35:Ex oriente lux, ex occidente lex.
「どうした、フォース?」
そう言ってリフルさんはいつものように、優しく綺麗に笑うけど……俺はぬぐい去れない違和感を感じていた。
(何か、おかしい)
美しく輝く紫の瞳の彼の傍を、俺は戸惑いながら付いていく。
(何か、とんでもないことがあったような気がするんだ)
どうしてか、俺はそれを思い出せない。それと感じるもう一つの違和感は……
「おい、ロセッタ……リフルさんは俺が運ぶから放せ」
「嫌よ、これは私の仕事なの」
「仕事って……」
「仕方ないでしょ、おんぶとか肩車はなんか嫌だし」
「消去法がお姫様だっこってお前……」
普通逆じゃね?いや、この暴力がさつ女とリフルさんとだったらこれで合ってる気がするけど。
「いや……なんでそんな話になったの?リフルさん走れないからそうなったってのは分かるんだけど」
「ちょっと!そんなことより、あれ!」
「あれ?」
彼女が顎をくいと上げ、前を向けと俺に言う。見れば向こうの通りから、混血狩りの者達がこちらを追ってくる。
「うわぁああ!見つかった!ロセッタしっかり数術やれよ!」
「うっさいわね!数術弾切れたのよ!最後の使って不可視と防音は出来たけど!離れた足跡まではカバーできないのっ!!あの馬鹿私に弾の補充もよこさないんだから!!つか今私手がふさがってるんだからあんたがやりなさい!」
「くっ、頼むエルツ!……あ」
そうだ。俺は精霊連れて来なかったんだ。すっかり忘れていた。
「うわああああ!」
情けない声上げながら、それでも肉弾戦でやるしかない。そう思ったのだけど、俺たちの所に来る前に、混血狩り達は頭を抱えてその場に倒れ込む。
「あれ……?」
俺は数術をしていないのに、どういうことだ?いや、何でも良いか。
「リフルさん、ロセッタ!先を急ごう、他の奴らがまた集まってくるかも」
ここから離れるべきだろう。そうは言っても慎重深く退路を探す俺の目に、新たな者が飛び込んだ。その人は濡れた長い髪から女の子かと思ったが、衣類は男の物のよう。
立ち上がったものの、こちらを見たものの……自分の意思ではもう一歩も歩けないとでも言うような、頼りないその姿。そばで他の人間に支えられ、こちらを目指そうとするその彼は……
(ぐ、ぐぐぐグライド!?)
それは西で別れたはずの俺の……友達、だ。雨に打たれてすっかり冷え切った彼の顔は、まるで死人のよう。このまま死にたかったと言わんばかりのうつろな表情。
同じく雨に濡れている付き添いの、カーネフェリー娘。彼女はドレスが透けるのも気にせず、彼に従う。
(エリザ……)
彼女が何を考えているかも俺は解らない。それでも今は、こちらに危害を加える気はなさそうだ。
「……グライド」
「どうして、こんな時に来るんだ君は。僕が……馬鹿みたいじゃないか」
お前は全部持っている。何も失わずにここにいる。そんな怨みの言葉を投げられた。泣いているグライドを見て、俺は昔を思い出す。こんな風に泣くのはいつも、俺だった。
「グライド……」
彼が泣く理由はすぐに分かった。そこには両目を失った死体が二人分。それが誰の物か知って、アルタニアで暮らした俺でさえ思わず口を覆った程だ。彼らをよく知るグライドは、これをどんな風に見ているのだろう。きっと俺なんかの比ではない。
グライドにとってのヴァレスタは、俺にとってのリフルさんだ。悲しいなんてものでは済まない。ましてやグライド……お前は本当に、ヴァレスタが好きだったんだな。その死を悲しめる。自分の思想と行動が矛盾していることに気付いてるんだ。
「別に、俺が正しかったとか……お前が間違ってたわけじゃない」
「……慰めのつもりか?そんなもの……っ」
怒りを込めた彼の拳が俺を打つ。弱々しい成りからは想像できない、かなりの痛さだ。だけど俺はそれを受け止めた。何でか、俺の口元は笑っていた。
ここで殴り返したらまた彼と、昔みたいになれるだろうか。いいや、無理だな。だから笑って……俺は拳を解いた。拳よりも言葉で、彼に言いたいことがあったんだ。
(リフルさんは……)
俺の尊敬する人は、とても弱い。だけど戦う。例え両腕が縛られていたって彼は戦うことから逃げないだろう。言葉には、きっとそんな力がある。傷つけることも、それ以外のことも。
おかしくなったアスカを、リフルさんが戻したんだって聞いた。それが何なのか、考えなくても分かるよ。それは心を込めた言葉なんだ。嘘偽りなく、俺も俺の言葉を彼に伝える。
同情とか慰めじゃなくて、俺が思ったままに物を言う。
「違う!大切だから、言えないことってあるんじゃないか!?嫌われたり、そういうの怖いだろ!?お前の大事な人だって……そういう、人間だったんだよ!混血である前に……人間だったんだ」
残虐公と呼ばれたアーヌルス様も人間だった。弱さを抱えた人間だった。あの人を殺したカルノッフェルだってそうだ。大事な人を自分の手で殺してしまって、泣いていた。ヴァレスタだって、弱さがきっとあったんだ。それをグライドに見せなかったのは、見せたくなかったのはプライドからだ。お前の前では格好いい完璧な人間でいたかったんだ。
グライドは大切な人を尊敬していた。尊敬の余り神格化していたんだ。弱いところがまるでない、完璧な存在だと。一緒に死ねなかったのが恥だろうか?そこで事切れているエルムが羨ましいと思うだろうか?そうじゃない……
「俺の大事な人だって……俺には全然弱いところを見せてくれない」
そういうのはいっつも他の誰かに持って行ってしまわれる。だけど俺はカルノッフェルを恨んだように、大事な人と誰かの関係性を妬んだりしない。
俺はいつも置いて行かれる。リフルさんのことは大事だし、尊敬してるけど……アスカと同じにはなれないと思った。でもそれで良いんだ。
俺だって、リフルさん以外の繋がりがある。それでもどこかできっと繋がっているものがある。今だってそうだ。いつだってあの人は俺を見守ってくれている。突き放したりは絶対しない。俺には俺の役目があるはず。俺にしか出来ないことをすれば良い。したいと思うんだ。
全然似てないし、立場も境遇も違う。それでも俺は、今ほどグライドを近くに感じたことは無い。まるで自分の分身のように、片割れのようにさえ思う。
俺はラハイアさんとリフルさんに救われた。辛うじて命を繋いだ理由。自分に言い聞かせるように、鏡をぶんなぐるよう彼に叫んだ。
「生きてるなら、どうして生き残ったかじゃなくて……っ、どうやって生きるかを考えろよ!どうやって死ぬか……違うっ!!どうやって生き抜くかだろう!?」
死に方じゃないんだ。死ぬまで、どう生きるかなんだ。俺だって、死ぬところを色んな人に助けられた。だからどんなに苦しくても、簡単に死ぬわけには行かないんだ。お前だってそうだろう!?あのエリザがどういうわけか、お前を本当に心配してるみたいじゃないか。良かったじゃねぇか。知ってるよ。わかってるよ。お前は本当は良い奴だから、誰だってお前を選ぶ。選ばれたんだお前は。笑えよ。勝ち誇れよ。くそっ、なんで泣いてるんだ俺。馬鹿みたいなのは、本当に俺の方だよ。そうだろグライド……?
恩人への思いが届かなかっただけで何死にたそうな顔してるんだよお前は。お前には他のものもあるじゃないか。
(ロセッタだって……俺よりお前が好きだった)
あんな女今は何とも思ってねーけど、本当さ!べ、別に痛くも何ともねーや。だけど……
(ああ、くそ。何でだよ……)
何で今更、アルタニアでのことを思い出す?死にかけたときに思い出した気持ちが不意に蘇る。
俺をからかうように笑うあの子。走馬燈みたいだ。くるくる回る、エリザの表情。別に何とも思っていないと思っていた。だけど俺に気のある振りをする彼女が、俺は嫌いでは無かったのだ。負けて、選ばれず捨てられ続けた俺なんかに、興味を持ってくれたんだから。
(ああそうだ、慣れてるのに)
泣き笑いながら、掴んだ彼の襟首から手を離す。そんな俺を見て、リフルさんが進み出た。
「フォース……もういい。お前は下がれ」
「で、でも」
「私は十分守られているよ、ありがとう」
手に入らない物を嘆くな。彼が手にできない物をお前はいくつも持っているだろう。それとも私では不満かと、拗ねるような含みを持たせて。だけどとても優しい声でリフルさんが囁いた。
(リフルさん……)
彼はグライドのことをどうするのだろう?トーラ亡き今、西の頭を継いだようなもの。ヴァレスタの後釜であるグライドを……殺すのだろうか?彼がそう決めたなら俺はそれには逆らえない。
(だけど……)
心配なんかするな。俺の信じた人の答えを信じよう。そう思うのに、この胸騒ぎはなんだろう?何か大事なことを忘れて居るみたい……
「……三対一じゃ勝てない。お前の勝ちだ、Suit……」
殺すなら殺せ。雨の中膝をつくグライドを、リフルさんは通り過ぎエルムのそばに行く。
彼だってこっちの仲間を殺しただろうに、なんて悲しそうな目で彼を見るのか。頑張ったなと言いたげに、抱きしめて頬ずりでもしてやりそうな雰囲気だ。でもしない。出来ないのだ。リフルさんはSUITのお頭だから。
「良かったなエルム。私では、こうはいかない」
地に伏した二人の亡骸を前に、あの人ははぽつりとそう零す。部下のために手下のために一緒に死んでやること。それがどんなに嬉しいだろう。彼は満たされたことだろう。
でもきっと、二人は一緒に死ねたわけではない。死んだエルムの表情は至福などではないし、血と雨に濡れ……泣いているようにさえ見える。
それなのにリフルさんはそう口にする。それは何故だろう。考えて分かった。ヴァレスタという悪魔のような男が、金のためでもない……自分の気持ちのために動いた。そうすれば死ぬことを分かっていながらそうしたこと、リフルさんは気付いているんだ。だって、彼の声は感心している風だから。
「ロセッタ。回収をここも頼めるか?」
「あんた、正気?こいつがあんたに何をしたか忘れたの?」
「……墓を、探さなければならないだろう。ここにいては、食い散らかされるだけだ」
東は彼らの死体を葬らない。晒し者にするだろう。混血であるリフルさんはそれを見過ごすことは出来ない。
「墓なんて……何にもならない。ただの、自己満足だ」
「そうだな。ここに君がいなければ、私は見過ごしたかもしれない」
グライドの言葉にも、リフルさんはきちんと返す。優しいのに、威厳と冷たささえ感じる強さで、彼はグライドを……俺たちを振り返る。
死者に時間を割いて、生き延びた仲間を死なせては何の意味もない。繰り返し、聞いた言葉。だからこの申し出は、意味のあること。
「新たな東の長よ、私は其方との関係改善を……願っている。今、城に攻め込まれて困るのは互いにそうだろう。私が西を仕切るのは違うが、今はそうせざるを得ない。私も大事な人達を……ゆっくり眠らせてやりたい」
「……他の者は、納得しない。それは……それで楽になるのは、僕だけだ」
「西で見つかった東の遺体は、後で其方に送ろう。これ以上の破壊は双方にとって喜ばしいことではないのでは?」
「……そんな、簡単な問題じゃない」
「ここにいる誰も君を責めはしないが君自身……罪の意識があるのなら、簡単に死ねるとは思うな」
「……っ!」
責めるつもりがあるんだろう。やはり僕を憎んでいるんだろう、どんなきれい事を並べたところでお前は!グライドは怒りを、やるせなさをぶつける相手を見つけ、睨みつけたその先で、苦しそうに笑う殺人鬼を見た。
「……私もそうだ。まだ、逃げられない」
そういう彼は、先ほどエルムを見たような……そんな優しい表情で彼を見ている。それが何になるのだろう?何にもならない。この人にはグライドの主のような、人を引きつけるカリスマはない。それでも必死に足掻いているその様に俺は惹かれたんだ。
一人では何も出来ない、弱いから。弱いのに無理をして……傷ついてでも守ろうとしてくれるから。だから助けたいと思うのか。その弱い男を支えるように、俺はしっかりした声で言葉を発する。
「西には、エリスがいる!エリスに頼んで、第五公の怒りを解けば……内乱は収まる。それに東には……」
「私がいると、言いたいの?」
第五公の子息と令嬢。それが両陣営に預けられている。この構図を上手く利用できないか。戦いのためではなく、これ以上の戦いを防ぐために。
「……今回、城は聖十字を殺した。セネトレアに、教会が介入する口実が出来た。教会は西につく。その西とやり合うのは、東にも不利益。先を見据える目をもつ商人達なら手を引くはずだ。ましてや……第五島の協力も得られないと知れば、残るのは純血至上主義者だけだろう」
「ちょっと、たんま!」
東西の長達の会話に割り込んだのは、僅かに震えた声のロセッタ。彼女は上と一言漏らし、灰色の空を指差した。
それと時を同じくして……突然の耳鳴り!先ほど倒れた者達の理由が分かった。
数術弾を使い果たしたロセッタ。最後の弾は本当に予備。時間切れが早かった。防音がはずれた途端、轟音が耳に飛び込んだのだ。
「……そういえば、エルムは精霊を連れていたな」
「あれがあの、クレプシドラだって!?」
「仲間だったんだろう、知らないのか?」
「水の元素と血の穢れを貯め込めば、ああなるのは知ってたが……あんなのは規格外だ!」
グライドの怯えた声。雨雲の切れ間から覗いた姿……鼓膜を破らんばかりのけたたましい叫び声!エルムの残した精霊はベストバウアーの空を覆い尽くさん限りの巨大な水龍へと姿を変えていた。
「ぐぁあああああああああああ!!」
龍の咆哮に生き残りの人間達が悲鳴を上げる。耳を押さえても楽にならない。俺だって頭が割れそうに痛い。
「くっ!」
とっさに防音数式の結界を貼るグライド。そこに以前相まみえた時のような力は無い。
代償は苦痛であり怒り。今感じている悲しみ全てを費やしても、純血である彼には……ベストバウアー、いいや東の町さえ全て覆う結界など作れない。自分から半径数百メートル程度だろうか。
「フェスパァ=ツァイトっっっ!!」
その痛々しい声が、悲しい。東で数術使いと知られるのは命に関わる。脳死の覚悟さえ決めて、彼は最大の力を注いでいるのに……精霊は彼に味方しない。命を削ってカードを削って無理矢理結界の距離を一キロメートルくらいまで伸ばしただろうか。グライドの口から血さえ溢れる。
「身体が楽になった……」
「おい、あれ」
「数術!?グライド様が!?」
数術使いと混血を混同し、憎むような連中が歯を食いしばり数術を紡ぐグライドを見て、そのまま固まって行く。
「くそっ!!」
僕じゃダメなのか。あの人を守れず、あの人の街さえ僕は守れない。赤い瞳から涙を流す彼の気持ちが、手に取るように分かる。
彼は今思っているんだ。これまで憎んできた。それでも自分が混血だったなら……もっと力があったなら。自分の無力さを不運を、運命を嘆いている。
「エルツ=エーデルっ!!」
精霊使いの数術使い達が、どうして彼らの名前を呼ぶのか俺も段々分かってきた。数術に触れて、肌で感じ取ったこと。
精霊の力を最大に引き出すのは、彼らの名前を呼ぶこと。なんだかそんな気がしたんだ。それは信頼。助けてくれと言う求め。どういう結果を求めるかを明確に伝える暇は無い。それでも望むことを感じ取って動いてくれる。きっとそうなると信じる呪文。彼は今ここにいないけど、それでもその名を呼ぶことで……上手く扱えない数術を、少しは使いこなせるような自己暗示が働いた。
グライドのそばで俺も空に向かって手を翳す。幸福値を持って行かれても構わない。どんな犠牲を払っても良い。
「フォース……どう、して」
「お前だって、どうして西まで結界伸ばそうとしたんだよ!?」
「そ、それは……西にまだ、東の者が生きているかもしれないだけだ」
「俺だってそうだ!東には、ここには俺の守りたい人が幾らもいるんだよ!」
エリスがいる。アルムもいる。アスカや洛叉は……色々思うところあるけど、頼りになるからまだ死んで欲しくない!今俺のそばにだって、守りたい人はいる。それに、トーラやエルム達の墓を作るためにもこれ以上街を壊されたら困るんだ。
*
(フォース……)
二年前助けた少年は、とても小さかった。それが私よりも大きくなって、今は彼の背中に私が庇われている。私だけでは無いな。リフルはすぐさま考えを改める。
彼はその背にこの街を、ベストバウアーを背負おうとしているのだ。
(ラハイア……)
志半ばに殺められた彼。彼が助けた少年が、お前の遺志を継ごうと懸命になっている。悪徳に塗れたこの場所だからこそ、一際輝いて見えないか?涙で彼らの背中がかすみ出す。
(私も数術が使えたら……)
空に手を翳したが、彼らの力には慣れない。幸福値を彼らに与える方法すら分からないのだ。カードとしてどれだけのことが出来るのか、残されているのかすら私には見えない。いつもどれだけトーラを頼って、学ばずに来たかを思い知る。こんな大事になれば、魅了も暗殺技術も役には立たない。それに引き替え彼らは凄い。
「おい、何か西の奴らがフィルツァー様に協力してないか?」
「嗚呼……耳鳴りと吐き気が、和らいだ……これが、数術?」
生き残り達の空気が揺らぐ。天敵同士が互いに敵の街さえ守ろうとする姿に、何かを感じ始めている。
「馬っ鹿じゃないの?」
ロセッタの鋭い言葉。それは民衆に、それから私に投げられた言葉のように思われた。
「誰が馬鹿だっ!混血めっ!!」
「グライド様を馬鹿にするなっ!!」
「純血の術者二人でどうにかなると思ってる辺り本当にどいつもこいつも大馬鹿だわ!防戦一方ではどうしようもない。誰かがあいつを倒さなきゃならないのも分からないの?」
「あいつを倒す!?」
「そんな無茶だ。今のうちに逃げよう!
騒ぎ立てる人々。我先にと逃げようとする。フィルツアー少年の支持者ですらそうだ。
けれどロセッタはそれを許さなかった。
水の精霊には届かない。それでも彼女は空に向かって一発教会兵器を打ち上げた。パァンという破裂音。それが龍の咆哮と、逃げ惑う人々の足を止める。
「あれが何か分かる?あの血水の精霊は、私達が、あんたらが流した血であんなになった!大勢の人を殺し、大勢を泣かせ傷つけた!泣いているのよ!!あいつは、この街に……っ、大好きだった術者を殺されたんだ!」
ロセッタは怒っている。怒り狂っている。しかし彼女は泣いている。
他者の痛みを人の罪を、胸に刻むような影を帯びたその瞳。けれど炎のように彼女の瞳は燃えて、全ての人を射貫くのだ。
「逃げるっていうなら、あいつにさらなる力を与えることになっても……私は一人残らず撃ち殺す!」
(ロセッタ……)
彼女の言葉に見入ってしまった。私の心臓が再び動き出すよう。言い訳のように繰り返してきた言葉が壊された。彼女は誰にも似ていない。こんな状況なのに、私は変な顔をしているな。微笑んでいる?はにかんでいる?何を馬鹿なことを。ついさっきまで本気で死ぬつもりだった私を、彼女が追い立てる。彼女の中の正義に魅せられる。
ラハイアとも違う。それでも彼女も立派なものだ。好感を覚える。本当に……参ってしまう。
しかし水の精霊には、彼女の言葉が届いていない。再び水龍の咆哮が始まった。それと同時に我に返った人々が、今度はロセッタから逃げつつ街から逃れる道を探し始める。彼女の祈りは無意味か?そんなことがあってはならない。しかし私に何が出来る?
悩む私の耳に、若い男の声が響いた。
「アルタニア第三公カルノッフェルが命じる!数術の心得がある物は、数式に手を貸せ!あの精霊はもっと小さな頃に、第二島を半壊させた!あの姿では第一島を水没させることなど造作も無い!!」
ロセッタの叫びに、応じる者が現れた。けれど相手が意外すぎて、私も彼女もフォースやフィルツァー君まで眼を見開いてしまう。一瞬、二人の数式が途切れ、その場で嘔吐したり気絶したりした者がいたのは見なかったことにしよう。
軽い現実逃避をする内に、あの男は超スピードで私の前へと現れる。さっきまでその辺の建物の屋根の上でポーズ決めていた癖に格好良く飛び降りてきた。流石後天性混血。悔しいが運動神経がろくでもない程良い。私だったら足の骨折れてる。
「カルノッフェル!?」
「待たせたね、姉さん!」
「生きていたのか……」
「姉さんとあの子の許しがなく、僕が死ぬとでも?」
一応彼に救われるのはこれで二度目か?リアとのことがあるから彼の改心を素直に受け止めきれないが、協力自体はありがたい。
《次期第五公、エリアスが命じる!第五島の者も彼らに続け!数術を使えない者は、人種を問わず人身救助に当たりなさい!》
続いて響いたのは、年端も行かぬ少年の声。病弱だったあの少年の物とは思えない、凜とした力強さに満ちている。
「うぉおおおお!!エリアス様!!よくぞご無事で!!」
西から東に逃れてきた第五島の兵もいたのだろう。東裏街のあちこちから、エリアスの無事を喜ぶ声がする。
《エリス君……》
その陰でかすかに聞こえたのは、少年の立派な指示に感涙する少女の声。
「エリスっ!!それにアルムも!」
フォースの声は喜びに弾んでいる。けれど彼らは実際ここに駆けつけたわけではないようだ。
《なるほど、俺はスルーか?》
「げ、洛叉……」
フォースと洛叉の関係もなかなか微妙だ。空から響いた彼の声に、やっぱりフォースの数術にほころびが生じている。
エリアスの声と姿は数術で映し出された幻だ。彼の姿は西の空にも見え、同じ内容を向こうの生き残りに伝えている。
「情報数術……いつの間にマスターしたんだ先生は」
《惚れ直しましたか、リフル様?》
「この腐れ闇医者!リフルが何時お前なんかに惚れたんだ?」
そうか。このタイミングでお前も来るか。すぐ後ろから聞こえた声に背中が強ばる。振り向くのが怖い。
「あ……アスカ」
「何だよ、その顔」
紫の眼が戻った私が、はじめて彼を見る。本当に大丈夫だろうか。今すぐ邪眼で支配をかけなければならないか?
決心していたのに、こんなに早く来られると戸惑う気持ちも生まれる。おそるおそる視線を上げた先で、アスカが笑っている。
「アスカ……」
いつも通りの、仕方ねぇなという感じの笑い方。戻ってきてくれた!一時的な物なのだとしても、こんなに嬉しいことは無い。
「お、おい!何泣いてんだよ!」
さっきまで何も出来ないと思った。あんな精霊倒せるはずが無いと思った。だけどどうしてだろう。お前さえいてくれたら、何とかなりそうな気がするのは。
「言いたいことは色々あるが……後回しだ」
「は、はい……」
「ああ、一つだけ言っておこう」
「な、何だよ」
あのアスカが私を前に、怯えている。緊張している。嗚呼、馬鹿だなぁ。お前はお前じゃ無いか。例えこんな風に接することが出来るのが、これで最後なのだとしても、お前はいつか分かってくれるだろう?
だから先に謝る意味も兼ねて、最大限……私の心を声に乗せよう。
「お帰り」
今度は理解して笑う。こんな言葉、恥ずかしいと思うこともきっと、これが最後だ。
「……おう」
彼も苦笑しながら照れくさそうに目をそらす。みんなカードを命をすり減らして戦っている。父様を討つまで死ねないとは言え、死なないとは限らない。お前も私も、ここで死ぬかもしれない。だからだよ、こんな事を言うのは。だけど前とは違う。私はお前と心中する気はないのだ。
(ヴァレスタ……私はお前とは違う)
王になりたかったお前はまだ王では無い。だから責任など何も無い。一時でも王子だった私は死ぬまでその責任から逃れることは出来ない。こんな椅子、求めたお前は愚かだよ。だが私もお前に敵わない。お前は本当に良い従者を、友を得たのだな。共に死んでくれる主とは、エルムも幸せ者だ。
なぁ、アスカ。私はお前のためには死んではやれない。そんな酷い主だ。これからもお前を苦しめるだろう。
(それでもお前がいてくれるなら……)
私はまだまだ、やれそうな気がする。生きて、生きて……っ、最期まで前を向いて償って行けると思うんだ。
すぅと吸い込んだ息。こんな風に息を吸うのは、なんだかはじめてSuitを名乗った日を思い出す。
タロックでもカーネフェルでも、セネトレアでもシャトランジアでもない。誰でもあって、何でも無い。全てを意味し、何にも属さない者。それが私なのだとそう宣言した日……あの時あそこにいたのはロセッタだった。
だけど私はSuitじゃなかった。いつも間にか……いいや何時だって、私のそばには私を支えてくれる人がいた。今はもういない人も、そこにはいたんだ。
私は誰か。私は私に再び問いかける。彼らは私をなんと呼ぶ?名乗るべきは、SUITではない。SUITは一人ではない。組札なのだ!
(まだ、仲間が生きている。私は守らなければならない人達がいる!)
そのためならどんなことだってしよう!何だってしよう!そのために私は再び目を開けたのだ!
弱く無力な私だけど、だからこそ手伝って欲しい。足りない至らないものだらけ。だからどうか手を貸してくれ!
孤独に私を追いかけたラハイアだって、仲間を得て私を捕らえた。一人では出来ないこと。そんな不可能事を可能にする魔法か数術。それが請負組織だろう!?そうであれば良いと私は思うよ、心から。
「暗殺請負組織SUITが頭、リフルが命じる!東西の一時休戦協定締結のため、暗殺請負組織SUITはこれより精霊クレプシドラの暗殺を執り行う!」
水龍の咆哮に負けるものかと、声を振り絞り、私は叫ぶ!トーラやヴァレスタのような頭ではない。情けなくてちっぽけで馬鹿なお頭だろう。はったりの張りぼて。見せかけと言葉だけ立派な詐欺師。そう言われても仕方の無い私だ。
(でも!)
不思議なものだな。私はこのセネトレアで生まれたわけでもないし、この国の王族であるわけでもないのに、こんなに必死になっている。策略のために取引のために東と西を守ろうと画策しているわけでもない。
生き残った中にはろくでもない人間も大勢いるだろう。死んだ方が良い奴とか、殺されて当然の奴とか、……私やアスカ、フォースやロセッタ、洛叉やアルムなんかも例外では無い。
それでもフィルツァー……グライドが頑張っている。変わろうと、変えようと命がけで生きている!東の奴らだって、変わるかもしれない。最初で最後だ!私も賭ける!信じてみたい!
種族も身分も関係なく、今日だけはもう誰も死なせない。死なせず明日を迎えさせたい、この島に!
そんな思いで私は各自に指示を出す。
「洛叉、フォースは引き続き今の仕事を!」
「うん!リフルさん!!」
《支配されるというのもなかなか良い物ですね、承りました我が主》
「いちいち何でお前はそんな気持ち悪いんだよクソ洛叉……」
《ふむ、貴様に言えた義理か?》
「あんたらいい加減にしなさいよ!こんな島一つに情報飛ばしながらホモ痴話喧嘩三角関係疑惑とか振りまくな!暗殺組織ってそういうもんだと思われたら最悪じゃない!」
「ふっ……あはははは!」
「り、リフル?」
何だ、私が笑うのはそんなにおかしいか?ロセッタが奇妙な物を見るような目で私を見る。破顔したのを気付かれた私は、苦笑し彼女から目をそらす。
「いや……何だろうな、まったく」
「良いから行くぞ!あんまり時間ねーんだろ?」
「ああ」
アスカに指示を出すまでもない。こんなに意思の疎通が出来る彼は、なんだかとても懐かしい。夢でも見ているようではないか。
「……」
東に背を向ける私達二人。その背中をじっと彼女は黙って見つめてくる。自分に指示が無いことで躊躇っているのか。意外と……いや、分かりやすいくらい、彼女は可愛いところがあるんだなぁ。
「私は、SUITと言ったんだがな」
「え……?」
来てくれないのか、来ないのか?振り向き彼女に手を差し出した。
「来い、ロセッタ!君……、いやお前もだ!」
部外者なんかじゃ無い。神子の命令でここに来たのだとしても、もう仲間も同然だろう。他人行儀の口調を取り払い、私はこれまでの彼女への感謝を言葉に込める。
「……っ、馬鹿っ!!」
そう言いながらも涙ぐみ、彼女が此方に駆け寄った。
なんかリフルがハイになってきた。少年漫画みたいなノリになってますね彼…
東と西が手を結ぶために、エルムの忘れ形見クレプシドラ。
それを何とかしないと第一島滅亡の危機。
ロセッタがやっとヒロインらしくなってきましたね(え?)