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30:Perfer, obdura.

 まずいな。洛叉はそう思う。不安なのはアルムのことだ。爆発的に膨れあがった数術気配。それを追ったが見失う。恐らくは、数術結界を張られた。それが移動しながら戦っている。


 「鳥頭、それを貸せ」


 そう言えば、アスカも理解しているのか指輪のことを口にする。


 「この指輪か?」


 託された物を握っている間に、何かを感じ取ったのだろう。

 この男に何があったのか。視覚開花が進んでいる。先に別れた時以上に……。それを心強いとは思わずに、厄介だと思う自分の勘は正しいのだろうか?解らない。しかし今のアスカは先程よりは落ち着いている。まだ、まともそうには見える。だから話す気になった。


 「ああ。この触媒には制限が掛けられている。トーラによる物だ。その話は俺もアルムも聞いている。それを破ればどうなるか。覚えていてそれをエリアス様に渡すはずがない」

 「つまり、それだけ進んでるってことか?数術代償が」

 「……可能性はある」


 アルムの数術代償は記憶数。数術を使えば使うほど記憶に不備が出る。身体に異常がないだけマシだろうか?いいや、違う。そうじゃない。戦いの場において、攻撃の……数術の紡ぎ方を忘れたらどうなる?戦う理由がなくなったら?幾ら才能があっても、途端に力を失うぞ。


 「未熟なアルムが東の連中に、触媒無しで勝てるとは思えん。それをアルムに届けなければ……」

 「なぁ、お前。どうしてそんなにアルムを助けたがるんだ?罪滅ぼしか?リフルのためか?」

 「……何故そのようなことを知りたがる?」

 「そうだな。お前のことなんか俺は心底どうでも良い。でも俺はお前を知っている。腐れ縁ももう何年にな?お前はそういう男じゃない。違うか?」

 「……そうだな。俺らしくはない」


 指輪に残されたアルムの痕跡、数術情報。それを頼りに街の中から彼女の気配を探す。トーラの纏っていた数式の見様見真似だが、そう離れていない場所から彼女の数値を掴み取る。

 その刹那っ……前方数㎞先から立ち上る不吉な数字。暗い光を宿す式が、地下から沸き上がり空から降り注ぐ。あれは、水の元素。俺よりはっきり見えるのか、アスカは唖然とそれに魅入った。


 「あの数式は……!まさか、アルム!?」

 「話は後だ。早くしろ!」


 また、見えなくなった。でもこいつは目で数術を追っている。こいつには見えているのだ、俺よりも。悔しいが先導はこいつに任せるしかない。アルムの指輪を投げつけ案内を要請するが、指輪を受け取ってからもアスカは動かない。この大事に何を……あの男、足が地に根がついてしまったのか?そう疑いたくなる程に、微動だにせず雨に打たれる。


 「……アスカ?」


 あの男は何かを思いだしてしまったように、驚いた顔で引き返す俺を見る。


 「ディジット……」


 *


 「なぁ、洛叉」


 アスカは小さく呟いた。気に入らない男の名を呼んだ。それに面倒臭そうに、嫌々相手は振り返る。その顔は冷静に普段通りを演じようとする顔だ。それに倣って俺も何時も通りの親愛なる憎しみを込めた声色で、奴に聞いてやるんだ。


 「なんだ鳥頭?」


 嗚呼、それでもやっぱり違う。こいつだけじゃない。俺だって。こんなにも遅いんだ。

 連戦続きの俺と違って、こいつは殆ど無傷。普段なら俺の方が早く走れるのに、そう思って……苦い思いを押し殺す。


(モニカ……)


 早く、走れるはずがない。彼女は、俺が殺したんだ。でもおかしいのは俺だけじゃない。その理由を考える。


(なぁ洛叉。どうしてそんなに急ぐんだ?)


 珍しく慌てた洛叉の理由は分からない。それでもアルムに対してこいつは責任を感じているようだ。こいつがあの双子にしたことを、そんなに悔いている風には見えない。悔いるとすれば、それは……誰かのためにもアルムは守らなければならないような、そんな強迫観念。こいつは埃沙以外も殺したのか?


(でも、こいつが引き摺るような相手って……)


 そう考えた時脳裏に浮かんだのは、笑うディジットの姿。それが霞んで消えていく。

 目覚めるように、はっきりと。託された指輪から流れ込む情報。ディジットと洛叉は共に残った。それをアルムは、この指輪は見ている。

 それなのに、俺はディジットに会っていない。アルムが大変な時、彼女が黙って居るはずがないのに……彼女が居ない。その答えは……


 「洛叉……お前、ディジットを……死なせた、のか?」


 信じられないと訴える風……情けない声が俺の口から漏れた。けれどあいつは見当違いの方向へと背を向けて、アルムを追いかけようとする意思だけ見せる。


 「先を、急ぐぞ」


 それ以上、雨に濡れた男の背中は何も語らない。それこそが答えだと教えられているようだ。動かないその背を、後ろから叩き斬ろうと思った。それでも手にした得物の鞘が抜けない。


(くそっ……!!)


 殺したい殺したい、この男を殺したい。それでもリフルのために……これ以上俺は仲間を殺せない。だって、あの子が泣くから。俺を怖がるから。そんな自分を嫌がるから。噛み締めた奥歯を震わせながらも俺は耐えるのだ。


 「ディジットは……お前が好きだったんだ」


 絶対こんな男に彼女を渡したくないと思った。その感情を恋だと言い聞かせた時もあった。それでも俺じゃお前に勝てないと、この件に関してだけは思っていたんだ。いつか、家族のように大切な……彼女をお前に奪われる日が来るって、気付いてた。


 「それなのに、よくも彼女を見捨てたな!一度ならず二度も!!」

 「哀れだな。貴様は頭は鳥のように愚かで、その目は節穴か」

 「何だと!?」


 回り込み、掴み上げた奴の胸倉。俺の手を握り潰さんばかりの憎しみを込め、洛叉は俺を睨んでいた。


 「……振られたのは、俺だ。ディジットは俺をもう、待ってはいない」

 「は、何言って……」

 「彼女が選んだのは、俺じゃない。エルムだ」

 「……え?」


 一瞬、何を言われているのか解らなかった。

 その位、あり得ないことだと思った。当て馬にすらなれないだろう、あの子供が……報われたって?そんな馬鹿な……


 「いいかよく聞け鳥頭!俺はリフル様の臣下だ!!故にここにいる!駆けつけるっ!俺の罪滅ぼしや、私情ではない!!あの方がこれ以上の犠牲を望まないことを、俺は知ってここにいるのだ!!」


 惚けた一瞬、俺は奴の投げ技で濡れた石畳に落とされる。背中に尻に、雨水が染みこみ気持ち悪い。そうも言っていられない。

 起き上がろうとする俺に向かって、奴は得物を突き付ける。俺のような躊躇いもなく喉元に刃物を突き付け、奴が問う


 「アスカ!貴様はどうしてここに戻った!?これから何処へ向かうつもりだ!?答えろ!!」

 「俺は……」

 「別行動を取る前貴様が俺に何と言ったか忘れたか?何のために俺は追っ手を引き受けた!?答えろこの愚か者っ!!貴様がアルムの救出に向かうのは、あの方に向き合えないための回り道か!?罪滅ぼしの手柄立てか!?答えろ鳥頭っ!!」


 リフルに会わせる顔がないと、洛叉は言った。今度は俺が同じ事を言いかけた。その言葉を認めないと洛叉が叫ぶ。


(そうだ、俺は……)


 リフルを連れ帰ると言った。それなのに何故……俺はリフルを連れていない?何も果たしていないじゃないか。

 ロイルを倒した。真っ先に会いに行くべきだったろう。追いかける癖に何故逃げる。肝心な時に、大事な人から。そんなことだから鳥頭……そう言われるんだこいつから。

 愚かな鳥め。三歩歩いて忘れるか?それなら歩くな、空を飛べ。鳥には翼があるのだから。奴からそう、叱咤されてしまっている。何て屈辱だ。


 「……おい、変態」


 俺はアルムの指輪を洛叉に投げる。それで奴は理解し頷く。俺の掴んだ情報は刻んでやった。それを頼りに追って貰うしかない。何を迷ってたんだろな。

 俺はアルムなんかどうでもいい。いざって時は女子供だって、見捨てる最低人間だ。それが今更あいつの機嫌稼ぎか?嗚呼、何やってるんだろな。その間にあいつを失ったら俺は後悔するんだろうに。


 「……今度こそ、頼んだぞ」

 「洛叉……」


 プライド高いお前がそんなことを言うなんてと俺は驚く。悔しそうな声じゃない。縋るような声だった。俺の正気を信じたいのだろう。よりにもよってこの男が……そんな醜態を晒すとは、そこまで今の状況はやばいってこと。

 こいつの数術では、ロセッタに連れられ高速移動を続けるリフルの居場所が分からないのだ。解ったところで追いつけない。反対に、剣術頼りの俺があの双子の戦いを止められるはずもなかった。冷静になれば直ぐに解りそうなことを……仲間を殺し仲間を見捨て、混乱していた俺達はこれまで気付けずにいた。


 「精霊無しでも筋金入りのストーカーの魔の手から、リフル様は逃げられまい」

 「言ってろ、性犯罪者」

 「黙れ、神に仇成す変態予備軍」


 別れの挨拶にしては低俗で最低だ。でも……いつものことか。そうだ、何時も通りだ。俺は俺だ。これで合ってる。俺もあいつも、少しは平静になることが出来た。

 今の洛叉なら、アルムを見つけられるだろう。正直、俺は辛いよ。急に見え過ぎるようになったから頭が痛い。アルムの数術は膨大な数式だ。あれが目から入り込んでくるのは視覚的拷問みてぇだよ。脳内で情報処理が追い着かない。見えすぎる奴には辛いんじゃないか?それとも混血数術使いには、普段からあんな物が見えているっていうのか?

 何だって急にあんなに見えるようになったのか。死線を潜り抜けた成果だとは、どうしても思えないのだが。


(くそっ……)


 あっちこっちから数術の気配がする。それが旋律なのだと表現するなら、それを隠そうとする数術から響くのは不協和音。目から脳味噌針でつつかれているみたい。こんなんものの数分でいかれちまうぜ。元々いかれてるとか言うな。


(いや、落ち着け俺)


 自分の思考内で何ツッコミ入れてんだ。馬鹿か俺は。あいつのことになると直ぐこれだ。また興奮してんのか。まずは落ち着こう。

 俺は、目を伏せ視覚情報を遮断する。見え過ぎて困るなら、今はこの判断が正解だ。

 この状態で移動するのは困難だが、そこは耳と肌から感じ取る風の元素を頼りに進む。

 リフルはコートカードだ。元素の加護はない。それでもあいつのいる方向から風が吹いている様な気がするんだ。風もあいつには従う。風を起こすのはあいつだ。あいつも毒使いなら、風上を選びたい。そこにロセッタが気付いていれば風上を取りながら逃げに徹しているだろう。

 ……などと目を閉じれば数術情報ではなく、経験と思いこみから練り上げたイメージで道を辿って居る。結局の所、最後に信じるのは……俺なんだ。あいつを追いかけ続けた俺の直感だ。あいつならどう動くとか、どう考えるかを考える。誰にも負けない。俺程人生費やしあいつを追った者はいないんだ。聖十字の坊ちゃんだってたかだか二年。俺は今年で何年だ?もう十年は過ぎた。

 嗚呼、解ってる。視覚開花が進んだ所で、俺程度の数術であいつを捉えられはしないなら

 こうするしかないのだ。ロセッタは教会兵器を持っている。それでも俺は俺を信じて道を行く!

 洛叉とは別の路地へと走り出し、それでも騒ぎからは離れすぎない。静寂と混乱の裂け目を探す。


(リフル……)


 こうやってお前を追いかけるのは、これで何度目だろう。悲しいことに、これが俺の人生だったようにも思うよ。俺はお前が傍にいないと心配で、どうにかなってしまいそう。お前が居たら居たでさ、お前か別の誰かを俺は憎んだ。

 全ての罪から逃れようと……自害を望んだ俺にお前は、今日から友だと手を差し伸べてくれた。

 それは線引きだったのかもしれない。答えは出ていたんだ。あの日には、もう。あの人の中で、俺は……それ以上には、決してなれない。あの人は罪を犯したどんな俺でもきっと許してくれるけど、俺を幾ら慈しんでも……決して愛してはくれないんだ。それを理解した上で、諦めるか?諦められないか。愚問だな。俺の人生がお前なんだ。お前を諦められないのが俺なんだ。諦めれば、これまでの俺の人生全てを否定する。それは御免だ。


 「守るって……言ったんだ」


 俺自身からさえも、お前を守る。お前とは何時も通りなんて、すぐに戻れないかも知れない。魅了の進んだ俺は危険な状態だろう。それなら全身縛って鎖で繋いでおいてくれても構わない。それでも危ないって言うんなら両手両足切り落としてくれても良い。それなら安心だろ?お前は唯、傍にいてくれれば良いんだ。それで一緒に話をしよう。寿命が、幸運が尽きるまで。眠いなら眠ってくれても構わない。お前の安らかな吐息を聞けば、俺も安心して眠れるだろう。


(ごめん、ディジット……)


 洛叉の向かう方向を振り向くことも、彼女の死を悲しむ暇もない。驚いているのに、悲しいはずなのに……涙一つ出ないとは。薄情な自分に呆れてしまったよ。


(だけど……っ!)


 何か吹っ切れた!そうか、そうだよな。俺ってこんなにも薄情でどうしようもない奴だったんだ。まともな人間で居ようと足掻いた頃のなんて惨めなことか。今はいっそ清々しい程。気負う物もなく、身体が軽い。


(リフル……、俺は)


 今、どうしようもなくお前に会いたい。それで何を言いたいかとか何をしたいかとか、そんなことはわからねぇけど、会って安心したいんだ。お前の無事を確かめたい。どうして離れたんだろうな。結局は誰に任せても任せきれずにこうなってしまうのに。


 *


 スーッと音が引いていく。雨の音も数術の音も、何にも聞こえない。アルムはそれを不思議だと思った。

 熱い、冷たい。わからない。私はその場に座り込み、目に映る物を眺めるだけ。肌に触れる雨。その感覚がとても遅く感じられた。遅すぎて、雨が上がったのかと思った。でもまだ降っている。これから私に落ちてくる。見上げた空は灰色で、降り注ぐのは鋭利な雨粒。私はこれからあれで、串刺しになるのだろう。


(あれ……?)


 そんなことより一つ。気になることがあるんだ。

 向こうで誰かが笑ってる。私を見て、笑っている。赤い髪の男の子。可愛い顔の男の子。


(あの子は、誰だっけ?)


 考える。私は考える。思い出せたのは、一つだけ。


(あの子が、ディジットを殺したんだ!!)


 両目が熱い。心臓が体中の血液を沸騰させるように燃える!心臓が三つあるみたい。両目と心臓がリンクして、私の熱を燃え上がらせる。


 「何!?」


 音のないこの場所で、銀髪の男がそんな表情に変わった。彼には何が見えたのだろう?私には解らない。唯、聞こえるだけ。私には聞こえる。鼓動の音。心臓が三つ?違う……四つだ!!私の心臓入れれば五つ!!みんなの目まで入れたなら、全部で十五個の心臓が鼓動を高めて叫んでいる。

 どくん、どくん、心臓が鳴る。痛いくらいにキリキリ急ぐ。でもそれは私の心臓じゃない。

 埋め込まれた時計みたい。機械仕掛けの爆弾だ。苦しみもがくように、時計達は私の中で大暴れ。

 死にたくない、死にたくないと私を中から叩いて蹴った。その痛みに咽の奥から迸る、私の声が数式になる。


 「あ"、ぐぁあ"ぁあああおああああああああああぎぁあああああああああぁあああっっ!!」


 汚い数式。ごちゃごちゃしていて全然綺麗じゃない。なんだか泥とか血みたいだ。それは私の足下からやって来る。透明な泥は私の身体をすっぽり包み、飲み込んで……


 「土の数術!?」

 「待ってヴァレスタっ!!そんなんじゃないっ!!」

 「腹を狙わないと!!あいつの腹から四つの元素全てを感じる!!見えるだろ!?あいつおかしい!!」

 「……第五元素(エーテル)だと!?」

 「えーてる……?」


 向こうで、赤い髪の男の子が焦っている。そんな顔も可愛いけど、どうしてだろう。死ねばいいのにと思った。

 落ちてくる剣を泥は飲み込み、溶かし液体状に。高熱のそれを泥は吐き出し雨のように打ち付ける。暴れる風に乗せながら、液を矢に変え彼らを襲う。


 「クレプシドラっ!!」


 あの子は叫んで作った水の壁。襲い来る矢を押し流すよう精霊に命じるが、高熱を纏った鋼鉄に水分が蒸発したのか、精霊は掌サイズにまで戻る。

 もう後がない、追い詰めた!次は仕留める!そう決めて、私は笑った。でも、だけど……私は泣いていた。良く解らないけどとても悲しかった。痛いからじゃない。解ってるんだ。だって、何かを忘れてしまった。それだけは強く感じている。


(誰だっけ……?ディジットって)


 単語だけは覚えている。でもそれが何なのか解らない。今の攻撃で、忘れてしまった。それを思い出せなくなったら、私は……今まで抱えていた憤怒の意味さえ解らない。どうして私は彼らを殺したいと思ったのだろうか?

 急に力が抜けてきて、私はその場に膝をつく。忘れたことの代わりに思い出したことがあったのだ。よくわからないけど、お腹が痛い。無理矢理毬栗でも飲み込ませられていて、それがお腹の中でピンボールのように暴れ回っているかのようだ。


 「うぇえええ、えっぐ……ひっく、お腹痛いよぅ……うぁああああああああん!!頭痛いよぉおおおおお!」


 泣いている内に頭まで痛くなってきた。死んでしまいそう。頭の中にも誰かが住んで居るみたい。そして思い切り私という壁を、床を叩いている。ハンマーで!ヒビを、ヒビをっ、ひび割れるまで!!

 私の悲鳴に呼応して強まって行く雨に、赤毛の子が恐れるように私を見た。


 「ば、化け物め」

 「化け物はっ!!おまえ達の方だっ!!」


 泣き叫ぶ私の視界にまた誰かが現れた。茶色の髪の可愛い男の子。その人が憎々しげに見つめるのはさっきまで私が戦っていたあの二人。

 怖い、怖い、怖い、怖い!!知らない人ばっかりで怖い。心細いしあっちこっちが痛い。不安で苦しくて死んでしまいそう。身体は冷たく冷えてきたし、もうお終いだと思った。


 「アルム!!」


 そのとき耳に響いた男の声。酷く安心する声だ。何だかとても懐かしい。


 「先生ぇ"……!」

 「結界を張ったのは彼方か。破ったのは君だな。今の混乱に乗じて逃げるぞ!」

 「う"ん……」


 抱き上げられて感じる薬品の匂いに、ほっと私は安堵する。


「ヴァレスタっ!こっちだ!!」

「何度も何度も、逃がすかっ!!」


 空間転移を紡ぐ寸前、茶髪の子の剣が赤毛の子を掠った。流れる赤い血液に、どくんと私の鼓動が鳴った。刻むことを忘れた時計が、最後の最後でもう一度だけ針を進めるような音。遠い昔のことを懐かしむように、一度だけ鈍く、深く。


(あの子は、誰だっけ?)


 どうして憎んでいたんだろう。目を瞬かせ消えゆく彼を見つめると、彼は泣きそうな顔で私を睨み付けていた。


「くそっ!……座標はS区画、十五番地周辺っ!直ちに陣形を整えろ!」


 茶髪の子は私達は眼中にないらしい。血眼であの二人を追いかける。茶髪の子を追うように人の気配が増えていくらしく、先生はそこから離れ物陰に身を潜めると、私に何かを差し出した。それは綺麗な宝石の指輪だった。


「よく頑張ったな。さぁ、これを……」


 先生に指輪を握らせられると、頭の痛みが軽くなる。お腹はまだ痛いけど。


「あの……エリスくん、は?」


 指輪を見ていて、口から零れた名前。その単語に私は冷静になる。とても大事な人の名前だと思った。似ているのだ、誰かの名前に。


「エリアス様は安全なところで君を待っている。落ち着いたら戻ろう」

「うん」


 ほっとしたからだろうか。ボロボロと涙が溢れる。


「ね、先生……さっきの子、誰?」

「……知らない子だ。アルムの知らない子だよ」

「ほんと?」

「ああ、本当さ」


 先生は上手に笑う。本当にそうみたい。あの子が私を睨んだことも気にしなくて良いっていう風に、先生は私の頭を撫でてくれる。それでも次の問いかけには、先生の顔も強張った。


「それじゃあ先生……ディジットって、何?」

「それは……大事な人だよ」

「誰の?」

「……誰の、だろうな」


 それは私の?先生の?それとも他の誰かにとって?どんなに考えても、私には思い出せなかった。


 *


「ふふふ、今日も良い天気じゃのぅ!」


 刹那は顔を綻ばせ、にたにたと城下を見下ろした。

 セネトレア城から見る窓の外、なかなか面白そうなことになっている。東と西の裏町が争っているとかで、西は壊滅状態。東にも怪しい数術の気配がある。


(那由多の仕業か)


 東とつぶし合ったなら、次は城に仕掛けてくるだろう。壊滅したと思わせてまた、自分の生死を偽り私を狙ってくるであろうな。


(妾が直接遊んでやっても良いのだが……)


 此方も此方で忙しい。私の読みが当たったら、もう暫くでカーネフェルが私の国に攻め入るぞ。まぁ、そうし向けているのだからそうならなければつまらない。


(それに……)


 私はあの猫を、そろそろ殺したいのだ。理由は単純、至極解明。唯単に、苛ついたから。


(そう、気に入らんのだ)


 何故だかとても苛ついた。あの女が他の男を見る目が気に食わん。

 言葉遣いも態度も粗悪、胸なんかあってないようなもの。顔だけ私に似ていても、普段女なんか捨ててますって顔してる癖に。ちょっと男に優しくされたくらいで絆されて、女々しい顔。あの猫、死ねばいいのに。


(お前のそういう目は醜い)


 なまじ、私に似ているから嫌だ。私はあんな目で顔で男を見たりしない。私と同じ顔で女の顔をするあの女が嫌いだ。あの猫は、常に私を見ていなければならない。殺意の宿った目で私を見つめなければならない。その瞬間にこそ、心は躍る。

 殺し合う関係だったはずなのに、いつの間にか私達の間に流れる空気は柔らかい物になっていた。ぬるま湯みたいで気持ち悪い。その温度に少しでも浸りそうになった自分が気持ち悪い。吐き気がする。だから、これじゃ駄目だと思った。


 “馬鹿姫!”


 そう言うあいつの目は、親しみを持ち、その声は私に対する愛しささえ感じさせる。執着が形を変えていくのだ。断言できる。あいつはこの私に惚れている。私はあいつを殺しても良いのだ。賭けは私が勝ったのだ。だからこれは当然の権利だ。だから逝かせる。

 トライアンフとラハイアを殺したのは、私のあれに対する嫉妬ではない。私達の間の空気を変えるため。猫とのなれ合いなど不要。私はそう思って殺したのだ。自分だけ被害者ぶるか?笑わせるな。私にとっても大損よ。

 食ってみようと思っていた男をやる前に殺してしまったし、やっぱり一回食いたいなぁと思っていた聖十字もやれずに殺してしまったし。さすがに私も死体とやる趣味まではないから困った。

 でも、まぁ良いとしよう。あの猫の目に光が戻った。出会った頃のような輝かしい殺意がそこにある。縛めを解いたらすぐにでも私に噛み付いて来そうね。それはそれで楽しそうなのだけれど、生憎私はまだお前に惚れては居ない。まだ、殺されてはあげないの。

 牢の中、鎖に繋がれた男装娘を見て私は笑う。眠れていないのだろう。元は私に似ていて素材が良いのに、存外醜い。心の底から嘲り笑う。


「ぶはっ……っく、くくく。ふむ、随分と面白い顔をして居るな、猫よ」

「誰の、所為だとっ!!」

「眠れぬ夜は妾の所為とは?其方も随分と口説くではないか」

「黙れっ!!」

「吠えるな吠えるな。ふふ、この妾を惚れさせたいのなら、言葉だけではなく成果を見せよ」

「何?」

「今外は荒れて居る。東と西が抗争中よ。しかし妾は他に仕事が入って忙しい。故に那由多」

「!」


 私の付けた名前で呼んでやるのは何時ぶりか。びくっと猫の身体が震える。そんなに嬉しいか?そんなに私が好きか?馬鹿な女よ。


(私はお前など、好いてはいない)


 だから、死なせに行く。お前を失った時、私はどういう気持ちになるか。それを想像して気が滾る。何時も通りにどうでも良い?もしかしてぞくぞくする?それとも他の何かだろうか?


(私は、お前を好きじゃない)


 言い聞かせるよう、胸の内で同じ言葉を繰り返す。私の弟に、お前などが勝てるはずがない。お前を拾ったのは唯の気紛れだ。本物の那由多が見つかった今、お前なんか要らない。


「この戦、勝つのは西だ。妾の名をもって命ず。妾の騎士よ、暗殺請負組織SUITを壊滅させよ。それを成し遂げるまで城には戻るな。良いな」

「お、俺が……あの男を、殺す?」

「いい加減妾の庭で遊ばれるのも目障りでな」


 勿論嘘よ。彼は可愛い弟だもの。今となってはこの世で唯一人……私に相応しい、唯一の男。弱いけど、私の弟だけあって頭は切れる。

 私の弟に平民風情の娘が勝てるとでも?お笑い草ね、そんなことはあり得ない。


「供にはトライオミノスを付けてやる。策なら奴に授けた。行かねばどうなるかわかるな?お前の大事な女中姫……アニエスを処刑する」

「こ、この外道っ!!」

「既にアニエスは妾が隠した。場所を知りたくば、生きて戻るしかない」

「くっ……」

「裏町の決着が付き次第、ここから出してやる。それまでしばし、燻っておれ」


 私の哄笑に、ティルトは赤い瞳を燃やすほど、私を強く睨んで見せた。嗚呼、可愛い。ずっと、この眼が見たかったのだ。

 格子を掴み近くで醜い猫を覗き見ると、鎖をギリギリ伸ばし、片手だけをそこまで至らせ私の白い手を爪で傷付ける。本当にこいつは猫だったのか。ならば先日は発情期か何かか?余程男に飢えていたのだろうなこの雌猫は。声を殺して私は笑う。大声で笑ったらこの猫、いい加減泣いてしまいそうだから。


(嗚呼、愚かな猫よ)


 惚れた男を殺してあげて、友になりかけた男も殺してあげて、ここで友人である女中姫を見捨てられるはずもない。お前は今、お姫様を守る騎士さながら、高揚感を得ているだろう。この私への殺意を膨らませて、さも自分が正義であると思い込む。お前は自分の勝利を確信するだろう。何故ならお前が正しいと、お前が信じているからだ。だが、この世はそんなに単純ではない。お前の下らない夢を、私が那由多が叩き折る。


(嗚呼、楽しいな那由多)


 これからこの国を包む阿鼻叫喚。その中に二人の那由多の声もあるだろうか。想像してみて私は笑った。

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