第二章14『試し撃ち』
ナオトは袖をまくり、調理台の前に立った。
「さて……今日は特別だ。俺の故郷の料理を食わせてやる」
「兄様の故郷の料理……ですか?」
ルナが少し首を傾げ、耳をぴくりと動かす。
その隣で、ボニーが目を輝かせて身を乗り出した。
「楽しみです!どんなものなんですか?」
ナオトは買ってきた肉の塊を取り出し、包丁で分厚く切り分ける。
「まずはこれを叩いて柔らかくする」
木槌で肉を叩くたび、コツンコツンと音が響く。
「次に小麦粉をまぶして……卵をくぐらせて……最後はパン粉だ」
「パン粉……パンを砕いたもの、ですか?」
ルナが不思議そうに問いかける。
「そうだ。これを衣にして揚げるんだ。外はサクサク、中はジューシーになる」
油をたっぷり注いだ鍋を火にかけると、ボニーが驚いたように声を上げた。
「こ、こんなに油を使うんですか!?贅沢ですね!」
熱した油に衣をまとった肉をそっと落とす。じゅわぁぁっと音が弾け、香ばしい匂いが一気に広がった。
「……とても良い香りですね……」
ルナは胸に手を当てて小さく感嘆しする。
「すごいです!もうお腹が鳴りそうです!」
ボニーは我慢できないとばかりに身を乗り出した。
黄金色に揚がった肉を取り出し、食べやすく切り分けて皿に盛る。
付け合わせに千切りキャベツと採れたてのトマトを添えて完成だ。
「よし、『トンカツ』の出来上がりだ」
「……とんかつ……ですか?」
ルナは耳をぴんと立てながら、恐る恐る一切れを箸でつまみ、口に運んだ。
「……っ!外は香ばしくて軽やかなのに……中は驚くほど柔らかいです……!肉汁が口いっぱいに広がって……」
ルナの声は小さいながらも震えており、心から驚いているのが伝わる。
ボニーは我慢できずにかぶりつき、目を丸くした。
「こんな美味しいもの、初めて食べました!」
興奮で足をぱたぱたと揺らしながら、すぐに次の一切れへ手を伸ばす。
ナオトは得意げに笑った。
「俺の国じゃこれ、日常的に出てくるんだぜ」
「こんな料理が、日常的に食べられるなんて信じられません」
ルナは頬を染めて、もう一切れ口に運ぶ。
「こんなのが普通に食べられるなんて……夢みたいです!」
ボニーは感激で目を輝かせ、声を弾ませた。
小屋の中には、揚げたての香りと、三人の笑い声が心地よく広がっていった。
―――
夕食を終え、片付けを終えたあと、ナオトが裏手のお風呂を見に行くと、そこには思わず目を疑う光景が広がっていた。
「……おいおい、なんだこれは」
自分が作ったときは、簡素な木桶にお湯を張っただけだった。
だが今目の前にあるのは表面を丁寧に磨き上げ、継ぎ目は水が漏れないように金具で補強されている立派な浴槽だ。
側面には小さな棚まで取り付けられており、桶や布を置けるようになっている。
「ボニーさん……これ、全部やったんですか?」
ルナが驚きと感心を込めて声を上げる。
ボニーは胸を張り、にかっと笑った。
「はいっ!ナオトさんが作られた木桶を見て、ちょっと改良したくなっちゃいまして!底板を組み直して湯漏れしないようにしましたし、外側は削って滑らかに磨いておきました!」
「いや……すごすぎるだろ……」
ナオトは思わず頭をかく。自分が作ったなんとか湯に浸かれる程度の桶が、職人の手で一気に風呂らしい風呂へと変貌していた。
ルナはそっと浴槽に触れて、感心したように小さく微笑む。
「……手触りがとても滑らかです。これなら肌を傷つけることもありませんね」
「木の香りも残るように磨きましたから、湯に浸かると気持ちいいと思います!」
ボニーはさらにその周囲の設備も案内する。
「ボニーさん……これは……?」
ルナが耳をぴんと立てながら、目を丸くする。
ボニーは胸を張って得意げに説明する。
「まず川からの樋をこちらの貯水槽にためるようにしました!」
大きな木枠の貯水槽には、適量の水が静かに満ちている。
「これで水量を調整できますし、排水弁を付けましたので急に水が溢れる心配もありません!」
ボニーはさらに指差して続けた。
「それから、貯水槽から樋を延ばして、増設したかまどの上に据えた鉄鍋に水を注ぐようにしました!そして注ぎ口を作ったので、鍋に火を入れればお湯が沸き、そのまま樋を伝って木桶風呂に流れるようになっています!」
ナオトは口をあんぐりと開け、言葉を失った。
「……貯水に給湯、自動で木桶にお湯まで流れる……どこの温泉宿だよ……」
ルナは湯気の立つ鉄鍋と流れる樋に目をやり、静かに感心した。
「とても効率的ですね……湯を汲みに行かなくてもいいなんて驚きです」
「はいっ!これなら湯加減も簡単に調整できますし、入浴も楽々です!」
ボニーは胸を張り、元気いっぱいに笑った。
ナオトはしばらく全体を眺めたあと、ぽつりと呟く。
「……俺が作ったのはただの木桶だったのに、まさかここまで立派になるとは……」
「ふふ……毎日入りたくなってしまいますね」
ルナが少し照れながら微笑む。
「私もお風呂作るの初めてだったので楽しかったです!」
ボニーは満面の笑みで声を響かせた。
早速ナオトは薪をくべ、鉄鍋の注ぎ口から流れ落ちるお湯を眺めた。
「よし……ちょうどいい湯加減だな」
衣服を脱ぎ、木桶風呂にそっと浸かる。湯が体を包み込み、筋肉の疲れがじんわりほどけていく。
「……はぁ……最高だ……」
熱さと柔らかさの絶妙なバランスに、思わず深いため息をついた。
しばらくして、ナオトが湯から上がると、次はルナとボニーの番だ。
「それでは失礼します」
ルナがそっと湯に足を入れると、柔らかい湯気が立ち上り、心地よい熱が体を包んだ。
「あたたかいです……とても気持ちいいです」
小さな声でつぶやきながら、ゆっくり体を沈める。
ボニーも湯に入ると、湯気の中で満面の笑みを見せた。
「うわぁ!これは最高ですね!」
「……え……?」
ルナはふと目線を下げてボニーの胸元に目が止まった。
ルナより身長が低いボニーの方が胸が大きく、丸みを帯びているのが見えたのだ。
「ルナより小さいボニーさんの方が大きい……」
ルナは思わず湯面を見つめ、心の中で軽くショックを受けていた。
ボニーはそんなルナの様子に気づかず、楽しそうに湯をかき混ぜながら言った。
「はぁ~、湯加減もバッチリ!頑張った甲斐がありました!」
「……ルナも頑張ります」
ルナは小さくつぶやきながら、湯に身を沈めて静かに温まった。
―――
湯上がり、タオルで体を拭いたナオトは、ルナに声をかけた。
「さて、日課の整体をやってやるか。湯に浸かって筋肉もほぐれてるだろうし、ちょうどいい」
ルナは少し照れくさそうに頷く。
「……はい、よろしくお願いします」
ルナは丁寧に座り、ナオトに背中を向けた。
ナオトは手をルナの肩に置き、軽く指圧する。筋肉の張りやこわばりを確かめながら、ゆっくりとほぐしていく。
ルナは小さく吐息をもらし、肩の力が抜けていく感覚に目を細めた。
その様子を見ていたボニーが、興味津々で顔を近づける。
「ナオトさん……その整体って、どういう仕組みで体がほぐれるんですか?」
「基本は筋肉の張りや関節の動きを見て、必要な場所を緩めるだけだ。指圧や軽い運動で血流を改善して、体の負担を減らすんだ」
ボニーは興味深そうに首をかしげた。
「なるほど……。押す強さや角度で効果が変わるんですね。ナオトさん、私もお願いできますか?」
「もちろんだ」
ボニーは湯上がりで軽く拭いた髪を耳の後ろにかけ、ナオトの前に座った。
身長は140センチほどで、ファンタジー世界によくあるドワーフのような体格ではなく、体型は小柄だが人間女性のバランスをそのまま縮めたような小人族のような体型。筋肉のラインも程よく、健康的な体つきだ。
ナオトが肩や背中を軽く押すと、ボニーは思わず声を漏らした。
「わっ……うぅ、効きます……!」
顔を少し赤らめ、肩や背中のこわばりがほぐれる感覚に身を預ける。
ナオトが手を動かすたび、ボニーは小さく声を漏らし、心地よさを味わった。
「これで明日の活動もばっちりだな」
「はいっ、すっきりしました!」
ボニーはにこりと笑いながら応えた。
―――
翌朝、森の木漏れ日が地面に差し込む中、ナオトは弓を手に立っていた。
「よし、今日は改良した矢の試し撃ちだ」
ルナとボニーは隣で見守る。ルナは静かに手を組み、ボニーは元気いっぱいに身を乗り出している。
「ナオトさん、弓矢は苦手とのことだったので。まずは至近距離で試すと安全です」
ボニーは胸を張って矢を手に取り、ナオトに説明する。
「このワイドブレード矢じりは、先端が通常より広く、肉厚になっています。大型の獣に当たったとき、通常の矢より貫通力は少し落ちますが、刺さった後の出血面積が広くなるので、止め刺しの効果が高まるんです」
ナオトは少し緊張しながら弓を構え、標的の丸太に照準を合わせる。
「よし……この距離なら当たるはずだ」
ナオトは弓を引き、矢を放つ。矢は弦を弾く音を立て、標的の丸太に深々と刺さった。
「おお……確かに刺さり方が違うな……」
ナオトは目を丸くして矢を抜き、もう一本の通常の矢と比較する。
同じ距離から放った普通の矢は刺さった面積が小さく、木の表面に軽く食い込む程度だ。
ナオトはワイドブレード矢を引き、再び放つ。矢は勢いよく飛び、標的に突き刺さると、刺さった部分の面積の広さが一目で分かる。
「……なるほど、これなら大型獣に当たったときの効果が違うのも納得だ」
ルナは小さく感心して言った。
「……刺さった面積が広いので、確かに大型の獣に効きそうですね」
ボニーは得意げに胸を張る。
「はい!ナオトさん、最初は近距離で練習すれば、狙い方も少しずつ慣れてきますよ」
―――
丸太での試し撃ちを終え、ナオト達は森の中を進んでいた。
ルナは耳をピクピクと動かしながら周囲の気配を探る。
しばらく歩くと、小さな茂みの中で二匹の小動物が飛び跳ねるのを発見した。
「兎ですね……」
ルナが囁く。
ナオトは矢を放つが、まだ慣れない手つきで矢は二匹のすぐ脇に落ちる。
「……くっ、外れたか」
「任せてください……」
ナオトは少し悔しそうに肩をすくめる。
ルナは小剣を手に取り、静かに前に出た。
茂みに足を踏み入れ、素早く斬りかかる。
シュッという音と共に、正確に一匹を仕留めた。
ルナは深呼吸をし、獲物を確認しながら小剣を鞘に戻す。
「……一匹は逃がしてしまいました」
ボニーは目を丸くして拍手に近い手振りで喜ぶ。
「すごいです……ルナさん、小剣で仕留めるなんて!」
「うむ……やっぱり頼りになるな」
ナオトも悔しさ混じりに微笑む。
しばらく森の中を進み、そろそろ帰ろうかと話していたそのとき。
ルナが耳をピクッと動かし、立ち止まった。
「……兄様、何か……大きな気配がします」
森の木漏れ日が揺れる。枝葉がかすかにざわめき、低く、重い息遣いが森の奥から聞こえた。
茂みの陰から、茶色の毛皮がうねるように動き、若い熊が姿を現した。
まだ成獣ほどの大きさではないが、筋肉質な体と、鋭い目つきは恐怖を誘う。
興奮したように唸りを漏らし、体を低くして前後に揺らしている。
ルナは眉をひそめた。
「……この辺りにヤングベアの縄張りはないはずです。なのに……どうして興奮しているのでしょう……」
ナオトは後退しようと足を動かすが、森の地形は思ったよりも入り組んでいる。
「……逃げられるか……?」
しかし、ヤングベアの動きは素早い。
低く唸る声が森中に響き、枝葉が揺れて小鳥たちが一斉に飛び立った。
ルナは小剣を握りしめ、呼吸を整えた。
「……逃げるのは無理です。ここで戦うしかありません」
冷静な声だが、背筋に緊張が走る。
ボニーも小さく息を飲む。
「ナオトさん、気をつけてください!」
彼女は少し前傾し、動きを見極めようとする。
ヤングベアはさらに唸り、前足で地面を叩く。森の空気が重く振動し、葉のざわめきが鋭い不協和音のように響いた。
ナオトは弦を引き、指先に力を込める。矢の先端が木漏れ日にわずかに光る。
ルナは小剣を構え、熊の動きをじっと見つめる。
「……よし、やるしかない!」




