37:Imperium et libertas.
(こ、こいつら本気かよ!?)
立ち上る火柱に、アスカは我が目を疑った。ロセッタと自分たちが共に行動するようになったのは、まだ一月にも満たない。二年前からの因縁があるとは言え、リフルとロセッタのこの連携。互いの命を預け合う関係。いつの間にか育まれているその信頼に、狼狽えずにはいられない。
トーラとも、ラハイアとも……俺とも違う。二人のつながり。俺はこの女が恐ろしい。こんな僅かでリフルの中に入り込んだ彼女は……このまま共に行動したなら、その存在はリフルの中でどんな物になっていくのか。
わざと、嬢ちゃんだけ回復の手を抜こうか。とっさにそんなことを思ってしまう。
(駄目だ……)
リフルはロセッタも仲間と呼んだ。仲間を失えばリフルは悲しむ。手は抜けない。
(つーか、加減なんかしてらんねぇ!!)
気を緩めれば、リフルまで死なせてしまう。触媒の力があっても、脳死覚悟で全力で回復をする!そうでなきゃ、あの炎の勢い……あいつらを守れねぇ!
意識が朦朧とする。だけどその度、自分を傷つけ意識を繋ぐ。早く消えろ、あの水も!炎も!!早く終わってくれ!ひたすらそう願い続けた。
とうとう立っていられなくなり、俺もその場に倒れ込む。もう、駄目だ。そんな時、五月蠅い声で名前を呼ばれた。
「アスカ!」
(フォース……)
その小うるさい声に俺は初めて感謝する。疲労を訴える身体を起こし、俺は回復数術を再び展開。
「お前ら……回復数術!使える奴は手を貸してくれ!」
「もう、休んで下さい」
「休めだって?」
「もう、雨も炎も消えています。数値を見るにSuitはロセッタよりは重傷ですが、……彼らの命に別状はない。だけど……純血でここまで無理をした貴方が危ない。休んで下さい」
フィルツァー少年に言われ、俺は再び目をこらす。フェスパツァイトも力尽き、その数値は感じ取れないほど小さく……クレプシドラの気配もない。焼き焦げた二人がその場に倒れているだけ。酷い火傷だ。服だってかなり焼け焦げ、かなりの部位が灰化している。一応リフルの服はトーラが数術を組み込んでいるし、ロセッタの方だって教会が何かしているはず。ちょっとやそっとの数術ならこんなことにはならないのだが……それほど危ない炎だったのだ。服の再生なんかに回す暇があったら身体の回復に回していたから仕方が無いが……こんな姿を人目にさらすわけにはいかない。
「真純血のあの人が……自分があんなにボロボロなのに……主人を気遣う、か。西の主は……部下に愛されているんだな、本当に」
「でもよグライド、優しいんだかナチュラルに酷いんだかアスカってよくわかんねーよな」
「彼女には僕の服でも貸すからいいよ」
ふらつきながら、自分の上着でリフルを隠すと、ガキ二人組から非難めいた声が上がったが、こんな状況でレディファーストもクソもあったもんじゃねぇ。
「……って、フォース。なんでお前らこっちに来たんだ?」
「何でも何も……こっちに追いやられたんだよ」
「城が攻めて来ました、このタイミングで」
「さ、最悪じゃねぇか」
こんなボロボロの戦力で、城とやり合えるわけが……
「いやでも、城ってたいしたカードないんじゃないか?お前らとそこの領主が特攻かければどうにでもなるだろ」
「ジャックが来たんだよ」
「ジャックなんてたいしたこと……あるわな」
「グライドの目がなきゃ、撤退の判断誤るところだった。第三島と第五島の兵士を使ってカルノッフェルを殿に、避難をさせてる」
そういや居たわ。タロックで出会ったあの嬢ちゃん。復讐のためだかなんだかセネトレア城で刹那姫に仕えている。確かあいつもジャックだった。
数字だけなら、グライドとフォース、それからカルノッフェルが居れば十分なんとかなりそうな気もする。しかし俺はロイルを思い出し、それが簡単な話では無いと思い直した。ロイルのことだって、他のカードが命がけで削ってくれてやっと倒せたのだから。
禁忌を犯した俺ならジャックを殺すことは出来るが……相手の幸福値をすり減らして貰わないと話にならない。唯一やり合えそうな戦力がリフルなのだが……俺のお美しい主様は今、死にかけの消し炭一歩手前だ。叩き起こしてどうにかしろとは死んでも言えない。
「リフルが本調子になるまで、時間稼ぎ。それでこっちも休息を取る。それしかないな」
「ええ、僕もそう考えます」
「グライド坊ちゃん、城との交渉はそっちに頼めないか?いかれ領主を付けていれば早々危ないことは戦闘面ではたぶんない。それから、そっちの属性過多のメイド令嬢」
「貴方の本名ばらしても良いでしょうか?」
「止めてくれ」
「うちの屋敷に来たときの、飛鳥蟹雄のことですか?」
「そっちの坊ちゃんもちょっと黙れ」
「エリザベスは第五島まで帰れ。エリアスを上手いこと使って、こっちの味方するよう話を付けてくれ。護衛は……俺が行く」
「アスカが!?」
俺の言葉に、何故か皆が驚き俺を凝視する。唯一驚かないのがメイド令嬢くらいなものだ。
「数術は、ロセッタの仲間が多少は手を貸してくれるはずだ。治療は洛叉に任せる」
「い、いいのかアスカ?」
「闇医者と、偏見を捨てたグライド坊ちゃんが居れば、頭脳面は問題ない。戦力も……フォース、お前俺より強いカードだろ?留守を頼むぞ」
第五公とは俺も話をしなければならないだろうし、守りとしてフォースはここから離せない。フォースの頭を軽く撫で、後のことを託すと言うも、彼は微妙な表情で小さく唸る。
「夜に仕掛けてくるってことはないだろう。こっちは一応暗殺者だし、裏町の地の利は城にない。お前達も疲れてるだろうが、物資の確保と、使える通路と退路の確認。あとは陣を置けそうな場所とか……とりあえずの拠点の目星を。困ったらあの変態、洛叉を頼れ」
「あ、アスカ!?」
これ以上は、意識を保つのが辛い。ふらつく身体を動かして、近場の店に上がり込む。
「悪い、夜中まで寝る。出発になったら起こしてくれ」
*
(酷い……)
静かな街を眺めて、ティルトは唇を噛みしめる。破壊された町並みは、どこか故郷を彷彿させる。東を破壊すると言うことは、これは西の人間……Suitの仕業に違いない。私を助けたあの男も、所詮は毒の王家の人間だ。あの女の、弟なのだから。
手始めに、東と話をしたい。情報も必要だ。そう考え東裏町を訪れて、東の長との対面を望んだが……待たされて何時間経っただろう。辺りは暗く、すっかり夜になってしまった。
此方の殺気が伝わったのか、話しかけようとする先々で商人達が逃げていく。もう刃物でも出して脅して話を聞こうか。そう私が切れかけた時……優雅な仕草で此方を遮る男が見えた。
「見たところ、其方は城からの使いのようですが、裏町に何用でしょう?」
「……東の者か?」
この惨状が、西の仕業なら……Suitをかくまうことも無い。東は私達に協力するはず。
女王から与えられた僅かな兵を従え、東裏町に赴いた私を迎えるは長身の純血、金髪のカーネフェル人。
「初めまして、勇ましいお嬢さん。私はバカンスに来た第三公、アルタニア」
「こ、公爵……様、だと!?」
なんて胡散臭い物言いか。しかし一介の奴隷……王宮騎士に過ぎない私が馬鹿姫の命令も無く好き勝手出来る相手でもない。確か第三公と言えば……領地で名前狩りを行ったという残虐趣味の男。最近この第一島でも模倣犯が現れた。それを気にしての潜入だとでも?筋は通るが、この男はどうにも信用できない。
「いくら城と東はつながりがあるとは言えね……まさか、城が復興支援の申し出でもしに来てくれたのかな?」
「Suitはどうなりました?仕留めたのですか?」
「さぁ……ただ、Suitは一人じゃない。彼らは暗殺請負組織だ。仮に頭が倒れても、何も変わりはしないでしょう。あのお姫様は私も結構好きですよ?実の弟に、あれだけの執着……なんとも好ましい。一度くらい健全なお茶会なら誘われてみたいものです」
「は?」
「ここには愛しの弟君を探せとの命令なのでしょう?」
「違います!姫は……セネトレア女王陛下は、殺人鬼Suit討伐を私に命じました!!」
「あっはっはっは!!面白いことを言い出すお嬢さんだ!」
「な、何がそんなにおかしい!」
相手が公爵だというのも忘れ、つい言葉が乱暴になる。私はこの男に馬鹿にされた気がしたのだ。
「王宮騎士殿、続きの話は私が伺いましょう。そちらの狂人は話になりません」
「!」
「はじめまして、私はグライド=フィルツァー。そちらの方とは何度か顔を合わせたこと、ありますよね?今東を治めているのは私です」
自称第三公を押しのけて、姿を現した少年。私と同じタロック人だ。思わず見惚れそうになるくらいの美少年だけど、そんな余裕は私に無かった。
「イオス、知ってる?」
「……」
私の問いにトライオミノスが頷く。グライド……話した感じでは、聡明そうだ。“俺”より絶対頭が良い。この際礼儀もないだろう。脅してでも従わせる必要がある。
「……俺は王宮騎士のティルト。女王の命により、Suitの討伐に来た。東はSuitの敵と聞く。協力をしてもらえないだろうか?」
「……協力したいのは山々ですが、東はこの通り。そんな余力がありません。これ以上やり合うことは難しい。西とは先ほど休戦を結んだばかり。今は西も東も混乱しています。仮に協力するにも、しばらく時間がかかるでしょう」
「時間って、そんな!!」
こっちには時間が無いんだ。人質を取られている。アニエスのためにも俺は早くこの仕事を終わらせたい。
「ティルト様。東は商人の街です。国が荒れ始めている。貴方も解るでしょう。聖十字が殺されたとは聞きました。シャトランジアが腰を上げれば、どうなるか」
「どうって……戦争だろ?」
「ええ。そうなれば……うちの連中は、まず金勘定を始めます」
「……は!?」
「街がこんな様子では、私の命令でどうにか出来る人間がどの程度居るか。戦争は、儲かる。財を持って次なる商売を彼らは考えますよ。今彼らは家財の回収に忙しいのです」
「つまり……何の協力も、しない、出来ないってことか!?」
「時間をくれと言ったんだ、小娘」
それまで物腰穏やかだった少年が、突然態度を変える。此方を嘲るような呆れた様子のその態度に、俺は思わず狼狽えた。
「こ、小娘ぇええ!?お前幾つだ!!」
「十六」
「ぐぅう……そんな可愛い顔で、年上かよ!!」
「休戦を破ることがあるとすれば、西の連中が僕の首を狙いに来る時だ。東に張り込み僕を見張るのが、もっとも奴を見つけ易い方法だと思うが?」
「え!?」
「許可が欲しくば、出すもの出して貰おうか?」
「はぁあああ!?あのな!こっちは急ぎなんだ!!人の命が掛かってるんだ!!それをお前はっ!!」
「貴様の事情、東裏町には関係が無い。商人を動かすのは、金だよお嬢さん。グライド=フィルツァーを従えたくば、それ相応の金を用意しろ。それが出来ないのなら……身体で払って貰おうか」
「へ、変態っ!エロガキっ!!ちょっと顔が良いからって!!」
「……普通に働けって言ったんです」
「あ……はい」
「今日はもう遅い。散らかっていますが此方で宿を用意しましょう。商談はまた明日ということで。此方の要求を書類にまとめておきます」
*
(よし!流石グライド)
グライドから預けられた空き家……その二階から、様子を伺うこと数十分。フォースはほっと胸をなで下ろす。
友人は頭も良いし、話術も磨きが掛かった。彼の時間稼ぎはお手の物。あわよくばあのまま彼らを丸め込み、しばらく東の復興を手伝わせさえしそうな雰囲気。
昨日の今日で彼が万全とは思えないが、疲労困憊した身体に鞭打つことで、彼は戦っているのかも。自分の罪と、しっかりと。
(倒れる前には、止めてやらなきゃ……)
その役目も、今は俺の物。彼から目を離すわけにはいかないが、俺の仕事は他にもあった。
「問題は……西の方か」
そう、西の方なのだ。カード自体は西の方が多く残っている。とは言えその多くが傷ついている。
アルムは身重、数術代償もかなり危ないところまで来てしまった。リフルさんとロセッタ、他の負傷者、それからアルムの容態も見る……洛叉の負担がかなり大きい。闇医者の数術と頭脳は頼りたいが、戦力としては周りが落ち着かなければ期待できない。
(あの女はジャック……)
先ほど意識を取り戻したロセッタから、話だけは聞かされた。俺は彼女からの情報を、グライド達に届けるためにここへ来たが、あれではしばらく接触できない。
エリスの所からエーさんを連れ戻したから、防音・盗聴防止の数術は施して貰える。それもあって、俺が情報伝達役にされてしまった。仕方ないか。ロセッタの弾は切れている。仲間が補給に来てくれるまで、まだ少し時間が必要とのことだから。
新しくもたらされた情報は、戦略を練る上で重要なことだった。彼女が来てくれたこと、感謝するべきなのかも。教会に属している彼女が、カードの、このゲームのルールを俺たちの中では最も深く理解している。
「ジャックは、危険なカード。まともにやり合えるのはリフルだけ」
だからその言葉に水を差さずに、俺彼女の言葉を聞いていた。
トーラが居なくなった今、情報数術で連絡を取り合うことも出来ない。洛叉ならやれそうな気もするが、負担がでかい。混血の天才数術使いのトーラと同じ事を強いるのは酷な話か。
「まだ孵化していないなら迂闊に刺激しない方が良い。幸福値のすり減ってるあんたらじゃ、覚醒されたらどうにもならない。それにもしも……本当の覚醒をされたらリフルでも勝てないわ」
「リフルさんでも、勝てないだって!?リフルさんは最強のカードだろ!?」
「ジョーカー」
「!?」
その名を口にされて、俺は震えた。リフルさんが死にかけたことは何度もあるけど、あの人は死ななかった。今回だって。だけどそのカードはいけない。あってはならない。会わせてはいけない。
「道化師は、一枚。神子様がカーネフェルで相手をしているわ。だけど道化師は一枚じゃない。ジャックが危険なのは、もう一枚の道化師に孵化する可能性があるからよ」
何でそんな怖い話、今まで隠してたんだよ。そう、責める気力も起こらない。いきなりそんな話をされたら無駄に混乱するだけだ。前に話し合った時はそれどころじゃなかったし、ロセッタもまだ、そこまで俺たちを信用してくれてはいなかったんだろう。
「スペードのロイルは死んだ。ハートのラハイアも」
「ラハイアさん……」
彼が生き残り、ジョーカーになったなら。彼が勝ち残ればどんなに良かったか。リフルさんだって喜んだだろう。だけど彼は殺され、俺は生き延びた。背負うべき事が、もう一つ出来てしまった。
「クラブのジャックは神子様が調教してるって話だし、ダイヤは……あの女」
「そのどっちかが、必ずジョーカーになるってこと?」
「ええ、育て上げれば。ダイヤを始末できれば……消去法で味方にジョーカーを一枚縛れる。私達の勝率は、ぐっと上がるはずよ。そうなればリフルの負担も減って……」
「ロセッタ……」
彼女がこんなことを言うなんて。ロセッタは、本気でリフルさんを心配している。ちょっと嬉しいけど古傷を抉られるような、昔刺さってしまったトゲが、ふさがった皮膚の中で痛み出すような鈍い痛みを感じてしまう。それは別の、真新しい傷と連動して痛む。
「ダイヤのジャックは殺したい。でも殺すことを急ぎ迂闊な真似をすれば、手に負えない。最悪の展開になる、そういうことだな?」
「ええ。リフルの生存は隠し、此方も捜索中。東にはそう情報を流してもらいましょう。東のカード連中には本当のことを話して良いわ」
「……それじゃあ完全に包囲される前に、リフルさんをよそに移した方が良くないか?第二島か、第三島にでも」
「包囲は無いわ。逃げる必要は無い。城は戦争のために此方にはそんなに兵を割けない。此方によこしたのは、女王のお遊び程度よ。カードが居れば対処できる」
唯、一人鍵になるかもしれない人物が居ると彼女は言った。
「神子様から聞いたわ。ペイジのこと。どうしてあのいかれ公爵がカードになったのかもね。リフルは絵描きの手にカードを見たって言うけど、たぶん手の甲だけね。ラハイア側の情報ではリアにカードは無かった」
「ペイジ……?何だそのカード」
「ペイジは10とジャックの間のカード。ジャック同様、ナイトへの孵化の可能性がある」
「イレギュラーなカードなんだな、あいつ」
「ええ。他のペイジは混血が二組、それにあの公爵のことを考えれば……ペイジの条件の一つは双子よ。混血の場合もそれが条件。ペイジは予め空札が用意されているようだわ。片割れを殺して、彼はカードとして完成された」
「カルノッフェルを、第三島に帰せないってこと?」
「しばらく様子見よ。ペイジのままならゲームから降ろせる。そのまま島の管理をさせれば良いわ。でももしナイトになったら……生きて償うのでは無く、死んで償って貰うことになるわ」
カルノッフェルが本当のカードになるためには、名前狩りは必要なことだった。結果としてはそうなってしまう。無駄なもの、無意味なものはない。とは言え彼の凶行にまで、こんな意味を持たせるのは残酷だ。
だってそうだって言ってしまったら……今回大勢死んだ敵も味方も、何かの必然性があったことになる。無意味な死も嫌だけど、意味のために理由のために殺されるのも、酷い話だ。なぜならそれは、「死ね!役に立て!」……そう言ってるようなものだから。
(グライドには、どう伝えるかだな)
ロセッタとの会話を思い出し、口からは深くため息が出た。でもこんな顔、みんなには見せられない。
(俺が、頑張らなきゃ)
窓から見える……夜道を横切る二人のカーネフェル人。グライドが注意を引いてくれているから、上手いこと裏町から彼らは脱出出来そう。
「フォース」
ギィと扉を開け、俺の方へとやって来る小さな次期第五公。エリアスの護衛も俺の大事な仕事の一つ。
「ん、どうしたエリス?眠れないのか?」
幼い俺の主には、里帰りさせられなかった。そろそろ第五島が恋しいだろう。
エリアスの風邪が落ち着いたら、なるべく安全な場所へ彼を移したい。情報請負組織TORAの生き残りで、まだ動ける者に情報を集めさせているが……西で拠点に出来そうな所など残っているだろうか?
「姉様、出かけたの?」
「ああ。一緒に帰らせられなくてごめん」
「ううん、良いんだ。アルムちゃんも心配だし」
「そっか。困ったことがあったら俺に何でも言えよ、ご主人様」
「うん、ありがとう」
俺が彼へと跪けば、恥ずかしそうに彼ははにかむ。
「フォースは良いね」
「良いって?」
「大人なのに、怖くない」
「なんだそりゃ……」
「えへへ」
よく分からないが俺も苦笑し、彼の頭を撫でてやる。エリアスも、本当に酷い目に遭った。この綺麗な心の人が、ずっとこのままでいられるよう……俺が、ちゃんと守らなきゃ。せめて俺が生きている内は……。
「悪い、洛叉。お前からグライドに伝えてくれ。俺はエリス寝かせてくる」
俺は手袋を外した片手を闇医者に預け、そこから情報を共有させる。トーラとリフルさんがよくハグしていたのもこれの一種。洛叉はトーラ程の力は無いから服の上からじゃ情報を得られない。妥協案がこの手合わせ。
「承知した。何か?」
「あんた真顔で嘘吐くからなぁ。っていうか手合わせるだけで良いだろ。指からませるな変態」
「良い夜に合う、良い挨拶だ。感謝しよう」
先ほどエーさんに止められなければ、この変態に欺されて半裸どころか全部脱がされていたところだ。
「あんたとしばらくやっていくのが、俺は正直不安だよ」
「そう言うな。悪いようにはしない。君の身体も」
“後で、部屋に来い”
情報交換で俺の頭に響いたその一文。それだけなら誤解を招くような言葉だが、その後に“病のことで話がある”と付け加えられたら拒めない。エリアスにはエーさんを憑けて守りにしよう。
*
暗闇の中、人の気配にアスカは目を開け飛び上がる。思わず武器を構えたところで、燭台片手に微笑む少女の姿を捉えた。
「眠れました?」
「……ああ」
出発の時間、それを教えに来た属性過多のお嬢さん。旅の荷造りはしてくれたのか、二人分の荷物が床にはあった。
「まさか私の護衛が貴方だなんて」
「フォースだったら、困ったろ?」
この令嬢の心がどこにあるかは俺にはわからないが、フォースとは共に微妙な空気の様子。
「……困ります」
「こっちもあいつが居てくれなきゃ困る。それに第五公の説得には、俺の圧力もあった方が良い。戦争が始まるなら、第五島か第四島をカーネフェル、シャトランジア軍は経由するだろ?」
「ええ」
「荷物、ありがとな。助かったよ。この物資どうしたんだ?」
「父の兵に分けて貰いました」
「そっか……すまねぇ」
「いいえ」
「どうしたんだ?殊勝過ぎて気持ち悪い」
どうにもいつもの金の亡者らしくない。エリザベータに問いかければ、彼女は戸惑うように語り出す。
「……私、其方の組織の一人に、昔迷惑かけてしまったの」
「迷惑なんて一人じゃ済まないだろうが、それはフォースのことか?」
「詳しい話は第五島で。それまではまだ、彼も保つはず」
「そりゃ完全に……良いニュースではなさそうだな」
「エリアスを連れて行かないのは正解だわ。あの子を連れて帰ればこの交渉、間違いなく失敗する。だってエリアスも、間違いなく感染しているから」
*
《時間稼ぎを、お願いします。犠牲が最小限で済んだのはありがたいですが、其方の決着があまりに早すぎた。大体腐れ殿下の所為ですけど》
意識を取り戻し、フォースからもたらされた情報を整えてからは通信を繋いだものの……どうするべきか、ロセッタは悩んでいた。
アスカの暴走が、神子様の予言と計算を狂わせた。あの変態、唯の変態じゃないというのは本当なのか。神子様の知りうる未来まで、影響を及ぼす恐ろしい……狂気。あいつは本当に、何者なのだろう。その正体を知ってはいても、納得できない何かが彼にはある。
今は落ち着いているらしいし、自ら皆に指示を出し……自分の役目を果たそうとはしているようだが。
《殿下は第五公のご令嬢と第五島へ?》
(ええ、そのようです)
《それは良い考えです。こちらとしても助かります》
(神子様、時間稼ぎとは……どのくらい必要なのですか?)
《せめて八月いっぱいは稼いで欲しいですね。此方は大陸が広いわもめ事が多くて》
今はまだ七月の二十日になったばかり。ここから一月以上も、時間稼ぎを!?生きるか死ぬかの戦いで、そんなことができるのだろうか?
(そうは言っても、神子様。勿論時間稼ぎ上等です。カードを休ませたい……ですが)
もう城が攻めてきた。しかも相手はジャック。ある意味で、キング以上に危険な相手。判断一つ謝れば、辛うじて生き残ったカードも命を落とすだろう。その判断を下すことは、私には出来ない。
《東の新たな長と協力関係を築けたのは大きい。君たちのがんばりがあってのことです。まずは、グライドさんに標的の情報を探らせます。何故そんなに急いでいるのか、何か理由があるはずです》
(表向きは東と城を共闘させると?)
《はい。そして……那由多様が回復するまで、向こうの騎士を生かしたままひたすら返り討ちにして下さい》
(え……それは逆効果なのでは?)
《いいえ。あちらは素人。女王の猫は、剣を持ってまだ一、二ヶ月の小娘。慢心はいけませんが何年も手を汚してきた本職の技術で軽くあしらえる》
(敵のレベル上げ手伝ってどうするんですか神子様……)
《相手が幸福に頼り、命をすり減らすなら好都合。気をつけるとしたら、彼女以外のカードでしょう。カードとしてはたいしたことは無くとも、技術は彼女より上のはず。王宮騎士トライオミノス……彼のデータはラディウスが此方に送っていてくれました。其方で共有しておいて下さい》
私の脳内に流れ込む、新たな情報。それを最後に神子様との通信は途切れる。
(王宮騎士……トライオミノス)
隻眼のカーネフェル人。トーラの部下の蒼薔薇のように、片目を前髪で隠した陰鬱そうな細身の青年。
(セネトレア王族の生き残り、アニエス姫と親しい様子。彼女の前では無口、無表情な彼も笑みを見せることがある……か)
お姫様への愛故か?無愛想な態度で女王の命に従わないこともあるその男。その男が大人しくこの任務に付き従っているのは、お姫様絡みのことなのか?
(調べてみる必要がありそうね)
ラディウスが居てくれたら……そう思った自分を叱りつけ、ロセッタは痛む身体で寝台より起き上がる。そうして誰かと目が合った。
「誰?」
いつ仲間から新しい情報が入ってくるかわからない。鍵はかけてなかったが、通信数術は神子様の手によるものだから盗聴の心配は無い。扉を少し開け、隙間から私を見ているのは低い位置からの赤い目一つ。
「あ、赤いお姉ちゃん……」
「どうしたの?」
私のことは名前で呼べって言ったのに。声をかけてやれば彼女がそそそと部屋へと上がり込む。
「お姉ちゃんじゃ、なかったよね」
「え?」
「私といつも、一緒に寝てくれていたの」
あれは誰だったんだろう。アルムは首をかしげている。
(ディジットは……)
死んだと聞かせられた。その話はこの子も聞いただろうが、この様子では何も分かっては居ない。
(この子の数術代償は、記憶だって言うけど……可哀想な話だわ)
それはアルムにとっても、ディジットにとっても。
トーラ亡き後、今西で最も強い数術使いは、皮肉なことにこの少女。純粋な火力としてはトーラを遙かに超えている。上手く使えることが出来れば……杞憂などないのだけれど。
(でもこの頭と、この身体では……戦力として期待は出来ない)
そのお腹の子供は、教会としても気になるところであり、戦力に出来ないならせめて無事に出産させてデータを取りたい。そんなところか。
(この子も放ってはおけないか)
ディジットの代わりにはなれないけど、誰かが面倒を見ていなければ。この子の存在は正直、危ない。
「仕方ないわね、良いわよ来なさい」
おいでおいでと笑ってやれば、見る見る表情が明るくなった。
「やった!」
「ぐおっ」
狙ったわけではないでしょうけど、まだ完治していない傷にぶつかるのは止めて。文句を言おうとしたけれど、嬉しそうなアルムに抱きつかれれば文句も言えない。顔だけは天使のように愛らしいのだ。神子様もそうだけど……この子はまったく邪気がない。含みも悪意もない。だけど無知で愚かで……罪深い。
(先天性混血って、どうしてこんな可愛いのかしらね)
本当、同じ混血なら私もそうだったら良かった。そんな風に思うのは我が儘なのかな。
(お芝居、なのに)
嫌になる。どうしてこんな時まで、あいつのことなんか思い出してしまうんだろう。あんなに、大嫌いだったのに。貴方が生きていて、ほっとしている私に気付いてちょっと困ってる。
(リフル……)
勝ち残れるのは貴方じゃ無い。あんたはいつか死ぬ。解ってることなのに、以前より重たく……その事実が私の胸にのし掛かる。痛むのは、本当に傷だけなのだろうか?でも、そう思わなければ、私が困る。
今回から新章です。表舞台で戦争やってる裏で、城との戦い。
本編とのリンクが難しくなってくる……