第7話 親子の対立
キンキン声の主は、案の定、ライナーの母アンゲラだった。
「ライナー! ちょうどよかったわ、見てちょうだい! 私達が来ていない間にこの体たらくになってしまったのよ! 床も窓ももっと磨かせなくては駄目じゃないの!」
「ハァ……母上、もういらしたのですね。人手がなくてそこまでは手が回らないのです。とりあえず埃がなければいいでしょう?」
「ツヴェルガー公爵家に相応しい状態とは言えないわ!」
「もう前と同じようにはいかないのです。何度言ったら分かるのですか?!」
ライナーは額に手を当ててため息をついた。
アンゲラは、栄華を誇っていた時代を忘れられず、現実を理解できない。いや、したくないのだろう。
「誇り高いツヴェルガー公爵家がこんな体たらくでは恥ずかしいわ!」
「ハァ……人前ですよ。いい加減にしてください」
「人前? あら、この方はどなた?」
フリードヘルムがライナーのすぐ横にいたにもかかわらず、アンゲラは、あたかも初めて気づいたような素振りだった。
「私の客です。それより母上はまだ王都にいらっしゃるはずでは……?」
「私がいては何がまずいの? まさか、この方は私に紹介できない方なの?!」
「申し訳ございません、私は……」
「君、ここはいいよ」
フリードヘルムが自己紹介をしようと口を開くと、ライナーは制止した。
「彼は私の客です。母上には関係ありません」
「そう……そうなのね。そうなんでしょう?!」
アンゲラは、血相を変えてフリードヘルムに詰め寄った。
「あなた、不動産屋? それとも美術商?」
「あの、私は……」
フリードヘルムは、アンゲラのあまりの剣幕に気おされて自己紹介のきっかけを失った。
「ここはあなたのようなハイエナの来る場所じゃないの! 帰ってちょうだい!」
アンゲラは、フリードヘルムとライナーの両方に食って掛かった。
「ライナー、あなたの魂胆なんて分かっているのよ!」
「ちょっと母上! 冷静になってください!」
ライナーはあわてて執事にフリードヘルムを預けて客室へ案内させた。
彼らの後ろ姿が遠くなると、ライナーは母を問い詰めた。
「まさかガブリエラと一緒に王都から汽車の1等車に乗って来たなんて言わないですよね?」
「当然よ。未婚の娘に後から1人で来いというの? そんなの危ないわ」
「ハァ……私が金策に走り回っているというのに、どうして母上達は分かってくださらないのですか!」
「汽車代ぐらい、何てことないでしょう?! 恥ずかしいことを言わないでちょうだい!」
ライナーは、深いため息をついて頭を抱えた。
恥ずかしくてライナーも大きな声では言えないが、今のツヴェルガー公爵家には1等車の乗車券3枚購入するのも痛い。
かと言ってプライドの高いアンゲラとガブリエラが2等車に乗るはずがない。だからライナーは、彼女達に王都の公爵家の馬車で来るように言い含めていた。
ライナーだって本当は、馬車でアンゲラ達と一緒に行くつもりだったが、アンゲラは査定を妨害しそうな勢いで売却に強硬に反対していた。
なのでライナーは、先に別の場所へ行くとアンゲラ達に嘘をついた。その上でフリードヘルムの予定を前倒ししてもらい、彼女達が到着する前にヒームに着けるようにした。
本当だったら、アンゲラ達に別荘に来させないようにすれば簡単な話だった。だが、売却前に最後の見納めとしてこの夏ぐらい久しぶりに母と妹に別荘で過ごさせてやりたかった。その親切心が仇となった。
「美術品やヒームの別荘の次は、王都の屋敷も売り払うんじゃないかって噂されているのよ! 伝統あるこの公爵家が! 私もガブリエラも恥ずかしくてもうパーティや夜会に出席はおろか、王都の街を自由に歩けもしないわよ!」
「そうは言っても、仕方ないのですよ。領地への悪影響を最小限に抑えるためには、この別荘と王都の屋敷も売り払うしかありません。それでも足りないくらいです!」
「冗談じゃないわ! それだったら、あなたがツヴェルガー伯爵令嬢みたいな富豪の娘と結婚すればいいじゃない!」
「ツヴェルガー伯爵家?! 正気ですか? 父上がどうして亡くなったのか、忘れましたか?」
「私達は生きているのよ。死んだ人の名誉より生きている人間が優先されて当たり前です!」
ライナーは、血相を変えて母に詰め寄った。
「言っていいことと悪いことがありますよ! こんな妻と結婚していた父上が気の毒だ! 第一、私とグンドゥラの婚約はどうするのですか?!」
「あなた、知らなかったの? 解消を申し込まれたわ。私の姪っ子があなたの妻になってくれたらうれしかったけど、今の我が家と婚姻関係を結ぶメリットがないとお兄様が判断したのよ。悔しくないの?!」
「ハァ……そうですか。仕方ありませんね。うちに嫁に来てもらっても、公爵夫人らしい贅沢なんてできないですからね」
婚約を一方的に解消されたのを聞かされても、ライナーは淡々としていた。
「どうしてそんなに達観していられるのよ! 私は悔しいわよ! お兄様は、旦那様が生きている時はすり寄ってきたくせに、今は掌返しよ!」
「仕方ありませんよ。それが世の中というものです」
「そんな世の中、理解したくないわ!」
「私は、母上のほうが理解できません。借金で首が回らないのに、上辺だけとりつくれと言うのですか?」
「それが王都の屋敷や別荘を売って笑い者にされることなの!? ましてや旦那様の服までこっそり売ったりして! 公爵家の名誉を穢すだけだってどうして分からないの?!」
「ハァ……名誉だけじゃ借金は返せませんよ。話はそれだけですね。客が待っているので、もう行きます」
「ちょっと待って! それだけじゃないのよ。あなた、復讐したいと思わないの?」
ライナーは、部屋を出て行こうとしたが、母の最後の言葉を聞いて振り返った。
「……復讐? あの男の娘と結婚することのどこが復讐になるのですか?」
「愛する振りをして実家から援助を絞るだけ絞り取って捨ててやればいいのよ。そうしたら、娘を溺愛している伯爵だって地獄を見るわ」
「そんな卑劣なことをできるはずがないでしょう? 彼女自身には責任がないのですよ?」
ライナーは、母親を軽蔑するかのように眉間に皺を寄せて睨んだ。
「さっき、名誉だけでは借金を返せないとあなたも言ったでしょう? きれいごとだけでは、借金は返せないの。そうでしょう?」
ライナーは、一瞬、言葉に詰まった。
「……とにかく、客が来ていますから、話はこれぐらいにしてください」
「査定に来たんでしょう?! そうはさせないわ!」
「母上を部屋にお連れしろ!」
ライナーは、すがりついてくるアンゲラをなんとか使用人にまかせた。そしてようやくフリードヘルムの待つ客室へ入り、査定について相談を始めた。




