第二章9『動く西洋人形』
煙が徐々に晴れていく。
視界が戻り始めたルナとメルは、急いでナオトのもとへ駆け寄った。
だが、二人の目に飛び込んできたのは――
「……兄様、何をしているんですか」
「ぷっ……ナオトっち、楽しそうだね」
ルナは呆れた表情で手にした小剣を下ろす。
メルは我慢できずに笑い声を漏らし、肩を揺らす。
――ナオトが西洋人形を抱きしめて遊んでいる光景だった。
「ち、違う!俺は遊んでない!この人形が勝手に抱きついてきて……!」
「……ルナは兄様がどのような趣味をお持ちでも受け止める覚悟をしておりますので……」
「おい待て!俺はそんな趣味持ってねぇ!」
メルは口元を押さえてぷるぷる震えながら、どうしても笑いを堪えられない。
「くっ……ははっ……ごめん、でも……ほんとに遊んでるようにしか見えないよ~!」
「だから違うって言ってんだろ!」
ナオトは真っ赤になって弁解するが、二人の目にはどう見ても必死で言い訳する子供にしか映らなかった。
「ちょ、ちょっと離れろ……!おい、くっ……!」
ナオトは必死に抵抗するが、人形は柔らかな仕草でまとわりつき、まるで生き物のように自然に動いていた。
ルナはしばらく観察し、やがて小さく息をついた。
「……敵意は無さそうですね。人を傷つけるほどの力もないようです」
「ほんとだね。なんか……かわいいかも?」
メルも頷き、にっこり笑う。
そして、小さな体から清らかな声が響いた。
「……美味であった」
ルナとメルは同時に目を丸くし、ナオトも腕の中の人形を見つめ、息を飲む。
「……え?」
「……人形が、しゃべった……!」
人形は三十センチほどの小さな体。
クリームホワイトと淡いブルーを基調としたクラシカルなドレスを纏い、幾重にも重なったフリルとレースが薄暗い部屋の中でも上品に揺れている。
その金色の髪は腰まで届くほどの長いストレート。光を受けてほのかに輝き、絹糸のような艶を放っている。
青い瞳は澄み切っており、角度によっては生きているかのように光の濃淡が揺らめいた。
白磁のような肌は滑らかで、頬にはほんのりと桜色が差している。小さな唇は紅をひいたように整い、まさに高級アンティークそのものだった。
「妾は、パメラ・エルドリア」
小さな人形は手を胸の前に添え、背筋を伸ばして堂々と告げる。
「百年を超えし歳月を経て、知識と叡智を追求してきた賢者である」
ルナは小剣を握ったまま目を細める。
「……なるほど、ただの人形じゃないってことですね」
メルは口元を押さえ、肩を揺らしながら笑いを堪えつつも興味津々だ。
「ふふっ、すごい!小さいくせに、めっちゃ堂々としてる~!」
「病に侵され、肉体は滅びゆく運命にあった。されど、妾は禁呪を用い、魂をこの小さき人形に定着させた。これにより肉体の滅びを免れ、知識と意志を永遠に保つことが叶ったのである」
メルは目を輝かせ、拍手するように手を叩いた。
「へぇ~、すごい!ちゃんと自己紹介出来たね!」
「小さな人形のくせに設定しっかりしてるんだな……」
「何をふざけておる、貴様ら!」
パメラの青い瞳は鋭く光り、賢者としての威厳と小さな体に似合わぬ迫力が漲っていた。
「妾は単なる飾りや遊び道具では断じてない!」
「……お人形に怒られる兄様も素敵です」
「う、うわぁ~!怒っててもかわいい!」
メルは口元を押さえてぷるぷる震えながらも笑いをこらえ、楽しそうに声を上げる。
「……兄様、そろそろ帰りましょう」
「そうだな。商業ギルドの依頼も終わったし、帰るとしよう」
「あ〜!楽しかった!」
パメラが青い瞳でじっと見つめる。
「……ちょっと待つがよい、妾も連れて行け」
「パメラは盗賊が逃げないように見張りを頼む」
その言葉に、パメラの体が小さく震えた。まるで信じられないとでも言うように目を見開く。
「なぜ外に連れて行けと言った妾を、ただ部屋で見張りに使うつもりなのだ!」
ナオトは苦笑し、肩をすくめて返す。
「何で連れて行かないといけないんだよ……」
「理由は簡単じゃ。お主の魔力は美味であった!」
ナオトは少し呆れたように目を細める。
「……美味だったからって、だからどうだっていうんだよ」
するとメルが元気よく手を挙げ、にっこり笑う。
「はいは〜い!パメちゃんが一緒なら、きっと楽しいと思うよ~!」
ルナも穏やかに続ける。
「……兄様に危害を加えないのならば問題ないかと思います」
ナオトは二人の顔を見て、少し考え込む。
「……わかった。仕方ない、連れて行こう」
「よろしい。妾と共にあれば、お主らの安全はさらに増すであろう。そして妾の忠告を無視する愚は犯すでないぞ」
パメラは小さく頷き、威厳たっぷりに胸を張る。
ルナとメルはお互いに微笑み合い、ナオトはため息をつきながらも、パメラを連れて街へと歩き出した。
―――
ナオトは屋敷での任務を終え、街の石畳を歩きながら商業ギルドへと戻った。ルナとメル、そしてパメラは、ナオトが報告を終えるまで外で待機している。夕暮れの光が街並みに柔らかく差し込み、石畳に影を落としていた。
案内された部屋の扉を押し開けると、カレンが書類から顔を上げ、鋭い眼差しでナオトを見据えた。
「遅かったわね。で、屋敷の調査はどういう結果だったかしら?」
「幽霊騒ぎの屋敷だけど、特に不思議な現象はなかった、原因は盗賊だ」
「やはり、幽霊ではなかったのね」
ナオトは報告書を渡しながら、冷静に続ける。
「あぁ、二階の隠し部屋に数人の盗賊が潜んでいた。目撃した通行人が幽霊だと見間違ったんだろう。盗賊はもう退治して縛ってある」
カレンは満足そうにうなずき、メモに簡単に記録を取る。
「わかったわ。期待以上ね」
「……期待以上?どういうことだ?」
ナオトは肩をすくめ、尋ねる。
カレンは微かに微笑み、書類を整えながら言った。
「何か手がかりをつかんで帰って来るとは思っていたけれど、事件を解決するとは思っていなかったわ。あんたにしては頑張ったわね。褒めてあげるわ」
ナオトは軽く笑みを浮かべ、返した。
「そう言ってもらえると頑張った甲斐があるぜ」
ナオトは大きくOKサインを作る。
「……やべ」
「……はぁ」
ナオトが慌ててOKサインを引っ込める前に、ため息混じりでカレンが指を絡ませる。
ナオトが人差し指と親指で作った輪にカレンの人差し指を通す。ナオトのOKサインとカレンのOKサインが繋がり、鎖の輪のように結ばれる。
この世界では恋人同士が永遠の愛を誓うサインの完成だ。
カレンは子供をあやすように指を揺らしながらつぶやく。
「ウンコマンの上に女たらしとか最悪ね」
「なんて言った!?」
「ウンコたらしって言ったのよ」
「ただの悪口じゃねえか!」
カレンは再度忠告する。
「変な誤解されたくなかったら、あたし以外には絶対に同じことをしないで」
―――
ギルドの外では、ルナとメル、そして小さな賢者パメラが、ナオトの戻りを待っていた。
ナオトたちは街を抜けて再び小屋へと帰ってきた。橙色の光が窓から差し込む頃、香ばしい夕食の匂いが小屋の中に広がっていた。
夕食は、ルナが用意してくれた焼き魚と、メルがこねて焼いたパン、トーヴィアの畑で貰ってきた野菜を使ったスープだった。
「うまい。ギルドの仕事の後には、皆で食べる夕食が一番だな」
「おいし〜い!ナオトっち!どっちがたくさん食べれるか勝負だよ!」
「兄様、メルさん、ゆっくり召し上がってください」
食事が落ち着くと、ナオトは立ち上がり、風呂へ向かう。湯気の立つ風呂に浸かり、今日の疲れをゆっくりと癒す。
風呂から上がると、ナオトは濡れた髪をタオルで拭いているルナとメルを呼び寄せた。日課の整体の時間である。
「今日は疲れただろ。念入りにやっていこう」
ナオトは手のひらをルナの背中に沿わせ、肩甲骨や背筋の凝りをほぐしていく。力加減を調整しながら、ゆっくりと圧をかける。ルナは小さく息を吐き、体の力がほぐれていくのを感じた。
「……兄様、さすがです」
次にメルの番。ナオトが肩や腰を軽く押すと、メルは嬉しそうに笑いながら体を伸ばす。
「わー!ナオトっち、すごい!なんか元気が出てきたよ!」
ナオトはメルの肩や背中をほぐしながら、ふと眉をひそめて考え込む。
「なあ、メル、聞いてもいいか?」
「ナオトっちどうしたの?」
メルはにこやかに振り返る。
ナオトは指先で背中を押しながら問いかける。
「盗賊と戦ってるとき……メルの打撃が当たる瞬間、なんか光が出てたよな。あれ、何だ?」
「あー、それ?あれね、なんか楽しくなっちゃって出ちゃうの!あたし、強く当たった瞬間に光みたいなのが見えるんだよ!」
ナオトは軽く首を傾げ、指先で肩甲骨を押す手を緩める。
「……楽しさで光が出るのか。お前、戦闘中でも元気すぎだろ」
メルは元気に笑いながら小さく跳ねた。
そこへルナが静かに補足する。
「……正確には光は単なる気持ちの表れではありません。打撃の瞬間に体内の魔力が集中し、衝撃とともに外に反応として現れているものだと思います」
「魔力か……そんなとこにも魔力が影響するんだな」
「なるほどー、あたしの光も魔力なんだね!知らなかったよー。なんだかかっこいい気分!」
メルは少し照れくさそうに笑いながら、元気に跳ねた。
―――
整体が終わり、落ち着いた頃、パメラが小さな体をふわりと浮かせて近づいてきた。腰まで届く金糸のような髪が揺れ、青い瞳が夕陽の光を反射してきらりと光る。
「お主に一つ提案がある」
ナオトは眉をひそめ、顔を上げる。
「提案?どういうことだ?」
パメラは小さな手を軽く握り、尊大な口調で告げる。
「妾の知識と力をお主のために使おう。ただし、その対価としてお主の魔力を少しばかり預からせてもらう」
「魔力を……?」
パメラは瞳を輝かせたまま続ける。
「魔力には味がある。火の魔力は強烈で刺激的、水の魔力は弾ける爽快感、土の魔力は深みのある味、風の魔力は軽やかな清涼感、光の魔力は上品な甘さ、闇の魔力はほろ苦く濃厚。お主の魔力はどれにも当てはまらない。無色で、見た目には何もないが、じんわりと優しい甘さが広がる。強い刺激も、派手な香りもないのに、奥深い味わいが染み渡り、心を満たす。毎日でも飽きずに楽しめ、どんな魔力とも自然に馴染む。それがお主の魔力の味である。妾はお主の魔力の味が気に入っておる。まさに妾の魂が歓ぶものであった。だからこそ、毎日少量ずついただきながら、妾の知識と力をお主のために役立てよう」
ナオトは考え込み、腕を組む。
「でも、前に検査を受けたときは水晶は反応しなかったぞ?俺には魔力が無いもんだと思ってたんだが……」
「全ての生物には魔力がある。お主の魔力は無色で量も少ないから気づけなかったのであろう」
「なるほど、で、ちゃんと俺のために使ってくれるんだな?」
パメラは胸を張り、小さな声でも強い決意を感じさせる口調で答えた。
「もちろんだ。妾の知識と力は、これからお主のために使う。危険な時も、戦いの時も、妾は忠実にお主を導き、護ることを誓う」
その様子を見て、ルナが口を開いた。
「ちょっと待ってください……兄様、本当に大丈夫なんですか?」
「魔族にとって契約は聖なるものである。妾のような高位の者が交わす契約は、絶対に守られるのだ」
ナオトは肩をすくめ、少し呆れたように笑った。
「ふーん、なるほどな。ま、お前の力には別に期待してないけど、お腹が空いてるなら、カッコつけないでそう言えよ」
パメラは小さな体を震わせ、怒ったように声を張る。
「侮辱するでない!妾の力は決して侮れぬのだぞ!」
「わかったわかった、期待はせんけど契約はしてやるよ」
パメラは小さく頷き、ふわりと浮かんだまま言った。
「よろしい。では、契約の儀式を行う」
パメラは小さな体を浮かせ、青い瞳を真剣に輝かせる。彼女の瞳は揺るぎなく、まるで魂まで見透かすようだ。
パメラは小さな手をそっとナオトの頬に添え、視線を合わせる。
そして、静かに、しかし力強く、パメラはナオトの唇に口づけをした。その瞬間、小さな体から柔らかな光がほのかに漏れ、空気が微かに震えるような感覚が走った。
「これで、契約成立。妾はお主のために尽くす」
「わかった、頼むぞ」
ナオトは少し驚きつつも、冷静に頷く。
メルは肩を揺らして笑いながら口を開く。
「お人形遊びもそこまでいったら重症だよ!」
「……兄様、ルナが必ず人の道に連れ戻します」
ルナは拳を握りしめ決意する。
「いや、人の道を踏み外したわけじゃないから!」
ナオトの叫びが夜の森に響いていた。




