第三章5『屋敷作りと畑作り』
翌朝、空は淡いオレンジ色に染まり、アークロスの街の遠景から朝日が差し込んでいた。
小屋の前で、ナオトはルナの出発を見送った。ルナは今日もオルガたちと一緒にモルデュラス大森林の探索に向かう。
「行ってらっしゃい、ルナ」
「はい、兄様。気をつけていってきます」
ルナの背中が森の方へ消えた後、ナオトは振り向き、小屋の中で静かに座っているパメラに声をかけた。
「なあ、パメラ。魔法で屋敷を作ったらどうだ? パメラの魔法なら屋敷もどんどん建てられるんじゃ……」
パメラはゆっくりと首を横に振った。
「……それは無理じゃな。魔法で物を作るには、明確なイメージが必要じゃが、妾は屋敷の構造には詳しくない」
ナオトは眉をひそめて訊ねる。
「イメージって……たとえばどんな感じなら可能なんだ?」
パメラは少し考え込み、指を軽く動かして示した。
「……シンプルな丸太づくりの小屋くらいなら、なんとかなるかもしれん」
ナオトは肩をすくめ、苦笑する。
「そっか……そりゃまあ、そうだよな。屋敷丸ごとを魔法で全部作るのは、やっぱり難しいか」
パメラはふん、と鼻を鳴らしながら言う。
「森を丸ごと焼き払うくらいなら造作もないのじゃがな」
「おいおい、物騒なことはやめてくれよ……ボニーは今日はどうするんだ?」
「今日は森の木を切って、屋敷用の木材に加工しようかと思ってます。知り合いに声をかけて、手伝いに来てもらう予定です」
ナオトはうなずき、地面に目を落として考え込む。畑作りと屋敷建設、どちらも人手が必要だ。
「俺も、何人か声をかけてみようかと思ってる」
「いいですね!手を貸してくれる人がいれば、作業もずいぶん捗るはずです」
「よし、じゃあさっそく人手の手配をしにいくか……」
―――
朝の陽光が柔らかく降り注ぐ中、ナオトは歩を進める。
小道の両脇には朝露に濡れた草が揺れ、小鳥のさえずりが耳に心地よく響く。
やがて目的地に到着すると、茅葺きの小屋の前に一人の女性が立っていた。
栗色の長い髪を三つ編みにまとめ、緑色の瞳は森や草原のように穏やかで優しい光を宿している。
日焼けした肌と少し手荒れした手が、長年の畑仕事の経験を物語っていた。
作業着にエプロンをつけ、腰には小さな道具袋を下げている姿からは、働き者でありながらも細やかな気遣いを感じさせる。
「おはようございます、トーヴィアさん」
ナオトが声をかけると、トーヴィアは手に持っていた鍬を地面に置き、にっこりと微笑んだ。
「おはようございます、ナオトさん。今日はどうしたの?」
ナオトは少し歩み寄り、畑の苗や土の状態を眺めながら答える。
「ちょっと畑の様子を見に来たんだ。調子はどう?」
トーヴィアは柔らかな笑みを浮かべ、手を拭きながら言った。
「おかげさまで順調よ。種も芽を出して、元気に育ってるわ。ナオトさんも見てみる?」
ナオトは苗に目を向けると、小さな緑の葉が朝日に照らされて輝いていた。
「うん、いい感じだな。さすがトーヴィアさん」
トーヴィアは少し照れたように笑い、丁寧に土をならしながら答える。
「ありがとうございます。でもまだ油断はできないかな。水やりや土の管理、害虫の確認もあって、気を抜けないから」
しばらくしてナオトは本題に切り出した。
「トーヴィアさん、実はお願いがあって来たんだ。俺の土地の畑づくりを手伝ってもらえないかな?」
トーヴィアは一瞬目を見開き、にっこりと微笑む。
「もちろん、お手伝うわ。詳しく伺ってもいい?」
「実は今住んでる小屋の周りの土地をもらったんで、新しい畑を作りたいんだ。ただ大きい畑を作りたくて人手が足りてなくて……。今日中に少しでも準備を進めたいと思ってるんだけど……」
トーヴィアはうなずき、腕まくりをする。
「分かったわ。でも準備が必要だから、それが済んでからでもいいかしら?」
ナオトは微笑み、目を細めて答えた。
「もちろん、トーヴィアさんがいれば作業が格段に楽になるよ」
トーヴィアは少し頭を下げ、柔らかく応える。
「いえ、私も楽しみだわ。昼頃には伺うね」
二人は畑の前で詳細を確認し、作業の段取りを相談した。
トーヴィアの畑を後にし、ナオトは次の目的地に向かい歩き出す。
―――
ナオトは以前、商業ギルドの依頼で掃除をしに訪れた元大工の男性の家へ向かって歩いていた。
家の周囲は前回よりも手入れが行き届き、庭先の花々が穏やかに風に揺れている。
扉をノックすると、白髪交じりの高齢の男性が顔を出した。
「ああ、ナオト君か。掃除の依頼以来だな」
ナオトはにこりと微笑み、軽く頭を下げる。
「おはようございます。今日は少しお願いがあって伺いました」
「ほう、どんな用だい?」
男性は目を細めてこちらを見つめた。
ナオトは少し身を乗り出し、真剣な声で言った。
「実は、屋敷を建てたいと思っていまして……ぜひ手伝っていただけませんか。人手が足りてないんです」
男性は一瞬、目を見開き、驚いたような表情を見せる。
「屋敷か……ふむ……いやぁ、もう歳でな。現役は引退した身だ。体がついていかん」
「そうですか……やはり、難しいですね」
ナオトは肩を落とし、少しがっかりした様子でうつむく。
男性はしばらく黙って考え込むようにしていたが、やがて表情を変え、穏やかに笑った。
「……だが、安心してくれ。知り合いに優秀な大工がいる。昼頃には連れてこちらに向かわせることができる。そいつらに任せれば、しっかり作ってくれるはずだ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「いやいや、ナオトくんには整体もしてもらって世話になったからな。それに若い人たちが困っているのを放っておけん」
ナオトは深く頭を下げ、穏やかな笑みを浮かべる。
「はい、本当にありがとうございます。それでは昼頃によろしくお願いします」
家を後にしたナオトは、これで屋敷作りの第一歩が踏み出せることを実感する。頭の中で今日の作業の段取りや人手の確保を考えながら、足取り軽くナオトの小屋へと戻っていった。
―――
ナオトが小屋に戻ると、森の方から斧を振るう力強い音が響いてきた。
木々の間でボニーが真剣な表情で木を切り倒している。
その隣には父親のドワーフ、ガルドの姿もあった。
逞しい腕に力を込め、斧を振るたびに木が幹から音を立てて倒れていく。
「ナオトさん、おかえりなさい!」
ボニーはにこやかに手を振りながら声をかけた。明るく元気な声が、森の中に響く。
「お、ナオト殿。今日は手伝わせてもらうよ」
「ガルドさん、助かります!」
ナオトは軽く頭を下げ作業を見守る。
ボニーは元気よく斧を振るいながら笑顔を向ける。
「ナオトさんは畑作りで大変でしょうから、こっちの作業は私たちに任せてください!」
ガルドも頷き、力強く斧を振るう。
「そうだ、今日は昼までにできるだけ木を倒して、運びやすくするぞ!」
ボニーは倒した木を整理しながら、ナオトに説明する。
「ナオトさん、このあたりの木は比較的柔らかいので、こちらから順番に切っていきます。切り終えた木は私とお父さんでまとめて運びますから、ご心配なく!」
ナオトは少し微笑んだ。
「ありがとう、ボニー。屋敷の建材も十分に集まりそうだな」
斧の音が森に響き渡り、父娘の連携は見事なものだった。
昼の陽射しが小屋の前に差し込む頃、遠くの小道に三人の男性が現れた。
先頭には白髪交じりの元大工の男性が、後ろには中年の男性三人が木材や道具を肩にかけて続いている。
「悪い悪い、待たせたな!」
元大工の男性が大きく手を振る。力強い声に、森の静けさが少しだけざわめいた。
「今日から屋敷作りを手伝わせてもらう。安全第一で怪我しないように」
中年の男性たちは頷き、斧や鋸、ハンマーを手に準備を整える。
「まずは木材を切り揃え、配置を整えていく。梁材や柱の順番は指示に従うこと」
元大工の男性は巻き尺や道具を巧みに使い、的確に指示を出す。
三人の大工たちはテキパキと作業を開始する。
木材を持ち上げ、切り揃え、順番に並べていく。
木の香りと工具の音が小屋の周囲に響き渡る。
元大工は時折声を張り、指示を飛ばす。
「梁材はここに置いて!組み立て順を間違えるな!柱は立てる前に水平を確認!倒れないように!」
ボニーとガルドも指示に従い、手際よく木材を運び出す。作業は着実に進んでいった。
ナオトは畑作りをしながらも、時折屋敷作りの様子に目をやる。
「順調そうだな……。元大工さんが監督してくれるから、安心して任せられる」
ボニーが明るく声を上げる。
「ナオトさんは安心して畑作りに集中してください!」
ナオトは軽く頷き、にっこりと笑った。
「ありがとう、ボニー。俺も頑張らないと」
畑の土を均しながら、ナオトは汗を拭った。午前の作業もそろそろひと段落しそうな頃、遠くの小道に軽やかな足音が響いてきた。
「おや、あの声は……?」
ナオトが目を向けると、トーヴィアがにこやかに手を振りながらやってくる。
「ナオトさん!こんにちは!」
トーヴィアの声に続き、彼女の後ろから小さな三人の少女たちが顔を覗かせた。
みな笑顔で、少し緊張した様子もあるが、目には好奇心と元気が溢れている。
「こ、この子たちは……?」
ナオトが目を丸くする。トーヴィアは微笑みながら手を振り、少女たちを紹介した。
「こちらは私が仲良くしているスラムの子たちだよ。畑作りを手伝ってもらうために来てもらったの」
少女たちは小さく頭を下げ、元気に声を合わせる。
「いっぱい手伝います!」
「よろしくお願いします」
「……頑張ります」
ナオトは一歩前に出て、柔らかく微笑む。
「分かった、よろしくな。君たちの力があれば、畑作りもずっと早く進むはずだ」
トーヴィアは少女たちの肩を軽く叩き、励ますように声をかける。
「はい、皆さん。今日の収穫は野菜が中心です。土を耕し、苗を植え、丁寧に手入れをしていきましょう」
少女たちは目を輝かせ、手に手袋をつける。ナオトは自分の担当の区画で作業を続けながらも、少女たちの様子を見守る。
「最初は大変かもしれないけど、コツを覚えれば楽になるからな」
「はい!」
ナオトの声に、少女たちは元気よく頷く。
トーヴィアも手際よく指示を出しながら、ナオトの畑の区画に沿って少女たちを導く。
「まずは土を均して、石や雑草を取り除きましょう。皆で協力して行けば、あっという間に畑が整いますよ」
少女たちは楽しそうに土を掘り、雑草を抜き、トーヴィアの指示で苗を運ぶ。ナオトも作業の合間に声をかけ、手順を教える。
トーヴィアは笑顔を見せ、少女たちを優しく励ます。
「今日は一緒に頑張りましょうね。楽しい時間にしましょう!」
畑には笑い声が響き、土と太陽の匂いが混ざった暖かな空気が流れる。
ナオトは心の中で、小さな力でも集まれば大きな成果につながることを改めて感じた。
「これなら、畑も順調に広げられそうだな……」
畑作りも一段落した頃。
ナオトは腰を下ろし、汗ばんだ額をぬぐいながら一息ついた。
隣に立つトーヴィアは、手に軽く泥のついた手袋を持ち、緑色の瞳を優しく細めている。
「なあ、トーヴィア、ちょっと気になったんだけど、今日、あの子たちを連れてきたのって、どういう理由なんだ?」
「あの子たちは親を亡くしてスラムで暮らしてる子たちだよ。普段は教育も生活も十分じゃない子たちで、少しでも経験や学びの機会を与えたいって思ったんだ」
「そうなのか……でも、畑仕事って結構大変だろ?」
ナオトは眉をひそめて、土に植えたばかりの苗を見つめる。
「うん、大変だよ。でも、こうやって体を動かして働くことも、子どもたちにとって大事な経験になるんだよね。協力すること、責任を持つこと、達成感を味わうこと……日常じゃなかなか味わえないことだから」
「なるほどな。単に手伝いに来てもらうんじゃなくて、意味のある経験にしてやろうってことか」
「そうそう。しかも、今日の畑仕事で収穫や成果を実感できれば、自信にもつながるし、生活の助けにもなるしね。それに安全な環境で学べるのは大事だと思うんだ」
「さすがだな、トーヴィア。俺だったら、ただ手伝いに来てもらうだけにしちゃいそうだな」
「それも間違いじゃないけどね。でも、せっかくなら少しでも意味のある時間にしてあげたいから」
トーヴィアは照れたように笑い、手を軽く腰に当てた。
ナオトは頷き、畑を見渡す。芽吹いたばかりの野菜たちが風に揺れて、光を反射している。
「そうだな。じゃあ、この畑、俺がしっかり管理して、意味のある場にしてやらなきゃな」
トーヴィアは軽く手を叩き、元気よく答える。
「うん、頼むよナオトさん!子どもたちにも、ちゃんと教えていこうね」
―――
夕方、空は橙色に染まり、畑や小屋の周囲に長い影を落としていた。
大工たちは作業を終え、道具箱を片手に帰路につく。
元大工の男性は最後に一礼し、にこやかに声をかける。
「じゃあ、今日はこれでおしまいだ。お疲れさま」
「来てくれて助かったよ!またよろしく頼む!」
ナオトは畑を見渡し、整った土の列と植えられた野菜たちに満足げに頷く。
ボニーは森での作業を終え、斧を地面に立てて深く息をつく。
トーヴィアが小屋の前で立ち止まり、三人の少女に目をやる。
少女たちは腕を組み、少し困ったような顔でナオトを見つめていた。
「……帰りたくない……」
小柄な少女の一人がぽつりと言う。
「えっ、どういうこと?」
ナオトは思わず立ち止まり、目を向ける。
「だって、ここ楽しいもん」
「ナオトお兄ちゃん、トーヴィアお姉ちゃんと一緒に畑やって、いっぱい誉めてもらえたし!」
トーヴィアはナオトの方に目を向けた。
「実はね……スラムは危険な場所だから、できればナオトさん、この子たちの面倒を見てもらえないかしら」
「俺に……?」
「はい、ナオトさんなら安心だし、この子たちも楽しんでくれたみたいだし。もちろん、無理は言わないけど」
トーヴィアの声には優しさと信頼が滲んでいた。
「ねえねえ、ナオトお兄ちゃん、お願い!」
ナオトは少し肩を落としつつも、笑みを浮かべる。
「……しょうがないな。その代わり、悪さしたら許さないからな」
「わーい!」
「よかったぁ」
「……約束する」
少女たちは嬉しそうに頷き、ナオトの周りを駆け回る。
トーヴィアはほっと息をつき、柔らかく微笑む。
「ありがとう、ナオトさん。明日もまた手伝いに来ますから」
「さて、明日からどうやって手伝ってもらおうか……」
夕暮れの中、少女たちは小屋の周囲を元気に駆け回り、ナオトの小屋にはにぎやかな笑い声が広がった。




