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13:Quis custodiet ipsos custodes?

 人形達の足取りは軽い。そんな姿がリフルには、浮かれているように見えて仕方がない。


 「……お前達は死ぬのが怖くないのか?」


 仲間達がどんどん減ってきている。それなのに何故そんなにも先を急ぐのか。

 尋ねる私にカタカタと、骨達はそれだけを言う。何の言葉にも成らないその声は……みんなこうなる。カタカタとしか物を言えない骨に変わると私に言い聞かせているみたい。

 みんな死ぬ。いつか死ぬ。生まれた以上、そういうものだ。何故それを拒む?何故それを悲しむ?それが世界の理、流れるものだと彼らは私に訴える。


 「何故、死にたくないのか……か」


 面白いことを聞く。どちらかと言えば、私は死にたかった部類の人間だ。やっと死ねると安堵している。唯後ろ髪引かれる思いが幾つかあるだけで、それは生きたいという気持ちとも違う。


 「そうだな。私はこの身体になって、良かったと思う」


 死にたいと思うこと。死にたくないと思うこと。そのどちらも生まれてしまったから感じることだ。


 「生きている以上、誰もが幸せになる権利はある。だからこそ人を傷付けてはならないし、人殺しは許されないことだ」


 骨人形達は回ることを止め、じっと暗い眼窩でのぞき見る。


 「けれど、それは生まれることが必ずしも幸福ではないからなんだと私は思う。元から幸せならば、人は幸せになる権利なんてなくても、とうに幸せであるはずだ。なら、幸せを守る権利というのがそこにあるはず。そうだろう?」


 何を話して居るんだろうな、私は。そうも思うが彼らは反論もせずにじっと、私の声に耳を傾けていてくれる。


 「私は何も残せず死んでいけることが幸せだ」


 もし私がこんな毒の身体でなかったなら、私は可哀想な子を作り出していたかもしれない。

 ちゃんとその子の一生を幸せにしてやれるのか?守ってあげられるのか?約束は出来ない。その幸せを保証できない私には、親になる権利など無い。その子に話してやれる、誇りなど何もない。人殺しの子だと、その子は酷い言葉を投げられたかも知れない。そんな未来があるよりは、何もない方が良い。私は毒人間でなくたって、私が私なら今と同じ道を歩いたはずだ。私は人殺しになっていた。だからきっと、そうなる。

 そうならずに済んで、ほっとしている。

 父様のように、子供を政治の道具にしたくない。そんな理由で殺したくない。

 トーラ達の父……セネトレア王のように、子供同士を競わせ、啀み合わせたくもない。ロイルもトーラもヴァレスタもオルクスも……皆、その男が人生を狂わせた。それは確か。


(滅ぶなら、滅べ。この世界に価値なんか無い)


 価値があるのはそこに生きている存在にある。それさえ価値を濁らせているなら、守る価値もないのなら、滅んでしまえばいい。何もかも、土に帰ってしまえ。

 それが幸せだ。皆何も生み出さず、死んでいけばいい。そういうことなんだろう?カーネフェルから男がいなくなり、タロックから女が消える。カーネフェルの女とタロックの男が交われば混血が生まれる。混血と純血では子孫を残せない。混血同士も先の一例以外に前例はない。世界はもう間もなく滅ぶ。神の審判はそれを早めるための儀式だろう。どうせ滅ぶなら時間の無駄。さっさと滅ぼそう。そういう魂胆なんだろう。

 それに気付いてしまえば、先程までの未練もどこか遠い。とてもちっぽけなことのように思える。そうか、終わるのか。そう思うだけで、とても落ち着く。

 誰も、何も、いなくなる。もう誰も泣かないし、傷つかない。無理して守ることもない。私はゆっくり眠って良い。息を引き取って良いんだ。


(そうか……)


 死は救いだ。もう悲しまなくて良い。泣かなくて良い。

 母様は私に二度と泣くことがないよう、悲しむことがないようにと祈ってくれたとアスカは言った。それでも無理だ。生きることは辛いし悲しい。生き続ける限り私は泣くし、悲しむのだ。

 なら、アスカ。それは祈りじゃないよ。母様は、きっと聖母のように優しい表情声色で、強かに強く私を呪っていたんだよ。死ねっ、死ねって。二度と目を覚ますな。そのまま眠れ。死んでしまえ。死んでしまえ。……それが本当のメッセージ。

 幼い彼の瞳に映った世界は美しく見えたのだろう。それは彼の心が美しかったからそう見えただけだ。無垢な心は世界の悪意さえ善意に見えてしまう愚かさだ。

 母様は、ずっと私が嫌いだったんだ。政略結婚の相手に孕ませられた子だ。本当にあの男を愛していたかも怪しい。最期の瞬間、見た母様は泣いていたけどその口元は弓を描いていた。泣きながら、笑っていたんだよ。私はそれを認めたくなかったんだ。愛されていたと思いたかったんだ。エルムと同じで、飢えていたんだ。彼が与えられているヴァレスタの暴力と同じだ。それを愛だと信じ、縋りたかった。


(私は、愚かだな)


 そこに気付けば森の景色が変わる。いつの間にか懐かしいあの屋敷。見たくない己の過去だ。思い人の両親に遊ばれる僕はこうやって第三者として見ると本当に惨め。気付きたくなかったが、そんな自分の表情が……どこか恍惚としている理由。それが今、見えてくる。

 今まではそれが、お嬢様を汚せないことの鬱憤晴らしと解釈していたが、そういう理由だけではなかったのだ。

 僕は抱く度、抱かれる度、人の温度を知る。本当はもっと、違う風に……ぎゅっと抱き締められるだとか、優しく頭を撫でて貰うだとか。キスだってもっと違う場所が良い。額とか頬とか。そういう、親子の愛情が欲しかった。それに僕は飢えていたんだ。奥様と旦那様の歪んだ好意に僕が抱くのは恋愛感情とは違う。それでも満たされる物が在ったのは確かなんだ。

 記憶を無くしても、飢えは消えていなかった。間違っていると思ってもあんなに強く求められることは、僕が本当に欲しかった物を僅かに埋めてくれていた。だからそれが嫌じゃなくなっていく。そんなのおかしいはずなのに、おかしいと思えなくなっていく。

 父様と、母様に愛されたい。我が子として大切に思って欲しい。2人が僕に求めた愛は別物だったけど、愛は愛だ。僕が壊れることで、僕はそれを割り切った。壊れてしまえば、求めていた物がそこにあるような気もした。強く必要とされているのは本当だった。それでもそれが邪眼の生み出した魅了に過ぎないと知れば、なんとも虚しい。被害者などではなく私が加害者だ。人の心を狂わせ弄び、それで自分が傷ついたような顔をしていたなんて知れば……彼ら自身を憎むことなど、出来やしない。

 それでも解る。この国には嘘の愛情ばかりがある。金の魔力が生み出す悲劇に踊らされる人がいることは真実だ。金目当ての結婚。そのために生まれたお嬢様。可哀想なアルジーヌ様。


 「死ねば、貴女に会えますか……?」


 お嬢様は焼き餅焼きだから、きっと怒ってる。僕が他の人に目移りしたこと。きっと責められる。

 あの屋敷で信じられるものは、お嬢様の好意。お嬢様はまだ子供だった。邪眼に魅了される前から僕に好意を抱いていてくれた。だからあの人は、あの人だけは本当に……最初から僕を見ていてくれたんだ。そう思えば、今尚……いっそうあの人が愛おしい。


 「お嬢様……」


 踊る幻影を追いかけて、フラフラと進む内……とうとう森を抜けた。気付けば山の頂上。天高く聳え立つ塔の前へと私は佇む。

 森ではぐれたのだろうか?骨人形は二体になっていた。……振り返ると、もう森がない。はぐれた子は……ここへはやって来られないだろう。意を決し……私は塔への扉へ手をかけた。


 *


「どうして名前狩りなんて始めなさったの?」

「汚いからさ」

「汚い……?」

「この世界はあまりに醜い。目で見て美しいと思える物なんか何一つ残っていないんだ。そのくせ耳障りで仕方がない」

「それでも領主様。お日様の日差し。空の色。外はあんなに綺麗よ」

「メアリ、君は見えない。見えないからこそそんな思い違いをして居るんだ」

「あら?思い違いかしら?」

「ああ、思い違いだよ」

「領主様。貴方は私の知らないことを知っていますが、貴方は私が知っていることを知りません。ですから今の貴方に私の感じる物事を否定は出来ないはずですよ」

「ふぅん……それは確かにそうだなぁ。君は本当に変わった子だね」


 死刑執行日か、彼女の寿命か。どちらが先か。両親からの贈り物。その名前を愛する彼女は死して尚奪われない物としてその名で墓石に刻まれたいのだという。

 確かに彼女は余命幾ばくもない。そして話せば興味深い。僕が彼女に隠れて死刑の日取りを何度か延期したことを彼女は知っていただろうか?多分気付いていただろう。


「領主様、貴方に私の目をあげる。私が死んだら私の目を使って下さい」

「そんなもの要らないよ」

「だって勿体ないじゃない。虫に食べられてしまうのよ。私の身体の何もかも。私がここに生きていたって教えてくれるのは私のお墓だけでしょう?それなら私の目、誰かに……いいえ領主様に持っていて欲しい」

「何故僕に?」

「貴方は私とは違います。何処までも歩いて走っていける人。貴方は鳥だわ。あの空を飛ぶ鳥は何が楽しくてそこにいる?それは世界がこんなにも美しいんだって、一番良い場所から見ていたいから。だから鳥は飛ぶのよ」

「鳥類は視力は良いとは聞くけどねぇ……そんな話は聞いたこともない」

「ええ、そうでしょう。今の貴方は鳥ではありませんもの」

「それじゃあメアリ。目のある君には僕が何に見えて居るんだい?」

「鳥が鳥になる以前の姿は卵以外にありえませんよ領主様」

「僕が卵?ははは!まったく君は笑いのセンスがあるね。僕が相手じゃなければ今すぐ不敬罪で命を落としていたかも知れないよ」

「どうせその内死ぬ身体ですし、あまり怖いことはありませんのよ。悲しいことは悲しいですけど」

「それにしたって僕が卵ねぇ……どうしてだろう?」

「殻の内側では何も見えない。私もです。この部屋から出られない私も卵。だから同じ卵の貴方に空を飛ぶ夢を託してみたい。そんな身分を弁えない私の自分勝手な我が儘です。領主様がお人好しなことを見越しての」

「ははははは!今度こそ面白い。よりにもよってこの僕がお人好しだって?それなら世界の人口の殆どは善人になってしまうよメアリ」

「貴方は悲しい人。だけど怖い人じゃなかったわ。それは最初からずっと感じていました」


 だから怖くないの。いつだかそう言ってメアリは笑った。その笑顔をその死に顔を僕は終ぞ知らない。今頃彼女の亡骸は土の下でゆっくり腐った頃。カルノッフェルは最後まで、その少女を見なかった。姉に似た声の少女。病を患うその少女。何の前触れもなく眠るように息を引き取った。最後まで神聖なその名に由来する名前のまま。彼女は改名することなく、墓石にもその名が刻まれた。

 知りたくなかったのはどうして?それはその声があまりに姉さんに似ていたから。それでも姉さんではなかったから。もし彼女が姿まで姉さんに似ていたのなら、僕は彼女の死に絶えられなくなる。そうしてほんの僅かでも姉さん以外の女性を想ってしまったことを恥じるだろう。

 それでも顔を知らない少女に僕は悩ませられる。それはもしや、……こんな少女だったのではないか。そう考えて重なるのはあの可愛らしい殺人鬼。殺人鬼Suit。彼女が、いや彼が姉さんではないと知った時、僕の中で勝手にだ。メアリと彼は同じ顔であるように思えた。実際は多分違う。それでも僕は勝手にそう思った。それを確信したのは、あの処刑を見てからだ。この僕の犯した罪さえ彼はその身に受けて裁きを受けた。僕と同じ人殺しなのに、なんてあの人は崇高な……。それは僕に許しを請わず、与えられた名のまま死んだ彼女のような神聖さをそこに宿した神々しい姿であった。

 こんな僕を許してくれる。もう誰にも許されないと思った。姉さん以外に僕を受け入れて愛してくれる人はいないと、思っていたそんな僕を……その広く大きな腕で抱き締めてくれるような愛だった。


(メアリ……)


 顔を知らない女の子。この眼を僕に譲ってくれた女の子。君が僕に世界を見せたのは、彼を見せるためだったのか。そうしてメアリ。君は僕のこの両の目を彼に届けるため、与えてくれたんだろう?

 そう思って僕はここまで来た。オルクスは彼の瞳を狙っていたから、きっとそこにはもう何もない。だから僕の光をあげる。こんな物無くても僕にはもう光が見えているから。

 けれどヴァレスタに連れてこられた場所で見た彼は……


(目が……ある?)


 血の匂いがする部屋の中、深く眠っている少年。その閉じた瞼は両方とも膨らんでいた。無事だったのかと思ったけれどそれじゃあこの血の匂いはなんだろう。どこか怪我をしているのか?

 ヴァレスタが赤毛の子に連れられ姿を消したのを見て、僕は今度こそ姉さんではない姉さんと二人きり。ヴァレスタの言葉では、ここに敵がやってくるとのことだ。ここで待っていればいい。

 それでも怪我の手当てくらいはしてあげたい。僕はそっと服をはだけさせ、その身体を調べる。そこまで酷い怪我は無さそうだ。それなのにまだ目を覚まさないとは、よっぽど精神的に辛い目に遭ったのだろう。


「“姉さん”……」


 解ってる。この人は姉さんじゃない。姉さんはもう居ない。それでも僕はこの人を姉さんと呼びたい。僕がこの人に感じる気持ちは、姉さんへのそれと同じくらいに強い気持ち。それは感謝だ。絶望した僕に、この世にまだ……美しい物があるのだと、信じさせてくれたこの人へ、最上級の敬意を称した呼び名がそれだ。

 どうか目を覚まして欲しい。貴方が目覚めてくれるなら、僕は何だってしよう。だって意味がない。これから僕が立派に治めて統治してみせる第三島。貴方が見てくれなければ意味がない。貴方にそれを見て欲しいんだ。貴方がいてくれるなら、僕は誰もが望むような素晴らしい領主で居られる。居てみせる。貴方が居ないと、僕は駄目なんだ。また、僕は狂ってしまう。今度は貴方のための名前狩りを始めそうになるから、だから……


「起きて……?“姉さん”?」


 甘えるように囁いても、その人は動かない。微動だにしないその人をどうすれば起こせるのだろう?不意に思い出すのはとあるお伽話。

 それはこの人には無理だろう。この人は何もかもが毒だから。それを理解していても、一度思い至れば頭から離れない。話せない誘惑がある。魅了されていく。目が合っているわけでもないのに。


「“姉さん”……」


 手術台に横たわるその人の傍に膝をつき、そっと顔を近づける。そうすれば僕の髪がさらさらと舞い降りて姉さんを擽る。それに一度だけ、くすぐったそうに身体が痙攣。生きてはいる。生きて居るんだ。それを再確認して嬉しくなる。それならきっと、起きてくれる。お伽話のように……


「リフルっ!」


 突然開かれた扉の音。その先には血相を変えて飛び込んできた金髪のカーネフェル人。僅かに見覚えはある。このタイミングで現れたのならばこの男が、ヴァレスタの言っていたアスカニオスとか言う男。


「今すぐそいつから離れろっ!」


 怪我を確かめようと服をはだけさせたのがいけなかったか、あらぬ状況だと誤解されたようで男は怒り狂っている。確かに口付けようとはしていたから誤解とも言えないのは事実か。そうか、それなら言い訳はしない。


「……僕は起こそうとしただけだ。“姉さん”が、あんまりにも良く眠っているから、ついね」

「ふざけるないかれ公爵っ!……そいつはあんたの姉じゃない」

「そうだね。だけど、姉さんだよ。それにそういう貴方こそなんなのかな?彼は貴方の何なんだい?」

「俺はそいつの騎士だっ!その手を放せっ!放さねぇなら……叩き斬るっ!」


 一瞬で鞘から抜き払われた長剣。真っ直ぐに伸びた銀色の輝きは、この姉さんの髪の色にそっくりだ。


「困ったな……」


 姉さん早く起きてくれないかな。ヴァレスタの命令に従うならここでこの男を殺して姉さんの身柄を貰って姉さんを姉さんにするんだけど……本当にこの男が姉さんの身近な人間なら、この男を殺したら姉さんが悲しむ。


「よいしょっと」


 なら出来ることは一つしかない。僕は姉さんを抱き起こし、彼を抱えてその場を飛ぶ。そうして壁をぶち破り、通路を駆け抜けるより他になかった。


「あ、こら!逃げるなっ!」

「そんなこと言われても」


 今僕に出来るのは時間稼ぎだ。とりあえずここは危険だ。オルクスにもヴァレスタにも見つからない場所まで逃げて、そこで後ろの彼と話し合えばいい。僕としては姉さんに傍にいて欲しいけど、僕は姉さんの意見を尊重したい。それならやはり、今は逃げるしかないだろう。


 *


 甘い、甘い、甘い。僕と渡り合うための精霊を純血の子に預けるなんて。愚かだねチェネレント。セネトレアの魔女が笑わせる。でもその読みと狙いは良い。けど愚かだ。それはこの目の前の異母兄だって変わらない。


「ヴァレスタ異母兄さんって馬鹿だよね」


 奴隷である赤髪の子より前を歩く。それが主としての、貴方のプライドだ。だけど本当にそれが彼であるかを確かめなかった。だからこれはチャンス。背中ががら空きだ。僕が簡単にその背中を狙えたのはこの男の傲りから来る隙だ。その傲慢さは易々と僕に背後からの攻撃を許してくれた。


「兄さんには数値も見えるのに、普段は見ないようにしている。普通の人間の振りをしている。だから違和感、気付かなかった?」


 貴方はそこまであの奴隷の子を見てあげては居ない。興味がないんだ。だから僕が変身していたのにも気付かない。


「き、貴様は……西へ行ったはず、では」

「そうだね。僕は西へ行った。それは事実だ。だけど僕は僕が死ぬような危ない場所に僕の身体は飛ばさない」

「!?」

「あはは、解ってくれたみたいだね」


 そう。僕は唯僕の精神を他人に送り、操った。僕の精神ということは僕の身体、脳味噌からの遠隔操作数術。僕が計算しているのは確かだから数術は扱える。僕は人間の身体を触媒として使っているに等しい。それは兄さんも妹もわかっていたはず。


「僕は同時に二人までなら遠隔操作ができるんだ。つまり、今西にいる僕もここにいる僕も、僕だけど僕じゃない。視覚数術で僕になってる赤の他人の肉体。だけど僕の精神がそこにあるから数術まで完璧に操れる」


 この技は僕の身体のガードががら空きになる、リスクの高い技ではある。そう。いつもは遠隔操作は一人分しか使わない。残りの一人分の精神で身体の守りを行える。今はそれが出来ない。これを行う前に張った数式が、何らかの理由で敗れれば僕は防御力ゼロ。本当に危険なことなんだけど、その危険を冒した甲斐があった。


「異母兄さんがそろそろ僕を始末しようとしていたように、僕もそろそろ兄さんを始末したかった。いいや……異母兄さん、その目のアレキサンドライトが欲しいんだ」


 解ってたよね、僕の狙いは。那由多王子の瞳を欲したように、僕はもう一人の片割れ殺しであるこの男の瞳も欲しかった。これまでこの男に協力したのは、そのための隙を窺うためだ。


「兄弟のよしみで目さえ渡してくれればその怪我治してあげるよ?そしてタロック人の真純血の赤目を移植してあげる。別に良いよね、その方が兄さんだって困らないじゃない」


 さぁ、摘出手術を始めよう。躙り寄る僕に、兄さんは剣で刺された脇腹を押さえ、身体を起こす。


「異母兄さんじゃ、回復数術は使えないだろ?暴れると大変だよ?ちゃんと那由多王子から検出した毒、刃先に塗っておいてあげたんだから。麻痺毒フェルリーレント、だったかな?」


 解毒の数術だってこの男には使えない。もう袋の鼠だ。コートカードが笑わせる。やっぱりそうだ。ルールは破れる。その前例もある。僕はこの男に負けないし、殺されない。

 ここに来て絶対的な優位を確信した僕は、ちょっと遊びたくなった。この男を苛めてやりたくなったのだ。


「そうだ、折角だから向こうの僕から異母兄さんの飼い犬にこのことを教えてあげようか?忠犬なら走って助けに来てくれるかもしれないよ?」


 あの赤毛の子は空間転移を使えない。どんなに悔しがることか。主から瞳が失われたなんて知れば、その痛みを知りたい。分かち合いたいと、自ら進んで僕に両目を差し出すだろう。それが本当の忠犬だ。


「さ、手術を始めようか?ヴァレスタ異母兄さん!」


 間に合うはずがない。何故僕が埃沙って子を見捨てたかって?そりゃあ勿論理由の一つはこれのため。兄さんの駒にはもう誰も、空間転移を使える子はいないんだから!


 *


「な、なんて無茶を……」


 グライドは目を見開いた。仮にもこの街はフォースの仲間が住む場所だ。そこに精霊の力で地震を起こし、水を呼び、汚染された水を押し流す。古い家々なんか無惨なまでに崩れ果て……西裏町の惨状は酷い。生き埋めになった仲間だっているはずだ。確かに炎を点けていれば街中火の海。もっと多くの被害が出たことは確かだけれど……


(間違いなく、死人は出たはずだ……)


 フォース。咄嗟の躊躇いもなく、冷静にその判断を下したのか?何の葛藤もなく、その計算を行ったのか?


(やはりもう……君は)


 あの男と同じ生き物になっている。人殺しなんだ。あの日の友は、もう居ない。

 自分自身も人殺しだと言うことを暫し忘れて、グライドは旧友の変化に戸惑った。その横で咳き込む少女に気が付いて、そっと片手を差し伸べる。


「大丈夫ですか?」

「ええ、私はなんとか」


 風の数術でなんとか第五島のご令嬢を守ったけれど、他の奴らには逃げられた。エリアス様もフォースとゴミ女……それにリゼカの姿も見えない。数術の痕跡が煩わしいまでにそこら中に転がるだけ。


「グライド様」

「……こうなった以上、西は壊滅したも同然。となれば城は東に攻め込むかもしれません。すぐに東に戻りましょう」

「グライド様っ!?」


 歩き出してすぐにふらついた僕に、駆け寄るエリザさん。


「ご無理をなさらないでください、何処か怪我でも?」


 手当てをと申し出る彼女に大丈夫ですと伝えるも、なんだか身体がどっと疲れて重い。

 そうだ。オルクスから貸し与えられたあの男の眼球。何時の間に落としたのだろう?


(あれを触媒だと……あの男は言っていた)


 純血である僕が触媒無しでフェスパァ=ツァイトの数式を使うのは、かなり身体に負担があることだったのだろう。精霊数術の数術代償は僕の苦痛。触媒を失ったのなら、その苦痛の度合いも増す。本来僕は風の人間だし、炎の数式を扱うのは苦手な部類。代償を精霊が求めるのではなくその代償エネルギーで僕と精霊が数式を紡いでいるに過ぎないのだ。触媒無しでの精霊使役の反動で、僕はこんなに怠いのだろう。


「失礼いたします」

「え?」


 意を決したように僕を背負う公爵令嬢。その背中に負ぶさった僕は途端に狼狽える。


「女性にこのような無理をさせるわけにはいきません、降ろしてください」

「……こんな私をまだ女性扱いしてくれる方が、あの馬鹿以外に居たんですね」


 エリザさんはくすくす笑う。笑っている。それでも……その頬に一筋の光の筋。彼女は泣いていた。

 その横顔に、僕は気付いた。フォースがこの場は逃げおおせたとしても、彼は死からは逃れられない。エリアス様だってそう。


(フォース……)


 君との決着がこんな形で終わってしまうのは心残りだ。後ろ髪が引かれる。それでも、それでも僕は商人だ。あの人の手足だ。もう西は攻略したに等しい。今は東の守りに戻るのが僕の使命。


(フォース……)


 最後まで君とは解り合えなかった。それでも君は……本当にあの混血達が大事なんだね。君と同じ場所には居られない。それでも……

 フェスパァ=ツァイトの気配が僕から遠離る。失望したのか、もう同調出来なくなったからなのか。それはわからない。それでも精霊を遠く感じるのは僕が、僕の怒りが和らいできているからなのだろう。

 フォースは騙されていたのではない。僕が認めたくなかった事実。君にあって僕になかった才能。君は混血を好きになることが出来た。僕にはそれが出来なかった。僕らを隔てたのは多分それ。

 フォースがそれだけ心を捧げた連中だ。悪い人間ではないというのも、おそらくは……真実だろう。それでも僕は東へ行く。ヴァレスタ様がどんな方だとしても、僕はあの方にお仕えする。もう、君に振り向いたりしない。


(……さよなら、フォース)


 君だってあんな大きな精霊従えての大博打をやってのけた。元々数術の才能の無かった君だ。才能のあった僕でさえこんなに消耗している。君だって唯では済まないはずだ。

 僕は一つ確信する。多分もう、僕はフォースに会えない。君の死を、それくらい強く強く感じていた。


 *


「エリス…っ!無事か?」

「う、うん……アルムちゃんも、気絶してるけど大丈夫」


 瓦礫の中、作った土壁。フォースはそれを割り、外の様子を省みる。

 水浸しの西裏町は壊滅状態。逃げ遅れた裏町の住人への被害は出た。が、この街を荒らしに来た第五島の兵や商人達も心中させてやった。こんな風に勝っても、リフルさんにはきっと喜ばれない。炎の海に沈むよりは、被害の拡大を抑えられたとは思う。


 《セネトレアの石材は地震に強い。それを用いた街の被害はそこまででもないだろう》


 土の精霊のフォローが入るも、割り切れない感情はある。


「そうなると木材ばかりのスラム街とか一部の裏町は危ないな……」

 《炎の海になれば煙が籠もりもっと悲惨な結果であった》


 第一攻め込まれた時点で逃げられる者は逃げていただろうとは精霊談。それであって欲しいと俺は思いながら、救助活動もままならない現状を憂いた。殆どの計算をエルツに肩代わりして貰っているにもかかわらず、頭痛と吐き気と震えが止まらない。触媒があるとは言え、脳への負担が大きいのは確か。瓦礫に埋もれた人々の救出、手当てを行えば俺が脳死するであろう事は目に見えている。それでもそれがこの惨状への責任か。


「エルツ……瓦礫浮かせるのに力を貸してくれ」


 俺の言葉に精霊は僅かに驚いたようだ。俺がそんなことを言い出す人間に見えなかったのかな。多分そうだ。誰の目から見ても俺は虚勢ばかりの拗ねたガキ、臆病者のチキンでへたれ。アルタニアでだってそうだ。自分が死にたくないから、他人の死を肯定して生きた。ここで何もしないのはきっと、またそれと同じ道を選ぶこと。……ここに自分一人しか居なかったなら俺はそうやってまた逃げただろう。それでも不思議なもので、ここにはエリスがいる。アルムがいる。

 エリスはこんな俺をヒーローのように慕ってくれる。あの日俺がリフルさんを見つめたような目で。その目に俺は勝てない。逃げ出せない。逃げ出すことを許されない。馬鹿みたいだ。それでもその目に感謝する。俺は情けなくて格好悪い人間だけど、俺を信じてくれている子の理想まで、壊したくないんだ。そう思わせてくれるエリスに感謝する。


 《……お前がそれを決めたのなら、力を貸そう》


 小さな溜息の後、エルツが膨大な数式を展開。それに伴い頭痛と吐き気が酷くなる。それでも必死に耐えた。瓦礫を宙に浮かせて、その一つ一つを空き地や水路、海へと移動。全ての作業が終われば怪我人を集め、エルツの力を借りて手当てを施す。勿論敵まで治療する余裕はない。そのまま見殺す事にした。


「はぁっ……」


 全部の作業が終わると、俺はその場に倒れ込む。もう指一本だって動かせない。俺の限界を知ったエリスは俺に「敵を助けて」とは言わなかった。それでも優しい少年は、己の手で負傷兵士の介護に当たる。助からない者もいる。解っていてそれでも手当てを続ける。真っ赤な赤。血に触れた彼の白い手。何ということのないはずのよくある血の匂い。だけど、その手を持つ彼が近付いた途端、俺の吐き気はピークに達する。


「フォースっ…!?」


 咳き込み、その場に嘔吐した俺を見て、血まみれのエリスが駆け寄った。情けないところ見せてしまった。そう思い口元を拭って気が付いた。嘔吐じゃない。赤い色。これは……吐血?

 どうして血なんか吐くんだよ。なんだよこれ。わけがわからなくて俺はその赤をじっと見つめる。見つめる内にそこに浮かび上がる数値に気付く。

 長らく鉱山に引き籠もっていた精霊にはそれが何なのか解らないらしいが、それでもエルツも言う。


 《……?普通人間の血の数値と何かが違っているな……》


 死にかけの敵兵が咳き込む。今の俺と同じように。それは傷の所為だ。そう思いたいのにその男は言う。お前もか、と。


「もう駄目だな、この辺りの水も。第五島の風土病、……確かに、広まったぜ」

「ど、どういうことだ!?」


 第五島の風土病?死にかけの男のもとへと向かい、フォースはその身体を揺するも男は下卑た笑みのままそれ以上を答えず事切れた。


「エリスっ、何か知らないか?」

「……病気のことは、知ってる。でも……どういう病気かは教えて貰えなくて。唯、外は危ないから僕は城から部屋から出ちゃ駄目って言われて」


 そうして生活している内に他の病気にかかったと言われ、オルクスの治療を受けていたのだと彼は言う。

 何か得体の知れない不安を感じながら、フォースはごくりを息を呑む。そんな此方に近付く影に、得物を掴むも相手は両手を見せて丸腰、降参の構え。


「そ、そこの君」


 よろよろと、まだ息がある若い商人が此方に縋り付いてくる。深手ではあるが致命傷ではない。しかしすぐにでも傷を塞ぎたいのだと商人は言う。


「この怪我、治してくれたなら……教えてやりましょう」

「……話してくれてから、だ」


 フォースの言葉に相手は、早口で捲し立てて言う。


「第五島の風土病は、血液唾液その他体液から感染する病です。それが傷口や口などから体内に入りますと感染。唯この病気には特徴があり雌雄の別があるのです」

「雄、雌?」

「ええ!雄病原菌の保持者は男にしか感染させられない。雌病原菌の保持者は女にしか感染させられない。感染……というのはまぁ、触れた相手は全員感染してるのはしているんですが、あくまでそれは保持者感染であって、発病はしないんです。発病まで至るのは性別を選ぶというわけで。しかし困った話なのですが、雄雌両方の病原菌に冒されると両性に感染させることができる感染者が生まれます。この両病原菌持ちから移された場合、感染した相手も両病原菌持ちになるのではなく、雄雌どちらかの病原菌の保持者になります。その後もう一方の病原菌に感染した場合、その者も両病原菌保持者に。勿論雄雌というのはその菌の話であって男性でも雌病原菌ホルダー、女性でも雄病原菌ホルダーになることはありまして」

「あの、もうちょい簡潔に分かり易く頼む」


 相手が長文を一気に捲し立てるものだから、右から左。話が記憶に残らない。唯、病気の菌に性別があるってことだけはなんとか理解する。


「この病気は潜伏期間があります。個人差はありますが、両病原菌者から移された場合、潜伏期間は短く、雌雄どちらかの保持者から移された場合は潜伏期間が長い。しかし発病後は、貴方や先程の男のように吐血を繰り返すようになる。その血を他人に触れさせては駄目です。そこから感染することもありますからね」

「俺が風土病の感染者、だっていうのか?」


 これは無理な数術のための反動じゃないのか?いや……


(俺の数術代償って……)


 俺はカードだ。リフルさんに深く関わったからカードになった。カードだから、カードに選ばれることが決まっていたから、だから審判が始まるまでは死ななかった。それはきっと何度も死にそうな目に遭ったリフルさんがそうだったように。

 これまで数術なんか使えなかったから、数術代償なんて考えたことがなかった。精霊に力を借りる代償だけでいいのだと思っていた。だけど精霊と触媒の力を借りても、俺には荷が重い分野だったんじゃないのか?だって俺には何の才能もない。エルツが見えるようになったのも、いくらかの幸運を費やして居るんだ。でなきゃ俺は今も痛んだ指と足のまま、山の中に転がっていて、残党狩りにでも遭っていたはず。

 本当はさ、俺みたいなどうしようもない人間が幾つも修羅場潜り抜けること自体、奇蹟みたいなものだったんじゃないのかな。それだけで俺は幸福値を消費してきてしまったんだ。伝説の精霊を味方に付けたグライドと渡り合ったり、策に嵌めたり。カルノッフェルをもう少しで殺すことだって出来た。その状況の変化は俺の成長じゃない。きっとカードの力。

 俺は傍にリフルさんがいないと成長しようという気持ちすら起こらず、今だってエリスが居てくれなければ自分の罪から逃げていた。


「エリス……」


 よく分からないけど俺も感染している。発病したんだ。何時また吐くかわからない。距離を置かそうとしてもそれでも彼は歩み寄る。大いなる許しだ。こんなちっぽけな存在が、俺を恐れさせることも出来ない子供が、アーヌルス様よりも大きく見えるのは何故か。

 その手が汚れているからか。俺に更なる感染を厭ってか両手を後ろに隠して触れないように、それでも頭で柔らかな髪と頬で俺の腹に擦り寄った。怖くないよと言うように。

 そんな彼の優しさが、俺に再び立ち上がる力をくれる。震える身体に鞭打って、綺麗な水を汲み取った。

 血まみれの白い手を、解毒のゼクヴェンツを数滴垂らした水で洗い流させる。これでひとまずエリスは安心。そこまでやって、俺はふらつきながら思い出す。一応約束は約束だ。情報提供してくれた商人を数術で治してやった。そうしてエリスを振り返る。


「エリス、もうお前は手当てをするな。お前がしたいことは全部……俺がやるから。お前に何かあったらこれからの第五島が大変だろ?」


 その輝かしい金髪をそっと撫でてやりたいな。でも触れることが恐れ多くて、頭上で手を止め俺は笑った。


「フォース……?」


 柔らかい。触れるはずがなかった髪に触れている。それは俺の身体が、傾いたから?


「ぐぁっ……」


 咄嗟にエリスを突き飛ばす。吐き出した大量の血液からは逃れさせられた。すっ転んで此方を仰ぎ見るエリスが俺見て絶叫。振り返るまでもない見えていた。腹部を食い破って出てきた刃が。

 刺された。刺されたんだ。カードでもない、人間に……


「ひっ……ひゃはははははっ!手配書で見たアルタニア公の番犬っ!それに次期公爵様と来た!これでたんまり金が手に入るっ!」


 なんて奴っ。怪我を治してやったってのに、それは近付くための策!?そうだ。俺の手配書は、生死を問わず。


「数術を使うんだったな。また回復される前に……」


 病気を移されては堪らない。止めを刺そうと男が剣を振り翳す。


(俺は……)


 カードでもない人間にやられるほど、幸福値を消費してしまったのか?


「駄目っ!」

(エリスっ……!?)


 咄嗟に俺の前に立ち塞がった少年。フラッシュバックするのはアルタニアでの記憶。こんな風に俺を庇って死んだコルニクス。俺が守れなかった、アーヌルス様。


(嫌だ)


 嫌だ嫌だ嫌だ。二度とあんな思いはしたくない。血まみれの手それでも彼を抱き寄せて、身体を反転。再び男に背を向けて、一時の盾になる。

 死に損ないにしてはよく動いてくれたな、俺の身体も。ほっと安堵の息を吐き、これが最後とも知れぬ息を吸う。

 そこにふわと香る甘い香り。エリザの香水と似た匂い。それは何処から?エリスから。

 数痲薬ではないだろう。怪しい数式は見えない。それでも同じ花を使った香料なんだろうな。あの時はカーネフェルに咲く花だと思ったけど、それはきっとディスブルー島に咲く花だったんだ。今になってその花の名前が気になった。


(ああ、そうか)


 やられた。そうだ、あの時だ。感染したのは。

 アルタニアの城でエリザにキスされた事を思い出す。あの時もこんな風に花の香りが漂った。何度も彼女にはしてやられた。結局俺も彼女に遊ばれた男の一人に過ぎない。何時も俺はからかわれてばかり。

 けれど俺は、彼女が憎む物の内に含まれていたんだ。俺を殺すために彼女は俺に口付けた。そうは思っても彼女を憎む気持ちが起こらない。漠然と感じた負けに、ふっと笑みすら浮かんだよ。俺が一矢報いてやれたのは懸賞金がこんな何処の馬の骨とも解らぬ男の手に渡ると言うことか。それでざまぁみろと思えず、ちょっと申し訳ないなと思ってしまう辺り……俺は彼女を。そうか、そういうことだったのか。


(馬鹿だな、俺……)


 アスカのこと、馬鹿に出来ないよ。こんな風になるまで人間って、自分の気持ちさえわからないんだから。


 *


 長い永い螺旋階段。上に進む程、寒さが増していく。骨人形達の足取りも遅い。

 ここまで来れば次は凍死かとも思うのだけれど、道中付き添ってくれた彼らをむざむざ死なせるのも可哀想だ。それが必要なことなんだと解っていても、奇妙な彼らに次第に愛着が湧いて来る。一人暗い森を進むのは、きっと心細かった。だからそんな風に思ってしまったのだろう。


 「おいで」


 二体くらいならば抱きかかえても進めるだろう。しゃがみこみ腕を伸ばせば、胸元に骨人形がやって来る。彼らを迎え入れて私は石段を登る。

 進めば進むほど減っていく人形。その犠牲によって映し出される誰かの記憶。私に出来るのは進むことか立ち止まること。

 既にここに来るまで六体死なせた。命の引き算。それを考えるなら立ち止まることは許されない。そもそもこの人形達は何?人ではない。生きているの?いないの?そもそも人って何?何処から何処までが人?これは何の象徴?犠牲?

 私はこれから死に向かって歩いている。それなのにまだ犠牲が必要。生きるために誰かを犠牲にすること。それは確かにある。だけど、彼らは何を意味しているのか。私が死のうとすることで、誰かが死ぬ?犠牲になる?


 「……私が、守ることを放棄する。だから誰かが死ぬ。……あの人が、私に言いたかったのはそういうことなのかもしれないな」


 それでも尚、死を望むのかと零の神は私に聞いた。


(でも、今更だ……)


 もう、疲れた。もう、十分私は泣いただろう。もう何も見たくないし何も聞きたくない。

 私がこの世で最も美しいと思ったものが壊された。人の悪意で汚された。彼の正義が蹂躙される様を見せつけられた。訳が分からない内に、トーラまで殺された。

 この二年、ずっと私を追いかけた人。ずっと私の傍にいてくれた人。どちらも大切な人。

 どんなに苦しい時も、辛い時も。かける言葉が見当たらないと思いながらも、それでも彼女は私の隣にいてくれた。今はそんなトーラもいない。自分の中が空っぽのがらんどうになっていくのが解る。こぼれ落ちていくんだ。


 「無責任と罵られるだろうか」


 答えはない。人形達も何も言わない。私は私に語りかける。自問自答と共に石段を唯ひたすらに進む。


 「まだ罰が足りないだろうか。報いが足りないだろうか」


 それなら何をされればいい?

 決して殺すまいと定めた奴隷と混血を、殺させられた。唯の人殺しに成り下がった。

 あの男によって、二度も屈辱を味わった。私の敵の頭である男が、混血だった。守るべき者に虐げられた。絶望を刻まれた。何を守ればいいのか解らなくなった。

 それでも守りたい人がいた。だけど、あの女に無実のあの人を殺された。私の罪を背負わされて殺された。許せなかった。だから、殺そうと思った。自分の感情のために人を殺すなんてあってはならないと周りを咎めながら、私は私にそれをさせようとした。

 そんな私の心を汲んで、大事な人の手を、また汚させてしまった。私がそんなことを望むから、私が醜く汚く穢れているから彼まで汚染されたのだ。もう、何処にもいられない。何処にもいてはいけない。

 両目を抉られた時の痛みはこれまで知る痛みを遙かに超えていた。その痛みに私は、そろそろ許されて良いんじゃないかと思った。それでも私はまだ生きている。まだ死ねていない。人殺しの罪は重い。簡単には私を死なせてはくれない。

 理不尽だと言う資格はない。世には報いを受けずに人を傷付け殺める者もいる。しかしそれを指摘したところで私の罪は消えない。唯、その理不尽さが減るように、そんな奴らを殺しただけだ。


 「生きて償え……か」


 それは二年前に私が死を望むアスカに告げた言葉。死は救いだ。それ以上の責任、罰を与えられることはない。言い換えれば私は彼に、逃げるな、逃がさない。そう言ったのだ。彼を許すような口ぶりで、傍に縛り付けていた。あれはそういう言葉になってしまっていた。私がそれを望まなくとも、彼にとってはそういう呪縛になっていたんだ。


 「ラハイアも……私に言った言葉だな」


 生きることは辛い。死にたくなる瞬間がある。私に何の罪もなかったのならそこから逃げ出していただろう。逃げられないのは罪を自覚しているから。簡単に許されてはならないことを知っているから。


 「……だけど私は、もう死にたい」


 まだ償いが足りないというのなら、骨でも肉でも持っていくと良い。そうして私を無に帰せ。


 「…………ごめん」


 抱えた骨人形。残りの二体は、私の会いたい人の記憶を持っているのだろう。


 「夢でも良いっ……会いたいんだっ」


 抱き締めた人形に落ちる、毒の涙。それに触れた途端、バラバラになる骨人形。

 だけど、紡がれる記憶はトーラとの記憶だけ。それは私も知っている……一緒に共有してきた時間の記憶。それはとても大切な記憶だけれど……彼が居ない。

 骨人形は二体とも、バラバラになっているのに……ラハイアがいない。


(どうして……!?)


 最後の記憶はお前だと思った。私を殺してくれるのは、お前じゃないか。お前以外に、誰がいる?!私は泣く。泣きながら、階段を駆け上がる。最後に夢を見せてくれても良いじゃないか。優しい夢。もう一度触れたい記憶。

 息を切らせて駆け込んだ先、開けた視界。塔の最上階。そこには寝台があり、その上に棺が一つ置いてある。そこで眠れば死ねるのだろう。歩み寄る私の背に、暗い声が投げられる。


 「……未練は、生きた人間にしか生み出せん」

 「零の、神……」


 振り向けばここに来て、最初に出会った仮面の男がいる。私にここまで来るように言った男だ。


 「眠り王子よ。ここまで見た記憶は全て、まだ生きているお前の仲間の記憶だ。少なくともお前が見た時点ではまだ生きていた者達だ」


 そういう言い方をすると言うことは、既に誰かが死んでいると言うこと。今生きている保証はない。……ラハイアがいないのは、彼が死んだから。屋敷の記憶は、私自身の記憶だから。その上他にも誰かが死んだと言われた。起きても辛いだけ。悲しいだけだ。


 「もう……私に、未練は無い。ここで眠らせて貰います」

 「そうか」


 男はもう何も言わず、棺に横たわる私に蓋をしてくれた。この密閉感に安堵するのは何故だろう。懐かしいとさえ思う。死とはこんなに満ち足りた充足。ずっとこの暗がりに微睡んでいたい。もっと深く眠ればきっと、もう目覚めずに済む。


(まもなく、私は死ぬ)


 唯生まれ、何も生み出せず、零へと帰る。命の引き算がマイナスになる。それって素晴らしいことだ。不幸になるかも知れない誰かを、私は生み出さずに済んだ。可能性を否定することは、未然に不幸の芽を摘むこと。そう思うと私は、私が男で良かったと……生まれて初めてそう思う。


(私は何も、生み出せない。私は何も、与えられない)


 ほっとする。凄く、幸せ。

とりあえずまだ思うところがあるので今回はノーコメントで。

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