第一章16『ひそかな決意』
鍛冶屋の扉を開けると、鉄と油の匂いが鼻をくすぐった。外の明るい光とは違い、店内は少し薄暗く、火と鉄の匂いが渾然一体となって、独特の熱気を生み出している。カンカンと金属を打つ音が規則正しく響き、火花が小さく飛び散る様子が、鍛冶屋の活気と職人の力強さを感じさせる。炉の赤々とした炎が壁や天井に反射し、鉄の道具や武器が妖しく光っている。
鍛冶台の前には、若いドワーフの女性が黙々と作業していた。腕を振るたびに筋肉が波打ち、鉄を叩く音に合わせて力強く呼吸をする。その姿は凛としていて、炎の光に照らされた顔には集中の色が濃く漂っていた。ナオトとルナの気配に気づくと、彼女は満面の笑みを浮かべて声を弾ませた。
「いらっしゃいませ!今日は何をお求めですか?」
「日用品を見させてもらうよ」
ナオトは軽く会釈し、穏やかに笑う。ルナは少し後ろに下がり、まだ店の空気に慣れようとしている。
「エリー・グレイヴンの新作も入荷しましたよ!」
「エリー・グレイヴン?」
「……新進気鋭の魔道具職人です。」
疑問符を浮かべるナオトにルナが説明する。
「魔道具!ちょっと興味あるな!どんな商品なんだ?」
「本日入荷したのは『虎印の魔法瓶』です!」
「聞いたことあるような名前!」
「温かいものは夜まで温かく、冷たいものは翌日まで冷たいまま!しかも魔力を込める必要がなく、誰でもすぐに使えるよう工夫されています!一度使えば手放せなくなること間違いなし!入荷数はわずかですので、興味がありましたらぜひ手に取ってみてください!」
ナオトは瓶を手に取り、重さを確かめるように軽く振ってみた。見た目よりずっと軽く、手触りもしっかりしている。
「……なるほど、確かに便利そうだな。温かいままスープを持ち歩けるってのはありがたい」
「……ですがエリー・グレイヴンの魔道具はお値段が……」
すぐに値札に目をやって小さく息を吐いた。
「うーん……この値段か。さすが新作の魔道具ってことなんだろうけど……。興味はあるけど、今はちょっと手が出ないな」
そう呟きながらも、瓶から視線を離すことはできず、しばらく未練がましく眺めていた。
「包丁に鍋、ひとまず安いもので揃えていこう」
「……ルナもそれでいいと思います」
鍛冶屋の奥に並ぶ日用品や調理道具を見渡し、包丁や小さな鍋、木べらや砥石を手に取りながら材質や値段を確認していく。
一方のルナは、黙って壁に掛かる武器に目を留めた。短剣や小剣が整然と並び、それぞれに異なる光沢や形状がある。普段は物静かな彼女だが、目の奥には鋭い好奇心と少しの緊張が混じっている。手に届く距離にある剣の刃先をそっと指でなぞるだけでも、その冷たさや重さを想像しているようだった。
「……旦那様」
「どうした?そんな真剣な顔で」
ルナは小さな声で呼びかけた。その声は普段の控えめな様子とは違い、真剣な響きがあった。
「……一番安い小剣で構いません。持たせてもらえませんか?」
ナオトは少し眉をひそめ、壁の剣を見つめる。
「小剣か……何に使うんだ?」
「……付き人には、主人の護衛をする役割もあります。いざという時の備えを……」
ルナの瞳は静かだが揺るがない決意を宿していた。小さな身体で自分の役割を理解し、守るべき人のために備えようとするその姿を、ナオトはしばらく黙って見つめた。
「……わかった。いずれちゃんと使えるものを買おうと思うが、今は安いもので我慢してくれ」
ドワーフの店員は笑顔で頷き、棚から軽くて扱いや
すそうな小剣を取り出した。刀身は短く、反りは浅めで、手に収まりやすい柄。刃の表面はよく磨かれており、光を受けて淡く輝く。
「この子なら、君の体格にぴったりよ。軽くて丈夫、手入れもしやすい」
ルナは両手で剣を受け取り、ぎゅっと握り締める。重みと微細な振動が手に伝わり、自然と背筋が伸びた。
「俺も剣とか持ってた方がいいんだろうか」
近くにあった片手剣に手を伸ばす。
「RPGだと銅の剣ってとこか?……重っ!これ、レベル1の村人に持てる重さじゃねぇ!」
「……旦那様の護衛はルナにお任せください」
ルナは小剣を軽々と持っていた。適材適所という言葉もある。孤児院では護衛の訓練もしていると言っていたから素人のナオトがヒノキの棒を振り回すよりよっぽどマシだろう。
戦士への転職は早々に諦め、本業の村人に戻る。籠に包丁や鍋を入れていく。村人歴25年のナオトに日用品の選び方に迷いはない。
「まいどあり!袋はサービスで付けておくよ!」
ドワーフの店主がにっこり笑い、二人の買い物は無事に終わった。ルナは鞘に収めた小剣を大事そうに抱きしめ、手のひらに残る感触を何度も確かめた。小さな体で、しかし確かな覚悟を胸に秘めた彼女の姿は、店の活気とともにどこか力強く美しかった。
外に出ると、朝の光が二人を包む。ナオトは日用品の袋を抱え、ルナは小剣を抱えたまま歩く。石畳に響く二人の足音、遠くで響く鍛冶屋の金属音や通行人の声が、街の日常を温かく彩る。ルナの胸の奥で、少しだけ自分が大人になったような、守るべきものを手に入れたような感覚が芽生えた。
通りを進むたび、子どもたちの声や野菜屋の呼び声、パン屋の香ばしい匂いが漂ってくる。ルナは無意識に深く息を吸い込み、街の空気を胸いっぱいに取り込む。小さな手に収まる剣の重みと、これからの責任を考えると、心は緊張と喜びで少し高鳴った。
―――
アークロス郊外。小屋の前に立つと、古びた木造の屋根がところどころ剥がれかけているのが目に入った。昨日掃除を終えた室内とは違い、外の風景は荒れた印象を与える。ナオトはため息をつき、梯子を壁に立てかけながらルナに声をかけた。
「ルナ、屋根の応急補修は俺がやる。ルナは室内で
できる作業を頼む」
「……かしこまりました」
ルナは小さく頷き、手にした雑巾や布袋を抱えながら小屋の中に入った。倒れた椅子や小物を整理し、床を整える。埃を払いながら、梯子の下に釘や板をまとめ、ナオトが上から必要とするタイミングでそっと手渡せるよう準備する。
梯子の上でナオトは板を抑え、釘を打ち込む。屋根板の端は微妙に反っており、力加減を間違えるとずれてしまう。ルナはその様子を見ながら、釘や小さな板を手渡す。ルナの手伝いのおかげでナオトは安心して作業を進められた。
ナオトが屋根の応急補修をしている間、ルナは小屋の外に小さな焚き火を起こした。薪を慎重に並べ、火の結晶石で火花を散らすと、瞬く間に柔らかく揺れる炎が立ち上がった。ルナは道具袋から小鍋を取り出す。
「……焦げないように、ゆっくり」
ルナは小さな声で自分に言い聞かせるように呟き、鍋に水を注いだ。次に人参や玉ねぎ、キャベツなどの野菜を加えていく。香りが立つようにハーブと塩を控えめに振りかける。火にかけるとすぐに野菜の甘く香ばしい匂いが立ち上がっていった。
ルナは次にパンを用意する。小さなパンを焚き火の網の上に置くと、表面がじわりと香ばしく色づき、焼ける香りが鼻腔をくすぐる。外は香ばしく、中はふんわり柔らかく仕上がる。
「……いい香り。……喜んでもらえるといいな」
ルナは小さく呟きながら鍋をかき混ぜる。
「すごいいい匂い!」
「……ちょうど出来上がったところです」
ナオトが香りに誘われて近づいてきた。ルナの手際よく動く姿と、鍋から立ち上る湯気が温かく見える。
「いただきます」
「……いただきます」
小鍋の蓋を開けると、ふわりと野菜の甘い香りが立
ち上る。湯気に鼻を近づけると、優しいハーブの香りも混ざり、思わず深呼吸したくなる。
ひと口すすると、野菜は丁寧に煮込まれており、口の中でほろほろとほどけるような柔らかさ。人参や玉ねぎは甘みが引き出され、キャベツは自然な甘みと食感が残っている。スープ自体はあっさりとしているが、旨味がしっかりと感じられ、体の芯から温まるようだ。
横に添えられた小さな焼きパンは、外は香ばしく、中はふんわり。スープに浸すとじわっと汁を吸い込み、口に運ぶたびにスープの味がパンに染み渡り、絶妙なハーモニーを生む。
全体的に味付けは控えめで素朴だが、素材の良さを活かしつつ、火加減や煮込み時間まで計算された完成度の高さを感じる。焚き火の温かさと香ばしい匂いも加わり、一口食べるたびに心までほっと和む料理だ。
「……ルナ、すごいな。焚き火で作ったとは思えないくらい、香りもいいし、野菜もふっくらしてる」
「……ありがとうございます」
「こちらこそありがとう、ルナ。すごく美味しかった」
「……はい。頑張ったかいがあります」
明日はもっと喜んでもらおう。
小さな小屋の中、焚き火の香りと温かさに包まれながら、ルナはひそかに決意した。
食事を終え、二人は灰色の残り火の前に腰を下ろした。薪はすでに赤く微かに燃える程度で、かすかな温もりと心地よい匂いだけが残っている。ナオトは薪の残り火を見つめながら、ルナに話しかけた。
「ところで、ルナ。孤児院で魔法に関する本を読んでいたって言ってたけど、どのくらい詳しいんだ?」
ルナは小さく肩をすくめ、目を伏せたまま答える。
「……本で少し読んだくらいです。詳しいと言うほどでは……魔法には、火、水、風、土、光、闇の六属性があります。魔力は全ての人の体内に存在しますが、魔法として発現させられるのは、一部の人だけです」
ナオトは目を丸くし、少し身を乗り出した。
「一部の人だけ……か。じゃあ、適性とかもあるのか?」
「……はい。種族としての適性もあります。ルナは水属性の魔法が少しだけ……少量の水を作り出すことができますが、戦闘の役には立ちません」
ルナは控えめな口調でそう言ったが、どこか誇らしげな雰囲気もある。ナオトは頬に軽く手を当て、にっこり笑った。
「それだけでも十分すごいと思うけどな。じゃあ、俺にも魔力があるのかな?」
「……はい。魔力は全ての生命の源ですから。……魔力が尽きれば……死にます」
ナオトは少し驚き、息を飲んだ。
「そうなの?思ってたより、使いどころ難しそうだ
な!」
「……使いすぎなければ問題ありません。……旦那様は魔法に興味があるんですか?」
「あぁ、子どもの頃から魔法は使いたいと思ってた」
ルナは小さくうなずき、火の揺らめく明かりが彼女の顔に柔らかく映る。
「……よかったらお見せしましょうか?」
「見てみたい!」
ナオトは興味を引かれ、身を乗り出した。
「……大したものではありませんけど」
ルナは両手を胸の前でそっと重ね、目を閉じる。静かに息を整え、細い指先を少し開く。
その瞬間、指の隙間から、淡い青の光がふわりと漏れた。
「……水よ、集まって……」
小さな詠唱とともに、光がやわらかく形を変え、やがて掌の上に透明な水滴が浮かび始める。
水滴は瞬く間に膨らみ、澄んだ小さな球体となり、ルナの手のひらに静かに漂った。
「おぉ……!」
ナオトの目が見開かれる。
「……本当に水が浮いてる……」
ルナは少し照れくさそうに、しかし誇らしげに微笑んだ。
「……これが、ルナの得意な水魔法です。あまり大きなものは作れませんが……飲み水や洗浄くらいなら、こうして……」
彼女は水の球をそっと宙に浮かせ、くるりと回転させる。光を反射して、揺れる水面が虹色にきらめいた。
ナオトは思わず息を呑む。
「すげぇな……俺が触っても大丈夫か?」
「……はい。触れてみてください」
恐る恐る指先を伸ばすと、ひんやりとした感触が確かにあった。
「……冷たい……!本物の水だ……」
ルナは小さく頷き、球体を消すと、指先に残った水滴をそっと舐め取った。
「……昔から、これだけはできるんです。役に立つことも少ないですが……」
ナオトは真剣な眼差しで彼女を見た。
「いや、立派な力だよ。ルナの魔法は、俺たちにとって大きな助けになる」
「……本当、ですか?」
潤んだ瞳で見上げるルナに、ナオトは力強く頷いた。
「本当だ。ルナは自分を過小評価しすぎだな。俺は、すごいと思う」
「……ありがとうございます」
ルナは胸に手を当て、安堵の息を吐いた。彼女の瞳に浮かぶ光は、先ほど生み出した水滴と同じように澄んで、優しく輝いていた。
「……魔法に興味があるのでしたら、街で適性を見てもらえます。……今日はもう遅いですが。……明日行ってみますか?」
「ああ、行ってみよう。案内してくれるか?」
「……かしこまりました」
二人は焚き火を見つめながら、しばらく沈黙した。火の粉が時折小さく飛び、薪がきしむ音だけが響いた。
「それじゃ、そろそろ街に戻るか」
「……はい」




