23:vox faucibus haesit
数術は、才能がなければ使えない。
万物に宿る数値を見ることが出来、万物のどれかに干渉することが出来る才能。これが数術使いの最低条件。数字が見えない奴は使えない。それがまず常識だ。中には見えても干渉する力が皆無の、聞こえるだけとか見えるだけって奴も居るが、こういう奴は才能に恵まれなかったと諦めるしかない。こればっかりは努力でどうにかなる物でもなし。それでもなまじ見えるから、諦めきれない。知への妄執により憑依数術を編み出したエルフェンバインがその例だ。それじゃあ逆に、見えないが使えるという奴は存在するのか?答えは……イエス。そう言う奴も存在する。
こういう奴は精霊の加護により、数術を使うことが出来る人間。要は、精霊に好かれる才能だ。見えない奴が精霊を省みることは殆ど無いし、その命を食い潰している自覚もないだろう。突然数術が使えなくなって驚き、数術について正しく学び直す内に真相を知る。そう言う奴が殆どだ。このパターンでは、精霊がその人間に惚れていて、自分の命を投げ出してでも尽くしたいという無償の愛により引き起こされた奇跡と言うこと。命じられることもなく、それでも術者の意を酌み取る存在が居て初めてこれは起こり得る。
だけど本来、精霊は能力の増幅器。そうやって使う物。つまりは数術使いが数術を使える前提で、力を貸してくれる存在。好かれさえすれば、祝福ならばどんな人間でも受けられるが、契約できるのは数術使いだけ。それが数術学における精霊数術の基本だ。
それでも見えないのに数値に干渉することが出来る奴がいるとしたら……そいつは何なのだろう?それは、目を瞑って細いロープの上を渡れと言われているようなものだ。普通はそれで脳味噌爆発しちまうぜ。
昔から、俺は数術が苦手だった。習ったことならある。習うのとかは好きだったな。いつもは仕事で忙しい親父が、俺の相手をしてくれる。その期待に応えられたら良かったんだけど、それでも俺は駄目だった。俺の目には何も見えない。世界を、万物を数値として見ることも出来ず、それらに作用する力も発揮できない。数術ってのは運と才能もあるが、もう一つは血統だ。運も才能も無い俺が満たしているのは血統くらいな物だった。その内俺は数術を習うことすら嫌になって、教えを請うことはなくなった。そんな俺が再び親父にそれを願い出たのは……何でだったろう?
「親父、どうして俺は数術全然使えないんだよ!親父みたいに凄い奴!」
「ははは……うーん、どうしてだろうな」
俺の無理な物言いに、親父はよく苦笑していた。俺が使えるのは、初歩の初歩。低レベルの回復数術と風の攻撃数術。ぶっちゃけた話、数術使うより剣使って戦った方が強い位の無意味さだ。才能がないと落ち込むのも仕方ない。
「いいか、アスカニオス」
俺の親父は精霊に懐かれるような男だった。多くの精霊に好かれるような真っ直ぐで情熱的なその心根、年の割りに純粋というか……放っておけない所がある男なんだろうな。戦争に出て武勲を立てた騎士である以上、親父だって大勢殺して血の穢れに染まっている。それでもまだ沢山の精霊が親父に力を貸していた。それは勿論家の七光りもあっただろう。先祖が親が契約した精霊が、そのまま力を貸してくれている。その精霊達は次代の跡継ぎである俺にそのまま力を貸してくれても良いはずなのに、どいつもこいつも非協力的なんだと言う。
「数術には二種類がある」
「回復の壱と、破壊の零だろ?」
「02468と偶数操る偶神、13579と奇数操る奇神。この偶神系列の属性をまとめて零、奇神系列が壱と言われているだけで、細かく言うともっと分化されてるんだけどそれで概ねあってはいるな。良く覚えていたな、お前は頭がいいなアスカ」
「そんなところで褒められても。頭が良いなら俺だって数術使えたはずだろ」
「確かに計算処理という意味で、ある程度の頭は必要と言えばそうなんだが」
一概にはそうも言えないのだと、親父は小さく唸る。
「まず数値が見えなければどうしようもない。これが大前提。多少頭が足りなくとも、見えれば視覚的感覚的に理解して、奇跡を起こすことは出来るからね。だがこの反対はとても難しい」
俺の場合はそれなのだと親父は言う。頭の方は申し分ない。それでも見る力が乏しいのだ。
「そうだな……こういう場合は、精霊や神々からの祝福が物を言う。元素操る者から加護を得られれば、見る才能に欠けても数術を紡ぐことは可能なんだ」
「俺の場合、みんな俺を嫌って祝福してくれねぇってことなんだろどうせ」
俺の適確な意見に、親父は苦笑い。傷付けないように肯定するのは難しいと悩んでいる風に俺には見えた。
「……仮に祝福されたとしても、アスカ。本当に才能が無ければ、それは悲しいことでしかない」
「悲しい?どういうことだよ」
「精霊はね、計算の肩代わりで術者の脳への負担を減らしたり、威力を増幅させるブースターとしての役割を担う、元素の固まり。数術の才が皆無の人間が精霊に祝福されたなら、どうなると思う?」
「数術を発動できない?」
「いいや違うよ。発動は出来る。奇跡も起きる。だけどそれは精霊の命を喰らう」
「命を……?」
「精霊は元素の集合体が意識を生じた物。術者と共に数術を紡ぐなら、彼らは壱の数術使い達のように、外部の元素を使って奇跡を起こす。しかし、精霊単体で紡ぐ数術は、零の数術使いと同じ。自身の宿した元素を用いての奇跡。勿論時間を置けば精霊も外部の元素によって回復するけれど、無茶をさせれば彼らを死なせてしまうこともある。そんな無理をさせるのは可哀想だろう?」
目には見えない物。親父には見えているからそれを可哀想だという。自分の才能だと驕った者が、殺した精霊達を大勢見てきたのだろう。そんな風に哀れめる親父に惹かれて、精霊達は親父に力を貸すのか。でも俺は……俺には見えないから、見えない物を慈しんだり崇めたりなんかできない。シャトランジアは宗教国。そこに住まう精霊達も信仰を賛美する者が多いのだ。だから多くの祝福は、信心深さから来るものであり、信仰心に欠けた俺を祝福してくれる精霊が居ないのも頷ける。
タロックに越して来た今でも、親父が召喚したり連れてきた精霊はシャトランジア産。そういう気質は拭えない。それじゃあタロックの精霊に気に入られればいい?そう言う話でもない。国が変われば精霊事情も異なる。移民である俺を気に入ってくれる精霊なんてそうそういない。
「つまり……才能のない俺が頑張るのは止めろって、そう言う意味なんだな?」
俺が信じてる神様ってのは、不文律みたいな概念だ。常識とか、建前とかそういう物。実際神ってのを崇めてるわけでもないし、信仰心があるわけでもない。
「才能ならある」
「は?今無いって……」
「アスカ、数術にとって一番大事なことは何だと思う?」
「才能だろ、それか運」
「違う、一番大事なのは思いやりとか優しさだ」
「……はぁ?」
そんな答えが返ってくるとは思わずに、素っ頓狂な声が出た。
「これは精霊数術全般におけることなんだけど、例え見る才能が無くとも心から彼らを労れば、意識のシンクロは成る。見えない相手を認め、肯定してあげること。その上で助力を願うんだ」
見えない人から見れば変な人だと思われるかもしれない。それでも否定してはいけないんだと親父は言った。
「感謝の気持ちとも言うかな。他者への優しさを忘れてはいけないよ。例えそれが目には映らなくとも」
「そんなこと言われても、実際見えないんじゃ、どうしようもねぇよ」
「ははは、そう拗ねるなアスカ。お前が将来いい男になったら契約をお前に移しても良いって言ってくれてる精霊もいるんだぞ?」
落ち込む俺に苦笑して、親父は優しい言葉を掛けてくる。でもそれは俺を浮上させる一言だった。
「え?マジで!?」
「ああ。その子は今もお前を俺のついでに祝福してくれているんだぞ」
「何匹!?凄い奴!?」
「ひ、匹って……いや、まぁ、祝福は何人かだけど……俺が死んだら切れるだろうし、契約って言ってくれてるのは一人だけ」
「一匹かよ!!うわ、使えねぇ!!って痛っ!」
突然後ろから頭を殴られるような痛み。振り返れば風により飛ばされた、小枝によって頬を切る。
「こら、大人げないぞ」
風の吹いた方向に向かって、親父は仕方ないなと説教をする。俺には何も見えないから、変な感じはする。それでも今の攻撃。何かが居るのは間違いない。
「ごめんなアスカ。痛かっただろう?彼女も反省してくれたって、だから治してくれるそうだ」
「あ……」
不意に痛みが引いていく。触った頬からはもう血が出ていない。傷口が塞がっていた。
「ほら、な。ちゃんと居るだろ?」
笑う親父に、きっと今のは親父が回復したんだと思った。だけどあれからだ。俺が数術を使えるようになったのは。現金な物でさ、そうなると……俺も少しは信じ始めたんだ。目には見えない、精霊って奴の存在を。
*
(モニカ……)
あの頃からずっと、お前は俺を助けてくれたのに。カードになってお前が見えるようになって……俺がおかしくなっても、俺が好きだと言ってくれた。俺の幸せを、誰より願っていてくれた。俺の、母さん。俺を捨てたマリー様なんかより、ずっと俺を大切に……思ってくれていたのに。
アスカニオスと、俺を呼ぶのは彼女だけ。親父が死んで、もう何年も呼ばれずにいた俺の名前。彼女が居ない。もう呼ばれることはない。そう思うと胸が締め付けられるよう。
代わりに背中の後ろから、聞こえてくる声がある。
アスカと、自分の名を呼ぶ声がする。酷く悲しげな声だ。ロセッタに押さえ付けられ身動きの取れないリフルの声だ。あいつに名前を呼ばれるだけで、俺にとっては奇跡のようだ。昔はそれすらなかった。ついさっき、それを再び失いかけた。俺のこの手で、消しかけた。身体が震えるのは武者震いなんかじゃない。俺が恐れるのはロイルではなく俺自身。嗚呼そうだ!如何に相手がよくわからんナイトカードだろうとも、恐るるには足りない。
(幸せに……俺の幸せはっ、俺の幸せじゃないっ!リフルの幸せだっ!)
今泣いているあの子が、生まれてきたことを幸せだったと微笑めるまで、俺は償い続けなければならない!
そのために、カードの禁忌に手を染める。ルール上、殺しちゃなんねぇカードを殺す。それは実質このゲームを降りるようなもの。この先勝ち抜いたって俺の願いは叶わない。仮に俺がリフルを失ったら、生き返らせる術をも無くすと言うことだ。
(だが……)
俺達の陣営でロイルを殺せるカードはリフルしかいない。止めだけ刺させれば良いのかもしれねぇが、今のリフルには無理だ。あの不安定な精神状態、瀕死から甦ったばかりの疲弊した肉体。そしてあいつの幸福値。一度死にかけたんだ。ロイルにだって殺されてもおかしくはない。僅かな隙でも見せれば危ないのは俺達の方だ。
「ロイルっ!!」
「来いっ!アスカっ!!」
ロイルが纏う風。それは四方八方から来る八本の風の剣。多少は見えるようになったその数値。とてもじゃないが受け流せないと俺は知る。そうなれば避けに徹することになる。そうして逃げる俺を追尾する風剣がもう一本。更には俺を待ちかまえる、あいつ自身が二本持つ。これは完全に逃げ場がねぇ!数値の弱まった風を剣で斬っても、そこに追尾剣が入り込む。斬っても斬っても斬りがねぇし、斬った風を相殺できず、身体に無数の傷が走った!
「はぁっ……、くっ!」
おいおいマジかよ。こんなの聞いてねぇぞクソ。ロイルの野郎、俺より数術慣れしてねぇはずなのに、攻守両用の術者っておかしいだろ。これまでの戦闘で俺が食らわせた傷までいつの間にか回復してやがる。
モニカはもう居ない。数術を覚えたロイルとやり合うためには、俺が一人で数術を紡がなければならない。
(だが……)
数術には代償が要る。その代償がなんであれ、使えば使った分良くないことには違いねぇ。
ここから生きて帰ると決めた以上、正々堂々なんてクソ食らえ。どんなに後味悪くても、俺に残された手段は、卑怯上等騙し討ち。それしかないのだが、今のロイルには隙がねぇ!
俺はリフルとの戦闘で消費した。いつものナイフ投げが使えない。俺の得物はダールシュルティングしかない。刃は守りのエアヴァイテルト、毒攻めクレアーリヒ、数術のハルモニウム。モニカがいない今、ハルモニウムじゃ決め手に欠ける。俺一人でやれる数術は、風の攻撃ばかりだし、今のロイルには同じ事が……俺より精度の良い強力な風が相手ではどうしようもねぇ!これで足でもざっくりやられたらお終いだ。回復は怠れねぇ!そう思ったのだが……頬、腿、腹、ぱっくり開いた傷口に回復数術を掛けかけて……術が上手く紡げないことに気が付いた。
(モニカ……まさか、お前……)
壱の数術使いは回復と攻撃を覚える。零の数術使いは攻撃しか覚えないが、壱の数術使いより威力のある数術を覚える。今、俺が回復を使えないのは……俺が元々回復数術を使えない人間だったから!?
俺が今まで回復していたと思っていたのは、全部モニカの自己犠牲。風の元素に触れて自身の元素を回復する暇があったから、彼女の消耗に俺は気付かなかっただけ。俺は零の数術使いだったのだ。
(モニカ……っ!)
狂気に取り憑かれた自身の凶行に、涙と怒りが込み上げる。八つ当たりのように威力が増した俺の剣。これなら行けると、風を切り裂く。そこにすかさず懐から取りだした毒香を流して風を紡げば、ロイルも慌てて風剣の軌道を変える。距離を詰めたことで毒香の間合いに入ったことを悟ったのだ。
(よしっ!)
辛うじてロイルの攻撃から抜け出して、俺は体勢を立て直す。毒香をちらつかせながら、場所を移すことを目配せる。ロイルが風の刃を扱えても、この雨じゃ……天候も考慮しなくてはならない。数値が見えるようになったばかりのロイルと、視覚開花し精霊と共に過ごした俺とでは理解度も異なる。それはあいつも知っているはずだ。
(ここで誘いに乗ってくれよ?)
ここでやるのはお前にとっても不利だと気付かせる。思わせなければ。
なるべくリフルが追っ手来られない場所。選んだ誘導した結果、俺達は雨降る東裏町の屋根の上で対峙する。ロイルも思うところがあったのか、それには従ってくれた。
この足場の不安定な場所は、俺達の寿命を示すには打って付けの場所。足を滑らせるようならば、落雷にでも遭おうものなら、命はもう残り僅かと解るだろう。幸福値が尽きたのだと、な。
(にしても、さっきの感覚……)
一瞬だけ、威力を増した俺の数術。幸福値が減ったような感じはしねぇ。なら代償はなんだ?
これまで俺はモニカに頼って数術を紡いでいた。計算も代償もあいつ任せ。俺が支払った代償は殆ど無い。精々あいつの望んだ代償として、リフルの下着が一枚モニカに取られたくらいだ。あいつは月に一枚って言ってたし、俺がモニカと契約してからまだ一月も経ってねぇ。それまではあいつの祝福でやれてたようなもんだ。精霊を失って、俺が初めて一人で数術を紡ぐようになって……俺から引かれるようになった数術代償。最初こそよく分からないままに使っていたが、正気に返ってからはそれが何だかわからない。
(何処だ?何が引かれた?)
ロイルを警戒しながら、自分の数値を調べてみる。よくわからねぇ。それでもさっきまであって、今無くなったもの。……そうだ、感情数?その一部に異変がある。ここから何かが差し引かれたような気はするが?それは怒り?いや、腹立たしさならまだある。だが、違う……悲しみだ!涙がもう、彼女のが目に流せない!!モニカのことを悲しむ心が一瞬にして薄れている。俺の数術代償は、心が麻痺すること!悲しいことを悲しいと感じなくなる、戦闘向きかつ非道な代償だ。命に関わる代償じゃないだけ幸運だって?そんなわけあるか。泣けない記憶が増えていく。精神的に楽になれない。俺は病んでいく一方だ。その苦痛は俺の狂気を揺さぶるかもしれない。
「血も涙もねぇ……鬼に、悪魔になれって、か?」
口から嗤いが込み上げる。そのことにすら、泣けない代わりにハルモニウムが歌い出す。
本来倒せないカードを殺す。カード破りだったか?あれをやるリスクは願いが叶わなくなることだとロセッタは言った。それ以外にも何かあるのかもしれないが、俺はまだそれを知らない。この場を生き延びても、俺は更なる後悔を重ねるだけなのかもしれない。
(それでも、俺は!)
リフルが泣いた。泣かせてしまった。自分でその顔が見たいと思ったのに、後悔するなんて馬鹿みたいだ。嗚呼、後悔してる!泣かせないのが無理ならば、泣かせた分だけ笑わせる……そう誓ったはずなのに、俺はそれも守れなかった。
自惚れじゃねぇが、今のあいつは俺を失ったらもっと泣く。それが俺の望みだったし、あいつより先に死ねるなら俺は嬉しい。だが、それは俺のエゴだ。俺は俺の幸せじゃねぇ、あいつの幸せってのを第一に考えなきゃならなかった。それは何か?答えを見つける、見届けるまで……俺は死ねない。あいつを俺から守りながら、あいつを泣かせないように……俺が死んでもあいつがすぐに立ち直れるようになれるまで、俺は生きて償わなきゃなんねぇんだ!
薄汚い俺をひた隠す!毛程も気取らせない!逃げるお前に迫らない!俺を押し付けない!あいつにとって、全ての対象外で良い!二年前に出会った頃のように、親身になって……あいつの望んだ俺になる!お前の理解者で、お前の保護者で……お前に触れても、決して触れない。誰がお前に手を伸ばしても、俺だけは……決してお前に触れるものかっ!だって他に無いだろ?邪眼に抗って、お前に信じて貰う術は。
(……やるしかないっ)
俺は一度得物を鞘へと戻し、柄を回した。そして意を決して鞘から抜き払う。刃を入れ換えたと見せるフェイントだ。
俺には視覚数術なんて高等数式使えないが、動体視力で追えないほどの速さを出せれば問題はない。それに鞘か剣自体に触媒ハルモニウムはあるのだから、どっちも持って居れば数術を紡ぐことに障害は無い。勿論触媒が手から遠くなる分コントロールが難しくなるが、その点は諦める。
「うぁあああああああああああああああああああああああっ」
俺はもう二度と、俺のために泣けなくなって構わない!どんなに苦しくても、俺は自分を哀れむために、楽になるため俺は泣かない!
吸い込まれる感情数。数術代償を捧げることで、ハルモニウムに纏わせた風。俺と同じようなうなり声を発した触媒剣は、俺とロイルの距離をぐんぐん近づける。速さは力。あいつの風が向きを変えるよりも先に、その元素さえ吸い込みハルモニウムは不協和音を奏で歌った。
(これなら、やれるっ!)
ロイルは純血。本当のところ数術代償が何かは解らねぇが、カードになってから、ナイトになってから目覚めたんなら十中八九幸福値。そして触媒無しに行う数術は、脳に負担が出てくるはず!
消耗戦で辛いのは俺も同じだが、ゼクヴェンツで解毒は出来ない。毒耐性の付いた俺なら気を失うと言うことはないが、身体の動きが悪くなるのは間違いないし、そんな状況でロイルとやり合えるわけがない。それなら毒を食らったまま戦う方がまだマシだ。回復数術の使えなくなった俺じゃ、数術による解毒も無理。幸い食らったのは涙毒。俺の耐性ならフェルリーレントなら一時間は保ってくれるだろう。今は俺の幸福値については考える必要はない。幸福値だけなら俺は瀕死のロイルに勝ってる!あいつが幸福値を枯らすまで、俺が毒に耐えられれば勝機はある。
いや、それ以前にだ。もっと手っ取り早い手がある。ロイルには精霊がいない。トーラのことでも解るよう、セネトレア王族は精霊に嫌われている。トーラが必死に頼み込んでようやくエルツをゲットしたように、セネトレイアが精霊の加護を得るのは非常に手間暇が掛かる。これまで精霊を省みることもなかったロイル。あいつは俺以上に血の臭いがするだろう。あいつが精霊に好かれるはずがねぇ。それなら今、あいつの計算を助けているのは触媒だ!純血の数術使いが精霊も触媒も無しに数術を使うなんて、脳へのダメージが大変なことになる。それを補うのが幸福値なら、触媒を破壊すれば……もっと早くに蹴りが付く!
(あいつがこんな芸当出来るようになったのは、あの新しい剣の所為!)
触媒を見ろ!あの剣の何処に元素が集中している!?そこを叩き斬ればあいつの数術は暴走する!制御出来るわけがないっ!
距離を詰め切り、元素を失い、風を纏えなくなったダールシュルティング。そこでもう剣をブレさせることも出来ない。ロイルの目に今の形状が見えるようになるだろう。その寸前に、もう一度!俺は叫ぶ!
「ハルモニウムっ!」
形状の名を呼んだのも一つの作戦だ。そして俺の覚悟を俺自身に聞かせるためだ。
頭に浮かんでくるのは、ボロボロに傷付いたリフル。尽きるはず無いあいつへの涙、それがもう二度と流せなくなる!それでもその大きすぎる代償に、ハルモニウムが大絶叫。街中響き渡るような悲鳴の歌を奏で歌った!その旋律が生み出す風が、雲を動かし豪雨を集める。落雷を危惧し、ロイルはレーウェを捨てざるを得ない。本当は煌びやかな装飾のあるあの剣も、捨てなければ危ない。感情と本能で生きているあの男が……長年の愛剣よりも、新しい剣を選んだのは俺の計算外。思い入れのある得物より、その剣には何かがあったのだ。そこを見抜けなかった、俺の……負け?
振り下ろした刃。二本の剣ではなく、触媒剣で俺の決死の攻撃を……ロイルは受け止めた。此方が貯め込んだ風の元素を吸収するよう、奴の得物……その柄の装飾宝石が怪しく光る。
(あれが触媒の本体かっ!?)
あれさえ壊せば、ロイルは数術を使えない!それが解ったのに、俺にはもう、策が尽きていた。
「猛毒刀クレアーリヒ、か」
何がハルモニウムだよとロイルがくくくと咽を鳴らして笑う。
「……アスカらしいぜ」
最後まで騙し討ちに拘るかと、呆れるような感心するような……過去を懐かしむような。そんな奴の微笑に、俺は絶句してしまう。
(嘘、だろ……?)
支払った対価は、俺にとって信じられないくらい重いのに。ロイルに俺の卑怯が読み負けた、だって!?
純粋な力勝負じゃ敵わねぇ。そこに元素を吸い取られた俺の剣、それから俺が今まで貯めた元素で風を紡いだロイルの剣。とてもじゃねぇが、太刀打ち出来ず、ダールシュルティングが弾かれる。
それでも諦めて堪るかと風の刃に身を躍らせ、伸ばした奴の首。俺が掠めて斬ったのは、ロイルの首飾り一つだけ。得物も弾けなければ、あいつに傷一つ付けられなかった。
「がっ……!」
首飾り一つのために……食らった傷は大きかった。胸から腹までざっくり斬られて屋根の上、泣くことも出来ずに空を見上げる。痛みに涙さえ出ないのは、既に持って行かれた代償だから、この惨めさに泣くことも出来ないなんて。痛みを唯、苦痛として受け入れるしかできないことが、こんなに辛いのだとは思わなかった。西で殺す寸前まで行ったロイルに、殺されるなんて……俺の幸福値、思っていた以上に減ってたんだな。自分の数値も正しく読み取れてなかったのか、俺は。
朦朧と、霞んでいく景色。近付いてくる黒い影。それは俺に別れの言葉を呟いた。
「楽しかったけどさ、……楽しくなかった。何でだろな……」
前者はこれまでの数年間。後者は今のこの戦い。バトル馬鹿のこいつが、そんなことを言うなんてな。何か意外だった。だからだろ。そうかと答えて俺は笑ってやったんだ。二年前なんて言わない。俺がリィナを殺すまで、下らない言い争いが出来ていた……あの頃みたいに。
物語の予定調和というものがあるにしろ、それでも簡単に勝たせるわけにはいかないし、隙あらば死にそうにない奴を死にそうにない場面で殺したいという衝動。
これの被害に遭ったのが、本編で言うルクリース。
(本当はあそこでイグニス殺そうと思って、でも流石にまだ情報開示が完璧じゃないし無理かと諦め、代わりに犠牲になったのが彼女。だから時々後悔してる)
人の予想を裏切りたいと思っても、やっぱりメインキャラは殺す場面が決まってる場合が多いので釈然としませんね。こればっかりは仕方ないとは言え。
まぁ、アスカなのでこんなに簡単には死なないでしょう。変態はしぶといんだ。
というより、裏本編の準主人公だしね彼。そんなにすぐには殺せません。
裏本編はリフルが主人公の他の女キャラ達がヒロインの物語の裏で、リフルがヒロインのアスカが主人公の話が同時進行してるようなもんです。
だからこの小説のジャンルが行方不明になるんですよね(笑)