、昔の俺みてぇ。なんか……嬉しいな」
《な、何を笑っているのだ!我はおかしなことなど何も言っては……》
「ははは、解ってるって。俺、全然何も出来ないけど……、なんか今、親父になった気分だった。色んな人達に、ちょっとだけ追いつけた気がして……やっぱ、嬉しいや」
永くを生きた我から見れば……お前はまだ、子供と呼べる年だろう。何も知らない子供だろう。だけどお前はあと何度、昇る太陽を見られるのだろう。その光を美しいと思ったが、そんなもの生きてさえ居れば何度でも見られる。
「なぁ、エルツ!俺、頑張るよ」
どこにでも居るような、薄い色の髪と目の色。それでも彼はどこにもいない。ここにしかいない。我の……新たな、そして最後の主だ。あの太陽よりも、我はお前を尊く思う。
(私の姫……トーラ姫)
優しい貴女だ。彼を我が子のように思った貴方だ。祈ってくれ。せめてその瞬間が、苦しみではないように。彼が笑って、死ねますように。今のような笑顔のままで、貴女の所に招かれるよう……
(せめて、苦しまないように……)
我は全身全霊賭けて、お前を守ろう。お前に尽くそう。