第三章22『事件の調査』
朝の空気は、昨夜の賑わいが嘘のように静かだった。
いつもと変わらない朝。
だが、胸の奥に、妙なざわつきが残っていた。
その時だった。
外から、足音が重なって聞こえてくる。
早足。迷いのない歩き方。
「……誰か来たな」
扉を開けるより早く、ノックが鳴った。
コン、コン、と短く、急かすような音。
「はーい」
扉を開けると、そこには見慣れた顔が揃っていた。
先頭に立つオルガ。
その後ろに、ヴァニラとショコラ。
そして、少し落ち着きなく周囲を見回すフィオラ。
「朝からすみません、ナオトさん」
オルガが切り出す。
「今日、緊急招集がかかりました」
「緊急招集?」
ナオトは眉を上げた。
「何があったんだ?」
オルガの表情は硬い。
「昨夜、街で小さな騒ぎがありました」
ヴァニラが一歩前に出る。
「大事にはなっていません。貴族の屋敷でボヤ騒ぎです」
「ボヤ騒ぎ?」
「屋敷の一部が焼けて、金品も盗まれていたんだって」
ショコラが淡々と続ける。
「……盗みも?」
ナオトは表情を引き締めた。
「怪我人は?」
「いません。そこだけは幸いでした」
だが、オルガの表情は緩まない。
「それで、オルガ達が呼ばれるってことは……」
「場所が、少し厄介だったんです」
「厄介?」
オルガが小さく頷く。
「問題の屋敷は、悪い噂の貴族のものでした」
ナオトは一瞬、言葉を失った。
「……なるほど」
「内部調査中の案件でした。なので、関係者以外は動けないんです」
ナオトは、即座に言った。
「手伝うよ。現場仕事なら――」
「ダメなんです」
被せるように、オルガが断った。
迷いのない声だった。
「今回は、関係者だけで動きます」
「……でも、関係者って……」
フィオラが、少し前に出る。
「おにーさん」
「ん?」
「昨日のボヤ、犯人はもう分かってるんだ」
「もう?」
ヴァニラが頷く。
「ええ。『無名の盗賊団』です」
その名に、ナオトは目を細めた。
「無名の盗賊団……」
フィオラは、少し言いづらそうに続ける。
「街では、そう呼ばれててね。名前を名乗らない、義賊気取りの集団」
「今回は金も盗んでるんだろ?」
「うん。でもね」
ショコラが言葉を継ぐ。
「必要以上には盗ってないんだ」
「どういうことだ?」
「帳簿に残らない金、隠し財産だけ盗っているんです」
ナオトは黙った。
義賊、という言葉が頭をよぎる。
「……ずいぶん都合のいい盗み方だな」
「だから厄介なんです」
オルガが腕を組む。
「確実に犯罪です。でも、被害者が被害者で」
ナオトは小さく息を吐いた。
「それで、今日は調査か」
「はい。形式的にならざるを得ない部分があるんです」
フィオラは、どこか落ち着かない様子で視線を逸らす。
「わかった」
ナオトは苦笑する。
「今回は大人しくしてるよ」
「すみません」
オルガはそう言って踵を返した。
彼女たちは足早に去っていく。
オルガたちを見送ったあと、ナオトは領地の広場に集まった皆を見渡した。
「じゃあ、今日の予定を確認しよう」
最初に手を挙げたのはジェシカだった。
「あたしは畑のお手入れ!あと、昨日の祭りでひよこをもらったからおうち作ってあげようかな!」
次に、ディアとリーネが並ぶ。
「私とリーネは家のことを」
「洗濯と食事の準備をしていきますね」
「ありがとう。おいしいご飯を期待してるぞ」
続いて、ボニーが腕を組んで前に出た。
「私は鉄鉱石も手に入ったので今日は鍛冶場です!」
「森の伐採じゃなくて?」
「はい。今日は人手が足りないので、さすがに一人では難しいです!」
「分かった。伐採は後回しでいい」
「了解です!」
ザリナはいつも通り淡々と告げる。
「あたしは研究だね。そろそろゴムも形に出来そうかな」
「……ウィスも、手伝う」
隣で、ウィスが小さく手を挙げた。
そして、ルナが一歩前に出た。
「兄様、森の探索は、あと一日あれば一通り終わります」
森の地形、魔物の痕跡、資源の有無。ルナが担当してきた、地道な仕事だ。
「一人で大丈夫か?」
「いつも通りです」
そう答えたルナの声は落ち着いている。
「何かあれば、すぐ戻ります」
「約束だぞ」
「はい」
皆がそれぞれの持ち場へ散っていく。
特別なことは何もない。
いつも通りの分担。いつも通りの朝。
だが、ナオトはルナが森へ向かう背中を、ほんの少しだけ長く見送った。
「……あと一日、か」
その言葉が、なぜか胸に残る。
それでもナオトは首を振り、自分の仕事へ向かった。
一方、ルナは森の入り口で立ち止まり、地図を確認する。
「森の最後の区画……」
これまで問題はなかった。
今日も同じはずだった。
そう信じて、ルナは森へ足を踏み入れた。
――その最後が、想定外のものを含んでいるとも知らずに。
―――
冒険者ギルドの奥。
一般の冒険者が立ち入れない区画に、重い扉の部屋がある。
小規模だが機密性の高い会議室だった。
扉が閉まると同時に、外の喧騒は嘘のように遮断された。
円卓を囲むのは、冒険者ギルドマスター、数名の上役冒険者、そして壁際に控えるように立つオルガ、ヴァニラ、ショコラ、フィオラの四人だった。
「では、被害状況の確認だ」
ギルドマスターの一声で、書記役の職員が資料を読み上げる。
「昨夜、成長祈願祭の最中、貴族区画にあるドレク・バリスタ卿の屋敷にて不審火が発生しました。火は屋敷の外壁および倉庫部分を焼きましたが、初期消火により大事には至っていません」
「人的被害は?」
「ありません」
淡々とした報告が続く。
「同時刻、バリスタ卿の屋敷内部より金品の盗難が確認されています。現金、宝飾品の一部。いずれも帳簿外で保管されていたものです」
「犯人は?」
「目下、『無名の盗賊団』でほぼ確定と見ています」
侵入痕、撤退経路、火の使い方。
過去の事件との一致点が、次々と挙げられていく。
その途中、上役の一人が資料から顔を上げ、ふと壁際に控える一行へ視線を向けた。
オルガは腕を組み、表情を変えない。
ヴァニラとショコラも沈黙を保った。
だが、上役の視線は一人に留まる。
「……フィオラ」
名を呼ばれ、フィオラは小さく息を呑んだ。
「『無名の盗賊団』の過去記録に、お前の姉の名前がある」
室内の空気が、ぴんと張り詰める。
オルガが一歩、前に出た。
「待ってください。その件なら――」
庇うように声を上げた瞬間だった。
「大丈夫」
短く、しかしはっきりとした声が、オルガの言葉を遮った。
フィオラが、自ら一歩前へ出る。
オルガは驚いたように彼女を見るが、フィオラは首を横に振った。
「あたしの問題だから。あたしが答える」
そう言ってから、上役たちを真っ直ぐに見据える。
「……姉とは、子供の頃に別れてから長いこと会っていません。ただ、盗賊に身を置いたと聞いています」
ギルドマスターが低く唸る。
「隠し事は許さん。だが、関与の意思がないなら、行動で示せ」
フィオラは深く一礼した。
「……必ず」
その横顔には、覚悟だけが残っていた。
「目撃証言も複数」
別の職員が続ける。
「祭りの人混みに紛れた不審者。火事直後、裏路地へ消える複数の影。スラム方面へ向かったという証言が有力です」
地図の街中、そしてスラム地区に印が付けられていく。
「よし」
ギルドマスターが一度、机を軽く叩いた。
「被害確認は以上だ。次に、探索方針を決める」
空気が切り替わる。
マスターは卓上の地図を指先でなぞった。
「今回の犯行は、祭りの最中に行われた。人が多く、視線が分散する時間帯を狙っている。つまり、事前に街の動線と警備を把握していた可能性が高い」
上役の一人が頷く。
「場当たり的な犯行ではない、ということだな」
「そうだ」
マスターは続ける。
「火を使ったのも、逃走経路を確保するための判断だろう。規模は小さいが、確実に人の目を引く」
地図の貴族区画に印が打たれる。
「そして、撤退経路」
今度は街中の裏路地へ。
「目撃証言は一致している。裏道を抜け、スラム方面へ向かった複数の影だ」
別の上役が補足する。
「祭りの日は、スラム側の検問も緩む。人混みに紛れれば、追跡は難しい」
合理的な推論が、淡々と積み上がっていく。
「以上を踏まえ、探索範囲は三つに分ける」
マスターは指を立てた。
「一つ。街中の裏路地、空き家、倉庫」
地図に小さな円がいくつも描き込まれる。
「二つ。スラム地区。情報屋、顔役、流動人口」
印はさらに広がる。
「三つ。過去に『無名の盗賊団』が使ったとされる拠点」
ここで、ヴァニラが小さく眉を動かしたが、口は挟まない。
「探索は速度重視。物証よりも、人の動きを拾え。聞き込みを主とし、不用意な交戦は避ける。相手は逃げ慣れている」
その言葉に、オルガが一歩前に出る。
「私たちは?」
「お前達は実働班だ。街中班とスラム班に分ける。状況次第で合流も可能」
「了解」
オルガは短く応じる。
「では、各自準備に入れ」
そう告げて、会議は終わった。
オルガたちは一礼し、特別室を後にする。
廊下に出た瞬間、ヴァニラが小さく息を吐いた。
「……良かったんですか?」
オルガは前を向いたまま言った。
「与えられた方針に従いましょう。まずは、それからです」
そのまま、四人は廊下を進み始めた。
足音が、石張りの床に規則正しく響く。
フィオラは、少しだけ後ろを歩いていた。
俯きがちで、普段よりも口数が少ない。
それに気づいたのか、ヴァニラが歩調を緩め、自然と隣に並んだ。
「……フィオラ」
小さな声だった。
フィオラは一瞬、肩を揺らし、ヴァニラを見る。
「大丈夫ですか?」
問いかけは、それだけだった。
事情も、姉のことも、会議の空気も――すべてを含んだ一言。
フィオラは、少しだけ考えるように視線を落とし、それから小さく笑った。
「……うん。大丈夫、だと思う」
自分に言い聞かせるような答えだった。
「本当ですか?」
ヴァニラは歩きながら、前を見たまま尋ねる。
フィオラは、しばらく黙っていたが、やがて息を吐いた。
「……怖いよ。でも、逃げたらもっと怖い気がする」
ヴァニラは、それ以上踏み込まなかった。
「そうですね」
短く頷き、言葉を選ぶ。
「でしたら、私も一緒に行きます」
フィオラは驚いたように目を瞬かせた。
「私たちは仲間ですよ?」
そう言って、ヴァニラは少しだけ笑う。
「うん……ありがとう」
フィオラの声は、少しだけ軽くなっていた。
少し前を歩くオルガは、二人の様子を横目で確認し、何も言わずに歩き続ける。
ショコラもまた、静かに頷くだけだった。
誰も多くを語らない。
だが、その沈黙は、決して冷たいものではなかった。
―――
最初の探索地点は、街中の外れにある廃倉庫群だった。
かつては交易で賑わっていた場所だが、流通の変化とともに使われなくなり、今では人の気配もまばらだ。
建物は低く、影が濃い。
昼間だというのに、倉庫と倉庫の間には薄暗い空気が溜まっていた。
オルガは立ち止まり、拳を軽く握りしめる。
「ここです」
短く告げると、全員が自然に散開した。
足音は殺す。
鎧や装備が触れ合う音すら、意識して抑える。
空気が、張りつめていく。
ヴァニラは指先に微かな魔力を集めながら、周囲を探る。
「……人の気配は、今はないです。でも……」
「でも?」
ショコラが小声で促す。
「最近まで、誰かがいた痕跡はあります。足跡が新しい」
地面には、乾ききっていない土の乱れ。
荷を引きずったような跡。
フィオラはロープを構え、倉庫の影に視線を走らせる。
胸の奥が、わずかにざわついていた。
理由は分からない。
だが、嫌な予感だけが、静かに膨らんでいく。
「不用意に踏み込まないように」
オルガが低く言う。
「静かな場所ほど危険です」
四人は、互いの距離を保ちながら、一歩ずつ前へ進む。
倉庫の扉は、半開きだった。
風に揺れ、ぎい、と小さく軋む。
その音が、やけに大きく響いた。
オルガは手で合図を出す。
止まれ。
全員が動きを止める。
――静かすぎる。
鳥の声もない。
人の話し声どころか、街の雑音すら、ここには届かない。
「……」
オルガは一瞬、倉庫の奥を睨み、そして決断した。
「二人ずつ。私とフィオラ、ヴァニラとショコラ」
フィオラは短く頷く。
この場所が、姉につながっているのかどうか分からない。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
オルガが、ゆっくりと扉に手をかける。
きぃ……と、音を立てて、闇が開いた。
その瞬間。
全員の神経が、極限まで張り詰めた。




