第三章18『双丘』
森の作業を終え、ナオトとザリナは拠点へ戻ってきた。
「結果は上々だったね、師匠。私はまたゴムの分析に戻るね」
ザリナは軽く手を振ると、小屋へと姿を消した。
ナオトは深呼吸を一つし、周囲を見渡す。
その視界になぜか増えている人影が映り込んだ。
丸太椅子に腰かけた老人、杖をつきながら談笑している老人、地面に膝をついてストレッチのような真似をしている老人。
数人の老人たちが、ナオトを見つけた瞬間、パッと表情が明るくなる。
「おお、あんたがナオトの兄ちゃんか!」
「痛ぇところが山ほどあるんじゃ。頼むぞ若いの!」
「噂聞いたらじっとしとれんかったわい」
「……また増えてる」
ナオトは手を上げ、輪の中心へ歩み寄る。
老人たちの期待に満ちた視線が集中し、ナオトは観念した。
―――
ナオトは老人の一人を椅子に座らせ、背をゆっくりと押し始める。
指先に触れた筋肉は固く、長年の労働の疲れが積み重なっているのがわかる。
呼吸を合わせ、関節の角度を調整し、無理のない範囲で動きを導く。
周囲では順番待ちの老人たちが静かに見守っていた。
ナオトは一人、また一人と、身体の歪みを整えていく。
骨の位置が正される感触、筋膜が緩んでいく変化を確かに感じながら、淡々と作業を続けた。
午後の日差しが傾く頃には、老人たちの顔には穏やかな色が戻り、腰をさすりながら立ち上がる者、背筋を伸ばして驚く者、足取りが軽くなったことを確かめる者など、それぞれが満足げな様子を見せていた。
「こんなに軽くなるとは思わなんだ!」
「本当に助かった。噂がここまでとは……」
「わざわざ来てよかったわい。礼を言わせてくれ」
「次に来るときは、ちゃんと手土産でも持ってくるよ!」
足取り軽く、肩を回しながら、彼らは散っていった。
建設中の屋敷のほうを見ると、作業を終えた大工たちが数人、こちらへ集まってくる。
「おう、ナオト。今日も世話になったな」
「こっちは片付いたぜ。あとは寝るだけだ」
「今日の作業はさすがに堪えたな」
ナオトは少し肩をすくめて答えた。
「今日はみんなに本当に助けてもらった。作業のお礼も兼ねて、順番に診るよ」
最初に横になったのは、白髪混じりの年配の職人だった。
張りつめた腰の筋をゆっくり押し流し、長年の作業で固まった肩甲骨まわりを丁寧に解していく。
彼は静かに息を吐き、
指先から力の抜けていく感覚を確かめるように身じろぎした。
ナオトは一人ひとりの身体の癖を読み取り、
背中から腰へと流れるラインを整えていった。
夕日が沈むのに合わせ、橙色の作業場がゆっくりと夜の青へと溶けていく。
ランタンが灯される頃には、最後の一人の呼吸が深く落ち着いたものへと変わっていた。
「ふぅ〜〜、やっぱ効くわい」
年配の職人が腰を伸ばすと、骨の鳴る軽い音が響いた。
「明日も動けるわ。助かったぞ、ナオト」
「オレもだ!背中が別物みたいだ!」
「これなら明日の作業も余裕だな!」
大工たちが肩を回しながら笑い合い、彼らに混ざって親方も頷く。
「ナオト殿、お前さんの整体は大したもんだ。作業の礼なんて言うが……こっちが助けられとるよ」
作業場に、満足げな笑い声が心地よく響く。
大工たちが散っていく頃には、空はすっかり夜の帳に包まれていた。
ナオトは軽く伸びをしながら、静まりつつある開拓地を見渡した。
「……汗もかいたし風呂に入るか」
そう呟いて、ゆっくりと歩き出す。
―――
湯気がやわらかく立ちのぼり、灯りの暖色が木壁に揺れていた。
夜の湯はちょうどよい熱さで、肩まで沈めたナオトの身体から、ゆっくりと疲れが抜けていく。
今日の開拓地も慌ただしかった。
気がつけばすっかり夜も更けていた。
湯面に手を添えると、軽い波紋が広がる。
そのゆっくりとした揺れを見つめているうちに、頭の中の思考も同じリズムで緩んでいった。
――あとは、明日の段取りを……。
そこまで考えたところで、意識がふっと沈む。
湯の温かさが全身を包み込み、まるで布団にくるまれているような心地よさだった。
今日の労働の疲れがどっと押し寄せ、まぶたが勝手に閉じていく。
胸にもたれかかってくる眠気が、一度波が引いてもまた寄せてくる。
湯の音、木のきしむ微かな音。
すべてが遠く、丸くなっていく。
――少しだけ。ほんの少しだけ目を閉じるだけだ。
自分に言い訳するように、ナオトは背を預ける。
湯のぬるい揺れに身体が沈むにつれ、意識の境界が次第に曖昧になっていった。
肩まで沈めた瞬間に、全身の力が抜け、思考もふっと軽くなったのを覚えている。
――そのまま、眠ってしまった。
どれほど経ったのか、感覚は曖昧だ。
ただ、微かに、人の声だけが水越しに耳へ届いてくる。
「……入っちゃいましょうか。せっかくですし」
「……ちょっ、ちょっと、 だめだってば」
「声が大きいですよ」
「ご、ごめん。あ、あったかい」
女性の声。それも、二人。
……ん?
なんで女の子の声が……?
湯気のざわめきに混じる声を聞きながら、ナオトは半分寝ぼけたまま、うっすら目を開いた。
ぼんやりした視界の中。
湯船には、ふたりのシルエット。
肩まで湯に浸かり、仲良く並んで――
「……ああ、夢か」
これは夢だ、そう納得して、ナオトは再び目を閉じた。
その直後――
耳元で、はっきりと声がする。
「……ナオトさん、起こしてしまいましたか?」
「ちょっと、まだ寝てるって」
夢にしては距離が近い。
夢にしては音が鮮明すぎる。
そして俺は、再び恐る恐る目を開けた。
――すぐ横に、ヴァニラが穏やかに微笑んでいた。
「…………っ!? え、ヴァニラ!? なんで!? なんで隣にいるんだ!?」
「えっと……その、普通に汗を流そうと思ってお風呂に入ってきただけですよ?」
丁寧で落ち着いた声色。
「いや、この状況は普通じゃないだろ!」
「ナ、ナオト……ボクは止めたんだよ……! 」
ショコラは顔を真っ赤にして湯に沈みかけている。
夢じゃない!?
完全に現実!?
俺の心臓は一気に跳ねた。
叫びそうになるのを堪えつつ、湯船から慌てて立ち上がろうとする。
「ご、ごめん!! 今すぐ出る!! これはダメなやつだろ!!」
湯が波打ち、ナオトは縁につかまって体を起こそうとした――が。
「ナオトさん、少し落ち着いてください。サンマリナで混浴温泉に入った中ではないですか」
ヴァニラの細い手が、俺の肩をそっと押さえた。
「だ、だめだってヴァニラ!! あのときは羽衣着てただろ!?このままじゃいろいろ見えるって!!」
「大丈夫です。タオルを巻いてますから」
「……へ?」
「ほら、大丈夫だってば。安心しなよ」
ショコラまで湯の中から小さく手を振ってくる。
「タオル……巻いてる……?」
「はい。ですから、そこまで焦られなくても」
「そんなにビビると逆に恥ずかしいよ?」
……タオル巻いてるだけで状況が改善するわけじゃないが。
それでも、少しだけ現実感が戻り、心臓の暴走はなんとか落ち着きはじめた。
「……いや、それでもだろ……」
「ナオトさん、落ち着いてください」
「ナオト、落ち着きなよ」
両側から言われ、俺は思わず空を見上げる。
「……どうしてこうなったんだ」
疲れて寝てしまった俺のせいか?
いや、それは違う。
絶対にヴァニラのせいだ。
「せっかくですから少しお話ししたかっただけです」
「ボクは……別に……お風呂に入りに来ただけで……」
「……はぁ……わかったよ」
ナオトの両隣りで、二人の少女が湯気に包まれながら微笑む。
「はい。ごゆっくりどうぞ、ナオトさん」
「……慌てすぎだよ、ナオト」
結局――ナオトは湯船に戻された。
タオル一枚で、ヴァニラとショコラと並んで。
お湯に身を沈め、ナオトはふと思い出したことを口にした。
「そうだ、ショコラ。オルガが褒めてたぞ。伐採のあとの切り株を全部、炎魔法で処理してくれたんだろ?すごい魔力量だって驚いてた」
ショコラがぱあっと顔を明るくする。
「でしょ?なんかね、ボク……ナオトの整体受けてから魔力量上がった気がするんだよね」
「整体で魔力量が上がるのか……?」
自分でもよくわからないが、喜んでるならまあいい。
俺は続けてヴァニラに向き直る。
「それと、ヴァニラ。防御魔法で作ってくれた壁のおかげで作業が捗ったとも言ってたぞ。表面、滑らかにしないといけないんだろ?」
ショコラが補足するようにうなずく。
「そうそう。でこぼこがあると力を分散できなくて、効率が下がっちゃうから。滑らかな壁にする必要があるんだよ」
その瞬間──
ヴァニラの肩が、かすかに震えた。
「……な、滑らかな……壁……」
湯気の向こうで、彼女が自分の胸元を押さえる仕草が見えた。
(あっ……気にしてるんだよな、そこ……)
視線はすぐに逸らされたが、耳まで赤い。
双子で、ショコラと比べられることが多いから余計にだろう。
ショコラは無自覚ににこにこしていて、まったく気づいていない。
ヴァニラは、さらに湯に深く沈んでしまった。
思い出したような仕草で、ショコラが言う。
「でもね、ヴァニラの壁、ほんとにきれいなんだよ?ボクの炎よりずっと繊細で、ちょっと自慢なんだ〜」
(いやこれは絶対に触れちゃダメなやつだ)
ナオトは、ヴァニラが胸元を気にしてうつむくのを見て、速度最速で話題を切り替えた。
「そ、そういえばさ! 二人とも、話したいことがあるって言ってただろ?壁のことじゃなくて、もっと他の話」
ヴァニラとショコラが顔を見合わせ、うなずいた。
「うん……ちょっとだけ、昔のことになるけど」
ショコラは言葉をゆっくりと紡ぐ。
「ボクたち、小さい頃はスラムで暮らしてたけど……けっこう、ギリギリの生活だったんだ。お金なんてないし、家も崩れそうで。食べ物だって、毎日なんて手に入らなかった。」
ヴァニラが静かに続ける。
「だから……いつも私たちを助けてくれた人がいたんです。トーヴィア、よく畑で採れた野菜を分けてくれたわ。あれがなかったら、冬を越せたかどうか……わからないくらい」
ショコラはこくりとうなずき、少し笑った。
「家族みたいに世話してくれたのはオルガなんだ。
ボクたち、子どもの頃は体が弱くてさ。走って逃げることもできないのに、スラムには悪いやつも多くて……いつもオルガが前に出て守ってくれた」
月の光に照らされる二人は、どこか誇らしげでもあった。
その記憶は苦しいけれど、同時に支えにもなっているのだろう。
「だからこそ、あの場所で、困っている子を見過ごすのが本当に辛かったんです。助けてあげたいって思っても、私たち自身に余裕がなかったから」
「でね、思っちゃったんだ。自分たちが守られて救われたんだから、今度はボクたちが守る側になりたいって」
ナオトは無意識に息を呑んでいた。
焚き火が揺らぎ、二人の真剣な瞳を照らし出す。
「ここに、家のない子どもたちが安心して暮らせる場所を作りたいんです。ただ食べるだけじゃなくて、学んで、育って、未来を選べる場所を」
「スラムの子って、将来が選べないんだよ。生き残ることで精一杯でさ。でも、ここなら……きっと変えられる」
「それに……最近、よく思うんです。ジェシカちゃんやリーネちゃん、ウィスちゃん……みんな同じスラム出身だったのに、ここに来てから、すごく楽しそうにしてるでしょう?」
「ウィスもさ、あんなにいたずらっ子だとは思わなかったよ。スラムにいた頃は、もっと自分を押し殺す子だった」
たしかに、とナオトも心の中で頷いた。
ここで過ごす毎日は、彼女たちを確かに変えたのだ。
ナオトの胸に、暖かいものと同時に重い決意が広がる。
二人の願いは、たしかにここへ至る理由を持っていた。
「……わかった。いや、正直いうと……二人の想い、すげぇ刺さったよ。手伝う。絶対に。スラムの子たちが未来を選べる場所をみんなで作ろう」
ヴァニラが静かに微笑み、ショコラがふわっと肩の力を抜いた。
「それにしても……やっぱり双子なんだな。性格も見た目もけっこう違うけど、芯のところがちゃんと同じっていうかさ。」
ショコラが首をかしげる。
「ん?そんなに外見違うかな?まあ、性格は真逆ってよく言われるけど……」
ヴァニラはショコラの言葉を聞いた瞬間、なぜか眉をひそめた。
「いやでも、外見も結構違うだろ……?」
言った瞬間、ナオトの視線がほんの一瞬だけショコラの胸元へ揺れてしまった。
(……あ、やばい!!今の完全にアウトだ!!)
自分でも気づくほど、一瞬だけだった。
しかし――
その一瞬を、ヴァニラは絶対に見逃さない。
「今、目線、ショコラの胸元に行きましたよね?やっぱり、結局男性は大きいほうがいいんですね!」
「ちょ、違う!!本当に違う!!ていうか俺は胸のことなんて――」
ショコラが胸を押さえて苦笑した。
「胸が大きくたって良いことなんか一個もないよ。肩は凝るし、男の人はじろじろ見てくるし……」
すると、ヴァニラがぴくりと眉をひそめた。
「……それは持たない側には嫌味にしか聞こえません」
ショコラは慌てて身を乗り出す。
「そ、そんなつもりじゃないって!むしろボクは逆に、ヴァニラくらいになりたいよ!」
ヴァニラは目を細めた。
「……なら、それ、よこしなさい」
「ちょ、ちょっと!?ナオトが見てるから!!」
「見られても減るもんじゃないでしょう!むしろ減らした方がいいんじゃないですか!?いいからよこしなさい!!」
「い、痛い痛いって!そんなに引っ張ったら――
あっ!!」
――バサッ。
ショコラの巻いていたタオルが、見事なまでに勢いよく、無抵抗に落ちていった。
そして。
ナオトの目の前に双丘が、堂々と、何のガードもなく、しっかりと、存在感をもってそびえ立った。
ショコラの顔が真っ赤になった。
「み、見るなぁぁぁぁ!!」
叫ぶと同時に、両手から火球が同時に発生する。
火球は迷いなくナオトの顔面めがけて一直線に飛んできた。
しかし、爆発寸前。
ヴァニラの魔法陣がぱっと展開され、透明で滑らかな壁が瞬時に形成された。
火球はヴァニラの防御魔法にぶつかり、ぱん、と軽い破裂音を立てて四散した。
衝撃で湯船の湯が弾け、しぶきを撒き散らし、そのまま細かな雨となって降り注ぐ。
湯のしずくが肌に落ちるたび、ナオトはまだじんと残る熱を感じていた。
呆れと、驚きと、なんとなくの申し訳なさが胸に混ざっている。
ショコラは真っ赤な顔でタオルをかき集め、ヴァニラは「危ないでしょうが!」と怒っているのに、耳まで赤く染めて目を逸らしていた。
ナオトはぼんやりと、降り注ぐ湯の雨を見上げながら思う。
――スラムの子供たちが笑える場所を作る。
――みんなが未来の話を、胸を張ってできる場所を。
そんな想いが、胸の奥で静かに熱を帯びていく。
明日は成長祈願の祭りの日だ。
ナオトは滴る湯を払いながら、心の中で小さく決意を固めた。
――必ず皆と一緒に、良い未来を作る。
湯気の上に立つ光が、どこか祝福のように揺れていた。




