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27: o miseras hominum mentes, o pectora caeca!

 「おいっ!ロイルっ!ロイルっ!しっかりしろよ!」


 信じられなかった。ロイルが動かない。いつもみたいに馬鹿面晒して笑ったまま事切れている。誰がやった?誰が……


(俺だ……)


 手に残っている。こいつを殺した感覚が。

 達成感はない。ひしひしと、絶望のような物を感じている。思い出すのはこいつに挑まれ続けたこの数年間。随分長い付き合いだと思っていた。でも俺が思っていたよりそれはずっと短くて……俺は人殺しの意味を考え始める。

 東で人は殺した。それでも知人を殺したのは……今日が初めて。でもこいつがはじめてじゃない。


 「リィナ……トーラ、ロイル……俺は」


 どうしちまったんだ俺。何やってるんだ俺は。こんなことして、リフルが本当に喜ぶのか?違うよな。俺はそんなリフルに惹かれない。


 「俺が……好きな、あいつは……」

 「ていやっ!」

 「ぐはっ!」


 気配すら感じさせず、背後から上がった声。それは若い女の物のよう。そう気付いた瞬間だ、手刀を打たれて俺は倒れる。普通、この俺がそれくらいで意識を失う物か。こいつ、何か使いやがった。それなら敵か!?でも……東に他に誰がいた?


(なんとか、しねぇと……)


 だけど、動けない。頭がくらくらする。意識が、遠のいて……


 *



 誰かに抱えられている。柔らかくて、暖かい。

 その人は俺の頭を抱きしめて、膝に寝かせてくれている。それは、何処か懐かしい。


(マリー様……)


 目を開ける。誰かが俺を覗き込んでいる。目に映ったのは真っ暗闇。


 「……リフル?」


 黒と聞いて思い出すのは、あいつのこと。黒い服装を好むようになったリフル。暗殺者として夜に溶け込むためだろう。上を向けば白い肌が目に入る。それでもそれは、リフルじゃない。


(え……?)


 夜を映したような漆黒の髪。それはさながら真純血のタロック人。けれどその瞳は、暗い青に輝く。あいつと同じ紫ではない。それでもその青は奇妙な色合いで、青紫めいて見える瞬間もある。


(こいつも、混血……?)


 東に混血がいるなんて。驚きアスカは息を呑む。


 「きゃああああっ!目を開けるともっと良いっ!!やばい、何これ。ドストライク!」


 笑うその娘はなかなか可愛い。出るとこ出てて引っ込むところ引っ込んでる。だってのに俺の頭が載せられているその太腿はむちむちと柔らかい。そんな蠱惑的な女の子。

 それなのに彼女の目はとても暗い闇を宿していて、何だか誰かに……そうだ。瑠璃椿に似ているんだ。出会った頃のあいつに似ている。そんな子が、俺の頭を抱きかかえている。


 「え、えっ……ええ!?」

 「えいっ」


 女の子は何食わぬ感じで頭を下げて、俺に顔を近づける。や、柔らかい。ってそうじゃねぇだろ!

 お、俺のファーストキスが、こんなよく分からない感じのシーンで、雨の降る東裏町で、見ず知らずの女に奪われるだ何て!ゆ、夢だ。これは夢だ。婆キラーの俺が老婆以外に襲われているんだ。これはきっと夢だ。良い夢……


(そのはずなのに)


 何だこの、得体の知らない……薄気味悪さは。


 「あ、殿下また気絶しちゃった」


 最後に聞いたのは、確か……そんな声。


 *


 「シノ君、止血だ!」

 「おうよ!」

 「神経を繋いだ、そっちを回復!」

 「てりぁああっ!」


 初対面同士。それでも腕の良い助手ならあの鳥頭なんぞよりよほど役に立つ。

 幸い、目は足りた。患者達は麻酔で眠っているが、もう身体的には問題ないはず。


(しかし、混血売買をしていた第三島が……混血を助けるとは)


 第三公の手下達もよく働いてくれた。それは恐怖からだけでもない。彼らはカルノッフェルの手腕を認めている。どんな手を使ったかは解らないが、名前狩りのことさえなければ、カルノッフェルは民にとっては良き領主。名前狩りを止めた今、彼の手下や民達は……飴と鞭が上手く機能している状態にある。


(狂人を、人に戻す……か)


 己の主の力を、改めて恐ろしいと洛叉は思う。人を魅了する力は常人を狂人にするだけではない。今回のように……狂人を常人に戻すこともあるのだと、己の考えを改める。


(リフル様が心配だ。そろそろ俺も彼方に戻るか)


 患者の健康状態をもう一度一通り確認し、全ての治療を終えた洛叉は背後を振り返る。


 「後は安静に、と言ったところだ」

 「そうかい?それは良かった」

 「流石、だな。礼を言わせて貰おうシノ君」

 「まぁね。でもこっちこそ。助かったよ。私はあんまり繊細な仕事は向かないからさ」


 改めて宜しくと彼女は名乗る。名乗った名は運命の輪№9シノワーズ=クルーガー……ロセッタの同僚だと言う彼女。言うまでもなく彼女も教会の裏の人間だろう。

 朗らかに手を差し出す彼女は長い金髪。外見はカーネフェリーの女に見えるが、そんなはずはない。純血にこれだけの回復数術が使えるはずがない。俺にはその複雑な計算式が見えていた。俺は手術は出来ても回復数術は使えない。彼女には回復は出来ても人体構造には明るくない。応急手当程度の知識しかないようだから、協力してようやく患者達の命を救うに繋がった。俺の力だけではおそらく間に合わなかった。


 「それじゃ、私はここに残るよ。第三島の連中……一応見張っておかないとね」


 軽い調子ではあるが、悪人がそう簡単に心を入れ替えるものかと彼女は疑っている。それも一理ある。俺は後のことを彼女に任せ、波止場を後にした。やがて俺が東裏町を進む内、とうとう雨が降ってきた。俺がアスカとここに来たころは静かだったというのに、今は何やら騒がしい。隠れ潜んでいた混血狩りの者が居たのか。


(ならば尚更、あの方を捜さなければ)


 雨宿りをする暇などない。物陰に潜み集中し、俺は数術の気配を探る。何度か大きな数術反応があった。あれは混血の技か?


(トーラか?それとも……エルム?)


 気配を追うよう向かった俺は、道端に倒れている金髪の少年が目に入る。抱き起こせばそれは見知った顔だ。


 「エリアス様!?」

 「アルムちゃんが……はやく、おいかけ……ないと」

 「無茶を!凄い熱です!」


 雨に打たれていたからか、高熱でたおれたのだろう。咳き込む少年。なんてことだ。数術使いと離れた途端にこれだ。元々エリアス様は身体が弱い。休ませるにも……安全な場所がどこにある?一時期東にいたとは言え、俺がいたのはgimmickだ。組織外の場所は明るくない。


(それに、そんなことをしている……暇があるのか?)


 俺の葛藤を見抜いてか、少年は無理に自力で起き上がる。


 「僕は、いいから……はやく、アルムちゃん、を」

 「エリアス様」


 やはり、似ている。リフル様にこの少年はよく似ている。ここに彼がいたならば、きっと同じ事を言うだろう。だからこそ、俺は……この方を治したいと思ったのだ。そんな彼を捨て置けん。


(くそっ、こんな時にあの回復しか脳のない鳥頭が何処かに転がってやいないものか)


 やるせなさから俺は、ちっと舌打ち。睨み付けるよう見上げた雨雲。その端、屋根の上に何かが見える。黒服に金髪ロン毛、暗殺者としてやる気があるのか無いのかよく分からないその男。微弱な数術反応。それでもそれは、まだ生きている。

 傍にあの方は居ない。


(何故貴様がこんな所で倒れている!いや、何を眠っているんだ大馬鹿者がっ!)


 俺は怒りで、血管が何本か切れそうだ。震える俺の意味が分からず、エリアス様が可愛らしく瞬いている。


 「洛叉?」

 「エリアス様。しばしお待ち下さい。今、何とかしますので」


 あの鳥頭も東にいた。俺より地の利はある。エリアス様の保護と回復補助を手伝わせ、それから……


(ああ、まだやれる)


 俺は己の幸福値を確認して頷いた。俺には触媒が……


(ん?)


 おかしい。元素が増えている。辺りを見回す俺は、傍らの少年を見た。元素反応はそこからだ。


 「エリアス様、それは?」


 少年の指には、指輪があった。



 *



 「あ、殿下また気絶しちゃった」


 私の声に、はぁと溜息を吐くような通信音声が脳内へと響く。


 《ノーチェ。解ってると思うけど……》

(嫌だなぁ、解ってますって神子様っ!でも神子様だって解ってますよね私の力!)


 だからここに今回派遣されたのだと聞いた。


 《……まぁ、そうですが、殿下には刺激が強すぎるのでもう止めてあげて下さいね。彼、ファーストには物凄く理想持ってる気持ち悪い殿下なんですから。今のが現実だと知られたら、君殺されますよ殿下に》

(なにそれっ!素敵っ!)

 《……うん、君ならそう言うと思った。でも君の能力的にも二度目は駄目だろう?》

(はーい。でも今ので事後処理の方は完璧です)


 神子様の精霊の力で記憶を奪っても、フォローは必要だ。記憶という物は幾重にも伸びた細い枝状の物が結びついている。消した記憶だって、そこに近い記憶に影響されて甦ってしまう可能性はあるのだ。そこであの変態爺と№1に連れられて、この私が派遣されたと言うわけね。


(レリックの後釜とは聞いていたけど、こんな美味しそうな男がいたなんて!セネトレアなんて基本中古男しか居ないと思ってたのにぃっ!)

 《ち、中古……》

(真純血のカーネフェリーっ!しかも王族っ!目付き悪いけどそこそこイケメンっ!ガチで殺したいほど愛してくれる系だなんてモロタイプっ!……って、あれ?どうかしました神子様?)

 《い、いや……何でもありません。兎に角ですね、ノーチェ……いいえ、№15ノクス》

(ほいほいさー!ははーっ、聖下様なんなりとー)

 《いや、君……いい加減これが任務なんだって理解して》


 だから君をセネトレアに送りたくなかったんだと神子様は溜息を吐く。それでも事後処理に長けた私の力が必要なんでしょう?もう素直じゃないんだからー。この、このぉっ!


 《ラハイア、ラディウスが死んだ今、ソフィアとクルーガーだけでは人員不足。そろそろ魅了レベルが精神的に危ないレベルに達した殿下のフォローは必要。解りますね?》

(それは解りますけど)


 時が来るまで那由多王子を死なせるわけにはいかない。彼なくして、タロックを落とすことは出来ないのだ。その間、アスカニオス殿下に暴走されては私達としても計画に狂いが出る。だから殿下を上手いこと懐柔しなければならない。これも事実。


(でも……)


 相手は変態殿下って聞いていたのに、私が思っていたよりいい男じゃないの彼!


(素敵っ!ああ、美味しそう……じゅるり)

 《あのさ君……本当に、仕事に意味……解ってる?》


 舌なめずりをする私に、心配そうな神子様の声が届いた。神子様がここに№3ではなく私を送り込んだってことは、私の能力が必要だってことでしょう。それに彼女がソフィアと同じ所に来たら、たぶん任務にならないから。私の役目が大事だって事は解ります。


(そこは問題有りません!私、趣味と任務が一致した以上、今回ばかりは手は抜きません!!)

 《うん、何時も抜かないでね》

(きゃっ、神子様ったらー!人が悪いですわ!いつも私好みの男の所に派遣する癖にぃっ!)


 まぁ、悲しいことにそんな私の恋が長続きしたことはあまりないのだけれど。今回くらいは上手く行って欲しいものよね。だってきっと……これが最後なんだから。


 「イエッサー神子様!運命の輪№15!ノクス=メディアノーチェ!これより任務に入ります!」


 殿下の恋は災いだ。その狂気は世界を滅ぼす。だから世界平和のためにも、殿下を私が魅了しないとね♪


(うんうん、これも世界平和のためなのよ)


 寝そべる彼の寝顔をほぅと見つめて、私はその場を退散する。此方に向かってくる気配には、気付かれることなどない。純血なんかに私の足を掴めるはずがないんだから。


 *


 「いい加減起きろ鳥頭」

 「ぎゃああああああああああっ!……って、洛叉?」


 突然蹴られて飛び起きる。俺が感じているのは雨の冷たさ、それから僅かな痛み。


 「お前、俺を解毒したか?」

 「そんな義理俺にはないが」

 「だよな」


 大怪我をしたはず。それが今、闇医者に蹴られた痛みしか感じない。傷が塞がっている。毒も無い。そもそも洛叉には回復数術は使えない。


(じゃあ、誰が俺を回復……)


 なんだ?何かを忘れているような気がする。リフルに対して、酷く申し訳ないような気持ちになった。それは何故だ?


(俺、何したんだっけ?)


 服は血まみれだ。どこまで俺の物で、どこからが返り血なのかも解らないが、肌に触れる濡れた感触は雨の所為だけでもない。雨でも洗い流せない……血の匂い。その中に甘い香りが漂っている。


(これはリフルのゼクヴェンツ……?)


 あいつの屍毒、血液だ。そのことには闇医者も気付いているのだろう。いや、こいつにはもっと多くの情報が見えているようだ。


 「貴様からは貴様以外の血液反応がある。心当たりはあるだろう?」

 「いや、それが……その」


 よく、思い出せないのだ。リフルに対する罪悪感だけは膨れあがりそうなほど。しかしどうにも思い出せない。迷い鳥でロイルと戦って、……こいつと東裏町に来て。


 「こっちでもロイルと戦って……誰かと会って、あれ?」


 俺、何回目を覚ましてるんだ?一回目を覚まさなかったか?

 その時、その前……何かがあって。誰かと誰かに出会ったような。何か夢を見た。夢の中でも夢を見た。でもその内容が思い出せない。記憶が酷く飛び飛びだ。俺の傍に倒れていたロイル。長らく雨に打たれていたのか、触って見るとぞっとするほど冷たい。闇医者を振り返り、俺は彼を呼ぶ。


 「洛叉、ロイルは……?」

 「……これはもう無理だ」


 半ば呆れるように、奴はそう断言する。そんなことも解らないのかと言わんばかりに。

 その傷口と俺の得物の様子から見て、犯人は俺で間違いがない。手に、奴を殺した感触、感覚もしっかり残っている。

 だと言うのに罪悪感がない。それよりも……悪い夢でも見ているようで、あまり現実味がない。敵は敵なのだから間違ったことはしていないよなと頷いて、知人の誼で墓くらい建ててやるかと考える。しかし闇医者はそんな暇も与えてくれない。


 「そんなことより、手伝え馬鹿がっ!」

 「え?」

 「貴様の回復数術を使ってやると言っているんだ!」

 「そんなの……ああ、あの子にか。わかった今行く」


 屋根の下、咳き込んでいる少年エリアス。彼は第五島との取引にも必要だ。優しくしておいて損はない。俺は近場の空き家に彼を運んで治療を施すことにした。


 「よし、それじゃモニカ……」


 いつものように数式の手伝いを求め、横を向く。だけどそこには誰もいない。


 「モニカ……?」


 何故だろう。思い出せない。思い出せないが……彼女がここにいない理由。それを俺は知っている。俺の所為だという罪悪感が冷たく強くのし掛かるのだ。

 モニカは元素の塊。血など残さない。それでも……俺の傍から、ピタリと止まった風。優しく包んでくれるような感覚がない。


 「俺は……」


 思い出した。俺は殺した。リィナを、ロイルを、トーラを、モニカを。そしてリフルを……泣かせてしまった。あいつがあんなに震えて怖がって、可哀相に。痛々しく泣きながら……あいつは俺に笑って見せた。許せるはずもないのに、俺の罪を抱え込もうと。


(俺は……)


 俺の幸せを願ってくれたモニカまで、この手に掛けた。暴走した俺が追い求めた歪んだ幸せ。それが間違いだったのだと、彼女の不在に教えられている。

 紡ぎ慣れたはずの回復数術。それがこれまでにない程、困難で……俺は頭痛に襲われる。辛そうな俺を見て、エリアスが言う。


 「お兄さん、これ。貸してあげる」

 「これ、指輪?」

 「うん、ここに逃げてくる途中……アルムちゃんが僕の指輪と交換してって言ったんだ。お守りだからって」


 回復数術のお礼だと、彼は笑う。それでも大事な物だから、後から返してと言われたが……こいつは、触媒じゃねぇのか?しかもかなり質の良い。

 これをエリアスに預けたって事は、アルムは丸腰同然じゃねぇか!


(俺は、どの面下げて……そんなこと)


 仲間のトーラを、昔なじみのロイルとリィナを殺しておいて、アルムが心配だって?偽善者も良いところだ。自分で自分が嫌になる。こんな俺を、あいつが俺と同じ意味で好いてくれるはずがないのにな。俺があいつでも俺は俺に惚れねぇよ。嗚呼、馬鹿みてぇ。

 落ち込む俺の髪を引っ張り、闇医者が冷静に言う。


 「行くぞ、鳥頭」


 しかしその目は焦っている。アルムの危険を察知してだ。


(アルム……)


 リフルはエルムを哀れんだ。俺はアルムの肩を持った。それは……俺とアルムが同じだったから。今ならそれが解る。心の底から。

 彼女は、今苦しんでいる。俺と同じだ。だから力になりたい。助けたい。そうだ。それは……俺が、救われたいから。

 どうすればリフルに許して貰えるのか、わからない。何をしてもあいつは喜ばない。


(それでも俺は、ロイルを殺した)


 カード破りを行った。自分に殺せないカードを殺した。俺はもう、この先勝ち進んでも願いは叶わない。

 だけど、他の奴らは違う。だから、俺がやらねぇと。俺は敵を殺すことでしか、リフルに償えねぇ。それであいつが喜ばなくとも、俺はもう……人殺しから逃げられないんだ。それ以外の生き方も死に方も、わからねぇんだよ。もう……引き返せはしないんだ。



 *


 「え、エルムちゃん」

 「……」


 目の前には誰より憎いあの女。まだ僕の前に現れるか!エルムはギリと目を吊り上げ、憎悪で燃やす。

 今は一刻も惜しい。こんな女に構っていられるか!それでもこんな風に邪魔をされるのもいい加減、もう堪えられない!二度とその目が俺を向かないよう、ここで殺しておくべきだ。幸いあの次期第五公……エリアスも見えない。

 彼は苦手だ。自分の嫌な部分を曝かれる気がして、殺意が鈍る。


(綺麗な目……)


 純血だから、混血だからとかじゃない。僕以上の穢れを引き受けて、それでも許しを与えるあの器。可愛いのは外見だけじゃない。優し過ぎるあの少年は、本当に天の使いみたいだ。


(そう、人間じゃない)


 綺麗すぎて、人間味が無い。リフルさんと同じだ。人間じゃないんだよ。ある意味、神様さ。神様は王にはなれない。人を従えられない。どんなに好感を抱いても、僕は神には靡かない。彼と比べると自分が酷くちっぽけな存在に思える。幼いながらそんな立派な少年を、こんなクソみたいな姉が落としたかと思うと腹立たしさも覚える。


(僕をこんなに惨めにした女が、あんな聖人君子を捕まえて……玉の輿とは)


 それなら最初から僕に惚れなきゃ良かっただろう!?僕に触れなきゃ良いんだ!最初からエリアス様を襲えば良かったんだ!僕はこの女なんか好きじゃない。大嫌いだ。それでもやっぱり許せない。


(僕って何?僕が生まれた意味って何!?こんな女と一緒に生まれたわけって何だったんだ!?)


 僕の人生を狂わせたこの女が、この女だけが幸せになる。やっぱり許せないんだ。不公平だ。どうしていつも僕ばかり……っ!僕が何か悪いことをしたって言うのか!?そりゃあしたよ!こいつに狂わされてからは!でもそれ以前の僕は何一つ悪いことはしていない!唯、奪われるだけの毎日だったじゃないか!それなのにどうして、こいつだけが許される!?報われる!?のうのうと息をしていられるんだ!?


 「……随分、辛そうだね“姉さん”」


 辛いのは僕の方だ。それでも僕はそいつを見て……嫌がらせのよう、昔のようにそう呼んだ。身重の身体でエリアス様を振り切って、僕の所までやって来たのか。そう笑ってやったのだ。


 「俺に、何の用なわけ?」

 「あ、あのね、これは……」

 「偶然だって?間の悪い姉さんならそうだろうね。だけどいい加減っ……目障りなんだよっ!!」


(殺してやる!今度こそ!)


 意識を集中させ、数式を練る。僕の感情に呼応するよう、腕輪の宝石が赤く煌めいた。それに気付いたのだろう。


 「エルムちゃん、それ……ディジットの」


 はじめてだ。女の顔に憎悪が浮かんだ。


 「ディジットに、何したの!?」

 「言わなくても解るだろ!お前には!!」


 西裏町で会ったことも忘れたのか。それが数術代償とは言え、話の理解の低さに僕は苛ついた。この忙しい時に……


 「……う、あ、あっ、あっ、あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」


 女の絶叫。声が導びかれ、辺りが数式により塗り潰される。僕も一瞬にして我に返った。そしてその恐怖に息を呑んでしまう。

 光り輝く数式を背負うその娘は、翼の生えた天使のよう。憎しみに濡れて歪んだその顔は、はっとするほど綺麗だが、彼女の赤い瞳は悪魔の目のよう暗く鈍く光る。この女がはじめて、この僕を殺したいと思っている。こいつには見えたんだ。僕が犯した罪が情報として。

 それは大好きなディジットを殺されたから?犯されたから?それともなんだ。僕が他の女と寝たのがそんなに嫌か?醜い心根のお前は……その両方だろう!


 「お前に怒る権利なんかない!泣く権利もだっ!」


 避けるのは無理。それならと僕は大声で防御数式を貼る。矛と盾のぶつかり合いなら決着は付かない。決定打にはならないが、決定打は与えられない。防御面でなら僕はこいつには負けない。


(いや、負けて堪るか!)


 ディジットのためだけ、泣けているわけでも無い癖に、白い翼を模る数式が歪で醜い。汚れているこの女には似合わない。

 僕はお前とは違う!僕は最後は許されたんだ!ディジットだって最後は僕を男として見てくれた!好きになってくれたんだ!お前より僕が大事だって、彼女はそう思ってくれた!捨てられたお前とは違う!僕にはヴァレスタもいる。エリアス様しかいないお前とは違うんだよ!


(僕は愛されている、必要とされているっ!お前みたいなゴミとは違うっ!!)


 僕は強く言い聞かせ、もう一人僕を必要としてくれる存在の名を叫び数術を強化する。


 「クレプシドラぁああああああああああああああっっ!!!!」


 厚い氷の結界は、頑なに全てを拒む。これは長期戦かと身構える僕は、信じられない物を見た。姉の膨大な数式。それが一点に集まっていき、別の形を取り始める。

 姉の纏う翼型の数式は光を隠した薄い雲。眩い光は背に太陽を……目を焼く光源を背負う。吹き付ける熱風。ひらひらと舞う風切り羽一つ一つが地を焼くレーザー。姉の周りから雨は、蒸発して消えていく。


(こいつはハート。水属性のはずなのに、他の元素を操るだって!?)


 僕の操る水の元素を殺している。クレプシドラが弱体化する。そこまで考えての事じゃない。そんな頭は姉にはない。あの悲鳴一つでこいつは本能的に……どうするべきかを理解したのだ。恐ろしいのはこいつの才能。劣等感に当てられて、僕は殺意を強め奴を見る。

 僕の数術の力は、回復補助。クレプシドラがいなければ満足に戦えない。だけど片割れである姉さんは、恐ろしい攻撃数術の使い手だ。


(氷が、溶かされている!?)


 防御力が低下したことに気付いた僕は再び精霊を呼ぶ。


 「クレプシドラっ!」


 その間にも、氷は溶かされていて僕らは防戦一方だ。

 音声数術同士のぶつかり合い。それでは分があいつにある。僕の声にクレプシドラが反応するのじゃ遅いんだ。姉さんの憎悪はそのまま形となって僕に牙を向く。


(っち……!こいつも、触媒持ちか)


 僕には精霊と触媒がある。力量差は埋められるかと思ったが、互角の接戦どころか劣勢まで持ち込まれた。その理由は姉さんの薬指に光る指輪型の触媒だ。そんな物一つにさえ、僕は苛立った。僕は人間としての人生を捨てたのに、こいつはまだ人間のように生きている。僕を道具に貶めた存在が、よくもまぁ。


 「くそっ!」


 冷静さを欠く僕の、直ぐ後ろから僕を呼ぶ声。


 「……リゼカ」


 その刹那、条件反射のように身体が固まる。その反動で鳴る首輪の鎖。


 「ヴァレスタ、様」


 肩に置かれたあいつの手。伝わる温度に目が覚める。僕の頭が冷えていく。冷静に目の前を見る。

 僕の前に進み出たあいつは僕を振り返り、心底馬鹿にした顔をする。それでもその目と声から感じる温かさ。何時になくそれが優しく聞こえる。そう思うだけでぎゅっと心臓が握りつぶされそうなほど、苦しくなる。悲しく何てないのに、僕は泣きそうだ。そう感じる心は、ディジットの時とは全然違う。それでも目の前のこの人を、大切だと僕は思うのだ。

 ディジットを死なせても僕はこうして生きているけど、この人を失ったら……僕は生きてはいけないと。


 「あまり、俺を待たせるな」

 「時は金なり、ですか?」

 「森羅万象、世の理も金次第。火水土風……もっとも強き元素は金だっ!」


 それ、土元素ですよねと突っ込みを入れる暇もなかった。ヴァレスタは金貨を弾いて空に撒いた。そうするや否や、ヴァレスタが僕の手を引き抱きしめる。


 「うぁああっ!」

 「計算の邪魔だ。嬉しいからと言って叫くな」

 「よ、喜んでませんっ!」


 いや、嬉しいけど。いや、そんなこと全然無いけどっ!

 こいつは今、僕を触媒に使っている。こいつの目と僕の目。混血の目自体が触媒だ。音声数術の使える僕を使うことで、こいつは計算速度を引き上げた。


 「リゼカ、常に静かに何かを叫け。俺を讃える歌でもよいぞ」

 「俺のあーるじヴァレスタ様はー鬼畜変態ドSのー拷問狂~……」

 「後で地下室行きにしてやるから覚悟しておけ」

(ヴァレスタ……)


 僕を助けるために、金の亡者のあんたが金を使うなんて。矛盾してるよな。王になるには金が要るのに。王になるには……僕が、俺が必要だって、あんたが思ってくれたってこと?信頼、されているんだ。そう思った瞬間、とうとう涙が溢れた。

 ヴァレスタが撒いた金貨。それすべてが高品質の土の元素の塊だ。こいつが数術使いたくないの、解ったかも。ヴァレスタの数術代償は、金なのだ。正確には大切な物を失うことで感じる心理的ダメージ、精神的苦痛。フィルツァーとの一戦は、彼奴自身と袂を分かつことで数術を紡いだ。でも金の亡者のヴァレスタにとって、精神的苦痛は出費だろう。それに持ち運べる金には限りがある。だから本当にそれは奥の手なのだ。

 金を別の物質に変えるわけじゃない。金に対する執着を数術の力に変えて居るんだ。金を失うことで別の商品を得る。こいつは空間転移を使えないが、金貨一枚で土の元素……言うなれば別の鉱物を召喚できる。こいつが金貨一枚一枚を鋭い鋼に変えて、その場で形を剣や矢という凶器に変える。それがぐるりと姉を取り囲む。

 羽を折りたたみ自らを守ろうとするあの女。それでもあいつに防御の才はないのだから、上手く機能はしない。自らの熱で溶かした鋼。それが液体状になってあいつに降り注ぐ。

死人ばったばったの章はなかなか文章がまとまりません。

何だか思うように文章が書けない。盛り上げなきゃ行けない章なのに、思い通りに書けないっていう苦痛。

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