第三章23『マヨネーズ作り』
「入ります」
その言葉を合図に、全員の神経が、さらに張り詰めた。
オルガが合図を出し、先頭に立って倉庫へ足を踏み入れた。
中は外よりもさらに暗い。
割れた天窓から細い光が差し込んでいるが、それだけでは奥までは見通せなかった。
空気は澱み、鉄と埃が混じったような匂いが鼻を突く。
床には、古い木箱の破片や、縄が散乱している。
だが、それらは長年放置されたものではなかった。
「……新しいですね」
オルガが低く呟く。
踏みしめた床板が、ぎしりと嫌な音を立てた。
その音に反応するように、全員の動きが一瞬止まる。
ヴァニラがしゃがみ込み、床に残る跡を指差した。
「荷物を引きずった痕。複数人分あります」
「重さも、軽くはなさそう」
ショコラが補足する。
箱を運び出した痕跡は、倉庫の奥へと続いていた。
フィオラは視線を左右に走らせる。
壁際、柱の影、天井近く――。
人が潜める場所を探すが、気配はない。
人の息遣いも、衣擦れの音も、殺意の匂いすら感じられなかった。
「……誰もいない」
ショコラが、慎重に言葉を選んで告げる。
倉庫の最奥には、簡易的に仕切られた一角があった。
粗雑に並べられた木箱。
そのいくつかは空で、いくつかは中身が入ったまま放置されている。
オルガは一つの箱を開け、中を確認した。
「……食料。干し肉と乾パン」
「最近まで使われてたものですね」
ヴァニラが頷く。
量は多くない。
長期滞在を前提にした備蓄ではなかった。
フィオラは、壁際に残された布切れに目を留めた。
引っかけるようにして、急いで剥がされた痕跡。
オルガは無言で倉庫全体を見渡す。
痕跡は確かにある。
それでも――
「……探すべきものは、もうここにはないですね」
誰かが言わなくても、全員が同じ結論に辿り着いていた。
オルガは拳を握り、静かに息を吐く。
「次に行きましょう。街の中を洗います」
四人は無言で頷き、倉庫を後にした。
―――
その頃、ナオトはいつも通りの一日を過ごしていた。
朝から大工たちの様子を確認し、腰や肩を痛めた者たちに整体を施す。
新しくやって来た高齢の方も数人いた。
「おお……これはすごい 」
「歩くのがだいぶ楽になったよ」
そんな声を聞きながら、ナオトは軽く息を吐いた。
「無理はしないでくださいね。楽になったからって、急に動きすぎると戻りますから」
何度も繰り返している注意だが、それでも言わずにはいられない。
一通りの整体を終え、道具を片付けると、次に向かう先は決まっていた。
ボニーの作業場だ。
炉のある建物に近づくにつれ、空気が変わる。
鉄の匂いと、熱を帯びた風。
規則正しく響く金属音が、遠くからでも聞こえてきた。
中に入ると、そこにはボニーの姿があった。
腕まくりをし、額に汗を浮かべながら、真っ赤に焼けた素材を金床に置いている。
「お、ナオトさん。もう整体は終わったんですか?」
「ひと段落ついたところだよ」
ナオトは作業の邪魔にならない位置に立ち、手元を覗き込む。
「それ……この間手に入った鉄鉱石か?」
「はい。ルナさんが持ってきてくれたやつです」
ボニーは手を止めずに答える。
「不純物が多くて、精錬に手間はかかりますけど……ちゃんと鉄になりますよ」
炉の中では、砕かれた鉄鉱石がゆっくりと形を変えつつあった。
黒かった塊が、熱と手間を重ねることで、少しずつ別の表情を見せ始めている。
「こうして鉄になるまでが、一番好きな工程なんです」
ボニーはそう言って、楽しそうに笑った。
しばらく、金属音だけが鍛冶場に響いていた。
赤熱した鉄を叩く音は、一定のリズムを刻み、聞いていると不思議と心が落ち着く。
ナオトは炉の様子を眺めながら、ふと口を開いた。
「それで、その鉄は何を作る予定なんだ?」
ボニーは一瞬だけ手を止め、金床の上の素材を見下ろした。
「まだ決めきってはいないんですけど……」
そう前置きしてから、少しだけ楽しそうに続ける。
「開拓用の工具ですね。斧とか、つるはしとか。あとは、馬車の補強金具」
「実用的だな」
「はい。今の領地には、まずそれが必要ですから」
再び槌が振り下ろされる。
「剣や槍も嫌いじゃないですけど……今は、生活を支える道具を優先したいんです」
ナオトは小さく頷いた。
「分かるよ。道ができて、人が行き来できて、初めて街になる」
「ですよね」
ボニーは嬉しそうに笑った。
「いい鉄が取れれば、丈夫で長持ちします。直す回数も減りますし」
「いい道具があれば腰を痛める人も減りそうだ」
「ふふ、ナオトさんらしい発想ですね」
二人は、ささやかな笑いを交わす。
炉の火は安定して燃え、鉄はゆっくりと形を整え始めていた。
領地は、確実に前に進んでいる。
その実感が、鍛冶場の熱とともに、静かに満ちていった。
―――
ナオトは鍛冶場での作業を終えると、そのままザリナの様子を見に向かった。
静かな中、机に向かうザリナとウィスの姿が目に入る。
「お、師匠。もう終わったの?」
ザリナが手を止め、目を輝かせて声をかける。ナオトは微笑みながら頷いた。
「ああ。そっちはどうだ?」
机の上に置かれたゴムの塊に目をやるナオトに、ザリナは息を弾ませながら話し始めた。
「これ、いろんな使い道がありそう!考えるだけでワクワクする!」
「例えば?」
ザリナは身を乗り出す。
「濡れや湿気から守れるから、雨用の靴や服、防水袋や密封容器に使えるかも!」
「なるほど、防水か」
ナオトが押したり引っ張ったりして感触を確かめながら言う。
「俺の故郷では、弾力を使って衝撃吸収や滑り止めにもしてたぞ。荷車の振動も和らげられるかもしれないな」
ザリナは目を輝かせ、次々にアイデアを口にする。
「靴底や手袋にも応用できます!」
ウィスは手の中でゴムを伸ばし、ふと何か思いついた様子で小さな板を取り出す。
「……ちょっと試してみる」
ウィスは板の端にゴムを巻きつけ、指で引っ張って止めた。板の先端に小さな石を置き、手を離すと石が勢いよく飛んでいった。
「パチンコだ!」
ナオトが目を輝かせる。
「えっ、即席で作ったのか?」
「……面白そうだったから」
ナオトは感心して目を細める。
「縁日で的あてなんかも出来そうだな」
ウィスは楽しそうに何度も石を飛ばし、机の上の的に当てて遊んでいた。
研究棟には、遊び心と学びが入り混じった穏やかで熱い空気が満ちていた。
―――
ディアとリーネは笑顔を交わしながら、手際よく昼食の準備を進めている。
そこにナオトもやってきて、肩の力を抜いた表情で加わった。
「リーネ、今日は唐揚げを作ります!」
「はい。みなさんに喜んでもらえるように頑張りましょう」
「俺も手伝うよ」
ナオトがにこりと笑った。
リーネは小麦粉と香辛料を混ぜ、鶏肉にまんべんなくまぶす。
ディアは下ごしらえを終えた鶏肉を揚げるための油の準備に取りかかる。
ナオトは揚げ具合を確認しつつ、鶏肉を油に丁寧に入れていった。
「わぁ、いい香りですね!ナオト様、油の温度は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ。このジュッって音が目安になるんだ」
鶏肉が油に触れると、サクッという心地よい音と香ばしい匂いが台所中に広がった。
三人は揚げ具合を見守りながら、自然と笑みがこぼれる。
「リーネ、ひとつ味見してみませんか?」
「ええ、いただいてもよろしいのですか?嬉しいです!」
「俺も食べる!」
ナオトが手を伸ばす。
揚げたての唐揚げを口に入れると、サクサクの衣とジューシーな肉汁が口いっぱいに広がった。
「わぁ、美味しいです!衣はサクサクで、中はじゅわっとしています!」
「でしょ?やはり出来立ては格別ですね」
ディアが笑う。
ナオトはディアの手際に感心しつつ、唐揚げを皿に並べる手伝いをする。
今回はいつもより多めに作ることに決めた。
大工たちや、探索に行っているルナやオルガたちが帰ってきたときにも食べられるようにするためだ。
「今日は大工の皆さんや、探索に行っているルナさん、オルガさんたちも帰ってきてから食べられるように多めに揚げましょう」
「はい、承知しました。皆さんで召し上がると、さらに楽しいですね」
ナオトはふと思い出したように口を開いた。
「ところで、味付けはどうしたんだ?」
「下味は塩、胡椒、にんにくと少しの醤油です。シンプルですが、鶏肉の旨味が引き立つようにしました」
ナオトの目が輝いた。
「なるほどな……せっかくだし、マヨネーズを作ってみようかな」
ディアが首をかしげる。
「マヨネーズ、ですか……それは何でしょうか?」
ナオトは少し笑って説明する。
「簡単に言うと、酸味のあるクリーミーなソースかな。唐揚げにつけると、衣の香ばしさと鶏肉の旨味がより引き立つんだ。何にでも合う万能調味料だよ」
「なるほど……食べてみたいです」
ナオトは小さく頷き、材料を揃えた。
卵黄をボウルに入れ、少量の油を加えながら泡立て器でゆっくり混ぜていく。
白くとろりとした液体が徐々に濃厚さを増し、光沢のあるクリーム状になっていった。
「焦ると分離しちゃうから、少しずつ……そう、これくらいでいい」
ディアが横で見守りながら尋ねる。
「ナオト様、混ぜる速度や油の量は重要なのですか?」
「そうだね。速すぎると卵と油が分離しちゃうし、油が多すぎると重くなる。だから少しずつ加えて、均一に混ぜるのがコツだ」
リーネも興味深げに覗き込む。
「酢はどのタイミングで入れるのですか?」
「乳化が安定したところで数滴入れる。これで酸味が加わって味が引き締まるんだ」
ナオトが酢を加えると、マヨネーズの色と光沢がさらに滑らかになった。
塩をひとつまみ加え、味を確認する。
「できた!唐揚げにつけると格別に美味しいはずだ」
「わぁ……すごいです!本当に滑らかで綺麗ですね」
ディアは目を輝かせる。
「これを唐揚げに付けて食べるんですね……楽しみです」
リーネもにっこりと笑った。
台所にはワクワクした空気が広がり、ナオトは自作のマヨネーズを小さなボウルに移し、揚げたての唐揚げと一緒に並べた。
ナオトは森の探索から戻ってくるルナを想像する。
疲れた顔が、揚げ物の香りにふっと和らぎ、目を輝かせて唐揚げを手に取る様子。
ナオトの作ったマヨネーズを少しだけ付けて、ふわりと笑う。
「わぁ、すごい。美味しそうです!」
頬に光る微かな赤み、手を伸ばしてちょこんと唐揚げを口に運ぶ仕草。
まるで子どものように無邪気に、でも嬉しさを隠せずに、ほんの少し照れるような表情。
その姿を思い浮かべるだけで、ナオトの胸は温かさで満たされる。
「早く、帰ってこないかな……」




