第二章26『サンマリナ観光2』
港町サンマリナの通りは、魚の香ばしい匂い、甘い香り、遠くの海の潮風が混ざり合い、活気に満ちていた。
「わぁ……すごい活気ですね、兄様」
ルナは両手を軽く組み、目を輝かせながら屋台の並ぶ通りを見回す。
「市場っていうのは、街の生活を最も感じられる場所だな」
ナオトはゆっくり歩きながら、魚の串焼きの屋台に足を止める。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「港町ならではの新鮮な魚……これは試さなきゃですね!」
ルナも嬉しそうに頷き、手元のお金を出す。
「いただきます……!」
ルナは串を口に運び、目を丸くする。
「わぁ……柔らかくて香ばしい!港町の魚って、本当に違うんですね」
ナオトは串をかじりながらにやりと笑う。
「港町の魚は鮮度が命だ。焼き加減も絶妙だし、香りだけでも楽しめる」
通りを歩いていると、二人の前に、甘い香りが漂うクレープ屋の屋台が現れた。
「兄様、見てください!焼きたてのクレープです。フルーツやチョコレート、カスタードまで……」
ルナは目を輝かせ、屋台の並ぶ色とりどりのトッピングを指さした。
「ほう……いろんな種類があるな」
ルナは迷うことなく指をさす。
「ルナは……ストロベリークリームのクレープにします!ふわふわの生地に甘酸っぱいイチゴとカスタードが入っているんですって」
ナオトは少し考えてから、自分は別のものを選ぶ。
「俺は……チョコバナナにするか」
注文を済ませると、屋台のおばさんが手際よくクレープを焼き上げ、二人に渡した。
ルナは手にしたクレープを嬉しそうに抱え、香りを楽しむ。
「わぁ……焼きたての香ばしい匂い……生地がふわふわで、カスタードとイチゴの甘酸っぱさが混ざり合う……」
ナオトもチョコバナナを口に運ぶ。
「うん……生地はもちもちで、チョコの濃厚さとバナナの自然な甘みが絶妙に合うな。港町の甘味は、見た目だけじゃなく味も洗練されてる」
ルナは一口かじり、目を輝かせる。
「おいしい……!焼きたての温かさと、クリームの冷たさのコントラストも最高です」
ナオトは頷きながら、自分のクレープを半分ほどかじる。
「これなら市場を巡りながらでも楽しめる。歩きながら食べられる甘味っていいな」
「あ、兄様」
ルナはふとナオトの頬に目を止める。
ナオトの頬に、ほんの少しチョコクリームが残っているのを見つけたのだ。
「少し、かがんでもらえますか?」
「こうか?」
ナオトが軽く膝を曲げ、少しかがむと、ルナはナオトに顔を近づける。
そっと頬に触れ、チョコクリームごとぺろっと舌で舐め取った。
「……ん、チョコバナナも美味しいです」
ナオトは思わず息を呑み、顔が赤くなる。
「……ル、ルナ……その……」
ルナも自分がしたことに気付き、心臓がドキドキしているのを感じ、耳まで熱くなる。
慌てて口元を隠し、照れたように言い訳をした。
「え、えっと……ルナは月狼族ですから。月狼族は口にクリームがついてるときは、こうする決まりがあるんです……」
「そ、そうか、ルナは月狼族だもんな。決まりかあるなら仕方ない」
ルナは小さくうつむきながら微笑んでいた。
「おーい、おにいさーん!ルナー!なにしてるのー!?」
フィオラが駆け寄ってくる。市場の喧騒に負けないほどの元気さで、両手を腰に当てて立ち止まった。
ルナは咄嗟に顔を背ける。
「え、えっと……フィオラさん、何でもないです……」
フィオラはすぐに状況に気づいたらしく、にやりと笑う。
「ふーん……なるほどねー。おにいさんの頬にチョコがついてたから、ぺろっと舐めちゃったわけね!」
ルナは頬を赤くして下を向く。
「ち、違います!ルナは……月狼族ですから……その、こうする決まりがあるんです……!」
フィオラはくすくす笑いながら、茶化すように手を叩く。
「えー!月狼族ってそんな決まりあったの!?」
ナオトは思わず頭を抱え、ルナを見ると、ルナもまた赤面したまま小さく口を尖らせている。
「……や、やめてくれ、フィオラ……」
「いやー、面白いね!二人とも顔真っ赤だよ」
ナオトは頭を抱えながら話題を変える。
「そんなことより、お宝は見つかったのか?」
フィオラは肩をすくめ、少し残念そうに答える。
「うーん……残念ながら、今回は特に目ぼしいお宝は見つからなかったよ。変わったガラクタは色々あったけどね」
「ガラクタ……ですか?」
ルナは興味深そうに首をかしげる。
「そうそう、でもあたしにはちょっと……ね。やっぱり本当に面白いお宝は、もっと時間をかけて探さないと見つからないんだろうなー」
―――
夕陽が市場の屋根越しに差し込み、橙の光が露店の貝殻をきらめかせていた。
港町サンマリナの名物『サンマリナアクセサリー』の店には、人だかりができていた。
店先には、磨かれた貝殻を加工して作られたアクセサリーが整然と並んでいる。
貝の内側の虹色が光を受けて七色に反射し、風に揺れるたびに柔らかな音を立てる。
ネックレス、ブレスレット、指輪、髪飾り、イヤリング。
どれも海の恵みと職人の技が融合した、まさにこの町の象徴だ。
「サンマリナアクセサリーにはね、水の精霊が宿るって言われてるの」
店主の中年女性が誇らしげに言う。
「精霊が宿るアクセサリー……素敵です」
ルナが目を輝かせる。
指先で一つひとつを確かめながら、どれも丁寧に作られていることに感嘆していた。
あるものは波打つような模様を描く青い貝を用いたブレスレット。
またあるものは、白い真珠を三つ並べた髪飾り。
そして中には、貝殻を薄く削って作られた星型のペンダントまである。
「うーん……見た目はすごいけど、素材の割には値が張るねぇ」
隣で見ていたフィオラが腕を組みながら呟く。
「こういうのって、観光客向けの飾り物だよ。お宝って感じじゃないし、原価はたぶんそんなに高くないと思う」
「……そうかもしれないな」
ナオトが苦笑しつつも、ルナの視線の先に気づく。
ルナは、店の奥に吊るされていた月の形をした貝殻のイヤリングをじっと見つめていた。
他の煌びやかな品に比べれば目立たない、
ただの白い貝の欠片を磨いただけのような、ささやかな装飾品。
だがルナには、それがまるで呼びかけてくるように感じられた。
胸の奥で、波の音にも似たかすかな共鳴が響いている。
「……このイヤリング、なんだか……ルナを見てる気がします」
ルナの言葉に、フィオラはきょとんと目を瞬かせた。
「呼ばれてる?気のせいじゃないの?」
「ううん。違うんです……」
ルナがそっと手を伸ばすと、
その小さなイヤリングの貝殻が、夕陽を受けて一瞬だけ淡く光った。
店主はその様子を見て、静かに微笑む。
「……どうやら、その子はあなたを選んだみたいですね」
ルナは驚きながらも、そっと頬に手を当てた。
貝の冷たさの中に、わずかに温もりがある。
潮風に溶け込むような、穏やかで優しい気配。
「ふふ、面白いね。安そうな見た目なのに、なんか特別感あるじゃん」
フィオラが笑いながら肩をすくめる。
「俺もそのイアリングがいいと思う。ルナには似合ってるよ」
ルナはその言葉に、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。……大切にします」
潮騒の音が静かに響く中、
ルナの耳元で貝殻のイヤリングが小さく鳴り、
まるで海の息吹がそこに宿ったかのように、ほのかに輝いた。
―――
市場の通りを歩きながら、ナオトはふとフィオラに声をかけた。
「なあ、フィオラ……どうしてそんなにお宝を探してるんだ?ただ好奇心だけじゃないんだろ?」
フィオラは立ち止まり、遠くの屋台を見つめながら胸を張った。
「……あたしの夢のためだよ!」
「夢……?」
フィオラは小さく息を吸い、視線を遠くの海へと投げるようにして語り始めた。
「うん!あたしの夢は、自分の家を持つこと。ちゃんとした屋根があって、壁があって、暖かい暖炉がある……そんな家を持つことなんだ」
その瞳には強い輝きが宿っていた。
「……あたし達、スラムで育ったから、安心して暮らせる場所がなかったんだ。毎日、食べるものや寝る場所を探すだけで精一杯で……寒い夜には空を見上げて、ここに自分だけの場所があったらって、何度も思ったんだ」
ナオトは静かに頷き、言葉を待つように耳を傾けた。
「だから、あたしは仲間たちと一緒に、笑って暮らせる家を作りたいんだ!家があれば、仲間とご飯を作ったり、夜は一緒に笑ったり、安心してぐっすり眠れたり……毎日を心から楽しめるんだよ!」
フィオラはさらに胸を張り、両手を大きく広げた。
「お宝探しっていうのは、夢に近づくための手段でしかないけど、夢のためならどんな小さな一歩だって大事なんだもん!」
市場の喧騒や潮風、甘い香りに包まれながら、フィオラの夢はひときわ輝いて見えた。
―――
夕暮れの光が差し込む食堂のテーブルには、港町サンマリナならではの海鮮料理が所狭しと並べられていた。
中央に目を引くのは、香ばしく焼き上げられた魚のグリル。厚みのある身は外側はこんがり、中はふっくらと柔らかく、海の風味がじんわりと染み渡っている。
オリーブオイルと地元で採れた香草で風味付けされ、噛むたびに潮風の香りが口いっぱいに広がる。
その脇には、魚介の煮込み料理が並ぶ。地元の貝やエビ、白身魚がトマトベースのスープに浸り、ハーブと香辛料で深みのある味わいに仕上がっている。
煮汁はパンにつけて楽しめるほど濃厚で、港町の家庭料理の温かさが感じられる。
さらに、貝と海藻を使ったアクアリスサラダが鮮やかに盛り付けられていた。海藻の深い緑に貝の淡い色合い、オレンジの人参や黄色のレモンスライスがアクセントとなり、さっぱりとしたドレッシングが全体を引き締める。
その他、地元の港町ならではの小鉢も並ぶ。魚介のスープや、貝と野菜のマリネ、香ばしい焼き貝など、ひとつひとつに潮風の香りと港町らしい家庭の温かみが宿っている。
その中でもナオトの目を引いたのは――。
「……刺身か。まさか、この世界で食べられる日が来るとはな」
ルナも小さく息を呑み、箸を手に取る。
「兄様……とても美味しそうです。色鮮やかで、見ただけでもワクワクします」
「よーし!あたしはこれにする!……うん、やっぱり新鮮だと全然味が違うね!」
ナオトはサーモンの刺身を口に運ぶ。身の甘みと柔らかさが舌の上で広がり、思わず目を細める。
「……うまい。身の締まりも香りも、まるで港町の風がそのまま味になったみたいだ」
「……わあ、身が透き通ってる……甘みがあって、口の中でとろけます」
一方、オルガは刺身を横目で見ながら首を振る。
「私は……生ものは控えます。慣れていない上に、衛生面も心配ですから」
ヴァニラも静かに頷き、箸を揃えて置く。
「ええ。私も同意です。焼き魚や煮込みで十分楽しめます」
「ぼくも生は無理だな……見るだけで我慢するよ」
ショコラは少し顔をしかめ、首を横に振る。
ナオトは刺身を口に運び、微笑みながらルナを見る。
「港町って、本当に料理が豊かだな。街の文化も、こうして食卓に表れている」
ルナは頷きつつも、横目でオルガやヴァニラ、ショコラの表情を見て微笑む。
「でも、こうしてみんなで食卓を囲めるだけでも、十分嬉しいですね」
潮風と市場の香りに包まれ、笑い声と箸の音が響く食堂。
港町サンマリナの海鮮尽くし晩餐は、今日の冒険の締めくくりとして、彼らの絆をさらに深めていた。
―――
港町サンマリナの夕暮れ、ナオトたちは港近くにある白壁の宿の前に到着した。潮風に混じって、夕陽が赤く輝き、建物の木製の梁や窓枠を淡く染めている。
屋根の上には小さな煙突があり、香ばしい木の煙がゆらりと上がる。宿の入口には花壇があり、海風に揺れる花々が穏やかに迎えてくれた。
「ここが今日泊まる宿か……なかなか趣があるな」
深く息を吸い込むと、潮の香りに混じり、どこか木の匂いも漂っていた。
フィオラは腰に当て、目を輝かせる。
「わぁ!港町らしい雰囲気!早く中に入ろうよ!」
「サンマリナの宿は温泉も有名ですから楽しみですね」
宿に入ると、木の香りと温かい光が迎える。受付のカウンターの奥には、落ち着いた笑顔の中年の女性が立っていた。
「いらっしゃいませ。本日のお客様ですね。お部屋のご案内と、温泉のご説明をさせていただきます」
ナオトたちは一列に並び、受付の女性の話に耳を傾けた。
「当宿の温泉は、男女一部混浴の大浴場がございます……」
その言葉に、ナオトとショコラは顔を見合わせ、どちらも眉をひそめた。
「……えっと、混浴って?……」
「男の人と一緒ってこと?……」
ショコラは小声で囁く。
一方、ルナはやや興味深そうに微笑む。
「そうですか……でも、せっかくの温泉ですし、皆で楽しめるなら問題ありません」
「状況を見て行動すればいいだけです」
オルガも淡々と頷く。
フィオラは両手を大きく広げて、明るく声を上げた。
「わーい!混浴だって!面白そうじゃん!」
「楽しみですね。温泉は心も体も癒してくれますから」
ヴァニラも優しく微笑みながら頷いた。
ナオトは少しため息をつき、肩を落とした。
「……まあ、仕方ないか」
受付の女性はにこやかに微笑み、手早く部屋の鍵を渡した。
「皆様、どうぞごゆっくり」
ナオトたちはそれぞれの心境を抱えつつ、部屋へと向かった。潮風の匂いがまだほんのり残る廊下を歩きながら、これから始まる温泉の時間に、それぞれの想いが交錯するのだった。




