第二章28『夜市のセクシーバニー』
夜風が潮の香りを運んでくる。
宿の明かりを背に、ナオトは石畳の道をひとり歩いていた。
温泉での騒動で熱くなった頭を冷やすには、こうして夜の空気に触れるのがいちばんだと思えた。
港町の夜は、昼とはまるで違う顔をしている。
昼間は観光客と行商人でごった返していた通りが、今は灯籠と屋台の明かりに照らされて、ゆらめく影と音に包まれていた。
風鈴の澄んだ音が遠くで鳴り、香辛料と焼き魚の匂いが鼻をくすぐる。
屋台の並ぶ通りの上空には、魔力で浮かぶ淡い光球が点々と浮かび、まるで星空が地上に降りてきたようだった。
それは単なる市場ではない。
昼間の商業区とは別に、夜にしか開かれない裏の取引所。
酒の香りに混じって、聞き慣れない言葉や異国の音楽が流れている。
布の天幕には「珍品」「秘具」「一夜限り」など、怪しい文句が並んでいた。
人の流れもどこか緩やかで、客よりも出店者の方が声を張り上げている。
見たこともない形のランタン、発光する鉱石、踊るように動く人形。
中には、怪しげな薬瓶を並べる商人や、何かの呪符を売る魔女めいた老女の姿もある。
その一角、ひときわ大きな声が響いた。
「へいらっしゃいっ!見なきゃ損する奇跡の品だよっ!今日だけ、今だけ、人生一度の掘り出しもんだーっ!」
軽快で張りのある声。
声のする方へ振り向いたナオトの視線の先。
夜市の灯りの下、ひときわ目立つ一人の女性がいた。
その姿はまさにバニーガールそのもの。光沢のある黒いボディスーツがぴったりと体にフィットし、長い脚がすらりと伸びている。
腰には小さな兎の尻尾がちょこんとつき、背筋を伸ばした姿勢と相まって、妖精のように軽やかに見えた。
胸元は大胆に開かれ、夜の照明を受けて光を反射しているが、彼女は堂々としていて、一切のためらいはない。
首元には小さな蝶ネクタイ、手首にはカフス。兎耳がぴんと立ち、動くたびに金の小さなチャームが揺れた。
髪は淡いピーチゴールドで、肩先までの長さ。屋台の光に揺らめき、ふんわりと香り立つような華やかさを放つ。
夜風に少し乱れた髪の束が、耳の横で柔らかく跳ねた。
片手に筒のような小道具を掲げ、もう一方の手は腰にあてて大きく身振りをつけながら、まるで舞台女優のように声を張り上げる。
顔の上半分は仮面で隠されていた。
白銀の装飾が施された半面の仮面が、彼女の正体を神秘的に覆い隠している。
だが、その下から覗く唇と頬の表情が、妙に艶めかしく、観客を惹きつけた。
「さあさあ、今夜だけの大特価だよ!見るだけでワクワクする驚きの不思議体験、今夜限り!寄ってらっしゃい、見てらっしゃいっ!」
言葉のリズムに合わせ、彼女の耳や尻尾、長い脚の動きまでがリズムを刻むように揺れる。
夜市の雑踏の中で、まるで自分の舞台を独りで演じているかのようだった。
ナオトは思わず足を止める。
妖艶なバニーガール姿で、叩き売りのテンション。夜市という非日常の中で、彼女の存在は一際異質に映った。
「そこのおにーさん!夜の星空に手が届いたらって思ったこと、あるでしょ!」
手には金色の筒状の物体。彼女はそれを高々と掲げて言った。
「これこそが、新作『星の覗き筒』!覗くだけで、夜空の星をこの手の中に閉じ込める夢の魔導具!」
「おお……」
観客がとどよめく。
バニーガールはその反応を待っていたように、にっこり笑って続けた。
「どんなに曇った夜でも、光がなくたって大丈夫! この筒の中には、あたしが夜空から『星の欠片』を封じ込めたの!」
彼女は胸を張り、得意げに筒を回す。
筒の中では、無数の光がくるくると模様を変えながら輝いている。
「旅人も、恋人も、ひとりぼっちの夜を照らす光が欲しい人も、これ一本で、どこにいても星空と一緒!しかも魔力は不要!魔法が使えないあなたでも、星の奇跡を自分の目で見られるんです!」
彼女はぐっと身を乗り出す。
ピーチゴールドの髪がふわりと揺れて、ランタンの光を浴びて輝いた。
大胆な胸元が軽く揺れ、兎耳がぴくりと動く。
「さあ、今夜だけの特別価格!金貨一枚で、星空ごと連れて帰れるチャンスだよっ!」
その勢いに、通りかかった人々は思わず足を止めてしまう。
中には子どもを肩車して覗き込む親もいる。
「きれいだ……」
小さな声があがると、セクシーバニーの瞳がきらりと光った。
「そう!この輝きこそが、あたしの魔法!」
彼女は胸に手を当て、誇らしげに言い切った。
その瞬間、ナオトは思わず足を止めていた。
「これ、どう見ても、万華鏡だよな」
ナオトがぼそりと呟いた瞬間、バニーの長い兎耳がぴん、と動いた。
彼女はくるりと振り向き、営業スマイルから一瞬で商人の笑みに切り替える。
「んん?おにーさん、今なんつった?まんげきょー?聞いたことない名前だねぇ。それ、どこの国の魔法?」
「いや、魔法じゃなくて、そういうおもちゃなんだよ」
ナオトは苦笑しながら、彼女の持っていた筒を手に取る。
中を覗くと、光と色ガラスの反射が美しい模様を作り出している。
「この中に、鏡が三枚入ってるだろ?それが三角形に組まれてて、光が何度も反射して見える。手で回すと模様が変わるのは、先端のガラス片が動いてるからだ」
説明を聞くうちに、バニーの耳がぴくぴくと動いた。
口をぱくぱくさせ、信じられないというようにナオトを見る。
「……ちょ、ちょっと待って。それ、なんで分かったの?あたし、これ作るのに三週間もかかったんだよ?この仕組み、誰にも話してないのに!」
「まあ、俺の故郷だと万華鏡って名前で、昔からあるからな」
彼女は両腕を組み、満足げに笑った。
「ふっふっふ……どうやらおにーさん、ただの冷やかしじゃないね」
仮面の下で金色の瞳がきらりと光る。
「『星の覗き筒』を見破るとは……なるほど、ただの素人じゃない。じゃあこれならどうだ!」
彼女は腰のポーチをごそごそと探り、小さな木箱を取り出した。
手のひらほどの大きさで、表面には細やかな彫刻が施されている。
歯車の飾りや金属の細工が月灯りに反射して、どこか精巧な雰囲気を漂わせていた。
「『音の魔導箱』!魔法の音を閉じ込めた奇跡の箱さ!」
セクシーバニーが自信満々に胸を張る。
「ほら、こうしてつまみを回すと魔力に反応して音が流れ出すんだ!」
彼女はくるりとつまみを回す。
すると、かすかに金属の歯が擦れる音のあと、澄んだ旋律が夜気に広がった。
ぽろん、ぽろん、と柔らかな音色。
港のざわめきの中でも、不思議と耳に届く優しいメロディ。
まるで風に乗って、潮の香りと一緒に音が漂ってくるようだった。
周囲の通行人も思わず足を止め、その小さな箱に目を向ける。
「……いい音だな」
ナオトは素直に感心して言った。
「でしょ!?魔力の波動を音に変える仕組みなんだよ!ね、すごいでしょ!」
彼女は胸を張り、尻尾をぴこぴこと揺らした。
しかしナオトは、木箱の側面に開いた穴と金属板の細工を見て、すぐに察する。
「……いや、これも魔法じゃなくて、ゼンマイ式のオルゴールだな」
「お、オル……ごーる?」
彼女は言葉を詰まらせ、耳をぴくぴくと動かす。
「ゼンマイの力で歯車が回って、金属の歯を弾く。
それで音が鳴るんだ。魔力はいらない。機械の仕組みだけで動く」
「……ぜんまい?き、きかい……?」
バニーは首を傾げる。この世界には機械という概念は存在しない。
「おにーさん、今度こそ度肝を抜いてやるんだから!」
彼女は仮面の奥でにやりと笑い、屋台の下から丸いガラスの道具を取り出した。
「じゃじゃーん!『光の魔導鏡』!」
彼女は胸を張りながらレンズを掲げる。
縁は金属で補強され、ガラス面は透き通って月明かりを柔らかく反射していた。
「この鏡を通すと、ものが大きく見えるの。細かい字もくっきり!小さな虫の羽の模様まで見えちゃうのよ!まさに『観察の魔法』!」
「へぇ……なるほどな」
ナオトはレンズを受け取ると、屋台の灯の下で覗き込む。
視界の中で、遠くの看板がぐっと大きくなった。
「確かに、よくできてる」
ナオトは感心したように頷く。
「光を屈折させて拡大してる。厚さも均一だし、焦点距離も安定してる」
「え?そ、そんな難しいこと考えて作ってないけど……?」
「じゃあ、応用も教えてやるよ」
ナオトは屋台の隅に置かれていた木片を拾い、魔導鏡を手に持って夜空を見上げる。
月明かりでは弱い。だが、近くのランプの光をうまく合わせると……。
「焦点を合わせると、こうやって……」
レンズの下の木の表面に、光の一点が集まり、じりじりと煙が上がる。
「火がつく」
「えっ……!?」
バニーの耳がぴんっと立ち、尻尾が跳ねた。
「な、なにそれ!?魔導鏡が発火魔法にまで発展した!?」
「いや、これはただ光を一点に集めただけだよ。この虫眼鏡で、光の通る角度を……」
「い、いいの!これは魔法!そういうことにしておくの!」
彼女は頬を赤らめながら、次の道具を取り出した。
「じゃ、じゃあこれはどうだっ!」
手の中でカチャカチャと音を立てる金属の輪。複雑に絡み合った数本の輪っかを見せつけながら、得意げに言う。
「『絡み合う運命の輪』!解き放つには知力と魔力の両方が必要とされる高等魔導具!」
「うん、それ知恵の輪だね」
「!!??」
バニーは耳をぴんと立て、硬直する。
ナオトは指先で輪の構造を確認し、軽くねじると、カチャ、と簡単に外れた。
「……え?う、うそ……」
「いや、よくできてるよ。これを全部手作業で作ってるなら、相当器用だ」
「な、なんなのさ兄さん!まるであたしの頭の中を覗いてるみたいじゃない!」
「まぁ、似たようなのを子どもの頃よく触ってたからな」
「むぅ~っ!」
バニーは耳をばたばたさせながら、とうとう屋台の裏から最後の一品を取り出す。
「……いいもん、これが最後!誰にも真似できない、『夢泡の魔法』!」
彼女が小瓶の中から液体をすくい、リング状の道具で空に向けて吹く。
ふわり。
柔らかい光を受けたシャボン玉が、いくつも夜空に舞い上がった。
月の光を映してきらめく泡の群れは、まるで星の粒が風に遊んでいるかのようだ。
「うわ、これは……きれいだな」
ナオトは思わず見とれる。
「でしょ!魔力を混ぜた液体を吹くと、ほら、このとおり消えない泡になるの!」
「なるほど。砂糖を混ぜて表面張力を上げてるんだな」
「……ひょうめん、ちょうりょく?」
「液が粘性を帯びると、泡が壊れにくくなる。だからこんなに長持ちする」
バニーガールは固まったまま、吹き棒を持つ手をぷるぷる震わせた。
「ま、またあっさり見破られた……!?」
夜市の灯りが揺れる通りで、腕を組んで仮面の奥で目を見開いた。
「せっかく苦労して作ったのに!魔法じゃないって言われたら売れなくなっちゃうじゃない!ただでさえ最近はエリー・グレイヴンなんて新参者も出てきてるのに!」
声は徐々に大きくなり、夜市のざわめきにも負けない。彼女の耳もぴんと立ち、怒気で小さく震える手が目立つ。
ナオトは笑いながら近づき、肩を軽く叩いた。
「落ち着けって」
ナオトは魔道具を手に取り、真剣な顔で彼女を見る。
「これは魔法じゃない。君の作ったものは魔法に見えるけど、科学的には立派な発明だ」
「な、なに言ってるの!魔法じゃなきゃ商売にならないのよ!」
怒りがさらに大きくなる。耳と尻尾が小刻みに揺れ、仮面の奥の顔が赤く染まる。
「でも、だからこそすごいんだろ?光の屈折、焦点距離、鏡の配置……すべて計算して、工夫して作ってる。魔法じゃなくても、十分価値がある」
ナオトは笑顔で続ける。
「どうしてそんなに魔法に拘るんだ?君の発想力や技術を見れば、十分すごいのに」
バニーは魔道具を棚に置き、ナオトを見上げた。仮面の奥の瞳が真剣に光っている。
「あたしはね……魔法ができる人に憧れてるの。でも、どう頑張っても、魔法の才能がないの」
耳がぴんと立ち、尻尾も小刻みに揺れる。仮面の奥で表情はやや悲しげだが、強い意志が感じられる。
「それで……魔法みたいに見えるものを自分の手で作ろうって決めたの」
手をかざし、夜市の光に反射する自作の万華鏡や虫眼鏡、オルゴールを見つめる。
「魔法は使えなくても、工夫次第で魔法のような体験は届けられる。人を楽しませることもできる。だから……魔道具に拘ってるんだよ」
「……なるほどな」
ナオトは深く息を吸い込み、力強く語り始めた。
「俺には……100年先の科学の世界が見えている」
夜風に揺れる旗や屋台のざわめきの中、その言葉は不思議と静かに響いた。
「でも、俺には……その世界を実現する技術がない」
ナオトの視線が真剣に少女を捉える。
「君にはその世界を実現する技術がある。俺には君の力が必要なんだ」
差し伸べられた手に、少女は一瞬ぎゅっと目を見開き、耳がぴくりと動く。胸の奥が熱くなるのを感じ、思わず手を握りしめた。
「俺が未来の景色を見せてやる」
ナオトの声に熱が籠る。少女は胸の奥が高鳴り、心臓が早鐘のように打つ。
「君の科学がそれを現実にする」
言葉に、自分の努力や試行錯誤が認められたような嬉しさが込み上げる。仮面の奥で頬が赤く染まり、耳と尻尾が小刻みに揺れた。
「一緒に夢を叶えよう」
ナオトは微笑みながら力強く言う。少女は心の中で小さく頷く。頭では冷静に分析できなくても、胸の奥がぐっと熱くなるのを抑えられなかった。
「二人で……この世界の魔法を超える新しい魔法を作り出すんだ!」
ナオトの手が自然と伸び、少女の前で止まる。
少女は思わず手を胸の前に置き、仮面の奥で目を大きく見開いた。
驚きと嬉しさ、期待と少しの恥ずかしさが混ざり合い、心臓が高鳴る。
「……はい……」
その瞬間、少女にとってナオトの言葉はもはや魔法の話でも科学の話でもなく、プロポーズと同じ重みを持って胸に響いた。
「……師匠と呼ばせてください」
声は小さく震え、耳と尻尾が微かに動く。胸の奥で熱い感情が溢れ、目の前の男にすべてを託したくなる衝動に駆られる。
夜市のざわめきや屋台の明かりが、二人を中心に静かに包み込み、まるで世界が二人だけに寄り添っているかのようだった。




