第三章11『感謝の無料整体キャンペーン』
「兄様、おはようございます」
ルナは両手を胸の前でそっと重ね、柔らかく微笑んだ。
「おはよう、ルナ。今日の森の探索、よろしく頼む」
「はい。兄様に心配をかけるような無茶はしません。必ず成果を持ち帰ります」
その言葉に、隣のフィオラが元気よく手を挙げる。
「おにいさん、あたしも頑張るよ!今日こそ魔物とか、珍しい植物とか見つけちゃうからね!」
「魔物は見つからない方がいいんだけどな。森はまだまだ未知の場所だ、足元には気を付けてな」
「はーい! でもルナちゃんがいるなら安心だね!」
「ウルルもいるの〜!」
「フィオラさん。調子に乗って走りすぎないでくださいね」
「わかってるってー!」
朝の光の中で、ルナ達の影がゆっくり森の方へ向かって伸びていく。
「ナオトさん、おはようございます!今日は森の伐採作業頑張りますよ!」
ボニーは大きな斧を肩に担ぎ、胸を張った。
「おはよう、ボニー。すごい斧だな」
「ドワーフ御用達の斧です!この斧でサンマリナへの道、まっすぐ作っちゃいますよ。私が木を倒したあと、オルガさんに枝払いと搬出をお願いします!」
オルガが頷く。
「本日も安全第一でいきます。森は想像以上に密集しています。気を抜かず進みましょう」
「今日は天気も良いですし、比較的作業しやすいでしょう。ショコラ、炎魔法の使用は気を付けて下さいね」
「わかってるよー!でも、切り株燃やすのなんて初めてだからワクワクするなー!」
「火力間違ったら火事になりますからね……」
「は、はい……っ」
ヴァニラの小言に、ショコラが肩をすくめて苦笑する。
この姉妹は、対照的でありながら息が合っている。
「皆、頼りにしてる。気を付けて作業してくれ」
四人は揃って頷き、森の深い緑へ消えていった。
最後に、畑の区画へ向かう。
すると、ジェシカがすでに水桶を両手で持ち上げ、飛び跳ねるようにこっちへ走ってきた。
「ナオトお兄ちゃん!おはよー!」
「振り回すと危ないって……ジェシカ!」
後ろからリーネが慌てて追いかける。
穏やかな彼女も、ジェシカ相手では声が少し大きくなる。
「だって、早く水あげたいんだもん!」
「こぼれてるってば……!」
ウィスは二人の少し後ろ、静かに木の板を抱えていた。
「……お、おはようございます」
「おはよう、ウィス。重くないか?」
「だ、だいじょうぶ……これくらいなら、運べる」
そこへ、畑作業の指導役、ディアがやって来る。
「今日は水やりに加えて、獣よけのために柵作りを始めます」
「柵かー!あたしトンカチ使いたい!」
「ジェシカ、それは危ないからわたしがやるね……」
「リーネはすぐ心配しすぎー!」
「心配じゃなくて……リーネにはちょっと……」
ウィスがぽそりと補足する。
「……ジェシカ、釘……まっすぐ打てないから……」
「うっ……が、頑張るよ!」
「では、三人はまず水やりを。ナオト様、後で見回りお願いしますね」
「もちろんだ。怪我はしないようにな」
少女たちはそれぞれの道具を手に取り、柔らかい春の光の中へ向かっていった。
笑い声と小さな足音が畑に広がっていく。
三つのチームが、それぞれ違う方向へ散っていく。
森の奥へ向かう者、森を切り開く者、土地を耕す者。
今はまだ小さな拠点。
しかし、この積み重ねが未来の街を形作っていく。
ナオトは息を吸い込み、空を見上げた。
「……俺、何すればいいんだ?」
―――
ガラガラガラガラ……
荷車を押す音が響いてきた。
「おはよう、ナオト殿!」
朝日を背に、大工の親方が豪快に手を振って現れる。
その後ろには、大工三人もついてきていた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おうっ、今日もバリバリ働くぜ! 昨日までに柱と梁は終わったからな。今日は屋根を一気に組むぞ!」
親方が胸を張って言う。
職人たちも口々に挨拶しながら、手際よく荷物を降ろしはじめた。
ちょうどそのとき、初めて見る三人の大工たちが到着した。
「おはようございます! こちら、ナオトさんでよろしいですか?オルガ殿の依頼で来ました!」
全員、腰に道具袋を下げ、白髪混じりのベテランらしい風格を纏っている。
ナオトが軽く会釈する。
「はい、ナオトです。ようこそ。オルガ達の拠点を建てていただける方々ですね?」
三人は揃って頭を下げる。
「えぇ、その通りで。オルガ殿から冒険者たちが寝泊まりできる簡易小屋を、と頼まれまして」
「若ぇ者より、わしらのほうがこういう仕事は慣れておりますで」
「腕はまだまだ錆びついちゃおりませんよ!」
和やかで、しかしどこか昔気質の響きが混じった声。
その親しみやすさに、ナオトはつい笑ってしまう。
「では、建てる場所を案内します」
ナオトは歩きながら、すでに建ててある丸太小屋の横を指し示した。
「オルガ達の拠点はこの区画にお願いします」
大工たちは場所を確認し、地面を踏みしめ、光の入り具合を見て頷く。
「うん、悪くない場所じゃ」
「よし、早速取りかかるか!」
親方はオルガ達の拠点担当の三名に視線を向ける。
「おう、お前ら。オルガ殿に頼まれた仕事、手ぇ抜くなよ」
「へい!任せてください!」
「何か手伝うことは――」
「こっちは大丈夫ですんでナオトさんはゆっくりしててください」
年配の大工たちは慣れた手つきで木材を運び、作業を進めていく。
ナオトは苦笑しつつ後ろへ下がるしかなかった。
屋敷のほうを見てみると、大工の親方と三人の職人は、屋根の骨組みを組み、板を張り始めている。
見ているだけで危険な作業だ。
「ナオトさん!危険ですので下がっててください!」
「破片が飛ぶかもしれません、気をつけて!」
三人が声をそろえて注意してくる。
「……俺の出る幕はないな」
どちらの作業も、ナオトが直接関われる余地はなかった。
小屋に戻ると午前の作業を終えたディア、ジェシカ、リーネ、ウィスの四人は、水やり道具や木桶を片づけ、昼食の準備が始まった。
「ディアちゃん、今日のお昼は豪華にしようよ!」「豪華って……ジェシカ、材料はちゃんと考えて使わないとダメよ?」
ジェシカが伸びをしながら提案すると、リーネが優しく注意する。
ウィスは静かに薪を抱え、小声で付け加える。
「……大工さんの分も……たくさん、いるから……」
「美味しいご飯を作って喜んでもらいましょうね」
ディアは微笑みながら火を起こし、他の三人に指示を飛ばしていく。
四人とも、忙しそうで、活気がある。
動きに迷いはなく、この生活の流れにしっかり馴染んでいるのが見て取れた。
「手伝おうか?野菜を切るくらいなら出来るぞ」
「いえっ! ナオトさん、座っててください!」
リーネが手を振る。
「そうですよ、ナオト様はゆっくり休んでください。昼食の準備は私たちの仕事ですから」
ディアはにっこり笑い、ジェシカは胸を張って言う。
「だいじょーぶ!あたしたちディアちゃんに料理教えてもらうんだ!」
ウィスは鍋を洗いながら、横目でちらっとこちらを見てつぶやく。
「……休んでて……」
やんわり、しかししっかりとした拒否。
胸の奥に、じわりと焦りのようなものが広がる。
『モルデュラス開拓計画』が始まってから、多くの人が手を貸してくれた。
探索、開拓、建築、畑づくり……誰も彼もが、ナオトのためにと動いてくれている。
なのに、自分はただ頭を下げ、見守るだけ。
(俺が……この場所の中心にいるなんて、言えるのか?)
風が頬を撫でる。
トン、トン……と大工たちの槌の音が響く。
ナオトは静かに目を伏せた。
「ナオト様?」
そっと声がかかった。
振り返ると、昼食の仕込みを終えたディアが立っていた。
「難しい顔してますよ。どうしました?」
ナオトは一瞬迷ったが、隠すほうが不自然だと感じ、正直に口を開いた。
「みんなが頑張ってくれているのに、俺は何も出来てない気がしてな。手伝おうにも、どこにも俺の入る余地がない。俺はただ見ているだけでいいのかって、思ってしまったんだ」
ディアはぽかんと目を丸くし、次の瞬間、くすっと笑った。
「ナオト様、何言ってるんですか」
まるで、そんなこと当然じゃないですか、とでも言うように、あっけらかんとした口調で続ける。
「ナオト様の仕事は『見ていること』です。だからナオト様は見ているだけでいいんです」
「でも、何か手伝った方が良いんじゃないか?」
「ジェシカちゃんもリーネちゃんもウィスちゃんも、頑張ったところを褒めてもらいたいんです。ルナ先輩もそうですね」
ディアは自分の胸を指差して、どこか誇らしげに言う。
「私は仕事が出来る女をアピールして、ナオト様を落とさないといけないですし!」
「自分で言うなよ……」
「でも本当なんですよ。みんな、ナオト様に見てもらいたいんです」
ディアは周囲を見回し、少し声を落とす。
「大工さんたちも冒険者さんたちも一緒です。頑張りを正しく見てくれて、評価してほしいんです。正当な報酬がほしいし、頑張ったら上乗せしてほしい。人はみんなそういうもんですよ」
ナオトは黙ってその言葉を聞いていた。
「だからナオト様の仕事は、みんなをちゃんと見て、褒めてあげて、サボってたら叱ってあげることなんですよ」
「そんなもんなのか」
「そんなものですよ」
ディアは、ひらひらと手を振りながら笑う。
その笑顔はあっけらかんとしているのに、どこか温かい。
「それでも、もっと何かしてあげたいって思うなら――」
ディアはにっこりと笑って、ぴん、と指を立てた。
「ナオト様にしかできないこと、してあげたらいいんです」
「俺にしか出来ないこと……?」
「もう『アレ』しかないじゃないですか」
「……アレ?」
「肩もみですよ!」
ディアは胸を張る。
「昨日、ナオト様に肩もみしてもらってから本当に身体がすっごく軽いんです!あれができる人、他にいませんよ。探索から戻ってくる冒険者さんも、大工さんたちも、絶対助かりますよ」
そこまで言って、ディアはふっと表情を柔らかくした。
「……みんな、頑張ってます。だから、ナオト様の手で癒してあげたら……すごく、喜びますよ」
ナオトはしばらく黙っていたが――
胸の中に溜まっていた曇りが、風に流されるように晴れていくのを感じた。
「……そうだな。俺にできることで、役に立てるなら……やってみるよ」
ディアは嬉しそうに手を叩いた。
「はいっ!その意気です!」
ちょうどそのとき、調理担当の少女たちが鍋をかき混ぜながら顔を上げた。
「昼食、できたよー!」
ジェシカの声が響く。
「ナオトさん、席に座っててくださいね」
リーネが笑う。
ウィスは皿を並べながら、ちらりとナオトを見る。
その視線には、小さな期待が宿っていた。
ナオトは深く息を吸い、立ち上がった。
――よし。午後は、みんなの身体をほぐして回るか。
自分にしかできない役目を胸に、ナオトは昼食の準備が整ったテーブルへ向かった。
―――
皆が席につき、賑やかに食事が始まったタイミング。
ナオトは立ち上がり、軽く手を叩いた。
「みんな、ちょっといいか?」
視線が集まる。
ディアたち畑づくりチーム、そして大工たちも手を止めた。
「えー……今日は皆、協力してくれて、本当にありがとう。そこで、『感謝の無料整体キャンペーン』をやろうと思う」
一瞬、ぽかんとした空気。
「せい……たい?」
「何だそりゃ?」
異世界の皆には馴染みのない単語だった。
ナオトは肩を回しながら続けた。
「簡単に言えば、体のコリや疲れをほぐして楽にする技術だ。触ったり押したりして筋肉を整える。以前、親方にも軽くやったんだけど……」
「おう。あれは効いたぞ」
親方が照れながら腰を伸ばす。
「朝起きた時、痛みが消えててな。正直ビビった」
大工たちからざわざわと驚きの声。
「親方の腰の痛みが……?」
「魔法じゃねぇのか?」
「いや、触っただけって言ってたぞ」
興味津々、半信半疑の視線がナオトへ向く。
「だから、昼休憩の時間を使って、希望者に順番でやるよ。建設組も、畑組も、全員対象だ」
「マジか!」
「背中ずっと痛かったんだよな……」
「ちょっと受けてみたいわ」
空気が一気に明るくなる。
ディアが隣でこっそり得意げにささやいた。
「ほら、皆こういうの待ってるんですよ」
ナオトは苦笑しながら頷いた。
小屋の横に敷いた簡易マットの前で、ナオトは軽く手を叩く。
「じゃあ、希望者から順番ね。無理に受けなくていいぞ」
「お、おう……じゃあ俺から!」
真っ先に手を挙げたのは、若い大工の青年だった。
緊張した面持ちで腰を下ろし、背中を向ける。
「力抜いて。痛かったら言ってくれ」
―――
施術が進むにつれ、大工たちは、みな目に見えて体が軽くなっていった。
疲れが取れるどころか、むしろやる気があふれ出すようで、昼休みの空気はいつの間にかお祭りのように賑やかになっていた。
ディアは腕を組んで、どこか誇らしげに微笑む。
「さすが私のナオト様」
ナオトは額の汗を拭いながら、少し照れくさそうに笑った。
「……なんか、俺もやっと役に立てた気がするよ」
ディアが満足げに頷いた。
「もともと役に立ってますけどね。ほら、次の人来てますよ」
ナオトは小さく苦笑して、両手を軽く回した。
「……よし、次どうぞ」
そのとき、どこからか軽やかな足音が響いた。
「師匠ーっ!」
振り向くと、そこには見覚えのある姿があった。
黒いボディスーツに兎耳、腰には小さな尻尾。
肩までの淡いピーチゴールドの髪が光を受けて揺れていた。




