1:Qui omnes insidias timet in nullas incidit.
この世で一番美しい色を一つ挙げろと言われたのなら、銀色と紫……俺は悩んだ挙げ句、選ぶのは紫だ。勿論あいつの銀髪も綺麗だけど、はじめて目が会った日の衝撃を俺は今も忘れられない。
タロックの赤、カーネフェルの青。それが溶け込み調和し織りなす美しい奇跡の色だ。こんなに美しいものがこの世界にあるなんて信じられず、一瞬にして目を奪われた。
嗚呼、その目が何時の日も此方だけに向いてくれればどんなに幸せだろう。邪眼は俺の心を煽る。
初めは眺めているだけで、綺麗だなってそれで良かった。だけど棺で眠る人を眺める内に、その視線を求め始めた。死んでいるこの人の目がもし再び開いたら、その時最初に目が合う……相手が俺であって欲しかった。だから毎日地下室に俺は棺を見に行った。
幸せだった。例えあいつが何も話してくれなくても。幸せだった。その目に俺が映ることがなくたって。
俺の空想、俺の妄想。勝手に植え付けたイメージ。何も話さない、死んでいるからこそ俺を裏切らない。
腐らないその死体に取り憑かれた俺の妄執。下らないと思いながら、眠っているだけだなんて思い始めた。信じ始めた。何時の日かその瞼が震え、あの奇跡の色が現れる。
花咲く日を待つように、俺は唯待ち続けた。あの小さな部屋が俺の世界。俺にとっての全てだった。
邪眼のまやかしが誘惑が俺の思いをねじ曲げる。それが本当なのだとしても、意味を変えられたとしても、俺にとってあいつが何より大切だということには変わりない。
あの目が余所を向くのを、止めることなんか出来なくても。悔しくても、悲しくても……それがあいつの望みなら、俺は笑って見送る。時々で良い。思い出した時に、俺の方を振り返ってくれるなら。俺は俺を押し留められる。狂わずに生きていられる。あの美しい紫の……その目に魅入られたのだとしても。それだけでいい。それだけでいいのに……俺はこの悪魔のような国、セネトレアでその全てを一度失い……そして再び、失い欠けている。
箱の中の硝子ケース。収められたその美しい色。見間違えるはずもない。唯一無二の奇跡の瞳。我を忘れるには十分過ぎた。魅入られたように、俺は剣を抜き吠え猛る。
理解はした。それでも許せないことがある。アスカは目の前の男を睨み付ける。
自分が狂わずにいられる理由が、破られた。何よりも大切な人が傷付けられた。あの綺麗な瞳が抉られた。
許せなかった。その目があの人の顔に付いていないことが。あの人を損なわせた、傷付けた奴らの顔に両目が付いているのも許せない。同じ目に遭わせてやろう。直接目の前の男が関係していなくても、そんなのどうでもいい。理解はした。それでも許せないことがある。アスカは目の前の男を睨み付ける。
もう冷静に話など聞いてはいられない。あいつにそんなことをした奴の、下についているこの男まで俺は憎くて堪らない。過去も思い出も、こいつとの関係ももう何もかもがどうでも良い。あいつに流させた血の分、きっちり落とし前付けさせてやる。同じ量なんて生温い。三倍血を流させてやる。
(……ぶっ殺してやる!!)
力の入りすぎた目で俺は斬り合う相手に食らいつくよう、殺意を向けていた。
男は一瞬、悲しそうに笑った後……俺と同じ目に変わる。本気の斬り合い、どっちが或いは両方が……死んでもそれはそれで仕方ないよなと言うように。
「ぐっ……」
俺の怒りは俺に大きな隙を作った。それを相手は見逃さなかった。
《アスカニオスっ!!》
「大丈夫だ、モニカ!」
モニカが回復に回っている内は切り札での攻撃が出来ない。防戦一方になっていく。
攻撃は最大の防御。こいつ相手にそれ以外の言葉はない。防御に回った時点でこいつの独壇場になる。だから止めろと言ったのだが、過保護な精霊は俺の声を聞きやしない。今はこれがたった一つの正解なのだと言わんばかりに彼女は回復に専念。
それに俺は更に苛立って……その内に一発、でかい攻撃をくらっちまった。それで頭からも血が抜けていったのかな。少しずつ俺は冷静になっていく。
不思議なもんでさ、いろんなことを考える。走馬燈とも違うんだが、頭の中をグルグルといろんな記憶が回り出す。戦いの最中に他のことを考えるなんて不注意なんだが、勿論次の攻撃、その次の攻撃、避け方等々考えていることは考えている。だから言い方が変だな。脳が働きすぎている。こうして剣を振るうことで、俺の思考は分化する。
*
「アスカ、またそんな怪我なんかして」
「ほっといてくれ、ディジットには関係ないだろ」
俺は、馬鹿な俺を案じてくれる優しい幼なじみの言葉にもちゃんと耳を傾けていなかった。
当時の俺は荒れていた。日夜仕事に明け暮れて、高額な報酬の仕事さえあれば何でも手に染めていた。もっとも例外は勿論ある。
世話になっている宿の一人娘……失踪した父親に代わり店を次いだディジットは、奴隷貿易を何より嫌う。彼女にこうして部屋を借りている身としては、奴隷貿易には手を出せない。そんなことをしようものなら西裏町から追い出さされる。
第一そっちに手を染めたなら、西の大組織TORAを敵に回す。暗黙のルールを破り、西裏町まで混血狩りに来た人間と奴隷商。西裏町から奴隷商を淘汰したのはその組織だ。その長は圧倒的な強さを誇る数術使い。彼らに二度と西へ踏み込ませないだけの恐ろしい地獄絵図を見せたとか。それでもそのTORAは何も戦闘専門請負組織ではない。あくまであの組織は情報屋。この国最大の、そして最高の情報屋。
俺の求める情報を握っていそうな宛がその情報請負組織しかないのだから、機嫌を損ねるようなことは出来なかった。それがどんなに金になる仕事なのだとしても、悪魔に魂を売ることが、俺には許されていなかったのだ。
それと、もう一つ。俺が俺に強いた禁がある。
人殺しにだけはなりたくない。両親を殺したあの男と同じような物になんかなりたくない。越えてはならないその一線、それを頑なに拒んでいたけれど……あの人が見つからない。その年月が積み重なって、金だけが唯増えていく。金さえあればいつかあの人に手が届く。そのための情報が得られる。それだけが希望で、縋れる物で。金はあの空に散らばる星だ。それを集めて集めて集めて集めて集めまくれば、どんな願いも叶えてくれる。死者を生き返らせる、それ以外なら、なんだって……この世の全ては金さえあれば叶えられる願いなのだ。
俺は生き急いでいた。俺の目指す物の先に生などありはしない。償うために死ぬために、俺はその日を生きていた。そんな俺を心配そうに幼なじみの青い眼がもどかしそうに見つめていた。
「なんでそこまでして……あんたはお金が必要なの?そうまでして知りたいことって一体なんなの?」
俺を見るその青は母さんのそれには及ばない。それでもその長い金髪と優しい青の雰囲気が少しだけ似ていたんだ。
母さんにもういいんだよって言われているような気持ちになる。それでも俺は俺が許せない。それだけじゃない。俺があの人に会いたくて……もう一度この眼であの人を見たくて。そのために俺は金を集め続けるのだ。所詮はエゴだ。解っている。それでも立ち止まれないのだ。
「……それじゃあ仮に俺がある国のそれは有名な貴族の家の騎士で、行方不明のご主人様を捜してるとか言ったら信じてくれるか?」
「ううん、無理。私のこと馬鹿にしてるか適当な嘘で煙に巻こうとしてるかって思うわよ普通」
「だよな」
「もう……そんなに私が頼りないなら別に良いわよ!」
俺が本当のことを話す気がないのだと彼女は呆れてしまうけど、どうしろって言うんだ。我ながら嘘みたいな本当なんだ。信じて貰えるはずもない。俺だって縋れる記憶が日に日に遠くなり、夢だったんじゃないかとさえ思う。
俺に残された過去の証明は、両親の形見だけ。親父の剣と、親父がマリー様の……母さんの騎士になった時に親父に送ったその指輪。俺の身元を保証するのがそれだ。
もっとも俺の得物を見てそれと知れるのは親父と戦ったことがある奴くらいだし、指輪を見て解るのはシャトランジアの上層部くらい。つまりこの世の殆ど9割以上の人間は、俺が誰なのか解らない。そうやって過去を奪われれば俺も正しいことがあやふやになっていく。こんな俺がシャトランジアの王族だって?馬鹿みたいだ。こんな腐った国の裏町でその日暮らしみたいなこの俺が。
「……でもその怪我は先生に診て貰いなさいよ」
呆れながらもディジットは俺の心配はしてくれる。それでも受け入れられないことはある。俺は地下室に棲み着いたあのタロック人が嫌いだ。何もかも勘に障る。互いにそうだ。生理的に受け付けない。俺の本名を知るあの男は、初対面時から俺を鼻で笑う等、気に入らない男だった。それにあいつも人殺しだ。元々タロック貴族だ。タロックからは指名手配されているとのことだが、ここに何しに来たのか怪しいものだ。最悪そういう建前で狂王からあの人を捜せと命じられた可能性だってある。俺が先に見つけて守らなければ。
数年のセネトレアでの生活は、俺の心を荒ませた。信じられるモノが本当に何もない。あるとしたらこの店くらい。ディジットだけだ。それだけだった。
大金に目が眩んで、だけど一人じゃこなせないような大仕事。そういうのを諦めきれなくて、これまで何度か仕事を誰かと組んだこともあった。だけどどいつもこいつも俺を裏切る。金だって隙あらば10割持っていこうとする。
こうなれば仕方がない。小さい仕事を積み重ねて、大きな仕事をくれそうな依頼人の信頼を勝ち取っていく。堅実的な仕事をするしかない。悲しいことに大金の仕事での揉め事に巻き込まれるよりは、小さな仕事で自分が10割貰ってそれを繰り返す方が実入りの良い仕事となった。
人殺しはしない。それでも大金を手にするには、命を賭ける必要がある。それが他人か自分の命かって話。他人を殺せない以上、俺が賭けられるのは自分の命だけ。戦闘依頼は危険な仕事ほど報酬が高い。強くなればその分手っ取り早く稼げる。大怪我して金を稼いでもその治療で消えるなら意味がない。俺は自分の身の丈にあった仕事をしている。この位の怪我なら問題ない。
「嫌だ。あんな奴に診察されたら幾らぼったくられるかわかったもんじゃねぇ」
そうは言ったが、俺は唯の一度だけ……瀕死の重傷を負い、あのクソ野郎の治療を受けたことがある。
それは身体に鞭打って、無茶を続けた先での仕事でだ。
俺は一人の男に出会った。黒い目と髪のその男はタロック人だ。真純血では無いだろう。目の色は大分真純血のそれより薄い。それでもその黒髪は見事だ。角度によって紫がかって見えるのが印象的な奴だった。俺が一番好きな色は紫だから、少し目を惹かれたのは逃れようのない事実だ。
「お前、名前は?」
その男も、いや……当時はまだ俺もあいつも少年と形容しても良い年だった。その少年はそれまで死んだ魚みてぇな面をしてたのに、俺の目を見た途端にぱぁと明るい笑顔になった。純粋な子供のように強者との出会いを喜ぶそれは、俺の力を嗅ぎ取って、それに歓喜する戦闘狂のその顔だ。
「時は金なりって知ってるか?」
俺は金が必要だ。依頼を遂行しなければ残りの金が手に入らない。俺には戦いを楽しむ趣味はない。こんな時間を食いそうな奴に捕まるより、さっさと依頼を遂行したい。俺の依頼はこの少年を倒さずとも遂げられるもの、そのはずだった。
そいつが任かされているのはある宝の守護。だがそれは盗まれた物であり、俺はそれを取り返すのが仕事だった。見れば阿呆そうな面だ。上手く騙して逃げればそれで良い。適当に相手をして隙を窺うか。そう思った。それが間違いだった。
ある程度経験を積んだ俺は手の抜き方も覚えていた。そう。そもそも金さえあればのセネトレアにこんな男がいるはずがなかった。俺の常識、この狂った国の常識を更なる狂気、或いは正常にいかれた神経で覆したのはそいつ。
「んじゃ、俺が勝ったら教えろよ!」
「ふざけるなっ!」
勝ったらだって?馬鹿言うな。その時俺が生きてる保証がないだろうが!殺すつもりが無いならそんな危ない攻撃するな!
手を抜く?馬鹿か?隙だって?んなもの全くない!手を抜いたら俺が死ぬっ!
そう思い必死にその猛攻に食らいつく。
「初めてだぜ。この国でそんな目をしている奴を見たのは!」
「何のっ、話だっ!!」
一撃一撃が半端無く重い。何度か攻撃を防いだだけで腕に痺れが生じ始める。そんなに背丈や体格は変わらないはずなのに、なんつぅ馬鹿力だ!このまままともに相手をしていたら得物ごと俺の骨にヒビが入ってしまう。そう考え、俺は避けることに専念。そうして機を窺うしかないだろう。
「死んだ目してる、他の奴らとは違う。腐ってねぇのに死んだ目だ」
唯金を求める金の亡者達とは違う。金が欲しくて金が欲しいんじゃない。目的があってそのための手段として金を求めている。そんな俺の目は腐っていない。それでもその目は死を見つめていると戦闘狂の嗅覚が嗅ぎ取った。
「お前は死ぬのが怖くねぇ。それでも何か目的がある。それはよ……つまり、こういうことだろっ!」
「んなわけあるかっ!」
戦うために生きているんじゃない。死ぬために戦っているんでもない。俺はあの人に殺して貰うために生きているんだ!他の奴に殺されて堪るか!あの人のあの白い指に俺の首を絞めて貰うんだ。あの日俺がそうしたように。その罪を償うように。
だから負けられなかった。そいつには明確な意思がない。唯戦うことに意味を見出すだけ。俺は仕事を引き受けた以上、依頼はこなすし金は絶対手に入れる。一秒一秒、気が急ぐ。それが命取りになるのでは。あの人はもうどうにかなっている。死体さえ残らないなんて、そんなことさせて堪るか。俺の金集め、俺の仕事。それを邪魔する奴は皆敵だ。あの人との再会に、立ちはだかる奴は皆敵だ。
確かな憎しみを持って俺はそいつと対峙した。疲れていたんだ。うっかり手が滑ったなら殺してしまっても俺の所為じゃない。その位に考えていた。多分、それが間違い。死ぬつもりじゃない。それでも互いに、あの日……俺達は、殺すつもりでやり合った。
その結果……俺が目を開けたのは見慣れぬ薄暗い部屋だった。
「まったく、面白味のないガキめ。年齢なら許容範囲にありながら……ここまで診察、治療のし甲斐のない身体もそうそうない」
母は美人だったのに、お前には父親の色がよく出過ぎていると呆れたように言う洛叉。
俺はそこまで親父に似ているとは思わないが、親父を知るこいつが言わせれば外見はまだ似ているとのこと。
初対面時から俺はこいつを変態変態と言い続けてきたが、この男はあくまで少年少女性愛者であり同性愛者ではない。年端もいかない少年は大好きだが、野郎に興味はない。故に戦闘を繰り返して適度に筋力の付いた俺の身体にはまったくそそられないそうだ。むしろ俺としてもそっちの方が有り難い。
しかし、目覚めて一番最初に見るのが大嫌いな男というのは気分が悪い。第一その第一声が酷いにも程があるだろう。
「変態に欲情されるくらいなら首吊って死んだ方がマシだ」
「失敬な。貴様のような鳥頭に手を出すくらいなら、俺も憤死しかねんぞ」
「んじゃ死んでくれよ、今すぐに」
「減らず口を叩ける位には回復したようだな」
それならさっさと出て行けと、俺は診察室から追い出された。不意に甦る痛み。腹が痛んだ。服を捲れば包帯からまだ血が滲んでいる。後から聞けば何針も縫う大怪我だったらしい。
これで洛叉に医療費ぼったくられたら俺の貯金がやばい。俺が貯め込んでいるのはバレているだろうしあいつは鬼のようにかっぱらって行くだろう。
「アスカ、もう大丈夫なの?」
上の階へと上がれば、俺に駆け寄ってくる宿屋の少女。
「ディジット……心配してくれたのか?」
「当たり前でしょ!」
彼女のこういうずけずけと物を言う様が俺は好きだった。父親の前では息を潜めるように生きていた、昔の彼女を知っているから尚更。
「……私が先生に頼んだの。お礼に家賃三ヶ月分タダにしておいたから、代わりにあんたの家賃向こう一年一割増しよ!」
元が取れるのか取れないのか微妙な要求は彼女なりの俺への気遣い。俺と洛叉の仲の悪さを知り、それで両方に言い訳と逃げ道を作らせる。
なんだかんだで洛叉はディジットに甘いというか、頭が上がらないところがある。聖十字に終われていた犯罪者のあいつを匿ってくれたのは彼女なのだから、当然と言えば当然か。
彼女に適度に礼を言いつつ、俺は自室へと戻るために階段を上る。だが俺には宿まで帰って来た記憶がまるでないのだ。
(……何があったんだったか)
俺が覚えているのは、最後の痛み。あいつと斬り合って、守りきれずに腹に一撃食らった激痛。それでも俺もぶつけてやった。
そこからなにがあったのか。どうにもこうにも思い出せず俺は自室の戸を開ける。鍵が掛かっていなかった。そのことに違和感を感じたその直後……俺は訪問者の声を聞く。
「よ、生きてたか」
「勝手にお邪魔してすみません」
二人の訪問者は外ではなく、中に。俺の部屋の中にいた。
金髪のカーネフェル人の少女と黒髪のタロック人の少年。その黒髪の方は忘れようにも忘れられない。まだ切られた傷が痛んでる。
「おい、何人様の部屋で寛いでるんだ?」
「んだよ、こまけぇことは気にするな」
「気にするに決まってんだろうがっ!」
「……うるせーな。ほら」
「え?」
ロイルが投げて来たのは俺の仕事の依頼品。こいつが守るはずだった宝。なんとかそれをキャッチするも、危うく弾き落とすところだった。万が一壊してたら大変なことになっていた。
しかし本来これの守りを命じられていたこいつがどうして?礼を言うべきか依頼がパーになるところだったと責めるべきかちょっと迷う。
俺の視線の意味に気付いたのか、礼など不要とロイルは笑う。
「俺らお前に負けたからあそこの仕事クビなったんだわ。なんか苛ついたからこれ持って来た。お前にやるよ」
「やるよって……あのなぁ」
俺としては依頼が達成できるから助かるが、そんな子供の腹いせみたいなことをよくやるな。
「……って、負けた?」
つーことは俺がこいつに勝ったのか?全然覚えてない。俺の記憶が有る限りでは、むしろ俺が劣勢だった。
「ついでにここにお前を運んできてやったのも俺様だ」
感謝しろと言うよりは、俺って凄くね?という自慢みたいだ。確かに……俺だってそこそこ身長はある方だし、こいつの方が少し低いかも。平然と自分とそうそう背丈の変わらない相手を運ぶって言うのは凄いっちゃ凄いかもしれないが。
「でも俺にこんなことする義理、お前らにはないはずだろ?」
「そうは思ったんですが、ロイルがどうしても言いますので」
少女の方が苦笑する。それにロイルの目が輝いた。何かを思い出すように。見れば俺が戦った時より包帯の数が増えている。元々生傷の絶えない物騒な仕事なんだろうとは思ったが、……その増えた分は俺が付けたってことなのか?
しかし心当たりのある箇所と、そうではないものが多数ある。後者の方がより適確に急所を狙いに行っている。まるでこいつは本当に殺されかかったような……
(それを、俺が……?)
信じられない。だが仮にそれが真実なのだとして、普通そんなことをした相手に……こんな笑顔で接する馬鹿がいるだろうか?いるわけない。いるはずがない。だが目の前にいる。
「リィナも見ただろ?」
「ええ。貴方が興味を持ってしまうのは無理もないわ。ギリギリとはいえ真っ向勝負で貴方を負かすなんてそうそうないもの。卓越した剣技があってこそ……何度か止めに入ろうとしましたが、あの後は全く隙がありませんでした」
「え?」
リィナと呼ばれた少女はくすりと笑って手にした弓を指で弾いて遊ぶ。その三本弦は楽器のように綺麗な音を奏でるが、その旋律に俺は戦慄する。俺は少女の気配は気付かなかった。隙あらば後方支援で俺を射殺すつもりだったのだと知り、ぞっとした。女って怖い。
「そんなわけで俺はお前が気に入った!もっかい俺と勝負しろ!」
「普通に断る」
「えーけちけちすんなよ。別に良いだろ?減るもんでもねーじゃん」
「減るっ!医療費に俺の貯金が!最悪命まで減るだろうが!」
「は?だってお前別に死んでも良さそうな顔してたじゃねぇか。っていうか元々死んでるみてぇな」
「馬鹿なこと言うな!勘違いで人を死に差し向けようとするのは止めて貰おうか!」
「そう言わずに、もう一戦だけでも。こうなったロイルはしつこいですよ?多分貴方が死ぬまでまとわりつきます。そんなの貴方も嫌でしょう?」
「それは嫌だが、戦っても死ぬ可能性があるんだが」
「つか、この部屋になんか食い物ねぇのか?腹減った。昨日から何も食ってねぇんだよ」
「知るか」
「でもなー。住み込み食事有り無くしたのは痛いか」
「でもロイル、あそこその代わりに給料一切でなかったじゃない。その分元を取れるよう二人で食べまくってはいたけれど」
「あのなぁ、お前ら請負組織初心者か?そんな理由で仕事を選ぶな!あそこかなりブラックな所だったんだぞ!?それくらい調べて仕事引き受けろ!“賄い付き!”表記は飯以外の報酬は出ねぇ!“住み込み可”は、給料一切出ない宅内契約合法奴隷募集中!“昼寝付き”は昼から風俗業って意味だ馬鹿っ!裏町なめんな!……まったく、お前ら何処の箱入りだよ……」
ロイルは馬鹿だし、女の方はおっとりしていて世間ズレしている。
「あら、そうなんですか?でも背に腹は代えられないとは言いますし」
「……どういうことだ?」
「ちょっと私達訳ありで。なかなか部屋を借りられないんです。そうなると高額の金銭が必要になりますし、仕事の選り好みも出来なくて」
身元を保証するものがない。それならそれを問答無用で、振り払うような金が要る。幸い俺は運が良かっただけで、普通はそれが当然だ。貸し宿もそういう客からはぼれるだけぼったくろうと思うのが常。
この裏町に放置するには目覚めが悪い。面倒臭いことになった後、また仕事で鉢合わせても嫌だ。ここまでインパクトのある奴らだと、何処かで死体と再会するのも気分が悪い。
「仕方ねぇ……確かディジット上の階が空いてたって言ってたな。俺の口利きで家賃安くして貰えるよう頼んでやる」
「でも、私達今は家賃を払えるお金もありませんよ?勿論敷金礼金も」
「当面の金なら気にするな。しばらく俺の仕事に付き合え。請負組織が何なのか、一から叩き込んでやる。後ディジットはその辺甘いから身の上話でも適当にしてやれ。そうすりゃ大目に見てくれる」
二人が請負組織として一人前になるまでの間、暫く俺は二人と時間を共にした。ロイルは戦えればそれで良い奴だし、リィナも差ほど金には興味がない。生活資金が手に入ればそれで良いといった感じだ。だから当然依頼金を奪って逃走するなんてことは一度もなかったし、それどころか世話になっているからと、取り分の面で俺を立ててくれることも多々あった。
ロイルは相変わらず油断も隙も無い奴で、隙あらば俺との殺し合い狙っていたが、徐々に俺もあしらい方を覚えてきたし、所構わずは流石にリィナもキレて次第に奴も少しは自重するようになった。その頃には殺し合いがじゃれ合い程度に変わってきていたのかも知れない。俺が多少構ってやればしばらくは諦める。やる気を出さない俺から本気を引き出すのは難しいと理解したのかも知れない。第一俺だって奴の言う本気って言うのが解らない。俺の知る本気は、奴に刺されたところで終わったはずだったんだから。
ちなみに二人が俺と別れ自分たちの請負組織を作った後も、そんなやり取りは続いていた。俺はセネトレアでの生活が長くなるにつれ手を抜くことを覚え、仕事の効率化を図るようになった。しかしあいつはどんどん強くなるし、正面から相手なんかしていられない。武器か俺が壊れる。俺の卑怯戦法に磨きが掛かったのは半分以上奴の所為だ。これを素直に成長と言って良いのかは、自分でも判断に困る。
……それでも、だ。ディジットという理解者がいても、彼女の店っていう居場所があっても……仕事の面では俺は一人だった。無茶してたんだな。金が絡むとどいつもこいつも信用出来ねぇ。みんな敵に見えていた。
だがあの世間ズレした二人は、そんな俺の思いこみを変えたんだ。こんな言い方は恥ずかしいが、仲間のようなものだと言ってもいいのかもな。腐れ縁と言えばそれまでだが、その腐れ縁もいつの間にか、俺の生活の一部に溶け込んでいたんだ。
そう……“瑠璃椿”が現れるまでは。
*
回復が終わり、再び攻撃に乗り出した俺を見て、ロイルが笑う。
「そいつが、新しい剣か!譲った甲斐あったぜアスカぁっ!!」
第二島でロイルに譲られた触媒。そこから作った新たな刃、風琴刀ハルモニウム。一振り一振りに奏でる風がまるでオルガンのような音を出す。だから一連の技の動きが曲になってしまう。攻撃の型を曲によって覚えられてしまうと言うのがこの風琴刀の欠点だ。
もっともその性能自体は悪くない。
モニカを刀身に宿らせ数術で刃を強化。風の数術で攻撃を受け流し、隙あらば風で切り裂く。刃を防いでも風まで防げはしない。この剣なら遠くからでも風を送り鎌鼬のように切り裂くことが可能なんだが、今は風向きが悪い。接近戦でしか使えそうにない。それでも十分優秀な剣だ。
しかしそんな剣とのやり取りに、ロイルは満面の笑み。本当にこいつは今を楽しんでいる。先程までの憂いもやるせなさも全て今は何処かに置き去り。俺との邂逅を心から喜んでいる。そういう姿を見て、俺もそうなれればいいのになと反面、なれない俺はこいつへの礼儀に欠けているんだろうと恥ずべき心もある。
昔のあいつはいつもこうだったが、次第にオンオフを切り換えられるように成長した。オフの時は俺に似て面倒くさがりな所もあったが、やっぱりどこか俺に似てお人好しなところもあった。リフルの頼みを聞き入れてフォースの依頼に協力したり、ディジットの下へアルムとエルムを取り戻すため、帰りたくもない城へと帰って、王位継承権までかなぐり捨てて……それでも足りず、こうしてヴァレスタの下に降った。
兄である男を、恩人の縁者を見捨てられない。そう言う気持ちがあるこいつは、真っ当に育ち真っ当に生きたならそこそこ良い王になったんだろう。それが何処でどう狂ってこいつがこんな戦闘狂になっちまったのか。やるせない気分になるのは俺の方だよ。
全然あいつと似ていないのに、リフルのことを思い出してしまう。王の器にあるのに、その身分を失った。……正確にはこいつは投げ出した。自分のためじゃなく、他人のために。
一度逃げたとか、国を思っていないとかそういうことじゃないんだよな。お前は。お前の国は、リィナだけだった。それが広がった。そこまで接点がなかったはずのエルムも見捨てられずに……お前の守ろうとした国ってのは、あの日常だったんだろう。
リフルがそこに来ることで壊れた、壊されたそれ。それがもうもう一度同じ物に戻せないと解っている。だから、二年前のレフトバウアーのことを口にした。戻りたいではなく、戻れないんだと言ったのだ。
俺がリフルを追いかけた一年半……その傍で藻掻いたこの半年。お前はお前でお前の新しい国を作ろうとしたんだろう。守る範囲は、自分の国は何処までか。その時に一度捨てたはずの兄をも抱え込んでしまった。だからお前はそこにいるんだろう?こうして今、俺の敵として。
(何だかなぁ……)
笑えてくる。向こうはこの二年ででかくなりやがった。抱え込む相手が増えた。お前の国はお前の世界は広くなった。だが俺はどうだ?俺は切り捨てていったばかりじゃないか。あいつ以外何も見えない。何も要らないと……大切にしてきたはずのものを蔑ろにし続けた。
俺は俺が押されているのは何も力の差だけではないと思い始める。
勿論この二年、俺だって変わった。多くが防がれている、かわされてはいるが一撃一撃を殺すつもりでやっている。そういう思い切りはある。それでも決定的な何かが俺からは欠けている。失われている。そんな気がしてならない。ロイルが磨いてきたのは守る力で、俺は殺す力。入れ代わっちまったみたいに違う力で剣を振るっている。
この二年の俺は以前に増してろくでもない男だった。
ディジットのピンチも知らず、双子のことも構わない。腹違いの妹と揉める洛叉の悩みはどうでもいいとして。トーラからも離れ西から離れ、東へ行った。あいつへの手がかりが手に入るなら何でも良かった。
それは今思うと変な話だ。内心俺は、最初はロイルを恐れていた。再戦することを主に恐れた。俺に負かされた、その男はそれ以来俺に興味を持った。付き纏ってまたあの、死と隣り合わせの戦いをと俺に迫るから。
そんなの御免だ。俺は人殺しはしちゃいけない。狂王と同じ生き物になんかなるものか。そうやって、逃げて逃げて逃げて来た。
その先でとうとう見つけたあの人は……俺が何より拒んだ生き物にその身を落としていた。この世で一番神聖だと信じた人が、俺の所為で、俺がこの世で何より嫌悪する……人殺しになってしまった。
だというのに俺は再びその色をこの眼に映せることが嬉しくて、幸せで、泣きそうで……その絶望を正しく感じられない位その再会を喜んだ。あの人のその美しい手を汚させるくらいなら、俺がその代わりに殺しても良い。命令さえしてくれるなら……そう思った。その位俺にとっての禁忌の程度が軽くなった。不思議なくらいに。
俺がその絶望を正しく理解したのは、再びその人が居なくなった後。その人が俺の傍から消えたのは、自身の人殺しの力を憎んでだ。
瑠璃椿にとって、殺人は禁忌ではなかった。主に俺に命令されたなら、相手が何であっても彼はそれを殺しただろう。だけどリフルはそうじゃない。
リフルは人殺しに罪を感じ始めた。それは自身の名を知って父親があの狂王と知ったからだ。俺と同じだ。あの男と同じになりたくないから、理由のない人殺しを拒んだ。自分のために誰かを殺してはならないとあの人は学んだんだ。だからこそ、自身の罪を自覚した。例えその目の暴走でも、人殺しは人殺し。言い逃れは出来ない。あの人が……あいつが死を見つめるようになったのもそこからだ。
あの日俺があの手を放さずに、ずっと傍にいられたなら。命令に背いてでも、海へ飛び込むその手を掴み、共に落ちることが出来たなら。あいつはいつか自分を許せた。死ぬために生きるような者に成り得なかった。
いつもいつも、俺の所為。トーラはリフルを匿って、俺に情報を与えなかった。いつまで経ってもあいつの安否を知らせないトーラに痺れを切らし、俺は東へ行った。あいつに会いたいがために、もう手段は選ばずに……あの半年俺は奴隷商に荷担したし、何人も殺した。
結局はやっぱり会いたいって言う俺のエゴ。それを知ったあいつはますます死を見つめるようになった。俺の所為とは一度も責めず、そうさせた自分自身をあいつは深く呪っていた。
俺はあの聖十字の坊やみたいにはなれないから。離れていてもお前の支えになれるような奴とは違う。隣にいても救えない。俺ではあいつを生かすことが出来ない。いっそ俺が狂ってどうしようもない人殺しになったなら、それは未練に変わるだろうか?自分が傍にいなければ、俺がそういう者になってしまうと自覚させれば、ずっとあいつは生きていてくれるだろうか?
(下らねぇ……)
そうだ、下らない。
無理だ。あいつならきっと……悩みに悩んで最後に俺を殺しに来る。そしてそのすぐ後に自分の命を絶つだろう。自惚れとかじゃないが解るんだ。あいつはそういう奴なんだって。
聞かなくても解ってしまうようなこと、それを考えてしまうような時間の無駄をしてしまう。
それくらい俺の国は世界は狭くなった。この二年、俺は前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか解らない。歩いたつもり、走ったつもりで我に返れば本当はもう道も足場も底にはなくて、俺は何処かに真っ逆さまに落ちている最中なのかも。それでもそこに一緒にあいつがいてくれるなら、それでいいと思ってしまう。その位俺の世界は、心は狭い。……それでいて、俺はこんなにも弱い。剣が押されていくのは、力負けだけではないだろう。
ここまで来た、その過程を悲しむ心がロイルにはある。それでもこの一瞬を、この一戦を悔やむ心はない。その剣に迷いの心は微塵にも感じられない。本当にお前は楽しそうに笑っている。あの日の再来が訪れたことを心から喜んでいるのだろう。
(リフル……)
ごめんリフル。俺はお前が何よりも大事だ。お前のためなら他の何もかも、捨てられると自負している。それでも俺も人間だった。痛む胸はあるらしい。だから、俺の剣には迷いがある。
お前を探した九年間……それは凄く凄く長かったんだ。この二年なんてあっという間だ。お前がそこにいるだけでこんなにも時間の流れが変わるなんて思わなかった。お前がいる限り、俺の一生なんて瞬く間なんだろう。幸せってそういうもんなんだなきっと。
だからこそ……だ。お前が俺を知らない、眠っていた一年をカウントしても三分の一。九年の歳月には至らない。その間いろんな事があったんだ。全然話せてないし、一生話せないようなこともある。あまりにも情けなくて、みっともなくて、本当に自分が嫌になることも何度もあった。長すぎたんだ、あの九年は。
お前を見つけるそれ以外の生き方も出来ず、保身にも走れない。そんな中途半端な心で惚れた女を落とせるはずもない。国にも帰れない。今更王位に興味もない。面倒事を増やすのも面倒だ。
何もかも中途半端で適当で、金だけを集め続けた俺は、それでもあの宿の連中に世話になったり世話したり、そんなこんなで生きていた。
エルムもアルムも、出会った頃は本当にちっこいガキで……4才くらいだったかな。今から八年前か。当時の俺は10で、ディジットが9か。……結構あいつらとも長い付き合いだったんだな。でもそうか。セネトレアに来てすぐ行き倒れてた俺をディジットの親父さんが拾ってくれて……その親父さんが失踪したのがその二年後。その失踪の原因になったのがあの双子なのだからそれで合ってる。
(八年か……)
エルムとディジットも、5つしか違わなかったんだな。いつまでもガキだと思ってたが……そうだよな。もう4、5年もすれば気にならなくなる程度の年齢差だろう。でもまぁ……そんなに長く子供みたいに相手してきた彼女からすれば、いきなり男として意識してくれって言われても困っただろう。絶対にあり得ないことだが、俺がアルム相手に女として見てくれといわれているようなものだ。無理だ。あの変態なら余裕とか言いそうだが生憎俺は変態じゃない。
その後は何があったんだっけ?あの変態が宿に立て籠もり、ディジットを人質に取ったのは確か俺が13ん時。ディジットは12……つまりディジットは当時完全にあの変態のストライクだったわけだが、あの頃のあいつは今より無口で根暗で、そんな変態らしい素振りを見せなかった。物騒なことしか考えていない、暗い目をした男だ。第一印象から危険な匂いがしていた。だから俺は警戒した。
それがあそこまで軟化したのは誰のお陰だったんだろうな?少なくともあいつがロリ属性に目覚めたのは、そんな最悪な出会いをしたにもかかわらず、犯罪者を通報もせずを客として迎え入れたディジットの慈悲に触れてだったんだと思う。そこでディジットに惚れるではなく何故その才能の開花に至ったのか、変態の考えることは俺にはよく分からないが、
後に洛叉自身から聞いたがディジットがあの変態に惚れたのは人質が犯人に惚れてしまうと言う症状らしい。故にそれは病気という精神疾患なので本気で相手にしなかった。そういうことなのかもしれないな。
(それから、それから……)
ロイル達と会ったのはその一年後……俺が14ん時だったかな。その一年はあいつらとよく一緒に仕事して。俺とロイルが15、リィナが14になった時にあいつら組織として独り立ちしたんだ。そこからの二年間はたまに手を組んだりもしていたな。そうだ。その年だ。俺が17になった年。俺は瑠璃椿に出会い、那由多様と再会した。こうやって振り返ってみるとロイルとリィナとあの宿で過ごした時間は三年。出会ってからは五年が経過しているが、実質三年。まだ俺がリフルと過ごした時間より十分長い付き合いだ。
《ちょっとアスカ!やる気あるの!?》
(あ、悪ぃ)
剣に同調しているモニカに怒鳴られる。同調している間は俺の心は思考は筒抜けなのだから仕方ないか……いや、今は俺に同調してるんじゃなくてダールシュルティングになんだから、そこまで筒抜けではないはずだ。それでも俺の様子がおかしいことには気付くほどには俺はどうやらおかしいらしい。
それでも一撃振り下ろし防がれ押され弾いて庇って守って振り切り距離を取る。そして仕掛けて仕掛けられ、そんな刹那の攻防に、俺の脳は目まぐるしく動き出す。
《解ってる?解ってるはずよ!この男の桁違いの幸福値っ!》
(ああ、だな)
まともにやり合って、まともにやらなくたって、どう足掻いても勝てる気がしねぇ。それでも勝たないといけないんだ。
(なぁ、リフル)
こんな無理ゲー、勝っても何も褒美がないって言うのは酷くないか?俺はこれから三年分の思い出全部殺しに掛からないといけないんだ。
それならこの一年、どうか生き抜いてくれよ。俺の捨てる時間よりも長く俺の傍にいてくれよ。じゃねぇと釣り合い、取れないだろう?
どんな途方もない目標だって、その先に約束されたものがあるなら俺はやる。俺の剣が迷うのは、お前が約束してくれないから。
どうか声を聞かせてくれ。俺の名を呼んでくれ。こんなエゴ丸出しの俺の願いをどうか聞き届けてくれ。お前が約束してくれるなら、俺はこれまでの十九年分の過去をぶん投げても構わない。これから十九年先まで、お前が死を見つめずに居てくれるなら、俺はこの審判の勝者枠だって歪めてみせる。俺もそこまで生きてやる。
そうだ。どうか、約束してくれよ。せめて、その言葉を交わすまで、どうか死なないで、生きていてくれ。お前の目を取り戻してやるから。大丈夫だ、すぐに痛くなくなる。数術で治してやる。
(……約束?)
不意に甦る声。星の降る夜。その直前に俺達は何かを約束しなかったか?
“私は願いがある。その夢を叶えるまで、私は死なない。何を失っても私は生きる。私にはまだやるべきことがある。だから無茶はしない。自分の命を軽んじない。お前に誓おう”
そうだ。リフルはそう言った。俺に約束してくれた。でもその願いって何?
奴隷と混血の解放?狂王を葬りタロックの民を救うこと?周りの人々を守ること?
周りの人々。もう欠けている。ラハイアがいない。その変えること無い空白の不在は、あまりにもあいつの心を深く抉った。それでもまだ同じことを願えるのか?
(…………)
あの日あいつは俺に助けてと言った。弱い自分を支える剣になってくれ。私に守れないものを代わりに守ってやってくれ。あいつは確かにそう言った。
狡いよな、その約束は。今頃俺は主様が俺より一枚上手だったことを知る。この俺を騙すとは、卑怯に磨きが掛かっている。この俺を卑怯で越えるなんて、とんだ悪女男だ。
その言葉は、あの人の生死が限りなく不明な今においても発動する。
ロセッタの選んだ扉、その先にリフルはいなかった。それでも正解はあった。あんな新参者のお嬢ちゃんに解ることが、俺は解っていなかった。
俺が戦うべきはリフルの目のためではなく、あくまで迷い鳥という街を守るためにやらなきゃならねぇ。出来る限り迅速に倒す。それが出来ないのならこいつが街に向かうことが出来ないように、限りなく長く足止めをしなければならない。
「……アスカ?」
俺の纏う雰囲気、そして目の色が変わったのに気付いたらしいロイルは手を止めた。
「そうか……お前と最後にやり合ったのは、もう二年前なんだな」
「ああ、リフルがお前の所に来た日だろ?」
どうせロイルの馬鹿だ。覚えているはずもない。洛叉の変態は俺を名前表記から鳥頭と呼んでいるが、本当の鳥頭はこいつだ。興味のないことはすぐに忘れる。だから俺は、俺が呟いた言葉に言葉が返されるとは思わなかった。それに俺はようやく迷いを振り払う。
まだ何処かで昔なじみとの戦いに抵抗があった。頭では口では何を言ってもそれは確かにあったんだ。
「……っち。ああ、くそっ!止めだ止めっ!モニカ」
俺は剣からモニカを剥がし、同調を止める。それにはロイルも驚いたよう。見えてはいないが俺のプレッシャーが軽減したのに気付いたのだろう。途端に間抜け面になる。
「………え?」
「どうにもこうにも集中できねぇと思ったら、そういうことだったんだ」
俺は新しく手に入れた刃を鞘へと戻し。剣を入れ換える。即死刀は壊れた。残っているのは猛毒刀と鋼鉄刀。俺が引き抜いたのは、鋼鉄刀。ロイルの馬鹿力とやり合うにはこれしかない。切れ味は悪いし重いことこの上ないが、選択肢は他にない。
「俺がモニカの力でお前に勝ってもそれは俺の勝ちじゃない。この一戦だけはモニカに頼るのは俺の負けだ」
《はぁ!?何を言ってるのアスカニオス!!リフルちゃんが大変な時にっ……》
「リフルは死なねぇ!俺の主を馬鹿にするな!」
これはいつもの卑怯で勝って良い勝負じゃない。俺が正面から勝ち取らなければならない勝負だ。譲れないものが俺にもこいつにもある。だからこそ……
それに勝機がないわけじゃない。ここまでやりあって理解した。相手は俺より強いカードだ。俺は卑怯にも毒に頼ろうと思った刹那もあった。しかし風向きが悪い。悪すぎる。奴は追い風、俺には向かい風が常に吹く。小細工では打ち負かせない。唯一の勝機が、俺が逃げ続けた真剣勝負。純粋に剣と剣の技と力、それで競い合うしかない。
俺が本当に本気でやるにはこうだ。迷いも加減もあり得ない。そのくらい追い詰められなければ駄目なんだ。
常に自分の死をイメージしろ。勝利でも敗北でも生でもない。勝てるとか負けちまう、じゃない。何処の判断を誤れば死ぬか。それを感覚的に察知するほど、気を研ぎ澄ませ。瞳を思い切りこじ開けろ。道はこの死の先にこそある。
「……一つ聞いてもいーか?」
剣を持ち直すため一度地に刺し、ロイルは疲れたように手を振るう。あれだけ重い剣を二本も振り回せばそりゃあ馬鹿のロイルの馬鹿力でも疲れはするか。見れば前に第2島で出会った時より包帯の数が増えている。また怪我をしたのか?
向こうには数術使いのエルムがいる。アルムが回復数術を使えない以上、エルムは回復に優れた数術使いであるというのがトーラの見解。どうして彼に治して貰わなかったのだろう?ロイルが傷の手当てを怠るというのは……過去にも何度かあったこと。対戦相手を認めた場合。その勝負の記憶を留めるようにわざとそれを治さない。記憶力がないからそれがないと忘れてしまうってことなのかもしれない。それならロイルが残す傷は、忘れたくない何かがあった場合と言うこと。
(……誰かに、何か……あったのか?)
トーラか?鶸紅葉か?蒼薔薇か?誰を倒したかわからない以上、ロイルのカードがますます見えない。場合によっては俺の決意も砕きかねない。
(いや……)
俺よりずっと強いカードなら、むしろ好都合。俺にこいつが殺せないって言うなら本当になりふり構わず遠慮無しにやっちまっていいってことだ。そう解釈する!そう思え!
「……何だ?」
自らを奮い立たせつつ、俺はロイルに言葉を返す。
「……お前が必死になって、金貯めて……探してたのってあいつのことなんだろ?」
疑う余地もない。あの日のお前を見れば誰にでもそれは解った。そんな口調でロイルが言った。
「……ああ」
それがどうした?聞いてやれば、しばし奴は口籠もる。
「俺にはよくわかんねーけど……お前にとって主ってのはそんなに大事なものなのか?」
「当然だろ?俺にとっての全てだからな」
「……でもあいつは二年前までお前を知らなかった。だよな?」
「……ああ、そうだな」
「それっておかしくね?」
「お前はお前を知らない相手を探してた。死に物狂いで」
それは本来あり得ないこと。あり得たとしても普通じゃない。それでも俺にとっては自然なことで……
「あいつ、一体何なんだ?」
「何って……」
「お前は周りがどうでもいいような感じで構えてる。それでもそこまでどうでも良くもない。だから剣に迷いが出る。それでもそこにリフルが絡むと別だ。そうでもなかった物が本当にどうでも良くなる。思い切りが出る」
「…………」
「確かにあいつは綺麗だ。それでもお前がそれだけで何かに興味を持ったりするとは思えねぇ」
普段美形揃いの混血に囲まれていても別に何とも思わないような男がそういう風になるのはおかしいと俺は指摘されている。
「おまけに弱ぇし毒有るし」
「……それでも俺の弟だ」
俺の口から漏れた言葉に一瞬ロイルが瞬きを忘れた様に俺の言葉を吟味する。そして今度は何度か瞬き。頭の中のリフルと目の前の俺を交互に見比べているのだろう。やがてロイルの口から出たのは、疑う……と言うよりは率直な感想。
「………………全然似てねー」
「親父が違うんだ、当たり前だ」
「……でも、なるほどな。そういうことか」
ロイルはしきりに頷き、小さく笑って見せた。
「おい、アスカ」
「は?お前、これ……」
「俺じゃ戦う最中に落として壊したりしそうで怖い。お前が持ってろ」
俺に受け取らせたのは、この戦いの賭け品であったはずのリフルの目。今は有り難くそれを大事にしまい込み……この持ち場を離れて一刻も早くあいつの所へ行きたい衝動に駆られるも、居場所の情報がまだわからない。それでもこれを俺が持つと言うことは、この戦いの意味が半分以上無くなるのだが……
「こんなもん無くてもお前は本気でやってくれるんだろ?」
「そうしねぇとあの街壊されるんだろ?ならやるしかねぇじゃねぇか」
互いに笑って、再び剣を構える。
その前にここで、いつもの卑怯戦法に戻って毒で昏倒させてその辺に転がしておく……ということも勿論出来たが、この眼を俺に返してくれたこいつ相手に今はそんなことは出来なかった。
その時点で俺の負けだ。俺は何度もロイルとの勝負に勝ってはいたが、同時に同じ数だけ剣士としては負けていたんだ。
それを俺気にしていない風を装っていたが、自分が正攻法で勝てないことに磨り減るものがあった。
それはプライド。俺の騎士としてのプライドだ。身分を地位を失えど、誇りまで無くしたつもりはない。世間一般の騎士様とは違うが俺にも誇りはある。
(負けて堪るか)
俺は騎士だ。王じゃない。王になるために育てられたロイルとは違う。物心付く前から俺の傍には剣があり、生活の一部……身体の一部として存在していた。それが騎士の家に生まれた俺の宿命だ。むしろ俺って言う人間はおまけのようなもので、手にした得物が本体。俺自身が一本の剣のようなものなのかもしれない。
だけどロイルは違う。剣を握るまでに時間があった。王は大切に育てられる。そんな危ない物に触れられるようになるには、ある程度身体が出来上がってからだろう。俺よりも遅く剣を手にした相手に俺がまともに勝てないというのは屈辱だ。それは俺という人間を根幹から否定するに等しい痛み。
親父は俺に何も残してくれなかった。唯一の形ある物がこの剣ダールシュルティング。
自分は王に身の潔白を証明し、マリー様を救うために城へ行く。だから剣は置いていく。親父はそう言って俺にこの剣を預けた。預けるって事は取り返しに来るってこと。生きて帰って行くるという……嘘だったんだ。
だって親父は自分の身が潔白じゃないことを知っていた。だからもう一つ俺に置いていった物がある。
それは指輪だ。親父がマリー様に仕えた日に貰った指輪だ。宝石などの飾り気はない。マリー様の髪の色を思わせる金細工の美しい指輪。
その時から親父は彼女の騎士になり、誰よりも何よりもマリー様を優先し守ることが義務付けられた。そういう契約の証なんだ。
悩みに悩み彼女が出した答え。それさえ優先し、親父は彼女を手放した。それで俺がどんなに悲しい思いをするか、知っていただろうに。親父は立派な騎士ではあったが、俺のことなんか何時も二の次で、親の資格なんか無い男だ。尊敬しつつ忌み嫌い、大嫌いで大好きだった。俺が捻くれたのは親父の所為だ。
親父の背中を見送る時に、なんとなく……薄々気がついては居たんだ。もう親父が帰ってこないような気はしていた。親父が俺にくれるものは、いつだって目に見えない物ばかり。その背中が俺に伝えたのは、騎士としての姿勢とか心構え。そんな物だった。
親父のマリー様への気持ちの何処から何処までが騎士としてのものだったのか、一人の男としてだったのか、俺にはわからない。
……俺だってわからない。俺がリフルを思うそれが、騎士としてなのか兄としてなのか境界は定かではない。それでも逃げてはいけない時が、あることだけは教わっている。
俺の誇りが汚されることは、あの人を汚されるに等しい。俺の誇りは、あの人の思いだ。あの人の願いが俺の誇りだ。俺が守るべきはあの人の心でも身体でもなく、その夢で願いで理想の世界。
ラハイアのようにその心を支えられないと嘆くのでなく、数術使いのトーラのように教会兵器を振り回すロセッタのように桁違いの戦力を誇れなくても。この腕で、この剣で……俺が守らなきゃならないものがある。
俺がそれを諦めない限り、どんな苦境にあってもあの人は必ず這い上がってくれる。今はそう信じたい。
「ロイル、お前が本気で来てるのはよく解った。だから俺も俺の力だけでお前にぶつからねぇと意味がねぇってことも理解した」
最初の戦い。記憶に残らぬ、他人伝えの勝利の記憶。それを塗り替える時を、俺も待っていたのかも知れない。
「だから決着、つけようぜ?」
「おう!」
俺はそんな俺達を理解できないと言う……モニカの溜息を聞きながら、鋼鉄刀を振り上げた。
ロイル視点でも良かったんだけど、トーラと蒼薔薇戦のことを伏せる意味でアスカ視点。




