第三章19『成長祈願祭、午前』
朝の光が開拓地の広場に射し込み、まだ空気に少し冷たさの残る時間。
集まった皆の前で、ナオトは軽く息を吸い込んだ。
「今日は作業は休みにしようと思う」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が一気に揺れた。
驚きと期待が混ざったようなざわめきが広がる。
最初に反応したのはショコラだった。
「えっ、ほんとに!?休み!?やった!」
言葉が弾むように飛び出し、両手を突き上げる。
隣のヴァニラは控えめに見えるものの、ほんの少しだけ口元をゆるませていた。
オルガは腕を組んだまま軽く頷く。
「久しぶりの休養ですね」
と落ち着いた声で言う。
フィオラはぱぁっと花が咲いたように笑顔を広げた。
「今日はお祭りだもんね!楽しみ!」
作業休みの宣言で場が明るくなったところで、ナオトは皆を見渡しながら声をかけた。
「ところで、みんな今日はどう動くんだ? 一応、確認しておきたい」
ディア、ジェシカ、リーネ、ウィスの四人は視線を交わし、ディアが代表して答える。
「午前中は家のことを片付けるつもりでしたけど……午後からは皆で祭りに行けますね」
ボニーは小柄な体を張り、いつもの調子で胸を張る。
「じゃあ私は鍛冶場でちょっと遊ばせてもらいます!最近、伐採作業ばっかりだったんで、鉄を打ちたくてウズウズしてたんですよー!」
続いてザリナが手を挙げた。
「私も小屋にこもらせてもらうね。ゴムの樹液がたくさん手に入ったから、試したい実験があるの!」
皆がそれぞれの喜び方を見せていたが、共通するのは 緩んだ表情 だった。
作業が続いていたぶん、休みを告げられた瞬間の空気は柔らかい。
ナオトは全員を見渡しながら続ける。
「今日は成長祈願の祭りだ。屋台の準備や人の流れで混むだろうから、怪我には気をつけるようにしてくれ」
オルガは真面目な顔で一歩前に出た。
「会場の様子は私が先に見ておきます。人が増えるのは昼以降でしょう。ジェシカたちの護衛も任せてください」
ショコラは元気よく手を振り回す。
「ボクは食べ歩きがメイン!屋台の食べ物大好きなんだよね〜! 何食べよっかな〜!」
「ショコラ、はしゃぎすぎです」
その隣で、ヴァニラはショコラを小声で制しつつ姿勢を正す。
「わ、私はまず祈祷に参加します。そのあとは……少し散策を。ショコラのようにはしゃぐつもりはありませんが」
ショコラを注意しながらもヴァニラは嬉しそうに微笑んでいた。
どうやら彼女も楽しみで仕方ないらしい。
こうして、それぞれが思い思いに声を上げ、朝の空気は一気に賑やかになっていった。
皆が散っていく中、ナオトはふぅと息をつき、アークロスの街へ続く道を歩き出した。
今日はカレンと待ち合わせている。
そして、街の入口近く。
赤い影がひらりと揺れた。
「遅いわよ」
腕を組んだカレンが、こちらを睨むでもなく淡々と見ていた。
口調こそ刺々しいが、待っていた気配は隠せていない。
「悪い。皆に作業休みにするって伝えてたんだ」
「はいはい、で?どこ見て回るの?」
「カレンに案内してもらおうと思ってたところだ」
そう言うと、カレンは少しだけ目を細め、だがすぐそっぽを向いた。
「別に案内ってほどのことはしないけど。とにかく歩くわよ」
石畳を歩くたび、街のあちこちから祭りの準備の音が聞こえてきた。
布が揺れ、木枠が組まれ、屋台用の樽や荷車が次々と運ばれていく。
ナオトが視線を向けると、隣を歩くカレンが淡々と口を開いた。
「成長祈願祭は、元々は子どもの健やかな成長を願う神事。今は大人も祈っていいことになってるけど」
「成長祈願祭って、そんなに大きな祭りなのか?」
「あんたそんなことも知らないの?」
カレンは荷車を避けながら、事務的な調子で続けた。
「この祭り、目的は四つ。子どもの成長、作物の成長、事業の成長、それと自身の成長。全部まとめて祈願する日よ。だから成長祈願祭って名前になってるわけ」
「随分と幅が広いんだな。子どもと作物と、事業まで?」
「成長に関わるものなら何でもよ。……まぁ、最優先は子どもだけど」
カレンは腕を組み、街路の先で揺れる布飾りを見上げた。
「街の規模に関係なく、どこでもやってる祭りよ」
「なるほどな……」
「祈祷は午前中。子どもが最前列。その後、奉納。昼は市、屋台、展示。夜は灯籠流し。順番はだいたいどこも同じよ」
言いながら、カレンは指を折っていく。
説明というより、報告書の読み上げに近い口調だ。
「子どもの成長祈願は、家族の義務。作物は農家。事業は職人・商人・冒険者。自身の成長は……まぁ、大人全員が対象」
「大人も祈願するのか?」
「当然。年齢で区切る意味なんてないでしょ」
カレンはそう言うと、足を止め、広場に並び始めた屋台をじっと眺めた。
「以上。成長祈願祭の概要はそんなところ。質問ある?」
「あぁ、なんとなくわかったよ」
呆れかけて、カレンはそこで口を噤む。
説教しそうになった自分を察したのだろう。
「……まぁいいわ。祭りの日は、商業的には人の動きが活発になる日よ。買い物も増えるし、外から人が来る。商業ギルドとしては毎年重要な調査の機会」
「なるほど。カレンがこの日に来てるのも仕事のためってことか」
「当然でしょ。あたし、祭りを楽しみに来たわけじゃないから」
即答。
それはぶっきらぼうだが、嘘のない声だった。
ナオトは思わず苦笑する。
カレンは眉をひそめ、面倒そうに続けた。
「アンタ、あたしがどれだけ仕事抱えてるか知らないでしょ。余計な話してる暇があるなら、頭の中で案件の優先順位整理してる方がマシなの」
それは冗談ではなく、本音そのままだった。
淡々と、刺々しく、でもどこか不器用に。
カレンという女の、よく知っている話し方だった。
露店の並ぶ通りに足を踏み入れると、香ばしい匂いと音楽が流れ込んでくる。
子どもたちが笑い、職人が自慢の品を張り上げて売る。
そんな中でも、カレンは周囲を業務的な目で見ていた。
「この露店の配置、去年より改善されてるわね。動線の詰まりが少ない。多分、出店申請の処理方法を変えたのよ」
「祭りなのに、仕事目線だな」
「商業ギルドの関係者なら普段から情報収集しておくものよ」
彼女は本気で、心の底からそう言った。
「それに、こういう時こそ商機の濃淡が見えるの。誰が強いか、誰が伸びるか、どこが沈むか……祭りは全部露わになる」
「仕事の話、好きだよな」
すると、カレンは一瞬だけ歩みを止めた。
視線は前のままだが、少しだけ言葉のトーンが落ちる。
「好きって言い方は、違うわよ」
「そうか?」
「あたしはお金の為に働いている。幸せになるにはお金が必要。だから仕事してる。ただそれだけ」
淡々としているのに、妙に重い一言。
だが、彼女はすぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「まぁ、そういうわけだから。あんたは勝手に楽しみなさいよ。あたしはあたしで、調べることが山ほどあるんだから」
「一緒に回らないのか?」
「一緒に回って見てるでしょ。楽しむのはあんたに任せるわ」
きっぱり言い切りながら、歩みは隣に揃えたまま。
どこか矛盾した態度のまま、カレンは露店の並ぶ道を進んでいく。
「なぁカレン。たまにはさ、仕事以外の話をしようぜ」
カレンの耳がピクリと動く。
振り向いた彼女は、相変わらず冷ややかな目でナオトを見上げた。
「興味ないわ」
「いや、俺が興味あるんだよ」
カレンの眉がぴくりと跳ねる。
「は?」
「カレンのこと、もっと教えてくれって話だよ」
一瞬だけ、風が止まったように感じた。
カレンの尻尾が微妙に膨らみ、そして――
「いやらしい」
「なんでそうなるんだよ!?」
ナオトは両手を広げて抗議する。
カレンはまったく悪びれずに続けた。
「そういうこと言う男は、大抵ろくでもないこと考えてるのよ。汚らわしい」
「それ偏見だろ!俺は普通の話をしたいだけだよ。趣味とか、好きな食べ物とか、そういうの!」
カレンはふん、と鼻を鳴らし、視線を横に流した。
「そんなもの聞いてどうするのよ」
「知りたいから聞いてるんだよ」
「意味わかんない」
口調はぶっきらぼうなのに、否定せず、歩き出しもしない。聞く気はゼロという態度にしては、返事が早い。
ナオトはそれに気づき、少しだけ笑う。
「たとえばさ、今日みたいな祭りの日。何か楽しみとかあるだろ」
「仕事」
「ほら、そういうのじゃなくてだな……」
ナオトは並んだ屋台を眺めながら言った。
「焼き鳥、串焼き、揚げパン、焼きリンゴ、薬草茶。この中だったら何が食べたい?」
「別に。どれも栄養価はあるし、目的に応じて——」
「いや、目的とか効率とか抜きで。単純に好きな食べ物」
カレンの視線がふとある屋台で止まった。
焼きリンゴの屋台。
ふわりと漂う、甘い香り。
「……あれは悪くない」
「焼きリンゴ?」
「えぇ。何か問題ある?」
「いや、焼きリンゴ好きなんだな?」
カレンは少しだけ息を吸い、淡々と断言した。
「……えぇ」
ナオトの口元が緩む。
「最初からそう言えばいいのに」
「別に報告義務、ないでしょ」
「今日は仕事じゃなくて祭りなんだって。普通の話しようぜ」
カレンはナオトを見る。
「あたしの話を聞きたいなら、焼きリンゴと飲み物買って来なさい」
「了解」
ナオトが屋台へ向かって歩き出す。
その背をカレンは無表情のまま見つめていた。
―――
ナオトは受け取った焼きリンゴと、ほんのり冷えた薬草茶のカップをカレンに差し出す。
「ほい、焼きリンゴ。飲み物もな」
カレンは無言で受け取った。
表面に染み込んだ蜜がきらりと光る焼きリンゴへ、そっとかじりつく。
ふわり、とその表情がやわらぐ。
仕事のときの鋭さも、報告書を突きつけてくる強さもなく。
ただ、美味しいものを食べた少女の顔。
「お前……そんな顔するんだな」
カレンの肩がピクリと跳ねた。
すぐに表情が引き締まり、睨みつけてくる。
「死になさい」
「いやいや、褒めたんだって!」
カレンはふた口目を無言でかじる。
ナオトは苦笑しながら薬草茶を一口飲む。
「そうだ、カレンは休みの日なにしてんだ?」
「読書、気が向いたら散歩」
「へぇ、本読むんだな。実は俺も昔はよく読んでたんだよ。故郷にいたときは特に、ライトノベルばっかり読んでた」
カレンの耳がピクリと動く。
「ライト……ノベル?なにそれ」
「冒険とかバトルものとか、気軽に読める物語だよ。主人公が強くなったり、仲間が増えたりしていくやつ」
カレンは無言で聞いている。
否定しない。ただ、静かに興味は示している。そんな距離感。
ナオトは少し得意げに続けた。
「俺のオススメラノベ、教えてやるよ。絶対面白いからさ」
「興味ない」
即答。
ナオトは肩を落とした。
「……そっか。まあ、そうだよな……」
ほんの少し寂しそうに笑う。
カレンはそれを見ると、視線をそらし、小さく口を開いた。
「……あたしが興味あるのは……恋愛小説だから」
ナオトは一瞬きょとんとした。
カレンの横顔は赤い。
焼きリンゴの熱気のせいだけではなかった。
ナオトは驚いたように目を丸くしたが、すぐにやわらかく笑った。
「恋愛もの好きなのか?」
「悪い?」
「いや、全然。むしろ、ちょっと意外だったかな。カレンって、仕事一筋って感じだからさ。でも、恋愛か……俺も結構読むぞ」
カレンの手がぴたりと止まった。
「は?」
「ライトノベルだけどな。冒険ものが多いけど、恋愛要素が強いのも好きだった。主人公とヒロインの距離が縮んでいくやつとか、すげぇワクワクした」
カレンは目を細める。
「あんた、恋愛もの読んでニヤニヤしてたタイプ?」
「言い方!……まあ、少しはあったかもしれんけどさ」
「いやらしい」
言葉は刺々しいが、その表情はどこか穏やかだ。
ナオトが自分と同じ恋愛読者だったことに、意外と嬉しそうな空気さえ漂っている。
ナオトは続けた。
「だからさ、カレンがどんな恋愛小説読んでるのか、少し気になるんだよ。どんなのが好きなんだ?」
「あんたに教える義理ないけど」
「そこをなんとか」
カレンはほんの一瞬迷ったあと、小声でつぶやいた。
「『永遠の赤い鎖』」
「ん?」
祭りのざわめきの中で、カレンの声だけが少し柔らかく響いた。
「……子どもの頃から、ずっと好きなおとぎ話よ」
「へぇ?どんなの?」
「勇者とお姫様が運命の赤い鎖で結ばれる真実の愛の物語よ」
「ロマンチックじゃん。そういうの好きだったのか?」
カレンはむっとした顔を見せるが、しばらくして視線を落とす。
「まあ、嫌いじゃないってだけ。昔からあの話読むと、なんか安心するのよ」
「安心?」
「どれだけ遠くに行っても、どんな困難な状況でも、愛する人を想うことができるって……良くない?」
ナオトは驚いたように瞬きをした。
カレンの声はいつもより柔らかく、どこか幼い記憶に触れているようだった。
「意外だな。カレンがそんな風に、誰かを信じる話を好きだなんて」
「バカにしてんの?」
「ち、違うって!むしろ……なんかいいなって思っただけ」
「……はぁ、なんでアンタなんかに言っちゃったのかしら」
「じゃあ、カレンもそういう勇者様を待ってたりするのか?」
軽口のつもりだった。
だがカレンは一拍置いて、わざとらしく鼻で笑った。
「は?あたしが待ってるのは大金を持ってくるカモよ」
「ロマン全部消し飛んだな!?」
思わず大声でツッコんでしまい、周囲の屋台の人がくすっと笑う。
しかしカレンは気にした様子もなく、淡々と続けた。
「この街がひっくり返るくらいの大金を用意しなさい。そしたらあんたを囲う女の一人になってあげるわ」
そう言って、カレンは再び焼きリンゴをかじった。
ほんの少しだけ、さっきより表情が柔らかい気がして――
ナオトはその変化に気づいたが、口には出さなかった。




