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21:hoc erat in votis

 壁に凭れながら、俺は暗い通路を進む。血の臭気が鼻から離れない。これまで嫌いじゃなかったその臭いに、今は吐き気を感じている。俺は何処に向かって歩いているのか。それさえ解らずに俺は逃げた。

 その間も、どうしてとリィナが俺に訴える。呪いの言葉は本当に、彼女の口を借りて話をされて居るみたいに、迫真がかった音がした。リィナは何時だって俺のため、俺のことを考えていてくれた。アスカは危険だ。あんな風になっちまったアスカに俺が挑むことを、リィナはきっと止めただろう。

 リフル云々の話じゃない。トーラの言葉が俺に違う幻聴を植え込んだ。助かったのにどうしてまだ危ないことをするの?私の命を無駄にするつもりなの?それで貴方が無事なら私はそれで良かったのに。それで私を忘れなかったなら、私はそれで満足なのに。トーラとリィナの言葉が途中から、重なり同じ響きに変わる。見るな、そんな目で俺を見ないでくれ!俺はお前のために……お前の仇を取ろうと、そう思ったのに、お前にそんなことを言われたらどうすればいいんだ?


(俺は……)


 そもそも俺は何のために戦ってたんだっけ?

 最初は兄貴みたいになりたくて。次はストレス発散。その次は俺を負かしたアスカに勝ちたくて……リィナの仇を取りたくて。俺はリィナのため。リィナの仇討ちのため。俺はレスタ兄のため。レスタ兄を守るためには、西のカードは邪魔なんだ。俺はエルムのため。レスタ兄になんかあったらエルムはきっと……悲しむから。兄貴は凄いんだよ。俺の方がエルムと先に知り合ってたのに、俺はあいつを励ましてやることも出来なかった。東に来てからもずっと、落ち込んで死を見つめるあいつに俺は何をしてやれただろう?精々食い物分けてやるくらいだ。上手い言葉が見つからなくて、俺がアスカだったらもっと上手くやれたんだろうかって俺も凹んだりしたんだ。そうだ、俺は少なくとも三人のために戦った。それでもアスカには勝てない。アスカはリフル一人のためにしか戦っていないのに。それじゃ、背負うだけ本当は弱くなる?今傍に俺が守るべき相手は誰もいない。身軽だ。それでもやっぱり俺は勝てない。

 あいつの本当の強さは……とんでもねぇ妄執だった。あんなおかしな、狂った奴に俺は。今のアスカを見ていると、親父の声を思い出す。俺の前から、後ろから……本当に死んだのかも解らない男の声が流れ出す。怖い。狂った人間が怖い。何を考えているのか、何をしでかすのか。先が読めない。恐ろしい。得体の知れ無さ。それが本当の強さ?そんな馬鹿な話があるものか!リィナを失って、俺もおかしくなった。強くなれたはずだった。でも本当はそうじゃなくて……俺は弱くなった。接近戦に持ち込めばトーラは俺なら負けない相手。それなのに俺は、トーラにすら負けた。アスカの持っていた強さと俺の望んだ強さって、全く別の物だった。失えば失うほど、俺は弱くなる。アスカとは違う。戦うのはもっと、楽しかったはず。戦っても憂さが晴れない。余計に重い物を背負わされていくようだ。

 それじゃあ逃げる?でも何処へ?暗い通路を立ち止まる。振り返ることも、戻ることも出来ない。あのアスカが剣を振るう度、奴と過ごした数年の記憶が壊されていく。悔しいとか悲しいとか思う理由を話したら底が見えねぇ。唯、一つ言えることは……あいつにとって俺は本当にどうでもいいような物だったんだ。俺が宿命のライバルと認めた相手にとって、俺は……その辺を這う虫だった。兄貴が俺を見る目より、アスカの目は冷たい光を宿している。そう思うと悔しくてならない。あの男に負けた事実が何よりも。あいつを追いかけて俺が失ったリィナ、トーラ……その死さえ、あいつは馬鹿にして笑っているのに、どうして俺はあの男に勝てないんだ。

 ずるずると膝をつき、寄り掛かった壁。そこが光って見えた気がして手を伸ばす。壁に空いた穴。侵入者達の戦闘で空いたのか?よくわからない。それでもその光が気になって……凍えるこの手を火にかざすよう、俺は穴へと手を伸ばす。


 *


 不意に頭に流れ込んでくる記憶。それはロイルが第二島から戻って暫く後。第五島に向かう前に、ヴァレスタに触媒を見せた時のこと。


 「兄貴、これ貰ったんだけどよ、要るか?」


 何か土産を持っていかないと兄貴の機嫌は悪くなる。第二島で土産って言ったらやっぱ石?そう思った俺とリィナが第二島の触媒屋から貰った宝石。袋詰めのそれは小言を言いながら兄貴は受け取ってくれたが、一番高価そうな触媒には、兄貴は眼を丸くした。店主が非売品と言って譲ってくれたのは、兄貴の眼と同じ宝石。いや、正確には兄貴はその逆なんだけど……とりあえず、その石はアレキサンドライト。確かに高価と言えば高価だが、兄貴としてはあまり気分の良い贈り物ではないだろう。

 しかし数術使いではない俺には無用の長物。兄貴かエルムかグライドにでも使わせた方が、或いは兄貴が売って金にでもすればいい。そう思ったのだが兄貴は要らんなんて、どうにも兄貴らしかぬことを言う。


 「そんなモノを俺が持っていてみろ。俺が怪しまれる」

 「あ、そか」


 兄貴は混血。当然数術も使えるが、純血の振りをして正体を隠しているから数術は使えない素振りで生きている。もっとも質の良い触媒なら純血でも才能さえあれば、そこそこの数術を紡げるようにはなるらしい。しかし東でそれは身の危険。凄い数術使い=混血という偏見を持っている奴もいる。兄貴やグライドが剣を鍛えているのはそのためだ。東での戦闘で数術を使うのはとても危ないこと。


 「んじゃ兄貴が換金でもしてくれよ」


 それで今度飯奢ってくれよな。それでチャラだと俺が笑うと、兄貴は微妙な顔つきで俺を眺めた。昔の兄貴ならそこで笑って俺を罵倒したんだろうが、今の俺達のは距離がある。昔みたいには戻れない。


 「そんじゃ、次は第五島に行けばいいんだろ?行ってくる」


 挨拶もそこそこに俺は兄貴に手を振った。だからあの触媒がどうなったかなんて知らなかった。


 *


 眩い光に包まれて、思い出すのはあの日のことだ。思い返してみれば俺、あれから兄貴と話してねぇな。蒼薔薇を殺したことが引っかかって……オルクスのやり方が気に入らなかった。兄貴も仕事のことがあるから強くは出られない。あのままじゃ、オルクスは兄貴をも狙い出す。それじゃ駄目だ。それでもこんな気持ちで戦える俺じゃない。吹っ切れるためには相手が必要だった。誰かを殺すこと、それを乗り越えるための必要な誰か。俺が心も体ももっと強くなるにはアスカが必要だった。俺はあいつを倒して初めて、こんなことで狼狽えない人間になれるんだ。手を伸ばした先から感じるのは風。こんな事は前にもあった。星の降った夜のこと。俺はあの星に何を願ったんだったか。


(そうだ、確か俺は……)


 二度とあんな未練の顔を見たくないと思った。俺はあんな風になりたくないと思った。未練を残さず、俺は笑って死にたいと。そう願ったはずだった。そんなこと、ずっと前から思ってた。改めて言う願いなんか無い。俺は俺の生まれた意味、生きたことを満足して死にたい。それだけは、後悔なんかしたくない。そのために俺は……城に、東に……兄貴の所へ戻ったんだ。一生兄貴から逃げたままじゃ、俺多分笑えない。そう思ったから。


(あれ?この匂い……)


 風に乗って香るのは茶葉の匂いだ。ここは倉庫なんだろうか?


(なんかこの辺……食い物とか、ねぇかな……)


 何か食えば多少の体力回復はなる。

 兄貴は俺への褒美に金は渡さない。基本食い物ばっかだ。仕事終わったら顔出してりゃよかった。兄貴の部屋からはいつも茶の匂いがする。成金趣味の兄貴は貴族のように優雅を装う。でも割と庶民料理とか嫌いじゃないんだよな。俺から香る血の臭い。その出口のように香り導く紅茶の匂い。あれ?それは思いの外近い。目指す場所まであと少し。壁を蹴り付ければ、ぶわっと広がるその匂い。そうか、ここは兄貴の部屋の隣室だ。何時の間にこんな所まで来ていたのだろう。破った壁から室内へと入る。目的地の扉を前に、俺は倒れ込むように室内へ転がり込んだ。どっと疲れが出た。

 リィナを失った。トーラに負けた、アスカの狂気に勝てる気がしない。逃げ出した俺は惨めだ。もうどうしたらいいのか解らなかった。弱り切った俺の心が思い出す、最後の縁はどうしたことか、あの兄貴。あんな人でも、俺はまだ……あの人が好きだったんだなぁ。本当に。

 ぼんやりと見上げた先、いつもみたいに俺を呆れ見下す人の姿はなくて、部屋は空っぽ。兄貴は昔みたいに俺を待っていてはくれない。俺はもう王じゃねぇから、守る価値もない奴だから。こうして一人になってしまった。


(本当、惨めだな)


 何のために俺は今まで戦っていたんだろう。生きている、生きていた、その証を求めたはずだけど、リィナを犠牲にしてまでその道を進む覚悟も狂気もなかった。それさえ戦いのスパイスだと狂喜する心が俺にはなかった。もう理由なんか無い。解らない。それでもあの男に負けるわけにはいかなかった。そうしてしまうとこれまで失った物全てが馬鹿みたいに思えて仕方ねぇんだ。

 俺はリィナの死に怒り狂った。だけどトーラの言葉に頭から冷水を浴びせられて、取り乱した。そんなものまやかしだと振り払える強さが俺にはなかった。俺が殺したいのはアスカ。リィナを殺したのがアスカ。あいつにも俺と同じ痛みを思い知らせてやりたい。そう思って俺はリフルを殺そうとした。俺は何も間違っちゃいない。今だってそう思う。それでもリィナにリフルが何かした訳じゃない。リィナにあいつが危害を加えた事なんて、一度もない。俺がしようとしたこと、それは俺がアスカと同じになろうとしたって事。あいつみたいな最低な男になろうとしたって話。その時点で俺の負けだ。俺の求めた殺し合いはそんな話じゃない。俺は楽しく生きて死ぬために、それを求めたはずだろう?それがどうしてこんなに苦しい気持ちで戦わなければならないんだ。この葛藤を誰に押し付けることも出来ないまま、俺は押し潰されていく。


(あいつみたいに、なりたかった……)


 俺に似ていて、俺に似てない。あいつみたいに生きられたら、この息苦しさも忘れられるのだと思った。だけどあの男は、アスカはリィナのみならず、味方のトーラまで殺した。あれが正しいやり方だとは思えない。あんな卑怯な男に負けて死ぬんだって思うと悔しくて、俺は嗚咽を繰り返す。こんな俺を見たら兄貴は、情けないと言いながら……俺を負かした相手を倒しに行ってくれた。城ではそうだ。それでも俺だって、もう子供じゃない。兄貴に助けて貰わなくても大丈夫、そう言って城を出たはずだ。


 「何やってんだ……俺」


 兄貴がここにいない。身を潜めていなければならないはずの兄貴がここにはいない。今更のようにその意味を俺は知り、愕然とする。いなくなるはずがないのだ。ここを動くはずがない。兄貴がここを去ったというのなら、何か一大事があったはず。それもあの金の亡者の兄貴が、鍵をかけ忘れるなんてよっぽどだ。窓の外は暗雲。兄貴の髪は、水に弱い。雨でも降ったら兄貴が混血だってことが露見してしまう。


(大変だ!早く兄貴を助けに……)


 慌てて絨毯から身を起こした俺は、兄貴の机に頭をぶつけてしまう。その拍子に床へ落ちた重い音。その方向を見やれば、何やら上品な装飾の行き届いた綺麗な剣。俺が第二島から持ち帰った宝石が、装飾として組み込まれている。そしてその宝石が、鈍い光を発している。その赤い色に俺が思い出すのはあの人の目。その剣に触れてみて解る。この長さ、この握り……俺の手を、俺の身長を計算しての物。


 「レスタ兄……もしかして、これを俺のために?」


 穴から見えた光。それはこれだったのか。そんな直感がある。だけど隣室の光をどうやって俺は見た?そんな、数術使いでもあるまいし。若干自分の考えに呆れながら、手を伸ばす。手に取った剣から、流れ込んで来る数式。頭に働きかける声は伝言。


 《いいかロイル、貴様は馬鹿だ》


 はじまりからいつもの兄貴らしい言葉。場違いな程空気の読めない伝言に、俺は小さく笑い泣く。


 《しかしこの俺の弟でもある。コートカードは数術を覚えない。しかしカードになる以前より才能があれば別……少なくともお前はセネトレア王が子。あの男は憑依数術を与えられ、自力で他者の身体を渡り歩いた。つまり元の身体の時点である程度の数術の才能はあったと見て間違いない》

 「兄貴……」

 《才能がなかったらそれまでだが、精々俺のために働くのだな》


 これは、俺がそう遠くない日に最後の戦いに挑むことを兄貴は悟り……その餞として作らせたのだろう。俺はコートカード。命懸けで、幸福を捧げれば……あり得ないことだって現実になるのかも。アスカとやり合うには、数術の使えない俺は不利。命懸けで、西側のカードを削れ。狩れ。それが兄貴の望みだったかも知れないが、俺には兄貴が俺の背を押してくれたような気がした。この俺の弟が、まさか屈辱も返さずに逃げ帰るかと兄貴が俺を怒っている。

 兄貴は金のためと何時も口癖のように言うけれど、もっと大事な物がある。兄貴にとって一番大事なのは見栄とプライド。王になりたかった兄貴にとって、自尊心こそ最も尊ぶべきものだった。俺は王になれないと逃げ出したけど、兄貴の弟という身分からまで逃げ出しては居ない。だからこそ兄貴は言うのだ。この俺の弟の癖にと。他の兄弟達とは違う。俺を見下すためじゃない。俺を誇らせるために、兄貴はそう言う。


 「俺は……」


 リィナがいない。兄貴もここにいない。気掛かりと言えばエルムくらいだ。それでもエルムに俺は助けられちまった。助けるはずだったのに、助けられていた。あいつはもう、子供じゃないのかもしれない。城を出た俺みたいに、自分で自分の人生を歩き始めた一人の男。助けるなんて言い方、あいつにはもう失礼なんだ。気にすること自体、あいつを男扱いしていないことになる。

 もう何も気にするな。残り僅かな幸福値。それが俺の残りの命。それを使って俺は何がやりたい?そう考えて出てくる答えはやっぱり同じ。


 「俺はあいつと、蹴りを付けたい」


 死ぬために生きるんじゃない。生きるために死にたい。最後の最後まで、俺は胸を張って生きていたと言えるように誇りたい。逃げて逃げて逃げて、最後の一人になれたとしても俺は城へと逆戻り。俺の心は死んでいく。俺は生きたかった。生きていたかった。心のままに人間として、知りたかったんだ。色んな気持ちを、色んな心を。ここで逃げたら俺は後悔する。俺が人として生きるために、生きて死ぬために、どうしても俺はアスカから逃げられねぇ。


 「俺だって男だ。負けっ放しは許せねぇ!」


 俺の中に最後に残った物。ちっぽけな、意地という名の自尊心。俺がこれまで生きてきて、ようやく手に入れた人間らしさ。こんな下らないことに気付くまで、随分時間が掛かってしまった。


(ごめんな、リィナ……)


 お前の仇を取りたい。そんな気持ちじゃ俺はアスカの狂気に勝てねぇ。


 「痛っ……!な、何だ何だ!?」


 突然利き手に走る激痛。手にした剣を落としかけ、慌ててそいつを受け止める。


(確かこっちの手って)


 アスカに剣で刺された方だ。エルムが治してくれたとは言え、やはりまだ傷が疼くか?気になって手袋と包帯を外せば、俺の手が……刻まれたカードが光っている。


 「これ……」


 先程までJと刻まれていた俺の掌。その文字が変わっている。>l……?Kを反転させたようなその文字の意味するところは解らない。それでも、身体に力が湧いて来たような、そんな錯覚。

 これが最後かも知れない、兄貴からの贈り物。ぐっとその柄を握れば、思いの外軽かった。それでもしっかりとした手応えを感じる。いや、これが何なのか、俺はそれだけで理解した。


 「凄ぇ……」


 でもこんな、武器の力で勝って俺は満足?いや、兄貴は言った。使いこなせなかったら死ぬまでだと。やれるかどうか、保証はない。やれそうな気がするだけ。仮に使いこなせたならそれを恥じるな。幸運も、才能も……お前の力であることに違いはないと、兄貴はそう言った。


(嗚呼、そうだよな)


 きっとこれが食うのは俺の命だ。幸福だ。使いこなしてもその先には何もない。


(それでも、俺は)


 例え誰かに馬鹿だと言われても、やらなきゃなんならねぇことがある。それが人間の生き様死に様って奴なんだ。俺は王じゃない。一人の身勝手な人間としてどう生きる?どう死ぬんだ?この顔に、未練だけは残せない。俺が笑って死ぬために。


 *


 アスカは睨む。襲撃者を憎悪の瞳で。

 襲撃者の距離は遠い。それでもリフルの腹には深々と長剣が突き付けられている。モニカが治療に当たってくれているが、これ以上の怪我は本当に危ない。ロイルをリフルから引き離さなければ。今頭にあるのはそれだけ。毒香を取り出し風をおこせば、毒の匂いを感じ取ったロイルが逃げる。風上の位置を得るためには、風の数術を使う俺と室内戦は無理。屋外へと退避するロイルを追って、冷たい雨の降り出した東裏町へと向かう。

 多少の毒はこれで洗い流された。ロイルを追いながら、奴を真似て手の皮膚を抉ったが、その前にロセッタにも一撃食らわせられていた。抗体があるとは言え、身体の痺れは感じている。それに俺もロイルもリフルの毒を食らっているのだ。完全な解毒とはなっていないだろう。それでも雨は強まってくる。これでは俺の毒攻撃の威力は格段に落ちる。小手先の子供騙しは使えない。長期戦を行う体力もない。ロイルが手のしているのは、いつもの剣じゃない。どんな物かはわからねぇが、まだ鞘に入れてある。これまでの剣とは違って細身の剣だ。あいつは居合いでもやるつもりか?しかし柄や鞘の装飾は見事なもので、どうにもロイルの趣味らしくない。あいつの剣ではないだろう。適当にアジトから拾ってきた剣か。


(そんな行き当たりばったりの奴に……)


 一度ダールシュルティングを鞘へと戻す。重くてあんまりやりたくなかったが、仕方ねぇ。俺が抜刀しようとしたところで、ロイルも構える。その手の得物を見、俺は目を見開いた。ロイルの両手には剣があり、その一本は見覚えのある形状。


(二刀流!?そんな馬鹿な!あいつの得物は……!)


 思い出してみれば、先程の攻撃は妙だった。ロイルが使ったのはいつもの愛剣ではない?一本は撤退の際に落とした。ああ、それは関係しているだろう。その位ロイルは平静を失っていた。……違う。一本は覚えがある。思い出す。軽い方の……レーウェは俺が折ったんだ。それでもカルノッフェルに斬りかかった時のロイルの攻撃は……早かった。リフルを刺した時は、あいつが反応して俺を庇えるくらいの時間はあった。それならあっちがグラウェ?だがあっちは切れ味のない剣だ。遅さは怪我のためだと考えるべき。それなら落としたのがグラウェ、持って逃げたのがレーウェ。折ったはずの剣が直っている。それはまず間違いない。それならあの剣を誰が直したか?粉々になるとかそこまで損傷が激しくなければ、壱の数術使いなら直せる。それなら回復技持ちのエルムが?


(いや……)


 そんな数式、数術に目覚めて間もないエルムに使えるか?回復と修復は似て非なる物。俺が洛叉の野郎のように、複雑な回復を行えないのは人体構造に明るくないからで、修復もそれと同じ。エルムが剣についてをちゃんと正しく理解していなければ、治すことなど不可能だ。そうだ、トーラのように膨大な情報を持っている数術使いでもなければ、あんなことそう簡単には出来ない。俺だってそんなもの、出来る気がしない。

 それじゃあ誰が?そう考えたとき、風を感じた。それは何処から?ロイルの方だ。ロイルを後押しするような、俺にとっての向かい風。


 「てめぇ……数術使い、だった……のか?」


 コートカードは元素の加護を受けない。カードになってから数術に目覚めるのは数札だけ。数術の使えるコートカードは元々が数術使いだった場合だけだと俺は聞いた。それなのに何故!?解らない。それでも自分の武器の構造について正しく理解している人間は、自分でしかない。そう言われたなら、確かにロイル以外にあり得ない。


 「手が熱かった。お前に刺された所為かと思った」


 あの野郎、俺の質問には答えずに妙なことを口走る。


「手?」


 見れば確かにロイルの手には包帯が巻いてある。朧気ながら俺が刺した記憶も甦る。ロイルが包帯を外した下から現れたのは、スペードの紋章。裏返された手には、よく分からない数値が刻まれている。Kの鏡文字のような……


「この間まではJって書いてあったんだけどな。なんかいつの間にかこんなことになってやがったぜ」

「さらっととんでもねぇこと暴露しやがって」


 今のロイルが何なのかはわからねぇ。それでも見える。今のこいつの幸福値、とんでもねぇ。これまで幾らだって消費しただろうに、まだこんなに残ってやがったのか!?

 しかし、正気を失った方が数術の技量が上がるってどういうことなんだろうな。マリー様も親父も数術の使い手だったんだし、俺だけ才能が無いなんてことは、無かったんだろうが……リフルが数術を使えないように、俺の精神がそれを阻害していたのかもしれねぇ。俺の思考その物は数術学的な要因を否定するものだったんだろう。

 相手がコートカードじゃ、俺が勝てる訳がない。俺が願いを放棄することを選ばなければ、その道は開けない。

 ここでそれを使ってみろ。もしリフルを失って、生き返らせることが出来ないのなら……俺の願いが叶わないのなら。その時こそ、俺はもう戻って来られない。またあの狂気に飲み込まれてしまう。今だって怪しい。一時的に俺の意識が戻っただけなのかも。

 俺がしたこと。俺の手が覚えている。そこから掘り起こされる記憶の数々。冷静になれば怒りを上回る恐怖が生まれる。いっそのことロイルと戦って、ここで死んでおけば……俺は俺のしたことを追求されずに済む。リフルに幻滅される、その言葉を聞かずに済む。嗚呼、そうだ。最後の戦い。これを最後の戦いにしよう!


(リィナの敵討ち……させてやらねぇと)


 俺はあんな風にリィナを殺す必要なんて無かった。どうしてあんなことしちまったんだ。そう後悔する気持ちも少しはあるんだ、正気の俺には。これ以上ややこしいことになる前に、逃げてしまおう。


「死んで楽になどさせない、生きて償え」

「え?」

「前に私が言った言葉だな」

「り、リフル……」


 振り返った先で、リフルが泣いている。リフルの手には、ぐったりと倒れ込んだモニカの姿。良く見れば、リフルを抱えている者が居る。ロセッタだった。彼女の足でここまで追って来たのだろう。


「あの子、リフルの回復に……命注いだのよ、それこそ全身全霊で」

「あ!……」


 そうだ。精霊は……術者が、契約者が居なければ数術が使えない。使えないことはないが、自身の元素を消費する。それは身を削って術を紡ぐこと。俺はモニカに命令した。俺を介してではなく、彼女自身に、彼女だけの力で数術を、回復を……


「も、モニカっ!」

 《アスカ、ニオ……ス》


 気が付けば俺も泣いていた。モニカに震える手を伸ばし、涙の雨を彼女に降らせた。


 《いいのよ、これで……これで、良かった》

「良くなんかっ……!」

 《アスカニオス、私は……貴方を幸せにするためにここにいた。そのために失ってはならないのが……リフルちゃんなんでしょ?私、ほっとしてるの。私が生まれた意味、果たせたんだって……思うから》

「モニカっ……」

 《この私がこんなに祈って祝福してあげたんだもの、……幸せにならなかったら怒るからねアスカニオス!》


 絶対に手放しちゃ駄目よと最後に微笑んで、モニカは数値になって空気に溶けて消えてしまった。精霊は元素の固まり。全ての元素が消費されたなら、意識も心も消えてしまう。モニカは、……モニカが死んでしまった。

 モニカが消えたことで、彼女を支えていた俺とリフルの手が触れ合うだけ。もうそこに彼女は居ない。震える俺の手を、やはり震えたリフルが両手で包んでくれるだけ。責任を感じているのだ。自分を治した所為で、モニカが死んでしまったのだと思って。


「アスカ……」

「……」

「約束を、破るのか?」

「約束……?」


 そうだ。二度と泣くことがないように、悲しいことがないように。託された祈り。それを俺は叶えてやれてない。


「お前までいなくなったら……私はっ」


 トーラがいない。モニカがいない。それ以前にも俺達は亡くして来ている。今頃だって、俺達が知らないだけでもっと大勢、本当は……

 弱ったリフル。さっきまで俺がお前に何をしていたかも忘れてしまったのか?俺はこんなに危ないのに、無防備に俺の腕に飛び込んだりして。毒の涙で俺の胸を濡らすんだ。俺以外に誰が居る?こんな風にこの人を抱きしめてやれる奴が。だけど、俺以上にそうさせてはならない奴もいないのだ。こうやって抱きしめればそれが当然になる。次々に、それ以上を欲しがるようになるだろう。俺は何を与えられてもそれで満足できないから。お前をちゃんと、守ってやれない。

 震えるその背を撫でてやりたい。この腕でしっかりと抱きしめてやりたい。それでも……今となっては、俺には出来ない。俺は、俺からこいつを守らなきゃならないんだ。


「……!?」


 俺は無理矢理リフルを引き剥がし、赤髪の少女の方へと投げる。


「ロセッタ!」


「そいつのこと……しっかり押さえといてくれよ」

「あんた、一体何を……!?あいつ、……ナイトカードよ!?リフルの協力無しに勝てる相手じゃないわ!」


 まだ万全の体調には程遠く、ふらつくリフルを支えた彼女に目もくれず、俺はロイルに視線を戻す。


「……腹なら括った」

「え?」

「やってやるって言ったんだよ」


 数値破りに手を染める。俺は神には何も願わない。俺は俺の力で全てを果たす。


「リフルは守る!今後一切、俺の所為では泣かせねぇ!」

タイトルはラテン語格言の本から。

これが私の願いだった、という意味だそうです。

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