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22:ave atque vale

 「ソフィア、君はこの先何枚かジャックに出会うかもしれない。くれぐれもジャックには注意をして欲しい」

 「解りました、神子様」

 「その理由は覚えてる?」

 「はい。ジャックには孵化の可能性がある」

 「うん、そうだ。じゃあもう一つ僕が言っていたことがあったよね?」


 旅立つ前に神子様は、私に重要事項の確認をしてくれた。これはその中の一つの話。


 「ジャックの一つ目の孵化の話だ」


 ジャックは一番弱いコートカード。だからこそ幾つかの逆転博打の可能性がある。

 ああ、弱いと言ったけどそれはトランプとして見るのなら。私達カードをタロットの小アルカナとして見るのなら、ジャックはナイトに位置するカード。最も弱いコートカードにはペイジがカウントされる。その分のメリットはペイジにもある。ペイジは未熟な騎士見習い。よってこの審判から逃げ出せる術がある唯一のカード。勿論それにも色々取り決めとか制約があるんだけど。


 「従者はやがて騎士になり、騎士はやがては王をも越える。これはペイジが騎士見習い、騎士が王子だって言う話からなんだけどね。まぁ、それを言ったらペイジに位置するカードが王女ってなってる文献もあるし一概には言えないんだけどさ」


 一つの例として、神子様はそう例えられた。


 「ペイジはいつかナイトになる。ジャックもナイトになる。唯、このナイトには二種類がある。君はナイトという言葉を聞いて、どんな単語を思い浮かべる?」

 「騎士……ええと、それから夜ですか?」


 どちらも割とメジャーな単語。かつてはタロック人だった私でも思い浮かべることは容易い。シャトランジアに来てからは、すっかりカーネフェル語に染まったし。


 「うん、その通り。ナイトには二種類がある。騎士か、夜かだ。騎士に覚醒すれば11,5。夜に覚醒すれば12,5まで彼らは強くなる。これは大分大きいメリットだろ?」


 なるほど、確かにそれは戦略の幅が広がる。味方に引き入れておくこと、それも私の任務だろうか?


 「はい。それでは私はなるべくジャック、それからペイジと接触を?」


 訊ねて見るも、神子様は違うよと否定なさった。


 「ううん、君は那由多王子の傍にいればそれで良い。後はなるようになる。残念だけど……キングの傍にジャックは寄らない。玉座を守る物と、玉座を奪う物が仲良くするのは難しい、余程のことがない限り。だから基本的に二枚のカードは避け合う運命にある」

 「それでは……あの男の傍にジャックは現れないと?」

 「少なくとも仲間にはならないと思いますよ。ですからジャックの勧誘は僕がカーネフェルで何とかしましょう」


 神子様は、これから来る未来が既に見えている。そう言う人だ。だから思い切り困ったような溜息を吐き、それでも仕方ないと頷いた。その口調が堅くなったのは、仕事の側面が強まったからか。


 「ペイジに限っては、何処の誰に出るか僕にも読めません。出会したらラッキーくらいに思って下さい。基本的には十代前半の純真無垢な少年に出ることが多いですが、例外はあります。精神年齢がその位だったりすると年上でも出たりしますし」

 「そうなんですか」


 それじゃ、見つけようがない。どうしろって言うのよ。少し苛立った私に苦笑しながら、神子様は唇を釣り上げる。


 「無垢と素直は同一ではありません。故に手懐けるのは難しい。一応策としては相手が幼い子供である以上、彼が依存する相手が必ず居ます。その相手を落とし込むのが一番の手なんでしょうね」


 *


 「ロセッタ……ナイトカードとは、何……なんだ?」

 「……神子様から聞いてはいたの」


 私から逃れるタイミングを伺うようにリフルが尋ねる。だけどそれは出来ない。この男を死なせるわけにはいかないのだ。なら追ってきた、第三公に任せる?無理だ。彼は先程リフルの願いを叶えてその手を離した。信頼できない。私しか居ない。第三公カルノッフェルへの警戒も怠れない。


(だけど……)


 アスカをあのまま見送るだけしか出来ないなんて。私は命令通り、彼も死なせてはならないんだ。


(私は……あの男を信じて良いの?)


 あの男は、ついさっきまでリフルを嬲り殺そうとしていた。それが突然正気に戻ったなんて言われても、正直私はあいつが怖い。二年前のリフルを前にした時みたい。


(それでもあいつは、今……私を信じた。信じてくれた)


 別の組織からやって来た私に、あんなにも大切なリフルを託した。少なくとも今のあいつには、自分自身より私の方が信じられる物だったのだ。そこまで言われたのなら、私もあいつを信じるのが義理?

 アスカは言った。覚悟を決めた。数値破りを行う覚悟を決めたと口にした。それはルール違反の行為。この先勝ち抜いても、勝者には成り得ない。殺すことは許されるけど。

 あれは自分の願いを犠牲にして、誰かのために他のカードを排除する行為。私達運命の輪が行おうとしていること。それは誰かのためを祈る気持ち。どんな絶望も受け入れる覚悟を決めること。決して救われない道を受け入れること。自分の命を犠牲にすることを厭わない愛。それでも今、あの男を突き動かすその感情は……献身でも自己犠牲でもない。もっと欲望丸出しの、エゴのような印象。


(勝てるの?本当に……)


 このまま見送って良いの?リフルを絞めて昏倒させて縛り上げて、加勢に行くべき?

 けれどあんな真剣勝負、水を差したらどうなるか。アスカの方まで被弾させてしまうかも。私の銃は拳銃タイプ。私は運命の輪の中でも一番の肉体派だ。そもそも狙撃銃は与えられていないし、小柄な身体で大きな得物を扱うのは苦手。身体能力を用いて接近戦、数術弾を用いての中距離戦闘がメインの私に、遠離っていくあの的に当てろと言うのは余りに酷だ。


 「ナイトは……ジャックが覚醒した姿の一つ。元素の加護を受け、数術に目覚めることが出来るようになるし、幸福値も増える。あいつはさっき反転のKって言ってたから……騎士カードに覚醒した。あいつは11,5まで強くなった。そう考えて良い」

 「それでは、アスカに勝ち目は……」

 「いいえ、まだ解らない。あの男の磨り減った幸福値、純粋に0,5差分の幸福値が振り分けられただけだから」


 そう、命懸けなら解らない。夜のナイトじゃなかっただけ、まだマシなのだ。そうなっていれば……1,5カード分の幸福値が降り注いだんだから。ロイルは一度瀕死になった。そこまで磨り減っていれば、幸福値の差で誰でも勝てる。多分、アスカの勝ちは揺るがない。あいつはそこまで幸福値、まだ磨り減っていないもの。ロイルの幸福値を磨り減らしたのは、アスカだけじゃない。二枚分のカードの差を命懸けで埋めてくれた奴が居るのよ。そうよ、だから勝つのはおそらくアスカ。確信してやっても良いレベル。

 だけど問題は、あいつのカードにある。ルール上あいつを殺してもカード破りにならないのは、クィーン、キング、ジョーカーだけ。もしあいつが夜ナイトに覚醒してたら、クィーンすらここから外れる。となるとあいつを殺しても問題ないのはリフルだけ。ロイルとリフルが戦えば、どれ程の幸福値を持って行かれることだろう?実力は遙かにリフルが劣っている。勝つためには犠牲は付き物。リフルだって、一回死にかけた。随分幸福値を削られているのよ。危ないところだったわ。


(そう考えるなら……)


 アスカの暴走は、私達にとってメリットもあったのだ。アスカが狂ったお陰で、ロイルは利己的な願いをカードに託さざるを得なかった。アスカに勝つためにはそうするしかなかったのだ。


(今のあいつは、少なくとも正気を取り戻している)


 良い風が吹いてきたと、そう思うべき?イグニス様は言った。ラハイアがあそこで死んだこの展開は、辛い道になる。だけど、私達の勝利は確定していると。私がリフルを、その心を支えてさえあげられれば、私達は負けないと……預言の神子様がそう断言して下さった!アスカはまだ信じられなくても、私はイグニス様なら信じられる。あの方の言葉を疑うような私は、私じゃない。


 「ロセッタ……」

 「あんたを放して、あんたに今、何が出来るの?」


 リフルの身体が強張る。逃げ出そうと力を入れたのか。でも駄目。放さない。私は関節を決めて、動きを封じる。だけど何時までこうしていられるだろう?そんな私の不安を読み取るように、雨雲から落ちてくる雫達。


(雨……)


 私もなかなか幸運ね。この雨ならリフルの毒は怖くない。長時間押さえ付けても汗毒はこれで流れる。リフルは馬鹿だわ。諦めればいいのに、痛みを気にせずまだ藻掻く。


 「あの男は、死ぬんじゃない。帰って来るために出て行った」

 「でもっ!」

 「信じてやりなさいよ!私じゃあいつ、まだ信じられない!だからせめて、あんただけでも……信じて、あげなさいよ」

 「ロセッタ……?」


 叫んだ言葉は涙声。鼻を啜ったの、気付かれてしまった?


 「あいつ、何年もあんたを待ってたんでしょ?たまにはあんたが、待ってやりなさい。それで、お相子。それに男の顔は立ててやるもんよ。タロックじゃ常識よ?」


 その意味なら、この女男だって男だ。私はこいつを立ててやらなきゃいけないんだけど……こいつは追求しないわよね。こんな花嫁修業の台詞みたいなの、嫌なこと言ってしまったな。私はこいつの罪悪感を抉って、動きを封じたんだ。私をリフルが助けてくれたなら、私が嫁いだりあの女の奴隷になったりすることなかったんだって……そんな恨み言。今更もう言ったりしない。したくない。でも、それでこいつを押さえられるなら、言うしかないじゃない。


 「……待つのは、辛いな」

 「……そうね」


 私もリフルも、待ったことはある。誰を?誰かを。絵に描いたような救い主。奴隷生活から救い出してくれるようなヒーロー。考えたことくらいあるはず。私の救い主は、私が絶望した後に現れた。私を本当の意味で救ってくれた訳じゃない。だって、間に合わなかったのだ。リフルだってそうだ。待っても待っても……意味はない。自分で行動するまで、壊れて壊してしまうまで、何も変わらなかった。だからこそ私は運命の輪になって、こいつは殺人鬼なんかになった。


 「私は……どんな顔で、どんな言葉で……彼を迎えれば良いのだろうか」


 冷たい雨に打たれながら、呟くリフルの横顔は、泣いている様にも見える。

 アスカの所為でトーラが死んだ。リフルの所為でモニカが死んだ。仮に互いが無事だとしても、素直に喜び合えるだろうか?そんなことが許されるのだろうか?感情的な心が落ち着くにつれ、リフルの思考は深く沈んで消えてしまいそう。


 「解らないわ。でも……」

 「姉さんっ!」


 突然カルノッフェルがリフルを呼んだ。長身の彼には何が見えたのか。突き飛ばされて私は知る。


 「カルノッフェル!」

 「逃げて、姉……さん」


 細身の領主を穿つ穴。これは教会兵器!教会の銃で撃たれたのだ。出血しながらも、その身を盾に退路確保を急ぐ彼。弾丸が飛んできた方向を見れば、西から帰ってきたのだろう一団が見える。


(やばっ!)


 数こそ少ないが、何処かで武器を調達してきたのか、連中は教会兵器を手にしている。そっか。アスカは教会の腐れ幹部達暗殺したんだ。数術で姿を変えたから、犯人は数術使い……西側の人間と触れ回ったようなもの。あの兄弟は詰めが甘いから、目撃者を残してしまっているし、情報が漏れたとしても不思議ではない。新たに高位職に収まった奴は、我が身可愛さに、東に護衛を願い出て、護衛に横流ししたのよ。

 そう言う奴らは西に行かず、東で息を潜めていた。無関係の人間が虐殺されようとお構いなしに、護衛を守るため得物が来るのを待っていた。それは奴らにとっても望むところだったのだ。

 あの目、混血は根絶やしにしなければならないと語るような目。私達を憎々しく睨むその目は薄い色。あれは混血狩りの連中だ。西から生き残りが来ることを計算に入れていた。


(その依頼を受けたのも、そこまで視野に入れていたのも……おそらくはヴァレスタ、あの男!あいつは混血狩りのお頭だもの!)


 くそっ、敵ながらあっぱれよ。猪突猛進のリフルに比べれば、よっぽど有能、頭が切れる。モニカを失い、回復役が誰もいない今の私達があれの相手をするのは無意味。幸福値を磨り減らすだけ。速く逃げなければ。


 「……悪いわね」

 「いや、気にしないで欲しい」

 「ロセッタ!?」


 私の決断に、異を唱えるリフルは無視。何よ、あんた元々こいつ殺すつもりだったじゃない。何感化されてんの?こいつ、あんたが好きだった女殺した張本人じゃない。そうやってあんたが罪人まで甘やかすと、死んだ奴らが可哀想よ。……なんて前なら言えたのに、今は何も言えないまま……私はリフルを背負って地を蹴った。

 負傷した足手纏いは連れて行けない。二人背負って走るのは、私だってスピートが落ちる。カルノッフェルは自力で何とかしてもらうしかない。これも自業自得よ。何も気に病むことはない。罪には罰を。こいつは殺されて当然のことをした。それが死ぬ前に人のためになって、庇って守って死ねるんだ。むしろ良い事じゃない。


(そんな風に言ったなら……)


 リフルはどんなに悲しい目で私を見るだろう。何言ってんの。私の方が、何感化されてるのよ。


 「大丈夫よ」

 「え?」


 ゴーグル越しに見た、あの領主の解析結果。神子様から来たペイジのデータと一致している。今にして思えば、おかしかった。人格矯正弾を食らっておきながら、あいつはそこから生還した。あの男を憎んでいたというフォースも土壇場で殺すことを日和った。フォースが殺さなかった?殺せなかった。精神的に負けた時点で、見逃した時点で……それはあいつには殺せないって証明だったのかも。その奇跡……言い表せるカードがあるわ。


(それに……)


 ほら、後方で幸福値が大幅に増大した反応がある。


 「リフル、やっぱあんた……最高のコートカードだわ」


 *


 「こいつ、純血の癖に混血を庇いやがった!」

 「純血の風上にも置けねぇ屑がっ!」


 最初はそんな風に言っていた。それでも、それはすぐに変わった。カルノッフェルを見る混血狩り達の目は怒りから怯えに変わる。


 「ぎ、ぎゃああああ!こ、こいつ化け物か!?」


 超人的な身体能力。素手でだって人を殺せる。僕はその場を恐怖で支配する。数発撃たれたくらいで倒れない。あの弾も急所からは外れていた。大体最初のあれ以来当たってすらいないよ。この位で死ぬはずがない。


 「姉さんは、死なせない」


 掌が熱い。燃えるように熱い。そっと開いたそこには、Nという文字が刻まれる。手の甲には馬を模ったような紋章。これまでは白紙だった。時折スート模様が浮かぶだけだったけど。

 襲って来た人間を、殺す度に走る感覚。これまでとは違う。こんなに満たされる殺しがあっただろうか?僕がこうして殺すことで、姉さんのためになる。姉さんを守るための人殺し!復讐でも、名前狩りでもない!自分のためじゃなくて誰かのために手を汚すこと。それはこんなに幸せなことだなんて思わなかった!


 「嗚呼、姉さん……」

 「相変わらずですね、貴方は」


 不意にもたらされた声。それはそこまで遠くない。視線を投げれば、死体の山……その向こうに佇む少年が見える。美しい顔立ち、中性的なその美貌。飾る色は可哀想なことに有り触れた色。


 「フィルツァー君か、懐かしいね」

 「……久方ぶりです、領主様」


 ヴァレスタの忠臣であるあの少年とは、アルタニアで見知った仲。とは言え仲が良いわけではない。彼の手には慣れない物が。騒ぎを聞きつけ今、ここで拾ったのか。光る教会兵器……アルタニアで唯一作られていないその武器の、名前は確か銃と言う。差し向けられた銃口は、僕を狙っているとしか思えない。


 「それに其方のお嬢さんは……ふ、ははは!本当に懐かしい。リジーじゃないか元気だったかい?」

 「領主様、私を見るんじゃなくて鼻を動かして、香水で確かめましたよね?もう失礼しちゃうなぁ」

 「仕方ないさ、君がいた頃は僕は目が見えなかったんだから」

 「それもそうですね」


 社交辞令にふて腐れた後、彼女はゆったり微笑んだ。それはとても上品な笑み。僕が知る彼女とは重ならないような……


 「でもエリゼル君、初めましてはもっと昔じゃなくて?」

 「っ!?なぜ、僕の名前を!?」


 エリザベス。奴隷としてヴァレスタに拾われた僕と、ヴァレスタに仕えていた彼女は、アルタニアに送り込まれた。その時に出会った。そのはずだった。そんなメイド娘が僕の名を知ることなんて……


 「連れないお言葉。子供の頃、議会で何度かお父様達に連れられ顔を合わせているのに」

 「エリザベータ様、名残惜しいのは解りますが話はその位に」

 「まぁ、グライド様ったら。これまで通りエリザで構いませんわ。それとも何です?今更私を意識なさって、気軽に呼べなくなっちゃいました?」

 「お、恐れ多いので、そういうことは」


 雨に透けた女の身体に、フィルツァー君が目を逸らす。そんな反応が初々しいとドレス姿のメイド娘は彼に擦り寄った。だけどそんなことはどうでもいい。フィルツァー君言葉に僕は昔も昔を思い出す。確かにその名に、聞き覚えはある。どうして今まで気付かなかったのかと言うほどに、隠す気が無い偽名!まさかこんなにオープンに、あっぴろげに!似すぎていて有り触れていて気になどしなかった!と言うかそこまで他人に興味がなかった!


 「エリザベータ……!?君が第五公の娘、ディスブルー島のエリザベータだって!?」

 「そう、それなら私の言ってる意味、お解りですよね?」

 「あ……」


 彼女は僕の昔の姿を知っている。僕が元はタロック人だったことを知っている。こんなカーネフェル人を模した姿の僕。僕が後天性混血であることを、彼らはもう知っているのだ。


 「リゼカに埃沙、それに貴方。ヴァレスタ様もなんだって、こんな混血ばかり……」


 僕を軽蔑しながら、それでも僅かに羨むようにフィルツァー君は呟いた。彼らは混血狩りの人間として、僕を殺すつもりだろうか?主の指示も仰がずに?それはこの少年らしくもない。いや、違う。あの人が居ない。だから東をまとめる役を負わせられている。立場ある彼が、僕を見逃すことは出来ない。それはヴァレスタの顔に泥を塗ること。僕というカードがまだあの男が必要なのだとしても、あの男のためにこの子は僕を見逃せない。でも、どっちが正しい判断なのか解らないのだこの子は。だから、苛立っている。

 アジトはあの混乱で蛻の殻。そこにあの人の姿はない。あの赤毛の少年も。心配と不安で気が気でないのだこの子は。なるほど、それなら……その不安を煽ってやれば良いのか。


 「君は何故あの人の傍にいられないのか、教えてあげようか?」

 「命乞いか?混血が」


 胸に沸き起こるは愉悦。他人の不幸を嘲笑う余裕がまだ僕にあったなんて驚きだ。それでもこの喜劇を笑わずにいられるものか。それで姉さんが逃げる時間を稼げるなら。


 「君が恩人と慕うあの男は、僕と同じ……混血なんだよフィルツァー君」


 僕の紡いだ言葉が理解できないと、彼は数秒その場に固まった。言葉が肌から染みこみ脳まで届いたのか、次第にブルブルと全身が震え出す。


 「う、嘘だ!何をばかなこと!そんなはずが、そんなはずがないっ!」


 泣きそうな顔で、こんな酷い侮辱の言葉を聞いたのは初めてだと彼が言う。


 「何故彼がアジトを出たのかは解らない。それでもこの雨だ。どんな魔法も流れてしまう!嘘だと思うのなら彼を捜してみると良い!君が君の崇める人を信じるのならば、僕の言葉が嘘なのだと証明して見せろ!あはははは!」

 「う、うぁあああああっ!ヴァレスタ様っ!ヴァレスタ様っ!何処ですかヴァレスタ様っ!」

 「グライド様!?」


 敵前逃亡か。精神的に取り乱した、フィルツァー少年は錯乱状態で走り出す。あれでは残党共をまとめる余力はないだろう。彼を追いかけようとする第五令嬢、彼女に僕は聞いてみる。聞いておきたかったのだ。


 「一つ聞かせてくれないかい?」

 「……何か?」


 彼女は僕とは違う。公爵の家に生まれながら、共に家を出た。その理由は僕は混血になったからだけど、まだ純血に見える彼女には、どんな理由があったのか。昔なじみの興味に過ぎない。


 「貴女はどうしてうちの城に来たんだい?アルタニア城で作られたっていう君の身の上話は嘘だったわけなのに」

 「私、男って大嫌いなの」


 彼女はからりと乾いた口調でそう言った。


 「だからあの城で病気を振りまいてやった。貴方に下った連中も、これまで女を馬鹿にしてきた。私の呪いがあるんだから、平和な家庭なんて築けない。みんなその内発病よ?それに気付かないそいつの恋人も感染!いい気味よ!人を不幸にした人間が、人並みの幸せを掴もうなんて、そんなことあってはならないことだもの!おほほほほ!いい気味だわ!」


 情報収集や金稼ぎ、それを隠れ蓑に彼女がしたこと。それは男への復讐だった。なるほど、確かにあの城じゃ、メイドと遊ぶ使用人も多かった。メイド達の命を軽んじた僕の父親も、最低な男だ。彼女にとっては復讐の対象だったんだろう。


 「……第五島の風土病、か。さしずめその治療と引き替えにオルクスに踊らされたと?」

 「利用し合ったが正解かしら。最後に笑ったのは私だけど」


 エリザベータの言い草から、オルクスが死んだと言うことを僕は知る。僕と姉さんを陥れた、復讐の相手が死んだ。それでマリア姉さんが生き返るわけではないけれど、ほっとしたのもまた事実。父を殺したときのような達成感と喪失感、それはない。唯、あのつかみ所のない男が殺されたと知って、良かったと安堵するだけだ。

 僕はあいつを怨んでいるけど、それ以上に許せなかったのは僕自身。だって踊らされたのは僕だった。僕がもう少し冷静だったら、姉さんと幸せになれたかもしれない。それを拒んだのは僕の愚かさ。エリザベータの言う自業自得は僕のことでもあったのだ。人を不幸にしておきながら、幸せなんか掴めない。僕には僕に相応しい、報いがあって然るべき。


 「所で君は僕を撃たないの?」

 「それでお金でもくれるのかしら?私としては早くグライド様のためにヴァレスタ様を捜してあげたいんですけど。ううん、違うわね。匿って何とかして差し上げるべき?」


 エリザベータが振り返った先、コートを頭から雨よけに使った男と、彼を支える赤毛の少年が現れる。不視覚数術。それを破ったのは、彼女に香る香水か。僕らの神経を過敏にし、違和感に気付かせ数術を破らせたのだ。いや、それだけではない。或いはそれを隠れ蓑に、他の香りの数術も流していたのだ。フィルツァー君が感情的に走り出したのも彼女の数痲薬、嗅覚数術によるものだったんだろう。


(確かに、以前から疑問ではあったんだ)


 凡人に数術は使えない。数痲薬を使うことで、精神を揺さぶる系のそれに似た状況を引き起こせはする。人間の脳を操るホルモン操作の数術アイテム。それを何処から仕入れてくるのか。そんな金のかかりそうな物、ヴァレスタが与えるはずもない。となると、医術に携わり、脳弄りに長けたオルクスが伝手で流していたと考えるべき。

 だが、数痲薬に自分が掛からないようにするために、彼女は何らかの対策をしていたはず。薬が引き起こす反応と反対の脳内物質を分泌するような薬を服用する、とか?彼女の香水が引き起こす数術反応は、感情の起伏が激しくなり、感情のままに暴走しやすくなる。つまりはドーパミンの分泌を促す働きがある?

 対する彼女が服用するのがエンドルフィンの分泌を促す数痲薬。それでドーパミンの働きを中和していたのだ。いや、場合によってはアドレナリンを促す香水で、自分がドーパミンで中和していた。彼女がフォースに与えたという香水は、それだろう。殺しやすくするために、逃走を煽ったのだ。死にたがりのSuitもとい、僕の敬愛する二番目の姉さんがアルタニア城までやって来たのもある種の逃走か闘争を煽られた結果。彼女は自分と他人の脳内物質を香りや薬品によって操ることが出来る。これは間違いない。

 だけど、彼女は自分の身体に負担を強いるような薬品利用をして来た。薬によって自分の感情をコントロールする、自分を自分で操る生き方。脳への負担は余りに大きい。復讐のために手段を選ばない、そういう意味だと以前は思った。だけど彼女は最初から、自分の命も未来も捨てていたんだ。


 「エリザベータ……か。もっと早くに身分を明かしてくれたなら、私は貴女を口説いたんだがな」


 ヴァレスタもそれを悟ったのか。彼女は余命幾ばくもない。伴侶として第五島の助力を得、ゆくゆくは玉座をという計画も、立てたところで意味はない。自分か彼女か、或いは全てをあの男は嘲笑い、失笑して見せた。


 「お生憎様。私は今、グライド様に夢中なんです。ですからヴァレスタ様。さっさとお隠れに。此方へどうぞ」


 彼女がヴァレスタに見せるのは、何処かの隠れ家の鍵だろう。そこで身なりを整えろと彼女は指摘している。視覚数術で外見を誤魔化しても、フィルツァーは数術使い。今の疑念があれば視覚数術を破る可能性は大いにある。


 「何故、私を庇う」

 「だって今、貴方を失えば……グライド様は立っていられませんもの」


 そして彼を失えば、自分も立っていられない。そんな響きを彼女は含み笑っているが……それは僕に僅かな違和感を与える。そこまでこの二人は弱い人間だっただろうか?そしてこの二人はそこまで打ち解けて親しかったか?まるで失った、何かの穴を別の物で塞ごうとしているような……?


 「エリザベータ様、彼方は駄目でした。何か此方に手掛かりは……」


 思いの外早く平静を取り戻してしまったフィルツァー君。彼は皮肉なことに、優秀だ。逃げ出した先で東の生き残りを集め、その指揮を執る。落ちた武器を拾い集めこの場に戻る。幸いヴァレスタ達の姿は見えない。破ったのは僕とエリザベータだけ。それでも有能だから、誰もいないはずの空間に向かって手を差し出しているエリザベータの姿を不審に思う。その違和感が、そこに誰か居るのではと彼に思わせる。彼がじっと目を凝らせば、数術は破られる。彼の目にも真実は、見えてしまった。勿論ヴァレスタは不可視数術以外にも視覚数術で外見を隠していたはずだ。それでも疑いの心は甘い幻想をも打ち破る。


 「ヴァレスタ……様?」

 「……」


 ゆっくりと振り返るヴァレスタ。彼はフィルツァー君の名前を呼べない。声を出せば、それだけで肯定してしまうようなもの。だけど、彼は本当によく、彼を見ていたのだろう。慕っていたんだろう。だからその一挙動、一動作をもってしても、肯定されたに等しかった。


 「う、嘘だ……そんな、そんな……だって、貴方はっ」


 雨の中泣きだした、純血の少年。彼を慰める言葉をあの不器用な男が持っているはずがない。近付くことは出来ても、謝ることも抱きしめることもあの男には出来ない。自分は何も悪くはないと、プライドが膝をつくことを拒む。王であろうとするあの男は、今この場において、あまりに無力。


 「…………」

 「ずっと、ずっと僕を騙していたんですか!?僕を助けてくれた貴方がっ!ずっと貴方が大好きだった!貴方を尊敬していた!!そんな僕を貴方は、馬鹿にしていたんですか!?」

 「……違う」

 「騙されている僕は、さぞや見物だったでしょうね!?みんなで、混血達で僕を陰で笑っていたんだ!僕を傍に置いてくれなかったのは、僕が純血だったからっ!!」

 「そうじゃない、そうじゃないグライドっ!俺はっ」

 「今更っ!ゴミが混血風情がっ!僕をそんな風に呼ぶなっ!!」


 パンと乾いた音が、その場に響く。予想などしていなかった。あの残忍な男が見せた甘さ……あの少年を信じていたのか?撃たれた方が裏切られたような顔をしている。撃った方もそうだ。自分が見ている物、自分がしてしまったこと、そのどちらも信じられないと言うような、見開かれた、赤。

タイトルはさらば、そしてさようなら。そんな意味だそうです。

ギミック編もそろそろ終盤。


最後にリフルとヴァレスタで戦わせたかったけど、他のカードが殉職共倒れになるし、今どっちも死にかけだから無理そう。決着付ける前に宿敵がその辺で野垂れ死んでる図ってのもシュールですね。まぁ、うちの小説らしいか。

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