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エルフの集落

 森を抜けると、空気が変わった。

 霧が薄れ、湿った土の匂いの中に焚き火の煙が混じる。

 見渡す限りの木造の小屋。 苔むした屋根の間から、黄昏色の光がこぼれていた。

 どこか幻想的で、それでいて――居心地の悪いほど静かな場所だった。


「ここは……?」

「私たちの集落。 〈エレルの森〉の外れにある、ダークエルフの村よ」


 リディアは淡々と答える。

 その声音には、誇りよりも“疲れ”が滲んでいた。

 村の入り口で、数人の魔族がこちらを見張っていた。

 彼らの視線が、リディアを見た瞬間に険しく変わる。


「……忌み子が、また帰ってきたぞ」

「黒い肌を見ただけで不吉だ」


 ひそひそとした声が、刃のように突き刺さる。

 リディアは表情を変えず、ただ黙って歩いた。

 その背中が、ほんの少し震えて見えた。


「……彼ら、リディアのことを……?」

「気にしないで。 生まれつきの色で、罪人扱いされてるだけよ」


 彼女は強がっていたが、その表情は暗いものだった。

 それを見て、私は胸がきゅっと締めつけられた。


「でも、あなた……不思議ね」


 リディアが横目でこちらを見る。


「人間の言葉を話してるはずなのに、私にはちゃんと意味が分かる」

「……うん。私も不思議。 たぶん……そういう力があるんだと思う」


 その言葉を、リディアは少しだけ驚いたように聞いた。


「力、ね。まあ、あんたが敵じゃないなら、それでいいわ」


 村の奥――苔に覆われた大木の根元に、小さな館が建っていた。

 リディアはそこに立つ扉をノックする。


「リディアです。長に報告が」

「入れ」


 低く響く声。

 扉を開けると、長老と思しき男が炉の前に座っていた。

 白髪と長い耳。 瞳は灰色に濁っているが、底に鋭い光が宿っている。


「ほう……人間か。 実に珍しいものを連れてきたな」

「森で倒れていました。魔獣に襲われていたようです」

「そうか」


 長と呼ばれた男はゆっくり立ち上がると、私を観察するように見つめる。

 その視線には冷たさがあるのに、声は妙に柔らかかった。


「怖がらずともよい。私はこの村の長、エルネスという。君の名は?」

「アリス=クロフォードです。 助けてくださってありがとうございます」

「礼など不要。 我らは外との交流がとぼしく、客人など久しい。 しばらく滞在していくといい」


 その言葉に、私は少しだけ安堵した。

 けれど、隣のリディアがほんの一瞬だけ眉をひそめたのを、私は見逃さなかった。

 エルネスは、ゆっくりと椅子に腰掛ける。


「それにしても……実に面白い。 君の言葉が、私にははっきりと理解できる。 人間の言語を、私の耳がそのまま“我らの言葉”として認識している。 これは……人間特有の魔術か?」

「え……? 私、魔術なんて使ってないです。 ただ普通に喋ってるだけで」

「ふむ……」


 長の瞳が光を帯びる。

 その奥に、一瞬だけ獣のような興奮が宿ったのを、私は感じ取った。


「アリス。君は特別な力を持っている。 神が授けた祝福かもしれん。 この魔族の大陸では“異なる言葉”が大きな壁となっておる。 君の力は……実に価値がある」


 価値、という言葉に、微かな違和感が刺さる。

 でも、私は疲れ切っていて、それを深く考える余裕もなかった。


「ありがとうございます……」

「リディア。 お前はこの娘の世話係だ。 外の連中には近づかせるな。 余計な噂が立つと面倒だ」

「……わかりました」


 リディアの声は冷ややかだった。

 その背中を、長は慈父のような笑みで見送っていたが……その笑顔の奥で、何かが蠢いていた。


 ─


 リディアの家は、村の外れにあった。

 他の家々からわざと距離を取るように建っている。

 壁には無数のひび、窓からは風が漏れていた。


「ここ、私の住処。……落ち着かないだろうけど」

「ううん、助かる。ありがとう、リディア」


 私はほっと息をついた。

 松明の光がリディアの髪を照らすと、闇に溶けるような銀髪が美しく揺れた。

 ダークエルフ特有の彼女の銀髪は美しかった。 でもその美しさが、彼女にとっては呪いなのだろう。


「長さん、穏やかな人だったね」


 私の言葉に、リディアは一瞬黙り、かすかに笑った。


「……あの人を信じるなんて、よほどの物好きね」

「え?」

「見た目は穏やかでも、彼は“価値”でしか人を見ない。 私みたいに価値のない者は、存在ごと見えないのよ」


 その声に、わずかな震えがあった。

 私は言葉を失い、ただ薪を見つめた。

 パチパチと火が弾ける音が、沈黙を埋める。


「それに、あなた……危機感が足りないわね」

「危機感?」

「通訳できるなんて、誰もが欲しがる力。 あの人が“優しい”のは、今だけよ。 きっと何かに利用される。

 ……もし、そうなったら」


 リディアは言葉を切り、炎の奥を見つめた。


「……まぁ大丈夫でしょ」

「楽観的ね……でも覚えておいて。 絶対にあの人を信頼してはだめ」

「う……うん」


 リディアの真剣な表情に私は小さく頷くのだった。


 ─


 翌夜。

 リディアは水汲みの帰りに、偶然聞いてしまった。

 長の屋敷の裏で、兵士たちが話している。


「人間の娘、どうするんだ?」

「長は笑ってたぜ。 “あの娘の力が本物なら、王城に献上する。 通訳奴隷としてな”ってな」

「ははっ。忌み子が拾ってきたってのが笑える話だ」


 水桶が手から滑り落ちた。

 リディアの心臓が早鐘を打つ。


(やっぱり……あの人、最初から……!)


 夜風が頬を刺す。

 焚き火の残り香の中で、リディアは静かに息を呑んだ。


「アリス……。次の朝が来る前に、出るわよ」


 そう呟いた声は、決意と恐怖の入り混じった震えを含んでいた。

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