第三章24『洞窟』
倉庫を後にしたオルガたち四人は、街中の路地を抜け、次の目的地へと向かっていた。
昼の陽射しが差し込むはずの通りは、どこか冷たく、人気の少ない雰囲気が漂っている。
「ここも、怪しい建物はなさそうですね……」
ヴァニラが小声で呟く。
周囲の窓や屋根を注意深く見渡しながら、足を止めずに歩く。
「慎重に行きましょう。倉庫と同じように、何もないかもしれませんが……」
オルガが低く返す。
指先には自然と緊張の力が入り、いつでも武器を手に取れる態勢を整えていた。
フィオラは通りの陰や隙間に隠れる可能性のある者たちを探る。
ショコラは周囲の足跡や埃の乱れに目を走らせる。倉庫で見つけた痕跡のように、この街中にも新しい跡が残っていないかを確認するためだ。
足音を殺しながら、慎重に地面を踏む。
「さっきの倉庫は完全に空でした……次は廃屋へ向かいます」
オルガが地図を指さす。
街の中心部を避け、少し荒れた区域へと進路を取る。
「人通りは少ないですけど、目立たない分、何かあっても見つかりにくいですね……」
ヴァニラの言葉に、全員が無言で頷く。警戒心がさらに高まる。
道の途中、古びた建物の壁に張り付くように、荷物を運んだ跡がいくつか残っている。
小さな指標のようなものだが、全員の目は確実にそれを捉えていた。
「痕跡は新しいね」
ショコラが囁く。乾いた土の乱れ、箱を引きずった跡。
倉庫で見た足跡と同じ種類のものかもしれない。
「慎重に、しかし確実に行きましょう」
互いの距離を保ちつつ、路地の奥へと足を進める。
影の中、古い建物の隙間に潜む可能性を常に意識しながら。
通りを抜け、次の探索対象である廃屋が視界に入った。
かつては住居として使われていたらしいが、今は壁が崩れ、屋根も抜け落ちている。
無人の気配が強く、昼間とは思えない陰気さが漂っていた。
「ここですね……」
オルガが呟く。
空気の重さが、自然と緊張感を呼び起こす。
「人がいれば気配で分かるはず……」
フィオラは音を立てず、慎重に屋内を覗き込む。
「ここも空かもしれないですが、油断は禁物です」
オルガが低く言うと、四人は息を潜め、廃屋の内部へと足を踏み入れた。
建物の中は暗く、床や壁には埃が積もり、長らく人が入っていないことを物語っている。
しかし、かすかな足跡や荷物の痕跡が、ほんの少しだけ希望を持たせていた。
「……まだ、痕跡はある。けど、誰もいない」
ショコラの声は小さく、しかし確信を帯びていた。
オルガは全体を見渡す。
倉庫と同じく、ここもまた空振りの気配が強い。
だが、四人はその事実を受け入れつつも、警戒を解くわけにはいかなかった。
「奥の部屋に行ってみましょう」
床に散らばる埃の中、何気なくヴァニラの視線が小さな灰皿に止まる。
「……これは?」
ヴァニラがかがみ込み、灰皿の中を覗き込む。
小さく焦げた紙片が、灰の中に埋もれていた。
「燃えカス……でも、何か書いてあるような……」
ショコラが慎重に指先でつまみ出す。
指先に伝わる紙の質感は、まだ完全には灰になっていない。
オルガは前かがみになり、近くで覗き込む。
「……ほとんど読めないですね……」
灰の中、かすれた文字がわずかに残っている。
フィオラが手を伸ばし、焦げた紙片をつまみ上げる。
「……宝……帰らず……洞窟……」
そこまでしか読み取れなかった。
紙の端は完全に焼けており、それ以上は判別できない。
「宝……?」
フィオラが眉をひそめる。
「洞窟……。これは何か手がかりになるかもしれませんね」
オルガの声にはわずかな手応えが含まれる。
倉庫の空振りはあったものの、この紙片だけが微かな希望を示していた。
ヴァニラが紙片をさらに注意深く観察する。
「文字の向きや墨の残り方を見る限り、急いで燃やしたようですね。誰かに見られたくなかったのかも」
灰皿の中の燃えカスは、ほとんど解読不能だが、そこに書かれた「宝」と「洞窟」という二つの言葉が、確実に盗賊団の動きを示していた。
四人は互いに目を合わせ、無言で頷きあう。
沈黙の中にも、これまでの空振り探索とは違う、確かな手応えがあった。
オルガはその紙片を慎重に包み込み、胸元のポーチに仕舞った。
「……一旦、報告に戻りましょう」
その言葉に、全員の背筋が自然と伸びた。
廃屋を後にする足取りは、今までの探索よりも確実に重みを帯びていた。
―――
冒険者ギルド本部の奥、簡素だが重厚な扉の前で、オルガたちは足を止めた。
「……入ります」
中には、ギルドマスターと数名の上役がすでに揃っていた。机の上には書類が積まれ、空気は張り詰めている。
「戻ったか」
ギルドマスターが短く言う。
「探索の結果を報告します」
オルガは一礼し、必要以上の感情を乗せずに話し始めた。
「最初に指定された倉庫は空でした。最近まで人が出入りした痕跡はありましたが、滞在の形跡は短期間です」
「想定通りだな」
上役の一人が低く呟く。
「次に、街中の路地からスラム寄りの区域を探索。廃屋を一つ確認しました」
オルガは一拍置き、続ける。
「そこも人影はありませんでしたが……一つだけ、無視できない物を見つけています」
そう言って、胸元から布包みを取り出した。
中身を机の上に広げる。
焦げた紙片。灰と煤が付着し、文字の大半は失われている。
「灰皿の中に残されていた燃えカスです。意図的に燃やされたものと判断しました」
ギルドマスターが身を乗り出し、目を細める。
「……読めるのか?」
「部分的にのみです」
ショコラが一歩前に出て補足する。
「確認できた単語は三つ。『宝』『帰らず』『洞窟』」
室内が、わずかにざわついた。
「宝……?」
別の上役が眉をひそめる。
「燃やした理由は?」
ギルドマスターの視線がオルガに向く。
「不明です。ただ、急いで処分しようとした形跡がありました。誰かに見られる、あるいは回収されることを恐れた可能性があります」
「つまり……」
ギルドマスターは指を組む。
「盗賊団は、すでに次の段階に移っているか、もしくは情報そのものが重要だと理解している」
オルガは頷いた。
「はい。倉庫や廃屋は拠点というより、一時的な中継点だったと考えています」
上役の一人が溜め息を吐く。
「街中を騒がせている割に、尻尾を掴ませないわけだ」
ギルドマスターはしばらく沈黙し、焦げた紙片から視線を離さなかった。
「……報告は受理する」
ギルドの会議室に、再び沈黙が落ちた直後だった。
書記役の職員が、扉の脇から一歩前に出る。
「追加の探索情報があります」
その言葉に、ギルドマスターが顎で続きを促した。
「昨夜、成長祈願祭が終わった後。川沿いを下る小型船を見た、という目撃証言が寄せられています」
室内の空気が、目に見えて張り詰める。
「船は一隻。灯りは最小限。岸から離れすぎず、建物の影を使って移動していたとのことです」
「人数は?」
ギルドマスターが問う。
「正確には不明ですが、櫂を操る者を含めて複数名、と」
オルガが静かに口を開いた。
「祭りの後、混乱が収まる前……ですね」
「はい。時間帯も一致します」
上役の一人が舌打ちした。
「街路を避け、川を使ったか。用意が良すぎる」
ギルドマスターは短く息を吐く。
その瞬間だった。
会議室の扉が、強くノックされる。
「――失礼する」
低く、張りのある声。
扉が開き、現れたのは、豪奢な外套に身を包んだ壮年の男だった。
油の乗った黒髪、鋭い眼光。貴族特有の威圧感を隠そうともしていない。
「……ドレク・バリスタ卿」
上役の一人が、思わず名を口にする。
ドレクは室内を一瞥し、オルガたちにも視線を向けたが、すぐにギルドマスターへと歩み寄った。
「今しがた、屋敷の最終確認を終えた」
その声音は抑えられているが、底に苛立ちが滲んでいる。
「金品の被害だけではなかった」
ギルドマスターが、ゆっくりと立ち上がる。
「……続けてください」
ドレクは懐から一枚の革袋を取り出し、机の上に置いた。
中は、空だった。
「屋敷の金庫に保管していた物が、一つ消えている」
「何ですか?」
ギルドマスターの問いに、ドレクは一拍置いて答えた。
「宝の地図だ」
室内が、凍りついたように静まり返る。
「古い地図だ。家系に代々伝わってきたものでな。場所も真偽も、正直なところ確証はなかった」
ドレクは、唇を歪める。
「だが、価値があると知っている者がいる以上、金庫に入れておいた。それが――盗まれた」
オルガの脳裏に、灰皿の燃えカスがよぎる。
「……地図に、書かれていた場所は?」
ギルドマスターが慎重に問う。
ドレクは一瞬、答えるのをためらった。
だが、隠しても無意味だと判断したのか、低く告げる。
「通称、『帰らずの森』に関わる記述があった」
その言葉が落ちた瞬間、すべてが繋がった。
灰皿の紙片。
川沿いの船。
そして、盗まれた宝の地図。
「……なるほど」
ギルドマスターは目を閉じ、短く息を吐いた。
「盗賊団の狙いは、金品ではなく情報だ」
ドレクは苛立ちを隠さず言い放つ。
「だからこそ、急いで燃やしたのだろう。不要になった写しや、連絡用のメモをな」
オルガは一歩前に出た。
「バリスタ卿。その地図、写しは?」
「ない。金庫にあったのは、あれ一枚だけだ」
きっぱりとした答えだった。
ギルドマスターは、室内を見渡す。
「事態は、街の盗難事件の範疇を超えた」
視線が、オルガたちに向く。
「宝と帰らずの森。そして、それを狙って動く者たち。ここから先は、慎重に、だが確実に追う」
ドレク・バリスタ卿は、口元に冷たい笑みを浮かべた。
「……私の家宝を盗んだ連中だ。無事で済むと思うなよ」
その言葉に、誰も応じなかった。
だが、全員が理解していた。
これはもう、偶然ではない。
誰かが、意図的に森へと手を伸ばしている。
そしてその先には――
ナオトの領地が、確かに存在していた。
―――
森の探索は、残すところあとわずかになっていた。
モルデュラス大森林。
かつては「帰らずの森」と呼ばれ、誰も足を踏み入れようとしなかった場所。
アリアの浄化魔法により瘴気も薄れ、魔物もほとんど姿を消しているが、それでも森が森であることに変わりはない。
ルナは川沿いの獣道を、慎重に歩いていた。
水の流れる音は穏やかで、風に揺れる木々の葉擦れが耳に心地よい。
探索としては、静かすぎるほどだった。
だが――。
次の瞬間、川面に視線を落としたルナの足が、ぴたりと止まる。
「……これは……」
川の緩やかな曲がり角。
流れが滞留する浅瀬に、いくつもの影が折り重なるように集まっていた。
近づくにつれ、それが何であるかは、嫌でも分かってしまう。
鎧の残骸。
錆びついた剣。
砕けた盾。
そして――人の、亡骸。
数は一つや二つではなかった。
川に流され、絡まり、積み重なった戦死者たちの遺体が、静かに横たわっている。
風化の具合から、かなりの年月が経っているのは明らかだった。
「……十年前の、戦争……」
月狼族も否応なく巻き込まれた、人間と魔族の大戦。
アークロスの街が戦場となった記録は、ルナも知っている。
誰にも弔われることなく、ここまで流されてきたのだろう。
ルナは静かに膝をつき、胸の前で手を組む。
「……どうか、安らかに」
短く、簡略な弔いだった。
言葉よりも、想いを込めた祈り。
川は何事もなかったかのように流れ続け、亡骸たちは、ただ静かにそこにあった。
ルナは立ち上がり、深く息を吐く。
そのときだった。
ふと、視線の先、川沿いの崖に、違和感を覚える。
「……?」
崖の露頭。
剥き出しになった岩肌の一部が、わずかに光を反射していた。
日差しを受けて、淡く、しかし確かな輝き。
ルナは目を細め、近づく。
指先で岩肌をなぞり、確信する。
「……魔晶石」
魔石よりも、はるかに魔力密度が高い希少鉱石。
装飾品に加工すれば高級品となり、市場に出せば魔石の比ではない値がつく。
この量、この純度。
しかも、露出しているということは――
ルナは、岩肌の流れを追う。
鉱脈は、崖の下へ、そして川沿いへと続いていた。
その先に――
「……洞穴……?」
川岸に口を開ける、暗い穴。
外から見ただけでも、奥行きがあるのが分かる。
中を覗くと、闇の奥で、無数の淡い光が瞬いていた。
魔晶石だ。
しかも、一つや二つではない。
壁一面に、点在するように輝いている。
思わず、息を呑む。
「……これは……」
炉の前で汗を流すボニーの顔が脳裏に浮かんだ。
鉄や鉱石を前に、目を輝かせるあの表情。
「ボニーさんが喜びそうですね」
自然と、そんな言葉が零れた。
兄様に報告したら、きっと驚くだろう。
ボニーも、ザリナも、きっと大騒ぎになる。
森の探索も、これで本当に終わりが見えてきた。
成果としては、十分すぎるほどだ。
ルナは洞穴の前に立ち、しばし考え込む。
今は、深入りしない。
詳細な調査は、準備を整えてから。
そう判断し、位置をしっかりと地図に刻み込む。
胸の奥が、少し弾んだ。
早く、兄様に伝えたい。
皆に、この発見を知らせたい。
――この先に待つ大きな事件の存在など、この時のルナは、まだ、想像もしていなかった。
森は静かに、何も語らず、ただ、すべてを見下ろしていた。




