第一章11『花かごの家』
翌朝――。
東の空が淡く明るみ始め、宿の外は朝の静けさに包まれていた。
陽だまりの宿の木製の扉を押し開け、ナオト深呼吸をする。
冷たい朝の空気が肺に満ち、これからの一日への気持ちを引き締めるようだった。
「おう、ナオト!」
背後から太い声が響いた。振り向けば、ブライアンが腕を組みながら立っている。昨夜の酒の影響はすっかり抜けたのか、爽やかな表情だ。
「そういや聞きそびれてたんだが――ナオト、お前さんには付き人はいねぇのか?」
「……付き人?」
ナオトは目を瞬かせる。聞き慣れない言葉に首をかしげた。
ブライアンは「ああ」と頷き、声を低めて説明を始めた。
「この国じゃな、戦争の影響で男手がぐっと減っちまった。成人して独り身の男には、必ず付き人をつけるのが国の決まりなんだ。安全のためってのもあるし……まあ、他にも理由はいろいろだ」
ナオトは驚きに目を丸くする。
「付き人……そんな制度があるんですか」
「おう。まだこの街のことも何も知らないんだろ?なら余計に誰かをそばにつけておかねぇと」
ブライアンは腕を組み直し、じろりとナオトを見た。
「……だが不思議だな。王都から来たってんなら、誰かしら紹介されてるはずだが」
ナオトは言葉を探しながら、ただ「いや、その……」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
ブライアンはしばし考え込むと、ふいに手を打った。
「よし、ちょうどいい。今から孤児院に顔を出してみるか?」
「孤児院、ですか?」
「ああ。この街の孤児院には戦争で親を亡くした子も多い。中には働き口を探してる年頃の子もいるし、しっかりした奴もいる。付き人探しには悪くねぇ場所だ」
ブライアンはナオトの返答を待たず、がっしりとした手で背中を叩いた。
「行って来い!教会のすぐそばだ。ちょいと覗いてみりゃいい!」
ナオトは戸惑いつつも、その勢いに押されて歩き出した。
朝の市は活気にあふれ、露店からは焼きたてのパンの匂いや香草の香りが漂ってくる。行き交う人々も忙しげに声を掛け合い、活気のある声があちこちで響いていた。
ふと、ナオトは耳を澄ませる。
――昨日は背中に突き刺さるような視線と、押し殺したヒソヒソ声が耳に届いていた。
だが今日は違った。
すれ違う人々は一瞥をくれるだけで、すぐに日常へと戻っていく。ささやき声も、好奇の視線も、今日は感じられなかった。
ナオトは自分の着ている服の袖をつまみ、小さく息を吐く。
――昨日、アリアが用意してくれた街の人々と変わらない普段着。
少し古いが清潔で、質素で目立つことのない布地。
「なるほど……服を変えただけで、こうも違うものなのか」
ほんの少しだけ、この街に溶け込めたような気がした。
視界の端には神官服の少女が転んでつぼを割っていた。
街路を抜け、石畳を進むと、やがて教会に併設された白壁の建物が見えてくる。
庭には数人の子どもたちが元気に走り回っており、笑い声が朝の空に広がっていた。
――『花かごの家』
孤児院の門をくぐると、庭先には花壇が広がっていた。季節の小さな花々が咲き誇り、古びた建物の外観に温かみを添えている。
石造りの壁はところどころひび割れているが、修繕の跡が丁寧に残されており、人の手で大切に守られてきたことが伝わってきた。
「……何か、ご用でしょうか?」
玄関の前に立つナオトに声をかけてきたのは、一人の物静かな少女だった。
白いブラウスに紺のスカート、胸元には淡い水色のリボン。生成りのエプロンには、細やかな花かごの刺繍が施されている。どこか儚げな印象を与える彼女は、ナオトを一瞥すると小さく首を傾げ、か細い声で問いかけた。
ナオトは少し肩をすくめながら微笑む。
「付き人を探していてね。孤児院の子たちを紹介してもらえないかな」
少女はほんの一瞬だけ瞬きをし、表情を変えぬまま小さく頷いた。
「……わかりました。中へどうぞ」
そう言って扉を大きく開け、ナオトを中へと案内する。
孤児院の内部は外観と同じく古びてはいたが、木の温もりに包まれていた。
廊下には乾いた花の香りが漂い、磨かれた床板が柔らかく軋む。子どもたちの笑い声が遠くの部屋から響き、どこか家庭的で安心感のある空気に包まれていた。
ナオトは、目の前の小さな案内役の背中を見つめながら、この場所と、これから出会う子どもたちに静かに期待を抱いた。
案内された応接室は、こぢんまりとしていながらも清潔で、壁際には古い本棚と、窓辺には色とりどりの鉢植えが並んでいた。
やがて、落ち着いた雰囲気の初老の女性が入ってくる。白髪をきちんとまとめ、深緑の法衣に似た服を身にまとったその姿は、威厳と柔らかさを兼ね備えていた。
「ようこそ、『花かごの家』へ。私はこの孤児院の院長を務めております」
ナオトは軽く会釈する。
「……ところで、失礼ですが、身分証はお持ちでしょうか?この孤児院では、付き人のご依頼を受ける際、来訪者の身元を必ず確認しております」
ナオトは肩からかけたカバンから羊皮紙を取り出す。
「ええ。こちらです」
差し出されたのは、金色の封蝋と王家の紋章が刻まれた手形のような書類。王様の署名も入っている。
院長はそれを手に取り、目を細める。紙面に目を通した瞬間、わずかに息を呑んだ。
「……こ、これは……王城発行の身分証、しかも国王陛下直々の……」
ナオトは微笑み、肩をすくめる。
「王様から特別任務としてアークロスの復興を任命されました。これが、俺のこの国での身分です」
院長は深く息を吐き、すぐに姿勢を正す。
「……承知しました。イチノセ様のお立場、確かに確認いたしました。それでは安心して、子どもたちの中から付き人候補をご紹介させていただけます」
院長がおもむろに手を叩くと、応接室の扉が静かに開き五人の女の子が入ってきた。
一人目は、元気そうな少女だった。短い髪を軽く結び、快活な笑顔でナオトに一礼する。小柄ながら、明るい活力が感じられた。
二人目は、少し背の高い少女。長い黒髪を後ろで束ね、落ち着いた目つきで歩いてくる。手には小さな護身用の棒を持っており、訓練の成果が伺えた。
三人目は、ぽっちゃりとした体型の少女。柔らかい雰囲気で、ナオトの視線に軽く微笑みを返す。その微笑みは日常的な補助や家事に向くタイプだと感じられた。
四人目は、活発そうな金髪の少女。肩幅が広めで体格はしっかりしており、動きに力強さがある。腕や足の筋肉の輪郭がうっすらと見え、護衛能力の高さを示していた。
そして最後、五人目として現れたのは、ナオトを孤児院の中へ案内してくれた物静かな少女だった。




