33:Sed fugit interae, fugit irreparabile tempus.
僕は見た。地に転がる死体を見た。それは僕の見知った顔が二つあった。僕は自分のしでかしたことの恐ろしさに、震え上がった。
僕が凝視する先、一つが消えた。彼は再び僕の前へと現れて、僕を振り向かずにその手に剣を取った。彼は数術を使った。それでもその数術を見て、僕は目を覚ます。
混血は化け物だ。混血は化け物だ。混血は化け物だ。そう言い聞かせた言葉が空しい。
(貴方は……化け物?)
胸を締め付けるような、この痛みが僕に言う。偉大な貴方、ちっぽけな貴方。手を伸ばしても何も手に入れられない、可哀想な貴方。完璧なのに、完全ではないそれを……貴方を僕は何と呼ぼう。
(貴方は……)
まるで、人間のようではないか。僕と同じ、傷つき悲しむ……そんな生き物。だけどその気持ちを、時間は決して許してくれない。僕は僕が見た物を思い出せなくなる。そして再び、走り出すのだ。
*
姉と弟。使えそうだったのは姉の方。飼い慣らしたなら良い道具になっただろう。
だが赤目。深い色のあの赤目。あの女王と俺の瞳を思い出すような赤。
俺が弟の方を拾ったのは、あれが精霊憑きになったから。こちらに損害を出して始末するより、有効に活用しようと思ったまで。
奴は姉同様、六条の星が両目にある。全部で十二条。
「だからリゼカなんですか?」
年が明けて幾らか経った後だ。仕入れた商品、差し押さえた高価な物などの入った倉庫……その片付けを命じていた時、急にあのガキがそんなことを言い出した。
「ほぅ……仕事をさぼり本を読むとは良い度胸だ」
「ぎゃあ!」
とりあえずその場で一発鞭を振るうが、奴はまだ此方を見ている。
「意味など無い。お前なんかそのくらいで結構だ、文句を言うな」
「……」
「何がおかしい?」
ついに頭がおかしくなったのか?リゼカは何が嬉しいのだろうか、笑って俺の方を見る。
「ヴァレスタ、何時読んだか知らないけど……この本読み間違えただろ」
「は?」
「十二はリじゃなくて、ゾゼカって書いてますよ?」
間違ったまま覚えたんだと馬鹿にされ、羞恥を怒りに変換し……俺はあいつを蹴り飛ばす。不機嫌に席に着いた俺のところへ、懲りもせず奴は近寄って、不味い茶の追加を持ってくる。
「貴様、それが読めるのか?古文書の一種だぞ?」
俺でも内容の半分と理解していない物を、こんなガキが理解しただと?苛つき視線に憎しみを込めると、少しガキは落ち込むような顔になる。まさかこの俺に褒められると思っていたわけがないだろうに、何がそんなにショックなのだか。
「読めませんけど……数値情報で」
「……ふん、生意気な」
「でもそっか。だからリゼカですか」
「気に入らないのなら改名してやる、今日からお前は名実ともに唯のゴミだ!!」
「そうは言ってないだろ!」
文句を言いたいのでは無いとガキは言う。
何でも出来るあんたでも間違うことがあるんだ。片割れ殺しの混血だって人間なんだと思って安心したんだ。俺と同じだと思って嬉しかったんだ。言われなくても伝わる、まっすぐ過ぎる感情の色。自己憐憫の延長で崇められる趣味はない。崇めるならば俺を見ろとにらみ返した瞳が揺れる。その目には、不機嫌そうな俺が見えていた。
「あんたが間違ってくれたから……俺は」
唯の数字という呼び名ではない。それは確固とした存在、誰かでは無い自分を手に入れたのだとあいつが俺に告げるよう……
「……ヴァレスタ様」
とても嬉しそうに、あいつは俺を主と呼んだ。あいつの方から俺に近づいて目の前に立つ。もう鎖などなくても、自分はここへ帰るとその目が俺に言っていた。
首輪に残る、もはや飾りのように短い鎖が……猫に付けられた鈴のよう、軽やかにシャランと鳴って涼やかに。あいつは俺を見上げていた。見つめていた。それは今日まで、途切れることなく……
*
(あの、馬鹿犬っ!)
何を恐れているのだろう。何を取り乱しているのだろう。理解はしても納得できない憤りに苛まれ、ヴァレスタは壁を殴る。
飛ばされた場所は、そう遠くはない。瓦礫まみれの西裏町。そこで崩壊を免れたらしい謎の地下室。
「……ここは」
あいつが無意識に飛ばした場所。安全だと思った場所。ああ、理解した。ここはSUIT共が以前、拠点として使っていた酒場の地下だ。
この俺を裏切ったあの洛叉のテリトリーだと思うと、気分が悪いが……辺りから生きた人間の気配はしない。敵の拠点が安全とは妙な話だ。
(いや……そうも言っていられない)
それは西の人間が居ないと言うこと。化けの皮が剥がれた俺がここに居るのは安全とは言いがたい。グライドの声が何処まで聞こえているか。ハイエナ共に俺の正体が知れ渡れば、
俺が東に返り咲くには、グライドの一件をどう収めるか。彼が俺を陥れるため、権力を望んで俺を混血などと公言したのだ……そう説得できれば一時的には事を収められる。
(だが……)
それが嘘だったとしても、一度植え付けられた疑念……情報はどうにもならない。それこをオルクスの力でも借りなければ。
「ふっ……」
何を馬鹿げたことを考えている?もう解っているだろう。冷静になったつもりで、まだ血迷っているのか?我に返って考えるのは、叶いもしない絵空事。自ら殺した男の手を借りねば解決できないこの事態。もはや俺の夢は破れたのだと、目を覚まさなければならない時だ。
(俺は……)
王になるために作られた。王になるために生まれ、そのためだけに生きて来た。
もはや王ではない、そもそもなれるはずもなかったこの俺が何故生きている?
(リゼカ……)
何故、俺を生かした。民の一人も居ない王など……あまりにも、惨めで無様だ。そんな耐えがたい屈辱を、この俺にお前は送るのか?
離れたあの子供を恨めしく思う。そうして思い出すのは奴の目だ。いつも俺を見ていたあの……星の宿った二つの目。玉座なんか無くても、お前は確かに王なのだと……あの目は俺に言っていた。なぜなら貴方の民はここにいる。いつも、何時だって、貴方の傍に。そう……言っていた癖に。
「……馬鹿が」
それは誰に向かっての言葉だろう。自分でももう解らない。どうでも良かった。それでも一つ、思い出した。常々俺が他人に言い聞かせ、自らも大事に守ってきたことのこと。
(リゼカ……お前は俺を王と言うが、俺は商人だ)
商人にとって大事なこと。それは信頼。その信頼を生み出すのが、約束だ。一度交わした約束は、どんなことでも守らせる。そして守る。どんな薄汚れた場所であっても、商いをする以上守るべき掟はある。それこそが、金を生み出すためのシステムにして魔法。
(お前が傍に戻るまで、俺は王に帰れない)
ああ、くだらないな。馬鹿げている。俺はこんなことのために生きて来たはずではなかったのに。頭の中で、俺が俺を嗤っている。そんな俺を一瞥し、俺もそいつを嗤ってやった。
それは時に金であり、それは時に時である。時は金なり。それが俺の数術代償。
金を投げ出せば、時を贖える。僅かの間だが、時間を止めて俺だけ動ける。敵の一撃を避けることくらいならばそれは容易い。
俺は音声数術など持たない。即座に数式を発動させる芸当はないが、これを使って詠唱展開時間を短縮し、リゼカを庇った。今からするのはその逆のこと。
金とは何か。それすなわち、セネトレア王国……この国における万物。時間数術は、俺が生まれ持つ真なる才能。それを死なずに扱える人間など、この世に俺を置いて他にはないだろう。俺と同じ色を持つ、あの殺人鬼だってこの技は使えない。
勿論メリットだけではない。ロイルを逃した後の俺が、Suitを逃してからの俺が、こんなにも時間を消費したのもその弊害。
時間数術は、俺から時間を奪う。その時間を埋めるためには金が必要。俺は金があったからこそ、目的までの遂行時間を消費するに数式を置き換えた。だが、本当の時間数式は……時を止めるだけではない。これは神の領域に触れる禁術だ。使えば教会を、シャトランジアを敵に回す。だからこそ、身を潜めていた俺はこれを使わずに生きて来た。
(王は人にあらず。されど神には至れない)
ならば俺は、商人とは何か。それは人だ。己の欲望をどこまでも追い求める人の姿だ。俺は混血だ。だが化け物ではない。俺は人間だ。これを使ってそれを認める奴がいるなら……それは、もはや俺には……あいつだけなのだ。
(無駄なことだ。意味など無い。死体の数が増えるだけ)
それでもカードの力を注ぎ込む。数術使いにコートカードを与える恐ろしさをとくと知れ。俺は全てを手にした男だ。
巻き戻すは、時間。空間転移では意味が無い。あの数術は俺の適正との相性が悪い。
だからこの方法しかない。
俺はあいつの傍へと戻る。そして一発蹴りつける。俺を王と崇めるのなら、最期まで俺から離れるなと命令してやる。最期まで、俺を王で居させろ。そうだ……お前が先に死んでは俺は王では居られない。
逆戻りで再び壁へと触れる俺の手。消えていく数式。移り変わる景色が俺を東へ誘った。
「リゼカっ!!」
叫んだ言葉、道に転がるあいつに届いているだろう。すぐ傍に、戻ったんだ。寿命を何年もすりつぶしてあの直後に駆けつけたのだ。抱き起こせばまだ、暖かい。生きた血の通う温度だ。
それなのに何故……お前は、俺を見ていない?空っぽの空洞は、俺が穿った穴だ。俺が那由多王子を陥れ、その目を心を抉ったように……報いは深淵は、あいつの身体を借りて俺をじっとのぞき込む。唇一つ動かさず、俺の名を呼ぶこともなく……事切れたリゼカがそこにいた。
俺を見ていた目が点…いつもそこにあったあの色が……もう俺を見ていない。
何故今はどこにもないあ?どうしてお前は動かない?遅すぎた。もう一度だ!
寿命を削り、俺は再び時間数術を紡ぐ。詠唱のために酒場から拝借してきた金を用いることも忘れない。それでも駄目だ。こいつの生きていた時間まで、巻き戻せない!
「この俺が……お前の主が命令しても、何故お前は!!」
足音がする。破滅の足音が聞こえる。時間が来たのだ。理解した!だが解らない!!
今まで俺だって、何度だって同じ事をしてきたじゃないか。それなのに何故、こんなに腹立たしい?
「星入り石榴石の瞳か!こいつは高く売れるぜ!」
通りの向こう……戦利品を漁るハイエナ。宝石のようなその目を、俺の物であったそれを汚らしい手で触れている。断じて許してなるものか。得物を抜き払うその音で、奴らは俺にも気付いたのか大金を前に舌舐めずりし、にたりと醜い笑顔を浮かべて笑う。
「おいおいまだ金緑石の獲物が残ってるぜ!はしゃぐのはそれからだ」
得物だと?純血風情がこの俺を狩ると言うのか?嗤わせるな!!
「良い度胸だな、愚民共」
混血狩り共を睨み付けても奴らの動きは止まらない。囚われた那由多王子と同じだ。相手の恐怖が欲に負けている。連中の金への欲望を前に、俺の凶眼は通じない。
(っち……)
燃やす高級紙幣一枚で、一匹の拘束時間何秒稼げる?あの店からかっぱらってきた金でそれは足りないだろう。相手の数は十五程。大がかりな数術を使えば追っ手の数は増えていく。剣でやりあう他にない。
(いや……まだだ)
空に渦巻く数式は、あれが残した最後の力。切り札ならば、俺にもあった。
「このセネトレア王の物を奪った罪……贖ってもらおうか!」
*
東裏町の長であるあの方が、唯一やらない仕事が一つある。それは金貸し、金融業だ。
「ちょっと、意外です」
「そうか?」
「はい」
「だが、君なら意味が分かるだろうグライド?」
「ええ、割に合わないから……、ですよね?」
「ああ。金貸しは良い商売とは言えない。不用意に人から恨まれるし、舐められれば踏み倒される。実に面倒な商売だ」
僕を助けた一件で、東の金融業をも手中に収めたヴァレスタ様は、それをどうしたものかと持て余していた。
「君が、やってみるか?」
「え?」
「金貸しに苦しめられた君だ。君ならば連中と同じやり方はしないだろう。グライド……君の才能を私は信じている」
「あ、ありがとうございます!!」
顔が真っ赤になるのが解る。憧れのヴァレスタ様からの信頼を僕は受けたのだ!
それから僕は考えた。人から恨まれず、尚且つ商売として利益を上げて行くにはどうしたら良い?
「ふむ……なるほど」
「いかがでしょうか?」
「……gimmickが東裏町の金融業を独占し、返済意思のない顧客ははなから切り捨てる。善良かつ、返済意思のある顧客を選別し商売を行う。定期的に顧客と対話をし、返済が困難になれば此方で仕事を斡旋し、無理ない返済を促す……か」
「はい!返済が難しくなった場合も、組織末端や混血狩りとして雇うことで、返済が容易になるかと」
「その、対話とやらで混血至上主義を少しずつ教え込む……か。悪くない。金に困れば誰かしら、人は憎みたくなるものだ。鬱憤を晴らす場を与えてやるのも一つの手。そう簡単にはいかないだろうが、軌道に乗れば組織はますます大きくなる。やってみろグライド。お前に任せよう」
「は、はい!」
あの人が“私”というのは、仕事の場。僕を“君”と呼ぶのも仕事の話。自身を“俺”と語り、僕を“お前”と呼ぶ時は……それはあの人の素の言葉。それに気付いてから僕は、あの人の言葉一つ一つを注意深く見守るようになる。
(僕は知ってる……)
あの人の声の響き。それで貴方が何を考えているか、大体解る。機嫌が悪いとか、悪くないとか……困ってるとか、喜んでるとか。
僕が聞くあの人の声はいつも穏やかで……優しかった。あの人はいつも嬉しそうだった。僕を従えていることであの人は上機嫌だった。僕はそれを、僕が純血だから……あの人が純血を側に置くとが好きなのだと思っていた。
(でも、違う)
あの闇医者と同じだ。あの人はタロック貴族だった人。そして僕の本当の……父さんも。あの人は、僕の正体を……混血の悪しき力で見抜いた上で!僕を隷属させることが楽しかったのだ!奴は僕の誇りを辱めた。混血に縋ってまで生きたくないと言った僕を、混血である自身に縋らせるのは、どんなに気分が良かっただろう。
(僕の命なんて惜しくない!あいつを殺せるならっ!僕はっ!!)
自身を追い立てる思いは怒り。膨らませるのは責任転嫁の罪悪感だ。もう他にどうしようもない。傷つけられた心は、あの男の死を願う。
(僕は、フォースを殺したんだ!それなのに……っ!)
親友を死なせてでも、守りたかった貴方。ヴァレスタ様に裏切られた。身内でもない、混血でもない。だから僕だけ信じてもらえていなかった。その悲しみが追い風となり牙を震う。
(殺してやる!殺してやるっ!殺してやるっっ!!!)
それだけが目的で、それこそが全て。この先もこの後も何も考えられない程刹那。配下もあの令嬢のことも忘れて自分だけで突き進む。
(追いついたっ!!)
狭い路地裏。そこから感じる禍々しいまでの凶悪な数式。やっと見つけたあの赤毛。すぐにその名を呼び飛び込もう。そう思った僕に届いた、下卑た笑い声達。
「星入り石榴石の瞳か!こいつは高く売れるぜ!」
彼らの言葉の意味、それを理解するまで時間がかかった。あの混血が、リゼカがすでに死んでいる。誰に殺された?傍に居たカードはあの人だけだ。
(あの人が、あいつを殺した……?いや、違う)
この、辺りに残る数式は対人数式ではない。目の前の人一人を攻撃するようなものではないから、それは考えられない。そう、これは無理をしすぎて自爆したような……
気がかりなのはそう……あいつの傍に居た精霊の気配すらない。
(さしずめ自滅したところを、混血狩りに見つかったのか?)
混血が脳死するほどの凶悪な数式。第二島で起こした水害よりも恐ろしい津波を望む式。未完成に終わって良かった。その数式が向かう方向を見るに、その攻撃が通らない方向。其方にあの人を逃がしたのだろう。
(馬鹿な奴)
命知らずめ。自分には出来ると思ったのか?混血だからってお前が特別なわけでもないのに。才能は姉だという少女にも劣るという話じゃ無いか。回復しか能がないって、あの人だって馬鹿にしていた。純血の僕の方がよっぽど数術も優秀だって。
(いや、そうじゃない)
あいつは、解ってたのか?死ぬかもしれない。いや、死ぬと確信した上で……あの人を守ろうとしたのか?どうして……?
答えを探し始めた僕の眼前に現る、感じたことも無いような数式。気持ちが悪い。肌が震える。本能的な恐怖を呼び覚ます、あってはならない数式だ。あんな恐ろしい、素晴らしい式を作れる者が人間であるはずがない。
(ば、化け物!)
恐ろしさから泣きながら、剣を構える。だけどそれ以上、僕は一歩も動けない。あの人が……奴がやって来る!!
「リゼカっ!!」
目の前に広がる、銀色の髪。嗚呼、とても綺麗だ。僕はこの世の奇跡をそこに見る。綺麗すぎて泣けてきた。悔しさから奥歯が鳴った。僕はこの人に、信じて貰いたかった。今だって信じて貰いたい。混血が大っ嫌いなのに、貴方を憎んでいるし許せないのに……僕はまだ、貴方を嫌いになれていない。だからもっと、この人が憎くて憎くて堪らなくなる。
「おいおいまだ金緑石の獲物が残ってるぜ!はしゃぐのはそれからだ」
「ふっ……終わらせてやるっ!」
僕を一度も振り向かず、あの人は剣を手に取り走り出す。
(あれ……?)
おかしい。何かが変だ。目をこらした先……地面にはすでに、今のやりとりの前に倒れている混血狩りがいくらか居る。残っている混血狩りは二人だけ。それが見えないあの人ではないだろう。
あの切り口、リゼカではない。この人が殺したのだ。
その、時刻が合わない。この人は未来に……地に伏せた奴らを殺しているが、死体の死亡時刻は今より過去だ。あれは、禍々しいだけの空間移動ではないのだ。言うなれば、生きている人間だけを過去に連れ戻したかのような……死んだ者を生き返らせることが出来ない、不完全な時間数術?
(ヴァレスタ様……)
貴方は僕を見ていない。あいつの目を奪った奴らを睨み付けている。貴方は何をそんなに怒っているの?こんな恐ろしい技を使えるなら、もっと何でも出来るでしょう?あいつが死ぬ前まで戻ればいいじゃないか。僕が貴方を裏切る前まで戻って……もう一度僕を欺してくれれば良いじゃ無いか。どうしてここに帰るんですか?僕が帰りたいのは……貴方と同じ、今じゃないのに。
(……あれ?)
あの人の攻撃が外れる。あんな三下相手に何を手こずっているのだろう。様子が変だ。まるで、見えているはずの物が……見えていないような。
「ヴァレスタ……さま、貴方は……」
嫌な予感だ。ぐっと目をこらして集中して……僕は辺りの情報を読み取った。そして僕は真実を知る。
「ひぃいいいい!!!」
ヴァレスタと戦っていた男が悲鳴を上げる。それはそうだろう。これから目玉をほじくり返してやろうと思っていた相手の目が、自分の知らないうちに無くなっているのだから。さっきまで睨まれていたはずなのに、相手の両目が消えたんだ。それは悲鳴も上げるだろう。
(貴方は……二度、巻き戻したのか)
それは最低でもという数。一度はここへ来るために。もう一度、それ以上は……あいつを傷つけた奴らを、一人残らず殺すため。もう、見えていないのに。貴方という人は……。僕はもう、自分がどうして泣いているのかも解らず、憧れた人の最後の姿を瞬きもせず見つめるばかり。
あの人から感じる弱々しい気配。消えかかった数値の光。この人は、疲弊した。多くのカードと戦って、力尽きているのだ。そこにこんな無茶苦茶な術。完璧な貴方のすることじゃない。その理由を突き詰めれば簡単なこと。貴方はここにしか帰れなかった。足りなかったのだ、貴方の数術代償が!貴方の望む時間まで、それは届かなかったのだ。
(ヴァレスタ様……、貴方は)
命を失うことを知って、貴方がここに戻った理由。それはきっと“約束”なんだ。リゼカが貴方を守ったのだってきっとそう……。
あいつが羨ましい理由が今更分かった。僕は貴方と……こんな約束をしたことがなかったんだ。僕は貴方から約束の言葉を引き出すようなことをしなかった。貴方のために何でも解決してきたから……貴方の手を煩わせるようなことをしなかったから。貴方に取引を持ちかけなかった。なんてことだ。貴方に仕えていたのがあいつで、これじゃあ僕が……奴隷じゃないか。
(僕は……僕は)
僕の心は貴方に服従して、それで満足していた。だからもう一歩……貴方に近づきたいだとか。貴方の真意を知りたいだとか、貴方を理解しようとしてこなかった。僕は貴方に仕えることで、必要とされている自己満足に浸っていただけだ。
(僕は、貴方が大好きだった……大好きに、なりたかったっ!!)
フォースがSuitにするように、唯その人を……その人として敬愛できたならどんなに良かったか。僕は後悔しないように道を選んできたはずなのに、今となっては後悔ばかりだ。幾度となくフォースから差し出された手。それを拒絶せずにいたならば、僕はこんなものを見せられずに済んだのだろうか?飛び出してももう遅い。僕はそれを知っている。
「っ、あ……ぐぁっ」
かと思えば見えない物が見えているのか?相手が何処に避けるのかを理解して、着実に攻めていく。とうとう、盲目の貴方が手下の男を仕留めた。あと一人!そこで貴方は背中から刺される。コートカードのはずの貴方が……こんな、カードでもない男の手に掛かって死ぬ?
だけど目のない貴方が不敵に笑う。いつものように優雅な笑みだ。
「がっ……」
場を仕切っていた破落戸の長が、突然口から血を吹いた。あの人が刺される直前まで戻り奴の首を掻ききった。唯……避けるまでの寿命を、あの人はもう持っていなかった。
「ヴァレスタ様!!」
叫んでしまったその声に、あの人は誰を重ね見た?僕に微笑む様子と違う……不機嫌そうな、仕方なさそうな……それでも満たされた笑みで土へと倒れる。
「ヴァレスタ……さ、ま……」
貴方の瞳がどこにもない。混血狩りの戦利品の中にもない。そういえば、オルクスが混血の瞳は触媒と言っていた。この人は最後の切り札として……それを使ったのだろうか?
「化け物……か。ふ、あはははははっ!!」
泣きながら、僕は事切れたその人を抱きしめる。
こんなとんでもない数術が使えるなら、貴方は僕を殺せただろうに。貴方はそれを……リゼカを助けるために、復讐のために使った。僕を殺さなかったこの人は……僕を殺せる力があったのに、殺さなかった。
(ごめんなさい……ごめんなさい、ヴァレスタ様)
信じていなかったのは、愚かだったのはこの僕だ。
「グライド様……」
雨に濡れて泣く僕に、差し出された手があった。彼だろうか。顔を上げた先には、金髪の少女が佇む。僕を傘へと招きながら彼女が悲しそうな目で笑う。
「エリザ……、さん」
僕がその手を取れぬまま……彼女に遅れ、駆けつける配下達。彼らはその場の凄惨な様子に歓声を上げ僕を讃えた。
「おお!混血の頭を仕留めたのですね!!流石我らのフィルツァー様!!」
「おめでとうございますフィルツァー様!」
「東の英雄、フィルツァー様万歳!」
僕にはそれらの言葉が、呪いの言葉に聞こえて仕方ない。耳をふさいでここから逃げ出したい気持ち。それでもそうしたなら、彼らの亡骸がどうなるか解らない。赤い目に涙を留め……この場を指揮するしかないだろう。
(僕が……混血だったなら)
はじめて僕は、そんな言葉を思い浮かべる。もしも貴方のように、最後に時を巻き戻せるなら。僕はもう一度帰りたい。貴方の傍に、彼らの傍に。
僕が再び手にした幸せを、僕はこの手で壊してしまった。混血でも、貴方が好きだと……尊敬する気持ちは変わらないと、どうして言ってあげられなかったのだろう。貴方はそれを望んで……僕を傍に置いていたのに。
ヴァレスタの数術は聖教会の禁忌、時間数術。本編①でフローリプの死因となった忌むべき数術です。
目的までたどり着くまでの時間。つまりはもろもろのリアルラックに関わるのが時間。それを縮めるには金が必要。
でも戦いで有利に立つにも金が必要。金を使って時間をほんの少しだけ止めて自分だけ動ける。
最期の技は、自分の時間。つまりは寿命を犠牲に時間を巻き戻す。ある意味幸福値消費と同じ。それでもエルムに最期の言葉を届けるには至らず、幸せな死を与えてやれず、死に目にも会えず。
寿命10年消費して巻き戻せるの1分とかだったんだろな、きっと。
gimmickメンバーはそれぞれ思い入れのある子達なので、丁寧に死を書いてあげたかったけど、毎回難産。思うように文章が書けない。遅筆になるのは愛故です。