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9:Vivere disce, cogita mori.

精神的にグロ注意回かも。

 太陽が昇っていく。高く、高く、高く……

 戦いに挑む俺の心もそんな風に高揚していけばいいのに。これまで何度だって見たことのある朝日がとても眩しかった。

 三度、世界は変わった。


 一度目は城から外へ出た時に。命を失うかも知れないスリルほど、存在を強く感じられるものはない。そう思えば死という物が愛おしくなった。それが自分と相手のどちらに訪れるものかは別として。結果はどうでもいい。唯楽しめるか楽しめないか。それが問題だった。

 二度目はあの男に出会った時に。それまでスリルの中に生きてきた俺に恐怖と得体の知れない憧憬を与えた男の存在。それはこれまで感じたどの危険よりも鮮烈なる死の香り。俺に対する悪意なく、俺に何を求めるでもなく、俺から何を奪うでもなく殺そうとするだけのその目。その男への興味は、俺を燻らせる。

 殺したい訳じゃない。俺はそいつを気に入った。命を賭けた殺し合いをしたくないわけじゃない。物凄くしたい。それでも、同時に物凄く怖い。死にたくない訳じゃないが殺されたくない。戦いたいけれど死なせたくない。俺の心が解るのか、そいつは本気で戦わない。いつも卑怯な手段で俺を出し抜く。

 そんな狡いところすら気に入っていた。俺じゃあ考えつかないようなこと、幾らでもやってのけるあいつが気に入った。そいつは俺に戦うことの楽しさと奥深さ、それから迷いと揺らぎを植え付けた。

 そして三度目。二年前、レフトバウアー港にて。殺人鬼Suit……リフルがやった大量虐殺。夥しい数の死体。恐怖と後悔、苦痛に歪む。

 その怨念は現実には発せられない。しかし俺はその声を呻きを耳にしていた。昔、臆病だった俺は常に人の顔を伺っていた。だから顔を見れば大体解る。その瞬間に、俺の中で死という概念が反転した。死に歩み寄ることは、生を感じられること。そう思っていたけれど、死とは恐ろしい物なんだと俺は理解する。死とは本当に何も出来なくなること。未練と後悔をこんな風に残して消える。死にたくないという気持ち。俺は初めてそれを覚えた。不思議だった。城にいた頃はそんな風に思わなかったのに。

 外に出てからもそうだ。殺しても、その辺りに転がっている亡骸を見ても、死に対する恐怖など浮かばなかった。死とは弱い者に訪れる報い。死にたくないなら強くあればいい。それが外で学んだこと。

 この三度目の変化は俺が信じた、力こそ全てという考えを打ち砕いてしまったのだ。どんなに強くても死ぬ。あんなに弱くて細くて頼りない、女みたいなリフルに。こんなに大勢の屈強な男がどうやって殺されたのか。

 十人や二十人なんてものじゃない。もっとだ。五十とか百とか。もっとかもしれない。そんな大人数、俺だって手を焼く。それでもあいつはそれをやってのけた。

 世の中には限界があるんだなって知った。自分に出来ること、出来ないこと。自分と他人が違う以上、絶対に勝てない相手はいる。理不尽なまでの力を持ち、他を圧倒する存在がある。人は見た目によらないのだ。あんな細身の子供でもこれだけの大量虐殺が出来るんだ。油断がこの後悔の顔を生む。死は常にそばにいて、ぴたりと寄り添い息をしている。


 外に出て、俺は世界を自分を知るほど弱くなっていく。唯のストレス解消だったはずのバトル。それが俺の呼吸に代わり、その呼吸し吸い込む空気が毒になった。

 戦わなければ心が死ぬ。戦えば俺が死ぬ。そのどちらも死にたくないと俺に訴えかけてくる。

 どうすれば、生きていられる?俺は死なずに済む?今を生きていられる?考えても解らない。答えは……答えは、あいつの中にある。あいつは俺に似て非なる者。俺の知らない答えを持っている。

 戦いたい。勝ちたい。お前に。

 俺に恐怖を植え付けたお前を倒さなければ、迷いを捨てることは一勝できない。俺は死ぬんだ。息をしているかしていないかの違いはあっても、俺は死ぬんだ。俺は、死にたくない。無くしたくないものがある。未練があるんだ。

 戦わない時間。それに対する思い入れ。それが密度を増し、膨張していく。それを失いたくなくて、死にたくないのに戦ってしまう。

 お前と同じことがしたかった。俺がお前になれたら、俺はその恐れから解放されると考えた。気付いたら背負い込んでいた。重かったが投げ出せなかった。そうしたらお前には至れない気がした。そして……二度と戻るもんかと思ったはずの城へ、人へと俺は帰る。

 結果こうして乗り越えるべきお前とやり合える機会が手に入った。喜ばしいことだろう。手が奥歯がガタガタ震える。それを無理矢理笑みへと変えて、俺はいつものお前のように不敵を装い笑うんだ。

 お前より強くなれば、俺は息をする方法を知ることが出来るんだ。生きていられるんだ。

 エルムのためとか兄貴のためとか、そんなこと……今は忘れている。俺、ロイルという人間が俺のために剣を取っている。

 なぁ、アスカ。兄弟って何だ?家族って何だ?俺はどうしたらお前になれる?お前がリフルにそうするように、……俺はレスタ兄を真っ直ぐ守れるようになる?普通って何だ?普通に息をするのってどうやるんだ?お前はどうやって、今生きている?教えてくれよ、なぁ……アスカ。


 *


 つくづく外の世界は不思議なところだ。城の中とは全然違う。

 でも分かり易かった。世の悪意とはこんなにも真っ直ぐで目に見える物だったのか。俺は感動さえしていた。

 金が欲しい。金目物が欲しい。美味い物を食いたい。我が身を飾り立てたい。いい女を抱きたい。結局は、金、金、金っ!だからこうやって襲いに来る。身包み全部寄越せって。

 こいつら……まぁ、最低だな。それは解る。それでもいっそ清々しい。城の外、破落戸ばかりの裏町で俺は笑った。生まれて初めてだ。あんなに大笑いしたのは。


 「いいぜ、俺に勝てたら金くらいくれてやる!」


 城は戦えば俺より遙かに弱い異母や異母兄弟達が、回りくどく明確な悪意を捧げる。あそこでは上手く立ち回ることが強さだった。だからあの城の中で俺はとても弱い存在だった。

 いつもレスタ兄に助けられていた。

 だけどここでは純粋に力勝負。力こそ全てだ。要は強けりゃいい。それで嫌な思いをすることはなく、泣くこともなく、俺は笑っていられるわけだ。


 「すげーなリィナ!外の世界ってこんなに面白れぇところだったのか!」


 はしゃぐ俺をリィナが笑いながら見つめている。眩しそうに眼を細め……日差しを背に浴びる俺は逆光だった。でも俺からはリィナがよく見えた。綺麗な金髪。俺とは違う色の髪。キラキラしてて本当に綺麗。城の物置に閉じ込められていた彼女が、この外の世界で自由に太陽に照らされる。そんな景色は幻想的ですらあった。


(……俺は夢を見ているんだな)


 リィナと二人で城の追っ手から逃げる生活も、西裏町に向かった途端一変する。城の奴らは西までは来られない風だった。西を治める大組織の存在は俺も聞いたことはある。城からもそこに依頼をすることもあるから、機嫌を損ねるようなことは出来ないのだろう。

 それは好都合と俺達は西裏町に暮らし始める。

 だけど淡々と流れる日々に俺は……退屈を抱え始める。どうにも毎日怠い。生きてる気がしない。現実味がないのだ。

 リィナと一緒に楽しく暮らせるのはいい。だけど、夢なのかと思ってしまう。どこかふわふわとした気持ち。ここにあって、ここにない。ちょっとした拍子に弾けて消える、泡沫の夢に俺は棲んでいるのではないか。目覚めればまた、俺は城で目を覚ます。

 俺が戦いにのめり込んでいったのは、外の奴らの面白さだけではないのだろう。戦うことは確認作業。俺が生きている証。これは夢じゃないと、確かめられる……確かな手応え。

 戦うのは楽しい。俺は今ここに生きている。それを強く強く感じられる。


 そんな確認作業を続ける内、俺は不思議な男と出会う。そいつは外で見た人間の中で、一番奇妙な奴だった。そいつは何かを求めているのに、それが定まらない目をしている。誰よりも激しいものを内に秘め、飄々と振る舞う明らかな矛盾。

 奴は金が欲しいと言ってはいたが、他の悪人達のような好感の持てる真っ直ぐにいかれた狂気を持ってはいない。金が欲しいと言いながら、男は手段を選ぶ。なりふり構わず金を手にしようとはしない。

 確かなルールを己に定めた金儲け。そういう……この国では他に誰もいないような奇妙な独自の型にはまったそいつ。本当に不思議な奴。いっそそいつはいかれるくらい敬虔な聖人か何かのように俺には見えた。だが、アスカ。お前の崇める神とは何だ?

 何度勝負を挑んでも、答えは俺には見えない。

 いつしか気付いた。そうだ、こいつも俺と同じ。埋まらない心の穴を塞ぐために奔走している。それは金とか物質的即物的な幸福快楽ではない。


(なぁ、知ってるか?)


 俺とお前じゃ会話にならない。お前はまともに俺の話を聞かないし、お前は俺に自分を語らない。俺もお前も知られたくない自分を飼っている。その上で俺はお前を知りたいが、お前はそうではないだろう。


 「もう、終わりか?」


 激しい痛み。その直後に響く声。はっと我に返れば距離がある。先程まではもっと近くにいたはずなのに。


 「……っ、まだまだっ!」


 ああ、そうか。一瞬意識飛んでた。だけど俺は、アスカのそれみたいにそれで戦えていたわけじゃない。剣戟の間に繰り出された蹴りにぶっ飛ばされて、宙を飛んだ。その一瞬の走馬燈が今の景色。地に落ちて痛みで目が覚めたんだ。


(駄目だな、俺)


 もっと集中しろ。戦うことだけ考えろ。死ぬとか殺してしまうとか考えるな。余計なことは考えるな。観察に夢中になるな。必要最低限の情報を素早く読み取り次の動作に備えろ。

 表情と剣の動きだけに意識が向いていたのが今の失態。足まで使ってくることくらい、何故予想できなかったのか。俺は空いた片手で頬を叩いて息を吸う。


(……なるほど)


 冷静になってみればおかしい。今日はこれまで禁じ手を封じてきたアスカが突然蹴りを入れてくるなんて。それって狙ってじゃない。そうせざるを得なかった。俺は上手く攻め込めてたんだ。

 今のアスカはリフルの目を持っている。それを俺が持っていれば迂闊に狙えなかっただろう。それをアスカが持つことで、アスカは遠慮が無くなるが……俺彼の攻撃に脅えるのだ。自分の怪我ではなく、漕いでなくとも弟の目を壊されることがあってはならないと。


(俺が逆の立場なら、どうなる?)


 俺は兄貴の目を庇うだろうか?いや、それはない。目なんかなくても兄貴は兄貴だ。別にそれで兄貴が死ぬわけでもない。むしろ不便になればそれでいいじゃないか。そばにいてもいい理由が出来る。それを俺も兄貴も正当化できる。なのにどうしてアスカはそうしない?

 トーラくらいの数術使いなら、目の移植も可能らしいし、どうしてもっていうならそれで新しい目を移植すればいい。別にその目に拘る必要はない。普通ならそうなる。

 でもアスカはそうならない。今のリフルに対する執着が深く現れている。必死に、何一つ欠けてはならないのだと言うように今を求める。

 そこまでの深い思い入れ。それが本当の兄弟って奴なのか?埃沙も洛叉に対する執着は凄い。アルムのエルムに対するそれもそう。ああいうのが、普通の兄弟の姿?

 それでもトーラとオルクスは違う。俺達セネトレイアの血は概して薄情なのだ。家族に対する情がない。家族も兄弟も敵だったのだから仕方ない。そんな中で俺の立った1人の家族がレスタ兄。俺と兄貴が袂を分かったのは、俺が兄貴をちゃんと理解してやれなかったから。だから兄貴はリィナに暴力を振るった。そうしなければ自分を保っていられなかった。俺がもっとちゃんとした人間だったら、兄貴とリィナだって仲の良い……兄妹であれたかもしれないのに。

 俺も兄貴も欠けている。人として欠陥品だ。心が脳が壊れているんだきっと。

 でもトーラは違う。セネトレイアなのに、混血なのに、人間だ。不完全な俺よりも人間。俺が持っていない人間としての正しい心を持っている。

 蒼薔薇が死んだ時、トーラは泣いた。俺は泣いたことがない。誰かの死に、泣いたことがない。それを悲しいと、思ったことがないんだ。泣けない俺はおかしい。人として彼女に劣っている。

 俺は泣きたい。人の死を悼めるような、人間になりたい。眉一つ動かさず、普通に気にせず三食食って眠れるような俺は人間じゃない。


(お前を殺せたら、お前が死んだら……)


 俺は泣けるだろうか。人間になれるだろうか?


(嗚呼、……きっとなれる!)


 俺にとってそれだけお前は大きな存在だ。失ってこそ、意味がある。

 俺、少しはお前に近づけたよな。昔のお前に、ちょっとなれてる。お前は俺に怨みがないのに俺を殺そうとした。俺も同じだ。お前に怨みがない。だけど今、殺そうとしてる。そうなりゃ必要なことは何だ?研ぎ澄まされた殺意?それだけ?そいつだけあれば、俺はお前になれる。

 安心しろよアスカ。お前が死んでも俺がリフルの目は何とかしてやる。兄貴に頼み込んでどうにかしてやる。


 「はははっ!」

 「何、笑ってんだよお前……」


 ちょっと脅えたような声。面白いな、まだ意識があるとはいえお前が俺に脅えるなんて。俺がお前に、じゃなくて。


 「安心しろよアスカ。後のことは俺に任せろ。だから安心して、俺に負けて死ね」

 「随分なご挨拶だな」

 「初めてだ」

 「は?」

 「俺、お前に勝てそうな気がして来たぜ!」

 「寝言は寝て言えっ!」


 逸る心のまま……両手で得物を掴み、俺はアスカを真っ直ぐ見据えて飛び上がる。

 これが最後だ、焼き付けろ。この一振り、一太刀。全てが言葉。ぶつかる刃の音が俺達の会話だ。視線、顔色……呼吸に動作。その一つ一つを観察している。次の手を読むために、理解しようとする。そうやって観察すると解る。お前は焦りと不安がある。その不安定さがお前の力の源か。

 出会った日のお前はあんなに虚ろだった……それでも確かに生きていた。それが不思議だ。お前の中に何もないなら、お前を形作る何かにお前を構成する大事な要素がある。それは俺に欠けている物。お前は戦わずとも、自らと世界の存在を正しく認識できている。その術を俺は学びたい。お前から、奪いたい。

 一番最初に外で学んだ、戦う意味。他の奴らは俺みたいに息をするために戦ってたんじゃなかった。奪うためだ。それも一つの理由なんだろう。だから今の俺の気持ちは、限りなく人間的なんだ。そう思うと嬉しくて、口が綻ぶってもんだ。だけどそいつらと同じじゃお前に勝てない。だってそいつら俺に負けるような奴らだし。


(俺はお前に勝たないと駄目だ)


 お前が見ているもの。お前にあって俺にない物。それはお前に勝たなければ見えて来ない。戦うのは楽しいけどよ、それじゃ……やっぱり俺はおかしいんだ。リィナは俺が戦うことを快く思わない。俺が怪我するのを本当に嫌そうに、辛そうに見る。

 でも傷って勲章だろ。俺に怪我をさせるような、それだけ強い奴とやり合った。そして俺が生き残った。つまりは勝ったって証明だ。昔兄貴と背ぇ比べで柱に刻んだ傷と同じ。強さの丈比べ。深い傷。そいつが強さの証。食らった以上に深く抉ってやれ。

 守りに回って俺から逃げられるわけもない。避ける手間を惜しんだ。痛みに構わず、踏み込んだ。痛ぇ、生きてる。

 そう。最初は別にそれでいいと思った。リィナを泣かせたくはないけど、俺だって俺が生きてることを確かめたい。唯息をしているだけで生きているとは思えない。戦って負けて死ぬことと、息をするだけの生活なら……俺は前者の方が良い。ずっとそう思ってた。

 でも……俺に認識を改めさせた奴がいたんだよ。誰かって?


(そいつもお前だよアスカ)


 リフルに出会ってすぐにまたリフルを見失い……お前は出会った頃よりも深い虚ろを宿し始めた。だけど昔みたいにぞくぞくしない。背筋が震えるほどの寒気と恐怖を感じない。こいつと戦えば、強く激しく生きているって実感できる……そうは思えなくなっていた。それだけあの頃のお前は欠けていた。城にいた頃の俺みたいだ。

 だから解った。俺にとっての戦いが、お前にとってのあいつ。なくてはならないもの。それが無いと夢の現の区別も付かない。お前を見る内に、俺は気付いた。それがどんなに危なっかしいことか。リィナはいつも俺をこんな風に見ていたのかと思うと申し訳なくなった。そして俺は俺の戦闘欲求をなにかに置き換えられないかを考えるようになる。

 強いか弱いか、殺せるか殺せないか。そういう認識の他者を、違う目で見られはしないものか。弱いから嫌い。強いから好き。違うだろ。弱いから守る。強いから阻む。そういう風に戦えないものか。

 あの日の本気をも越えたお前は俺より強い。だけど本気でやる程度なら、ほら。俺のが有利だ。遠くから聞こえる誰かの悲鳴。それに気を取られたお前は弱い。これを卑怯とは呼ばない。


 「がっ……はっ……」

 「……まずは、一撃」


 余所見をする奴が悪い。集中力も戦闘じゃ一つのスキル。さっきお前が俺に教えた。卑怯なやり方。それもこの二年、お前が俺に教えたことだ。

 凄いなアスカ。卑怯なやり方って、決まった時って物凄く胸がスカッとするんだな。力押しの勝負とはまた違う、快感だ。


(やった……)


 やっと入った。一撃、深々と。その痛みに生まれる隙がある。そこでもう一発、今度はその傷口へと蹴りを入れ、踏み倒す。これで意識は飛んだだろう。

 だけど終わりじゃない。ここからが、本番。あの日の続きだ。アスカは意識を飛ばしてからのが凄いんだ。膨れあがる殺気。脅えと興奮が俺の中で介在する。


 「やっとお出ましか」


 あの日は引き分けだった。厳密には俺の負け。俺が負けだと思ってしまった。

 事実、お前に怪我がなければ負けたのは俺。お前を引き出す条件は攻撃で深手を負わせること。出血多量での気絶という時間切れがなければお前は俺に勝っていた。

 俺は生きていたし意識もあった。だけど勝ったとは思えなかった。生き延びれば俺にとっては勝ちだったのに。お前とじゃ、駄目だ。どうすれば俺がお前に勝ったと思えるのか。お前を殺せばそう思う?解らない。唯、燻っている。不完全燃焼。あの日から、ずっと。

 俺は俺の本気を越えられない。それが俺とお前の違い。

 意識を飛ばしてでも倒れないお前の不屈な精神。ごちゃごちゃ考えなくなる方が強いっていうのはお前の戦闘センス自体は非常に優れてるってわけ。それを阻んでいるのがお前の心、精神、考え、思考そのもの。何も考えなくなったお前は本当に強い。


 「来いよ、アスカぁっ!!俺を殺してみやがれっ!」


 だけどお前の中に何もないなら、こうしてお前が再び立ち上がる理由など無い。その何かこそ、お前の強さの証。お前にあって俺に無い物。その正体を今日こそ暴く。

 気に入ったから死なせたくねぇは逃げ。別に俺はお前を守りてぇとは思わない。だから死なせたくないってのはお前とお前を認めた俺自身に対する侮辱だ。好感を抱いた上での殺してぇは、俺の中で最大の賛辞だったんだ。


 「………」

 「っ……、やっぱ……最高だぜアスカっ!」


 戦闘に関しての嗅覚は今のアスカの方が上。俺の知らないような過酷な状況下を生きてきたんだろう。剣を握った年齢。剣を手に取る覚悟の違い。アスカの一撃一撃はそういう意味で重いんだ。

 だが、その気迫に押されたら負ける。手数では既に負けている。全てを防ぐのは不可能。

 防ぐのは危ない攻撃だけに絞り、攻撃の隙を窺う。あいつは既に半分死んでる。もう一撃でもでかいダメージを食らわせれば、一発逆転、俺の勝ち。すげぇ、やっぱこれだよ。混血とか数術使いとやるよりぞくぞくする。近くて違う、同じ土俵の人間だからか。


 「懐っ、かしい……な、覚えてっか?」


 お前は俺と本気で戦ってくれない。親しくなればなるほどに。

 それでも一度だけ、凄い殺気を向けられた記憶はある。俺がリフルに絡んだ時だ。あいつが殺人鬼だって聞いて、強いのかと思って俺が勝負を挑んだ。その時のお前からは、一瞬……今と同じくらいの殺気を感じた。お前が意識飛ばしてもいないのに、だ。

 こうして今日、俺と戦ってくれたのも……リフルのためなんだよな。やっぱアスカは凄ぇよ。俺はレスタ兄のこと、そこまで好きかはわからない。好きになれたらっては思う。

 でも、俺はお前に憧れた。そいつは事実。誰かのために殺気を纏えるお前は最っ高に格好良い。殺したくなる位だ。

 お前を殺したって俺がお前になれる訳じゃないって知ってても、殺したくて堪らない。


(俺は…見たい……)


 お前の目には何が見えている?お前の感じるこの世界とは何だ?

 それは俺の知る物とは違っていて。多分、俺には見えない……ずっとずっと素晴らしいもの?

 お前なんか嫌いだと、蒼薔薇に言われた。そんなたった一言が、まだ胸に突き刺さっている。俺は昔から脆い人間で、だから常に鈍くありたくて、道化を演じる。馬鹿だろ?馬鹿みたいに見えるだろ?馬鹿でいたいんだよ。何も解りたくない。嘲笑を、好意的な笑みだと勘違いできるくらいに、馬鹿でいたいんだ。だって、その方が幸せだろ?

 アスカ、お前は凄い。誰にもそういう言葉は言わせない。いつも良い奴気取り、実際良い奴。必要以上好かれない、だけどそこまで嫌われない。飄々としたその姿はつかみ所が無く、底が知れない。だから、知りたい。惹き付けられる。一見嘲笑、軽んじられる周りの態度……そこには確かな情と信頼がある。

 兄貴のようなカリスマとは違う。それでも俺はお前に大きな器を見た。自分のことを相手に明かさずに、他人の心を引き出していくお前は本当に面白い。俺も、お前みたいになれたら。

 兄貴にはなれない。諦めがあるし、なりたくないと思う部分もある。

 だけどお前にはまだ、なれそうな気がする。俺と似た匂いがする。手を伸ばせば届くんだ、本能的にそれを理解する。だからお前を追いかけずにはいられない。俺はぶつける刃で学び、吸収し、お前になる。お前のような男に。


 「アス…カ……」


 お前の仮面の裏には何がある?今目の前にある凶悪な戦いを求めるだけの獣がお前の本心?そうじゃない。仮面は二枚あるんだ。この獣を打ち倒した先に、お前はいる。

 お前は俺を邪険にしても、一度だって俺を嫌いとは言わなかっただろ?煩わしいと思いながら引き剥がそうとはしない。どうでもいいような振りして、情深い。ちょっと似てたんだよ、そういうのがレスタ兄に。すっげー不器用。俺はそう言う奴、嫌いじゃないんだ。

 そう、嫌いじゃないんだ。むしろ好きだ。

 だから知りたい。近づきたい。でも、何か違うんだ。俺とお前は出会ったのが戦いの中。穏やかな時間に違和感がある。争って競っているのが俺ららしい。俺らには会話ってあんまり必要ないんだよ。俺とお前じゃ成立しない。こうして戦ってる方が、解ること、伝わること、沢山ある。


(難しいな)


 今はこんな風に解る。お前は生きるために戦ってる。その目が良い。死の可能性を感じないんじゃない。

 俺はあの時、トーラになんて言えばいいのか解らなかった。お前ならきっとなにか上手いことを言えたんだろう。戦えば伝わる?そんなことしなくても伝わる?トーラは数術使いだから。だろうな。その上で何を言えばいい?俺には解らない。

 あいつが死んだのは、俺より弱かったからだ。2年前は良い勝負だったかもしれない。それでも……今、片目で俺に勝てるはずがない。

 だからあいつは運が悪かった。だからリィナの言うように、俺が怨まれる筋合いはない。トーラもそれを解ってる。だからこの巡り合わせを怨んだ。

 元を正せばそれは、彼女の味方にも及ぶ。だから行き場のない怒り。言葉にはしない。精一杯の憎しみを込めて俺を見据えるだけ。与えられた彼の片目で始めに見たのが、彼の亡骸。

 それでも俺は確かに憎まれている。その事実が辛かった。

 声に言葉にされるのも辛いが、明確にそこにあり……それでも発せられない言葉の方が怖かった。蒼薔薇の言葉の鋭さと、トーラの視線。二つの痛みが俺を抉る。とてもじゃないが、もう嫌だ。逃げ出したくて堪らない。こんなに心が躍らない戦い、あったんだ。

 戦って理解しても貰いたいという気持ちさえ起こらなかった。あんな瞳を前に俺は1秒だって立ってはいられない。トーラを殺さずに去ったのは、俺が俺を守るため。

 逃げた。ああ、逃げた。今もそう。繰り出された攻撃。急所をかわすために避けた。得物で弾く暇がなかった。その、逃げの姿勢が生み出す隙に、一気にたたみ込まれる。

 勿論俺には体勢を立て直すだけの時間がある。それは重々理解しているはず。今度は剣が間に合う。


 「ぐっ……」


 刃を交えた刹那、アスカが笑った。その笑みに俺はしまったと、反射的に気が付いた。

 闘争本能の塊のようで、考えてやがる。手数が多かったのは、こいつが全力になったからってわけだけじゃなく、決定打にならない攻撃からは手を抜いていたんだ。俺が防ぐ攻撃だけに力を込めまくっていたんだ。そつの狙いは……武器の破壊っ!

 流石はアスカ。無意識下に落ちていながら、やられたことをやり返す、か。執念深いにも程がある。今度、踏みつけられたのは俺だ。


 「怪我、してんだな」

 「っ…う、アスカ……?」

 「誰にやられたか知らねぇが、万全で俺に挑まないってのはふざけてんのか?」


 踏みつけられたのは、蒼薔薇にやられた傷だ。オルクスには治して貰わなかった。

 力が強すぎるってのも考え物だな。ここ最近戦い続きだった。剣の方が俺自身の力に耐えきれなくなった。長年慣れ親しんだ得物も寿命が来た。アスカの得物はまだ新しい。そこまで考え及ばなかった俺が馬鹿だ。

 なんつーかな。心の何処かでさ、剣ってのは身体の一部だと思ってたんだ。こんなにも手に馴染んでしまった武器だから、今更他の武器って感じにもならないだろ。だからだな。俺が死ぬまで壊れないような、勘違い、してたんだ。

 最初の内、アスカが数術使ってたってのも大きかったんだろう。その術が与えた剣へのダメージ、亀裂を見逃さず、こいつは俺の得物を打ち砕いた。

 しかし俺は二刀ある。……とはいえ耐久力のあるグラウェでこれなんだ。レーウェじゃ駄目だろう。早さは勝ることが出来ても、一撃でも食らえば本当に終わり。完全に丸腰になる。


 「がっ……」

 「させるかよ」


 一方の得物へと伸ばした手に突き刺さる、アスカの剣。やべぇ、痛ぇ。ドクドクと手から血が出る。皮膚を脈打つ音が聞こえる。


 「なぁ、あいつの居場所吐けよロイル」


 そてにしても驚いた。無意識下にあって言葉を発するなんて。以前はこんなことはなかったのに。


 「ここまで来りゃお前の負けだろ。話さねぇと殺す」

 「……話ても殺す、だろ?」


 俺を見下すアスカが少しフラついているのを見て、俺は笑った。長かったな。


 「がっ……」

 「俺はおまえから何も卑怯なやり方だけ学んだんじゃない」

 「て、てめぇ……っ」

 「毒ってお前の専売特許だったよな」


 俺はあんまりそういうの好きじゃなかった。純粋な力勝負じゃないから。だけどお前とかリィナとかリフルとか見てて、毒も頭使うのも一つの力なんだって教わった。無理してでも踏み込んだのは訳がある。こいつのためだ。


 「勿論お前は毒の耐性が俺よりも強い。でも……リフルの毒なら、どうなんだ?」

 「あいつの……」


 みるみるアスカの顔が青ざめる。両手が震えて、得物を落とす。俺を踏みつける足の力も弱まった……のは、一瞬のこと。怒りをぶつけるように踏む力は増した。


 「俺の得物、手配してくれたのリィナなんだよ。リィナは毒使い。当然俺の剣にも毒を組み込む仕掛けを取り付けた。使ったのはこれで二回目だけどな」


 二年前に一度、蒼薔薇に使った。あの時はアスカもリフルもやばかったし早く勝負決めなきゃ駄目だったしあいつも毒使ってきたし、お相子だろって。ちなみにその時使ったのはレーウェの方。その情報はもしかしたらトーラ経由でお前に伝わっているかも知れない。今回俺がグラウェを使ったのはそのためだ。グラウェは重い剣。これ以上なにかのギミックを組み込む負担は大きい。なら仕掛けがあるのはウエイトの軽いレーウェの方だけ。そう思わせたかった。

 リフルの毒はご丁寧にオルクスが各種瓶詰めにして飾ってた。その中から適当に一つ拝借して剣に組み込む。剣の握り方一つで、刃先に毒牙染みこむ。毒人間の毒は、普通の毒の耐性あっても危ないんだなてのは兄貴から聞いていた。

 アスカはリフルにベタベタ触れていたから、リフル自身の毒への耐性の高さも相まって、今まで持ったんだと思う。


 「お前の弱点は、タイムリミットだ」


 ずっと戦っていたい相手だけど、お前相手に正々堂々っていうのは卑怯。姑息な手段で討ち取ってこそ、俺は卑怯なお前に勝ったと初めて思える。


 「ロイルっ!怪我はない!?」

 「リィナ?お前……ここまで追いかけて?」


 昇っていたはずの日は、いつしか傾き始めていた。馬に跨っているのはリィナ、彼女は俺の不在に気付いてここまで跳ばしてきたのだろう。


 「リィナ……」

 「アスカ?」


 リィナを認識した途端、アスカは俺の傷を踏むのを止めた。


 「てめぇにも、同じ気持ちを味合わせてやる」

 「おい、何言って……」


 アスカはダールシュルティングを深く大地に押しつけて、俺の手を鍔のところまで触れさせる。引き抜くには一メートルは余裕であるその剣を引き抜かなくちゃならない。痛みよりも先に、危機感が俺を襲った。アスカがゆらりふらりと奴が向かうはリィナの方。


 「アスカ、……さん?」


 その異様さに気が付いたのか、リィナは狙いを定め矢を引き絞る。威嚇だ。これ以上何かするならという威嚇。


 「駄目だっ!逃げろリィナっ!……今のアスカは、あの時のアスカだっ!」

 「知ってるか、ロイル」


 「綺麗なんだ、人が死ぬのは」

 「え……」

 「那由多様程じゃねぇが、リィナだって美人だ。きっと死ぬところはとびきり綺麗だろう」


 アスカは笑いながら、ナイフを取り出す。もう片手にはいつの間にか小さな小瓶がある。手品のように袖の中から現れたナイフ達。指の間にそれは四本。器用にそれを小瓶の液体を触れさせて、にたりとアスカが笑った。


 「リフルから俺を奪うんだ。お前もリィナを無くさないと釣り合いが取れない。リフルが可哀想だ」


 アスカは小瓶にそっと祈るように愛おしげに口付けその赤い水を啜ったかと思えば、瓶をそのまま叩き落とし……残りを大地に染みこませる。その行動もだが、先に発せられた言葉の方が解らない。


 「お前……何、言ってるんだ!?」


 こんなのアスカじゃない。いつものアスカじゃない。俺の信じたお前が崩れていく。こんなのが、二枚目の仮面の下の本当?お前の姿だっていうのか?俺は冷ややかな目と言葉に戦慄した。それは初めて会ったあの日より、ずっとずっと深い後悔。とんでもない化け物だ。お前が飼っていたのは、起こしてはならない獣だった。


 「三本の矢って諺があるけどな。三本じゃ俺のナイフ、五本は止められない」


 手を裏返すと小瓶の代わりにその手にも、四本のナイフが握られる。そして両手のナイフをシャッフル。早い。入れ代わったのがわからない。

 八本中四本が毒。リィナの矢は一度に三本射ることができる。上手く毒のナイフを見抜けても、一本は食らう。それを避けることが出来たら……いや、でも投げられるのは八本。勝負に出ること自体が危険。


 「逃げろっ!リィナっ!」


 俺は身体を必死に起こそうとする。しかし俺の馬鹿力でもこんな長い剣、一気に引き抜けない。でも一気にやらないと痛みが何度も手を穿つ。


 「……駄目よ。私が逃げたら、アスカさんが殺すのは……ロイルになる」


 時間稼ぎさえ出来れば勝機はある。俺が毒を使ったことを悟ったリィナが頷いた。


 「俺はジャックだ!俺なら死なないっ!」

 「嘘よっ!私が来なかったら死んでた癖にっ!そんな身体で無茶するからっ!ロイルの馬鹿っ!」


 「こっちは時間がないんだ。そろそろ行くぜ」


 まずはアスカが片手を振る。それに飛んでいく四本の投げナイフ。


(酷ぇっ!)


 それはそれぞれ違う軌道を走り、とてもじゃないがリィナの矢では落とせない。一度に射られる矢の本数が多くとも、矢を設置する場所が同じなのだ。あれを対処しろと言うのは困難。

 しかしリィナは射る直前、弓を縦から横にした。ボーガンの構えで射ながら弓ごと横に薙ぐ。


(上手いっ!)


 リィナのやり方に、惚れ惚れしてしまった。飛んでいくナイフを三本の矢は撃ち落とし、ぶつかる瞬間摩擦で矢は燃え上がり、毒薬を蒸発させる。そして残る一本、飛来するナイフをリィナは軽やかに避ける。その動作はとても可憐で、俺は俺の脱出作業を一瞬止めてしまったほどだ。

 だが、それは一瞬などではなかった。暫く俺はそのまま動けなくなる。リィナに惚れ直したとかそういう話じゃない。今見ている物が信じられなかったのだ。


 「普通に考えて、もう一回矢セットするまで俺が待ってやる必要って無いよな」


 一度に四本、じゃない。一度に八本だったのだ。

 俺達が四本のナイフに夢中になっているところをアスカは次の四本をもう投げていた。リィナが避けてアスカを振り向く頃には、避けられない場所にナイフ。体勢を崩して避けるべき場所にもナイフ。上からもナイフ。回り込むようにナイフ。どう動いてもどれか一本には当たってしまう。


 確立では二分の一で毒がある。それでももう四本消費した。これ全てが毒ならば、シャッフルする意味がない。先の攻撃、少なくとも二本、最低でも一本は毒。ならここから一つか二つは逃げ道がある。あるはずっ!あってくれ!じゃなきゃ、計算が合わない。

 お前がここまで読んでいたとか、そんなこと……


 「くっ!」


 リィナは心を決めて踏み込む。真正面の一本。逃げの心が働くだろうこの瞬間、心理的に一番選ばないであろう一本に、リィナは挑んだ。そして……



 「リィナっ!!!!!」

 「っ、……ぅうっ!」


 ナイフの傷は浅い。それでも彼女は地に伏せる。


 「アスカ…お前……」

 「四本とも毒だ。いや、八本とも毒だ」


 卑怯なんて言葉で片付けられない。この男は、外道だ。最低だ。リィナとリフルは友達だったはずだろ?弟の友達、お前は殺すのか?こんな風に、こんなやり方で!


 「四本はゼクヴェンツ。いざって時のために俺があいつから採取しといた原液の濃さのまま。残り四本は最初から毒が塗ってある、麻痺毒。後者なら即死は無いけどな」


 その場合は嬲って殺そうと思ったと、俺の憧れだった男が低く嗤った。


 「この様子じゃ屍毒の方だな。ていうか二打目は全部ゼクヴェンツの方だったんだよな」


 シャッフルは、両手のナイフをそっくり入れ換えただけ。リィナがどう動くか計算しきっていた。冷酷なまでに、この男は……


 「あ、……甘いわよ、アスカ……さん、私だって、毒使い。……耐性はかなりあるし、解毒剤だって」

 「効かねぇよ。リフルの毒は全部猛毒。その中で唯一解毒剤が作れない毒が、屍毒ゼクヴェンツ。だからこそあいつが今日まで生きていたことが奇蹟なんだよ」


 震える手で荷物を漁り、解毒剤を飲むリィナ。それを無駄だとアスカは笑う。


 「そ、それなら貴方だってっ!」

 「俺はもう解毒した。ゼクヴェンツは全ての毒を8割方解毒できる優秀な解毒毒でもある。ロイルが盛った毒がゼクヴェンツだったら終わりだったけどな」

 「っ……」

 「いや、どうなんだろうな。ゼクヴェンツでゼクヴェンツの解毒って出来るのか?試したこと無いからわかんねーや。でもリフルが生き返ったくらいだ。死なない黄金比率とかあるのかもしれないな。このまま死ぬくらいなら試してみるか?」


 アスカが指差し笑うのは、先程割れた小瓶。


 「悪い、もう土に染み混じっちまった。ここの土食べればまだ大丈夫かもしれないぜ?」

 「くっ……」


 「リィ……ナ」


 三分の一ほど剣を引き抜いていた俺。それに気付いたアスカは俺に近づいて、大地と俺の掌が鞘だと言わんばかりに、また剣を鍔まで突き刺す。


 「ぐぁああああああああああああああああっ」

 「黙って見てろ。お前の惚れた女の、最高に美しいシーンが見られるんだ」


 やめろ。やめてくれリィナ。そんな動けない身体で無茶して、あるかもわからない奇蹟に縋って、毒を吸い込んだ土を食う。

 人間らしく、お前と食事をするのが俺は好きだったんだ。それだけで俺もお前も人間に慣れたようなきがするから。お前が普通の女の子になれたようで嬉しかったんだ。だから俺の目の前で、そんな美味しくもなさそうな物、食べないでくれよ。

 そんな風に食べ物でもないものを食わせようとする兄貴が俺は嫌だった。リィナは人間なのに。人間が食べられないような物を食べさせようとする。石とか、木とか、皿とか、箸とか、スプーンとか。生ゴミとかはまだ良い方で、閉じ込められていた頃は鼠や蠅を食ってたんだろ。何も食べる物が無くなってからは自分の爪とか手足の薄皮齧って飢えを凌いでいたんだって。何度出されたか解らない自身の栄養価の消え失せた排泄物を口にしたこともあったんだろ。リィナはさ。だから俺とキスはしたがらないんだ。自分が汚いって言って。だからいっつもそれは俺からするんだ。

 犬とか猫だって、排泄の後は自分の尻舐めたりするだろ。その後にこっちに舐めかかってくることあるだろ。それと大して変わらないだろって言ったら確か殴られた。馬鹿って言われて、リィナは泣いて……笑ってくれた。


 「屍毒塗れの土の味はどうだよ?美味いか?ゲテモノ好きのリィナなら案外美味しく頂けたりしてな」

 「……げほっ」

 「もっとしっかり食えよ。咀嚼して飲み込め。上手く行けば一年後くらいに仮眠から目覚められるって。前例もあるんだ頑張れよ」


 悪魔だ。兄貴以上にこの男は残酷だ。リィナの頭を踏みつけて、無理矢理土への顔を押しつける。両手はいつの間にか、使えないようにナイフで縫い止めてさえいた。

 死か死を選べという酷い言葉。

 毒が回って来た。ナイフ自体の毒は浅かった。それでも十分すぎる毒素があった。それでもリィナは毒への抗体はかなりつけていた。だから毒が身体に回るまで比較的猶予があった。だが……口内摂取により、毒の回りが早くなる。とうとうアスカが踏みつけても、リィナはぴくりともしなくなった。


 「うっ……ぁああああああああああああああああああああああああああっ」


 それに気付いて、頭の中が真っ白になる。領の目頭からボロボロと、こぼれ落ちる涙。俺が欲しかった物。だけど、こんな風に欲しくなかった物。それはリィナであってはならなかった。リィナの死なんて、考えたことなかったんだ。いつだって先に死ぬのは俺なんだって心の何処で思ってて、安心してたんだ。後衛のリィナより、前衛の俺の方が危険と対峙するんだから、それが当たり前だと思ってた。だから想定もしていなかった。俺に守れると思っていた。

 突然、何もかもが馬鹿馬鹿しくなる。涙と一緒に余計な心が流れ落ちていく。引き抜けない手の杭。煩わしくなった。どうでも良くなった。レーウェを片手に俺は手首を捨ててそこから逃げた。利き手を失ったのは痛い。でもまだ戦える。


 「凄げぇ……凄げぇよ、アスカ」


 憎んでないのに殺したい。それが憎んでいるから殺したいに変わった。こんなにすぐに俺の心が変わるなんて思わなかった。


(俺はもう……手に入れていたんだ)


 俺は人間だった。ちゃんと泣けるし息も出来ていた。だけど、今は出来ない。人ではなくなった。俺の心臓はリィナ。リィナが死ねば、こんなにも……息をするのが苦しくて悲しい。どうにかなってしまいそう。


 「お前、ぶっ殺してぇっ!!」

 「まずは一年待ってみろ。そこから九年探してみろ。更にそこから一年半離れ離れになってみろ。そこまで来なきゃお前は俺にはなれない」

 「お前なんかっ、誰がお前なんかになるもんかっ!俺は俺だっ!俺だったんだ!」


 そんな簡単なことに気付けなかった俺は、馬鹿だった。俺の中にはもう、俺が住んでいたのに。

 泣きながら剣を振るった。戦うことが、こんなに苦しいことだなんて……俺は知らなかった。知りたくも、無かった。

準主人公の狂人モードが表に出ました。


最初から主人公(裏ヒロイン)が殺されたところに「うわぁ、凄く綺麗だなぁ」って惚れたとんでもない野郎なんでむしろこっちが本当。

抑圧してそういうの常識で押さえ込んで見て見ぬふりしようとしてるのがいつものアスカ。

本性はろくでもない男ですよ。一見ロイルのがぶっ飛んでるようでまとも。

ロイルは11なジャック。10カードのハルシオンとのバトルで多少幸福値削ってたんだろう。そうなると9カードのアスカと良い勝負が出来るところまで、或いはそれ以下まで落ちてたか。


リィナさんのご冥福をお祈りします。

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