0:Revelare pecunia!
悪魔の絵本13 死神【逆】からの続きです。
この小説にしては珍しく、間髪入れない時間軸。
そのまま13章の続きとしてお読み下さいませ。本編だと6章(執筆中)~8章(まだ書いてもいない)辺りの内容です。
「母様……?」
その時私は何を聞いた?確か花瓶の割れる音。
「来るなっ!化け物っ!!!」
突き刺さるようなその言葉。それが痛くて、私は気付くのに遅れた。視界が赤い。陶器の破片で額でも切ったのだろうか。それが視界をこうしているのだ。でもそんな痛みなど、大したことはなかった。
「どうして!?どうしてなの!?私は……今まで一体、何のためにっ!!」
幸せになれるはずじゃなかったの?今度こそ、幸せに。その緑の目が私を責める。
見事な赤目の子供。髪さえ誤魔化せば、王になれる逸材だ。私の髪は染料を弾くから、洗い流せばすぐに色が落ちてしまう。雨の日は外を歩くなとよく言われた。言われたとおりじっとしていた。雨の日は。それでもそんな日が続けば、暇を持て余す。離れに暮らす母の顔を見たくなっても仕方ない。とても愚かなことだが、その時分の私は……子供に過ぎなかったのだから。
夜なら人目に付かない。こっそり部屋を抜け出して、母に会いに行ったのだ。けれど私を迎える母は、先の冷たい言葉を発したのだ。
「母様……?」
「このっ……悪魔っ!!返してっ!!私の子を返してっ!!」
それは本来生まれるべき子供。母様は……この女は認めないのだ。自分が生んだのがこの私なのだと。誰かがこんな化け物と、自慢の子供を取り替えたのだと。
母と呼ぶなと手当たり次第物を投げてくる。そんなに私が恐ろしいのだろうか?こんな子供が。細い女の腕にさえ、無抵抗に投げ出されたこの私が。首を絞められるままの人形が。
視線を向けるだけで、女のその手が震え出す。何がそんなに恐ろしい?私は唯……貴女を母と呼んだだけではないか。女は手を放し、私を床へと叩き付け……それから布団を被り、ガタガタと奮えていた。
何がいけなかったのだろう。翌日外は晴れていた。昨日は機嫌が悪かっただけかもしれない。そう思い、再び母の元へと赴いた。母様の好きな花を庭園から摘んできた。これで少しは気も紛れるだろうとは……なんとも浅はかな。
「母様……」
扉を叩いた。返事はそこにない。そっと扉を開ければ、狂ったように半笑い……虚空を見つめる女があった。
「か、母様!?」
一晩で、母は狂ってしまっていた。廃人になってしまっていた。原因不明と言われて、医者も匙を投げだした。余程恐ろしいものを見たのだろうと皆が口々に囁いた。
だがそんなことはありえない。後宮は悪意が渦巻く。毒でも盛られて気が触れたのだ。私が王位継承権を上げたなら、母もまた位を上げる。そしてその逆もある。母は後宮の他の女の怨みを買ったのだ。あの時はそう思った。
私に心ない言葉を吐いたのも、きっと毒の狂気に触れたから。幻覚でも見たのだろう。
赤子の時分よりそうだ。物心付く前というものが私にはない。覚えているし聞いている。言葉を理解していなくても、音声を覚えている。故に後に理解する。そもそも言葉を覚えるまでにも差ほど時間は掛からなかった。化け物と、違う意味で後宮の女達が囁いていた。
そういう不気味さは、母にとっては自慢の一つだったはず。だからあの日母が口にした化け物とは、それとは違う意味だった。
……我ながら子供にしては嫌な子供だったと思う。私は常に現実的な物の考えをしていたし、頭だけは同い年の兄弟達より抜きんでていた。父が私から王位継承権を奪わずにいたのは、その才を見込んでのことだったのだろうと今なら解る。
「母様……」
見舞いに行っても母は私を見ない。いないものとして扱う。事実、見えていないのだろうか。私は母様ではないからわからない。
それでも私は通い続けた。その度に花を持って行った。部屋には枯れた花が増えていった。母が受け取らないから置いていく。置き去りの花だ。受け取っていないのだから捨てることもない。そもそもそれも見えていないのか。その内虫が集りだし、女中が気味悪がって捨て出した。それから花は摘まなくなった。見舞いに行く回数も減った。なんとなく、その方が良いような気がした。誰にとっても。
それでもある日、とても綺麗な花が咲いたのだ。だから思わずそれを見せたくなって、母の部屋まで私は走った。
奇跡のようなその花は……本来あり得ない色の花。まるで魔法だ。それを見せれば、或いは煎じて飲ませれば、母が元通りになる……などという下らない幻想に私が取り憑かれることはなかったが、それが余りに綺麗だから、母にもその綺麗を共有させたくなったのだ。
「母さ……」
扉を開けて、時が凍り付いた。何を見ているのか解らなかった。すぐに知識としては思い当たった。意味は理解した。それでもその驚愕を拭うには至らない。
母様は寝ていた。でも起きていた。つまりは“寝て”いた。母様は正妻ではないとはいえ、後宮の一人だ。だから本来一緒に寝るとすれば、その相手は父様……セネトレア王だ。
でもその男は父ではない。見知らぬ男だ。
口からヒューヒューと息が零れる。言葉を発することが出来ない。後ずさる私の足が縺れて……音を立てて転んでしまう。それに男が此方を向いた。気味の悪い目だ。情欲に染まった薄気味悪い、人のそれとは思えない……不気味な色をしていた。
(気持ち悪い……っ)
だって母様も、その薄気味悪い男と同じ目をしていた。二人の緑の目が濁っていく様は、苔が腐れていくようで。
「……お前の子供か、丁度良い」
母子まとめて相手にするのも悪くないと、男は下卑た笑みを浮かべる。
「ふ、ふざけるな!私は男だ!」
何故その男の視線が私に向くのかわからない。確かにこの国は腐っているが、倫理が歪んでいるが……この城までそんなモノに染められているなんて思わなかった。いや、違う。この男は外の人間だ。城の者ではない。
なぜならその一点に置いてのみ、この城は正常な場所だった。
「その様子じゃ何も知らないんだなぁ……男遊びで緩んだこの女よりは、余程具合が良いんだろう?」
「は、放せっ!」
それは条件反射だった。掴まれた腕が気持ち悪くて。それ以上その指に触れられていたくなくて。その場所から皮膚が膿んでいくようで。そういう生理的嫌悪感。
手にした花を投げつけた。その根が男の口へとはいる。
男は倒れる。動かない。死んだのか。……ああそうか。あれは綺麗すぎた。あれは毒の花だったのだ。でも、別にいい。あの気味の悪い男が死んだ。その事実に私は安堵した。
「か、母様……?大丈夫ですか?」
悪いのは全部この男だ。母は精神を病んでいる。助けを呼ぶことも出来なかっただろう。だから無理矢理襲われたんだ。きっとそうだ。そう思うのに……母はまだあの目をしていた。
「母様……?」
初めてだ。あの日以来、始めて母が私を見た。それは泣いてしまうほど嬉しくて、その胸に縋り付いた。
だけど妙な違和感。それを感じて我に返った。違う。これは違う。これは私を見ていない。母は男を見ている。死んだ男じゃない。私を男としてみている。私を私として認識出来ていないのだ。
「か、母様……正気に戻ってください!」
何が恐ろしいと言えば、私は本当にまだ幼い子供だ。そこまで見境無い母か、3にも満たない時分にここまで回る私の頭か。
ここまで背筋が奮える嫌悪感はなかなかない。それが親愛のそれならどんなに私も救われただろう。額でも頬でもなく、触れられたのは唇だ。先程までこの女は何に誰に触れていた?吐き気を催すような味がした。
もう何も考えられない。この女から離れたくて仕方がない。思い切り暴れてその手を振り払う。女の寝たきりの生活が祟ったのか、私はその手から逃れることは叶った。しかし部屋から飛び出す寸前に、一度私は振り返る。妙な違和感を感じていたのだ。以前より……母の外見が変わっている。太った?……いや顔は窶れている。なのに腹だけ妙に膨れていやしないか?
そこで正解を思い当たるこの脳が嫌になる。生々しい後宮に、夢も希望もありはしない。ここにあるのは悪意と絶望それだけだ。
認めたくない。だけど証拠は揃っている。
情欲を持て余し……男漁りをするような、この汚らわしい女から私は生まれた。その醜い女は誰の子とも知れぬ命をそこに宿している。それはおかしい。この女は王の妻なのに、何故王でもない男相手に足を開くんだ?気持ち悪い。だってそれは恐ろしい可能性を私に思い起こさせる。
私だって、そうやって生まれたかも知れないのだ。私が王の子である保証が何処にある?目の色も髪の色も似ていない。だって王は染めて誤魔化さなければならないような……銀髪をしていない。
(私は……私は一体、何なんだ?)
私の起源は何処にある?私は何で、私は誰だ?兄弟の中の誰より王の器量が備わっていると、私は断言できる。他の兄弟達より優秀なこの脳がそれを認めている。それでも……私に王の資格はあるのか?私の中に、王の血は……流れているのか?
*
「レスタ兄ぃ!」
「どうしたロイル?」
その間抜け面の弟は、見事な黒い髪と瞳を持つからと第一位王位継承権を持つ。
城には大勢の兄弟が居る。だから互いに顔を知らない名前しか知らないとか、名前も知らない……そんなこともざらにある。
他の異母兄弟達に陰湿な虐めを受けていたところを助けてやった。それがこれと出会った切っ掛けだ。そこから私に懐いた異母弟。馬鹿だが馬鹿だからこそ、少々可愛くも思える。あの屑のようなボロ雑巾のような異父妹と比べれば天と地の差だ。
「兄貴も付いてきてくれよ……タロックなんて外国、行くの怖ぇえよ。護衛が薄くなったところ俺を殺そうとする奴らとかいるに決まってる」
被害妄想が、と言ってやりたいが……残念ながらそれは大いに起こり得る。この弟の日常は常に死との戦いだ。他の兄弟とその母親達から命を狙われている。王位に一番近い者……その日常は端から見る分にも過酷なものだった。
この頃の私は、この馬鹿が王になっても良いと思っていた。こいつは馬鹿だから何時までも私が必要だろう。私はその宰相としてこれを支える。つまりは影の王だ。それはそれで私に似合っているようにも思えた。この馬鹿が無能な王であればあるほど、私の功績は光り輝く。そう言う意味でもこの弟は愛おしい。
(この辺りで恩を売っておくのも悪くない)
十分懐かれているが、今以上信頼されても悪くはならない。後の私の地位が約束されていく。これはその足場固めだ。
「まったくお前は情けないな……」
剣を教えてやっているがまだまだ私の足下にも及ばない。気弱なところがあるから剣に迷いがあるのだ。幼少の時分に既に一人殺してる私からすれば、恐れなど取るに足らない。剣を振るってそれで死んでもそれまでだ。死ぬような弱い奴が悪い。私は悪くない。その開き直りこそ、王に必要なものだというのに。
「お前が私に勝つまでは、私がお前を守ってやる」
「あ、ありがとうレスタ兄ぃ!」
この馬鹿がこんなに優れた私に勝つ日など来るはずがない。お前は生涯私に負け続け、劣り続ける定めなのだ。だからそれは……お前か私が死ぬまで、そう言う意味だ。そのつもりで言っていた。この私がずっと傍にいてやると言ってやっているんだ。それに気付けないような馬鹿なら本当に救いようがない。へらへらと笑う不肖の弟は、何処まで解っていたのやら。
弟の護衛として海を渡った先の大国……タロックはセネトレアより辺鄙な所。港や王都は発展している。それでも拾い大陸は未開の土地がまだ多い。発展しているとはいえ王都にも田畑が見受けられ、四季の佇む長閑な場所に見えた。
もっともそれは正しくはない。タロックは農業地帯が限られている。王都より北……大陸の三分の二はまず稲作に向かない。雪が季節の半分、或いは一年中解けない地域もある。だから出来る場所でするしかない。しかしその限られた土地でこの広い国土の人民を満足に養えるとは思えない。
そのためにタロックは戦争を繰り返し、我がセネトレアには良い鴨になって来てくれていた。カーネフェルよりはお得意様だ。まだ良心的に味方をし、その分戦地で稼がせて貰う……そうして国を豊かにしたのがセネトレアという国だ。タロックより狭く、タロックより農業に向かない。それでも世界一豊かな国になったのは、セネトレア王の君臨すれども統治せず……この方針が上手く機能してきたからだ。
人は醜い。だからこそ欲がある。欲のために人は動く。欲を煽り増長させる、それに邪魔なのは法。法をある程度野放しにすることで、この国は発展してきた。他者を蹴落とし這い上がる。それは城での生活によく似ていた。城は世界の縮図だった。視野が広がっても、結局人がやることは何も変わらない。所詮人間は人間だ。下らない生き物は下らないことしかしない。
しかしその下らなさにも順位がある。このタロックという国はセネトレア以下だ。だからこんな風に踊らされているのだ。
「それで?城には何のために呼ばれているんだ?」
「んー……何か式典ってのがあるんだってよ。眠ぃ」
「しっかりしろ。今はまだそうではないがいずれはお前が王になるのだ。お前が舐められれば国が舐められる。要は喧嘩と同じだ」
「殴ればいいのか?眼飛ばせばいいのか?」
「そうではない……これだから馬鹿は」
「なぁ、兄貴……」
「まだ馬鹿なことを言うつもりか?」
「っていうかここ何処?」
迷った。この馬鹿ならいざ知らず、この私が迷うとは。何なのだこの城は。ここぞとばかりに護衛も私だけ。先程まで先導のため前を歩いていた他の護衛の者達が、完全に消えている。これは……ロイルを殺すつもりだな。金でも渡されたか。裏切りはよくあることだが、次期王を裏切るとはなんという愚行!幾ら金を積まれても、普通に計算すればそんなことはあり得ないだろうに。こいつが王にさえなれば、元は幾らでも取れるだろう。こいつには、人生費やす価値がある。
「……私から離れるな。いいな?」
「う、うん」
迷宮のようなその城の中。私は神経を尖らせる。人の気配のする方へ、歩いていけばきっと……拓けた場所に出る。
耳を澄ませて……風を読む。壁に遮られる中で、それでも此方に吹いてくる、風の気配を感じる。その方向へとゆっくり、ゆっくり……正しい道を選んでいった。
どれくらい歩いただろう?耳に大勢の人の歓声が聞こえた。随分時間は掛かったが、地下迷宮から無事に抜け出したことを知り、私はロイルと顔を見合わせ安堵する。
「レスタ兄ぃ、肩車ー!向こうで何かあるみたいだ」
「よし、心得た」
「兄貴……それ投げ技の方の肩車だぜ」
「お気に召さないなら大車、膝車、袖車絞めなどもあるがやられたいか?」
「……遠慮します」
この私の肩に乗ろうなど百年早い。格闘技で沈めてやると身の程というものを思い知ったらしい弟。
それでもはぐれて迷子にでもなられてそこで暗殺でもされたら私の計画に狂いが出る。
「さっさと行くぞ」
手を差し出すと、馬鹿弟は馬鹿みたいな顔をして、その後笑って手を取った。そんな顔まで馬鹿丸出しだ。品性というものがまるでない。そう他の兄弟に責められることもあるが、その点だけは私も否定できない。だがこいつに品がないからこそ私の品性が際だつのだ。そう思えばこいつの品のなさにも意味はあるのだろう。
子供だと思って道を譲らない群衆の間をすりぬけ、抜けられない場合は膝裏を蹴ったりしながら私達は歩みを進めた。
「まったく……タロック王も呼んだからにはそれなりの対応というものがあるだろうに」
呼ぶだけ呼んで席も用意していないのか。これだから鄙びた国の王は困る。歴史が長いだけで何時までもふんぞり返れると思ったら大間違いだ。盛者必衰。永遠などあり得ないのだ。その傲慢さが王の証というなら確かにそれは立派なものだが、現実を知らずにそうしているならそれはあまりに愚かなことだ。
シャトランジアからの支援を受け国は落ち着いては来たが、それは向こうに貸しを作ることだ。私は信用できないな。平和だの正義だの、そんなものを口にする偽善者は。
商売は商品と金のトレード、等価交換。しかし奴らのそれは違う。だからこそ恐ろしい。何も求めない?そんなの嘘だ。信用できない。腹の中では何を考えているのやら。後で揺すってくるつもりなのだろう?等価以上の金銭を、いずれ搾り取る算段なのだろう?そのくらいは考える。無償の愛などあり得ない。そんな物、この世には存在しないのだ。
(母様……)
母様だってそうだ。私を私として愛してはくれなかった。血の繋がった親でさえそうなのだ。ならば他人が他人にそんなことなどありえない。私がロイルを守るのも、有償だ。見返りを求めるからここにいる。だから守るのだ。こいつが王にならないのなら、私はこれを守らない。守った時間が無駄になる。それを無駄にさせないためにも、私はこいつを死なせるわけにはいかないのだ。
「大体こんな式典……」
これだけの人間を呼んで、パーティをする金が何処にあるのだろう?機嫌取りのために呼んだわけでもあるまい。タロック王は何のためにこれを催したのだろう?
そんなことを考える内に、私達は最前列まで進み出た。
「!?」
驚いた。周りが歓声を上げるのも解る。
その場を歩くその子供は……私より幾つか年下だろう。何とも美しい少女だ。見惚れるような整ったその造形。ケチの付けようがない。
唯一ケチを付けるなら、周りのざわめきが語る内容。どうみてもあれは少女なのだが、あれがどうやらこの国の……二番目の王子らしい。タロック王には子が三人。妻は二人しかいない。
それではもしもの時に、世継ぎ問題が出来たりしないのか?多すぎてもセネトレアのようになるが、少なすぎても問題だ。王の役目の一つは世継ぎを作ることだろうに、タロック王はその責任を果たしているとは思えない。三人の内一人は女だ。男が二人。戦死や病死……事故の可能性を考慮すれば、心許ない数字だろう。
(いや、しかし……あれが王女ではないのか?)
王子と聞いても納得できない。それは今ここで解決できる問題でもないだろうから捨て置いて……これは本当になんの催し物なのだ?自慢の子供を見せびらかすお遊戯会かタロック王?
視線を上げる。遙かその先に佇む赤目の男。血のように暗い暗い……深い赤。あれが真純血のタロック人。その傍に佇むのは真純血のカーネフェル人。シャトランジアのマリー姫……海のように深い青眼が美しい。見ればあの王子はこの姫の子のように見えた。父より母に似ている。
(ならばあれは妾腹か……)
途端に親近感が湧いた。私と同じだ。それだけじゃない。あの子供は私と同じ髪をしている。綺麗な輝く銀髪だ。それを隠さず人目に晒して歩く、その姿はとても美しく見えた
だがそれならば、何故同じ色の私はこの髪を隠さなければならないのだろう?出る杭はと言うからか?私と彼の違いは何だ?目の色か?彼は深い紫、私は赤だ。なんだ、それだけじゃないか。それなのに、どうして……?
「……あ」
打たれた。杭が……杭が打たれた。
毒を呷り、血を吹き出して倒れるそれは……やはり美しくは映る。いつかの男の死体などとは比べものにならない造形美。だからこそ、心に響く。何も感じない死ではない。私はその光景に、戦慄した。それは戒めのように私の眼前に横たわる。これは、処刑だったのだ。私が髪を晒していれば……そこに倒れていたのは私だったのかもしれない。
そして、あの日から……世界の流れは変わった。
私が……俺が、この髪を……人目に晒してはならないのだと、深く自覚したのもあの日から。絶対に知られるわけにはいかない。混血だと知られることは……即ち死に結びつく。これは綱渡り。絶対に足を踏み外してはいけない。どんな強い風が吹いても、絶対に……この足を滑らせるわけにはいかないのだ。
(それでも……)
俺は我に返った。これは今のこと。過去に浸る暇はない。血を吹き出して倒れているそれは……こいつは今ここにあるものだ。このまま放置すれば死ぬだろう。
(くそっ……)
こいつは俺を笑った。舌をかみ切る間際に俺を笑った。そんな勝ち逃げは許さない。俺を侮辱したんだ。それ相応の報いは受けて貰う。お前がそんなに死にたいのなら、まだお前を死なせてなどやるものか!
*
「オルクスっ!!」
「うわぁ!どうしたのヴァレスタ異母兄さん?すっごい血まみれじゃあないか」
「いいからこっちへ来いっ!!」
綺麗なその戦利品を眺めて優雅なティータイム。そんな僕……オルクスの優雅な一時を無粋にも邪魔して来たのは血の繋がらない僕の異母兄さん。つまりは赤の他人。
僕を脅すように睨み付ける赤。その危機迫る迫力に、流石の僕もたじろいだ。これ、断ったら瞬殺されるな。気狂いに刃物って言うのにこの人にコートカードなんて危ないったらありゃしないよ。
先程まで手術をしていた部屋。そこに連れ戻された僕の目に、飛び込んできたのは半ば死んでいる那由多王子の姿だった。元々生きる死体みたいな人だから、この表現もどうかと思うけど。
「さっさとこいつを治せっ!今すぐにだ!」
何をそんなに熱くなっているんだか。夏だねぇ。あんまり関係ないか。
僕はやれやれと息を吐く。兄さんは確かに頭は切れるけど、その分ある意味ではとても馬鹿だ。人の心を自分の心を理解できない大馬鹿だ。何事も計算で理論で考えてしまうから、感情がない。だから計算は正しくても自分の心と違う結果を導き出してしまうんだ。例えばこんな風にね。
「うわっ……酷いものだね。兄さん、そこまで激しいことしちゃったわけ?舌噛んで死にたくなるようなレベルの羞恥プレイとか」
「戯れ言はいいっ!」
「はいはい」
兄さんも数術は使えるけれど、兄さんは壱の数術使いじゃない。攻撃数術が得意な分、回復数術なんて使えない。可能性がないわけじゃないんだけど、僕みたいに両方使える方がレアなんだよ。強くて頭も良いから、死にかけたこともない兄さんじゃ……ちょっと難しいだろう。
「……そんなに彼が心配?」
施術をしながら僕は兄さんに聞いてみた。何のことだとその目は言うが、僕には解る。
兄さんは理由を付けて色々言ってはいるけれど、本当はこの子が欲しくて堪らないんだ。兄さんにとっての片割れみたいなものだからねぇ。馬鹿な男だよ本当。
「ここでこれが死ねば、西への牽制にならん」
本当に素直じゃないなぁ。
「いや、ここまでなってまだプライドってのがあったんだねぇ」
確かにそういうところは二人はよく似ている。プライドのために生きるのが兄さん。プライドのために死ぬのがこっちの彼。真逆だけどね。
「下らんな」
「そう?そうは見えないけどね」
「王は死んではならん。民が死んでも国が滅んでも。王だけは死んではならんのだ。それをこれは理解していない。これに王の資格などあるはずがない。これは魂まで根っからの奴隷だと言うことだ。だから俺が使ってやる。奴隷は勝手に死んではならん。だから治す。それだけだ」
「……なんなら緑の目でも植え込もうか?兄さんの母様そっくりの色で」
「っ!?」
「それとも質は落ちるけど、兄さんと同じアレキサンドライトを入れようか?兄さんが彼に求めているのはそういうことだろ?」
同じ苦しみを知るから、傷を舐め合いたい……そんな同病相憐れむ精神は兄さんにはない。お前の傷を舐める気は無い。だが俺を舐めろ!慰めろ!そしてこの心を癒せ!つまりはそういうことだろう?
誰も愛さない癖に、愛されたくて堪らない。無償の愛が欲しいんだ。全てを許してくれるような優しさが。
那由多王子……今はリフルと言う彼は、あまりに多くを許せる人だ。だからその許しが自分にも向いて欲しいと思う。出来ることならそれが自分だけに向けばいいとも思う。そして試す。どこまでやれば?どこまでやっても?何をしても許してくれる?憎まないでいてくれる?或いは深く憎んで見つめてくれる?俺を愛してくれるのか?
兄さんの暴力はそういう欲の表れだ。確かに幼少の兄さんは飛び抜けて優秀だったかも知れない。それでも兄さんの精神はこんなにも幼い。昔得られなかった物を引き摺って今ここにいる。
愛されたくば愛せ。そうは言うけどその逆はあり得ない。愛さないのに愛してくれだなんて都合の良い話、誰が聞いてくれるだろうね?僕なら絶対御免だね。如何に那由多王子といえどもどうだろう?
「鶏と卵。兄さんは刹那姫にご執心だったけど、それはどちらが先だったんだろうね」
「…………くだらん話をするな」
「それはそうと兄さん、彼に触ったんでしょ?毒は大丈夫?」
「返り血だ」
「返り血?」
「これが舌を噛んだ時に、思い切り鳩尾を蹴ってやった」
「ああ、なるほど」
舌を噛むこと自体はもう止められなかったから、それを中断する方法を選んだわけだ。その時血がかかったと。
「でも早く着替えないと最悪死ぬよ。こっちは僕が治しておくから水も滴るなんとやらになって来なよ」
僕がそう言えば、兄さんは去っていく。やっぱり自分の命は大切だもんね。でもまぁ、あの兄さんがねぇ。面白いことになってきたよ。確かに彼をここで退場させるのはちょっと惜しい気は僕もする。
「さぁて……どうしようか?」
僕は窪んだ彼の瞼を見つめて、何とも無しに小首を傾げて見せた。
*
「兄さんっ!!」
「愚妹が。俺の裸体は高いぞ?」
ヴァレスタが湯を浴びていると、仰々しくも風呂場に現れたのはリィナ。その金髪と緑の目……成長すればするほどあの女に似て来るそれは、見ているだけで不快になる。
だが似ているのは外見だけで、俺をあんな風に見ない。かと言って、俺の望むようにも俺を見ない。それはそれで気に入らない。
「誰が兄さんなんかに興味持つのよ?」
「言ったな。損害賠償含めて後日請求書を送ってやるから覚悟しろ。払わなければどこぞのガキが痛い目を見る」
「そうやってすぐにエルム君を人質扱いして……本当最低なんだから」
息をするように俺を軽んじるこの愚妹は、もう少し俺を尊敬するべきだと思う。この素晴らしい俺を前にして美辞麗句の一つも出て来ないとは、まったくどこまでも欠陥品だなこの女は。
「その件は後日にまわして、そんなことよりロイルを知らない?昨日部屋に戻ったっきりで……あれから部屋に行ってもいないのよ」
折角ドケチの兄さんから休みを貰ったのに、どうしたのかしらと不安がるリィナ。この女のあれへの依存は果てしなく深い。それが気に入らないと思うのは、元々あれは俺の物だったからだ。俺より遅くであった癖に、俺に懐いていたあれを、突然現れ奪って逃げた。俺の計画と、それに費やした時間と労力、全てを無に返したこの女を俺は今も許せない。ロイルにあること無いこと吹き込んで、悲劇のヒロインでも気取ったのか。あの馬鹿のことだ、女の涙に騙されて俺の手から離れていった。
思い出も、過去さえ俺を裏切る。有償とはいえ確かに心を砕き、心を預けてやった相手でもだ。
(……愚弟が)
俺はロイルのこともまだ、許してはいないのだ。だが……
「愚弟の考えることなど俺には手に取るように解る」
「は……?」
「貴様に解らんことでも俺には解る。俺とあれの付き合いはお前のそれより些か長い。お前があれのことで俺を頼ると言うことの意味が分かるか?お前が俺には勝てないと、認めたことに他ならない」
「……どういうこと?」
認めたくない。それでも俺の言葉に揺らぎ出す。緑の目に不安が広がる。
「あれは一度この俺を裏切った。それが負い目だ。故に二度は俺を裏切れん。だからその二度を避けてきた。俺に会わぬよう生きてきた」
あれも俺の道具だ。躾ならとうに施してある。調教は完了している。
俺の命令には従う。暇を与えれば、考える。俺にとってプラスになることを考える。俺のために出来ることはないかと考える。道具は使われないことが苦痛だ。使ってやることが喜びだ。だから使われずとも、働きたくて仕方がないのだ。
「西に送り込んだ奴らが居ただろう?あれとは別ルートで攻略を開始したに違いない。あの馬鹿は目立つ行動が好きだからな。精々、いい囮になってくれるだろう」
「囮!?兄さんっ……ロイルを死なせるつもり!?」
「ここで死ぬようならあれもそれまでの駒だ」
「ッ!!最低っ!!」
俺に平手を打ち込もうとした愚妹。その手首を掴んで捻ってやれば、女の細い身体は苦痛の声を吐き出した。
その白い手は、何時か俺の首を絞めたあの女のそれによく似ている。だが俺は成長した。今なら負けない。
あの女やあの男のような目を、俺は知らない。浮かべられない。それでもその方法が、体の良い嫌がらせになることは学んでいた。簡単に人の心を踏みにじるにはいい手だと。そう言う意味では確かに、面白い遊びではあった。だからだ。妹の耳元で低く囁いてやる。
「男の風呂を覗きに来るとは、これくらいの覚悟はあったんだろうな?」
「は、放してっ!」
思い切り暴れるリィナ。その手が今度こそ俺を打つ。
あの女と同じ顔で、たった1人を愛するか?その身持ちの堅さが気に入らん。同じ顔の癖に、どうして違う?違うなら、違うのに何故……同じなんだ?どうしてあの女と同じく、お前も俺を拒むのか?
「安心しろ。混血と純血の間に、何かが出来た事例はない」
「そういう問題じゃないの!兄さんは何処まで女を、他人を馬鹿にすれば気が済むの!?それにっ……リフルさんにだって……なんであんなっ、酷いことを……」
ああ、所詮はあの女と同じ尻軽か。顔さえ良ければ好意を示すか?馬鹿女。
「リフルさんは……私の友達よ。今は敵だけど……」
「笑わせるな。あんな顔でもあれは男だ。確認した俺が言うのだからまず間違いはない。女のお前とあれが友人になれるとは思えんな」
男と女など肉欲から生まれる共依存の関係に過ぎん。尻軽でないのなら、この愚妹はあれの顔に騙されあれを脳の一部で女と誤認しているのだろう。どちらにせよこれが馬鹿女であることには変わりない。
「兄さんは可哀相な人ね。そんな風にしか人を測れないなんて」
「……なるほど。それとも妬いているのか?俺がお前ではなくあれに手を出したことを」
「ふざけないでっ!!私は怒っているのよ!!リフルさんは、リフルさんは…………」
愚妹の目が潤む。女の涙ほど苛つく物もない。とりあえず先の分の仕返しに、三発ほどその頬を打ち据えてやった。これで少しは気も晴れた。
「お前のような醜い女では俺も食指が動かん。金でも持って出直して来い」
俺は風呂から上がり、ついでに愚妹を投げ込んで置き去りにする。あれの涙は醜い。さっさと洗い流して少しは見られる顔に戻ればいいが。
(……酷いこと、か)
全くもって意味が分からん。その酷いことがこの国では日常茶飯事のように行われている。何をもって俺の行動だけ咎められるというのだろう?それを咎める法もない。俺は別に悪ではないのだ。金を貰って仕事をした。唯、それだけの話だろうに。何故依頼主ではなく俺が責められるのか。まったくこの世は理不尽だ。何もそれは今日に始まったことではない。理不尽は、常に俺の隣にあった。
“お前が王になれない理由は、お前が一番知っているだろう”
王はかつてそう言った。この俺に、一度だけそう告げた。ロイルに出会う前だ。何故俺が王になれないのかと問い詰めた時にだ。
やはり俺は王の子ではなかったのだ。幾ら見事な赤を持って生まれても、王の子でなければ王にはなれない。俺とあの女が城から追い出されなかっただけでも温情だったと言えるだろう。そして、なにもそれだけではない。
暗がりで光るこの眼は、太陽光と蝋燭の火……その下で赤から緑に色素を変える。王者の宝石の仕組みのようなそれ。しかし俺では王にはなれない。それを覆すためには呆れるほど膨大な金が必要だった。しかしそれも半年前にタロックの姉弟によって潰えた希望。
続く手段は、革命だ。そのための切り札が俺の手の中には宿っている。
悪行三昧の女王はそこにある。それを討てばそこで俺が英雄だ。新たな王になる権利もそこにある。
「もうすぐだ……」
俺は王になる。この国の王になる。
俺は間違っていない。俺が正しかったのだと……あの女に、この世界にそれを思い知らせてやる。
リフル……あの男と俺は違う。俺は落ちて終わる男じゃない。這い上がり頂点まで上り詰め、全てを従える者だ。
姿を偽らず、汚されどん底まで落ちたお前と。屈辱に耐え、姿を偽り嘘を重ね続けた俺は……ここまでやって来た。俺とお前の違いはそれだ。この世は正直者ほど痛い目を見る。のし上がるのは巧妙な嘘つきだ。
何も為せず、何も守れず平伏すことしかできない惨めな俺の片割れは、俺の横にこそ映える。俺の栄光を間近で見、屈辱に染まるその顔こそ、あいつには何よりお似合いだ。あいつはそのために生まれたのだ。そのための片割れ殺しなのだろう?
(……そうだ)
俺はそのためにあいつを生かしたのだ。哀れみなど、まして執着などそこにはない。俺はあいつをとことん嗤い嘲笑うために、傍に置く。俺が如何に優れた者であるかを確認するための、……あいつはその指標なのだ。奴が苦しめば苦しむほど、それは俺の幸福に変わっていく。
同じ色。それでも違う。違うからこそ俺は、……俺にはあれが必要なのだ。
15章 悪魔【逆】。悪魔のカードのイメージ人物はヴァレスタなので、彼視点からスタート。彼は敵だけど、ある意味ではこの章の主役みたいなものなので。理不尽の塊みたいな奴ですが、これからどうなって行くのやら。
敵ボスともフラグ立つとかどういうことか。邪眼恐るべし。いい加減リフルは女の子とのフラグを大事にさせてやりたいけど難しいなぁ……不運属性だから。