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17:Cave canem!

挿絵(By みてみん)

 「洛叉さん、ちょっといいかな?」


 西側に戻ってからの闇医者は、任せられた仕事をこなす傍ら……主を元の身体に戻す、或いは人並みの生活が出来るようにと毒の研究に余念がなかった。トーラもそれを知っていた。毒の解析が粗方終わった頃に、彼の元を訪れたのもそんな理由から。


 「俺に何か?」

 「リーちゃんの毒の解析、終わったんだよね?これからの仕事のためにも僕にもその情報、共有させて貰えるよね?」

 「……これで何人目だろうな」


 黒衣の医者が苦笑した。


 「皆があの方の毒を持って行く。死なないように薄めた毒を」

 「考えることはみんな一緒か」


 僕も釣られて笑ってしまう。ゼクヴェンツはポイズン……トキシン、べノム等々ありとあらゆる毒を混ぜ合わせて作られた毒薬。地上の毒という毒を詰め込んだ至高の毒。それを死体の体内で培養して完成させられた屍毒。今日では失われた毒素がその毒の中には入っている。だからゼクヴェンツを殺す毒はない。存在しない物から身を守る術などないのと同じ。


 「ゼクヴェンツを殺す毒はない。ゼクヴェンツを殺す毒があるとすれば、それは……ゼクヴェンツ。リーちゃんにリーちゃんの母様が盛った毒。その中には薄めたゼクヴェンツがあったんだよね?」

 「……そうでなければ辻褄が合わない」

 「だよね。だからゼクヴェンツに対抗するには僕らも毎日少しずつ薄めたそれを飲まなきゃ駄目だ」

 「無論、毒の王家の人間でもない我々が毒を呷ったところであの方と同じにはなれん」

 「それでも解毒でゼクヴェンツを口にしたアスカ君やフォース君は以前より毒への抗体が増している。それも事実だよね」


 それを飲んだからって僕らの関係は変わらない。毒への抗体を付けることを頑張れば、キスくらいは出来るようになるかもしれない。それでも僕はリーちゃんのお嫁さんにはなれない。リーちゃんとの間に子供を残すことが出来る相手は、この世に一人……彼の異母姉さんの刹那姫だけなんだ。


 「僕はね洛叉さん。リーちゃんが泣きたいときに、肩か胸を貸してあげられる女になりたいわけだよ。それがアスカ君だけの特権にしておきたくないの。健気な乙女心を理解して貰えたかな?」

 「本当に健気な人間はわざわざ口にしないだろうが、それを知り敢えてそれを口にするのが君の愉快なところか」

 「魅力って言ってくれても良いよ?」


 僕の魅力 (笑)にやられた洛叉さんは、ゼクヴェンツ入りの小瓶を僕に渡してくれた。


 「原液では決して飲むな」

 「そんなことしないよ。僕にだって組織と可愛い部下達、守るものが沢山あるんだから」


 守るべきもの。私のちっぽけな身体では支えきれないくらい重たい命達。そのみんなを抱き締めて守れるような私になりたい。リーちゃんの隣に立てるよう、ううん、リーちゃんに負けないような立派な王女に。愛し合えなくても愛されなくても、好かれていたい。嫌われたくないんだ、大好きなあの人に。


 「洛叉さん、リーちゃんの顔、一番何が好き?」

 「……?それはどういう問いだ?」

 「惚気合戦だよー。あのね、僕はね……」


 みんなと居る時のリーちゃんが好き。騒がしい酒盛りの席のリーちゃん。お腹を抱えて大笑いなんかしないけど、ふとした瞬間に優しく微笑む目と口元がある。そんな誰かが見逃すような一瞬を見つけたとき。ぎゅっと心臓が握りつぶされそうになる。思わず抱き締めたくなって、結果として抱き付く。抱き締められる。アスカ君に引き剥がされる。

 離れる時のね、ほんの少し寂しそうな顔。あの顔を見ると……抱き付く前より愛おしく思って、僕も悲しくなるんだ。それを見ると、今まで彼にさせた仕事のことを思い出して、僕は途端に苦しくもなる。


 「人の温度が恋しいんだろうな……温もりが残るほど、リーちゃんをぎゅっと出来るのは……標的くらいしか居ないんだ」


 それもすぐに冷たくなるから。リーちゃんは何時も凍えている。


 「僕はさ、リーちゃんが離れても笑えるくらい、ぎゅっとしてみたいんだ」


 僕は笑った。無理して笑う。もっと多くが欲しいけど、我が儘は言えないよ。

 嫌われたら、怖いから。僕はいつの間にか、僕ではなくなった僕を演じてしまっていたんだ。


 「マスター……」

 「姫様……」


 医務室を出るところを、ハルちゃんとベルちゃんの二人に見つかった。


 「あ、あはは!ちょっと熱っぽくてさー!薬貰いに……」

 「変なことはされませんでしたかマスター!?」

 「風邪ですか姫様っ!?今すぐ粥をっ!」


 聞こえてたはずなのに、二人は本気で僕を心配してくれる。ベルちゃんの作ってくれたお粥は美味しかった。卵と海苔の佃煮の絶妙なバランス。甘さと酸っぱさの黄金比率の梅干し。ディジットさんは漬け物は上手だけど、梅干しと梅酒は僕のベルジュロネットには敵わない。

 ハルシオンは湯たんぽに入れるお湯と、氷枕の氷を持ってきて、どちらが良いかと悩んでいた。僕も困った。風邪引いてはいなかったから。結局それは僕の我が儘でお茶とかき氷に変わった。

 こっそり自分だけのお茶に毒を入れようとする僕を見て、二人もそれを欲しがった。そこで耐えきれず白状すると、二人は優しく笑って僕を見る。それでも同じ毒を飲みたいという。


 「もしそれでマスターにお仕えできなくなるのは困ります」

 「姫様が本当に風邪を引いたとき、看病できませんから」

 「僕まで毒人間になるって?」

 「うっかり分量を間違えてそうなっては大変ですから、毒味を」

 「大丈夫ですマスター!貴女が毒の乙女になっても僕は……」

 「みなまで言うなハルシオン。私も同じだ」

 「ハルちゃん、ベルちゃん……ありがとう」


 僕の悲しい気持ちを埋めてくれる、二人の存在。僕はとても満たされている。幸せだった。

 そう……幸せ“だった”。僕が真っ直ぐ前を向いて、馬鹿みたいに明るく振る舞うことが出来たのも……二人が居てくれたからなんだろう。


 *


(ベルちゃん……ハルちゃん……)


 これまで歩いてきた道程。それを否定することだけはしたくない。歩みを進める。立ち止まることは裏切りだから。リーちゃんを好きな僕を、僕なんかを二人は好きでいてくれたから。立ち止まることは、二人の気持ちを踏みにじること。そう思って立ち上がった。結果として僕はそれに安堵することになる。


(間に合って、良かった)


 赤く滴る石畳の上。僕はほっと息を吐く。大切な人を目の前で失うのは、もう嫌だから。みんな狡いよね。残される側の気持ちも知らない。


(だから、良かった)


 こっち側になれた方は、不思議と満たされていく気分。剣で貫かれた傷は痛むのに、そんな痛みさえ僕を喜ばせる。

 これはセネトレアのためでもあって、僕……ううん、“私”自身のためのこと。僕に仕えてくれたハルシオンとベルジュロネットのために。


「トーラ……?」


 見開かれた黒の瞳。向かい合うは、受け継いだ赤目と青目の私。それで私の身体能力が上がることはないけれど、私のエゴでしかないけれど、この眼を受け継ぐことで私はまだ戦えるつもりになった。空元気でも、私は歩き出すことが出来た。私本来の金色の目は、二人の墓に供えよう。片目は既に置いてきた。触媒は他にある。外見の変わった私を見て、彼は一瞬正気に返る。驚いたのだろう。


「ロイル君。君の気持ちは僕も解る」


 大事な人を失う辛さはよく解る。他ならぬロイル君……君がハルちゃんを殺したんだ。そんな含みを乗せた僕の言葉に、彼はそれ以上剣を押し進めることが出来ない。軋む肩の骨。変身数術でその一帯を炎に変えて剣を焼く。その熱に彼が手を放した隙を見て、数式を解き得物を奪った。


「……ううん、解ってないんだろうね。解りたくない」


 そう、本当は違う。大事な部下と、大事な恋人じゃ違う好きだね。だからそれを正しく私は理解してはいないんだ。だから言い直した。嫌な言い方になるのは悪いと思う。だけど腕力で男に敵わない分、女の子の言葉はね、その刃の鋭さはもうえげつないほど痛いんだよ。敵に回した時点でそれは観念しておいて貰いたいな。


「ロイル君、君は“私”からリーちゃんまで奪うの?」


 今君は辛い。苦しいよね。解るよ、解る。だから君は知らなければならない。痛みを知って、痛みを振りまくことがどんなに酷いことなのか。


「や、止めろっ!」

「止めないよ」

「そ、そいつが!アスカがっ!俺からっ……俺からリィナをっ!だからっ」

「ねぇロイル君。ううん、未来のセネトレア王。貴方のことと僕のこと、どう関係があるの?」


「確かにアスカ君は許されないことをした。それは認める。だからって貴方が同じ事をして良いの?いや、君は死を肯定してきたよね。力が正義。それが自然の摂理だと考えてきたね」


 先程振り下ろされた剣は、導線。彼が長年愛用してきた彼の分身のようなもの。べったりと彼の記憶が染みこんでいた。それを傷口からトーラは読み取り、心で攻める。


「貴方はこれまで大勢殺してきた。その死を肯定してきた。弱さを悪だと笑った。それなら何故今貴方は悲しむの?リィナさんだけ、どうして殺されてはならないの?それっておかしくない?おかしいよね?」


 視覚数術じゃ彼には効かない。彼は野生の勘で生きている。変身数術じゃ割に合わないと知りながら、脳以外をリィナさんに変身させる。


「リィナ……!?」

「ロイル……」


 声も匂いも背丈も何もかもがそっくりそのまま。その姿で私は、更なる罵倒を彼に浴びせる。別にそれは嘘ではない。これまで私が集めた彼女の情報を元に彼女の心をそのまま口にしているのだ。もっとも思ったとしても、本物の彼女が彼をこんな風に罵ることはないから少なくとも半分は嘘になるけれど。


「リフルさんは……私にとってはじめて友達と呼べるようになった人なのに。どうして?どうしてロイル!どうしてリフルさんを殺そうとするの!?」

「止めろ!止めてくれっ!」

「私がいつ、こんなことをしてと頼んだの?貴方は強い。私は弱い。何時かこんな日が来るんだって解っていたわ!私は唯……貴方に悲しんで貰えればそれで良かった!貴方の心の内に、私がちゃんと息づけるなら!それだけで私は良かったのにっ!」

「う、うぁああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ」


 頭を抱え耳を塞いだロイル君。その場に倒れ込んで唯噎び泣く。嗚咽を漏らす彼の傍に跪き、私は彼を抱き締めた。色々あったけど、私は彼の異母姉ちゃんだからね。無力化が成功できたなら、これくらいはしてあげられる。


「もうこんなの、止めましょう……?ね……?」

「リィナ……」


 彼をぎゅっと胸に抱いたところで、背後から私ごと貫いた長い剣。これは、ダールシュルティング……猛毒剣クレアーリヒ!しかも、ここに塗ってあるのは……


「アスカ……君?」


 彼への警戒を解いていた訳じゃないけれど、リィナさんに変身した身体で数術を紡ぐのは何時も通りとは行かない。戸惑い、対応が遅れた!体内を回り始める猛毒に関する情報を導き出して、私は顔が真っ青に。


(ゼクヴェンツ……!?)


 私だって少しは彼に触れられるようになりたくて、こっそりリーちゃんの毎日毒を飲むようにして来た。だからすぐには死なない。そう思ったのに……今の私の身体はリィナさんの身体!彼女も毒への耐性は持ってはいるけれど、毒人間から生成された毒を飲んでいた訳ではないから、この毒の前に太刀打ち出来るはずがない!早く、元の身体に……いいや、ここはリーちゃん自身の体に変身しなければ耐えられない。


(いや、駄目だ!)


 リーちゃんの身体は体液全てが猛毒。血管の内を流れる血液こそがこの屍毒ゼクヴェンツ。今のように数術に対応出来るよう脳だけ私のままにすれば、脳内に流れ込む猛毒で死んでしまう。元の姿に戻って、これまで飲み重ねた毒の力を信じることしか私には出来ない。


「もっとしっかり押さえておけよトーラ。ロイルまでたっぷり毒を送り込めなかったじゃねぇか」


 アスカ君は狂っている。それを常識で蓋をしているだけ。だから彼のこういう側面があったのは二年前から知っていた。それでもここまで他者に容赦がないとは思わなかった。だってあれから二年経った。私達は多少なりとも親しくはあったはず。


「アス、カ…く……」


 彼はまるで成長していない。何も変わっていないと言うの?棺桶のリーちゃんを守り続けた頃から変わらず、世界に自分と彼一人しか存在していない、みたいな……。そんな狭い場所をまだ彷徨っていたっていうの!?誰に影響されることも感化されることもなく、今日まで何も、変わらずに!


(狂ってる……)


 本当に、彼は狂っている。狂っているんだ……


「リー……ちゃ……」


 駄目だ。こんな危険なものの傍に、君を置いては、君を置いては……置いては……いけ、ない……


 *


 あの日アスカを追ったのは、不安だったんだ。心配だったんだ。脳裏を過ぎったリリーという少女。路地裏のデジャヴ。骨人形に導かれ、あの日と同じ道を私は歩いている。


(アスカ……)


 死のうとしてからなるべく思い出さないようにしていた名前。最後に立ち塞がるのもやはりお前か。ディジットの言葉。ラハイアの言葉。それをはね除けてでも逃げ出したくなる衝動がある。私は彼に脅えているのだ。フォースを見つけられなくなったのは、きっと私が勝手に闇に捕らわれたから。この道の先で私を待つのはきっと、フォースではない。進む内にそれを理解した。

 お前に好意を寄せる少女が現れた。小綺麗な字を書くその娘。その子はきっと邪眼に毒されて、私と彼の関係を嫉妬する。そうなればリリーのように私を殺めようと思うだろう。その結果はあの日と同じ。それだけはあってはならないと、私はお前を追いかけたんだ。よりにもよってお前に好意を寄せる相手が、お前に殺されるなんて……お前に殺させるなんて、そんな酷い話があるものか。

 西側近く、表通りにある飲食店の店の裏。そこが待ち合わせ場所。追いかけた私を見て、お前は少し嬉しそうだった。その笑みに私は心臓が身体が脅えるのを知る。今も、同じだ。


「アスカ……」

「安心しろよリフル」


 決して安心など出来ない。人殺しの目でお前が笑う。二年前と重ならない、狂気に縁取られた目。

 アスカの片手に口を覆われているのは金髪青目のカーネフェル人。綺麗な長い巻き毛は何となく品があり、アスカと並べば似合いのその少女。そんな少女が両目に大粒の涙を浮かべ、悲鳴を凍らせている。


「東の人間がお前の顔を見たんだ。お前の害になってはならない。今、始末するから」

「違う!そうじゃない!止めてくれアスカっ!」

「だって、困るだろ?」


 駄目だ、話が噛み合わない。お前は私が嫉妬していると思っているがそうじゃないんだ。そうじゃないのに。それで私は困らない。困ったりしない。お前が困って欲しいだけなんだろう!?お前は私の物だ、何処にも行くな、離れるなと縋って欲しいだけなんだろう!?私を物扱いしたくないと言ったお前が、今……誰より私を物だと思っているじゃないか!


「それで私の生存が、明るみに出ても私は困らない!だからその子を殺すな!」

「お前を危険な目に遭わせるわけにはいかねぇ」

「その子を殺すな……お前を嫌いになる。もう二度とお前に見つからないところまで逃げる。それでも良いなら、その子を殺せ!」


 自身の首に刃を突きつけ、私はアスカを睨む。あの日のアスカはそこで正気に戻り、自害しようとする私に一撃食らわせ、気を失わせた。だが、今のアスカは躊躇わずその子の首を刎ねた。無論幻。それでも、その光景は私の心を凍らせる。あの日と違う顔で笑うアスカは、あの日と違うことを言う。


「なぁ、リフル。知ってるか?手紙になかったこいつの名前……」

「……知るはずがないだろう」

「そうだな。こいつ、マリーって言うんだよ」


 その名は母様の名前と同じ。だからアスカも彼女に優しく接することが出来たのかも知れない。


「東の情報はこっちになかなか来ないけどな、何時だったかなぁ……例の名前狩りで死んだってさ」

「お前、そんな様子はまったく見せなかったじゃないか!」

「それくらいどうでも良かったんだよ。向こうが口封じの汚れ役やってくれたんだ。俺としても助かったってもんだ」

「アスカっ……お前っ!」


 思い切り睨み付けるも、それでも彼は嬉しそうだ。私の視線を受けるのが堪らないと言うように。嗚呼、駄目だ。もうすっかり……毒されている。これでは喜ばせるだけ。視線をわざを外して、私は冷静さを取り戻そうと頑張った。


「ここにいると言うことは……アスカ、お前も死んだのか?」

「ある意味そうだな」

「ある意味……?」

「死んだのは俺の正気だ。もっとも俺からすれば今の方が正気なんだがな」


 そう言うや否や、彼は私を抱き寄せる。間近で聞こえる心臓の音。確かに彼はまだ生きている。


「……別に死にたいなら死んでも良いんだぜ?」

「え?」


 そんなこと、アスカに言われたのは始めてだ。いつもの落差に私は驚き彼を見上げた。


「とりあえず腹いせに、大勢殺して、気が晴れたら俺も死ぬ。その頃には俺の幸福値も尽きて死ねるだろ」

「だ、駄目だアスカ!」


 幸福値を減らすために、同士討ちでもするつもりかと問えば彼は笑うだけ。


「いや、そうだな。どうせ殺すなら生き残る道を探っても良いよな。俺が最後の一人になれば、どんな願いも叶うんだ」


 狂った瞳で、アスカは嬉しそうに薄笑い。


「アスカ……」

「そんなに泣くなよリフル。俺と離れ離れになって悲しいのは解るけどよ、しばらくの辛抱だ。お前の死体はちゃんと俺が昔みたいに守ってやるから」


 違う、そうじゃない。そんなことを言っているんじゃないと首を振っても、彼は何も解らない。解ってくれない。


「お前を生き返らせるにしても、目覚めさせないってのも一つの手だな。起きなければお前は誰も見ない。どこにも逃げない。世話をする俺が居ないと生きても行けない。俺を何処かへ追いやろうって気持ちもなくなる!俺が居ないとお前は駄目なんだから、手が掛かるご主人様だぜまったく」


 さも名案だと笑う彼は、もうおかしい。それはいつだかオルクスが言った言葉だ。私を達磨にするより酷いことだ。


「それが、お前の本心なのか?」

「は……?」

「お前は今、正気が死んだと言った。ならばここにいるのは正気のお前。お前の本心なんだろう?」

「それは……」

「いや、違うか」


 ディジットも、ラハイアも……この場所に捕らわれていたのは何故だ?零の神は生きている者にしか未練は生まれないと言った。だがそれは誤りだった。奴は人間ではない。だから人間を正しく認識理解していない!彼らには死んで生まれた未練があった!救われたかった。楽になりたかった!アスカも同じ!アスカの正気の心も、死にかけ消えかけ……まだ未練があると叫んでいるのだ。


「アスカ、私はまだ死ねない。私は生きる!お前に殺させたくない人がまだ、私には大勢いるんだ!」

「……今更間に合うとでも?」


 アスカの口調に僅かな躊躇いが生じた。すると辺りの景色が揺らぎ、塔の中の棺の中へと私は戻ってきてしまう。そこには一体の骨人形。その骨人形から生えた幻影がアスカの形を宿していた。はぐれた彼は森を抜け、この塔までやってきた。そこまでして見せたいものがこれなのか?ならばこれは何?これはアスカの記憶?……でも、何時の?こうして会話が出来ている。その口調ではそれが現在進行している物事のように聞こえてならない。


「間に合っても、間に合わなくともっ!お前の罪が私の罪だ!正気でも、狂っていても……お前はお前だ。私の騎士だ!心の一片たりとも死なせはしない!」

「許して……くれる、のか?」

「お前が苦しんで、私が安心して眠れるとでも思うのか?そこまでお前から見た私は薄情か?」


 両手が塞がっている。仕方ないと背伸びをし、軽く頭突きをかませば、すり抜ける。だけど困ったような照れたような彼が近くに映った。それを見て、ようやく私もほっとする。


「何、笑ってんだよ」

「いや、いつものアスカだ」


 ようやく戻ってきた。帰ってきた。ふっと胸が軽くなって、私は笑った。私があんまりにも笑うから、彼は罰が悪そうに目を逸らし……そして仕返しの方法でも見つけたのか、視線を戻してにやっと笑う。


「さぁ、どうだかな」


 息が触れるほど近くで、皮肉ぶった口調で笑った彼。その長い前髪が目に入りそう、思わず目を伏せた。その瞬間に、もっと近くに彼が来た気配があった。

 見えないし触れられない。だから何も解らない。

 それでも想像は付いた。この仕返しこそ……彼が隠したかった、殺したかった真実なのだと。


 *


「アスカ……?」


 死の眠りから目覚めたリフルが見たのは、夢とは違う風景だ。あれほど近くにあった彼の顔がそこにはない。再び開いた目。ここは何処?よく分からない。石畳の通路。手に触れる赤。

 視線を向ければ離れた場所で腹を押さえて身体を引き摺りながら、様子を窺っているカルノッフェル……傷つきふらつくロイル、それから……倒れている、小さな小柄の金髪少女。それでも赤いその頭巾とドレスには見覚えが。忘れるはずもない。何時も私を助けてくれた女の子……


「トーラっ!」


 思わず駆け寄り抱き起こす。良かったまだ息がある。


「リー…ちゃ……」


 目の色や身体の大きさ。いつもと外見は変わっているが、雰囲気で解る。

 見れば腹と肩に傷がある。どちらも深手ではあるが腹の傷が問題だ。回復数術か手当ての当てはないかと辺りを見回せば、ふらつくロイルをからかうように遊び始めたアスカが見える。その剣のやりとりは、見ている側がにも痛々しい程に、一方的なものだった。斬られても避けても彼の動きは鈍くなる。毒が回っているのか?解毒のためにゼクヴェンツを出そうとするも、得物の短剣が見当たらない。


「そいつらもう助からないぜ?見込みがあるとすればロイルに斬られたカルノッフェルくらいなもんだ」

「アスカ……二人に何をしたんだ!?」

「寝惚けたこと言うなよご主人様。ロイルは敵だ。おまけにジャックだ。普通にしてたら敵わねぇ。トーラが命懸けで抑え込んで、俺が二人まとめでゼクヴェンツ塗りのクレアーリヒで仕留めただけだって」

「な、何て馬鹿なことをっ!」

「俺が卑怯な男だってのはよぉく知ってたはずだろう?今更何言ってんだよ」


 長い付き合いじゃねぇかと彼は肩をすくめるが、こんなアスカを私は知らない。いや、先程見たような……これが正気のアスカ?他者に一切の哀れみを持たない非情な人間。ゼクヴェンツを解毒できる毒はない。あるとすれば、それ以前の下地となる毒。屍毒を中和出来るだけの土台が身体の中に出来ているかが問題だ。そしてその下地に関する詳細情報はない。こうして毒に冒される二人を見ても、見ていることしかできないなんて。

 途端に悲しくなって私は後悔し始める。何故もっと早く目を覚まさなかったのか。何故アスカを止められなかったのか。或いは何故、目覚めてなんかしまったのかと。ディジットの、ラハイアの……叱咤も激励も、涙と共に霞んでしまう。


「リー……、ちゃ……」

「す、すまない。涙も毒だったな……」


 視線を逸らし涙を拭う。そこでトーラに引き寄せられた。見ればトーラは目を伏せている。それだけで何を言いたいのかを理解した。どうせ助からないのなら。あの日のお嬢様と同じだ。このまま放置すれば奇跡が起これば助かる。でも口付ければ確実に死ぬ。殺してしまう。どうして躊躇ってしまう私の袖を、力無い彼女の腕がくいと引く。思えば一度目は人工呼吸。あれは私からだった。二度目はトーラから。ちゃんと意味を理由を込めて、気持ちを伴って……私からしたことは一度もなかった。

 もう喋れないのだろう。触れられた手から流れ込む情報。私が眠っていた間、トーラが皆が集めた全ての情報。共有されていく情報群。伝わる、伝わってくる。みんな傷つき、苦しんだ。トーラがどんなに無理をしていたか。私のために、振り回されて……セネトレアの王女としてやるべきことを行った。己の片割れをも、その手に掛けた。鶸紅葉を失ってそれでも立ち上がり、こうして加勢に来てくれた。そんな彼女を失う、失われる。この手で殺す決断を迫られている。瞬間どっと湧き上がるのは愛しさだ。これまで目を背け続けた。逃げだそうとした愛しさだ。どうせ好きになってもどうにもならない。幸せになんてしてやれない。それならトーラ。お前をもっと大事に思っている人と……心の何処かでそう諦めていたんだ。今更向き合わせないでくれ。悲しくなるだけだから。そう思って凍らせる、その端から心が解け出し流れ出す。


「トーラ……何時か許されるなら……」


 私がいつか普通の人間として生まれる世界があったなら。彼女を傷付けないでも生きていける私になれたなら。こうして触れることが許されるのなら……

 そんなことはあり得ない。仮に私が勝ち抜いたってそれはない。願いは一つだけしか叶わないのだ。そんなあり得ない口約束。私も彼女もそれが嘘になると理解して。それでも私は口にする。


「その時は……お前を好きになっても?」


 もはや力なく、それでも嬉しそうに……トーラが笑い、涙を流す。

 あの日は間に合わなかった。口付けでお嬢様を殺せなかった。今は躊躇うな。毒に彼女を奪われる前に、口付けの毒で彼女を私が殺そう。

 抱き寄せた身体を傾け顔を近づけ、銀色の髪が彼女の肌を擽る。もう笑う気力もない彼女に深く口付け舌を絡め……猛毒を流し込む。びくと痙攣する身体を閉じ込めるよう抱き締めて、死んでいくまで唯ずっと、その痙攣を腕に刻んだ。その時間を減らしたのは、きっと……我慢できずに目から彼女に零れた涙の所為か。鼻を啜り、その場から立ち上がった私。アスカは壁にもたれ絶命するトーラを見守り、ロイルはその場から姿を消していた。


「あの野郎は逃げたぜ。馬鹿の割りに思い切りが良くて困る」


 アスカが此方に気を取られた隙に逃げたのか。見れば通路のあちこちに食いちぎられたような肉片と、血まみれのロイルの得物。毒が回る前に、アスカに斬られた部位を捨てて行ったのだ。確かに生半可な気持ちで出来ることではない。


「何を笑っている……」


 トーラが死んだのがそんなに嬉しいのか、アスカは上機嫌。今にも鼻歌か口笛でもはじめそうな勢いだ。……考えてみれば妙だ。不気味ですらある。以前トーラが私に口付けた時は、暫く私の唇をずっと凝視していたアスカが、こんな余裕の態度を見せる。本当に、別人のよう……


「どうせ死ぬんだ。あれくらいのリップサービスは仕方ねぇよな。よ、色男!お優しいご主人様に俺も鼻が高いぜ」

「アスカ……?」


 夢から覚めて、まだ悪夢を見ているようなこの気持ち。何と言い表したら良いものか。悲しみを悲しみのまま抱えることを許さないような彼の違和感。無理矢理私の心の注意を向けようと、そんな風に振る舞っているのではと勘ぐりたくなる。

 どちらにせよ、邪眼の進行段階が進んでいるのは間違いない。私を見る彼の目がおかしい。いや……?おかしいことはおかしいが、これは拗ねた子供みたいだ。


「鏡は見たか?」

「え?」

「俺が取り戻したお前の目はまだここに。もう一つは別の所にある」


 掲げられた硝子の箱。収められたのは確かに私の紫眼。それなら今、私はどうやって物を見ている?何か無いかと左右を見回したところで、アスカが此方に剣を差し向ける。そこに映った私の眼球は……灰と青緑。何故か懐かしく思うのは……


「ラハイア……?」


 そうだ、この眼!この色合い。間違いない。あの男の目だ。どうしてここに、彼の目が?

1章から出ていたヒロインの一人、トーラがとうとうお亡くなり。

裏本編を明るくしてくれた子だったので寂しくなるな…。


ここからが本当の地獄か。

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