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私を嫌っていたはずの冷酷な元夫が縋りついてきます  作者: 田鶴


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第10話 幸せな結婚とは

 義姉レオンティーネの仕事部屋から出て来たアレクサンドラは、背後から声をかけられて叫び声をあげてしまった。


「キャア!」

「何ですか、その下品な叫び声は!」

「何だ、今度はお母様ですか。驚かせないでください」

「何だじゃありませんよ。いくら驚いたとしても、あんなはしたない叫び声を淑女はあげないものです!」

「はい、すみません……」


 アレクサンドラは、しゅんとした。


「今度から気をつけなさい。あなたは、私に似て器量良しだし、うちは伯爵位を持っていてお金持ちなのよ。あなたがちゃんとしてくれれば、私以上の良縁に恵まれるはずよ」

「はい、お母様……」


 ゲルダは、娘を抱き締めて背中をポンポンと叩いた。


「ねえ、お母様は、お父様に見初められたのですよね? お父様と結婚できて幸せですか?」

「あら、どうしたの、そんなことを聞いて。まさかまた変な平民男と恋に落ちたとか言わないわよね?!」


 優しい母としてのゲルダの表情がすぐに険しくなり、アレクサンドラは焦った。


「も、もちろんです。今日、ツヴェルガー公爵閣下と偶然知り合ったのですけど、とても恰好良くて優しくて素敵だったわ」

「ツヴェルガー公爵……? そう言えば……」


 ゲルダは、ツヴェルガー公爵の名前を聞いて何か思案顔になった。兄ヨハネスのようにツヴェルガー公爵家についてよくない噂を聞いているのかもしれない。アレクサンドラは、慌てて話題を変えた。


「そ、そう、ちゃんとしたお相手との結婚を真剣に考えているんです。だからお母様がお父様と結婚して幸せだったか知りたいんです」

「そんなの幸せに決まっているわ。あのまま、あの家のために結婚していたら、今頃、どうなっていたことか。結婚相手は、うんと年上の金持ちじいさんだったかもしれないわ」

「えっ、そんな?! おじい様は娘を売り渡すようなひどい人だったのですか?」


 自分が生まれる前に亡くなった祖父がそんな人間だったかもしれないと知り、アレクサンドラは驚いた。


「お父様――あなたの祖父は、他人にはとてもいい人だったでしょうね。とにかくお人好しでね、うちにもお金がないのに昔の友人が助けてくれって来ると、お金を貸すどころか、あげちゃうような人だったのよ」

「そんなおじい様が、お母様に不幸な結婚を押し付けたはずがないわ」

「そうね。お父様は私に不幸な結婚を押し付けなかったわ。でもそんなことを言っても借金で首が回らなくなったら、どうしようもないでしょう? 私はお母様にも弟にも路頭で迷ってほしくなかったわ。だから援助してくれる方との結婚を覚悟していたの。でもルーカスがそんな時に私をみそめて家の借金も全部清算してくれて本当にありがたかったわ」

「お父様がお母様をみそめてくれてよかったわ。そうじゃなきゃ私もお兄様も生まれなかったもの」

「ルーカスのような素敵な旦那様に恵まれて、あなた達のようなかわいい子供に恵まれて本当に幸せよ」


 この時ばかりは、ゲルダも娘の行儀の悪さを忘れたようで微笑んだ。


「それでは、叔父様はおじい様似なのですね」

「ええ。また騙されないといいのだけど……」


 ゲルダは、心配顔になってため息をついた。


「そう言えば、お母様はお義姉(ねえ)様に用事があったのですか?」

「いえ、ちょっとね。あなたもレオンティーネに用事があったの?」


 ゲルダは、しかめ面をしながら、レオンティーネの仕事部屋のドアのほうを見てそう言った。


「え、ええ。またドレスの相談でもしようかなと思って……」

「あなた、まさかレオンティーネにそそのかされてまた見世物の真似事でもするつもり?」

「見世物なんかじゃ……お義姉様の仕事のお手伝いです!」

「あなたはブラバント伯爵家の令嬢なのよ! 仕事なんてする必要ないでしょう!」

「仕事ではありません。家族を助けたいだけです!」

「あれが家族ねぇ……」


 ゲルダは、忌々しそうに吐き捨てた。


 アレクサンドラは、今年の社交界デビュー直後から美貌の富豪令嬢として瞬く間に名を馳せた。そのアレクサンドラにレオンティーネは自分の店の新作ドレスを着せて夜会や茶会へ送り出し、無料で使える広告塔にしている。


 宣伝用のドレスの中には、保守的なゲルダから見れば、奇をてらったものもあり、3人の火種になっている。


「全く冗談じゃないわ! あんな変なドレスを着て恥ずかしくないの?」

「いいえ、お母様。それどころか、本職のデザイナーのお義姉様が見立てる最先端のドレスを着られるのは、誇らしいわ」

「あれが最先端ねぇ……おかしなドレスを嫁や娘が着ていると、私は恥ずかしいわよ」


 ゲルダはそう言うが、レオンティーネのドレスがいつも奇をてらったものとは限らない。今日見せてもらったデザイン画の水色のドレスみたいに、アレクサンドラの好みも把握して提案してくれる。


「レオンティーネはデザイナーの前に次期ブラバント伯爵夫人でしょう? 次期伯爵夫人が別荘に来てまでドレスを売り歩くなんて、恥ずかしいったらありゃしない! 後継ぎを産む妻の務めも果たさず、恥さらしなあの女は、ヨハネスにふさわしくないわ!」


「お母様、そんな言い方は良くないわ。デザイナーの仕事をして自分で収入を得るなんて、今時の革新的な女性らしくて恰好良いでしょう? お兄様もお義姉様のそういうところを好きになったのよ。私もマナーとか刺繍とかそんな役に立たないことを習うよりも、お義姉様みたいに自立した仕事をしてみたいわ」


 アレクサンドラは、ゲルダの逆鱗に触れてしまったようだった。ゲルダはますます険しい表情になり、娘を非難した。


「あなたはマナーや刺繍だけじゃなくて他の勉強だってろくにしないのに、一体どんな仕事をできると思うの?!」


「夜会やお茶会でドレスの評判をうまく広められれば、いずれ仕事として任せてもいいってお義姉様はおっしゃったわ」


「あなたはレオンティーネのドレスを着て見世物になっているだけなのよ。そんなのが仕事になったとしても、10年、20年後もできるの? 次から次へと若くて美しいお嬢さんが出てくるのよ。レオンティーネだっておばさんになった義妹を広告塔にするわけがないでしょう? でも結婚だったら、一生ものなのよ。そんな見世物になるよりも良い縁談が来るように淑女の教養を磨くほうがいいに決まっているわ」


「見世物じゃないわ、宣伝の仕事よ。それにそれだけじゃないの。カタログの絵を描いてみたらどうかとも誘ってくれたのよ。それなら歳をとっても描けるでしょう?」


「とんでもないわ! あの女、そんな勧誘をしてきたの?! 絵なんて令嬢らしくないことやめなさい! やっとあの画伯が故郷に帰ってあなたが絵を習わなくなってほっとしたのに!」


「お母様、いくらなんでもひどいわ!」


 アレクサンドラの目に涙がじわじわと浮かんできた。


 美しくて若くて富豪の伯爵家の令嬢――それだけが自分の価値だと社交界にデビューしてみてアレクサンドラの骨身に染みていた。実の母にもそれを思い知らされるのは辛かった。


 もうこれ以上、母と会話を続ける気力はアレクサンドラにはなかった。


「お母様、私、もう行きますね」

「ちょっと待ちなさい!」


 その時、ガチャと音がして2人の目の前のドアからレオンティーネが出て来た。


「あ、お、お義姉様……」

「あら、何だか部屋の前がうるさいと思ったら、お義母(かあ)様とアレクサンドラでしたか。アレクサンドラとは今さっき話したばかりですが、お義母様も何か御用ですか?」

「う、うるさいですって?!」


 ゲルダは、レオンティーネの言いざまを聞いて額の血管が切れそうな形相になった。レオンティーネのツンとしたすまし顔は、ことさらゲルダの神経を刺激する。


「おふたりで私の部屋の真ん前で大声を出されていたら、うるさいのも当然でしょう? 仕事の邪魔になります」

「まあ、邪魔ですって?!」

「お、お義姉様……! お母様も、おふたりとも今、大声出されてますよ」


 アレクサンドラは、一触即発の嫁姑の間に立たされておろおろしたが、2人にせめてレディとしての嗜みを思い出してもらって冷静になってもらおうとした。幸いなことに、それは効果があったようだ。


「あら、私としたことが……コホン……レオンティーネ、ちょっと話があるの。いいかしら?」

「仕事がありますので、ここでほんの少しなら」

「あなたねぇ!」

「お、お母様!」


 せっかくアレクサンドラがとりなしたのに、2人はまた剣呑な雰囲気に逆戻りになった。アレクサンドラは2人の間で再びおろおろとするしかなかった。

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