第三章15『この布団は心地良い』
ナオトが布団に入り、静かに目を閉じようとしたその瞬間。
布団の端が、ふわりと持ち上がった。
誰かが布団に入ってくる。
「……誰だ?」
「まだ、魔力の供給を済ませておらんじゃろ。妾が来ぬと、お主すぐ忘れおる」
「パメラ、入ってくんなよ。分かったよ、やればいいんだろ」
パメラは無言でナオトの額へ手を伸ばし、わずかに身を寄せる。
そして、淡々と唇を額に近づけ――
「……終わりじゃ。これで今日の契約分は済んだ」
ナオトは息をついて布団に戻る。
「なら、布団から出ろよ。もう寝るから」
しかし、パメラは動かない。
布団の中にぴたりと留まったまま、視線だけを向けてくる。
「……嫌じゃ」
「嫌って……なんでだよ」
「出るのが面倒なのじゃ」
布団の端を指でつまみながら、ぶっきらぼうに言う。
「……だからって、俺の布団にずっと居座る気かよ」
「妾が決める。今は動きたくない。それだけじゃ」
言い切り、微動だにしない。
少しだけ毛布を握る指が強まる。
「……ここは暖かい」
「そりゃ、布団は暖かいだろ」
「人形の時も、その前も妾はずっと一人じゃった」
「俺は一人の方が布団が広く使えていいけどな」
ナオトは諦めて、反対側を向く。
少しためらいながら昼間の疑問をぶつけた。
「なぁ、パメラ……一つ聞いていいか?」
「なんじゃ。布団から動く気はないが話くらいは聞いてやる」
「昼間、オルガ達の小屋を建ててくれた大工さんたち、みんな年寄りだった。この街に来てから、俺くらいの年齢の男を見た記憶がほとんどない。子供と老人ばかりだ。……何があった?」
布団の中、パメラの気配がかすかに動く。
まぶたを開けず、静かに答えた。
「……今ごろ気付くとはの……」
ナオトは布団の中で体を少し起こす。
「十年前に和平条約が結ばれた聖魔戦争。あれが、この街を変えた」
パメラはゆっくりと息を吐いた。
ぶっきらぼうな声の奥に、かすかな痛みが混じる。
「多くの国が巻き込まれた大戦じゃ。アークロスも例外ではない。若い男は皆、戦場へと駆り出された。……そして、ほとんどが帰らなんだ」
静かに、重い言葉が落とされる。
「生き残った者も少数いたが、戦後は王都が彼らを徴兵し続け、街には戻らなかった。さらには……戦争で家を失った子供たちも、貴族や商会に養子として引き取られ、アークロスから連れ出された」
ナオトの胸が締め付けられる。
「子供まで……か?」
「うむ。家督を継がせたり、戦後の労働力として欲しがる家は多かった。アークロスのような地方は、子供まで差し出すしかなかったのじゃ。結果、アークロスは老人と女と子供しか残らぬ街となった。これが、この地が慢性的な人手不足に陥った理由じゃ」
ナオトは手を握りしめた。
「……それで、人手が足りてないって言ってたのか」
「そういうことじゃ。今この街を支えているのは、老人と女がほとんどじゃ。家も道も、修繕する手が足りぬ。お主が見た人手不足は十年前の戦争の爪痕よ」
ナオトはしばし沈黙した。
胸に重いものが落ちる。
そんな中で、パメラはふっと息を吐く。
「じゃが、これはチャンスでもある」
「確かに、ある意味チャンスかもしれないな」
ナオトが口を開いた。
「……働き盛りの男がいないってことは、逆に考えればそこに需要があるということだ」
「うむ、この街の状況を論理的に突き詰めれば、そうなる。それがお主の役割というわけじゃ」
パメラは目を開き、ゆっくりとナオトを見る。
「長期的に見ればこの街の再建に関わってくることじゃな」
「俺に出来るかな?」
「お主にしか出来ぬことじゃ」
パメラは小さくあきれたように息を吐いた。
「自信を持て、堂々としなければ、娘たちも付いては来ぬぞ」
「そうだな。皆のためにも俺がかっこいいとこ見せてやらねぇと」
「うむ。その意気じゃ」
「俺が今やるべきこと。それは――」
ナオトは小さく息を吸った。
二人の発言は同時だった。
「整体による高齢者の社会復帰」「ハーレム形成」
パメラの言葉はナオトの声に打ち消されていた。
「なんじゃと?」
「働き盛りの男がいないなら働く意欲のある年寄りを活かせばいい」
「いや、働き盛りの男がいないということは結婚適齢期の男がいないということじゃ、つまり――」
しかし、ナオトは自分の世界に入り込んでいた。
「大工のじいさんたち、すごく動けてたし、経験もあるし、無理のない範囲で役割さえ増やせば、街の人手不足は改善できる」
「――お主にとっては選び放題ということじゃろ……ハーレムを……」
「というか、そもそも、俺の世界と比べたら高齢者ってほどの年でもないしな。年金もらえるまで働かないといけない世の中だし、俺の親父もボヤいてたな。あ、久々に親父の顔思い出しちまった」
「……街の未来を考えるなら、人口の再生産を……」
「俺の整体で皆に元気になってもらって、簡単な作業を手分けしてやってもらう。もちろん、その分の報酬は払う。人手不足も解決出来るし、Win-Winだろ」
パメラは眉をひそめる。
「……もしやお主、そういう欲が薄いのではないか?……まあよい。お主の考える労働力の再編も、妾の言った人口の再建もまた、必要な現実じゃ」
パメラは再び布団に顔を沈めた。
息が少しだけゆるむ。
「……この布団は心地良い」
―――
夜明け前、アークロスの空はまだ薄藍色に沈み、森の奥から冷えた空気が流れ込んでいた。
軽く肩を回しながら外に出ると、皆が集まりつつあった。
眠気の残る者、やる気に満ちた者、緊張している者……それぞれの表情が朝の光に浮かぶ。
ナオトは皆の前に立ち、深く息を吸う。
「皆おはよう!まずは事故だけは絶対に避けること。これだけは全員、徹底してくれ」
「「はい!」」
澄んだ朝の空気を震わせるように、力強い返事が返ってきた。
その時、複数の足音が近づいてきた。
「おはようさん、ナオト殿!今日もよろしく頼むよ!」
屋敷建築を担当する四人の大工が、腰に工具をぶら下げてやってくる。
皆、昨日よりも肌艶がよくなったように見える。
さらに、オルガ達の小屋担当の三人も続いて到着。
その後ろから、見慣れない顔の年配者が四名ついてきていた。
「昨日、町で話を聞いてな」
「ここに来ると体が軽くなるって、その、試させてもらえんかね」
腰をさすったり、肩を回したりしながら、遠慮がちに頭を下げてくる。
働く意欲がまだ消えていない――そんな目をしていた。
「もちろんです。無理のない範囲でやりましょう」
それだけ言うと、四人はほっと顔をほころばせた。
伐採担当の四人は森の入り口に集まり『ドミノ倒し計画』の確認をしていた。
「ほ、本当に大丈夫かな?」
ショコラは心配そうにつぶやく。
ヴァニラが落ち着いた声で背中を軽く叩く。
「大丈夫ですよ。手順どおりにやれば危なくないです」
ボニーはというと、朝日より明るい笑顔で手を振ってくる。
「ナオトさん!昨日の整体のおかげで体が軽いです!今日も頑張れそうです!バリバリ倒しちゃいますよ〜!」
「おう、気をつけてな」
そう言うと、四人は森の奥へと駆けていった。
少し離れた場所では、ルナとフィオラが荷物を整えていた。
そこへ、逞しい腕をしたボニーの父、ガルドが現れる。
「今日は手伝わせてもらうぞ。鉄鉱石の採掘は任せてくれ」
「ガルドさん来てくれたんだ!」
フィオラが跳ねるように喜ぶ。
「今日、どれくらい見つかるかな!樹液も集めなきゃ!」
ルナは二人のテンションに微笑みつつも、周囲の安全確認を怠らない。
「足元には気をつけてくださいね、二人とも」
探索班は森の方へ向かって歩き出した。
小屋の中では、ザリナがゴム樹液を睨みながら慎重に触感を確かめていた。
「キュッ……キュッ……」
指で弾くと、小気味よい張りのある音が返ってくる。
彼女は目を輝かせ、メモを走らせた。
「この素材……絶対に使える……!」
興奮した声が小屋中に弾む。
畑では、朝露が光る土の上にジェシカが立ち、軽やかにジョウロを振っていた。
「今日も元気に育ってね~!」
土に触れ、野菜の葉に触れ、楽しそうに動き回る。
彼女の周りだけ、どこか温い空気が流れているようだった。
小屋の外では、ディアが手際よく洗濯物を干している。
リーネはその横で真似をしながら布を絞る。
「こうですか?ディアさん」
「そう、その力加減が丁度いいよ。上手になったね」
柔らかい空気と温かい笑顔が、生活の場を明るく照らしていた。
パメラは伸びをしながら、渋々という顔で森の道へ歩いていく。
「……まったく、面倒じゃの……」
しかし、魔力を使う瞬間だけは瞳が鋭く光る。
地面に手を当て、魔力を流し込むと、足場が硬く締まっていく。
まるで地面そのものが命を持ったように形を変えていく。
この仕事は、彼女にしかできない。
ナオトの横には、いつの間にかウィスが立っていた。
メモ帳を抱えて、じっとこちらを見る。
「……助手、がんばる……」
小さな声だが、決意は強い。
ナオトが軽く頷くと、ウィスはメモ帳を開き、一歩前へ出た。
それぞれの班が森へ、工房へ、畑へ散っていき、まるで大きな時計の歯車が動き始めたかのように、人が動き、音が生まれ、活気が満ちていく。
ナオトはその光景をゆっくりと見渡した。
これだけの人数が、ひとつの目的のために動いている。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
その中心に、自分が立っている。
「……よし。今日も全力でやるか」
新しい一日の始まりを、ナオトは深く噛みしめた。
―――
「じゃあ、順番に見ていきますね。緊張しなくて大丈夫ですよ」
ナオトの声に、年配の四人が少し落ち着かない様子で並んだ。
皆、働く気は十分だが、腰や肩、膝、背中にそれぞれ問題を抱えていて、街で普通の仕事に就くのは難しいらしい。
周囲では大工たちが作業の手を止め、興味深そうに見守っていた。
「まずは、腰の具合が悪い方から」
男性が恐る恐る寝ころぶ。
触った瞬間、ナオトは状態を把握した。
「かなり腰の負担が強いですね。無理してきましたよね?」
「まぁ、昔からのクセでな……い、痛くはねぇよな?」
ナオトが骨盤を調整し、硬くなった筋をほぐすと、男性の表情が変わった。
「え?おい……なんだこれ……動く……?」
上体を起こし、ゆっくりひねってみて、驚愕したように目を丸くする。
「痛み、ほとんどねぇ……。ほんとに良くなってる……」
大工たちの間からざわめきが起きた。
「では、今日の作業を決めていきますね。無理をさせるつもりはありませんので、体調に合わせた仕事になります」
男性は静かに頷いた。
「腰への負担が少ない作業をお願いします。釘打ちや道具の受け渡し、資材整理などが中心です」
「そんな軽い仕事でいいのか? 助かるよ」
次は、肩を押さえていた男性。
「前に肩を痛めてから、腕が上がらなくてな……」
「分かりました。無理しなくていいので、力を抜いてください」
ナオトが肩甲骨まわりを丁寧に動かし、固まった筋をほぐすと、男性は呆然と腕を見つめた。
「……軽い。嘘みたいに軽い……!」
腕を大きく回しては感動したように笑い、周りの空気がさらに熱くなる。
「肩はまだ使いすぎないように。でも体幹はしっかりしているので、荷物の運搬をゆっくりお願いします」
「任せな!今日は腕がよく動く!」
「次の方は、膝ですね」
女性は静かに座り、膝をそっと押さえながら言った。
「昔怪我して、それ以来ずっと痛くて……。長く立っていられないの」
ナオトは膝そのものより、太ももとふくらはぎの硬さに目を向ける。
「ここをゆるめると、膝が動きやすくなりますよ」
施術を終え、女性がゆっくり立ち上がる。
一歩踏み出した瞬間、彼女は小さく息を飲んだ。
「……痛く、ない……?」
もう一歩、さらに一歩。
やがて小さく駆けてみて、両手で口元を押さえる。
「本当に……治ってる……!」
涙ぐむ女性に、周囲から温かな声があがった。
「段差や重いものは避けてください。細かい仕分けをお願いしたいです」
「はい……久しぶりに、ちゃんと働けそうです」
最後は背中の丸い老人のような男性。
呼吸が浅く、胸が固く閉じているのが一目で分かる。
「背中が張って、息がしづらいんじゃないですか?」
「……わかるのかの?」
ナオトは背中の筋をゆるめ、胸郭の動きを広げるよう施術する。
時間はやや長くかかったが、終わって男性がゆっくりと深呼吸した瞬間。
「……ふぅ……。こんなに息がしやすいのはいつ以来かのう」
胸を張り、姿勢が自然に整っている。
「背中が軽い。若返った気分じゃ」
周りの大工たちから拍手が起こった。
「姿勢が良くなったので、座ってできる作業が最適です。道具の手入れ、寸法の計測などをお願いします」
「そういう仕事なら、昔取り仕切っていた頃を思い出しそうだ」
四人が嬉しそうに持ち場へ向かうと、周囲の空気が一気に明るくなった。
「おい見たか?腰のじいさん、姿勢が良くなったぞ」
「ナオトさん、すげぇな……」
大工たちがざわつき、負けじと気合いを入れ直す。
そんな活気を見ながら、ナオトは胸の奥で静かに思う。
十年前の戦争で人が減った街も、まだ立ち上がる力を持っている。
どこか暖かい風を感じながら、ナオトは作業場へと歩き出した。




