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異世界で『整体×魔術』始めます  作者: 桜木まくら
第二章『アークロスの聖光』

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第二章32『蒼月流忍術』

森が焼ける匂いがした。

湿った土と焦げた木の臭気が混じり合い、空気が息苦しいほどに重くなる。

煙が肌を撫で、視界を歪めていた。

ケルベロスの咆哮が森を裂いた。

三つの喉から同時に放たれる低い咆哮は、音というより圧力だ。

空気が震え、木々が悲鳴を上げる。

地面を這うような轟音が鼓膜を打ち、ルナの心臓を直接叩いた。


「……来るっ!」


ルナは地を蹴った。

次の瞬間、背後で爆炎が弾ける。

視界の端で木が燃え上がり、爆ぜるように破裂した。

熱風が背中を撫でる。

わずかに遅れて、焦げた匂いが鼻を突いた。

一歩でも遅ければ、骨ごと炭になっていた。

息が荒い。

喉が焼ける。

それでも、止まるわけにはいかない。

ケルベロスの三つの首がそれぞれ動く。

右の首が低く唸り、左の首が口を開いた。

喉奥で光が生まれ、それが瞬く間に膨張していく。


「っ……!」


吐き出された火線が、地面を薙いだ。

炎は獣のように生きて動く。

地を這い、木々を焼き、風を巻き込みながらルナへ迫る。

ルナは転がるように避けた。

その足元を、炎が擦過する。

靴の底が焦げ、皮膚を焼く熱気が走る。


「はぁ……くっ……!」


汗が蒸発するほどの熱。

森が灼け、空気が赤く染まる。

ケルベロスの中央の首が、咆哮とともに炎を吐いた。

火柱が地を穿ち、爆音が世界を揺らす。

衝撃波に吹き飛ばされ、ルナの身体が宙に舞う。


「っ、あ……!」


背中から地面に叩きつけられる。

息が詰まり、肺の空気が押し出された。

全身の神経が痛みを訴える。

立ち上がらなければ。

そう思うのに、体が動かない。


「ぐっ……!」


腕に力を込めて立ち上がる。

視界の先では、ケルベロスの三つの頭が再び動いていた。

三方向に分かれた炎の奔流が、ルナを中心に収束していく。

逃げ場がない。


「………っ!」


咄嗟に飛び退ったが、炎の一つが足を掠めた。

焼けるような痛みが走り、反射的に膝をつく。

熱い。

痛い。

肺の中に吸い込む空気すら、火のようだ。

それでも、ルナは剣を離さない。

歯を食いしばり、瞳を逸らさない。


だが、次の瞬間。


ケルベロスの三つの首が同時に口を開いた。

空気が歪む。

熱の奔流が森全体を包み込む。

赤い光が視界を覆い、皮膚が焼ける。


「……避けられない」


目の前が白く弾けた。

炎が迫る。

すべてが燃える。


その刹那。


―――『力を貸してあげる』


声が響いた。

耳からではない。

心の奥に、直接流れ込むような感覚。

けれどその声は、不思議なほど澄んでいた。

小さな子どもの声だった。

幼い少女の、やわらかく、あたたかな響き。

その響きが、燃え尽きかけた意識の中にそっと降りてきた。


そして、炎の奔流が襲いかかった。

轟音とともに、世界が灼けた。

だが、炎はルナに届かなかった。

青い波が立ち上がったのだ。

彼女の前に、まるで海そのものが現れたように。

透明な水が空間を満たし、渦を巻き、炎を受け止めた。

轟く蒸気が上がる。

水と火がぶつかり合い、世界が悲鳴を上げるような音を立てる。


「っ……!」


爆音が森を震わせる。

ルナの髪が風に揺れ、頬に水滴が跳ねた。

熱と冷気がぶつかり合い、視界が白く霞む。

炎の光が消える。

代わりに、青く透き通った水の壁が残った。

まるで意思を持つように流れ、波打ち、ルナを包み込む。

水面に映る、ルナの瞳。

そして、淡く輝くイヤリング。

ルナは息を整え、立ち上がった。

少剣を握り直す。

その刃に滴る水の粒が、剣身に沿って流れ落ちていった。


「……行きます」


青い壁が揺らぎ、波紋が走る。

それが一気に前方へ弾け飛ぶ。

水の奔流が森を覆い、炎を押し流す。

ケルベロスの前脚が沈み、熱を帯びた地面から蒸気が上がる。

轟音が鳴り、森が再び息を吹き返した。

熱気が冷え、風が通り抜ける。

焦げた木々の間を、冷たい霧が漂った。

その中心に、ルナが立っていた。

髪が濡れ、頬を伝う水滴が青く光を反射している。

その瞳は、もはや怯えを知らなかった。

ケルベロスが低く唸る。

だがその足が、わずかに後退した。


「……今度は、ルナの番」


静かな声とともに、ルナは踏み込んだ。

足元の水が波紋を描き、剣先が青い軌跡を残す。

その一歩が、炎の獣に対する反撃の始まりだった。


森の熱気と戦いの余韻に押される中、ルナの意識は過去に引き戻された。

あの、ほんの少し和やかだった日のこと――


―――


「ルナ、はい、これ!」


ナオトが差し出したのは紺色を基調とした不思議な服。

フリルやリボンがついているのに、どこか動きやすそうなデザインだ。


「名付けて……『忍者風メイド服だ』!」


服は気に入ったが、忍者とは何か知らなかった。

その日の夜改めて聞いた。


「忍者とは、何ですか?」


ナオトの目が輝いた。

胸を張り、声に熱がこもる。


「忍者はな、ただの戦士じゃない!影の中を駆け抜け、敵の背後に忍び寄り、必要なときに一撃で仕留める。動きは静かで素早く、戦術は緻密。手裏剣や鎖鎌、煙玉なんかも駆使するんだぞ!」


ルナはその勢いに目を丸くした。


「……えっと、手裏剣とは?」


ナオトは手で空中に小さな円を描くように振る。


「ほら、小さくて鋭い投げ道具だ。相手に当たればひとたまりもない。けど、それだけじゃない。忍者は体術もすごいんだ。壁を駆け上がり、屋根を跳び越え、木々の間を飛び回る。まるで風そのものさ!」

「……風ですか……?」

「そう!忍者の使う術ってのはな、単なる技じゃない。体と心と自然をひとつにして、自由自在に動くための術なんだ!」


ナオトは両手を大きく広げ、目を輝かせる。


「そして何より!忍者はかっこいいんだ!影の中に佇む姿、静かに敵を見つめるその背中……。忍術の名前だって『火遁』や『水遁』なんて、想像しただけでワクワクするんだ!」


ルナは思わず首をかしげる。


「……術の名前が、そんなに重要なのですか?」


ナオトは大きく頷き、両手で空気を切る仕草をした。


「重要だ!名前には力が宿るんだ。忍術の名前だけで戦いの雰囲気が変わる。まさに、美学だよ!そしてこの服も、動きやすさと可愛さを両立させた、まさに忍者風メイド服なのだ!」


ルナは服を手に取り、軽くひらひらと揺らす。

濃紺の生地が光を反射し、まるで影と一体になったかのように見える。


「……この服を着ると、ルナも忍者のようになれるのでしょうか?」

「もちろんだ!着こなせばお前も影の戦士、いや、影のメイド忍者だ!」


―――


ルナは微かに笑った。

戦場で炎と水に囲まれていた今でも、あの時の温かい記憶が胸に蘇る。

力がみなぎり、消耗していた魔力が急速に増幅されたのを肌で感じる。

手のひらの感覚が変わった。水の魔力がより濃く、重く、確かな手応えとして伝わってくる。

まるで体の一部となったかのように、水を自由自在に操れる感覚。

ルナの心に火がつく。魔法は精密に、効率よく、局所的に使えば最大限の効果を発揮できる。


ケルベロスの咆哮が森全体を震わせ、枝葉が舞い、地面が揺れた。三つの頭が炎を吐き、足元の落ち葉が一瞬で焼け焦げる。

直撃すれば消し炭になるのは必至だ。


ルナは左手を前に突き出す。

手のひらから水の魔力が立ち上り、狭い範囲に透明で青い水の壁が形を現す。


「蒼月流忍術、水遁『水鏡』」


水の壁はケルベロスの炎を迎撃するために生まれたかのように熱と光をはじき返す。

炎が壁にぶつかる瞬間、水の壁を斜めにする。蒼く光る水鏡の盾が熱を吸収して膨張し、空気中の熱が弾かれる。

その反動を利用してルナは右へ跳ぶ。

小剣の刃先が、ケルベロスの首を狙って走った。

刃が首筋を斬る。

皮膚が裂け、黒い血と煤が飛ぶ。獣は咆哮してよろめくが、中央の首が烈火を吐こうとする。


「水遁『霧隠れ』」


手のひらを回すと、霧状の水が森の空間を覆い、ケルベロスの視界を一瞬で奪う。

視界がかすむ獣は攻撃のタイミングを失い、炎の軌道が乱れる。

ルナは瞬間的に距離を詰め、倒木を蹴って反動をつけ、小剣をケルベロスの反対の首に突き出す。

ケルベロスの牙が空を切り裂く。

ルナは身を翻し地面に着地。力強く踏み込み、肩から鋭く斬り込む。小剣の刃はケルベロスの首を捕らえ、獣の苦鳴が森を震わせる。

左首が弧を描いて落ち、三つのうち二つが沈む。


左右の首を落としたケルベロスは、かつての獣の暴走した咆哮を忘れたかのように、動きが一瞬だけ静かになった。

しかし、それは油断ではなく、脳へ伝わる情報量が減ったことで逆に冷静さを取り戻したのだ。

三つ首を持っていたときの混乱は消え、残った中央の首がすべての判断を司る。

動きは正確になり、ルナの連撃に対応しようと素早く首を振る。

ルナも息を整え反応する。手のひらから生み出す水の盾で炎や熱をかわし、小剣で攻撃を続ける。

しかし、左右の首を失ったことで集中力を増したケルベロスは、以前のように不用意な隙を見せない。

水魔法と剣撃を組み合わせた波状攻撃も決定打にはならない。


「くっ……!」


ルナは中央の首が吐き出す炎と熱風を避けようとして体勢を崩してしまう。

ケルベロスはその隙を見逃さない。

一歩踏み込み、中央の首をルナに向けて噛みつこうとする。

牙が光り、空気を裂く音が森に響く。

ルナは空中で反応することが出来ない。


——その瞬間、ケルベロスの前足がぐらりと傾く。


前足の踏ん張りが利かず、獣は体重を支えきれない。

ルナは顔に笑みを浮かべた。


「騙されましたね」


笑顔の裏には、冷静な計算が隠されていた。

水魔法を連発して地面を濡らし、ケルベロスの足元を泥沼にしておいたのだ。

炎をかわすだけでなく、獣の動きを制限するために仕掛けられた、ルナの罠であった。

泥に足を取られたケルベロスは前のめりになり、中央の首だけで必死にバランスを取ろうとする。

ルナは小剣を握り直し、距離を詰める。

森の焦げた匂いと泥の湿った匂いが混ざる中、獣の呼吸は荒くなり、目の光は怒りで赤く燃えている。

地面に仕掛けられた泥沼が、戦局を完全にルナに有利な状況へと変えていた。

ルナは深く息を吸い込み、小剣を握り直した。

泥沼に足を取られ、動きが制限されるケルベロスを見据える。

左右の首はすでに地面に落ち、残る中央の首だけが執拗に咆哮を上げる。

赤く燃える瞳がルナを捉え、尾が地面を叩いて熱風が舞い上がる。


「……とどめです!」


小剣を前に突き出し、ルナは踏み込みを加速させる。

泥に足を取られる獣は体勢を立て直せない。

ケルベロスは咆哮と同時に牙を振り上げてルナの小剣を受け止めようとする。


「水遁『水刃』!」


小剣が疾風のごとく加速し、刃先から細く鋭い水の刃が飛び出す。

水の刃は手裏剣のように宙を切り裂き、泥沼に足を取られたケルベロスの中央の首へんでいく。

水の刃は速く、硬く、そして角度も正確で、牙に弾かれることはなかった。

青白く光る水の刃が首筋を裂き、獣の咆哮が森に反響する。


「……これで、終わりです!」


ルナは踏み込み、さらに小剣を押し込む。

最後の力を込め小剣を振り抜く。

中央の首も地面に崩れ落ち、三つ首のケルベロスは完全に沈黙した。

炎も消えた森の中で、ただ黒煙と湿った土の匂いだけが漂う。

ルナは小剣を握りしめたまま、深く息を吐く。

森はしばらくの間、静寂に包まれ、焦げた匂いと湿った土の香りが混ざり合った。ルナは小剣を鞘に収め、戦場を見渡す。


「フィオラさんを探さないと……」


ルナは泥まみれの小径を見下ろし、深く息を吐いた。

手に握った小剣の感触がまだ手のひらに残る。

森には焦げた匂いと湿った土の香りが混ざり合い、倒れたケルベロスの影が揺れていた。


「今、行きます……」


そう呟き、ルナは再び森の奥へ足を踏み出そうとした。

その時、森全体の空気がひんやりと変わった。

木々のざわめきが一瞬止み、微かな冷気が肌を刺す。

視線を上げると、倒木の奥、闇の茂みから影がゆらりと現れた。

骨でできた頭部にひび割れた王冠のような装飾、四本の腕を滑らかに動かす異形の姿。

森の瘴気が自然とその影に集まり、空気を厚く重く押しつける。


「スケルトンキング……」


ルナの声が震えた。

ルナは小剣を握り直し、踏み込みの構えを取る。


「ここで引くわけにはいかない……」


森の闇が揺れ、瘴気が渦を巻く。スケルトンキングの四本の腕が静かに開き、闇に潜む魔物たちが彼の周囲に従順に集まる。

だが不思議なことに、ルナを襲う素振りはない。その代わり、直線的にアークロスの方向を見据え、何かに導かれるかのように進む気配を漂わせている。

背筋に寒気が走る中、ルナは戦闘の集中力を再び呼び覚まし、水の魔力を手のひらに集める。

スケルトンキングの圧倒的な存在感に圧されながらも、ルナは小剣を構え直す。


「行かせはしません」


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