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私を嫌っていたはずの冷酷な元夫が縋りついてきます  作者: 田鶴


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第9話 義姉と母

 ルーカスの執務室から出ざるを得なかったアレクサンドラは、父を信じてはいたが、父が兄と何を話すか気になった。それでドアが閉まるとすぐに扉板に耳をぴったり当ててみた。


「うーん、声は聞こえるけど、何を話しているか理解できないわ……」

「できるわけないわよ。その扉板は結構分厚いのよ」

「ひゃっ!!」


 突然後ろから話しかけられ、後ろめたいことをしている自覚のあったアレクサンドラは飛び上がって驚いた。


「なんだ、お義姉(ねえ)様でしたか。驚かさないでください」

「たまたま通りかかったら、義妹が面白そうなことをしてるじゃない。からかわない手はないわよ」


 アレクサンドラが振り返ると、兄ヨハネスの妻レオンティーネがいたずらっぽく笑っているのが目に入った。


「もう、お義姉様ったら!」

「そうだ、せっかくだから、私の部屋で一緒にお茶しましょうよ。今度の夜会であなたに着てもらうドレスのデザインを見せてあげる」


 レオンティーネは、高級ドレスの仕立て屋を経営している。彼女のデザインするドレスは、大貴族や富豪からの注文が引き切れず、店は大繁盛している。


 レオンティーネは、保守的な貴族の要望に応えるドレスをデザインする一方で、女性の身体を解放するコルセット抜きの最先端のドレスも作っている。


 今はまだコルセットを着用したドレスが一般的だが、特に進歩的な職業婦人の間でコルセット抜きのドレスもじわじわと広がっている。


 レオンティーネが今、身にまとっているのも、自らデザインした、コルセット抜きのドレスだ。身体にぴったり沿って体型を露わにするドレスは、彼女の豊満な胸とウエストの自然なくびれを際立たせる。


 肩で切りそろえたレオンティーネの黒髪は、布1枚の下にある背中のなまめかしいラインを隠さず、後ろからも余すところなく彼女の体型の良さが伺える。


 レオンティーネのような短い髪型は、貴族女性の間ではまだまだ珍しいが、それも平民女性の間では一般的になりつつあった。


 次期伯爵夫人がこのようなスタイルをしていることも、仕事をしていることも、もちろん保守的な姑のゲルダはよく思っていない。


 だが自分だけでは何もできないと自覚しているアレクサンドラにとって、自立しているレオンティーネは恰好良くて眩しく見えた。だからアレクサンドラは、意地悪な実兄より彼女とのほうが仲良い。


 おしゃれに自信がないアレクサンドラは、レオンティーネにドレスを決める助言をしてもらう。その代わり、美貌で有名なアレクサンドラは、義姉のデザインしたドレスを夜会やお茶会に着ていく広告塔のようなこともしている。だがそれもゲルダの勘に触っていた。


 本来、レオンティーネのような貴族女性、それも後継ぎの夫人が仕事をするのは、珍しい。


 元々、レオンティーネは結婚せずにドレスを作るのに一生を捧げるつもりだった。だが彼女に惚れん込んだヨハネスが両親の反対を押し切り、結婚後も仕立て屋の経営を続けられる条件でプロポーズして彼女もそれを受け入れた。


 でも本音では、ヨハネスの両親ブラバント伯爵夫妻は元より、その条件を持ちかけたヨハネス自身すら、女性が仕事をすることをあまりよく思っていない。


 それでもブラバント伯爵家は、商売をしているだけ進歩的な貴族であった。近年、領地経営だけでは経済的に苦しくなっている貴族が多いにもかかわらず、商売をするのは卑しい人間がすることだと思い込んでいる旧態依然の貴族は、未だに多い。


            ◇ ◇ ◇


 アレクサンドラは、レオンティーネの仕事部屋で夜会用ドレスのデザイン画をいくつか見せてもらったが、その中で水色のドレスに目がいった。彼女の好きなストライプがスクエアカットのデコルテや袖、オーバースカートの縁にあしらわれているからである。オーバースカートから覗くペチコートにはレースが使われるデザインになっている。


「やはりそのドレスなのね。私が推すのは別のドレスなんだけど、まあ、いいわ。今回はあなたの好きなドレスを着てもらいましょう」

「え、私はお義姉様のデザインしてくださったドレスなら、何でも着ます」

「『何でも』ねえ……」


 レオンティーネの機嫌が斜めになったのを感じてアレクサンドラはドキリとした。レオンティーネは、アレクサンドラが自主性のない発言をするのを嫌う。


 でも、何でもお膳立てされて育ってきたアレクサンドラは、ドレス選びもレオンティーネが嫁いでくるまで人任せだったから、人に決めてもらう癖がなかなか抜けない。


 アレクサンドラは、慌てて話題を変えた。


「そうそう、お義姉様、実は私、素敵な方を見つけたの!」

「ハァ……またなのね。お義父(とう)様のお眼鏡に叶う方なの?」

「も、もちろん」


 アレクサンドラは、また地雷を当ててしまったようだった。レオンティーネは、アレクサンドラに金銭的に寄りかかろうとした貧乏な元恋人達をよく思っていない。


「ねえ、お義姉様はお兄様と結婚して幸せ?」

「私は幸せよ。結婚しても仕事が続けられるし、ブラバント伯爵家の支援もネームバリューもある。こんなメリットのある結婚相手はヨハネスの他にいなかったわ」

「メリットですか……愛は?」

「相手にメリットを与えてあげること自体が愛よね」

「うーん……それはお兄様からお義姉様への愛ですよね。じゃあ、メリットをもらったお義姉様はどうですか?」

「……私が彼の妻になってあげたじゃないの」


 レオンティーネの低い声にアレクサンドラはビクッとした。再びジョーカーを引いてしまったようだ。レオンティーネは、男尊女卑の逆境にも負けず事業を営んでいる女傑なだけに、気が強くてちょっと気難しい。


「そ、そうですよね。お兄様はお義姉様にベタ惚れだから、結婚できて幸せだと思うわ」

「そろそろお茶を飲むのはおしまいにしましょうか。もう仕事しなくちゃいけないわ」

「お義姉様達も到着したばかりなのにもうお仕事では、大変ですね」

「休暇シーズンだから、ここでも売り時なの。あなたみたいに、のほほんと愛だの恋だの、はしゃいでいられないのよね」

「お、お邪魔してごめんなさい」


 これ以上、レオンティーネの機嫌を損ねないように、アレクサンドラは早々に退散した。


 レオンティーネは、機嫌の良い時と悪い時の差が激しいのが玉に瑕だが、母ゲルダや兄ヨハネスが反対しそうなことでもアレクサンドラを後押しして力強い味方になってくれるので、アレクサンドラは気の強い義姉を嫌えなかった。


 家族の肖像画を描いてもらった有名画伯のマーラーに絵を習いたいとアレクサンドラが願った時もそうだった。


 当主のルーカスが了承したのに、令嬢が絵を描く必要はないとゲルダとヨハネスが大反対して危うく話が流れそうになった。しかし、レオンティーネが賛成してくれたことで妻を溺愛するヨハネスが渋々賛成に回り、アレクサンドラは画伯が帰国するまでの約束で絵を習うことができた。


 アレクサンドラは、絵は熱心に学んだが、貴族令嬢としての教養やマナー、ダンスの授業はいつもおざなりだった。ゲルダは、そんな娘が歯がゆいらしく、アレクサンドラをしょっちゅう叱責した。


 ゲルダは、ルーカスに見初められて貧乏男爵家から嫁いできたので、身分差と貧富の差に強烈なコンプレックスを持っており、娘を完璧な貴族令嬢にしようといつも努力していた。なのにアレクサンドラは、恵まれ過ぎている境遇のせいか、本気で努力しない。


 ルーカスは、歳をとってからできた娘を溺愛しているが、なにせ仕事が忙しくて家にいないことが多い。


 家の中は、必ずしもアレクサンドラにとって居心地がよい場所ではなかった。


            ◇ ◇ ◇


「ふぅ……お義姉様を怒らせてしまったわ……」


 レオンティーネの仕事部屋から廊下に出たアレクサンドラは、ため息をついて独り言を口にした。


「アレクサンドラ!」

「ひゃあっ?!」


 突然、後ろから呼ばれてアレクサンドラはビクッとした。

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