第一章7『計画犯』
教会の一室に連れ込まれたナオトは、戸惑いを隠せなかった。
白壁に木の机と椅子が置かれているだけの質素な小部屋。扉が閉ざされると、外のざわめきは遠のき、二人きりの空気がいやに濃く感じられる。
少女は胸に手を当て、大きく息を整え、ナオトに振り返った。
「はいっ!それじゃ、服を脱いでください!」
「……はい?」
唐突すぎて耳を疑う。いや、聞き間違いじゃない。今確かに彼女は服を脱げと言った。
(おいおい……ここに来て、そんな展開があるわけ……!)
鼓動が早鐘を打つ。頬が熱くなるのを自覚しながら、ナオトは慌てて言葉を探した。
「えっ、その……ちょ、ちょっと待ってくれ。俺、心の準備っていうか、そういうつもりじゃ――」
「え、心の準備?どういうことですか?」
少女は首をかしげ、大きな琥珀色の瞳をぱちくりさせる。可愛い。
天然なその無垢な表情に、逆にナオトは混乱した。
「ど、どういうことって……そりゃあ……」
言い淀むナオトを前に、少女は再び催促した。
「早く脱いでもらわないと困ります!」
「こ、困るって言われても!」
少女は困ったような表情を浮かべながら、包を机の上に置いた。
「でも濡れた服のままじゃ風邪ひいちゃいますよ? ほらっ、これに着替えてください!寄付で頂いたものですが洗濯はしてありますので」
勢いよく机の上の包みを広げる。現れたのは男性用のシャツとズボン。少し古びて色は褪せているが、きちんと洗濯され、石鹸の香りがほのかに漂う。ナオトはようやく悟った。
(……あ、ああ、そういうことか……!)
つまり単に着替えを用意してくれただけ。服を脱げと言ったのも、濡れた衣服を着替えるためだ。
勘違いしていた自分が恥ずかしすぎて、ナオトは思わず頭を抱えた。
「……俺、完全に誤解してた」
「え?誤解って?」
少女は小首をかしげ、素直な瞳を向けてくる。その無防備さに、ナオトはますます顔が熱くなる。
「な、なんでもない! とにかく、その……ありがとう」
「えへへっ、どういたしまして!」
少女は明るく笑い、服を両手で差し出した。
「さあ、早く着替えてくださいね!わたし、外に出てますから!」
少女は部屋の外に出ていく。ナオトはやっと肩の力を抜き、着替えを始める。
濡れたシャツを脱ぎ、ズボンも替え、新しい服に袖を通す。
――ふと扉の方を見る。扉が少し開いている。
――扉の隙間から少女がこちらを覗いている。
――目が合った。
「……あっ!」
ドアが開く音とともに、慌てたように少女が部屋に入ってくる。
「え、えっと……ちょっと、気になったので様子を見てただけです……」
少女は頬を真っ赤にし、琥珀色の瞳は大きく見開き、手で口元を押さえる。
「ちょ、ちょっと待って!見てないよな!?」
「み、見てませんっ……ほんのちょっとしか……角度が悪くて……」
耳まで真っ赤にして慌てる少女。ナオトも思わず頭を抱えた。
暖炉の火が赤く揺れる小部屋で、ナオトは濡れた服を乾かしていた。火の熱が肌に心地よく伝わり、湿った布の匂いも徐々に和らいでいく。暖かさと静けさが、先ほどまでの騒動を忘れさせてくれる。
少女はナオトの横に立ち、両手を胸の前で組んでにこやかに微笑んでいた。
「乾くまでの間、少しお話しましょうか」
少女の声に、ナオトは少し安心しながら頷いた。
「そうだ、改めて自己紹介しないとな」
ナオトは深呼吸して口を開く。
「俺はイチノセ・ナオト。年齢は25歳だ」
「ナオトさん……25歳……ふむふむ」
少女はにっこり笑い、手を胸に当てる。どこか神聖な雰囲気も漂わせるその笑顔に、ナオトは少し心を和ませられた。
「じゃあ、わたしも……アリア・セラフィーネ。20歳です。ちょうどいいくらいの年の差ですね」
神官服を軽く整えながら、アリアは照れくさそうに微笑んだ。
「ちょうどいいくらいの年の差かはわかんないけど……アリア……神官見習いなんだ」
ナオトは頷き、暖炉の火に目を落とす。
「はいっ!見習い神官としていろいろ頑張ってます。よくドジをして怒られてますけど」
微笑みながら小首をかしげるその姿は、天然で可愛らしく、同時に無邪気さも感じられた。
しばしの沈黙が流れたあと、アリアは口を開いた。
「……あの、そういえば……本当にありがとうございました。あのつぼ、割れなくてよかったです」
「つぼ……?」
ナオトは首をかしげる。
「あのつぼ……実は教会に寄付された、高価なもので割れていたら大変なことになるとこでした。中には聖水が入っていたんですが、こぼれてしまったとしても、また作ればいいんですから」
アリアの声は明るく、少し誇らしげだった。
ナオトは眉をひそめ、暖炉の火を見つめながら問いかける。
「……聖水って、そんなすぐに作れるものなのか?」
アリアははっと顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「ええ、作るっていう言い方はちょっと違うんですが。神聖な泉から汲んできて、祈りを捧げることで、聖なる力を宿らせるんです。」
仕草を交えながら説明する少女。
「それって結構大変なんじゃないか?こぼしちゃって大丈夫なのか?」
「でも、原価はゼロですから」
舌をペロッと出し、肩をすくめる仕草に、ナオトは思わず笑ってしまった。
「なるほど……じゃあ、なんであんな高そうなつぼに入ってるんだ?」
アリアは両手を胸の前に重ね、真剣な眼差しで言った。
「それは……見た目が大事だからです!中身がどんなに神聖でも、容器が素敵じゃなきゃ意味がないんです。たとえば、人間も服装ひとつで印象が全然違いますよね。ちゃんとした服を着ると、清潔で誠実そうに見えるし、逆に汚れた服だと、どんなに中身が優れていても伝わらないことがあるんです」
ナオトは肩をすくめ、昔のことを思い出した。
(……そういえば、新人時代の上司も言ってたな。「スーツと靴は人となりを映す鏡だ。中身は重要だが、第一印象で損をするな」って……あの時はめんどくさいと思って失敗したっけ)
「なるほど……つまり、中身は同じでも、見せ方次第で伝わり方が変わるってことか」
「はいっ!だから、あのつぼを受け止めてくれて本当にありがとうございます!」
アリアはにっこり微笑む。暖炉の光が金糸の刺繍を輝かせ、柔らかさを増していた。
「そういえば、その服、他の神官と違うよな?」
「やっぱり気づきました?」
アリアは嬉しそうにスカートの裾をつまみ、ひらりと揺らして見せた。
「これ、ちょっとおしゃれにアレンジしてるんです。胸元をすっきりさせて、スカートは少し短くしてます。動きやすいし、でも一番の理由は、他の人と同じじゃつまらないから。わたしだってすぐ分かるように、個性を出したいんです」
「なるほど……」
ナオトは頷いた。彼女の明るさは服装にも表れている気がした。
「だから君は普通の神官より、印象が強いのか。真面目そうな服なのに、見てると元気になる」
「えへへっ、褒めてもらえてうれしいです!」
アリアは頬を染めながら胸に手を当てる。
「やっぱり、見た目って大事ですよね!」
「……そういえば、さっきの結婚の話だけど」
ナオトは少し照れながら、勇気を振り絞って訊いた。
アリアは目を大きく見開き、頬を赤く染め、胸に手を当てる。
「……はい、本気です。だって……魂の結びつきを感じたんです」
小さな声でも、瞳は真剣そのものだった。
「魂の結びつき……?」
「はい……説明するのが難しいんですが……わたしの中で、ナオトさん以外にいないってビビビって感じたんです。だから、どうしても結婚してほしいって……思ったんです」
ナオトは暖炉の火を見つめ、深く息をつく。
「……そうか。魂の結びつきか。そ、そういう感覚があるんだな」
少し笑みを浮かべ、ナオトはアリアの視線に向き合った。
「はいっ! だから、これからも……ずっと一緒にいたいって思ってます」
アリアの言葉に、暖炉の火の揺らぎとともに、二人の間に温かく穏やかな空気が流れた。