第2話 意外な相席
汽車の発車直前、アレクサンドラのコンパートメントのドアが突然開いて若い男性が転がり込んで来た。
アレクサンドラは、突然のことに驚いて思わず令嬢らしからぬ叫び声をあげてしまった。
「キャア!」
「ハァ、ハァ、ハァ……間に合った!」
「あら、私としたことが……驚いて大きな声をあげてしまったわ。ごめんなさい」
アレクサンドラは、慌てて扇子で顔を隠そうとしたが、アナ達に預けた荷物の中に入れていたことを思い出した。
「ハァ、ハァ……こ、こちら、こそ、す、すみません、ちょ、ちょっと、息が……」
男性の息が整うまでアレクサンドラは、彼の身なりを観察してみた。その男性は、地味な栗色の髪の毛と瞳ではあったが、容姿が中々整っていて、質の良さそうな服を着ていた。
「失礼しました。普段、運動をしないものですから、お見苦しいところを見せてしまいました」
「お気遣いなく。それで、あの、このコンパートメントに乗ってこられたのは……?」
「もう発車するので、早くこちらのコンパートメントに乗るようにと駅員が言うものですから」
「鉄道会社は、女性だけのコンパートメントに男性を乗せないと思っていましたわ」
「そんなことをしていたら、鉄道会社は大赤字になります。汽車に乗るのは初めてですか?」
「ええ、そうですけど?」
「鉄道会社は、利益のためにはそんなことに配慮していられません。巨大な機関車を動かして沢山の車両をけん引するために、多くの石炭が必要になります」
「ええ。それで?」
アレクサンドラは、なんだか世間知らずと言われているような気がして少しムッとした。
「どうしても見ず知らずの乗客と同じコンパートメントに乗りたくないのなら、コンパートメントの座席全部の切符を買うしかありません。お付きの方はいらっしゃらないのですか?」
1等車のコンパートメント4人分の切符代を払えないのかと言われている気がしてアレクサンドラは、また内心憤慨した。
「ちょっと手違いがありまして別の客車に乗っているだけですわ」
「そうですか。説教臭いことを言ってしまって申し訳ありません。友人にもいつもお前は一言多いと怒られるんですけど、ついつい口が滑ってしまうというか……」
その男性は、本当に申し訳なさそうに再び眉毛をハの字に下げて頭を掻いた。
「僕は見ての通り、狼ではありませんから、ご心配なさらないでください」
「フフフ……もちろんあなたが不埒なことをなさるとは思ってませんわ」
その男性の笑顔と言葉がお茶目だったので、アレクサンドラは機嫌を直して思わず微笑んだ。その様子を見る限り、彼が危険人物とは思えない。
でも見知らぬ男性と何時間も2人きりのコンパートメントに乗っていたと両親や兄が聞けば、アレクサンドラの切符を手配した使用人は怒られるに違いない。それに2度と汽車旅を許してもらえなくなるかもしれない。
アレクサンドラは、家族には黙っていようと心に決めた。
「本当にすみません。時間があれば別の客車に移動しましたけど、あいにくもう発車してしまいました」
「あら、本当だわ! もう発車してしまいましたの?! 発車の瞬間はどんな感じだったのかしら」
ついさっきから客車がゴトンゴトンと動き始めていた。アレクサンドラは、発車の瞬間を見逃してしまったことに初めて気がついてつい愚痴ってしまった。
それを聞いた男性は、眉毛をハの字にして申し訳なさそうにまた謝った。
「いいえ、お気になさらず。どうせ帰りにも乗りますから」
「お詫びに帰りの切符をプレゼントします。いつ王都に戻られますか?」
「見知らぬ方にそこまでしていただくわけに参りませんので、お気遣いなさらないで大丈夫ですわ」
「失礼しました。僕はこういう者です。これで知らない者ではありませんね」
その男性は、懐をゴソゴソと探って名刺を差し出した。アレクサンドラは、渡された名刺をじっと見て口を開いた。
「フリードヘルム・クンストさん……美術商をなさっているのね。ライヒの王都にお店があるのね。ライヒの方とは気がつきませんでしたわ」
「母がローデリア出身なんです。でも僕はライヒ訛りも話せます。ただ、大抵のライヒ人は、ローデリアの話し方のほうが訛っていると思っていますけどね」
ローデリア王国とその隣のライヒ王国の人々は、同じローデリア語を話す。ローデリア人は、ローデリア語を自分達の言葉と自負していて隣国の人々の話すローデリア語が訛っていると認識している。だが、ライヒ人はそんなローデリア人の認識を面白く思っていない。
「とにかく、帰りの切符は家の者が買ってあるはずですので、お気遣いなさらないで」
アレクサンドラがきっぱりと断ったので、フリードヘルムはすんなりと引き下がった。
それからお互いに何を話してよいのか分からず、無言状態が続いた。それで手持無沙汰になったからか、フリードヘルムの視線が出しっぱなしのスケッチブックに向いた。その視線に気づいたアレクサンドラは、あわてて鞄の中にスケッチブックをしまおうとしたが、もう遅かった。
「……あの、絵を描かれるのですか?」
「ええ、でも下手の横好きです。習っている先生の絵を模写したのですが、中々上手くいかなくて……」
「見せていただいてもよろしいでしょうか?」
アレクサンドラは、本職の美術商に見せられるような絵ではないのにどうしようと逡巡した。




