第一章20『小さいお家』
翌日。
朝の澄んだ光の下、ナオトとルナは再び小屋へ向かった。
ナオトは小屋の隅を調理場に決め、川から拾ってきた平たい石を基盤にして簡易のかまどを組み上げる。鍋や木の杓子を並べると、ささやかながら「台所」と呼べる空間が形を帯びていった。
「火加減は工夫が要るけど、これなら何とか使えそうだな」
そう呟きながらナオトは釘打ちに使った木槌を片付ける。
一方、ルナは寝具の整備に集中していた。乾かした藁を布に詰め、針と糸で丁寧に縫い合わせていく。出来上がった寝床はふっくらとはいかないが、床に直接寝るよりずっと温かく快適そうだった。
「……旦那様、私の寝床はこちらに」
ルナが指し示したのは、調理場のすぐそば。火の始末や片付けがしやすい位置である。
「ここならすぐに台所に立てますし、朝も動きやすいです」
ナオトは一瞬迷ったが、納得したように頷く。
「なるほどな。確かにその方が便利だろう。じゃあ、俺はこっちの壁際を使わせてもらうよ」
二人の寝床は木製のついたてで仕切られており、互いに視線を気にせず休める工夫がされていた。板を組み合わせただけの簡素なものだが、あるのとないのとでは大違いだ。
最後に日用品の整備。
ナオトが板を打ち合わせて小さな棚を作り、ルナが布袋や掃除道具、食器を整然と並べていく。壊れかけた桶は縄で補強し、壺には布をかぶせて埃を防ぐ。
すべての作業を終えると、小屋はようやく人が暮らせる空気を帯びてきた。
調理場には鍋と食器が揃い、片隅には木製のついたてで仕切られた二つの寝床が整う。
ナオトは満足そうに辺りを眺め、腰に手を当てて言った。
「これで、ひとまず暮らせるな」
ルナは袖で額の汗を拭い、小さく微笑む。
「はい。小さいけれど……ちゃんとお家になりまし
た」
だが、ナオトには最後にどうしても形にしたいものがあった。
「……やっぱり、アレが欲しい……」
「……アレ……ですか?」
ぽつりと呟いた彼に、ルナは瞬きをして首を傾げる。
「風呂だよ、風呂! せっかく小屋を直したんだ、やっぱり風呂が欲しいだろ?」
「……お風呂ですか……?」
「湯船に浸かるんだ。体の汚れも落ちるし、疲れも取れる。俺の故郷じゃ当たり前だったんだ」
「……そんな贅沢なもの、絵本の中でしか見たことがありません」
ルナは呆れとも羨望ともつかぬ表情で彼を見つめた。
ナオトはにやりと笑って木材を指さす。
「だから作るんだ。幸い、ここには森も川もある。燃料も水にも困らない。あとは工夫次第だ」
小屋の前に積まれた板を、ナオトは一本ずつ見比べては並べ直していた。
「桶の底は強くないとすぐ抜けるからな……まずは厚めの板を並べて、一枚の円板にする」
「……これを繋げるのですか?」
「ああ。隙間があると水が漏れるから、できるだけぴったり合わせたい」
ナオトは小刀で板の端を斜めに削り、隣の板と密着するように調整する。
削った木屑がふわりと舞い、ルナの指先にかかった。
彼女はくすぐったそうに眉を寄せながらも、真剣な表情で板を押さえ続けている。
数枚を並べ終えると、ナオトは縄で仮に縛り、木槌で叩いて密着させた。
「よし、これで一枚の板になったな。……さて、ここからが面倒だ」
「……面倒……?」
「丸く切り出さないといけないんだ。桶だからな」
ナオトは炭で大まかな円を描き、斧の刃を使って少しずつ削っていく。
粗削りながら、やがて板は円形に近づいていった。
「……すごい。ちゃんと丸くなっていきます」
「まあ、完璧じゃなくてもいい。水が張れれば十分だ」
ナオトは底板を小屋の片隅に慎重に置き、ルナと一緒に側板を立て始める。
「板が倒れやすいから、しっかり支えててくれ」
「……わかりました」
ルナは腕を伸ばして板を押さえ、少し力が入って頬が赤くなる。
ナオトは縄を一本取り出し、底板と側板を包み込むように巻きつけていく。
「大きい分、何重にも巻かないと緩むぞ」
「……はい。でも、これだけ巻けば大丈夫そうです」
ルナは板を押さえながら、縄をナオトの指示通りに引っ張った。
コン、コン、と木槌で側板を叩きながら、少しずつ全周を囲んでいく。
板がぐらつかず、しっかりと底板をはさみ込む感触が伝わってきた。
「おお……形になってきたな」
「……はい」
ナオトは満足そうに息をつき、もう一度板と縄を確認する。
「まだ荒削りだが、ここまで来れば風呂として使えるぞ」
「……なんだか不思議な気分です」
ルナは小さく手を合わせ、誇らしげにほほ笑んだ。
ナオトとルナは川から桶いっぱいの水を汲んできては運び、交代で火を焚いた。
二人の息は白く、額には汗がにじむ。
「よし、これを沸かして桶に流せば……」
「……すごいです。でも……これ、全部桶にお湯をためるとなると……」
ルナは目を丸くするが、その後で小さく眉を寄せた。実際に火を焚いてみると、鍋一杯のお湯を温めるのにかなりの時間がかかった。
しかも、桶を満たすには十倍どころではない量が必要だ。ナオトは汗を拭いながら、頭をかかえた。
「……あれ?思ったより大変だな」
「……そうですね」
ルナも苦笑する。
「仕方ない、今日は頭だけ洗うか」
「……はい……」
「じゃあ、仰向けになって、桶に後頭部をつけてくれ」
ルナは少し緊張したように小さく頷く。
「……こうですか……?」
「うん、こうすると髪全体にお湯が行き渡るんだ」
ルナはゆっくりと体を倒し、そっと後頭部を桶に沈める。
お湯が髪の根元まで触れると、ルナは思わず小さく息をもらした。
「……あったかい……」
ナオトは柄杓でお湯をすくい、髪全体にゆっくりとかける。
「力を抜いて、大丈夫だから」
「……はい」
ルナは目を閉じ、体の力を抜いてリラックスする。
湯気の中で、ナオトの手が髪を丁寧にほぐしていく。
途中、獣耳が気になったのでちょっと触ったら怒られた。くすぐったいらしい。
お湯だけで髪の絡まりや埃がゆるみ、一本一本がしっとりと広がる。
「……なんだか、髪が柔らかくなるみたいです」
「お湯だけでも、かなりきれいになるんだ。ホントはシャンプーがあれば良かったんだけど、石鹸は髪にあまり良くなかった気がする」
「……シャンプー?」
「髪専用の石鹸みたいなもんかな」
ルナの髪がふわりとお湯に浮き、ナオトは慎重に水流で髪を整える。
指先に伝わる髪の感触に、ルナは少し照れたように頬を赤らめる。
「……お湯で髪を洗うのは初めてです……川の水とは全然違う……」
「これで髪もすっきりしたな。次はお湯のため方も考えとかないとな」
髪を拭き終え、ルナは思い出したように話しだした。
「……そういえば……先ほど、川に水を汲みに行ったときに鳥の群れがいました。……お昼に一品追加したいので、ちょっと狩ってきます」
「コンビニに買い物に行く感覚で言ってない!?」
「……コンビニ?」
疑問符を浮かべながらルナは川に走り出していた。
――ほんの数分後。
「……ただいま戻りました」
「さすがに早くない!?」
振り返った瞬間、ナオトは思わず目を見張った。
ルナの両手には、鮮やかな羽をもつ見たことのない鳥が二羽ぶら下がっていたのだ。
「……整体をしていただいたおかげで、体が軽くて……動くのが楽なんです」
「整体したら鳥を数分で捕まえられるようになるなんて聞いたことないけどな」
当たり前のように言うルナに、ナオトはしばし言葉を失う。わずか数分で鳥を二羽も捕まえてくるなど、到底信じられなかった。
ルナがその鳥をさばいて野菜と一緒に煮込みにすると、小屋の中に香ばしい匂いが漂った。
二人は並んで食卓につき、夕食をとる。見たことのない鳥の肉は柔らかく、旨味が口いっぱいに広がった。
ふと、ナオトが口を開く。
「なあ、ルナ……」
「……なんでしょうか、旦那様」
その呼び方にナオトはわずかに肩をすくめた。
「それだ。『旦那様』って呼ばれるの、慣れなくてな。正直、ちょっと気恥ずかしい」
ルナは目を瞬かせる。
「……ですが……主人と付き人の関係は、はっきりさせた方が良いかと」
「わかるけどな。でも、せめて呼び方だけでも、もう少し気楽なものにしてくれないか?ルナとは家族みたいなもんだと思ってるんだ。……考えておいてほしい」
ナオトがニッコリと微笑むとルナはわずかに顔を赤らめながら頷き、少し思案顔を浮かべながら答えた。
「……わかりました。では、考えてみます」
夕食を片付けたあと、小屋の中は焚き火の柔らかな明かりに照らされていた。
ナオトは腰を下ろし、火に照らされた手のひらを見つめながらぼそりと呟いた。
「それからもう一つ」
「……なんでしょうか」
「……そろそろ、手持ちのお金が心もとなくなってきた」
王様にもらった支度金は小屋の修理費用や宿屋代、日用品代などに消えていった。さすがに王様にお願いするわけにはいかない。せっかく自由に過ごせる時間をもらったのに、都合よく頼み込むのは気が引ける。
少しの沈黙の後、ルナが小さく頷いた。
「……商業ギルドに行ってみるのはいかがでしょうか?」
「商業ギルド?」
「……はい。この街には商業ギルドと冒険者ギルドがありますが……旦那様には商業ギルドの方が合っていると思います」
ルナは言葉を選ぶように続ける。
「冒険者は武力や魔法で依頼をこなす人たちです。ですが、旦那様の整体の技を仕事として登録すれば、きっと暮らしの助けになります」
ナオトは腕を組んで考え込んだ。
整体がこの世界でどう受け止められるかは未知数だ。だが、ここでじっとしていても何も始まらない。
「……そうだな。何か行動を起こさないと」
ナオトは静かに頷き、決意を固めた。
「よし。明日、商業ギルドに行ってみよう」
「……はい。お供いたします」
ルナは静かに微笑み、その笑顔にナオトの胸の不安は少し和らいだ。
「それから……」
「……まだ何か?」
ナオトは背を伸ばし、少し考え込むように口を開いた。
「……まあ、お金のことはギルドに行ってから考えるとしてだな」
「……はい」
「お世話になった人たちに礼をしたいと思うんだ。食事会を開こうと思っててさ」
ナオトは笑みを浮かべながら続ける。
「場所は『陽だまりの宿』で。アリアやナディア、それにブライアンに声をかけたい」
「……さすが旦那様ですね。皆さん、きっと喜ばれると思います」
「だといいけどな。」
照れくさそうに頭をかくナオトに、ルナは小さく笑った。
「……その時は、私も準備をお手伝いします。旦那様が考えて準備してくださるだけで、十分に伝わりますから」
「……ありがとな」
ナオトは照れ隠しのように火をつつきながら、静かにうなずいた。
夕暮れ前のアークロスの広場には、子どもたちの元気な声が響いていた。屋台の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ルナは手を胸の前で組み、子どもたちの遊ぶ姿を静かに見つめていた。
「……楽しそうですね……」
ナオトは隣を歩きながら、彼女の視線を追う。
「ルナ、子どもは好きなのか?」
ルナは少し息をつき、目を細める。
「……はい……家族の思い出はほとんどありません。孤児院で過ごした時間も寂しい思い出ばかりで……でも、こうして遊ぶ子どもたちを見ていると、少し憧れます」
そう言うと、ルナは恥ずかしそうに手を前に組み、体を揺らした。頬に薄い赤みが差し、視線をそらす。
「もう少し大人になったらな」
「……ルナは16歳です。この国では立派な大人です」
ルナは頬を膨らませ、小さくぷうっと息を吐く。
「……旦那様は子どもはお好きですか?……」
「あまり考えたことはないんだけど……」
ナオトは微笑みながら、冗談交じりに続ける。
「定番だと……野球チームが作れるくらい子どもが欲しい、かな」
「……野球チーム?……何人ですか?」
「9人くらいかな」
ナオトは肩をすくめ、ふざけたように笑う。深くは考えていない、ただの冗談だ。
「……9人……!」
ルナの頬がさらに赤く染まる。心の中で頑張りますとつぶやく。ナオトはその横顔に気づかず、ふざけた調子のまま空を見上げる。
「ま、冗談だけどな」
決意を固めたルナの耳には入っていなかった。
―――
アークロスの街。
一足先に『陽だまりの宿』に向かうナオトを見送り、ルナは孤児院へ挨拶をしに行っていた。




