第12話 初デートのお誘い
ある日、別荘の自分の部屋でくつろいでいるアレクサンドラに手紙が届けられた。
「まあ、誰からかしら……」
封筒には、ハンカチの家紋と同じツヴェルガー公爵家の封蝋があった。それがアレクサンドラに見えた途端、彼女の胸は高鳴った。
ヒーム駅で出会った憧れの君、ツヴェルガー公爵ライナーからの手紙だ。
「アナ! 見て、見て! ツヴェルガー公爵様からの手紙だわ! お父様宛じゃなくて私宛に来たのよ! 期待してもいいのかしら?!」
アレクサンドラは、アナに向かって手紙を振って見せた。
「閣下宛にも同時にお手紙が来ていたようですよ」
「アナ、それって今、言うこと?!」
アレクサンドラは、ぷぅっと頬を膨らませてみせた。
「あらあら、お嬢様、そんなお顔は伯爵令嬢らしくありませんよ」
「いいのよ、アナとヨーゼフの前だけなんだから」
アレクサンドラは、冗談っぽくそう言って朗らかに笑った。
「そんなことを言っていたら、癖になって公爵閣下の前でもボロが出てしまいますよ」
「じゃあ、今から気をつけるわ」
「そうなさってください。それにしても、公爵閣下は最初に旦那様にきちんと話を通して、礼儀正しい方ですね。きっとお嬢様に本気で交際を申し込むのでしょう」
「そうよね、そうこなくっちゃ! アナもたまにはいいことを言うわね。早くペーパーナイフをちょうだい!」
アレクサンドラは、はやる心を抑えながら手紙の封を切って手紙を読んだ。
「まぁ! 嘘、信じられない! 夢みたい!」
手紙がデートの誘いだと理解すると、アレクサンドラは淑女らしからぬ叫び声をあげてしまった。ハッとして手で口を押えようとしたが、咎める母と兄はその場にいないことにすぐに気付き、笑顔を隠すのを止めた。
「アナ、聞いて! ヒーム湖で船に乗らないかって公爵様が誘ってくださったわ!」
アレクサンドラの胸は期待でふくらみ、指折り数えて初めてのデートの日を待った。
◇ ◇ ◇
高級保養地のヒーム湖畔には、王侯貴族の別荘が立ち並び、夏のハイシーズンには裕福な保養客で賑わう。
湖の中ほどにある島にはローデリア王室の離宮が建っており、休暇シーズンには王族も滞在する。国王夫妻もほぼ毎夏ここを訪れ、滞在期間中に厳選したゲストを招待した夜会を主催する。
ブラバント伯爵家は王国でも指折りの富豪であるので、毎年一家揃って離宮の夜会に招待される。今年は社交界デビューしたアレクサンドラも参加する予定だ。
離宮の建つ島には、王族以外、許可がなければ上陸できないので、この夜会に招待されることは大変なステイタスシンボルである。だから島は、保養客の一種の憧れの地となっている。
島の周囲を船で巡るのは、一定の距離をあけたうえなら許可が必要ないので、島の周囲や湖を周遊する運行会社の定期遊覧船は、保養客に人気を博している。
だがヒーム湖畔に別荘を持つ富裕層は、たいてい個人で船を保有している。
せいぜい1ヶ月ほどの滞在期間中でも毎日乗船するわけではないのに、その他の期間にも停泊費用を払い、船を保守管理する人間を雇わなければならない。だから、有名保養地のヒームで船を持つことは富裕層のステイタスにもなっている。
アレクサンドラは船からの眺めが好きで、別荘滞在中、必ず伯爵家の船に乗る。
公爵家の船なら、伯爵家の船よりも豪華だろうなとアレクサンドラは夢想した。
◇ ◇ ◇
アレクサンドラは、義姉のレオンティーネに何度も相談し、ツヴェルガー公爵ライナーとのデート当日に着るドレスを決めた。アレクサンドラがストライプの生地をまた選んだので、レオンティーネは苦い顔をしたが、夏らしい爽やかなサマードレスを仕上げてくれた。
青いストライプの入る白い木綿のモスリンのドレスには、ウエストやスカートの裾にストライプと同じトーンの青いリボンがあしらわれ、アレクサンドラの初々しさを引き立てる。
仕上がったドレスを毎日眺めては、彼女は頬を緩ませていた。
デート当日は、ライナー自ら、伯爵家の別荘までアレクサンドラを迎えに来てくれた。
馬車から降りて来る彼の姿を見た途端、アレクサンドラの胸の鼓動は最高潮に高まり、彼にまで聞こえてしまわないかドキドキした。
未婚の2人の体裁上、馬車にはお互いのお付きの者が同乗した。アレクサンドラには侍女のアナ、ライナーには秘書のフィリップだ。彼らは、主人達の会話の邪魔にならないよう、影のようにひっそりと気配を消して同伴した。
だが彼らの気遣いもむなしく、アレクサンドラはライナーにドキドキしっぱなしで、馬車の中で何も話せなかった。
アレクサンドラは、ライナーをついチラチラと見てしまい、彼の顔が目に入る度にあまりの恰好良さに身悶えしそうになってしまった。でも何度も見たせいか、視線が合ってしまってアレクサンドラは慌てて目を逸らした。
「ブラバント伯爵令嬢? どうかされましたか?」
「あ、いえ、その……閣下が素敵過ぎて……あ、いえっ、そのっ、忘れてください!」
アレクサンドラは、思わず心の中の言葉を正直に口にしてしまい、顔を真っ赤にして俯いた。
その後もアレクサンドラは何も話す勇気が出なくて、正面に座っているライナーの顔をまともに見られず、窓の外へ視線を向けた。
「あら?」
馬車は、個人所有の船専用の船着き場と違う場所に向かっていた。
「あの……閣下、行き先が間違っていませんか?」
「いえ、間違っていませんよ」
「え……あの……そうですか……」
アレクサンドラは、どうしてと聞きたかったが、きっぱり間違っていないと言われては、それ以上尋ねられなかった。
それからまもなく馬車は、遊覧船会社の船が発着する船着き場に停車した。
「着きましたよ。どうぞ」
ライナーが先に降りてアレクサンドラに手を差し出した。
2人とも馬車から降りると、真新しいお仕着せを着た御者がライナーに近づいてきた。
「旦那、このままここで待ってればいいんすか?」
「愚問だな」
ライナーは、機嫌悪そうにぶっきらぼうに答えた。
「ま、待つのは別にいいんすけど、ここは送迎以外に駐車すると金がかかるんでさぁ」
「ああ、そうか。これでいいか」
ライナーは、御者の手にチャリンと硬貨を落とした。
「へえ、これで足りるかと……」
御者が手の中の硬貨を確認して口を開いたその時、馬車の駐車場を管理する男が御者に近づいて話しかけた。
「おい、ヘルマンじゃねえか。お前の辻馬車はどこにやった? いつからロイヒテンベルク公爵家に雇われたんだ?」
「ああ、そういうわ……あ、いや、すんません、何でもないです」
ヘルマンと呼ばれた御者は、ライナーにギロッと睨まれて慌てて口をつぐんだ。
ヒーム駅前で地面の上に散らばった彼女の物を体裁も気にせずに拾ってくれた親切なライナーの姿とは、今のライナーの態度は全く違う。貴族とはそういうものだとアレクサンドラも知っていても、少し違和感が残った。
それにいくら御者とは言えど、ヘルマンの言葉遣いは公爵家の使用人らしくない。
また、駐車料金のような細かな金銭のやり取りについても、貴族の使用人達は主人にいちいちお伺いを立てたりはしない。あらかじめ、彼らは支払い用に金銭を持たされているか、主人の家に請求書を回す。だからアレクサンドラもこの御者の振舞いを不思議に思った。
でもそれらの疑問は、アレクサンドラにとって、恋愛に比べれば些細なことだった。だから、アレクサンドラがライナーににこやかに話しかけられれば、胸の高まりとデートへの期待感でそんな疑問はすぐに忘却の彼方に押しやられていった。




