第二章13『開店初日』
翌朝。
ナオトとルナは陽だまりの宿の個室を借り、整体の準備を整えていた。施術台を中央に置き、布をかけ、道具も一通り並べる。窓から差し込む光に照らされた空間は、どこか清潔で落ち着いた雰囲気をまとっている。
「……よし、これで準備は整ったな」
ナオトが額の汗を拭い、深呼吸する。
ルナは椅子に座りながら、少し緊張した顔で辺りを見回した。
「でも、まだ誰も来ませんね……」
時間だけが静かに過ぎていく。
宿の外からは商人や職人たちの賑やかな声が響き、馬車の車輪の音や荷物を運ぶ掛け声も混ざって聞こえる。人の動きは多いのに、整体の部屋の扉が開く気配はない。
「……やっぱり、急には来ないか」
「兄様の技術ならきっと皆喜んでくれるはずです。少し待っていましょう」
ナオトは椅子に腰かけてつぶやくと、ルナは心配そうに眉を下げ励ます。
その時、ブライアンが重い足音を響かせながら入ってきた。
「どうだ?客は来たか?」
「いや、全然だ」
ナオトは苦笑して首を振る。
ブライアンは豪快に笑った。
「はっはっは、そりゃそうだ。朝はみんな仕事で手一杯だ。鍛冶屋も商人も職人も、昼間は働き詰めだしな」
「じゃあ、整体に来るのは……」
「夕方だな。仕事終わりで体がガチガチになったやつらが、酒を飲むついでに寄るだろうよ」
「……なるほどな」
ナオトは納得し、少し肩の力を抜いた。
ブライアンはにやりと笑って肩を叩く。
「焦るな。酒場と同じで、客は腹が減った時と体が疲れた時に集まるもんだ」
ルナは小さく笑みを浮かべて頷いた。
「兄様、夕方までにもっと準備を整えましょう。看板も作った方がいいかもしれません」
「看板……そうだな。ルナ、お願いできるか?」
「はい。目立つように可愛く描いてみます!」
ナオトはルナの元気な様子に少し安心しながら、夕方からの本格的な開業に備えていくのだった。
―――
昼下がり。
まだ本格的に客が来るには早い時間だったが、宿の扉が軋む音を立てて開いた。
「おう、やってるか?」
現れたのは、以前商業ギルドの依頼で出会った農家の旦那だった。日に焼けた精悍な顔に、逞しい腕。後ろには娘のトーヴィアが控えている。
「この間は畑の収穫を手伝ってくれてありがとな。整体の店をやるって聞いたから、試しに来てみたぞ」
農家の旦那が豪快に笑いながら言う。
「ナオトさん、ルナちゃん。今日はよろしくね」
トーヴィアは柔らかく微笑み、丁寧に頭を下げた。
「あぁ、こちらこそ。わざわざ来てくれてありがとう」
ナオトは立ち上がり二人を迎え入れる。ルナもにこやかに出迎えた。
―――
まず父親が施術台に横になる。
「腰がな、畑仕事のせいでガチガチなんだ」
「了解です。じゃあ、力を抜いてください」
ナオトは父親の腰に手を添え、ゆっくりと圧をかける。骨の位置を確かめながら、呼吸に合わせてほぐしていく。
「おおっ……。じわーっと効いてくるな……!」
「筋肉が固まって血流が悪くなってるんです。少しずつ整えますから」
「こりゃすげぇ……」
父親は唸りながら、どんどん表情を緩めていった。
次にトーヴィアが施術台に横になる。
「わ、私もお願いします……」
少し緊張した声でそう言い、体を横たえる。
トーヴィアは父親譲りの健康的な体つきだった。
畑仕事で鍛えられたしなやかな四肢、日に焼けた肌には生命力が溢れている。
腰のくびれは意外にもしっかりしていて、全体的に引き締まったスタイルをしていた。
農家の娘らしい健やかさと、年頃の女性らしい美しさが同居している。
ナオトは肩から背中へと手を滑らせ、筋肉の張り具合を探る。
「肩、かなり凝ってるな。重い籠を担ぐからだろ?」
「はい……。収穫の時は特に、ずっと重いものを持っているから」
ナオトが軽く圧をかける。
「あっ……」
トーヴィアは小さな声を漏らした。
「痛かったか?」
「い、いえ……すごく効いてる……」
ルナは隣でタオルを持ちながらにこにこ見守っている。
「兄様の整体は、じんわり効いて体が楽になるんです。トーヴィアさんもすぐに実感できるはずですよ」
「うん……! ほんとに、肩が軽くなってきた……!」
施術が終わる頃には、トーヴィアの表情はすっかり明るくなり、体を軽く回して驚いていた。
「すごい……! 体がこんなに楽になるなんて!」
「こりゃ評判になるぞ。ナオト、お前、腕がいいな!」
ナオトは少し照れたように笑う。
「よかった。体を使う仕事をしてる人は特に負担が大きいから、また辛くなったら来てくれ」
父親は豪快に頷いた。
「おう!こりゃ近所の連中にも勧めてやらんとな。腰や肩を痛めてる奴なんて山ほどいるからよ」
トーヴィアもにこにこしながら付け加える。
「私も友達に話してみるね。きっと来てくれると思う」
トーヴィアの父親が財布を取り出しかけた時、ナオトが手を上げて止める。
「いや、今日は料金はいらない」
「いやいや、仕事をしてもらったんだ。タダなんてわけには……」
ルナも不思議そうに首をかしげる。
「兄様、本当にお代をいただかなくて良いのですか?」
ナオトは少し笑って説明する。
「整体は、この街では知られていないだろう?だったら、まずは体験してもらわないと価値が伝わらない。最初は無料で受けてもらって、その良さを知ってもらえれば、それが一番の宣伝になるんだ」
「宣伝……?施術を体験させて、そのあとで本当に良いと思ったら金を払ってもらう……ってことか?」
「いや、初回は完全に無料だ。そのあとまた受けたいと思った人にだけ料金を払ってもらえばいい。俺の腕が信用に足るかどうかは、施術を受けてから判断してほしいんだ」
父親とトーヴィアは顔を見合わせて目を丸くする。
「そんなやり方、聞いたことがねぇ……」
「でも、とても気持ちよかったし、身体が軽くなったわ。……また受けたいって思う」
ナオトはうなずいて締めくくる。
「それが狙いさ。だから今日は心配しないでくれ」
父親はしばし考え込み、やがて苦笑した。
「なるほどな……面白ぇ。新しい商売の仕方ってわけか。よし、じゃあ今度はちゃんと払うつもりで来るとするか」
「あぁ、また来てくれ」
ルナはそのやりとりを見て、ぱっと顔を輝かせた。
「兄様の考え方、素敵です!これならたくさんの人に整体を知ってもらえますね」
―――
トーヴィアと父親の整体を終えてしばらくすると、宿の個室には静かな時間が流れていた。ナオトは手元を整えつつ、次に来るお客さんに備えて準備を続ける。
「さて……そろそろ次が来るかな」
すると二人の男性がやってくる。年の頃は30代後半くらい、日焼けした肌と逞しい腕を持ち、重労働の疲れが肩や背中に表れている。二人とも農家でトーヴィアの父親に紹介されたらしい。ナオトは簡単に挨拶を交わすと、順番に施術を開始した。
ナオトは手のひらで背中の筋肉を押し、ゆっくりとほぐしていく。二人とも初めは緊張している様子だったが、次第に力が抜けていき、施術後には満足そうな笑みを見せた。
「おお、軽くなった!」
「これはすごい……ありがとう、ナオトさん」
二人を見送ると、宿の個室には再び静けさが戻る。ナオトは息を整えながら、ふと窓の外を見ると夕方の柔らかい光が差し込んでいた。
そのとき、再びトーヴィアが元気よく顔を出す。
「ナオトさん、友達を連れてきました!」
彼女の後ろに立つのは、ひときわ目立つ女性。女戦士のような風貌で、鮮やかな赤紫色の髪を高めのポニーテールにまとめ、光の加減で宝石のように艶めいている。視線は鋭く、自信に満ちた立ち居振る舞い。腰には長剣を提げ、革鎧を軽装に着こなしていた。
そして、体格は圧巻だ。背丈は高く、引き締まった脚と腰、そして鎧越しにもわかる豊満な胸が力強さを際立たせている。鍛え上げられた肉体からは、日々の戦闘や訓練の努力が感じ取れる。
「はじめまして。トーヴィアからお話は聞きました……今日はよろしくお願いします」
「ああ、どうぞ、こちらに」
ナオトが施術台を示すと、女性は一瞬ためらったものの、深呼吸をしてから鎧の肩当てや胸当ての留め具を外し始める。革鎧を脱ぎ、布の服だけになったその姿は、豊かな胸が戦士らしい筋肉の隆起と相まって存在感が際立っていた。
「じゃあ、肩から始める。力を抜いて」
「……はい、お願いします」
ナオトは掌を肩に当て、筋肉の硬さを確認しながらゆっくり圧をかけてほぐしていく。戦闘で酷使された背中や腰の筋肉が、指先に伝わってくる。
「んっ……これは……」
「痛みはないか?」
「いえ……逆に、どんどん楽になっていきます……」
背中へ手を移し、指で筋肉の繋がりを丁寧に確認しながら施術を進める。胸の動きや呼吸の変化も意識し、ナオトは視線を逸らしつつも手を止めずに丁寧に行う。
「腰も張ってる。深く息を吸って……吐いて」
「ふぅ……ああ……本当に、軽いです……」
施術を終えると、彼女はゆっくりと起き上がり、脱いだ鎧を肩にかける。大きな胸が自然に揺れている。
「ナオトさん、本当にありがとうございます」
「無理はしないで。また疲れを感じたらいつでも来てくれ」
女性が背中を軽く伸ばすのを見届けたナオトは、少し微笑んで尋ねた。
「そういえば……君は普段、どんな仕事をしてるんだ?」
女性は目を細め、笑みを浮かべる。
「私は冒険者です。幼馴染の女の子たちとパーティーを組んで、依頼をこなしています。前衛担当です」
ナオトは興味深げに頷いた。
「なるほど、君たちのパーティーは何人いるんだ?」
「四人です。みんな幼馴染で、力を合わせて頑張ってます。将来的には有名な冒険者パーティーになりたいんです」
「そうか……若いのにすごいな」
女性は少し照れたように笑う。
「ナオトさん、整体ってすごいですね……疲れが一気に取れる感じです。これなら明日の依頼も全力で挑めそうです」
ナオトは肩越しに彼女の筋肉の張りを確認しながら、少しだけ誇らしげに答えた。
「無理は禁物だ。定期的に来て、体の調子を整えるんだぞ」
「わかりました。ナオトさん、ありがとうございました。今度仲間も連れてきますね」
「あぁ、待ってるぞ」
―――
ナオトとルナは小屋に戻ると、畑の向こう側から元気な声が聞こえた。
「ナオトさん、おかえりなさい!」
声の主はボニーだった。小さな体ながら胸を張って、満面の笑みで二人を迎える。
小屋の中に入ると、まず目に入ったのは床の美しさだった。割れや凹みが目立っていた板の隙間もきれいに埋められ、掃除も行き届いている。
ナオトは思わず息を漏らした。
「俺がやるよりきれいになってるな……」
ボニーは胸を張り、誇らしげに答える。
「ドワーフですから!こういうのは得意なんです!」
ルナも小さく感心したように目を丸くする。
「本当にすごいですね、ボニーさん……」
「それから、ルナさんにお願いされた小剣の手入れも終わらせておきました!」
「ありがとうございます、ボニーさん。助かります」
さらにボニーは得意げに続けた。
「時間が余ったんで、ついでに小屋の中の全ての刃物も手入れしておきました。切れ味はバッチリです!」
ナオトは目を見開き、部屋中の刃物を確認する。ナイフや包丁、鍬の刃先まで、どれも光を反射してピカピカに輝いていた。
「……おい、これはすごすぎるだろ。小屋の中の全部の刃物が光ってるぞ」
「それから」
「まだ何かあるのか?」
ボニーは胸を張って続けた。
「ナオトさんにお願いされてた弓矢の改良、完成しました!」
ナオトは目を見開き、作業台に置かれていた矢を確認する。矢じりの形状が変わり、細かい刻みや金属の光沢が増している。矢全体も軽やかになっており、手に取ると明らかだった。
「おお……これはすごいな。飛距離も命中精度もかなり変わりそうだ」
ボニーは誇らしげに胸を張る。
「『ドワーフの技術侮るなかれ!』です! これで大型の獣にも通用するはずですよ」
「よし!明日の朝、試し撃ちに行こう!ありがとうボニー!今日は頑張ってくれたお礼に俺が夕食作ってやるぞ!」




