第二章17『鍛冶屋の想い』
ナオトとルナは小屋を後にし、アークロス市街に向けて歩き始めた。
木々の間から差し込む光が柔らかく二人の影を伸ばし、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
ナオトは少し考え込むようにルナを見た。
「ルナ、セレーネが言ってた魔物のこと、詳しく聞教えてもらえるか?そもそも、魔物ってどういう存在なんだ?単なる野生動物とは違うんだろうけど」
「魔物は、体内に魔石を取り込んで突然変異した生物のことです」
ナオトは眉をひそめ、首をかしげる。
「魔石……?それって、何なんだ?」
ルナは少し考えて、優しく答える。
「魔石とは、自然界や遺跡、あるいは戦場など瘴気の濃い場所に残る魔力の結晶です。力の源にもなりますが、それを生物が取り込むと、体に変化が起き、通常の生物では考えられない力や能力を得ます」
「なるほど……魔物の強さは、取り込んだ魔石によるってことか」
ルナは頷き、少し真剣な表情になる。
「ええ。魔石の種類や大きさによって、力の差は大きくなります。小さな魔石なら弱い個体ですが、大きな魔石や特殊な種類を取り込んだ魔物は非常に危険です」
「魔物って、どうやって倒せばいいんだ?」
「……魔石は力の源であり、弱点にもなります。魔物は体内の魔石によって変異しているので、魔石を取り出すか、砕いてしまうと無力化出来ます」
ナオトは驚いた顔で眉を上げる。
「魔石を取り出す……って、体の中からか?斬るだけでは倒せないのか?」
「切るだけでも倒すことはできます。致命傷を与えれば個体は動かなくなりますから、即時の脅威は消せます」
ルナは言葉を続ける。
「ただし、魔石をそのままにしておくと問題が残ります。強力な魔石は周囲に影響を及ぼしたり、別の魔物を生む原因になることもあります。だから安全にするなら、可能であれば魔石を取り出すか、砕いて無力化するのが望ましいです」
「状況次第ってことだな。まずは命を守る、余裕があれば魔石の処理もする、と」
「それに、魔石は魔物の力の源であると同時に、人間の役に立ちます。魔法の力を高めたり、道具や装備の強化にも使えます。冒険者ギルドでは魔石を買い取り、魔法道具の材料や研究に使っています。冒険者にとっては魔物討伐の際に魔石を持ち帰ることは、戦いの副産物として非常に価値があるのです」
ナオトは背中の矢筒を軽く叩きながら、考え込むように答えた。
「なるほど……魔物を倒せば、命を守れるだけじゃなく、魔石を手に入れて人間の役にも立てる。一石二鳥ってことか」
ルナは小さく微笑み、肩越しにナオトを見た。
「ええ、でも油断はできません。冒険者の戦死する理由の大半は欲に溺れ、高価な魔石や素材を得るために、実力以上に強力な魔物に挑んでしまうことにあります」
「魔石は魅力的だけど、油断すると命取りになるってことか」
ルナはうなずき、静かに微笑んだ。
「ええ、だからこそ冷静さを失わず、状況を見極めながら戦うことが大切です。魔石は貴重ですが、命の方がずっと大事です」
「わかった。魔物にも、魔石にも、しっかり気をつけながらやるよ」
―――
朝の光が窓から差し込み、白い手を照らしていた。
指先に塗った赤いネイルが、まるで血の雫のように光を反射する。
カレンはぼんやり爪の艶を確かめていると、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
声をかけると、現れたのは見慣れた顔。
ナオトは余計な前置きもなく部屋に入ってくる。
軽く笑みを浮かべながら、まるでここが自分の場所であるかのように自然に。
「それで、今日はなんの用?」
カレンは机に肘をつき、赤い爪で木目をコツコツ叩く。
「てっきり整体の仕事だけで暮らしていけるようになったんだと思ってたけど?」
「皆、朝は仕事で忙しいみたいでな、整体の仕事は朝はお客が少ないんだ。空いてる時間で依頼を受けに来た。商業ギルドの依頼を受けて人脈を広げるのも大事だろ?」
「……あんたにしては悪くない考えね」
ナオトは腕を組みながら続ける。
「今日はルナが来れないから、俺が一人で出来て、午前中に終わる依頼にしてくれ」
「……あんたねぇ、そんな都合のいい依頼があるわけないでしょ。」
カレンは深いため息をつき、呆れたように言った。
「じゃあ、あたしの家のトイレ掃除でもお願いしようかしら」
「人脈広がらないじゃねぇか!」
「冗談よ」
カレンは、机の上の依頼書の束をめくり始めた。
赤いネイルの指先が紙の端を軽やかに弾き、ぱらぱらと音を立てる。
「午前中で終わりそうで、あんた一人でも出来そうなやつねぇ……」
そうつぶやきながら数枚を抜き取り、慎重に見比べる。
「いいのがあったわ」
差し出された依頼書をナオトが受け取る。
「荷物の運び出しと簡単な掃除ね。午前中には片付くはずよ。依頼主は商人組合の人だから、人脈を広げたいなら悪くない相手ね」
ナオトは依頼書を確認しながら頷いた。
「なるほど……確かに荷物の運び出しと掃除なら俺でも出来そうだな。ありがとな」
カレンは椅子に背を預け、涼しい顔で手をひらひらさせる。
「お礼なら、トイレ掃除をしてから言いなさい」
「だからそれは依頼じゃないっての!」
―――
ナオトは依頼された荷物の運び出しと掃除を終え、額の汗を手の甲でぬぐって一息つく。
「ふぅ……思ったより倉庫の荷物が多かったな。けど、これで午前中には終われたか」
ギルドで報酬を受け取ると、ナオトは足早にアークロスの街を抜け、陽だまりの宿へ向かった。
宿の扉を押して中に入ると、昼下がりの柔らかな光が差し込んでいる。
テーブルにはルナの姿があった。彼女は真剣な表情で紙とにらめっこしており、手元には書きかけの書類が数枚並んでいた。
「ルナ、ただいま」
声をかけると、ルナが顔を上げ、耳がぴくりと動く。
「お帰りなさいませ、兄様。ギルドの依頼は、無事に終わったのですか?」
「ああ、なんとか無事に片付いたよ。それで、ルナの方はどうだった?」
ナオトは彼女の手元の紙に視線を向ける。
ルナは少し恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、丁寧に説明した。
「はい。兄様の整体に来てくださったお客様の名簿を作りました。お名前と、どの時間帯に来られるか、どのような施術をしたか、整理してまとめておきました。……ですが、字が読みづらくないか少し心配で」
ナオトは紙を受け取り、目を通してから笑った。
「いや、十分読みやすい。ルナがやってくれると本当に助かるな」
ルナはほんのり嬉しそうに微笑み、狼の耳が小さく揺れた。
午後になると陽だまりの宿の一室に、ナオトの整体を受けに客が集まってきた。
最初の客は農作業で腰を痛めた中年の農夫。
「おお……背中が軽い……!これでまた畑に出られるぞ!」
喜びを声にして帰っていった。
次は宿の常連である老婆。
「指先が温かくて眠くなってしまいますねぇ」
施術の最中に心地よさそうに目を閉じ、そのまま小さな寝息を立てた。
三番目にやって来たのは若い兵士見習い。
「ぐっ……いてて……でもなんだか楽になってきた気がします!」
筋肉のこわばりを解きながら、若い兵士は感嘆したように背筋を伸ばした。
ルナは傍らで、顧客名簿にチェックを入れ、真剣に補佐を務めていた。
夕暮れが近づいた頃、最後の客のドワーフが部屋へ入ってきた。
分厚い胸板と日に焼けた肌、逞しい腕。
鍛冶屋『鉄の手』の主人であり、ボニーの父親だった。
「お世話になりますな。鍛冶屋のガルド・アイアンハンドです」
「いらっしゃい、ガルドさん。じゃあ横になってください」
ナオトは整体を始め、厚い筋肉を押し分けるように指を入れていった。凝り固まった部分をほぐすと、ガルドがふっと息を吐いた。
「……やはり大した腕だ。娘が気に入るのも頷ける」
ナオトは少し迷ったが、手を止めずに口を開いた。
「もし差し支えなければ……ボニーさんと喧嘩した理由を教えてもらえませんか?」
ガルドの体が一瞬だけ強張った。
「……ふむ。ナオト殿には前に世話になった縁もある、隠すことでもないな」
ガルドはしばらく天井を見つめ、やがて低い声で語り出した。
「ボニーはいい女だろ。気立てが良く、器量も良い。腕っぷしは誰より強いし、体力も申し分ない、頭の回転も速い。子どもの頃から何をさせても一度で覚える。おまけに礼儀正しい」
その語り口はまさに親バカ全開で、ナオトは思わず軽く息をつく。
「お前さん、分かっているか。あの子は鍛冶屋の中でも群を抜く才覚を持っている。金属を打つ技術だけじゃない、細かい装飾も出来るし、戦闘の勘も素晴らしい。小さい体でここまでやれるとは、親として誇らしい……いや、誇らしすぎて鼻血が出そうだ!」
ナオトが背筋を押しながら静かに頷くと、ガルドはさらに熱を帯びた声で続けた。
「おまけに根性も人並み外れている!俺が思うに、あの子はこの世で最も優れた娘だろうな!そして、あの子は俺の鍛冶屋を継ぎたいと言ってきてる」
ナオトは施術の手を止めずに、しかし心の中で微笑んでいた。
ガルドは一瞬考え込むように目を伏せ、やがて低く重い声を出した。
「……だがな、だからこそ、あの子には鍛冶屋の道を歩ませたくないんだ。炉の前で一日中汗を流し、鉄を打つたびに体を削られる……そんな重荷を娘に背負わせたくない。それに最近は鍛冶屋の仕事が減ってきてな。戦争が終わってもう十年、需要は以前の半分にも満たん。だからこそ娘には、もっと自由に生きてほしいのだ」
ナオトは頷き、手を動かしながら静かに答える。
「……なるほど。ボニーさんに自由に生きてほしい。親としての深い愛情ですね」
ガルドは満足そうに息を吐き、目を閉じる。
「そうだ。だがあの子は俺の言うことを聞かない強情者だからな……それでこそボニーらしいが……それでだ、ナオト殿。あの子をよろしく頼めんか?」
ガルドの声は真剣そのもので、少し震えている。
「これからの時代に必要なのはナオト殿の整体のような技術だ。あの子を任せられるのは、お主しかおらんと思っておる」
施術が終わり、立ち上がるとガルドは肩をぐいと回して言った。
「いやー、今日も楽になった。ナオト殿、感謝するぞ。これでまた体力の限り鍛冶屋仕事に励める。ま、さっきの話は考えといてくれ」
ナオトがまだ言葉を探していると、部屋の扉が大きく開き、豪快な笑い声と共に陽だまりの宿の主人ブライアンが入ってきた。
「おうおうっ、ちょっと待った!」
部屋に響く声に、ガルドもナオトも一瞬身を強ばらせる。
ブライアンは大きな手を広げ、豪快に笑いながら言った。
「ナオト、聞こえてるぞ!おいおい、ガルド殿が娘のボニーを任せたいだと!?ほほう、こりゃ親心とはいえ面白いことになったな!」
ガルドは眉をひそめるが、ブライアンはお構いなしに続ける。
「だがな、ナオト。俺の娘のナディアの方が、もっとお似合いだと思わんか!?料理も掃除も完璧だし、スタイルもいいし、笑顔は天下一品!」
ナオトは苦笑しながら言葉を探す。
「いや、今それ言うか……」
ブライアンは肩を大きく揺らして豪快に笑い、声を響かせた。
その瞬間、宿の奥から勢いよく飛び出してきたのはブライアンの娘のナディアだった。
「ちょっと、お父さんッ!何言ってるの!」
両手を腰に当て、顔を真っ赤にしてナディアは怒鳴る。
「勝手に変な話を進めて、ナオトさんが困ってるでしょ!?」
「はっはっは。ナオト、お前は好きな女を選べ!いやー、人生ってのはこういうのが楽しいんだな!」
「……兄様には、ルナがいます」
ナオトとガルド、ブライアンとナディアの四人が驚いたようにルナを見つめる。
「第一夫人の座は、ルナのものです」
ルナの瞳は真剣そのもので、まっすぐナオトを見据えていた。
ブライアンは一瞬言葉を失い、そして大きく笑った。
「おおっ、なるほどなるほど!第一夫人の座は予約済みか!こりゃまた面白い展開だな!」
その時、陽だまりの宿の扉が、軋む音を立てて開かれた。
ひょっこりと顔を出したのは、純白のローブに身を包んだ神官見習いのアリアだった。
「……何か、見逃せない雰囲気を感じたので、急いで来ちゃいました」
ブロンドの髪を風に揺らしながら、アリアはにこりと笑う。
「出たな、ラブコメヒロインめ!」
ガルドは目を丸くし、ブライアンは笑いを抑えきれず肩を揺らす。
ルナは腕を組み、じと目でナオトを見つめる。
ナディアは顔を真っ赤にしながらブライアンを睨みつける。
アリアは小さく笑いながら、状況を楽しむように見つめる。
ナオトは苦笑しつつも、頭の中で今日の出来事を整理していた。




