第一章24『ナオトの推理』
「肉を食え!」
「……はぁ?」
ブライアンの豪快な声が室内に響いた瞬間、ナオトの中で張り詰めていた何かが切れた。
「ふざけるなよ!」
怒鳴り返し、椅子を蹴るように立ち上がる。
「ルナがあんなに苦しんでるのに、呑気に肉を食えだと!?そんなことで何が変わるんだ!今の俺には何も出来ないのに!」
ナオトの叫びは、張り裂けそうな心をそのまま吐き出したものだった。
ブライアンは腕を組んだまま、じっとナオトを見据えていた。あえて真正面から受け止めているように。
「だからこそだ!」
重く響く声が返ってきた。
「今のお前の顔を見ろ。血の気が引いて、足も震えてやがる。そんな状態で何ができる?力が尽きりゃ、ルナを抱きとめることもできん!」
ナオトは拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「……そんな理屈……!ルナが死んでしまったら、意味がないだろ!」
「違ぇな」
ブライアンは低く唸るように言った。
「ルナは今、生きようともがいてる。生きてる限り、まだ終わっちゃいねえ。ナディアもアリアもルナを生かそうと必死になってる。ナオト、お前はどうだ?腹に力を溜めて、お前にしか出来ないことを探すんだ」
ナオトは荒ぶる息を吐き出した。胸の奥に渦巻いていた感情が、ブライアンの言葉を受けて少しずつ沈んでいく。
「……俺が倒れてたら、それこそ何もできない、か」
ナオトは低くつぶやき、自分の震える手を見つめた。
ブライアンは腕を組んだまま頷く。
「そうだ。熱くなる気持ちも大事だが、まずは頭を冷やせ。お前が冷静にならなくて、誰がルナを守る」
ナオトは深く息を吸い込み、目を閉じた。頭の中を覆っていた黒い霧のような絶望が、ほんの少し晴れていく。ようやく落ち着きを取り戻していた。
「……分かった。食べるよ」
横で腕を組むブライアンが、満足げに頷く。
「よし、それでいい。肉を食え、肉を。力はそこから湧いてくるんだ」
ナオトはじっとブライアンの顔を見上げ、わずかに眉をひそめる。
「……でもな、ブライアン。肉だけじゃダメだ。野菜も食べろよ」
「なに?」
とブライアンが目を丸くする。
「野菜は身体を整える。肉ばかり食べてたら、逆に体を壊すぞ」
ブライアンは思わず苦笑し、頭をがしがしと掻いた。
「はっはっは、ようやくナオトらしくなってきたな」
ナオトは深く息を吐き、冷たい水を飲み干した。胸の奥はざわめいていたが、それでも頭を働かせなければならないと自分に言い聞かせる。パニックになってもルナは救えない。ただ、目の前にある断片を拾い、繋ぎ合わせていくしかない。
――まず、ルナは「虫に刺された」と言っていた。
肩口を押さえ、震える声でそう報告していた姿が脳裏に焼き付いて離れない。そこから黒い模様が広がり始めたことを考えれば、刺されたことが発症のきっかけであるのは間違いないだろう。
――次に、アリアの解毒魔法。
あの術を受けた直後、ルナの表情はわずかに和らいだ。ほんの数秒だったが、確かに楽になったのだ。その時点で「毒」としての要素が関わっていることは明らかだ。だが問題は、その効果が持続しなかったこと。赤い斑点は消えたのに、蜘蛛の巣のような黒い模様は止まらず広がり続けている。つまり、毒を取り除いただけでは解決にならない。根本はもっと別のところにある。
――黒い網目状の模様。
肩から腕へ、じわじわと線が伸びていく様は、生きているかのようで不気味だった。名前の通り、「闇蜘蛛の災」という呼び方がふさわしい。だが、それは単なる偶然の形なのか、それとも意味を持った現象なのか。どこかで見たことがあるような模様。
――ブライアンの話した言い伝え。
かつて東の地に全身真っ黒な蜘蛛が現れ、村を襲った。勇敢な者が立ち向かったが、蜘蛛は消えず、むしろ災いが村に広がった。村人たちは年に二度の供え物を捧げることで、ようやく災いを鎮めることができた。
それはおとぎ話のように聞こえた。だが、もしこの病がこの村で実際に存在していたなら――あの言い伝えはただの物語ではなく、経験から生まれた「記録」なのではないか。問題はそこに出てくる「供え物」だ。食料を捧げることなのか、それとも命を贄として差し出すことなのか。それとも、まったく別の儀式的な意味を持つ行為なのか。魔法の炎を空に飛ばし、歌や踊りを捧げると言っていた。形だけの象徴であればまだいい。だが本当に何かを差し出さなければならないのだとしたら。
――アリアが口にした教会の蔵書の記録。三十年以上前、この「闇蜘蛛の災」によって倒れた者たちがいた。それも、ただの農夫や村人ではない。名を残すほどの大魔道士や呪術師、賢者たち。世界に知恵や力を誇った者たちですら、この病の前には無力だった。薬も、治癒の術も、どんな秘法も効かず、ただ命を蝕まれていった。
「……じゃあ、俺たちに何ができるんだ……」
無意識に声が漏れた。断片はこうして揃っているのに、そこから導き出される答えは絶望的だった。毒ではない。治癒でも治らない。伝説にも似た災い。供え物の意味は不明。過去の賢者ですら救えなかった。ならば、自分に何ができるというのか。
それでも考えるしかない。諦めればルナは確実に死ぬ。蜘蛛の巣のような模様が肩から全身へと広がっていく前に、何かを見つけ出さなければ。ナオトは唇を噛み、頭の中で必死に同じ問いを繰り返していた。
深呼吸を一つすると、食卓へと視線をやった。先ほどまで温かい香りを漂わせていた料理は、手つかずのまま冷めかけている。目の前でブライアンが骨付き肉にかぶりつく様子が目に入った。また肉ばっかり食べてる。血液の流れが悪くなるって言ってるのに……。
ナオトの中で疑問が浮かんでくる。
「……ブライアン」
「ん?どうした、食わねぇのか?」
豪快に骨をしゃぶっていた男が顔を上げる。
ナオトは眉をひそめ、素直に口を開いた。
「……魔力って、何なんだ?」
「魔力か……俺の言い方で悪いが、体の中を巡る力だな。目には見えねえが、体を動かしたり、技や魔法を使ったりする生命の源みたいなもんだ。魔法使いすぎて魔力無くなると死ぬらしいしな」
「……魔力……これがポイントなんじゃないか」
ナオトはテーブルに肘をつき、額に手を当てながら頭をひねった。
「ルナの場合は虫の毒がきっかけ……だけど……記録に残っている大魔道士や呪術師、賢者たちはみんな魔力が高い。発症の理由は違っても、魔力の何かが関係しているに違いない……」
ナオトは手元のメモ帳に走り書きをする。言い伝えにあったシャーマンの一族は年に二度、盛大に儀式を供え物として捧げている。それはただの形だけのものではない。
「供え物は、魔力の炎を空に放つこと……高濃度、高密度の魔力を持つ者は、定期的に魔力を発散しないと体内で詰まってしまう……」
頭の中で映像が浮かぶ。体内を巡る魔力の流れが、うまく循環せずに溜まっていく。やがて、体の一部に蜘蛛の巣のような、いや、毛細血管のような黒い模様となって現れる。ルナの肩に浮かんでいるあの模様も、詰まった魔力そのものだとしたら……。
「蜘蛛の巣の模様は、詰まった魔力の形……魔力の詰まりを取り除くことができれば、もしかすると治せるんじゃないか……」
ナオトの眉がぎゅっと寄る。理屈は単純だ。だが現実は難しい。ルナの体を蝕む魔力の詰まりを、どうやって安全に流してあげればいいのか――。
独り言のように呟きながらも、ナオトの目には決意が宿った。解明の手がかりは見えてきた。だが……。
「……魔力の詰まりを取り除く魔法なんて、あるのか……?」
答えはすぐに否定的なものとして頭に浮かんだ。この世界は治癒魔法が発達しているせいか、医学的な知識はほとんど知られていない。血管の詰まりをイメージすることが出来ないということは魔力の詰まりもイメージ出来ないかもしれない。魔力の詰まりを取り除く魔法なんて存在する可能性すら、限りなく低い。
「なければ……作るしかない……」
彼の声は小さくも強く、決意を帯びて響いた。しかし、現実は残酷だった。ナオト自身には魔法の適性がない。魔力を操ることすらできず、流れを直接変えることは到底できない。
「……でも、やらなきゃ……魔法の適性がなくても、何か方法を見つけ出す。それが俺にできる唯一の道だ。」
ナオトは拳を固めた。
――その時、紫色の光がナオトを包みこんだ。
―――
部屋の空気は重く、ルナはベッドの上でうめき声を漏らし、肩には蜘蛛の巣状の黒い模様がじわじわと広がっていた。アリアは額に汗を浮かべ、手のひらに魔力を集中させたまま、ため息混じりに首を振る。どの治癒魔法も、『闇蜘蛛の災』にはほとんど効果を及ぼさなかったのだ。
――その時、突然部屋の扉が勢いよく開いた。
「ナオトさん……!」
アリアが思わず声を上げ、ナディアも慌てて振り返る。
ドアの向こうから現れたナオトは、息を切らしながら宣言する。
「施術を……開始する!」
ナオトの声は力強く、部屋中に響き渡った。
それは、世界に対する宣戦布告だった――。




